南萬春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南萬春
各種表記
ハングル 남만춘
漢字 南萬春
発音: ナム・マンチュン
日本語読み: なん ばんしゅん
テンプレートを表示

南 萬春(ナム・マンチュン、1892年 - 1938年)は、朝鮮系ロシア人抗日運動家、革命家。

人物[編集]

アムール州で出生し、1914年にギムナジウムを卒業。同年にキエフ(当時ロシア帝国領)の医科大学に入学予定であったが、第一次世界大戦勃発により徴兵された。1917年のロシア革命後に社会主義運動に参加し、内戦が激化する中、白軍の追跡を逃れてイルクーツクに移り、同地でボリシェヴィキに入党した。1920年には、ロシアに帰化した朝鮮人をまとめて、韓族部を設立し、翌年には高麗共産党朝鮮語版イルクーツク派に改編した。上海派とイルクーツク派の派閥対立が深刻化すると、コミンテルンにより、朝鮮人の統一された共産党を組織する目的でコルビューロー(꼬르뷰로)が設立されるが、南萬春は一線を画し、主としてボリシェヴィキの一員として活動した。1938年にヨシフ・スターリンにより粛清された。

参考文献[編集]

  • 佐々木春隆「韓国独立運動の研究」 国書刊行会 2012年
  • 小野容照「朝鮮独立運動と東アジア 1910-1925」 思文閣出版 2013年
  • 「アジア人物史 10」 集英社 2023年