広島市

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ひろしまし ウィキデータを編集
広島市
ファイル:Hiroshima montage.png
左上:広島城、右上:マツダスタジアム
中央:原爆ドーム
左下:八丁堀の夜景、右下:原爆の子の像
広島市旗
広島市旗
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
市町村コード 34100-2
法人番号 9000020341002 ウィキデータを編集
面積 906.69km2
総人口 1,180,820[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 1,302人/km2
隣接自治体 坂町呉市熊野町
海田町府中町東広島市
安芸高田市北広島町
安芸太田町廿日市市
(海を隔てて)江田島市
市の木 クスノキ
市の花 キョウチクトウ
広島市役所
市長 松井一實
所在地 730-8586
広島県広島市中区国泰寺町一丁目6番34号
ファイル:広島市役所.jpg
外部リンク 広島市役所

広島市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

広島市行政区画図

ウィキプロジェクト

広島市(ひろしまし)は、日本広島県にある都市政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。中国地方の中南部、広島県西部(安芸国)に位置し、中国・四国地方で第1位の人口を有する。

概要

世界史上初めて核兵器原子爆弾)で爆撃された都市として、世界的に知名度が非常に高い(広島市への原子爆弾投下)。それ故に、国際平和文化都市としても一定の影響力を持っており、広島市長の発案で創設された「平和市長会議」には130を超える国から3000以上の自治体が加盟している。第二次世界大戦以前には軍事都市であった歴史とは対照的である。

都市としての広島の歴史は、戦国大名毛利輝元1589年広島城を建設したことに始まる。江戸時代には、広島藩42万石の城下町として浅野氏のもとで発展した。戦前には、陸海軍の拠点が集中する軍事都市となり、特に日清戦争時には広島大本営が置かれて帝国議会第7回帝国議会)が開かれるなど、臨時の首都機能を担った[1]

第二次世界大戦末期の1945年8月6日アメリカ軍戦略爆撃機B-29エノラ・ゲイ」によって広島市中心部の相生橋上空に原子爆弾リトルボーイ」が投下され、きのこ雲が立ち上り、市街地は一瞬にして破壊された。当日中に数万人、1945年末までに13万人(推計)の人命が奪われ、生存者も火傷痕(ケロイド)、放射線後遺症、精神的後遺症(PTSD等)、遺伝への不安に生涯苦しむなど、市民が経験した苦痛は人類史上類を見ないものであった。

戦後は重工業や自動車産業を中心に復興し、日本の主要な工業都市となっている。1980年には政令指定都市に指定された。現在では全国ので10番目の人口を抱える(→日本の市の人口順位)。

地理的には山陽地方のほぼ中南部に位置しており、太平洋ベルトを構成する広島都市圏の核となっている。京阪神福岡都市圏のほぼ中間に位置しているため、中国地方あるいは中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている(支店経済都市)。また、瀬戸内工業地域を構成する西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。地場資本も比較的強い方[要出典]であり、製造業の本社・本部が多く置かれている。地元で効率よくまとめようとする傾向が目立つとも言われる[誰?]が、広島経済の堅実さの表れである[要出典]

近年では、人口の郊外への流出も引き続いて見られる一方で、中区人口密度が地方圏として全国1位になる[要出典]など、都心回帰の傾向が見られる。平和大通りでは、80mを超える高層ビルが相次いで建設されている。

中区以外においても、広島駅周辺を始め、宇品緑井段原などの開発・再開発が進み、既存の商工センター西風新都と併せて、都市拠点機能が活性化している。交通インフラ面では都市高速道路である広島高速道路の整備のほか、広島電鉄による市内線路面電車LRT整備や、広島アジア大会の開催(1994年)に合わせて開通した広島高速交通アストラムライン」の延伸、およびJRとのアクセス改良計画が進むなど多方面から都市機能の充実がすすめられている。

地理

南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。

その他…三篠川、瀬野川八幡川府中大川、安川、二又川

地名

都市名の由来

広島」という名称は、戦国時代末期、この地を支配した戦国大名の毛利輝元が築城に際して命名した。

当時この地は太田川河口デルタの形成途上にあり、箱島(今の白島地区)や日地島(比治山)などいくつかの島が点在しており、五箇庄(ごかのしょう)と呼ばれていた。築城する島がこれらの島の中で最も広い(実際には2番目)ことから「広島」と命名したとされるが、輝元には別の意図もあった。広島築城事業は、当時120万石の「西国の雄」毛利家が、本拠地をそれまでの吉田郡山城から移して新たに築こうという大事業であり、城の名称には家運長久の願いが込められた。毛利氏は代々、大江広元の末裔であることを誇りとしており、本姓は大江氏であった(毛利氏は最も頻繁に用いられる「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字の一つとしていた)ことや、「広大」「末広」の縁起から「広」の字を冠することとし、「島」については城普請案内を務め、この界隈の地勢に詳しかった普請奉行の福島元長の名字からとって命名した。

