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「永山基準」の版間の差分

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1983年7月8日の第一次上告審判決において、最高裁第二小法廷は基準として以下の9項目を提示し「それぞれの項目を総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」とする[[傍論]]を判示した{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}。この時に同小法廷が示した基準は'''永山基準'''{{Sfn|コトバンク}}(''Nagayama Criteria'')<ref>{{Cite news|title=Analysis: Top court should explain death penalty for man who killed 2 as a minor|newspaper=[[毎日新聞|The Mainichi Shimbun]]|date=2016-06-17|author=Nobuyuki Shimada(島田信幸 / 東京社会部)|url=http://mainichi.jp/english/articles/20160617/p2a/00m/0na/007000c|accessdate=2020-07-22|publisher=[[毎日新聞東京本社]]|language=en|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160823072115/http://mainichi.jp/english/articles/20160617/p2a/00m/0na/007000c|archivedate=2020-07-22}}</ref>と呼ばれる{{Sfn|コトバンク}}。本基準は必ずしも他の判決に対し拘束力を持つ[[判例]]ではないが、後に死刑適用の是非が争点となる刑事裁判でたびたび引用され、広く影響を与えている{{Sfn|コトバンク}}:
* {{Pathnav|永山則夫|永山則夫連続射殺事件}}
* {{Pathnav|日本における死刑}}
</div>
{{最高裁判例
|事件名=[[窃盗罪|窃盗]]、[[殺人罪 (日本)|殺人]]、[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]、同未遂、[[銃砲刀剣類所持等取締法]]違反、[[火薬類取締法]]違反被告事件
|事件番号=昭和56年(あ)第1505号
|裁判年月日=[[1983年]](昭和58年)7月8日
|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁
|裁判要旨=
# 死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。
# 犯行時少年であった者でも、18歳以上であり、犯行の態様も残虐であることなどから、無期懲役とした原判決を破棄した事例。
|法廷名=第二小法廷
|裁判長=[[大橋進 (法曹)|大橋進]]
|陪席裁判官=[[木下忠良]]・[[塩野宜慶]]・[[宮崎梧一]]・[[牧圭次]]
|多数意見=全員一致
|意見=なし
|反対意見=なし
|参照法条=[[刑法 (日本)|刑法]]9条、199条、240条
|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50235
}}

'''永山基準'''{{Sfn|コトバンク}}(ながやまきじゅん{{Sfn|コトバンク}}、''Nagayama Criteria''<ref>{{Cite news|title=Analysis: Top court should explain death penalty for man who killed 2 as a minor|newspaper=[[毎日新聞|The Mainichi Shimbun]]|date=2016-06-17|author=Nobuyuki Shimada(島田信幸 / 東京社会部)|url=http://mainichi.jp/english/articles/20160617/p2a/00m/0na/007000c|accessdate=2020-07-22|publisher=[[毎日新聞東京本社]]|language=en|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160823072115/http://mainichi.jp/english/articles/20160617/p2a/00m/0na/007000c|archivedate=2020-07-22}}</ref>)とは、日本の[[裁判#刑事裁判|刑事裁判]]において[[日本における死刑|死刑]]を選択する際の[[量刑]]判断基準{{Sfn|コトバンク}}。

[[1983年]]([[昭和]]58年)[[7月8日]]に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一小法廷([[大橋進 (法曹)|大橋進]]裁判長)が[[永山則夫連続射殺事件|連続射殺事件]]([[1968年]]発生)の加害者である[[被告人]]・[[永山則夫]](事件当時19歳少年)に対し、控訴審([[東京高等裁判所]])の[[懲役#無期懲役|無期懲役]][[判決 (日本法)|判決]]を[[取消し|破棄]]して審理を東京高裁へ差し戻す判決(第一次上告審判決・以下「本判決」)を言い渡した際に提示した[[傍論]]{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}が由来で、[[最高裁判所 (日本)|日本の最高裁判所]]が初めて詳細に明示した死刑適用基準である<ref name="読売新聞1983-07-08">『[[読売新聞]]』1983年7月8日東京夕刊第4版一面1頁「連続射殺犯 永山の『無期』判決を破棄 最高裁、死刑含み差し戻し 『量刑甚だしく誤る』 4人殺害は残虐で重大 初めて死刑基準」([[読売新聞東京本社]])</ref>。

本基準は必ずしも他の判決に対し拘束力を持つ[[判例]]ではないが、後に死刑適用の是非が争点となる刑事裁判でたびたび引用され、広く影響を与えている{{Sfn|コトバンク}}。

== 概要 ==
本判決において、最高裁第二小法廷は基準として以下の9項目を提示し「それぞれの項目を総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}とする[[傍論]]を判示した。
# 犯罪の性質{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 犯罪の性質{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 犯行の動機{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 犯行の動機{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性){{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}} - 永山判決では明示されていないが、3. の1つとして犯行の計画性も考慮すべき事情とされている<ref name="共同通信2019-12-07"/>。
# 犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性){{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
#* なお本判決では明示されていないが、3. の1つとして「犯行の計画性」も考慮すべき事情とされている<ref name="共同通信2019-12-07"/>。当初から被害者の殺害まで計画していた(計画性が高い)事件の場合、当初は被害者の殺害までは計画していなかった(計画性が低い)事件より死刑が適用される可能性が高いとされる<ref>{{Cite web|url=https://www.kuins.ac.jp/faculty/psychology/news/_8145.html|title=【人間科学部】< 心理学コラム >『何人殺したら、死刑になるのか ―死刑判決の基準―』|accessdate=2020-08-26|publisher=関西国際大学|author=中山誠(人間科学部・人間心理学科教授)|date=2019-08-06|website=[[関西国際大学]] 公式ウェブサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200826150627/https://www.kuins.ac.jp/faculty/psychology/news/_8145.html|archivedate=2020-08-27}}</ref>。
# 結果の重大性(特に殺害された被害者の数){{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 結果の重大性(特に殺害された被害者の数){{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 遺族の被害感情{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 遺族の被害感情{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
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# [[前科]]{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# [[前科]]{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 犯行後の情状{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
# 犯行後の情状{{Sfn|最高裁第二小法廷|1983|p=3}}
上告審判決は「基準」という言葉そのものは明示しておらず{{Efn2|司法研修所の研究報告書(2012年)は「永山基準」について「単に考慮要素を指摘しているだけで、基準とはいい難い」と指摘している<ref name="毎日新聞2012-07-23"/>。}}{{Sfn|堀川|2009|p=302}}、それぞれの項目では具体的な数値は示されていない{{Sfn|コトバンク}}。しかし、その後に行われた死刑事件の刑事裁判では本判決の「各論」と比較・検討して結論を出し、判決理由にて9項目を掲げた「総論」の表現を引用する手法が多く取られている{{Sfn|堀川|2009|p=302}}。特に被害者数について、同判決は「結果の重大性'''ことに'''殺害された被害者の数」と強調した上で被害者数に言及しているため、その後は被害者数が1人の場合は大半で懲役刑が選択され、「'''一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン'''」という基準が形成されていった<ref name="法学セミナー"/>。
判決は「基準」という言葉そのものは明示しておらず{{Efn2|司法研修所の研究報告書(2012年)は「永山基準」について「単に考慮要素を指摘しているだけで、基準とはいい難い」と指摘している{{Sfn|司法研修所|2012|p=107}}<ref name="毎日新聞2012-07-23"/>。}}{{Sfn|堀川惠子|2009|p=302}}、それぞれの項目では具体的な数値は示されていない{{Sfn|コトバンク}}。しかし、その後に行われた死刑事件の刑事裁判では本判決の「各論」と比較・検討して結論を出し、判決理由にて9項目を掲げた「総論」の表現を引用する手法が多く取られている{{Sfn|堀川惠子|2009|p=302}}。特に被害者数について、同判決は「結果の重大性'''ことに'''殺害された被害者の数」と強調した上で被害者数に言及しているため、その後は被害者数が1人の場合は大半で懲役刑が選択され、「'''一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン'''」という基準が形成されていった<ref name="法学セミナー"/>。


その一方で[[光市母子殺害事件]](1999年に発生)の最高裁による差し戻し判決(2006年)では犯行時の被告人の年齢を重視せず<ref group="注">永山基準」以降少年犯罪のでは以下のよ結果出ている。
その一方で[[光市母子殺害事件]](1999年に発生)の最高裁による差し戻し判決(2006年)では犯行時の被告人の年齢を重視せず{{Sfn|コトバンク}}、やむを得ない場合み死刑適用が許される」と判示した本判決とは逆に「犯罪の客観的側面が悪質な場合は、特に酌量すべき情がない限り死刑を選択するほかない」と示している(後述){{Sfn|天白郁也|2013|pp=30-31}}。こことから「同判決にり、死刑適用基準の解釈に新た変化もたらされた」とす識者の見解{{Sfn|コトバンク}}・判例評釈もある<ref name="法学セミナー"/>
* [[名古屋アベック殺人事件]](1988年発生・死者2人 / 2人への殺人罪) - 第一審(名古屋地裁・1989年)で死刑判決が言い渡されたが、控訴審(名古屋高裁・1996年)で原判決破棄・無期懲役判決が言い渡された(1997年に確定)。
* [[市川一家4人殺人事件]](1992年発生・死者4人 / 3人への強盗殺人罪・1人への殺人罪) - 第一審(千葉地裁・1994年)で死刑判決が言い渡され、控訴審(東京高裁・1996年)および上告審(2001年)でも一貫して死刑が支持され確定。2017年に死刑が執行されたが、犯行時少年だった被告人への死刑確定・および[[少年死刑囚]]への死刑執行は永山以来20年ぶりだった。
* [[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]](1994年発生・死者4人 / 2人への殺人罪・2人への強盗殺人罪) - 第一審(名古屋地裁・2001年)では被害者4人のうち1人については傷害致死罪が認定され、死刑を求刑された3被告人のうち1人を死刑、2人を無期懲役とする判決が言い渡された。しかし控訴審(名古屋高裁・2005年)では被害者4人全員への殺人罪・強盗殺人罪成立が認定され、3被告人全員に3人に死刑判決が言い渡された。2011年に上告審でも控訴審判決が支持され、3被告人の死刑が確定した。
* [[石巻3人殺傷事件]](2010年発生・死者2人 / 2人への殺人罪) - 光市事件の差し戻し判決(2006年)以降に発生した事件。裁判員制度施行(2009年)以降では初めて少年事件で死刑判決が言い渡された事例。第一審(仙台地裁・2010年)で死刑判決が言い渡され、控訴審(仙台高裁・2014年)および上告審(2016年)でも一貫して死刑が支持され確定。</ref>{{Sfn|コトバンク}}、「やむを得ない場合のみ死刑適用が許される」と判示した永山判決とは逆に「犯罪の客観的側面が悪質な場合は、特に酌量すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と判示している{{Sfn|天白|2013|pp=30-31}}。このことから「同判決により、死刑適用基準の解釈に新たな変化がもたらされた」とする識者の見解{{Sfn|コトバンク}}・判例評釈もある<ref name="法学セミナー"/>。


== 前史 ==
=== 殺害された被害者の数 ===
{{Main|永山則夫連続射殺事件#第一次上告審}}
同判決以降、2012年(平成24年)7月23日に最高裁[[司法研修所]]が取りまとめた「[[裁判員制度|裁判員裁判]]での量刑判断の在り方についての研究報告書」によれば<ref name="日本経済新聞2012-07-23"/>、過去30年(1980年 - 2009年)に死刑か無期懲役が確定した死刑求刑事件346件・被告人346人(死刑193件・無期懲役153件)について分析したところ<ref name="毎日新聞2012-07-23">{{Cite news|title=裁判員裁判:死刑は被害者数を重視、司法研修所が報告|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2012-07-23|url=http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c.html|accessdate=2012-07-27|publisher=[[毎日新聞社]]|language=ja|author=石川淳一|page=1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120727035612/http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c.html|archivedate=2012年7月27日}}</ref>、死亡した被害者数と死刑適用の比率について以下のような結果が出た<ref name="日本経済新聞2012-07-23">{{Cite news|title=裁判員裁判、量刑柔軟に 司法研報告書、死刑判断「先例尊重」|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2012-07-23|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2303J_T20C12A7CR8000/|accessdate=2020-07-22|publisher=[[日本経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200722141106/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2303J_T20C12A7CR8000/|archivedate=2020年7月22日}}</ref>。
被告人・永山則夫は1968年(昭和43年)10月 - 11月にかけて[[東京都]]・[[京都府]]・[[北海道]]・[[愛知県]]の4都道府県で相次いで男性警備員など4人を射殺するなどしたとして殺人罪(2件)・強盗殺人罪(2件)などの罪に問われ、1979年(昭和54年)7月10日に[[東京地方裁判所]]刑事第5部(蓑原茂廣裁判長)で死刑判決を受けた<ref name="読売新聞1979-07-11">『読売新聞』1979年7月11日東京朝刊第14版第一社会面23頁「連続射殺魔『永山』に死刑 東京地裁判決 生い立ち同情するが『冷酷、反省もない』」(読売新聞東京本社)</ref>。一方、永山裁判当時は世界的に死刑廃止の潮流が広まっていた{{Efn2|永山裁判と同時期には[[イギリス]](1969年)・[[カナダ]](1976年)・[[フランス]](1981年)で死刑が廃止されていた{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}。また日本国内でも死刑判決の宣告数が減少傾向にあった{{Efn2|戦後、第一審における死刑判決の宣告数は最多時に60人/年を記録したが、1970年前後からはほぼ1桁台に減少していた{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}。}}ほか、[[冤罪]]が問題になり{{Efn2|1979年には死刑が確定していた[[財田川事件]]・[[免田事件]]・[[松山事件]]で相次いで[[再審]]開始決定が出された{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}(いずれも後に再審で無罪が確定)。}}、死刑存廃論議が高まっていた{{Efn2|[[法制審議会]]は1974年、死刑に当たる罪の犯意を現行法より限定するとともに、死刑の適用については「特に慎重でなければならない」とする明文規定を盛り込んだ改正刑法草案を作成した(ただし国会には提出されなかった){{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}。また、草案の議論の過程では「死刑宣告は裁判官全員一致でなければならない」とする提案もされていた{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=173}}。
* 被害者が1人死亡の場合 - 32%<ref name="毎日新聞2012-07-23"/><ref name="日本経済新聞2012-07-23"/>
* 被害者が2人死亡の場合 - 59%<ref name="毎日新聞2012-07-23"/><ref name="日本経済新聞2012-07-23"/>
* 被害者が3人以上死亡の場合 - 79%<ref name="毎日新聞2012-07-23"/><ref name="日本経済新聞2012-07-23"/>
このように被害者数と死刑判決との間には強い相関関係があるとされ<ref name="日本経済新聞2012-07-23"/>、死刑宣告に当たっての最も大きな要素は被害者数とされるが<ref name="毎日新聞2012-07-23"/>、以下のような例外もある[以下(事件発生年 / 殺害人数)と表記]。