輝元の祖父・毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春天野元貞出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与え始めたとされる。この慣習は「広島」の命名者である毛利輝元にも引き継がれ(輝元が「広」を一字書出として与えた者には、吉川広家山内広通益田広兼などがいる)、輝元が命名に関与する場合、「広」はこのような重要な意味合いをもった。

「広島へ行く」という表現について

西日本方言で、「広島へ行く」「ヒロシマにゆく」という表現が、「死ぬ」を婉曲に表す忌み言葉として使われることがある。この広島が都市の広島を指すかどうかについては不明だが、1741年寛保元年)の『夏山雑談』に記述があり、起源は近世以前までさかのぼる。

柳田國男は『廣島へ煙草買ひに』という著作の中で、「ヒロシマ」は「会津檜枝岐などの狩詞で人里のことであった」、「ヒロシマへユク」は「壱岐では死ぬの隠語に代用して居ることが最近刊行せられた山口君の続方言集[2]に見えて居る、ヒロシマといふ語にもし斯ういふ感覚が伴なふことを知って居たら、藝州の殿様も是を御城下の名にはしなかったかも知れない。」と記し、さらに「タバコ」を「関西地方は殆ど一般に、休息の同義語に用いられている」とし、「廣島へ煙草買ひに行く」というのは、伊予の内海側では「死ぬ」という代わりに時々使われる気のきいた忌み言葉になっている、と説明している。

南海日日新聞2000年12月16日付記事「ヒロシマへ行くこと[3]」では、愛媛県八幡浜市周辺で現在も使われ、『八幡浜市誌』に採録されているといい、起源については死の穢れを極端に避けた厳島(安芸の宮島)の風習に由来する可能性を指摘している(島全体が神聖とされた厳島では、死者が出ると島外で葬儀・埋葬を行い=「ヒロシマに行き」、遺族は服喪期間が明けるまで島に戻れなかった)。

今治市周辺でも高齢者は聞き慣れた表現であるという。ただし原爆のイメージからか、新しい世代はタブー表現として(前述のような意味合いでの)使用を避ける傾向がある。

広島市の地名

広島市には海に関連する由来の地名が多い。

  • 江波(えば・江波島)、白島(はくしま・箱島)、仁保(にほ・仁保島)、比治山(ひじやま・日地島)
  • …打越(洪水の冠水を堤防を壊して排水する「内越」から)、流川町(縮景園の排水路として開かれた流川に由来)、薬研堀(通りに沿う水道の名に由来)、吉島(よしじま古くは葭島と書き、葭の茂っている中州の意味とされる)、川内(太田川と古川に挟まれた中州に由来)、天神川(尾長天満宮から流れる天神川に由来)、横川(太田川がここから西に分流)、可部(河戸、河の口。太田川の合流点であったことに由来)
  • 草津(神武天皇の「軍津」=いくさつ)、古江(「古ヘ天子ノ御船着シ古キ入江之故事」に由来)、向洋(向い灘)
  • 加古町(藩船の水主「かこ」が由来)、舟入(船舶の停泊した入り江)、船越(沖合いを行きかう船に由来)
  • 漁業江波(漁場の餌場)、小網町(網を打つ漁民が多く居住し、網打小路と呼ばれたため)、蟹屋町(蟹売りが歩いていた町)
  • 商業紙屋町伊予国から広島に移り住んだ紙商、伊予屋九郎左衛門に由来)、十日市町安芸高田市吉田十日市場を移したといわれる)
  • 神社寺院住吉町(航海の神、住吉神社)、国泰寺町安国寺恵瓊が開基した新安国寺が国泰寺と改称された)、袋町(大黒天の袋をとって「袋町」と命名)
  • 藩政関連…基町(毛利氏時代以来の広島開基地という意による)、幟町(藩主の旗印をまかされていた御旗の士が居住していたことによる)、大手町(広島城の大手門に由来)、京橋町(西国街道京橋
  • その他…堀越(平清盛が向洋半島に娘を埋葬した際、遺体を荒らされないため半島を島にするために堀を掘ったことによる)