永山および弁護団が判決を不服として[[東京高等裁判所]]へ[[控訴]]したところ、東京高裁第2刑事部(船田三雄裁判長)は犯行時の年齢・幼少期の貧困・第一審判決後の反省の情など、永山にとって有利な情状を評価し、死刑判決を破棄して無期懲役判決を言い渡した<ref name="読売新聞1981-08-22">『読売新聞』1981年8月22日東京朝刊一面1頁「永山(連続射殺魔)無期に減刑 東京高裁判決 福祉に一因、本人も反省」(読売新聞東京本社)</ref>。この時、東京高裁 (1981) は[[判決理由]]で以下のように判示している{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=173-174}}。
==== 死亡した被害者数が3人以上で死刑が回避された事例 ====
{{Quotation|ある被告事件について、死刑を選択すべきか否かの判断に際し、これを審理する裁判所の如何によって結論を異にすることは、判決を受ける被告人にとって耐えがたいことであろう。もちろん、わが刑法における法定刑の幅は広く、同種事件についても、判決裁判所の如何によって宣告される刑期に長短があり、また、執行猶予が付せられたり、付せられなかったりすることは望ましいことではないが、しかし裁判権の独立という観点からやむを得ないところである。しかし、極刑としての死刑の選択の場合においては、かような偶然性は可能なかぎり運用によって避けなければならない。すなわち、'''ある被告事件につき死刑を選択する場合があるとすれば、その事件については如何なる裁判所がその衝にあっても死刑を選択したであろう程度の情状がある場合に限定せられるべき'''ものと考える。立法論として、死刑の宣告には裁判官全員一致の意見によるべきものとすべき意見があるけれども、その精神は現行法の運用にあたっても考慮に値するものと考えるのである。|東京高裁第2刑事部(船田三雄裁判長)・1981年(昭和56年)8月21日判決|事件番号:昭和54年(う)第1933号{{Sfn|東京高裁|1981|loc=理由}}}}
1980年 - 2009年に判決が確定した死刑求刑事件のうち<ref name="毎日新聞2012-07-23"/>、被害者3人以上の事件(全82件)のうち無期懲役が確定した事例は17件で、うち7件では心神耗弱が認められている<ref name="毎日新聞2012-07-23 2">{{Cite news|title=裁判員裁判:死刑は被害者数を重視、司法研修所が報告|newspaper=毎日新聞|date=2012-07-23|url=http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c2.html|accessdate=2012-07-27|publisher=毎日新聞社|language=ja|author=石川淳一|page=2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120727040831/http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c2.html|archivedate=2012年7月27日}}</ref>。一方、強盗殺人罪に問われた21人はすべて死刑が確定している<ref name="毎日新聞2012-07-23 2"/>。
同判決は死刑について極めて限定的な解釈を示したもので、死刑廃止運動に弾みをつけるものとなったが、検察は「死刑制度の存在に目を覆ってその宣告を回避したもので、運用面での死刑廃止論に等しい」と反発した{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=174}}。結果、[[東京高等検察庁]]は以下の理由から同年9月4日付で{{Sfn|佐木隆三|1994|p=389}}、判例違反{{Efn2|[[b:刑事訴訟法第405条|刑事訴訟法第405条]]:高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
* 裁判所が死刑を選択したが、[[責任能力#責任無能力と限定責任能力|被告人が犯行時に心神耗弱]]であったことを理由に[[量刑]]を[[懲役#無期懲役|無期懲役]]へ減軽した事例{{Efn2|[[ja:b:刑法第39条|刑法第39条]]の規定により、心神喪失者(=責任能力がない人間)の行為を罪に問うことはできず、心神耗弱者(=責任能力が限定されている人間)の行為については必ず刑を減軽しなければならない。[[淡路島5人殺害事件]]の控訴審判決(2020年・[[大阪高等裁判所]] / 第一審・死刑判決を破棄)は被害者5人への殺人罪について死刑を選択した上で、「被告人は犯行当時、心神耗弱状態にあった」として刑法39条2項(心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する)、[[ja:b:刑法第68条|刑法68条1号(死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は十年以上の懲役若しくは禁錮とする)]]の規定を適用して刑を減軽したが、死刑の減軽は犯行内容の悪質性を鑑みて無期懲役刑に留まった<ref name="淡路島5人殺害事件">{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[大阪高等裁判所]]第6刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成29年(う)第501号|事件名=殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件|裁判年月日=2020年(令和2年)1月27日|判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例・『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25570707|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=89228|page=32}} - [[淡路島5人殺害事件]]の控訴審判決。裁判官:[[村山浩昭]](裁判長)・畑口泰成・宇田美穂</ref>。また、[[熊谷連続殺人事件]](2019年・[[東京高等裁判所]])でも淡路島事件と同様に第一審の死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡したが、同判決でも「責任能力の点を除けば極刑で臨むほかない」と認定されている<ref name="埼玉新聞2019-12-06"/>。}} - [[新宿西口バス放火事件]](1980年 / 6人殺害)<ref>『朝日新聞』1984年4月24日東京夕刊第4版第一総合面1頁「新宿バス放火に無期懲役 東京地裁判決 心神耗弱で刑軽減 乗客への殺意は認定」(朝日新聞東京本社) - [[新宿西口バス放火事件]]の関連記事</ref>・[[深川通り魔殺人事件]](1981年 / 4人殺害){{Efn2|「永山基準」判決(1983年7月8日)以前の判決。}}<ref>『朝日新聞』1982年12月23日東京夕刊第4版第一総合面1頁「××(加害者の実名)に無期懲役刑 深川通り魔事件 東京地裁判決 心神耗弱認める」(朝日新聞東京本社) - [[深川通り魔殺人事件]]の関連記事</ref>・[[西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件]](1982年 / 4人殺害)<ref>『朝日新聞』1984年4月20日東京夕刊第4版第二社会面14頁「七人殺傷の覚せい剤男 心神耗弱認め無期 大阪地裁」(朝日新聞東京本社) - [[西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件]]の関連記事</ref>・[[淡路島5人殺害事件]](2015年 / 5人殺害)<ref name="淡路島5人殺害事件"/>・[[熊谷連続殺人事件]](2015年 / 6人殺害)<ref name="埼玉新聞2019-12-06">{{Cite news|title=<熊谷6人殺害>ショック大きい…被告に無期懲役、死刑判決を破棄 妻子亡くした男性…裁判官に怒り憎しみ|newspaper=[[埼玉新聞]]|date=2019-12-06|author=|url=http://www.saitama-np.co.jp/news/2019/12/06/01_.html|accessdate=2019-12-18|agency=|publisher=埼玉新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191218132409/http://www.saitama-np.co.jp/news/2019/12/06/01_.html|archivedate=2019年12月18日}}</ref>
# 憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤があること。
* 殺意が確定的でなく、[[故意#確定的故意と不確定的故意|未必の故意]]であったことから無期懲役が適用された事例 - [[テレクラ放火殺人事件]](2000年 / 4人殺害)の首謀者2人<ref>{{Cite news|title=テレクラ放火殺人:ライバル店経営者に無期懲役 神戸地裁|newspaper=毎日新聞|date=2007-11-28|author=酒井雅浩|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071128k0000e040050000c.html|accessdate=2007-11-28|agency=|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071128155933/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071128k0000e040050000c.html|archivedate=2007年11月28日}}</ref><ref>{{Cite news|title=被告に無期判決 銃撃は無罪 神戸地裁|newspaper=毎日新聞|date=2008-12-09|author=山田泰蔵|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081209k0000m040149000c.html|accessdate=2008年12月9日|agency=|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081209233416/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081209k0000m040149000c.html|archivedate=2008年12月9日}}</ref>
# '''最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。'''
* [[従犯]]であったことを理由に無期懲役が適用された事例 - [[北九州監禁殺人事件]](2002年に発覚 / 7人死亡)の加害者男女2人のうち1人(従犯の女)
# 最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと。}}および甚だしい量刑不当{{Efn2|[[b:刑事訴訟法第411条|刑事訴訟法第411条]]:「上告裁判所は、第405条各号に規定する事由がない場合であっても、左の事由があって'''原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるとき'''は、判決で原判決を破棄することができる。(2). '''刑の量定が甚しく不当であること'''。」}}を理由に最高裁へ[[上告]]した<ref name="読売新聞1981-09-04 夕刊"/>。
** 加害者2人は6人への殺人罪・1人への傷害致死罪に問われ、第一審・[[福岡地方裁判所]]小倉支部で死刑判決を受けたが、控訴審・[[福岡高等裁判所]]は女に対し「主犯の男から長年にわたり暴力・虐待を受けたことで正常な判断力が低下し、追従的な立場にあった」として一審を破棄し無期懲役判決を言い渡した<ref>『[[西日本新聞]]』2007年9月27日朝刊一面1頁「小倉監禁殺人 Y被告、無期に減刑 『虐待受け追従』 福岡高裁判決 X被告は再び死刑」([[西日本新聞社]])</ref>。この女について、最高裁第一小法廷([[宮川光治]]裁判長)では「検察側の上告を棄却すべき」とする多数意見([[最高裁判所裁判官]]5人中4人)に対し[[横田尤孝]]が「極刑で臨むほかない」と反対意見を出したが、2011年12月12日付の同小法廷決定により無期懲役が確定<ref>『西日本新聞』2011年12月15日朝刊一面1頁「小倉監禁殺人 Y被告、無期確定へ 最高裁が上告棄却 7人死亡、異例の判断」(西日本新聞社)</ref>。一方で主犯の男は控訴審でも死刑判決が維持され、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)で2011年12月12日に上告を棄却する判決(死刑支持判決)を受け死刑が確定<ref>『西日本新聞』2011年12月13日朝刊一面1頁「小倉監禁殺人 X被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却 『犯行を首謀』」(西日本新聞社)</ref>。
* 永山以前に4人への(強盗)殺人罪に問われた被告人が死刑に処されなかった前例はなく、同種の事件で死刑が確定している者と比較して不公平である{{Sfn|佐木隆三|1994|p=389}}。
* [[無理心中]]事件について[[情状酌量]]して無期懲役を適用した事例 - [[中津川一家6人殺傷事件]](2005年 / 5人殺害)
* 控訴審判決が示した「死刑を選択する際は、その事件についてどの裁判所が審理しても死刑を選択するだろう程度の情状がある場合に限られるべき」との見解は、最高裁が1948年(昭和23年)に示した[[死刑制度合憲判決事件|死刑合憲判例]]に違反する<ref name="読売新聞1981-09-04">『読売新聞』1981年9月4日東京朝刊第一社会面23頁「東京高検 『永山』の上告決める 『死刑適用の判例に違反』」(読売新聞東京本社)</ref>。
** [[岐阜地方裁判所]](田辺三保子裁判長)は2009年1月13日に無期懲役判決(求刑:死刑)を言い渡した。5人殺害で完全責任能力を認定しながら死刑を回避した判決は異例で、岐阜地裁は弁護人の「被告人は事件当時、心神耗弱状態だった」とする主張を退け、検察官の主張通り完全責任能力を認定したが、「動機は長年にわたり母から嫌がらせを受け続けたことで、長男・長女・孫らを殺害した動機は『殺人者の家族』という汚名を着せられるのを避けるため。あまりに独善的で自己中心的な犯行だが、動機は理解できないものではない。一家心中という面は否定できず情状酌量の余地はある」として死刑を回避した<ref name="中日新聞2009-01-13">『中日新聞』2009年1月13日夕刊一面1頁「中津川一家6人殺傷 H被告に無期懲役 岐阜地裁判決 責任能力認定 『酌量の余地』」(中日新聞社)</ref>。
* 控訴審判決が被告人(永山)に有利な情状として示した永山の精神的未熟度、福祉政策の貧困、被害者遺族への慰謝などについて納得できない点がある<ref name="読売新聞1981-09-04 夕刊">『読売新聞』1981年9月4日東京夕刊15頁「減刑の『永山』を上告 高検、量刑不当も挙げ」(読売新聞東京本社)</ref>。
* [[地下鉄サリン事件]](1995年・[[オウム真理教事件]])の[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]] - 林が[[サリン]]を散布した車両では2人が死亡した(事件全体では計12人{{Efn2|起訴状による。行政上では死者数は「13人」と認定されているが、13人目は事件翌日に浴室で事故死した男性で<ref>{{Cite news|title=地下鉄サリン死傷者6300人に 救済法の認定作業で調査|newspaper=[[47NEWS]]|date=2010-03-11|url=http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031101000214.html|agency=[[共同通信社]]|language=ja|accessdate=2012-06-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130516151517/http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031101000214.html|archivedate=2013年5月16日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>、起訴状ではこの被害者について「サリン吸引と死亡の因果関係が不明」として殺人未遂罪で起訴されている。その後、2020年3月10日にサリン中毒の後遺症(低酸素脳症)により1人が死亡した<ref>{{Cite news|title=地下鉄サリン事件被害者の○○さん死去 後遺症で|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2020-03-19|author=新屋絵理|url=https://www.asahi.com/articles/ASN3M5HPYN3MUTIL01R.html|accessdate=2020-08-13|publisher=朝日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813140026/https://www.asahi.com/articles/ASN3M5HPYN3MUTIL01R.html|archivedate=2020年8月13日}}</ref>ため、2020年時点では死者は14人である。}}が死亡)。本来ならば死刑が求刑されてもおかしくないケースだったが{{Efn2|実際、東京地検は林郁夫への論告で「本来ならば死刑を求刑すべき」と述べているほか<ref>{{Cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a142028.htm|title=質問第二八号 組織犯罪対策法案と死刑に関する質問主意書|accessdate=2020-07-25|publisher=衆議院|author=提出者:[[保坂展人]]|date=1998-04-27|website=[[衆議院]] 公式ウェブサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190722121337/http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a142028.htm|archivedate=2019-07-22}}</ref>、林郁夫以外の実行犯(散布役)4人([[広瀬健一]]・[[横山真人]]・[[豊田亨]]・[[林泰男]])はいずれも求刑通り死刑判決を受け確定した{{Sfn|清田|2020|pp=34-35}}。地下鉄サリン事件ではこのほか[[オウム真理教]]教祖の[[麻原彰晃]](オウム事件全般の首謀者)・[[新実智光]](送迎役。地下鉄サリン事件以前にも多数の殺人事件に関与していた)[[井上嘉浩]](総合調整役)が死刑判決を受け確定した(いずれも2018年に死刑執行)。}}、自首を有利な情状と認定した検察側が死刑求刑を見送り、求刑通り無期懲役判決が確定した<ref group="注">自首は絶対的減軽事由ではなく任意的(裁量的)減軽事由であるため、同じくオウム真理教事件の[[岡崎一明]](2018年に死刑執行)のように、自首の成立自体は認定されても酌量理由とは認められず死刑が確定した例もある。</ref>{{Sfn|清田|2020|pp=34-35}}。
この上告は最高裁に対し、死刑適用の基準を示すことを迫る形となった{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=174}}。上告審における審理の結果、最高裁第二小法廷は戦後の刑事裁判で初めて被告人に不利益な方向で控訴審判決を破棄し、審理を高裁に差し戻す判決を言い渡したが、その際に「犯罪・刑罰のバランスや犯罪防止の見地から極刑がやむを得ないときは、死刑の宣告が認められる」として<ref name="読売新聞1983-07-08"/>、前述の9項目を提示した。ただし、その内容は最高裁が初めて明示したとはいえ、従来から刑事裁判においてすべての裁判官が量刑選択に当たり留意している量刑の判断基準のうち、一部を羅列したにすぎなかった{{Sfn|村野薫|2006|pp=109-110}}。また、村野薫 (2006) は「本判決は『残虐性』『遺族の被害感情』『犯行後の情状』など、客観化しづらい抽象的な要件をいかに評定へ取り込むかについては言及されていなかった。また、比較的客観化しやすい要件である『被害者の数』『犯人の年齢』についても、『それぞれの要素が全体の量刑に与える比重』『被告人に不利な評価と有利な評価とのバランスの取り方』など、『罪責が誠に重大(=死刑選択もやむなし)』か否かを考察するために必要とされる点についても言及されていなかった」と指摘している{{Sfn|村野薫|2006|pp=110}}。


なお永山は差し戻し後の控訴審の結果、1987年(昭和62年)3月18日に東京高裁第3刑事部([[石田穣一]]裁判長)で控訴棄却判決(第一審・東京地裁の死刑判決を支持する判決)を受け上告したが<ref>『読売新聞』1987年3月18日東京夕刊一面1頁「連続射殺犯・永山に死刑判決 情状くんでも量刑不当でない/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>、1990年(平成2年)4月17日に最高裁第三小法廷([[安岡満彦]]裁判長)にて上告を棄却する第二次上告審判決を受けたことで死刑が確定<ref name="読売新聞1990-04-17">『読売新聞』1990年4月17日東京夕刊一面1頁「連続射殺 永山被告の死刑確定 執拗・残虐な犯行 差し戻し上告を棄却/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。この第二次上告審判決も本判決が示した死刑選択基準を追認する形となった<ref name="読売新聞1990-04-17"/>。そして永山は[[法務大臣]]・[[松浦功]]の死刑執行命令により、1997年(平成9年)8月1日に収監先・[[東京拘置所]]で死刑を執行されている<ref>『読売新聞』1997年8月2日東京朝刊一面1頁「永山則夫死刑囚の刑執行 19歳の時、4人射殺 全国で計4人執行」(読売新聞東京本社)</ref>。
==== 死亡した被害者数が1人で死刑が確定した事例 ====

一方で1人死亡の事件に関しては「永山基準」が示されて以降、死刑回避の傾向が強まっている<ref>『[[静岡新聞]]』2008年2月29日夕刊一面1頁「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」(静岡新聞社)</ref>。「永山基準」以降、被害者1人の殺人事件で死刑が確定した死刑囚の人数は(2008年2月 / [[三島女子短大生焼殺事件]]の加害者の死刑が確定する直前時点で)24人だが、以下のような事情がある場合に限られている<ref>『静岡新聞』2008年3月1日朝刊一面1頁「三島・短大生焼殺死刑確定へ、残虐性や遺族感情重視-最高裁『更生可能性乏しい』」(静岡新聞社:社会部記者・薮崎拓也)</ref>。「国民の常識を刑事裁判に反映させる」との趣旨から(2009年に)[[裁判員制度]]が導入されて以降、殺害された被害者が1人の事件では(2017年までに)計4件で裁判員裁判により被告人に死刑判決が言い渡されたが、被告人が控訴を取り下げて確定した1事件を除き、いずれも控訴審(職業裁判官のみの審理)で死刑判決が破棄され、無期懲役が言い渡されている<ref>{{Cite news|title=【神戸女児殺害】減刑5例目「裁判員死刑」覆る…”市民感覚とのズレ”浮き彫りに(1/2ページ)|newspaper=[[産経新聞]]|date=2017-03-10|url=https://www.sankei.com/west/news/170310/wst1703100035-n1.html|accessdate=2020-07-28|publisher=[[産業経済新聞社]]|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200728125259/https://www.sankei.com/west/news/170310/wst1703100035-n1.html|archivedate=2020年7月28日}} - [[神戸長田区小1女児殺害事件]](裁判員裁判で死刑判決が言い渡されたが、控訴審で破棄され無期懲役となった被害者1人の事件)の関連記事。</ref>。
== 殺害された被害者の数 ==
* 過去に別の事件で無期懲役に処されたにも拘らず、その仮釈放中に再び殺人(および強盗殺人)事件を起こした事例(1980年 - 2009年で10件)<ref name="共同通信2019-12-07">{{Cite news|title=新潟女児殺害、死刑判決とならない事情 最高裁が求める「慎重さ」「公平性」、裁判員を説得か|newspaper=[[47NEWS]]|date=2019-12-07|url=https://this.kiji.is/575630482034885729|accessdate=2020-07-22|agency=[[共同通信社]]|language=ja|author=竹田昌弘|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200722142405/https://this.kiji.is/575630482034885729|archivedate=2020年7月22日}}</ref>
本判決以前から、死刑適用の可否が争われる刑事裁判では殺害された被害者の数が重要視されていた{{Sfn|堀川惠子|2009|p=258}}。これは刑法上、最も重要な法益は生命であり、これが現実に侵害された個数が多い=刑事責任が重いと考えられるためである{{Sfn|司法研修所|2012|pp=109-110}}。
* 高度な計画性を有する事件{{Efn2|被害者1人の強盗殺人の場合、死刑が確定した14件のうち8件については当初から被害者の殺害を計画していたケースである<ref name="共同通信2019-12-07"/>。}}{{Efn2|計画的な保険金殺人で、かつ被告人に殺人前科がある場合でも死刑が回避された事例として[[熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件]](1989年)の被告人のうち1人(実行犯)がいる<ref name="熊谷養鶏場"/>。この被告人は殺人罪で懲役20年の刑に処され、その仮釈放中に犯行におよんだとして第一審で死刑を言い渡されたが<ref>{{Cite news|title=養鶏場殺人、仮出獄中犯行の被告に死刑判決…埼玉|newspaper=[[読売新聞オンライン|YOMIURI ONLINE]]|date=2003-07-01|url=http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20030701it03.htm|accessdate=2003年7月4日|publisher=読売新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030704024712/http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20030701it03.htm|archivedate=2003年7月4日}} - [[熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件]]の関連記事。</ref>、控訴審では「犯行を依頼した首謀者は無期懲役刑が確定しており、この被告人を死刑に処すことは刑の均衡を失する」として無期懲役が言い渡された<ref name="熊谷養鶏場">『読売新聞』2006年9月26日東京夕刊第4版第一社会面21頁「養鶏場放火殺人 死刑破棄『無期』実行犯に東京高裁判決」(読売新聞東京本社) - [[熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件]]の関連記事。</ref>。その後上告中に被告人が病死し、最高裁で公訴棄却となった。}}<ref name="共同通信2019-12-07"/>([[身代金]]およびわいせつ目的の[[誘拐]]殺人・[[保険金殺人]]など)<ref name="産経新聞2019-12-18">{{Cite news|title=新幹線殺傷 「死刑になりたくない」 適用基準を「逆手」 無期求刑に批判も|newspaper=産経新聞|date=2019-12-18|url=https://www.sankei.com/affairs/news/191218/afr1912180031-n1.html|accessdate=2020-07-22|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200111100447/https://www.sankei.com/affairs/news/191218/afr1912180031-n1.html|archivedate=2020年7月22日}}</ref>