人口

1889年に日本最初の市(36市)の一つになって以来、一貫して中国・四国地方第1位の人口を有する。

市制施行当時(8万8820人)は福岡市(5万3014人)等を大きく上回り、京阪神を除く西日本最大の都市であった。


広島市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


歴史

謀神と称される戦国時代最高の『知将』の一人、毛利元就

安土桃山時代の開府以降、山陽道沿線の行政の中心地として、広島市は発展した。

安土桃山時代から江戸時代まで

(特徴:地方王国たる広島藩の首府)

江戸時代を通して広島の人口は拡大し続け、幕末には武家・町人併せて7万人あまりの規模に達していたと言われる。これは日本三都(江戸・大坂・京)および名古屋金沢に次ぐ水準で、この当時から日本屈指の都市となっていた。

戦前

(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点。軍事都市)

戦後

(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点。工業都市)

行政

平和記念都市

原子爆弾が投下された歴史を踏まえ、広島市は自らを平和記念都市として、平和の確立と核兵器の廃棄を求める活動を活発に行っている。

爆心地周辺は、広島平和記念公園として整備され、原爆ドームは1996年ユネスコ世界遺産に登録された。

核被爆地としての意味を強調する場合、カタカナでヒロシマと表記することがある。これは長崎ナガサキ)も同様である。

行政区画の変遷

広島市と周辺町村

広島市は1889年4月1日の市制制度制定時に市制が施行された全国31都市の1つで、それ以後は周辺の郡に所属する町村を吸収合併していった。その中で安佐郡全域は1973年までに広島市に吸収され(同地域には1980年に安佐北・安佐南の2区が設置)、佐伯郡大竹市廿日市市江田島市などとに分割されて消滅した。 これに対し、安芸郡も広島市(一部はそこから成立した呉市)への統合が進んだが、周囲が全て広島市に囲まれた府中町、あるいは三方が広島市に接する海田町などは広島市との合併を選択せず(海田町は2004年8月22日の住民投票で合併反対が過半数(得票率65%)を占めた[2])、現在でも独自の町制を維持している。これは府中町にマツダの本社、海田町にも同社の関連企業があり、法人税などによって財政基盤が強い事も理由と考えられている。そのため、広島市では1975年に合併した旧矢野町地域が飛地となっている。 しかし、合併を選択しなかったこれらの町でも住民の日常生活や社会基盤整備では広島市との関係が深く、広域での水道や交通網の整備が進められている。

広島市は以下の8区で構成される。

旧市内(おおむね1970年代以前から広島市だった区域。主にオフィスビル、商業施設が集積し広島市のみならず広島県、中国地方の中枢を担っている)

新市内(おおむね1970年代以降合併により広島市となった区域。旧市内とは対照的に住宅団地、マンションなど、中心部へのベッドタウンとして機能している)

主な国の行政機関

主な裁判所

インフラ整備の状況

  • 下水道普及率:92.8%(平成19年度末)

姉妹都市・友好都市

「国際平和都市・ヒロシマ」の歴史や知名度を背景として、第二次世界大戦で大規模な被害を受けた都市と姉妹都市・友好都市関係を締結する例が多い。以下、< >内にその都市が受けた戦災の項目へのリンク、ないしその被害状況を示す。 なお、ハワイのホノルルに関しては、広島県が日本有数の日系人移民送出県だったという関係も持っている。

国内

海外

外国公館・施設など

地域間関係

瀬戸内海を挟んで対岸に位置する松山市とは相互往来も盛んで、松山市周辺から広島市へ買物に訪れる人々もいる。

松山市-広島市(市役所同士直線距離 67.1km)

  • 旅客(大人1人、片道)
    • 高速船:直通68分、呉経由77分、6900円、14往復/日
    • フェリー:直通145分、呉経由160分、3500円、10往復/日
    • 高速バス:なし
  • 自家用車(片道)

又山口県の岩国市周南市とは山陽道山陽新幹線山陽本線等を通じて相互往来は盛んである。

拠点性

広島市は、中国地方あるいは中国・四国地方を管轄する国の出先機関や企業の支社が集中し、地方内で最も高い拠点性を有することから、有力な支店経済都市の一つとなっている。ただし、中国地方を1つの地方区分とする場合は、広島市がほぼ全ての拠点機能を独占しているのに対し、大阪市の拠点が近畿・中国・四国をまとめて管轄する場合、福岡市北九州市の拠点が山口県西部地区を管轄する場合もあり、広島市が拠点性を独占するまでには至っていない。中国・四国地方を1つの営業エリアとする企業に限ってみると、広島市を拠点とする割合は、2007年12月末時点で、77.1%に留まっており、地方拠点をほぼ100%に近い値で独占する札幌市仙台市福岡市とは異なっている。