** 被害者1人の殺人事件で複数被告人の死刑が確定した事例は、[[福岡病院長殺人事件]](1988年4月の最高裁判決により2被告人の死刑が確定)のみである<ref name="法学セミナー"/>。
村野薫 (1990) が死刑事件・無期刑事件の量刑比率(「死刑:無期刑」)について調査したところ、以下のような結果が算出されている{{Efn2|参考:前田俊郎『法律のひろば』1970年10月号<ref>{{Cite journal|和書|journal=法律のひろば|author=前田俊郎|year=1970|title=死刑適用の先例的基準|volume=23|month=10|issue=10|pages=35-40|publisher=[[ぎょうせい]]|DOI=10.11501/2806344|NAID=40003515308}}</ref>{{Sfn|村野薫|1990|p=65}}、加藤松次『法務研究』第67集4号<ref>{{Cite journal|和書|journal=法務研究報告書|author=加藤松次|year=1981|title=最近の裁判例における死刑と無期との限界 死刑求刑事件を中心として|volume=第67集|month=3|issue=4|publisher=[[法務総合研究所]]}} - [[国立国会図書館]]東京本館に蔵書。</ref>{{Sfn|村野薫|1990|p=65}}。}}(グラフの赤い部分<span style="color:red;">■</span>が死刑事件の割合を示す){{Sfn|村野薫|1990|p=65}}。
* 被害者への性犯罪の既遂、特段の残虐性などが重視された事例<ref>『静岡新聞』2009年2月18日夕刊三面3頁「『無期』身じろぎせず ××被告、目伏せたまま 遺族はため息-江東区・女性殺害」(静岡新聞社)※[[江東マンション神隠し殺人事件]]の関連記事。伏字部分は加害者の姓。</ref> - [[奈良小1女児殺害事件]]・[[三島女子短大生焼殺事件]]など
* 1949年(昭和24年)1月 - 1950年(昭和25年)9月の間(1年9か月間)に判決が確定した死刑事件(84件)・無期刑事件(67件)の場合{{Sfn|村野薫|1990|p=65}}
; 殺人前科が重視された事例
** 被害者1人の場合{{Composition bar|42|100|red}}
* 無期懲役刑の仮釈放中に再犯した事例 - [[東京都北区幼女殺害事件]](1979年)・[[福岡県直方市強盗殺人事件]](1980年)・[[福山市独居老婦人殺害事件]](1992年)・[[福島女性飲食店経営者殺人事件]](1990年)・[[宇都宮実弟殺害事件]](2005年)
** 被害者2人以上の場合{{Composition bar|78|100|red}}
* [[名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件]](2002年) - 殺人などで懲役15年の刑に処されるなど多数の前科があり、出所直後に金に困り被害者(スナック経営者)を絞殺。計画性は低いが、過去に起こした殺人事件と類似した経緯・手口の犯行である点が重視された。
* 1975年(昭和50年)1月 - 1978年(昭和53年)3月の間(3年3か月間)に判決が確定した死刑事件(34件)・無期刑事件(134件)の場合{{Sfn|村野薫|1990|p=65}}
; 高度な計画性が重視された事例
** 被害者1人の場合{{Composition bar|7|100|red}}
* 身代金目的の誘拐殺人 - [[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]](1980年)・[[泰州くん誘拐殺人事件]](1984年)
** 被害者2人以上の場合{{Composition bar|69|100|red}}
* わいせつ・強姦目的で誘拐後に被害者を殺害したケースでは3事例(後述の[[三島女子短大生焼殺事件]]を含む)で死刑が確定している<ref name="共同通信2019-12-07"/>。
[[戦後]]の混乱期には、単純な1人殺害に止まる者でも死刑とされた例がある{{Efn2|戦後、犯行時少年で1人を殺害して死刑判決を受けた例も相当数存在する{{Sfn|斎藤静敬|1990|p=125}}。これは、戦後の混乱期に凶悪犯罪が相次いだことが背景にあり、斎藤静敬 (1990) は「[[第二次世界大戦]]の過酷な戦争体験が国民に生命軽視の感覚をもたらした」と述べている{{Sfn|斎藤静敬|1990|p=109}}。}}が、裁判所はその後、死刑判決を抑制するようになり、極めて慎重に言い渡すようになった{{Sfn|斎藤静敬|1990|p=122}}。特に、1965年(昭和40年)以降は死刑適用が相当抑制されるようになり{{Sfn|斎藤静敬|1990|p=123}}、東京高検の上告後に本事件の調査を担当した稲田輝明([[最高裁判所調査官]]){{Sfn|堀川惠子|2009|p=247}}も、過去の重大事件における死刑と無期懲役の量刑の境界について調査し{{Sfn|堀川惠子|2009|p=254}}、「強盗殺人罪の場合、全体的に被害者が1人の場合は無期懲役以下、複数であれば死刑が適用される傾向にある」と結論付けている{{Sfn|堀川惠子|2009|p=258}}。また、永山の死刑が確定した第二次上告審判決(1990年)に関与した[[園部逸夫]]([[最高裁判所裁判官]])は、『読売新聞』社会部記者からの取材に対し、「永山基準は、裁判官が死刑選択に当たって自分を納得させるための『てこ』となる基準を求めていた中で生まれた。'''9項目のうち、『ことに』という表現が用いられた『殺害方法の執拗性・残虐性』『被害者の数』が重視された'''が、その後は下級審の裁判官の間で『被害者が1人の場合、よほどの事情がなければ死刑にできない』という空気が生まれたことは否定できない」と述べている{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=175}}。
** [[奈良小1女児殺害事件]]<ref>{{Cite news|title=奈良女児殺害:K被告に死刑判決 求刑通り|newspaper=毎日新聞|author=高瀬浩平|date=2006-09-26|url=http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060926k0000e040052000c.html|accessdate=2006-10-17|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061017044535/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060926k0000e040052000c.html|archivedate=2006年10月17日}}</ref>(2004年 / わいせつ誘拐罪・強制わいせつ致死罪・殺人罪・死体損壊罪・死体遺棄罪・脅迫罪など)<ref>{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[奈良地方裁判所]]刑事部|裁判種別=判決|事件番号=平成17年(わ)第10号・平成17年(わ)第47号・平成17年(わ)第87号|事件名=[[略取・誘拐罪|わいせつ誘拐]]、[[強制わいせつ罪|強制わいせつ致死]]、[[殺人罪 (日本)|殺人]]、[[死体損壊・遺棄罪|死体損壊、死体遺棄]]、[[脅迫罪|脅迫]]、[[窃盗罪|窃盗]]、強制わいせつ被告事件|裁判年月日=2006年(平成18年)9月26日|判例集=『[[判例タイムズ]]』第1257号336頁、『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28145058|判示事項=|裁判要旨=女児1名をわいせつ目的で誘拐し、わいせつ行為をしたうえで殺害したというわいせつ目的誘拐、強制わいせつ致死、殺人等の罪に問われた被告人に対し、死刑が言い渡された事例。|url=|ref={{SfnRef|奈良地裁|2006}}}} - 裁判官:[[奥田哲也 (裁判官)|奥田哲也]](裁判長)・[[松井修 (裁判官)|松井修]]・伊藤昌代</ref> - 第一審で死刑判決が言い渡され、被告人の控訴取り下げにより確定。加害者は女児に対する強制わいせつ致傷罪などの前科があり、被害者女児(当時7歳)をわいせつ目的で誘拐し、犯行の発覚を恐れて殺害した<ref name="朝日新聞2006-09-26">『朝日新聞』2006年9月26日東京夕刊第4版第一総合面1頁「奈良女児殺害 死刑 地裁判決 『更生の可能性ない』 被害者1人で適用」(朝日新聞東京本社) - [[奈良小1女児殺害事件]]の関連記事。</ref>。判決では加害者が被害者を強姦後に殺害する意図を有していた{{Efn2|[[奈良地方裁判所]] (2006) は「被告人は『被害者(女児〉をそのまま自宅に帰せば犯罪が明るみに出る』と考え、女児を強姦した後に殺害することを考えていたところ、浴室内でわいせつ行為をした女児に抵抗されたため、犯行を恐れて殺害におよんだ。本件は偶発的な事情からとっさに殺意を抱いて犯した激情犯的な犯行とは全く異なるもので、その動機は身勝手極まりなく酌量の余地はない」と認定している<ref>『朝日新聞』2006年9月26日東京夕刊第4版第三総合面3頁「奈良女児殺害 判決理由の要旨」(朝日新聞東京本社) - [[奈良小1女児殺害事件]]の関連記事。</ref>。}}点、被害者である幼女が性的被害に遭っている点、殺害後に遺体を傷つけた点などが重く見られた<ref name="朝日新聞2006-09-26"/>。

** [[群馬女子高生誘拐殺人事件]](2002年 / 殺人罪・わいせつ略取罪・強姦罪など)<ref name="群馬"/> - 第一審は無期懲役判決だったが控訴審で死刑となり<ref>『読売新聞』2004年10月29日東京夕刊第一社会面23頁「群馬・大胡の女子高生殺害 一審破棄、死刑判決/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>、上告せず確定<ref>『読売新聞』2004年11月13日東京朝刊第三社会面37頁「群馬・大胡の女子高生殺害 S被告の弁護側、死刑判決に上告せず」(読売新聞東京本社)</ref>。被害者(女子高生)を誘拐・強姦後に殺害し、被害者の両親に身代金を要求して受け取った<ref name="群馬">{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第11刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成15年(う)第2869号|事件名=殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身の代金取得、住居侵入、強盗、傷害被告事件|裁判年月日=2004年(平成16年)10月29日|判例集=『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105255|判示事項=|裁判要旨=}} - [[群馬女子高生誘拐殺人事件]]の控訴審判決。裁判官:[[白木勇]](裁判長)・[[高橋徹 (裁判官)|高橋徹]]・[[忠鉢孝史]]</ref>。
最高裁[[司法研修所]]は2012年(平成24年)7月23日<ref name="日本経済新聞2012-07-23"/>、『'''[[裁判員制度|裁判員裁判]]における量刑評議の在り方について'''』と題した研究報告書をまとめた(『司法研究報告書』第63輯第3号として刊行、同年10月に[[法曹会]]から発売){{Sfn|司法研修所|2012}}。同報告書によれば、1980年度(昭和55年度) - 2009年度(平成21年度)に死刑か無期懲役が確定した死刑求刑事件346件{{Sfn|司法研修所|2012|p=108}}・被告人346人(死刑193件・無期懲役153件)について分析したところ<ref name="毎日新聞2012-07-23">{{Cite news|title=裁判員裁判:死刑は被害者数を重視、司法研修所が報告|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2012-07-23|url=http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c.html|accessdate=2012-07-27|publisher=[[毎日新聞社]]|language=ja|author=石川淳一|page=1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120727035612/http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c.html|archivedate=2012年7月27日}}</ref>、殺人の場合は174人中93人の、強盗殺人の場合は172人中100人の被告人について死刑が確定した{{Sfn|司法研修所|2012|p=108}}。また、死亡した被害者数と死刑適用の比率について分析したところ、以下のような結果が出た{{Sfn|司法研修所|2012|p=109}}<ref name="日本経済新聞2012-07-23">{{Cite news|title=裁判員裁判、量刑柔軟に 司法研報告書、死刑判断「先例尊重」|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2012-07-23|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2303J_T20C12A7CR8000/|accessdate=2020-07-22|publisher=[[日本経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200722141106/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2303J_T20C12A7CR8000/|archivedate=2020年7月22日}}</ref>。
* [[JT女性社員逆恨み殺人事件]](1997年 / 殺人罪など) - 加害者(殺人前科あり)は1989年に強姦致傷罪で逮捕・起訴され実刑判決を受けたが、同事件の被害者女性を[[逆恨み]]し、出所後に被害者を刺殺した<ref>『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊1頁「被害者の女性を逆恨み殺人 無期破棄し死刑判決 被害者1人でも極刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>([[お礼参り]])<ref>『産経新聞』2004年9月23日東京朝刊社会面「“お礼参り”殺人、来月13日に判決 最高裁が通知」([[産経新聞東京本社]])</ref>。第一審は無期懲役判決だったが控訴審で死刑となり、最高裁で上告棄却判決を受け確定<ref>『読売新聞』2004年10月14日東京朝刊第一社会面39頁「被害届女性逆恨み殺人 最高裁も死刑 上告を棄却 被害者1人でも」(読売新聞東京本社)</ref>。
{| class="wikitable"
** 無期懲役を言い渡した第一審判決 (1999) は「殺人の動機は個人的な恨みで利欲的ではなく、周到な計画に基づく犯行とは言えない」「被告人は公判で謝罪の気持ちを口にしており、人間性の一端が認められる」などの事情を挙げ「被害者が1人の事件であり、極刑がやむを得ない事件とまではいえない」と判断したが<ref>『読売新聞』1999年5月27日東京夕刊第一社会面19頁「JT女性社員の被害届で逮捕… 出所後襲撃 逆恨み殺人に無期判決 /東京地裁」(読売新聞東京本社)</ref>、死刑を言い渡した控訴審判決 (2000) は「動機は個人的な恨みだが、通常みられる人間関係の軋轢・もつれなどのような被告人側にも同情すべき点がある事案とは全く異なり、自身の犯罪行為を被害者に届け出られたことを逆恨みした極めて理不尽かつ身勝手なもので、動機の悪質性は保険金・身代金目的の殺人と変わらない」「服役中から殺害計画を立て、出所直後から被害者の居所を探して計画通りに準備を進め、周到な用意の末に実行した犯行であり、極めて計画性が高い」などの事情を挙げ「被害者が1人でも死刑がやむを得ない場合はあり、今回はそれに該当する」と判断している<ref>{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第3刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成11年(う)第1202号|事件名=殺人、窃盗被告事件|裁判年月日=2000年(平成12年)2月28日|判例集=|判示事項=|裁判要旨=『[[判例集|高等裁判所刑事裁判速報集]]』(平12)号73頁、『[[判例タイムズ]]』第1027号(2000年6月15日号)284頁、『[[判例時報]]』第1705号173頁}} - [[JT女性社員逆恨み殺人事件]]の控訴審判決。裁判官:[[仁田陸郎]](裁判長)・[[下山保男]]・[[角田正紀]]</ref>。
|+死亡した被害者の数と死刑が宣告される比率(1980 - 2009年度に判決が確定した死刑求刑事件){{Sfn|司法研修所|2012|p=109}}
* [[闇サイト殺人事件]](2007年 / 強盗殺人罪など)の犯人のうち1人 - この被告人(イニシャルKT)は第一審・[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]([[近藤宏子]]裁判長)で2009年3月18日に死刑判決を受け<ref name="法学セミナー">{{Cite journal|和書|journal=[[法学セミナー]]|title=ロー・フォーラム 裁判と争点 被害者1人、異例の死刑判決 闇サイト殺人で名古屋地裁|page=139|date=2009-06-01|url=https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/5038.html|issue=654|publisher=[[日本評論社]]}}</ref>控訴したが、自ら取り下げて死刑が確定した。
!死亡した被害者数
** 名古屋地裁 (2009) は「被告人3人は『楽をして金儲けしよう』と考えて犯罪計画を立て、犯行前の謀議により被害者を拉致・殺害して遺体を遺棄することまで計画した上で犯行におよんだ」と認定した<ref name="闇サイト判決要旨">『読売新聞』2009年3月19日東京朝刊19頁「闇サイト殺人事件判決の要旨」(読売新聞東京本社)</ref>。その上で、「本事件は監禁場所・殺害方法について詳細な計画はなかったが{{Efn2|詳細な計画がなかったことについては「計画自体が『通行中の女性を物色して襲う』というもので、具体的・詳細な方法は成り行きに任せざるを得ない部分があることは当然。最後に被害者を殺害する点は当初の計画通りに実行された。より綿密詳細な計画が立てられていた事件と比べ、刑の選択を分けるほど有利な事情は認められない」と指摘した<ref name="闇サイト判決要旨"/>。}}、事前にロープ・ハンマー・包丁などを用意し、何人もの女性を追尾した計画的な犯行。素性を知らない者同士が悪知恵を出し合い、虚勢を張り合った、1人では行えない凶悪な犯行」と認定した上で、「インターネットの[[闇サイト]]を悪用した本犯行は凶悪化・巧妙化しやすく危険。また匿名性が高いため発覚が困難で模倣性も高く{{Efn2|匿名性については「仮に犯行後、集団が解消され、それぞれが連絡手段を絶ってしまえば、犯罪者を発見・検挙することが著しく困難になることが予想される。このような犯罪は誠に悪質で、社会の安全に与える影響も大きく、一般予防の必要性も高い」と指摘した<ref name="闇サイト判決要旨"/>。その上で、自首した被告人1人については「自首の動機はKT・堀に腹を立てたことによると考えられるが、自首しなければ捜査は相当難航したことも予想され、その場合は次の犯行が行われた可能性が否定できない。自首したことでKT・堀の逮捕に協力したことは量刑要素として大きく評価できる」として、死刑を回避した<ref name="闇サイト判決要旨"/>。}}、厳罰で臨む必要性が高い」と指摘した<ref name="法学セミナー"/>。その上で「被告人3人の刑事責任は同等」と認定し{{Efn2|KTは「殺害の計画・実行に最も積極的に関与した」と、堀についても「当初から犯行計画を積極的に提案し、特に『人を拉致して強盗する』という計画を当初から提案した。殺害実行行為にもKTに次いで積極的に行っていた」と認定したほか、自首した被告人1人(無期懲役)についても「結果的に、他2人と比べれば殺害実行行為への関与は程度が低いが、闇サイトへの投稿によりKT・堀を集めたほか、(未遂には終わったが)被害者に性的暴行を加えようとした」と認定し、「KTの有する知識・経験を頼り、互いが互いを利用し合い、3人という集団で犯罪を行うことで自らの利欲目的を満たそうとした犯行。3人の間に量刑選択を分かつほどの差異は認められない」と結論付けた<ref>『中日新聞』2009年3月19日朝刊ラジオ愛知県面29頁「千種拉致殺害事件 名古屋地裁判決の要旨」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="中日新聞2011-04-13"/>、死刑を求刑された被告人3人のうち、自首した1人を除く2人(KTと堀慶末{{Efn2|堀慶末は闇サイト殺人事件で無期懲役刑が確定後、2012年8月以降に[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]への関与が発覚して強盗殺人罪・同未遂罪(2人死亡・1人負傷)で起訴され、2019年に最高裁で死刑が確定した<ref>{{Cite news|title=愛知・碧南の夫婦殺害、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2019-07-19|author=北沢拓也|url=https://www.asahi.com/articles/ASM7M4Q37M7MUTIL02B.html|accessdate=2020-08-13|publisher=朝日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813143041/https://www.asahi.com/articles/ASM7M4Q37M7MUTIL02B.html|archivedate=2020年8月13日}}</ref>。堀は死刑確定前の2019年5月、[[インパクト出版会]]から実名で著書『鎮魂歌』を発刊している<ref>{{Cite book|和書|author=堀慶末|title=鎮魂歌|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/282|publisher=[[インパクト出版会]]|date=2019-05-25|edition=第1刷発行|editor=(発行人:深田卓)|pages=|isbn=978-4755402968}}</ref>。}})に死刑を言い渡した<ref name="法学セミナー"/>。
!求刑合計
** 一方でKT以外の被告人2人(堀と無期懲役判決を受けた被告人)が控訴したところ、控訴審・[[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]([[下山保男]]裁判長)は2011年4月12日に「インターネットを通じて知り合った素性を知らない者同士の犯行は、意思疎通の不十分さから失敗に終わりやすく、携帯電話・メールの履歴など痕跡が残るため、発覚が困難とは考え難い。第一審が指摘したように『逮捕が困難で模倣性が高い』とは言えず、他の強盗殺人などと比べて過度に強調して厳罰で臨むことは相当ではない」と認定した上で、「2被告人の刑事責任は被害者の殺害を提案したKTより軽く、綿密な殺害計画もない。2人とも重い前科はなく、矯正可能性がある」として、2被告人に無期懲役判決を言い渡した<ref name="中日新聞2011-04-13">『中日新聞』2011年4月13日朝刊一面1頁「闇サイト殺人 2被告に無期懲役 名高裁判決 死刑破棄 『模倣性高いといえず』」(中日新聞社)「被害者1人判例を踏襲 破棄、より丁寧な説明を」(社会部:加藤文)</ref>。
!死刑宣告数
!無期刑宣告数
|-
|1人
|100件
* 殺人 - 48件
* 強盗殺人 - 52件
|32人 (32%){{Composition bar|32|100|red|width=120|per=100}}
* 殺人 - 18人 (38%){{Composition bar|18|48|red|width=120|per=100}}
* 強盗殺人 - 14人<ref group="注" name="14件"/> (27%){{Composition bar|14|52|red|width=120|per=100}}
|68人(68%){{Composition bar|68|100|#9999FF|width=120|per=100}}
* 殺人 - 30人 (62%){{Composition bar|30|48|#9999FF|width=120|per=100}}
* 強盗殺人 - 38人 (73%){{Composition bar|38|52|#9999FF|width=120|per=100}}
|-
|2人
|164件
* 殺人 - 65件
* 強盗殺人 - 99件
|96人 (59%){{Composition bar|96|164|red|width=120|per=100}}
* 殺人 - 31人 (48%){{Composition bar|31|65|red|width=120|per=100}}
* 強盗殺人 - 65人 (66%){{Composition bar|65|99|red|width=120|per=100}}
|68人 (41%){{Composition bar|68|164|#9999FF|width=120|per=100}}
* 殺人 - 34人 (52%){{Composition bar|34|65|#9999FF|width=120|per=100}}
* 強盗殺人 - 34人 (34%){{Composition bar|34|99|#9999FF|width=120|per=100}}
|-
|3人以上
|82件
* 殺人 - 61件
* 強盗殺人 - 21件
|65人 (79%){{Composition bar|65|82|red|width=120|per=100}}
* 殺人 - 44人 (72%){{Composition bar|44|61|red|width=120|per=100}}
* 強盗殺人 - 21件 (100%){{Composition bar|21|21|red|width=120|per=100}}
|17人 (21%){{Composition bar|17|82|#9999FF|width=120|per=100}}
* 殺人 - 17人 (21%){{Composition bar|17|61|#9999FF|width=120|per=100}}
* 強盗殺人 - 0人 (0%){{Composition bar|0|21|#9999FF|width=120|per=100}}
|}
* ※主文が2個以上の場合{{Efn2|name="刑法45条"|参照:[[:b:刑法第45条|刑法第45条]]「確定裁判を経ていない二個以上の罪を[[併合罪]]とする。'''ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする'''。」
* 適用例:[[大阪連続バラバラ殺人事件]]・[[勝田清孝事件]]など。これらは起訴された複数の犯行の間に確定判決を挟んでいるため、裁判所は確定判決の前後で事件を分離し、それぞれについて判決を宣告している。}}、死刑求刑の個数を人数として計上している{{Sfn|司法研修所|2012|p=108}}。
* ※死亡被害者2人以上の強盗殺人の被害者の中には殺人による被害者を含む場合がある{{Sfn|司法研修所|2012|p=109}}。
* ※人の死亡の結果を伴う放火や、強盗強姦致死で死刑が求刑された場合は、それぞれ殺人罪・強盗殺人罪として扱っている{{Sfn|司法研修所|2012|p=108}}。
以上のように、被害者数と死刑判決との間には強い相関関係があり、死刑宣告に当たっての最も大きな要素は被害者数であると報告されている{{Sfn|司法研修所|2012|p=109}}。概ね「被害者に落ち度がなく、複数の被害者を殺害した事件の場合は原則的に死刑である」とされるが{{Sfn|斎藤静敬|1990|p=122}}、以下のような例外もある[以下(事件発生年 / 殺害人数)と表記]。