この地方では、瀬戸内工業地域内の各地に主に工業を中心とした有力企業が分散立地し、地域圏ごとの工業出荷額に応じて業務機能や都市機能が分散して、人口集積や第三次産業において抜きん出た都市圏、すなわち、プライメイトシティがつくられなかった。また、京阪神九州北部の二つの地域に挟まれる形の地勢も影響して、広島市のテレビ局制作のブロックネットが少なく、広島市を中心とした地方としての一体感が醸成されなかった。

そのため、七大都市圏の中心都市の比較では、卸売および小売の年間販売額[3]において6番目となっているが、ほぼ同じ面積の中国地方と南東北(域内人口や域内県民総生産合計が中国地方の3/4以下)で比べると、中国地方の中心都市・広島市の年間販売額は、南東北の中心都市・仙台市をやや上回っている程度、南東北とほぼ同じ域内人口・域内GDP北海道の中心都市・札幌市からはやや水をあけられており、広島市は、背景人口・GDPの大きさの割りに地方全体に対する流通・小売の抜きん出た中心とはなっていない。

国土交通省の調査においても、広島を最大志向先とする高速道路流動は、鳥取西部、島根岡山山口東部であり、鳥取東部は大阪を、山口西部は福岡をそれぞれ志向し、実際の中国地方の範囲よりも小さくなっている。

このように、地方全域から見た広島市は必ずしもプライメイトシティとなっていない。しかし、「日本の縮図」や「日本の平均値県・地域」という語に代表されるように、平均的な人口世代分布を持ち、経済・社会・文化・商業・工業の様々な要素をバランスよく保持した「万能型都市・地域」となっているのが特徴であり、全国発売前の新商品の試験販売(テストマーケティング)が行われる都市・地域としても有名である。またテストマーケティングを行う際、商品のCMが他県に漏れることがないよう、テレビの電波が県内で収まる、という条件においても、広島は適しているとも言われている。

なお、テストマーケティングが行われる場所として、他に宮城県静岡県が有名だが、広島の場合、西日本における平均値県としての位置づけの他に、「新しいモノに飛びつき易い」という県民性がある、と見られることから、新商品の試験販売にうってつけであると言われている(宮城県は、東日本における平均値県としての位置づけで、また静岡県は、東日本と西日本を結ぶ中間位置としての平均的な視点を目的とするため、と言われている)。

経済

主な商業地区

都心
郊外

主な企業

製造業、卸売・建設業

小売り

食品

金融機関

ライフライン

運輸

マスメディア

新聞社
テレビ局・ラジオ局兼営
テレビ局
ラジオ局
コミュニティ放送局
ケーブルテレビ局

主な学校

小学校・中学校

をそれぞれの記事を参照のこと。

高等学校

国立
公立
私立

大学、短期大学

国公立大学
私立大学
短期大学

学校教育以外の施設

研修機関
職業能力開発短期大学校
自動車教習所
  • 可部自動車学校
  • ロイヤルドライビングスクール広島
  • 沼田自動車学校
  • 中国自動車学校
  • 高陽自動車学校
  • 広島県自動車学校
  • 広島モータースクール
  • 早稲田自動車学園
  • 広島中央自動車学校
広島労働局長登録教習機関
登録小型船舶教習所

施設

博物館

美術館

図書館

広島市は、高知市新潟市などと列んで、漫画家の多い都市となっている。広島市出身の漫画家については、出身有名人の項目へ。

公園・庭園

展示施設

  • 広島市中小企業会館
  • 広島県立広島産業会館

多目的ホール(1000人以上)

スポーツ施設

市立病院

交通

広島電鉄 広島市はLRTの整備を進めている。
広島市内のJR在来線路線図

鉄道・軌道

地下鉄は後述のアストラムラインの一部区間を除いて走っておらず、都市内交通の中核は路面電車が担っている。このため広島は「路面電車(チンチン電車)の街」として有名であり、広島電鉄の運行する路面電車の路線長や車両保有数・乗降客数は日本一の規模を誇る。世界的に路面電車に注目が集まるなか、「路面電車(チンチン電車)からLRTへ」と、人と環境に優しい交通機関へと変化しつつある。また、原爆で被災した車輌(被爆電車)を運行したり、旧型車の運行を行うなど観光客誘致にも力を入れている。 なお広島電鉄の名が示すとおり鉄道線も保有している。宮島線がこれにあたり、市内線と同様の車両が使用されるものの運賃体系や専用軌道、運行ダイヤなど若干趣きが異なる。