=== 被害者3人以上で死刑が回避された事例 ===
司法研修所 (2012) によれば、1980年度 - 2009年度に判決が確定した被害者3人以上の死刑求刑事件(全82件)のうち、無期懲役が確定した事例は17件(すべて殺人事件){{Sfn|司法研修所|2012|pp=108-109}}。強盗殺人罪に問われた21件はいずれも死刑が確定していた{{Sfn|司法研修所|2012|p=109}}<ref name="毎日新聞2012-07-23 2">{{Cite news|title=裁判員裁判:死刑は被害者数を重視、司法研修所が報告|newspaper=毎日新聞|date=2012-07-23|url=http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c2.html|accessdate=2012-07-27|publisher=毎日新聞社|language=ja|author=石川淳一|page=2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120727040831/http://mainichi.jp/select/news/20120724k0000m040105000c2.html|archivedate=2012年7月27日}}</ref>が、報告書発行後(2015年)に発生した[[熊谷連続殺人事件]](6人殺害)では2020年に、被告人の心神耗弱を理由に無期懲役が確定している<ref>{{Cite news|title=<熊谷6人殺害>ばかばかしい…妻子殺害された男性、無期懲役確定に悔しさ「ああ、終わっちゃったんだな」|newspaper=埼玉新聞|date=2020-09-11|url=https://www.saitama-np.co.jp/news/2020/09/11/05_.html|accessdate=2020-09-14|publisher=埼玉新聞社|language=ja|archiveurl=http://web.archive.org/web/20200914094835/https://www.saitama-np.co.jp/news/2020/09/11/05_.html|archivedate=2020年9月14日}}</ref>。
{| class="wikitable"
|+
!被害者3人以上で無期懲役が確定した事例<br/>計17件(1980年 - 2009年)
!件数
!主な事件<br/>{{Nowrap|(2009年以前に確定)}}
!主な事件<br/>{{Nowrap|(2009年以降に確定)}}
!備考
|-
|心神耗弱で責任能力に問題があった殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2">『朝日新聞』2012年7月24日東京朝刊第三社会面37頁「最高裁 研究報告 被害者1人…無期の仮釈放中→全員死刑 被害者2人…計画性が低い→無期目立つ」(朝日新聞東京本社)</ref>
|{{Nowrap|7件}}<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
|
* {{Nowrap|[[新宿西口バス放火事件]]}}<br/>(1980年 / 6人)<ref>『朝日新聞』1984年4月24日東京夕刊第4版第一総合面1頁「新宿バス放火に無期懲役 東京地裁判決 心神耗弱で刑軽減 乗客への殺意は認定」(朝日新聞東京本社) - [[新宿西口バス放火事件]]の関連記事</ref>
* {{Nowrap|[[深川通り魔殺人事件]]}}<br/>(1981年 / 4人){{Efn2|name="本判決以前"|本判決(1983年7月8日)以前の判決。}}<ref>『朝日新聞』1982年12月23日東京夕刊第4版第一総合面1頁「××(加害者の実名)に無期懲役刑 深川通り魔事件 東京地裁判決 心神耗弱認める」(朝日新聞東京本社) - [[深川通り魔殺人事件]]の関連記事</ref>
* {{Nowrap|[[西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件]]}}<br/>(1982年 / 4人)<ref>『朝日新聞』1984年4月20日東京夕刊第4版第二社会面14頁「七人殺傷の覚せい剤男 心神耗弱認め無期 大阪地裁」(朝日新聞東京本社) - [[西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件]]の関連記事</ref>
|
* {{Nowrap|[[淡路島5人殺害事件]]}}<br/>(2015年)<ref name="淡路島5人殺害事件"/>
* {{Nowrap|[[熊谷連続殺人事件]]}}<br/>(2015年 / 6人)<ref name="埼玉新聞2019-12-06">{{Cite news|title=<熊谷6人殺害>ショック大きい…被告に無期懲役、死刑判決を破棄 妻子亡くした男性…裁判官に怒り憎しみ|newspaper=[[埼玉新聞]]|date=2019-12-06|author=|url=http://www.saitama-np.co.jp/news/2019/12/06/01_.html|accessdate=2019-12-18|agency=|publisher=埼玉新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191218132409/http://www.saitama-np.co.jp/news/2019/12/06/01_.html|archivedate=2019年12月18日}}</ref>
|裁判所が死刑を選択したが、[[責任能力#責任無能力と限定責任能力|被告人が犯行時に心神耗弱]]であったことを理由に[[量刑]]を[[懲役#無期懲役|無期懲役]]へ減軽した事例{{Efn2|[[:ja:b:刑法第39条|刑法第39条]]の規定により、心神喪失者(=責任能力がない人間)の行為を罪に問うことはできず、心神耗弱者(=責任能力が限定されている人間)の行為については必ず刑を減軽しなければならない。[[淡路島5人殺害事件]]の控訴審判決(2020年・[[大阪高等裁判所]] / 第一審・死刑判決を破棄)は被害者5人への殺人罪について死刑を選択した上で、「被告人は犯行当時、心神耗弱状態にあった」として刑法39条2項(心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する)、[[:ja:b:刑法第68条|刑法68条1号(死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は十年以上の懲役若しくは禁錮とする)]]の規定を適用して刑を減軽したが、死刑の減軽は犯行内容の悪質性を鑑みて無期懲役刑にとどまった<ref name="淡路島5人殺害事件">{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[大阪高等裁判所]]第6刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成29年(う)第501号|事件名=殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件|裁判年月日=2020年(令和2年)1月27日|判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例・『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25570707|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=89228|page=32}} - [[淡路島5人殺害事件]]の控訴審判決。裁判官:[[村山浩昭]](裁判長)・畑口泰成・宇田美穂</ref>。また、[[熊谷連続殺人事件]](2019年・[[東京高等裁判所]])でも淡路島事件と同様に第一審の死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡したが、同判決でも「責任能力の点を除けば極刑で臨むほかない」と認定されている<ref name="埼玉新聞2019-12-06"/>。}}。<br/>心神喪失により無罪になった殺人事件(被害者3人以上)として、[[青森県新和村一家7人殺害事件]]<ref group="注" name="本判決以前"/>(1953年)がある<ref>『朝日新聞』1956年4月6日東京朝刊第12版第一社会面9頁「【弘前発】肉親七人殺しに無罪 心神喪失を認められる」(朝日新聞東京本社) - [[青森県新和村一家7人殺害事件]]の関連記事。</ref>。
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|男女関係・家庭内の軋轢が原因の殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
|5件<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
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* [[杉並一家放火殺人事件]]<br/>(1986年 / 4人){{Efn2|被告人は東京都[[杉並区]]で、妻と口論になった末に家族4人を殺害した<ref name="東京新聞2010-01-26"/>。東京地裁は「家族の冷たい一言が原因で、同情の余地がある」として無期懲役を言い渡し、控訴審も同判決を支持した<ref name="東京新聞2010-01-26"/>。}}
* [[つくば母子殺人事件]]<br/>(1994年 / 3人){{Efn2|家庭内の軋轢から、2日間に相次いで親族{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}3人を殺害{{Sfn|司法研修所|2012|p=232}}。}}
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* {{Nowrap|[[中津川一家6人殺傷事件]]}}<br/>(2005年 / 5人)
** [[無理心中]]事件について[[情状酌量]]し、無期懲役を適用した事例<ref name="中日新聞2009-01-13"/>。5人が殺害された事件で、被告人の完全責任能力が認定された{{Efn2|[[岐阜地方裁判所|岐阜地裁]]は弁護人の「被告人は事件当時、心神耗弱状態だった」とする主張を退け、検察官の主張通り完全責任能力を認定したが、「あまりに独善的で自己中心的な犯行だが、犯行動機は長年にわたり母から嫌がらせを受け続けたことである。長男・長女・孫らを殺害した動機も『殺人者の家族』という汚名を着せられるのを避けるためで、理解できないものではない。一家心中という面は否定できず、情状酌量の余地はある」と判断し、死刑を回避した<ref name="中日新聞2009-01-13">『中日新聞』2009年1月13日夕刊一面1頁「中津川一家6人殺傷 H被告に無期懲役 岐阜地裁判決 責任能力認定 『酌量の余地』」(中日新聞社)</ref>。控訴審・名古屋高裁も一審判決支持(検察官・被告人双方の控訴を棄却)を言い渡し<ref name="東京新聞2010-01-26">『[[東京新聞]]』2010年1月26日夕刊第一社会面9頁「家族5人殺害 元市職員、二審も無期 名古屋高裁 『極刑にはちゅうちょ』」([[中日新聞東京本社]])</ref>、2012年12月3日付で最高裁第一小法廷([[横田尤孝]]裁判長)が検察官・弁護人双方の上告を棄却する決定を出した<ref group="注" name="横田"/><ref name="最高裁2012-12-03">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成22年(あ)第402号|裁判年月日=2012年(平成24年)12月3日|法廷名=最高裁判所第一小法廷|裁判形式=決定|判例集=集刑 第309号1頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/945/082945_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=82945|事件名=殺人,殺人未遂被告事件|判示事項=家族に対する殺人5件,殺人未遂1件の事案につき,無期懲役の量刑が維持された事例(反対意見がある。)(岐阜中津川家族殺害事件)}} - 最高裁判所裁判官:横田尤孝(裁判長 / 「死刑回避の事情は見当たらない」と反対意見)・櫻井龍子・金築誠志・白木勇・[[山浦善樹]]</ref>。}}にも拘らず死刑が回避された判決は異例である<ref name="中日新聞2009-01-13"/>。
|司法研修所 (2012) によれば、5件のうち3人は男女関係に起因する動機から同一機会に3人以上を殺害した事件で、残り2件(杉並・つくば両事件)は家庭内の軋轢から、(ほぼ)同一機会に3人以上の親族を殺害した事件{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}。<br/>親族間の殺人事件では3人以上が殺害された事件でも、無理心中や被害者の落ち度を認定したり、犯行の計画性を否定したりして死刑を回避する傾向が目立つ<ref name="東京新聞2010-01-26"/>。これらについて、司法研修所 (2012) は「社会的にみた場合の犯意の単一性、家庭内という限られた人間関係のもとでの犯行などを考慮したものと思われる。」と推測している{{Sfn|司法研修所|2012|pp=126-127}}ほか、[[森炎]]は「『死のうと思いつめて死にきれなかった者を死刑にすることはない』という考え方や、『死刑にすれば、法の名のもとで一家心中させたことになる』という考えにより、裁判所は無理心中事件への死刑適用を回避している」と指摘している{{Sfn|日弁連|2011|p=147}}。<br/>親族間殺人で死刑を適用された例外的な事例として、[[岩手県種市町妻子5人殺害事件]](1989年){{Efn2|同事件の動機は生活難・(被告人からの)暴力を苦にした妻から離婚を切り出されたこと<ref name="東京新聞2010-01-26"/>。第一審([[盛岡地方裁判所|盛岡地裁]])は「被告人は妻子5人を殺害後、自殺を真剣に考えた(無理心中である)」として無期懲役判決を言い渡したものの<ref name="毎日新聞1990-11-16">『毎日新聞』1990年11月16日東京夕刊社会面15頁「妻子5人殺害の被告に無期懲役--盛岡地裁判決」(毎日新聞東京本社) - [[岩手県種市町妻子5人殺害事件]]の関連記事。</ref>、[[仙台高等裁判所|仙台高裁]]は「被告人は犯行後に『自分も死んだ方がいい』などと漠然と考えただけで、無理心中ではない。被告人の身勝手で自己中心的な性格に起因する事件」として死刑を言い渡した<ref name="毎日新聞1992-06-05">『毎日新聞』1992年6月5日東京朝刊社会面30頁「岩手・妻子5人殺害、『無理心中でない』 一審破棄し死刑判決--仙台高裁」(毎日新聞東京本社)</ref>。なお被告人は上告中(1992年10月16日)に病死したため、同事件は[[公訴棄却]]となった<ref>『毎日新聞』1992年10月21日東京朝刊社会面27頁「2審死刑で上告中の××被告、病死--岩手の5人殺害」(毎日新聞東京本社) - 岩手県種市町妻子5人殺害事件の関連記事。</ref>。}}がある<ref name="東京新聞2010-01-26"/>。
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|{{Nowrap|共犯事件で、犯行への関与の程度が低い殺人}}<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
|4件<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
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* [[中村昇 (オウム真理教)|中村昇]]:[[オウム真理教事件]]{{Efn2|[[松本サリン事件]](1994年 / 7人殺害)や[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]](1989年)、[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]](1995年)など<ref name="中村昇"/>。死亡者数8人(いずれも殺人){{Sfn|司法研修所|2012|p=246}}で死刑を求刑されたが、「松本サリン事件では従属的な役割だった」として無期懲役を言い渡され、被告人側の上告棄却により2006年に無期懲役が確定<ref name="中村昇"/>。}}<ref name="中村昇">{{Cite news|title=松本サリンや(目黒公証役場事務長)さん事件、中村被告の無期確定へ|newspaper=YOMIURI ONLINE|date=2006-09-05|url=https://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060905i313.htm|publisher=読売新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110917054457/https://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060905i313.htm|archivedate=2011年9月17日}}</ref>
* [[架空請求詐欺仲間割れ殺人事件]]<br/>(2004年 / 4人死亡):従犯の男{{Efn2|殺人・傷害致死の被害者が各2人(傷害致死の被害者1人は殺人で起訴){{Sfn|司法研修所|2012|p=271}}。中心的な役割を果たしたと認定された{{Sfn|司法研修所|2012|p=271}}が、自首により事件解決に貢献したことが考慮され、死刑回避<ref name="産経新聞2009-08-18"/>。同事件では共犯者3人の死刑が確定している<ref>{{Cite news|title=詐欺団4人リンチ死、死刑確定へ 2被告の上告棄却|newspaper=日本経済新聞|date=2013-01-30|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2905U_Q3A130C1CC0000/|accessdate=2021-02-02|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200614142324/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2905U_Q3A130C1CC0000/|archivedate=2020年6月14日}}</ref><ref>{{Cite news|title=詐欺団リンチ死、死刑判決確定へ 最高裁が上告棄却|newspaper=日本経済新聞|date=2013-02-28|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG28014_Y3A220C1CC0000/|accessdate=2021-02-02|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200614142308/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG28014_Y3A220C1CC0000/|archivedate=2020年6月14日}}</ref>。}}<ref name="産経新聞2009-08-18">{{Cite news|title=振り込め詐欺仲間割れ殺人 実行犯、2審も無期懲役|newspaper=MSN産経ニュース|date=2009-08-18|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090818/trl0908181921002-n1.htm|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090822122815/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090818/trl0908181921002-n1.htm|archivedate=2009年8月22日}}</ref>
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* {{Nowrap|[[北九州監禁殺人事件]]}}<br/>(2002年に発覚 / 6人殺害・1人死亡):従犯の女{{Efn2|主犯の男Xと共に6人への殺人罪・1人への傷害致死罪に問われ、第一審([[福岡地方裁判所|福岡地裁]]小倉支部)で死刑判決を受けたが、控訴審・[[福岡高等裁判所|福岡高裁]]では「X{{Efn2|Xは控訴審でも死刑判決が維持され、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)で2011年12月12日に上告を棄却する判決(死刑支持判決)を受け死刑が確定<ref>『西日本新聞』2011年12月13日朝刊一面1頁「小倉監禁殺人 X被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却 『犯行を首謀』」(西日本新聞社)</ref>。}}から長年にわたり暴力・虐待を受けたことで正常な判断力が低下し、追従的な立場にあった」として、無期懲役判決を言い渡された<ref>『[[西日本新聞]]』2007年9月27日朝刊一面1頁「小倉監禁殺人 B被告、無期に減刑 『虐待受け追従』 福岡高裁判決 X被告は再び死刑」([[西日本新聞社]])</ref>。検察官は判例違反を理由に上告したが、最高裁第一小法廷([[宮川光治]]裁判長)が2011年12月12日付で棄却決定を出したため、無期懲役が確定{{Efn2|name="横田"|ただし、北九州事件で最高裁第一小法廷の裁判官を務めた横田尤孝は上告審決定に当たり、「検察側の上告を棄却すべき」とする多数意見([[最高裁判所裁判官]]5人中4人)に対し「多数意見が被告人に有利な情状として考慮した点には賛同できないものが多いばかりか、仮に百歩譲って多数意見が被告に有利な情状とする点を考慮しても、犯行の凶悪・重大性を鑑みればなお極刑で臨むほかない事件。死刑判決を破棄した無期懲役の量刑は著しく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する。そのため原判決を破棄し、死刑回避の妥当性についてさらに慎重な審理を尽くさせるため、審理を福岡高裁へ差し戻すべきだ」と反対意見を出した<ref name="最高裁2011-12-12"/>。また、横田は裁判長を務めた中津川事件の上告審決定でも、他4人の多数意見「上告棄却」に対し「酌量の余地は皆無で、幼い孫2人まで殺害した結果の重大性・犯行の残虐さなどに照らせば死刑を回避すべき特段の事情は見当たらない。原判決を破棄し、審理を名古屋高裁へ差し戻すべきだ」と反対意見を表明している<ref name="最高裁2012-12-03"/>。}}<ref name="最高裁2011-12-12">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成19年(あ)第2276号|裁判年月日=2011年(平成23年)12月12日|法廷名=最高裁判所第一小法廷|裁判形式=決定|判例集=集刑 第306号695頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/994/081994_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=81994|事件名=監禁致傷,詐欺,強盗,殺人,傷害致死被告事件|判示事項=6名を殺害し,1名を死に致すなどした殺人,傷害致死等被告事件につき,被告人を無期懲役に処した控訴審判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められないとされた事例(反対意見がある。)(北九州連続監禁殺人等事件)}} - [[最高裁判所裁判官]]:[[宮川光治]](裁判長)・[[櫻井龍子]]・[[金築誠志]]・[[横田尤孝]]・[[白木勇]]。横田は「死刑を回避すべきほど被告人に有利な情状は見当たらない」とする反対意見を表明</ref><ref>『西日本新聞』2011年12月15日朝刊一面1頁「小倉監禁殺人 B被告、無期確定へ 最高裁が上告棄却 7人死亡、異例の判断」(西日本新聞社)</ref>。}}
* {{Nowrap|[[長野市一家3人殺害事件]]}}<br/>(2010年):従犯の男{{Efn2|主犯格(同僚の男)2人+幇助犯1人と共謀し、経営者とその息子夫婦を殺害したとして[[強盗致死傷罪|強盗殺人罪]]・[[死体損壊・遺棄罪|死体遺棄罪]]に問われた。第一審では「自ら被害者2人を次々に殺害した」として死刑判決を受けた<ref>{{Cite news|title=長野一家強盗殺人、死刑判決の被告が控訴|newspaper=日本経済新聞|date=2011-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0603Z_X01C11A2000000|accessdate=2021-01-24|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210124060148/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0603Z_X01C11A2000000|archivedate=2021年1月24日}}</ref>が、控訴審では「主犯格の1人から事件当日に急遽呼び出され、突発的に犯行に巻き込まれた」として無期懲役を言い渡され<ref>{{Cite news|title=裁判員裁判の死刑判決破棄 長野一家殺害で東京高裁|newspaper=日本経済新聞|date=2014-02-27|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG27047_X20C14A2CC1000|accessdate=2021-01-24|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210124055459/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG27047_X20C14A2CC1000|archivedate=2021年1月24日}}</ref>、上告棄却により確定<ref>{{Cite news|title=死刑破棄がまた確定へ 長野一家3人殺害事件 最高裁|newspaper=産経ニュース|date=2015-02-10|url=https://www.sankei.com/affairs/news/150210/afr1502100022-n1.html|accessdate=2021-01-24|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210124060337/https://www.sankei.com/affairs/news/150210/afr1502100022-n1.html|archivedate=2021年1月24日}}</ref>。主犯格2人は死刑が<ref>{{Cite news|title=長野一家殺害で死刑確定へ 裁判員死刑、最高裁が初判決|newspaper=産経ニュース|date=2014-09-02|url=https://www.sankei.com/affairs/news/140902/afr1409020023-n1.html|accessdate=2021-01-24|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210124060843/https://www.sankei.com/affairs/news/140902/afr1409020023-n1.html|archivedate=2021年1月24日}}</ref><ref name="産経新聞2016-04-26">{{Cite news|title=長野一家3人殺害、主犯格の死刑確定へ 「率先して殺害、安易かつ短絡的」と最高裁|newspaper=産経ニュース|date=2016-04-26|url=https://www.sankei.com/affairs/news/160426/afr1604260027-n1.html|accessdate=2021-01-24|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200420124950/https://www.sankei.com/affairs/news/160426/afr1604260027-n1.html|archivedate=2020年4月20日}}</ref>、残る1人は懲役18年が確定した<ref name="産経新聞2016-04-26"/>。}}
|共犯事件で無期懲役とされた被害者3人以上の殺人6件のうち、5件は3人以上の共犯者による犯行{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}。死刑回避の理由としては以下のような事情が挙げられる。
* 他の共犯者との刑の均衡{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}
* 犯行への寄与への度合いの相違{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}
* 首謀者が圧倒的な影響力を持っていたこと{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}
* 暴力団組織同士の[[抗争事件|抗争]]に端を発する犯行で、被害者側に落ち度{{Efn2|被害者らが所属していた暴力団組織が、加害者らが所属していた暴力団組織に切り崩し工作を図り、自ら抗争を誘発したこと{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}。}}があったこと{{Sfn|司法研修所|2012|p=126}}
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|殺意が確定的でなく、[[故意#確定的故意と不確定的故意|未必の故意]]にとどまった事例
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|
* [[テレクラ放火殺人事件]]<br/>(2000年 / 4人):首謀者2人{{Efn2|首謀者のうち1人の控訴審判決(第一審・無期懲役判決を支持)において、大阪高裁 (2009) は「被告人は実行行為には加担していないが、共犯者たちと事前の謀議があった。また被告人は以前、被害店舗と同じ場所でテレクラを経営していたため、店の構造を知っており、仮に店内へ火炎瓶が投げ込まれれば死者が出ることを容易に想像できた」として、共犯者たちとの共謀および殺意を認定したが、「死傷者の発生は本意ではなく、殺意の程度は高くなかった」として死刑を回避した<ref>{{Cite news|title=神戸のテレホンクラブ連続放火殺人、首謀者の女に2審も無期懲役|newspaper=[[読売新聞オンライン|YOMIURI ONLINE]]|date=2009-03-03|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090303-OYT1T00409.htm|publisher=読売新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090306161929/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090303-OYT1T00409.htm|archivedate=2009年3月6日}}</ref>。2人とも2010年・2013年に相次いで最高裁で無期懲役が確定した<ref name="神戸テレクラ放火2010"/><ref>{{Cite news|title=神戸テレクラ放火殺人、犯行指示役の無期懲役確定へ|newspaper=日本経済新聞|date=2013-07-10|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1003H_Q3A710C1CC1000/|accessdate=2021-01-24|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180613014549/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1003H_Q3A710C1CC1000/|archivedate=2018年6月13日}}</ref>ほか、実行犯2人も無期懲役が確定している<ref name="神戸テレクラ放火2010">{{Cite news|title=神戸テレクラ放火で無期確定へ 最高裁、元経営者の女|newspaper=47NEWS|date=2010-08-27|url=http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082701000750.html|agency=共同通信社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100830180933/http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082701000750.html|archivedate=2010年8月30日}}</ref>。}}<ref>{{Cite news|title=テレクラ放火殺人:ライバル店経営者に無期懲役 神戸地裁|newspaper=毎日新聞|date=2007-11-28|author=酒井雅浩|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071128k0000e040050000c.html|accessdate=2007-11-28|agency=|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071128155933/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071128k0000e040050000c.html|archivedate=2007年11月28日}}</ref><ref>{{Cite news|title=被告に無期判決 銃撃は無罪 神戸地裁|newspaper=毎日新聞|date=2008-12-09|author=山田泰蔵|url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081209k0000m040149000c.html|accessdate=2008年12月9日|agency=|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081209233416/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081209k0000m040149000c.html|archivedate=2008年12月9日}}</ref>
|未必の殺意による放火事件(3人以上死亡)でも死刑が確定した事例([[昭和郷アパート放火事件]]{{Efn2|同事件では8人が焼死したが、殺意自体が認められず、[[現住建造物等放火罪|放火罪]]のみで死刑判決が言い渡され確定した<ref name="放火殺人の特殊な死刑基準"/>。}}・[[館山市一家4人放火殺人事件]]など)があるため、[[森炎]]は「本人の内面を重視した場合は無期懲役、結果の重大性を重視した場合は死刑が選択される傾向にある」と指摘している<ref name="放火殺人の特殊な死刑基準">{{Cite news|title=なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか 放火殺人の特殊な死刑基準。建物内の人数を知らなければ懲役刑になることも|newspaper=幻冬舎plus|date=2020-09-14|author=[[森炎]]|url=https://www.gentosha.jp/article/16330/|accessdate=2020-09-29|publisher=[[幻冬舎]]|language=ja|archiveurl=http://web.archive.org/web/20200929150254/https://www.gentosha.jp/article/16330/|archivedate=2020年9月29日}}</ref>。
|}
また、[[地下鉄サリン事件]](1995年・[[オウム真理教事件]])の実行犯([[サリン]]散布役)の1人である[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]は、自身がサリンを散布した車両で2人を死亡させた(事件全体では計12人{{Efn2|起訴状による。行政上では死者数は「13人」と認定されているが、13人目は事件翌日に浴室で事故死した男性で<ref>{{Cite news|title=地下鉄サリン死傷者6300人に 救済法の認定作業で調査|newspaper=[[47NEWS]]|date=2010-03-11|url=http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031101000214.html|agency=[[共同通信社]]|language=ja|accessdate=2012-06-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130516151517/http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031101000214.html|archivedate=2013年5月16日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>、起訴状ではこの被害者について「サリン吸引と死亡の因果関係が不明」として殺人未遂罪で起訴されている。その後、2020年3月10日にサリン中毒の後遺症(低酸素脳症)により1人が死亡した<ref>{{Cite news|title=地下鉄サリン事件被害者の○○さん死去 後遺症で|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2020-03-19|author=新屋絵理|url=https://www.asahi.com/articles/ASN3M5HPYN3MUTIL01R.html|accessdate=2020-08-13|publisher=朝日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813140026/https://www.asahi.com/articles/ASN3M5HPYN3MUTIL01R.html|archivedate=2020年8月13日}}</ref>ため、2020年時点では死者は14人である。}}が死亡)。本来ならば死刑を求刑されてもおかしくない事例だったが{{Efn2|実際、東京地検は林郁夫への求刑に当たり、論告で「本来ならば死刑を求刑すべき」と述べているほか<ref>{{Cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a142028.htm|title=質問第二八号 組織犯罪対策法案と死刑に関する質問主意書|accessdate=2020-07-25|publisher=衆議院|author=提出者:[[保坂展人]]|date=1998-04-27|website=[[衆議院]] 公式ウェブサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190722121337/http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a142028.htm|archivedate=2019-07-22}}</ref>、林郁夫以外の実行犯(地下鉄車両へのサリン散布役)4人([[広瀬健一]]・[[横山真人]]・[[豊田亨]]・[[林泰男]])はいずれも求刑通り死刑判決を受け確定した{{Sfn|清田浩司|2020|pp=34-35}}。地下鉄サリン事件ではこのほか、[[麻原彰晃]]([[オウム真理教]]教祖 / オウム事件全般の首謀者)・[[新実智光]](送迎役 / 地下鉄サリン事件以前にも多数の殺人事件に関与)・[[井上嘉浩]](総合調整役)が死刑判決を受け確定した(いずれも2018年に死刑執行)。}}、自首を有利な情状と認定した検察側が死刑求刑を見送り、求刑通り無期懲役判決が確定した<ref group="注">自首は絶対的減軽事由ではなく任意的(裁量的)減軽事由であるため、同じくオウム真理教事件の[[岡崎一明]](2018年に死刑執行)のように、自首の成立自体は認定されても酌量理由とは認められず死刑が確定した例もある。</ref>{{Sfn|清田浩司|2020|pp=34-35}}。

=== 被害者2人の場合 ===
殺害された被害者が2人の事件の場合、計画性が高くなかったり、「主犯ではない」と認定されたりした場合に死刑が回避される傾向が目立っている<ref>『朝日新聞』2012年7月24日東京朝刊第一総合面1頁「死刑選択の判断「先例と比較を」 最高裁、過去の346件分析」(朝日新聞東京本社 記者:青池学)</ref>。また、[[日本弁護士連合会]] (2011) は「異なる機会に2人を殺害した場合には、殺害を繰り返したということで、死刑判断になりやすいが、同じ機会に2人を殺害した場合には無期懲役判断になったものが多い」と報告している(例:[[名古屋アベック殺人事件]]){{Sfn|日弁連|2011|p=146}}。
{| class="wikitable"
|+
!被害者2人で死刑が確定した事例<br/>計96件(1980年 - 2009年)<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
!件数
|-
|(被害者の殺害を)当初から意図した強盗殺人
|41件
|-
|[[保険金殺人|生命保険金目的の殺人]]{{Efn2|被害者2人の保険金殺人は10件中6件で死刑が、4件で無期懲役が確定している{{Sfn|司法研修所|2012|p=116}}。無期懲役が確定した事例には、「既存の保険契約を利用しており、殺害方法が極端に残虐でない事例」「死刑に処された共犯者に比べ、関与の度合いが低かったり、その共犯者から繰り返し誘われた末に加担した事例」「周到な計画性がなかった事例」がある{{Sfn|司法研修所|2012|pp=116-117}}。}}
|6件
|-
|(被害者の殺害を)当初から意図していないが、<br/>{{Nowrap|殺害方法が残虐だったり、強姦・放火を伴ったりした強盗殺人}}
|5件
|-
|無期懲役で仮釈放中の殺人・強盗殺人{{Efn2|殺人が3件{{Sfn|司法研修所|2012|p=115}}([[豊中市2人殺害事件]]:244番など{{Sfn|司法研修所|2012|pp=115, 248}})、強盗殺人が1件{{Sfn|司法研修所|2012|p=120}}([[熊本母娘殺害事件]]:106番){{Sfn|司法研修所|2012|pp=120, 210}}。}}
|4件
|-
|わいせつ目的誘拐殺人{{Efn2|例:[[飯塚事件]](事件一覧表における整理番号:211番){{Sfn|司法研修所|2012|pp=118, 240}}。}}
|2件
|-
|[[身代金]]目的[[誘拐]]殺人{{Efn2|[[富山・長野連続女性誘拐殺人事件]](事件一覧表における整理番号:116番){{Sfn|司法研修所|2012|pp=116, 212}}。}}・無差別殺人{{Efn2|[[池袋通り魔殺人事件]](事件一覧表における整理番号:246番){{Sfn|司法研修所|2012|pp=118, 248}}。}}
|各1件
|}
{| class="wikitable"
|+
!被害者2人で無期懲役が確定した事例<br/>計68件(1980年 - 2009年)<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
!件数
|-
|高度な計画性を伴わない殺人{{Efn2|殺害の計画性が皆無もしくは低かったり、綿密な計画の下で実行されたものでなかったりする場合{{Sfn|司法研修所|2012|pp=119-120}}。例:名古屋アベック殺人事件(事件一覧表における整理番号:131番){{Sfn|司法研修所|2012|pp=120,216}}・[[秋田児童連続殺害事件]]{{Sfn|日弁連|2011|p=147}}(同:341番){{Sfn|司法研修所|2012|pp=120, 272}}。ただし、これらの事件は計画性の低さだけでなく、様々な犯情・情状が考慮されている{{Sfn|司法研修所|2012|p=120}}。}}
|20件
|-
|計画性がない強盗殺人{{Efn2|「家人などに気づかれて殺害におよび、同一機会に2人を殺害した場合」(5件)「複数機会に事後強盗殺人ないしそれに近い類型の強盗殺人を犯した場合」(1件)「犯行現場で被害者と借金の申し出に関するやり取りをしたが、断られたことをきっかけに強盗殺人に至った事例」(2件)など{{Sfn|司法研修所|2012|p=123}}。ただし、犯行現場で強盗殺人の犯意が発生した場合でも、殺害方法の残虐さや強固な殺意などが考慮され、死刑が確定した事例もある{{Sfn|司法研修所|2012|pp=124-125}}。}}、主犯ではない強盗殺人
|各9件
|-
|被害者との関係に同情すべき事情がある強盗殺人
|5件
|-
|利欲目的だが、犯行までに相当悩んでいたり、残虐性が薄い殺人
|2件
|}