この他、市街地と北部のニュータウンを結ぶ路線としてアストラムラインが存在する。このうち、本通駅 - 県庁前駅間は地下線で、鉄道事業法に基づく免許と地下鉄の建設補助を受けて建設されている。そのため国土交通省の統計資料でも地下鉄に分類されており、中国・四国地方では唯一の地下鉄となっている。なお地下線そのものは県庁前駅からさらに城北駅手前付近まで続くが、この区間は新交通システムの建設補助と軌道法の適用を受けており、通常地下鉄には分類されない。

尚、広島市でも他都市と同様に地下鉄を市街に整備する計画は存在した。特にモータリゼーションの進行によって市街中心部の道路渋滞が深刻化したことで、路面電車ではそれを増幅する上、後に路面電車の輸送力では限界があると指摘されたためである。しかしながら、広島市街は太田川を始めとする三角州地帯に位置するため、比較的地盤が脆弱で、しかも掘削によって水を噴出しやすい。そのため、特別な補強工事が必要になり、それらを加味すると初乗り運賃370円にも達すると試算された。加えて、仙台、福岡など他の地方中枢都市の地下鉄が軒並み経営赤字を強いられているのに加えて初期投資に多額の費用を要するため、それに連鎖して、黒字経営の路面電車事業さえ縮小に追いやられかねない、また広島市の経済規模では地下鉄を敷設するほどではないなどの意見が相次ぎ、結果、地下鉄整備計画は白紙に戻された経緯がある。

中心となる駅

バス

広島市中心部(旧市街地)は、路面電車王国であるとともに路線バスの競合地区でもある。概ね中区・東区・西区・南区は広電バス(青バス)と広島バス(赤バス)の2社が、安佐南区は広電バス、広島交通と中国JRバスの3社、安佐北区は広島交通と広島バス、中国JRバスの3社が主として運行しているが、各社間でほぼ運行区域の棲み分けはある。この他、安芸区では芸陽バス、佐伯区では広電バス、また西区の一部ではエイチ・ディー西広島がそれぞれ運行し、市外北部の備北交通ともども市中心部に乗り入れてくる。公営交通(市営バス)の運行実績はない。
乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は整理券による区間制である。共通バスカードが導入され、乗車時と降車時にそれぞれカードリーダーにカードを通す。なお、非接触型ICカード方式による乗車カードPASPY2008年1月26日に導入されて、全事業者の路線で利用可能である。

エイチ・ディー西広島は広島電鉄の子会社であり、芸陽バス・備北交通の両社も広電グループに属している。このほか、広島バスは近年まで広島電鉄と資本関係にあり、また広島交通は広島電鉄の主要株主であった。

高速バス

道路

広島市の主要道路は、従来からの中心市街部を網羅する国道2号などの一般道路と、市の北部から西部にかけて通る都市間高速道路、それに中心市街地と郊外にできた高速道路インターチェンジとを結ぶ都市高速道路である広島高速道路などによって成り立っている。

一般道路は太田川の三角州地帯に発展した従来の中心市街地を通り、中国地方の中心都市である広島市と他地域の都市を結ぶ。また、中心市街地はおおむね平坦な地形であり、国道や県道などの主要道路を軸とした市道などが整備され、一般道路の整備状況は概ね良好である。第二次世界大戦中に空襲対策で行われた防火帯整備、それに原爆投下がもたらした旧市街の壊滅と焦土化により、戦災復興事業として広幅員の道路が整備された。これは広島電鉄による路面電車網の存続と高頻度・定時運転の継続(軌道敷への自動車進入禁止の維持)にも寄与している。特に爆心地付近を通る平和大通り名古屋市若宮大通久屋大通と並ぶ「100m道路」として整備された。その一方、軟弱な地盤などを理由にして高架橋の整備などを伴う都市高速道路の建設は遅れ、各国道などでの自動車交通は都市間(中長距離)輸送と都市内(短距離)交通が未分離の状態にある。また広域合併により広島市に編入された湯来温泉(旧湯来町)などの山間地域では地形の制約を大きく受け、川の谷筋に沿って一般道路が整備されている。その幅員は中心市街地と比較すると狭く、国道であっても国道433号七曲峠の大型車通行不可区間、国道488号の冬季閉鎖区間なども存在する。ただし、安佐南区の西風新都地区をはじめ、佐伯区内や安芸区内などでは山を崩しながら傾斜地に建設されたニュータウンが点在し、その内部では住民の自動車利用を前提とした地区内道路の整備が行われている。