=== 被害者1人で死刑が確定した事例 ===
一方で1人死亡の事件の場合は、本判決で「永山基準」が示されて以降、死刑回避の傾向が強まっている<ref>『[[静岡新聞]]』2008年2月29日夕刊一面1頁「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」(静岡新聞社)</ref>。「永山基準」以降、被害者1人の殺人事件で死刑が確定した死刑囚の人数は(2008年2月 / [[三島女子短大生焼殺事件]]の加害者の死刑が確定する直前時点で)24人だが、以下のような事情がある場合に限られている<ref>『静岡新聞』2008年3月1日朝刊一面1頁「三島・短大生焼殺死刑確定へ、残虐性や遺族感情重視-最高裁『更生可能性乏しい』」(静岡新聞社:社会部記者・薮崎拓也)</ref>。
* 過去に別の事件で無期懲役に処されたにも拘らず、その仮釈放中に再び殺人(および強盗殺人)事件を起こした事例<ref name="共同通信2019-12-07"/>
* 高度な計画性を有する事件{{Efn2|name="14件"|1980年 - 2009年に死刑が確定した被害者1人の強盗殺人(全14件)のうち、8件は当初から被害者の殺害を計画していたケースで{{Sfn|司法研修所|2012|p=113}}<ref name="共同通信2019-12-07">{{Cite news|title=新潟女児殺害、死刑判決とならない事情 最高裁が求める「慎重さ」「公平性」、裁判員を説得か|newspaper=[[47NEWS]]|date=2019-12-07|url=https://this.kiji.is/575630482034885729|accessdate=2020-07-22|agency=[[共同通信社]]|language=ja|author=竹田昌弘|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200722142405/https://this.kiji.is/575630482034885729|archivedate=2020年7月22日}}</ref>、ほか6人は無期懲役の仮釈放中に再犯した者である{{Sfn|司法研修所|2012|p=113}}。残る1人は確定判決前の事件(強盗強姦・強盗殺人)で無期懲役に、確定判決後の事件(強盗強姦・強盗殺人)で死刑に処されており、実質的には被害者複数の強盗殺人である{{Sfn|司法研修所|2012|p=113}}。}}<ref name="共同通信2019-12-07"/> - [[身代金]]およびわいせつ目的の[[誘拐]]殺人・[[保険金殺人]]など<ref name="産経新聞2019-12-18">{{Cite news|title=新幹線殺傷 「死刑になりたくない」 適用基準を「逆手」 無期求刑に批判も|newspaper=産経新聞|date=2019-12-18|url=https://www.sankei.com/affairs/news/191218/afr1912180031-n1.html|accessdate=2020-07-22|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200111100447/https://www.sankei.com/affairs/news/191218/afr1912180031-n1.html|archivedate=2020年7月22日}}</ref>(後述)。
* 被害者への性犯罪の既遂、特段の残虐性などが重視された事例<ref>『静岡新聞』2009年2月18日夕刊三面3頁「『無期』身じろぎせず ××被告、目伏せたまま 遺族はため息-江東区・女性殺害」(静岡新聞社)※[[江東マンション神隠し殺人事件]]の関連記事。伏字部分は加害者の姓。</ref> - [[奈良小1女児殺害事件]]・'''[[三島女子短大生焼殺事件]]'''など
「国民の常識を刑事裁判に反映させる」との趣旨から(2009年に)[[裁判員制度]]が導入されて以降、殺害された被害者が1人の事件では(2017年までに)計4件で裁判員裁判により被告人に死刑判決が言い渡されたが、被告人が控訴を取り下げて確定した1事件(岡山元同僚女性バラバラ殺人事件)を除き、いずれも控訴審(職業裁判官のみの審理)で死刑判決が破棄され、無期懲役が言い渡されている(後述)<ref>{{Cite news|title=【神戸女児殺害】減刑5例目「裁判員死刑」覆る…”市民感覚とのズレ”浮き彫りに(1/2ページ)|newspaper=[[産経新聞]]|date=2017-03-10|url=https://www.sankei.com/west/news/170310/wst1703100035-n1.html|accessdate=2020-07-28|publisher=[[産業経済新聞社]]|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200728125259/https://www.sankei.com/west/news/170310/wst1703100035-n1.html|archivedate=2020年7月28日}} - [[神戸長田区小1女児殺害事件]](裁判員裁判で死刑判決が言い渡されたが、控訴審で破棄され無期懲役となった被害者1人の事件)の関連記事。</ref>。

以下、'''太字'''は最高裁が死刑判決を是認したケースである。
{| class="wikitable"
|+
!{{Nowrap|被害者1人で死刑が確定した事例}}<br/>計32件(1980年 - 2009年)<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
!件数
!事例
!概説
!備考
|-
| rowspan="6" |無期懲役で仮釈放中の<br />殺人・強盗殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
| rowspan="6" |10件<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
|'''[[東京都北区幼女殺害事件]]'''<ref group="注" name="本判決以前"/>(1979年)
|3歳女児にわいせつ行為を行った上で殺害したほか、別に5歳女児への強制わいせつ1件の余罪あり{{Sfn|永田憲史|2017|p=327}}。少年時から幼女への強姦未遂を含むわいせつ行為を繰り返し、7歳女児への強姦殺人で{{Sfn|永田憲史|2017|p=327}}無期懲役に処された。
| rowspan="6" |1980年 - 2009年に判決が確定した事件のうち、この場合に該当する死刑求刑事件は計10件(殺人・強盗殺人とも各5件)あるが、すべて死刑が確定している{{Sfn|司法研修所|2012|p=110}}{{Sfn|司法研修所|2012|p=113}}。
|-
|'''[[福岡県直方市強盗殺人事件]]'''<ref name="本判決以前" group="注" />(1980年)
|仮出所1年後から窃盗を繰り返し、強盗致傷(被害者への大きな後遺症)など多数の余罪があった{{Sfn|永田憲史|2017|p=325}}。
|-
|[[福島女性飲食店経営者殺害事件]](1990年)
|一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。
|-
|'''[[福山市独居老婦人殺害事件]]'''(1992年)
|第一審・控訴審における判決は無期懲役だったが、最高裁は1999年に検察官の上告を容れて破棄差戻し。差戻後の控訴審で死刑が言い渡され、2007年に確定(詳細な経緯は[[#1999年]]の節を参照)。
|-
|川口バラバラ殺人事件(1999年){{Efn2|1978年に[[千葉県]]で強盗殺人事件を起こしたとして同年9月に強盗殺人罪で無期懲役判決を受け、1998年1月に仮釈放されたが、出所後の1999年1月9日に被害者女性(当時21歳)と喧嘩になって女性を殺害した<ref>『読売新聞』1999年7月6日東京朝刊埼玉南版地方面32頁「川口のバラバラ殺人 仮出所、1年後の凶行 起訴事実認める=埼玉」(読売新聞東京本社・浦和支局)</ref>。}}
|第一審では「被害者は1人で、衝動的な犯行である」として無期懲役が言い渡されたが、控訴審<ref group="注" name="高橋省吾"/>では犯罪性向の強さ、犯行の残忍さが重視され、死刑が言い渡された{{Efn2|東京高裁は「20年間服役したにも拘らず、出所直後に殺人を再び犯した」「(被害者の遺体を切り刻んで遺棄した点は)極めて悪質で、人命への畏敬の念が全く感じられない」と指摘した{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=165}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=165}}。弁護人が上告したが、後に被告人が自ら取り下げたため死刑が確定{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=165}}。
|-
|[[宇都宮実弟殺害事件]](2005年)
|一・二審とも死刑判決を受け、上告取り下げにより確定。
|-
| rowspan="4" |当初から殺害を計画していた<br />強盗殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
| rowspan="4" |8件<ref name="朝日新聞2012-07-24 2"/>
|'''[[東村山署警察官殺害事件]]'''<ref name="本判決以前" group="注" />(1976年)
|政治家家族の誘拐に用いるための拳銃強取を企て、職務中の警察官を襲い殺害{{Sfn|永田憲史|2017|p=329}}。同じ動機で強盗傷人を犯した前科{{Sfn|永田憲史|2017|p=329}}(懲役7年)があった{{Sfn|司法研修所|2012|p=114}}。
|
|-
|'''[[福岡病院長殺人事件]]'''(1979年)
|2人による共犯事件(2人とも死刑確定){{Sfn|司法研修所|2012|p=114}}。<br/>資産家として知られていた病院長に狙いをつけ{{Sfn|司法研修所|2012|p=114}}、被害者をおびき出す方法、犯行の日時場所、被害者の家族を利用した金員の強奪方法、犯行の隠蔽(遺体の解体・運搬・遺棄など)方法について緻密に計画を練り上げ、周到な準備の上で実行した犯行<ref>{{Cite 判例検索システム|事件番号=昭和59年(あ)第512号|裁判年月日=1988年(昭和63年)4月15日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=判決|判例集=集刑 第249号335頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58377|事件名=強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂被告事件|判示事項=死刑事件(病院院長殺害事件)}} - [[福岡病院長殺人事件]](1979年発生)の上告審判決文。
* 最高裁判所裁判官:[[香川保一]](裁判長)・[[牧圭次]]・[[島谷六郎]]・[[藤島昭]]・[[奥野久之]]</ref>。<br/>被害者の医師を監禁して刺し、大量出血で苦しみ哀願するのを無視して15時間放置{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。2,000万円を要求しようとしたが失敗し、被害者を殺害した上で死体をバラバラにして海に投棄した{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。動機は経営上の借金・遊興が原因で、遺体の一部未発見に乗じ、さらに金員を得ようとしていた{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。
|被害者1人の殺人事件で複数被告人の死刑が確定した事例は、2009年時点で同事件(1988年4月の上告審判決により2被告人の死刑が確定)のみである{{Efn2|なお控訴審・上告審で被告人2人(いずれも1996年に死刑執行)のうち1人の弁護人を担当した岩城邦治弁護士は、死刑囚の刑執行後に「自分は死刑制度そのものに反対だが、1人の死に対し、2人の死を以て報いる量刑自体が重すぎる」と述べている<ref>『朝日新聞』1996年7月12日西部朝刊第14版第二社会面26頁「病院長殺人事件 2人の死刑執行 関係者等胸中複雑 一人の死に報い重すぎる/残忍、同情の余地なし」([[朝日新聞西部本社]])</ref>。}}<ref name="法学セミナー"/>。
|-
|[[闇サイト殺人事件]](2007年)
|犯人3人のうち1人(イニシャルKT)は第一審で死刑判決を受け<ref name="法学セミナー">{{Cite journal|和書|journal=[[法学セミナー]]|title=ロー・フォーラム 裁判と争点 被害者1人、異例の死刑判決 闇サイト殺人で名古屋地裁|page=139|date=2009-06-01|url=https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/5038.html|issue=654|publisher=[[日本評論社]]}}</ref>、いったん控訴したが、自ら取り下げて死刑が確定した。
* KTと堀慶末に死刑を言い渡した[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]] (2009) は、計画性の高さや{{Efn2|名古屋地裁 (2009) は「被告人3人は『楽をして金儲けしよう』と考えて犯罪計画を立て、犯行前の謀議により、被害者を拉致・殺害し、遺体を遺棄することまで計画した上で犯行におよんだ」と認定した<ref name="闇サイト判決要旨">『読売新聞』2009年3月19日東京朝刊19頁「闇サイト殺人事件判決の要旨」(読売新聞東京本社)</ref>上で、「同事件は監禁場所・殺害方法について詳細な計画はなかったが、計画自体が『通行中の女性を物色して襲う』というもので、具体的・詳細な方法は成り行きに任せざるを得ない部分があることは当然。最後に被害者を殺害する点は当初の計画通りに実行された。より綿密詳細な計画が立てられていた事件と比べ、刑の選択を分けるほど有利な事情は認められない」<ref name="闇サイト判決要旨"/>「事前にロープ・ハンマー・包丁などを用意し、何人もの女性を追尾した計画的な犯行。素性を知らない者同士が悪知恵を出し合い、虚勢を張り合った、1人では行えない凶悪な犯行」と認定した<ref name="法学セミナー"/>。}}インターネットの[[闇サイト]]を悪用した犯行の特殊性{{Efn2|名古屋地裁 (2009) は「闇サイトを悪用した犯行は凶悪化・巧妙化しやすく危険。また匿名性が高いため、発覚が困難で模倣性も高く{{Efn2|匿名性については「仮に犯行後、集団が解消され、それぞれが連絡手段を絶ってしまえば、犯罪者を発見・検挙することが著しく困難になることが予想される。このような犯罪は誠に悪質で、社会の安全に与える影響も大きく、一般予防の必要性も高い」と指摘した<ref name="闇サイト判決要旨"/>。その上で、自首した被告人1人については「自首の動機はKT・堀に腹を立てたことによると考えられるが、自首しなければ捜査は相当難航したことも予想され、その場合は次の犯行が行われた可能性が否定できない。自首したことでKT・堀の逮捕に協力したことは量刑要素として大きく評価できる」として、死刑を回避した<ref name="闇サイト判決要旨"/>。}}、厳罰で臨む必要性が高い」と指摘し<ref name="法学セミナー"/>。}}を指摘し<ref name="法学セミナー" />、「3人の刑事責任は同等であり、(自首によって事件解決に貢献した1人を除き)死刑が妥当」と結論づけた{{Efn2|名古屋地裁 (2009) は「KTは殺害の計画・実行に最も積極的に関与した。堀も当初から犯行計画を積極的に提案し、特に『人を拉致して強盗する』という計画を当初から提案した上、殺害実行行為にもKTに次いで積極的に行っていた」と認定したほか、自首した被告人1人(無期懲役)についても「結果的に、他2人と比べれば殺害実行行為への関与は程度が低いが、闇サイトへの投稿によりKT・堀を集めたほか、(未遂には終わったが)被害者に性的暴行を加えようとした」と認定し、「KTの有する知識・経験を頼り、互いが互いを利用し合い、3人という集団で犯罪を行うことで自らの利欲目的を満たそうとした犯行。3人の間に量刑選択を分かつほどの差異は認められない」と結論付けた<ref>『中日新聞』2009年3月19日朝刊ラジオ愛知県面29頁「千種拉致殺害事件 名古屋地裁判決の要旨」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="法学セミナー" />。
* しかしKT以外の被告人2人(堀と無期懲役判決を受けた被告人)が控訴したところ、[[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]] (2011) は「第一審が指摘したように『逮捕が困難で模倣性が高い』とは言えず{{Efn2|その理由として、名古屋高裁 (2011) は「インターネットを通じて知り合った素性を知らない者同士の犯行は、意思疎通の不十分さから失敗に終わりやすく、携帯電話・メールの履歴など痕跡が残るため、発覚が困難とは考え難い」と指摘した<ref name="中日新聞2011-04-13"/>。}}、他の強盗殺人などと比べて過度に強調して厳罰で臨むことは相当ではない」「2被告人の刑事責任は被害者の殺害を提案したKTより軽く、綿密な殺害計画もない。2人とも重い前科はなく、矯正可能性がある」として、2被告人に無期懲役判決を言い渡した<ref name="中日新聞2011-04-13">『中日新聞』2011年4月13日朝刊一面1頁「闇サイト殺人 2被告に無期懲役 名高裁判決 死刑破棄 『模倣性高いといえず』」(中日新聞社)「被害者1人判例を踏襲 破棄、より丁寧な説明を」(社会部:加藤文)</ref>。
|共犯者の堀慶末{{Efn2|堀は死刑確定前の2019年5月、[[インパクト出版会]]から実名で著書『鎮魂歌』を発刊している<ref>{{Cite book|和書|author=堀慶末|title=鎮魂歌|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/282|publisher=[[インパクト出版会]]|date=2019-05-25|edition=第1刷発行|editor=(発行人:深田卓)|pages=|isbn=978-4755402968}}</ref>。}}は同事件で無期懲役が確定した後(2012年8月以降)、[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]への関与が発覚して強盗殺人罪・同未遂罪(2人死亡・1人負傷)で起訴され、2019年に最高裁で死刑が確定した<ref>{{Cite news|title=愛知・碧南の夫婦殺害、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2019-07-19|author=北沢拓也|url=https://www.asahi.com/articles/ASM7M4Q37M7MUTIL02B.html|accessdate=2020-08-13|publisher=朝日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813143041/https://www.asahi.com/articles/ASM7M4Q37M7MUTIL02B.html|archivedate=2020年8月13日}}</ref>。
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|'''[[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華街料理店主射殺事件]]'''(2004年){{Efn2|現住建造物等放火未遂、建造物侵入・強盗未遂、強盗殺人、強盗殺人未遂を起こした<ref name="最高裁2011-03-01"/>。}}<ref name="最高裁2011-03-01">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成19年(あ)第1006号|裁判年月日=2011年(平成23年)3月1日|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|判例集=集刑 第303号57頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/403/081403_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=81403|事件名=銃砲刀剣類所持等取締法違反、強盗殺人未遂、強盗殺人、建造物侵入、強盗未遂、現住建造物等放火未遂被告事件|判示事項=死刑の量刑が維持された事例(中華料理店主射殺事件)}} - [[渋谷駅駅員銃撃事件]]・横浜中華街料理店主射殺事件などの上告審判決文。[[最高裁判所裁判官]]:[[田原睦夫]](裁判長)・[[那須弘平]]・[[岡部喜代子]]・[[大谷剛彦]]</ref>
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第一審判決は無期懲役だったが、控訴審{{Efn2|name="高橋省吾"|東京高裁([[高橋省吾]]裁判長){{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=165}}<ref name="朝日新聞2007-04-25"/>。}}で死刑となり<ref name="朝日新聞2007-04-25" />、上告棄却判決により確定<ref name="最高裁2011-03-01" />。
* 犯行の残虐さ{{Efn2|殺傷力の高い強力な拳銃を使用した点{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=164}}、被害者の右頬に銃口を押し付けて撃ち抜いた点<ref name="朝日新聞2007-04-25"/>。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=164}}、犯罪性向の強さ{{Efn2|同事件の加害者は以前に7回服役していたが、服役中から犯行計画を練り続けており、出所翌月から一連の事件を起こした{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=163-164}}。}}<ref name="朝日新聞2007-04-25">『朝日新聞』2007年4月25日東京夕刊第一社会面17頁「連続銃撃、高裁は死刑 無期覆す 『殺害1人でも残忍』」(朝日新聞東京本社)</ref>(多数の前科)、強い利欲的動機や計画性の高さ{{Efn2|事前に下見を繰り返すなど<ref name="最高裁2011-03-01"/>。}}に加え、強盗殺人未遂事件の被害者が重篤な後遺症を負った点{{Efn2|同事件の被害者は脊椎を損傷したほか、(右足の完全麻痺など)両下肢機能障害といった後遺症を負い<ref name="最高裁2011-03-01"/>、社会的な活動を制限された{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=164}}。東京高裁で裁判長を担当した高橋は『読売新聞』社会部 (2009) の取材に対し「一連の事件の死者は1人だが、(渋谷駅事件で重い後遺症を負った被害者の存在を考慮すれば)限りなく2人殺害に近い」と述べている{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=164}}。}}などが重視された<ref name="最高裁2011-03-01" />。
|同事件の死刑確定は2011年であるため、司法研修所 (2012) の報告書には未記載。
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| rowspan="4" |当初から殺害を計画していた<br />身代金目的誘拐殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2" />
| rowspan="4" |5件<br />{{Nowrap|(全10件)}}{{Sfn|司法研修所|2012|p=110}}
|'''{{Nowrap|[[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]]}}'''<ref group="注" name="本判決以前" />(1980年){{Efn2|1987年(昭和62年)7月に最高裁で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けたため死刑が確定<ref name="中日新聞1987-07-09"/>。1995年12月に[[名古屋拘置所]]で死刑執行<ref>『中日新聞』1995年12月21日夕刊一面「A子さん誘拐殺人 木村死刑囚の刑執行」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="中日新聞1987-07-09">『中日新聞』1987年7月9日夕刊一面1頁「木村の死刑確定 最高裁が上告棄却 A子さん誘拐殺人 『冷酷、同情の余地なし』」(中日新聞社) - [[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]]の関連記事。同事件の死刑囚(1995年に死刑執行)は生前、実名で著書『本当の自分を生きたい。』(インパクト出版会)を発刊している。</ref>
|殺害も含めて計画・準備していた{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。
| rowspan="4" |司法研修所 (2012) は「身代金目的の誘拐殺人は、一般的に犯行の計画性が高いとされるが、特に被害者の殺害まで計画された場合は被害者の生命侵害の危険性が極めて高いため、生命軽視の度合いが大きいと考慮されていると思われる」と報告している{{Sfn|司法研修所|2012|p=111}}。<br/>一方、身代金目的の誘拐殺人(1人殺害)でも無期懲役が確定した事例もある(10件中5人)が、それらの事件はいずれも誘拐前から被害者の殺害を計画していた事案ではない{{Sfn|司法研修所|2012|p=111}}。
* [[山梨県]]内で発生した5歳男児誘拐殺人事件(1980年8月){{Efn2|同事件の被告人に対し、第一審では[[甲府地方裁判所|甲府地裁]](芥川具正裁判長)で1982年3月30日に死刑判決が言い渡された<ref group="注" name="本判決以前"/><ref name="朝日新聞1982-03-30">『朝日新聞』1982年3月30日東京夕刊第4版第二社会面12頁「山梨の○○ちゃん誘拐殺人 Kに死刑判決 甲府地裁 心神喪失認めず」(朝日新聞東京本社)</ref>が、控訴審で東京高裁刑事第3部(鬼塚賢太郎裁判長)は1985年3月20日に原判決を破棄して無期懲役判決を言い渡し{{Efn2|加害者の男(元電気工事業)は放漫経営と遊興から、材料仕入れ代などの借金返済に困り、身代金目的誘拐を計画<ref name="朝日新聞1982-03-30"/>。1980年8月2日、山梨県[[東八代郡]][[一宮町 (山梨県)|一宮町]](現:[[笛吹市]])で5歳の被害者男児(保育園児)を誘拐し、被害者宅に電話で「11日までに身代金1,000万円を用意しろ」と要求<ref name="朝日新聞1982-03-30"/>。誘拐から2日後の8月4日夜、同県[[中巨摩郡]][[敷島町]]の山中で被害者を扼殺し、死体を埋めた<ref name="朝日新聞1982-03-30"/>。甲府地裁 (1982) は被告人の反省の情・更生可能性を評価しつつも、泣き叫ぶ被害者男児を殺害した残忍さ、幼児誘拐殺人という犯罪の模倣性の強さを重視して死刑判決を言い渡した{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=157-158}}が、無期懲役を選択した東京高裁 (1985) は「犯行は残忍・冷酷だが、被害者を見失い、いったんは誘拐を諦めるなど、犯行に躊躇もある。身代金の要求も場当たり的で、必ずしも緻密な計画に基づく行為とは言い難い」と判断した<ref name="朝日新聞1985-03-20"/>。鬼塚は退官後、『読売新聞』社会部記者からの取材に対し「少しでも酌量の余地があれば、死刑から救ってやりたいと思っていた」と回顧している{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=157-158}}。}}<ref name="朝日新聞1985-03-20">『朝日新聞』1985年3月20日東京夕刊第4版第一社会面19頁「山梨の園児誘拐犯K 死刑破棄し無期 東京高裁判決」(朝日新聞東京本社)</ref>、無期懲役が確定した{{Efn2|同事件の加害者(受刑者)は2008年11月時点で[[千葉刑務所]]に服役している{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=159}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=157-158}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=157-158}}
* [[甲府信金OL誘拐殺人事件]](1993年){{Efn2|同事件は死刑が確定した名古屋女子大生誘拐殺人事件と犯行形態が類似していたが、甲府地裁([[三浦力]]裁判長)は被告人の更生可能性{{Efn2|三浦自身は「一般的には死刑判決の方が理解を得られるかもしれない」と考えていたが、甲府地裁 (1995) は「犯行態様は計画的かつ冷酷・残忍だが、被告人に前科はなく、犯行に至るまで普通に勤務していた。また『追及の手から逃れられない』と観念した結果とはいえ、自ら警察に出頭し、犯行内容を詳細に供述した」として死刑を回避した{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=168}}。}}を重視し、1995年3月9日に無期懲役判決(求刑:死刑)を言い渡した{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=166}}。控訴審・東京高裁(1996年4月)も「近年、その罪種の如何に拘らず、殺害された被害者が1名の事案については、死刑の適用は依然と対比してやや控えめな傾向がある」と指摘して第一審判決を支持し、検察が上告を断念したため無期懲役が確定している{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=170}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=166-170}}。
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|'''日立女子中学生誘拐殺人事件'''(1978年){{Efn2|1988年(昭和63年)に最高裁で死刑が確定{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。しかし死刑は執行されず、2013年6月に収監先・東京拘置所で病死<ref name="日本経済新聞2013-06-24"/>。}}<ref name="日本経済新聞2013-06-24">{{Cite news|title=中学生誘拐殺人のW死刑囚が死亡 東京拘置所|newspaper=日本経済新聞|date=2013-06-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2400Z_U3A620C1CC0000/|accessdate=2020-08-27|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200827140503/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2400Z_U3A620C1CC0000/|archivedate=2020年8月27日}}</ref>
|被害者を誘拐する以前から殺害も含めて計画していたほか、被害者への準強姦未遂{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。
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|'''[[泰州くん誘拐殺人事件]]'''(1984年){{Efn2|1991年(平成3年)に最高裁で死刑が確定{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。1998年11月に[[広島拘置所]]で死刑執行<ref name="中日新聞1998-11-19"/>。}}<ref name="中日新聞1998-11-19" />
|計画性は低かったが、誘拐から1時間半後に{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}「足手まといになる」との理由で被害者(9歳男児)を殺害{{Sfn|司法研修所|2012|p=111}}。控訴審では「被害者の誘拐を決意した後の被告人の行動に照らすと、まさに計画的犯行に比すべきものがあると思料される」と評価されている{{Sfn|司法研修所|2012|p=111}}。
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|'''[[熊本大学生誘拐殺人事件]]'''(1987年){{Efn2|1998年(平成10年)4月に最高裁で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けたため死刑が確定し、2002年9月に死刑執行{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=193}}。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=191}}
|殺害も含めて計画していたほか、殺害した被害者の恋人を監禁して集団で強姦した{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}。共犯者3人は無期懲役(1人)および有期懲役刑(2人)が確定。
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| rowspan="3" |わいせつ目的誘拐殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2" />
| rowspan="3" |3件<ref name="朝日新聞2012-07-24 2" />
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[[奈良小1女児殺害事件]](2004年){{Efn2|わいせつ誘拐罪・強制わいせつ致死罪・殺人罪・死体損壊罪・死体遺棄罪・脅迫罪など<ref>{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[奈良地方裁判所]]刑事部|裁判種別=判決|事件番号=平成17年(わ)第10号・平成17年(わ)第47号・平成17年(わ)第87号|事件名=[[略取・誘拐罪|わいせつ誘拐]]、[[強制わいせつ罪|強制わいせつ致死]]、[[殺人罪 (日本)|殺人]]、[[死体損壊・遺棄罪|死体損壊、死体遺棄]]、[[脅迫罪|脅迫]]、[[窃盗罪|窃盗]]、強制わいせつ被告事件|裁判年月日=2006年(平成18年)9月26日|判例集=『[[判例タイムズ]]』第1257号336頁、『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28145058|判示事項=|裁判要旨=女児1名をわいせつ目的で誘拐し、わいせつ行為をしたうえで殺害したというわいせつ目的誘拐、強制わいせつ致死、殺人等の罪に問われた被告人に対し、死刑が言い渡された事例。|url=|ref={{SfnRef|奈良地裁|2006}}}} - 裁判官:[[奥田哲也 (裁判官)|奥田哲也]](裁判長)・[[松井修 (裁判官)|松井修]]・伊藤昌代</ref>。}}<ref>{{Cite news|title=奈良女児殺害:K被告に死刑判決 求刑通り|newspaper=毎日新聞|author=高瀬浩平|date=2006-09-26|url=http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060926k0000e040052000c.html|accessdate=2006-10-17|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061017044535/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060926k0000e040052000c.html|archivedate=2006年10月17日}}</ref>
|被害者女児(当時7歳)をわいせつ目的で誘拐し、犯行の発覚を恐れて殺害した<ref name="朝日新聞2006-09-26">『朝日新聞』2006年9月26日東京夕刊第4版第一総合面1頁「奈良女児殺害 死刑 地裁判決 『更生の可能性ない』 被害者1人で適用」(朝日新聞東京本社) - [[奈良小1女児殺害事件]]の関連記事。</ref>。第一審で死刑判決が言い渡され、被告人の控訴取り下げにより確定。
* 加害者が女児に対する強制わいせつ致傷罪などの前科を有していた点、被害者を強姦後に殺害する意図を有していた{{Efn2|[[奈良地方裁判所]] (2006) は「被告人は『被害者(女児)をそのまま自宅に帰せば犯罪が明るみに出る』と考え、女児を強姦した後に殺害することを考えていたところ、浴室内でわいせつ行為をした女児に抵抗されたため、犯行を恐れて殺害におよんだ。本件は偶発的な事情からとっさに殺意を抱いて犯した激情犯的な犯行とは全く異なるもので、その動機は身勝手極まりなく酌量の余地はない」と認定している<ref>『朝日新聞』2006年9月26日東京夕刊第4版第三総合面3頁「奈良女児殺害 判決理由の要旨」(朝日新聞東京本社) - [[奈良小1女児殺害事件]]の関連記事。</ref>。}}点、被害者である幼女が性的被害に遭っている点、殺害後に遺体を傷つけた点などが重視された<ref name="朝日新聞2006-09-26" />。
| rowspan="3" |司法研修所 (2012) によれば、わいせつ・姦淫目的で誘拐した後の殺人は計10件あるが、いずれも一連の犯行に着手する前に被害者への殺意を抱いていた事例ではなく、10件中7件で無期懲役が確定している{{Efn2|例:[[名護市女子中学生拉致殺害事件]](1996年発生){{Sfn|司法研修所|2012|pp=236-237}}・[[江東マンション神隠し殺人事件]](2008年発生){{Sfn|司法研修所|2012|pp=272-273}}。}}{{Sfn|司法研修所|2012|p=112}}。<br/>三島事件は殺害された被害者が1人で、利欲目的・高度な計画性を伴わない事件であるが、殺人前科を有さない被告人に死刑判決が言い渡された。これは極めて異例なケースとされる<ref>『読売新聞』2005年3月29日東京夕刊第一社会面27頁「三島の短大生焼殺 東京高裁が無期破棄、死刑判決 『極めて残虐、非情』」(読売新聞東京本社)</ref>。
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|[[群馬女子高生誘拐殺人事件]](2002年){{Efn2|殺人罪・わいせつ略取罪・強姦罪など<ref name="群馬"/>。}}<ref name="群馬">{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第11刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成15年(う)第2869号|事件名=殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身の代金取得、住居侵入、強盗、傷害被告事件|裁判年月日=2004年(平成16年)10月29日|判例集=『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105255|判示事項=|裁判要旨=}} - [[群馬女子高生誘拐殺人事件]]の控訴審判決。裁判官:[[白木勇]](裁判長)・[[高橋徹 (裁判官)|高橋徹]]・[[忠鉢孝史]]</ref>
|被害者(女子高生)を誘拐・強姦後に殺害し、被害者の両親に身代金を要求して受け取った<ref name="群馬" />。第一審判決は無期懲役だったが、控訴審で死刑となり<ref>『読売新聞』2004年10月29日東京夕刊第一社会面23頁「群馬・大胡の女子高生殺害 一審破棄、死刑判決/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>、上告せず確定<ref>『読売新聞』2004年11月13日東京朝刊第三社会面37頁「群馬・大胡の女子高生殺害 S被告の弁護側、死刑判決に上告せず」(読売新聞東京本社)</ref>。
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|'''[[三島女子短大生焼殺事件]]'''<ref name="共同通信2019-12-07"/>(2002年)
|被害者(女子短大生)を拉致・監禁して強姦した後、灯油をかけて焼き殺した<ref name="三島事件控訴審判決">{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第6刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成16年(う)第605号|事件名=逮捕監禁・強姦・殺人被告事件|裁判年月日=2005年(平成17年)3月29日|判例集=『[[判例時報]]』第1891号166頁、『[[判例集|高等裁判所刑事裁判速報集(平17)号]]』71頁、『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28105234、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105234|判示事項=|裁判要旨=|url=}} - 裁判官:[[田尾健二郎]](裁判長)・鈴木秀行・山内昭善</ref>。第一審判決は無期懲役だったが、控訴審で死刑となり{{Efn2|控訴審判決 (2005) は被告人が過去に少年時代から非行を繰り返し、強盗致傷罪で服役するなどした犯罪性向の深さに加え、犯行態様の悪質さ・残虐な殺害方法・改善更生可能性の乏しさなどを重視した<ref name="三島事件控訴審判決"/>。}}、最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定。
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|生命保険金目的の殺人<ref name="朝日新聞2012-07-24 2" />
|2件<br />(全7件)<ref name="朝日新聞2012-07-24 2" />
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'''日建土木保険金殺人事件'''{{Sfn|永田憲史|2017|p=324}}(1976年){{Efn2|1989年3月に最高裁で死刑が確定し、1998年11月に名古屋拘置所で死刑執行<ref name="中日新聞1998-11-19">『中日新聞』1998年11月19日夕刊一面1頁「3死刑囚の刑を執行 名古屋拘置所 ××(日建土木保険金殺人事件の死刑囚の実名)死刑囚ら 氏名除き初公表」(中日新聞社)</ref>。}}<ref name="最高裁1989-03-28">{{Cite 判例検索システム|事件番号=昭和56年(あ)第1552号|裁判年月日=1989年(平成元年)3月28日|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|判例集=集刑 第251号413頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/195/058195_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58195|事件名=殺人予備、殺人未遂、殺人、死体遺棄、詐欺未遂被告事件|判示事項=死刑事件(保険金目的殺人事件)}} - 最高裁判所裁判官:[[安岡満彦]](裁判長)・[[伊藤正己]]・[[坂上壽夫]]・[[貞家克己]]</ref><ref name="中日新聞1998-11-19">『中日新聞』1998年11月19日夕刊一面1頁「3死刑囚の刑を執行 名古屋拘置所 ××(日建土木保険金殺人事件の死刑囚の実名)死刑囚ら 氏名除き初公表」(中日新聞社)</ref>
|自身が実権を握る会社の代表役員へ3億円の大型保険契約を掛け、その役員を殺害することで保険金を詐取することを計画した上で、Xら共犯者2人と共謀し、1976年7月 - 8月に役員を川・ダムへ連れ出して殺害しようとしたが、危険を察知され身を隠されたため失敗した<ref name="最高裁1989-03-28"/>。<br/>その後、Xおよび自分の親分([[暴力団]]連合会会長)らと共謀し、同年9月に役員を自動車で轢き殺そうとしたが失敗したため、1977年1月にXや兄弟分の暴力団幹部らと共謀し、別の役員に同様の保険を掛けた上で自動車内にて絞殺し、遺体を遺棄した<ref name="最高裁1989-03-28"/>。そして翌2月 - 3月にかけ、その役員が他人に殺害されたかのように装って保険金を詐取しようとしたが、保険会社が不審を抱いたため未遂に終わった<ref name="最高裁1989-03-28"/>。<br/>死刑判決を受け確定した被告人は同事件の首謀者とされたほか、保険金殺人の既遂1件以外に未遂2件も認定されている{{Sfn|司法研修所|2012|p=111}}。<br/>同事件ではほかにもう1人の加害者が一・二審で死刑判決を受けたが、この共犯者は最高裁で死刑判決を破棄(自判)され、無期懲役判決を受け確定している{{Efn2|この被告人(無罪を主張)について、最高裁第二小法廷([[根岸重治]]裁判長)は1996年9月20日に「(一・二審は「背後で死刑囚を操っていた」と認定したが)積極的に殺人計画を推進した共犯者(死刑囚)に引きずられたのであって、主導性は死刑囚より劣る。命を狙われた被害者は3人だが、結局殺害されたのは1人で、この被告人は殺人の実行行為・殺害方法の謀議には関与していない」として死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した<ref name="中日新聞1996-09-21">『中日新聞』1996年9月21日朝刊第一社会面25頁「名古屋の保険金殺人 最高裁が死刑破棄 戦後2度目 △△被告に無期判決」(中日新聞社)</ref><ref name="最高裁1996-09-21">{{Cite 判例検索システム|事件番号=昭和63年(あ)第589号|裁判年月日=1996年(平成8年)9月20日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=判決|判例集=刑集 第50巻8号571頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/377/050377_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50377|事件名=殺人、殺人未遂、殺人予備、詐欺、詐欺未遂被告事件|判示事項=死刑の選択がやむを得ないと認められる場合に当たるとはいい難いとして原判決及び第一審判決が破棄され無期懲役が言い渡された事例|裁判要旨=保険金を騙取する目的で、暴力団幹部と共謀して殺人予備、殺人未遂、殺人等の罪を犯すなどしたという本件事案の性質や罪質の重大性、一連の犯行は、被告人が発案し暴力団幹部に計画を持ち掛けたのを契機として企図され、実行に移されたもので、被告人は、各被害者に保険を掛けるなどしたほか、直接殺人予備行為をし、保険金を騙取したり保険会社に保険金を支払うよう執ように請求したなど、被告人の果たした役割の重要性等を考慮しても、一連の犯行で殺害されたのは一名であること、被告人が殺人及び殺人未遂の実行行為はもちろん、殺害方法の謀議にも関与していないこと、殺人予備にとどまった当初の一件を除くその後の保険金殺人計画、なかでも最も重大な犯行として死刑が選択された殺人事件の計画についてはむしろ首謀者である暴力団幹部に引きずられていったものであること、被告人には前科がなく、特段の問題行動もなく社会生活を送ってきたこと、暴力団幹部について死刑の判決が確定していることなどを考慮すると、被告人に対し、死刑を選択することがやむを得ないと認められる場合に当たるとはいい難いものがある。}} - 最高裁判所裁判官:[[根岸重治]](裁判長)・[[大西勝也]]・[[河合伸一]]・[[福田博]]</ref>。最高裁が量刑不当を理由に下級審(控訴審)の死刑判決を破棄した事例は1953年(昭和28年)以来・戦後2件目だった<ref name="中日新聞1996-09-21"/>。このほかの共犯者7人はいずれも懲役刑(無期懲役 - 懲役4年まで)が確定した<ref name="中日新聞1996-09-21"/>。}}<ref name="中日新聞1996-09-21" /><ref name="最高裁1996-09-21" />。
|被害者1人の保険金殺人で無期懲役が確定した5事件はすべて共犯事件で、いずれも共犯者間の役割の違いや、利得が得られなかったことなどが考慮された{{Sfn|司法研修所|2012|pp=111-112}}。<br/>計画的な保険金殺人で、かつ被告人に殺人前科がある場合でも「共犯者との量刑不均衡」を理由に死刑が回避され、無期懲役が言い渡された事例([[熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件]]:1989年){{Efn2|被告人のうち1人(実行犯)<ref name="熊谷養鶏場"/>。この被告人は殺人罪で懲役20年の刑に処され、その仮釈放中に犯行におよんだとして第一審で死刑を言い渡されたが<ref>{{Cite news|title=養鶏場殺人、仮出獄中犯行の被告に死刑判決…埼玉|newspaper=[[読売新聞オンライン|YOMIURI ONLINE]]|date=2003-07-01|url=http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20030701it03.htm|accessdate=2003年7月4日|publisher=読売新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030704024712/http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20030701it03.htm|archivedate=2003年7月4日}} - [[熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件]]の関連記事。</ref>、控訴審では「犯行を依頼した首謀者は無期懲役刑が確定しており、この被告人を死刑に処すことは刑の均衡を失する」として無期懲役が言い渡された<ref name="熊谷養鶏場">『読売新聞』2006年9月26日東京夕刊第4版第一社会面21頁「養鶏場放火殺人 死刑破棄『無期』実行犯に東京高裁判決」(読売新聞東京本社) - [[熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件]]の関連記事。</ref>。その後上告中に被告人が病死し、最高裁で公訴棄却となった。}}がある<ref name="熊谷養鶏場" />。
|}
; 高度な計画性を伴わないが、殺人前科が重視された事例
* '''[[熊本主婦殺人事件]]'''(1979年) - 農作業中の女性を強姦目的で襲い、鋭利な刃物で刺殺<ref>{{Cite 判例検索システム|事件番号=昭和58年(あ)第581号|裁判年月日=1990年(平成2年)4月3日|法廷名=窃盗、強姦致死、殺人|裁判形式=判決|判例集=集刑 第254号341頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58325|事件名=窃盗、強姦致死、殺人被告事件|判示事項=死刑事件(若妻強姦殺害事件)}} - [[熊本主婦殺人事件]](1979年)の上告審判決文。
* 最高裁判所裁判官:安岡満彦(裁判長)・坂上壽夫・貞家克己・園部逸夫</ref>。周到な計画なし{{Sfn|永田憲史|2017|p=327}}。第一審判決は無期懲役だったが、控訴審では犯行態様の残酷さ、無反省な態度などが考慮され、死刑を宣告された{{Sfn|永田憲史|2017|p=327}}。少年時に女性を狙った同種の強盗殺人を起こして{{Sfn|永田憲史|2017|p=327}}懲役5年以上10年以下に処された前科があり、刑の執行終了から3か月後に本件殺人を再犯したため、その前科の存在が量刑選択に相当影響したとされる{{Sfn|司法研修所|2012|p=110}}。
* '''[[名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件]]'''(2002年) - 第一審判決は無期懲役{{Sfn|永田憲史|2017|p=325}}。殺人罪で懲役15年の刑に処されたほか、詐欺・窃盗などで多数(20件以上)の前科があり{{Sfn|永田憲史|2017|p=325}}、出所直後に金に困って被害者(スナック経営者)を絞殺。計画性は低いが、過去に起こした殺人事件と類似した経緯・手口の犯行である点が重視された。また、殺害後にわいせつ目的に見せかける偽装工作を行った{{Sfn|永田憲史|2017|p=325}}。
; 無期懲役刑に処された前科はないが、高度な計画性が重視された事例
* '''[[JT女性社員逆恨み殺人事件]]'''(1997年 / 殺人罪など) - 加害者(殺人前科あり)は1989年に強姦致傷罪で逮捕・起訴され実刑判決を受けたが、同事件の被害者女性を[[逆恨み]]し、出所後に被害者を刺殺した<ref>『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊一面1頁「被害者の女性を逆恨み殺人 無期破棄し死刑判決 被害者1人でも極刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>([[お礼参り]])<ref>『産経新聞』2004年9月23日東京朝刊社会面「“お礼参り”殺人、来月13日に判決 最高裁が通知」([[産経新聞東京本社]])</ref>。第一審判決は無期懲役だったが控訴審で死刑となり、最高裁で上告棄却判決を受け確定<ref>『読売新聞』2004年10月14日東京朝刊第一社会面39頁「被害届女性逆恨み殺人 最高裁も死刑 上告を棄却 被害者1人でも」(読売新聞東京本社)</ref>。
** 無期懲役を言い渡した第一審判決 (1999) は「殺人の動機は個人的な恨みで利欲的ではなく、周到な計画に基づく犯行とは言えない」「被告人は公判で謝罪の気持ちを口にしており、人間性の一端が認められる」などの事情を挙げ、「被害者が1人の事件であり、極刑がやむを得ない事件とまではいえない」と判断したが<ref>『読売新聞』1999年5月27日東京夕刊第一社会面19頁「JT女性社員の被害届で逮捕… 出所後襲撃 逆恨み殺人に無期判決 /東京地裁」(読売新聞東京本社)</ref>、死刑を言い渡した控訴審判決 (2000) は「動機は個人的な恨みだが、通常みられる人間関係の軋轢・もつれなどのような、被告人側にも同情すべき点がある事案とは全く異なり、自身の犯罪行為を被害者に届け出られたことを逆恨みした極めて理不尽かつ身勝手なもので、動機の悪質性は保険金・身代金目的の殺人と変わらない」「服役中から殺害計画を立て、出所直後から被害者の居所を探して計画通りに準備を進め、周到な用意の末に実行した犯行であり、極めて計画性が高い」などの事情を挙げ、「被害者が1人でも死刑がやむを得ない場合はあり、今回はそれに該当する」と判断している<ref>{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第3刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成11年(う)第1202号|事件名=殺人、窃盗被告事件|裁判年月日=2000年(平成12年)2月28日|判例集=『[[判例集|高等裁判所刑事裁判速報集]]』(平12)号73頁、『[[判例タイムズ]]』第1027号(2000年6月15日号)284頁、『[[判例時報]]』第1705号173頁|判示事項=|裁判要旨=}} - [[JT女性社員逆恨み殺人事件]]の控訴審判決。裁判官:[[仁田陸郎]](裁判長)・[[下山保男]]・[[角田正紀]]</ref>。
* 岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(2011年 / 強盗殺人罪・強盗強姦罪・死体損壊罪・死体遺棄罪) - 元同僚の女性から現金・バッグなどを奪い、女性を強姦・刺殺して遺体を切断・遺棄した<ref name="山陽新聞2013-02-14">{{Cite news|title=元同僚殺害 ××被告に死刑判決 岡山地裁・裁判員裁判|newspaper=[[山陽新聞]]|date=2013-02-14|url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013021416015859|publisher=山陽新聞社|agency=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130217070618/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013021416015859|archivedate=2013年2月17日}}</ref>。
** 第一審・[[岡山地方裁判所|岡山地裁]](裁判員裁判)は2013年2月14日に「事件前から被害者女性を強姦して欲望を満たし、証拠隠滅のため殺害して遺体を処理することまで考えていた。その上で現場を下見し、ナイフ・手錠も用意した計画性の高い犯行だ」<ref name="山陽新聞2013-02-14"/>「殺害された被害者は1人だが、性的欲求を満たすためという動機は極めて自己中心的で、犯行は残虐。被告人の犯罪的傾向は否定できず、前科がない点を考慮することは相当ではない。被害者への性的被害を伴っており、結果は重大だ」と指摘し、裁判員裁判では1人殺害かつ初犯の被告人に対し初めて死刑判決を言い渡した<ref>{{Cite news|title=女性強殺、元同僚に死刑 岡山地裁「被害者1人でも重大」|newspaper=日本経済新聞|date=2013-02-14|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG14040_U3A210C1CC1000/|accessdate=2020-08-13|publisher=日本経済新聞社|agency=共同通信社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813145141/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG14040_U3A210C1CC1000/|archivedate=2020年8月13日}}</ref>。判決後に弁護人が控訴したが<ref name="山陽新聞2013-02-14"/>、被告人が自ら取り下げたため死刑が確定<ref>{{Cite news|title=××被告の死刑確定 控訴取り下げ|newspaper=山陽新聞|date=2013-03-29|url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013032914304753|publisher=山陽新聞社|agency=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130402133429/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013032914304753|archivedate=2013年4月2日}}</ref>。
; その他
; その他
[[地下鉄サリン事件]](オウム真理教事件)の実行犯のうち1人である'''[[横山真人]]'''は、自身がサリンを散布した車両では1人の死者も出さなかったが、サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことが重視され、地下鉄サリン事件全体(12人殺害)の関与者の一人として殺人罪を適用され、死刑が確定している。
上記のような殺人前科・計画性がない場合は死刑判決を回避する傾向が長らく続いてきたが、近年は[[厳罰化]]の世論の影響で、身代金目的誘拐目的ではなく、かつ殺人前科がなく被害者が1人の場合であっても、強盗・強姦などの目的を伴い、殺害方法もとりわけ残虐とされる場合には死刑判決が確定するケースが見られるようになった。
* [[三島女子短大生焼殺事件]](2002年 / 殺人罪・強姦罪・逮捕監禁罪)<ref>{{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第6刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成16年(う)第605号|事件名=逮捕監禁・強姦・殺人被告事件|裁判年月日=2005年(平成17年)3月29日|判例集=『[[判例時報]]』第1891号166頁、『[[判例集|高等裁判所刑事裁判速報集(平17)号]]』71頁、『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28105234、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105234|判示事項=|裁判要旨=|url=}} - 裁判官:[[田尾健二郎]](裁判長)・鈴木秀行・山内昭善</ref> - 被害者(女子短大生)を拉致・監禁して強姦した後、灯油をかけて着火し焼き殺した。第一審は無期懲役判決だったが控訴審で死刑となり、最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定。
* [[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華街料理店主射殺事件]](2004年 / 強盗殺人罪・同未遂罪・現住建造物等放火罪など) - 拳銃を使用した犯行(強盗殺人1件・強盗殺人未遂1件・現住建造物等放火1件)。第一審は無期懲役判決だったが控訴審で死刑となり、最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定。控訴審判決 (2007) では強盗致傷罪で服役後間もなく本事件を起こしたことに加え、被害者の右ほおに銃口を押し付けて撃ち抜いた犯行の残忍さを重視した<ref>『朝日新聞』2007年4月25日東京夕刊第一社会面17頁「連続銃撃、高裁は死刑 無期覆す 『殺害1人でも残忍』」</ref>。
* 岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(2011年 / 強盗殺人罪・強盗強姦罪・死体損壊罪・死体遺棄罪) - 元同僚の女性から現金・バッグなどを奪い、女性を強姦・刺殺して遺体を切断・遺棄した<ref name="山陽新聞2013-02-14">{{Cite news|title=元同僚殺害 ××被告に死刑判決 岡山地裁・裁判員裁判|newspaper=[[山陽新聞]]|date=2013-02-14|url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013021416015859|publisher=山陽新聞社|agency=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130217070618/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013021416015859|archivedate=2013年2月17日}}</ref>。第一審・[[岡山地方裁判所|岡山地裁]](裁判員裁判)は2013年2月14日に「事件前から被害者女性を強姦して欲望を満たし、証拠隠滅のため殺害して遺体を処理することまで考えていた。その上で現場を下見し、ナイフ・手錠も用意した計画性の高い犯行だ」<ref name="山陽新聞2013-02-14"/>「殺害された被害者は1人だが、性的欲求を満たすためという動機は極めて自己中心的で、犯行は残虐。被告人の犯罪的傾向は否定できず、前科がない点を考慮することは相当ではない。被害者への性的被害を伴っており、結果は重大だ」と指摘し、裁判員裁判では1人殺害かつ初犯の被告人に対し初めて死刑判決を言い渡した<ref>{{Cite news|title=女性強殺、元同僚に死刑 岡山地裁「被害者1人でも重大」|newspaper=日本経済新聞|date=2013-02-14|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG14040_U3A210C1CC1000/|accessdate=2020-08-13|publisher=日本経済新聞社|agency=共同通信社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813145141/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG14040_U3A210C1CC1000/|archivedate=2020年8月13日}}</ref>。判決後に弁護人が控訴したが<ref name="山陽新聞2013-02-14"/>、被告人が自ら取り下げたため死刑が確定<ref>{{Cite news|title=××被告の死刑確定 控訴取り下げ|newspaper=山陽新聞|date=2013-03-29|url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013032914304753|publisher=山陽新聞社|agency=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130402133429/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013032914304753|archivedate=2013年4月2日}}</ref>。
また、[[地下鉄サリン事件]](オウム真理教事件)の[[横山真人]]は自身が散布した車両では1人の死者も出さなかったが、サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことが重視され、地下鉄サリン事件全体の関与者の一人として殺人罪が適用されて死刑が確定し、執行されている。