1980年代後半に中国自動車道との連絡道路である広島自動車道、継いで山陽自動車道の同市内区間が完成すると、山陽自動車道の各インターチェンジと広島の中心市街地とを結ぶ連絡道路が整備された。広島東インターチェンジに直結する広島高速1号線(安芸府中道路)、広島インターチェンジと結ばれてアストラムラインと一体で整備された国道54号、五日市インターチェンジにほど近い西風新都地区から西風トンネルで都心部につながる広島高速4号線(広島西風新都線)などの広島高速道路や一般道路などがこれに該当し、広島市は1975年開業の山陽新幹線に続いて自動車交通でも高速化時代に入った。しかし、広島高速道路は従来の中心市街地を貫通するものではない。特に広島空港との連絡機能も担っている1号線については5号線(東部線)建設などでの利便性向上が求められているが、地盤沈下や採算性への懸念などで整備への反対意見もあり、着工に至っていない。また、南部の臨海部では広島高速3号線(広島南道路)が建設され、広島呉道路と接続している。広島高速2号線(府中仁保道路)を介した広島高速1号線とも接続されているが、廿日市方面への整備による市域の東西横断はまだ計画段階である。

道路

高速道路
一般有料道路
一般国道
県道
市道

航路


空港

娯楽

プロスポーツチーム

スポーツイベント

大規模な娯楽施設

音楽楽団

観光

国宝 不動院金堂

史跡・歴史的建造物

公園・庭園

祭事

名産品

その他

広島市を舞台とした作品

原爆を題材とした作品については広島原爆をテーマとした作品も参照のこと

テレビドラマ

漫画

映画

アニメ

  • ピカドン(1979)
  • はだしのゲン(1983)
  • にんげんをかえせ(1984)
  • はだしのゲン2(1986)
  • クロのいた夏(1986)
  • かっ飛ばせ!ドリーマーズ〜カープ誕生物語(1993)
  • ふたつの黒い雨(2005)

音楽

以上はいずれも広島港を舞台としている

  • 広島之恋

広島市出身の有名人

歴史上の人物

政治・経済・軍事

学術・文化・芸術

芸能・マスコミ

スポーツ

ゆかりの人物

発行物

広島平和記念都市建設記念切手
  • 1949年8月6日に広島平和記念都市建設記念の額面8円の切手が発行された。
  • 2003年3月20日に世界遺産シリーズ切手として原爆ドームおよび平和切手コンクール入賞作の80円切手10種が発行された。
  • 2005年4月22日にふるさと切手で「平和記念公園50周年」の50円切手2種が発行された。

関連項目

その他

広島市の市外局番は以下の通りとなっている。

  • 佐伯区のうち湯来町下の一部:0826(加計MA。市内局番は20~39) - 安芸太田町北広島町(旧芸北町)と同一MA
  • 佐伯区のうち杉並台・湯来町(下の一部を除く):0829(廿日市MA。市内局番は20、30~40、44~59、70~89) - 廿日市市と同一MA
  • 上記以外の区域:082(広島MA。市内局番は200~299、500~599、800~909、921~929、941~943、960~969、990~999) - 府中町海田町熊野町坂町と同一MA

同一市外局番であっても、下記の区域の相互通話はそれぞれMAが異なるため、市外局番が必要である。

  • 082:広島MAと東広島MA(東広島市(黒瀬・黒瀬町・安芸津町を除く)。市内局番は400~409、420~439、490~499)
  • 0826:加計MAと千代田MA(北広島町(旧芸北町を除く)。市内局番は60~89)と安芸吉田MA(安芸高田市。市内局番は40~59)

脚注

  1. ^ この外にも、出征拠点であった宇品港(現広島港)や三菱重工業などの軍需工場が集積し、大日本帝国陸軍第5師団(第二次世界大戦末期には第2総軍も)の本拠地になった。近隣の呉市には、大日本帝国海軍呉鎮守府・呉軍港・海軍工廠が置かれた。広島湾には江田島海軍兵学校があり、戦前における軍事拠点としての重要性は日本有数だったといってよい。
  2. ^ 山口麻太郎「続壱岐島方言集」春陽堂、1927
  3. ^ 愛媛の伝承文化~単なる備忘録~「ヒロシマへ行くこと」

外部リンク

行政
観光

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