また、司法研修所 (2012) は「死亡被害者が1名の殺人事件で死刑が選択された」事例の1つとして、'''[[勝田清孝事件]]'''(死刑の主文2個の事例:事件全体の死者は8人)を挙げている{{Sfn|司法研修所|2012|p=112}}{{Sfn|司法研修所|2012|pp=210-211}}が、これは加害者(勝田清孝)が被害者7名の強盗殺人(甲事件:1972年 - 1980年)を犯した後、1980年に別の窃盗事件を起こして検挙され、翌1981年に有罪判決が確定<ref name="中日新聞1986-03-24"/>。その確定判決後(1982年)に被害者1名の殺人事件(乙事件:[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]113号事件)を犯して検挙され、それまで未解決だった甲事件も含めて起訴された結果、甲・乙両事件ともに死刑を宣告された事例である<ref name="中日新聞1986-03-24">『中日新聞』1986年3月24日夕刊一面1頁「連続殺人・勝田に死刑 名地裁判決 『悪質残虐な犯行、自らの命で償いを』」(中日新聞社) - [[勝田清孝事件]]の関連記事。</ref>。
===== 最高裁の見解 =====
検察当局は1997年 - 1998年にかけ、「近年の裁判所の量刑は軽すぎ、国民感情からかけ離れている」として、控訴審で無期懲役とされた強盗殺人事件の5被告人について死刑を求め上告した<ref name="読売新聞1999-11-29"/>。このうち1992年(平成4年)10月に[[東京都]][[国立市]]で発生した主婦殺害事件では<ref name="読売新聞1999-11-29">『読売新聞』1999年11月29日東京夕刊一面1頁「国立市の強殺事件 最高裁判決で『死刑求めた上告』を棄却 無期懲役が確定」(読売新聞東京本社)</ref>、強盗強姦・強盗殺人・窃盗の罪に問われた<ref name="最高裁1999-11-29"/>被告人{{Efn2|同事件の被告人について、第一審・[[東京地方裁判所|東京地裁]]八王子支部(豊田健裁判長)は求刑通り死刑を言い渡したが<ref>『読売新聞』1995年1月17日東京夕刊第二社会面18頁「強盗殺人の塗装工に死刑判決/東京地裁八王子支部」(読売新聞東京本社)</ref>、控訴審・東京高裁(中山善房裁判長)は原判決を破棄して無期懲役判決を言い渡していた<ref>『読売新聞』1997年5月13日東京朝刊第二社会面30頁「国立市の主婦殺害 情状くみ死刑破棄 『残虐、冷酷』だが無期/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。}}について、東京高検は「死刑を適用すべきで、無期懲役は著しく正義に反する」として、被害者が1人で被告人に殺人前科がない死刑求刑事件としては初となる上告に踏み切ったが<ref>『読売新聞』1997年5月27日東京朝刊一面1頁「東京・国立の主婦殺害 『無期と不服』と東京高検が上告 死刑回避の流れ懸念」</ref>、最高裁第二小法廷([[福田博]]裁判長)は1999年(平成11年)11月29日に無期懲役判決を支持して高検の上告を棄却する判決を言い渡した<ref name="読売新聞1999-11-29"/><ref name="最高裁1999-11-29">{{Cite 判例検索システム|裁判所=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=判決|事件番号=平成9年(あ)第655号|事件名=強盗強姦、強盗殺人、窃盗被告事件 【著名事件名】国立市主婦殺し事件上告審判決|裁判年月日=1999年(平成11年)11月29日|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(集刑)第276号595頁、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28045247|判示事項=強盗強姦、強盗殺人等被告事件につき、無期懲役刑を言い渡した控訴審判決を破棄しなければ著しく正義に反するとは認められないとされた事例|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58540}} - [[最高裁判所裁判官]]:[[福田博]](裁判長)・[[河合伸一]]・[[北川弘治]]・[[亀山継夫]]・[[梶谷玄]]</ref>。同小法廷は同事件において死刑回避の判断を是認した理由として「強盗強姦は計画的犯行だが、殺人は計画的な犯行ではない。被告人の前科・余罪を見ると性欲・金銭欲に基づく犯罪への親近性が顕著だが、他人の殺害や重大な傷害を目的とした犯行はこれまでにない」と指摘したが、一方で「'''殺害された被害者が1名の事案においても、諸般の情状を考慮して極刑がやむを得ないと認められる場合があることはいうまでもない'''」と判示している<ref name="最高裁1999-11-29"/>。同時期に検察が上告した3事件についても上告棄却の判断が出されたが、1件([[福山市独居老婦人殺害事件]]:無期懲役囚の仮釈放中の再犯事件)だけは検察の上告が容れられ、同年12月に第二小法廷が「死刑を選択するほかない」として原判決を破棄し、審理を[[広島高等裁判所|広島高裁]]へ差し戻す判決を言い渡した<ref name="読売新聞2009-03-03">『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34頁「[死刑]選択の重さ(6)極刑抑制の流れ変わる」(読売新聞東京本社)</ref>。死刑を求めた検察の上告が認容され、破棄差し戻しとなった事例は本事件(永山事件)以来で、同事件は2007年に死刑が確定した<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。


=== 最高裁の見解 ===
また[[裁判員制度]](2009年導入)施行後には殺害された被害者が1人で、過去に無期懲役に処された前科を持たない被告人2人に対し死刑判決が言い渡されたが、控訴審・東京高裁([[村瀬均]]裁判長)が原判決を破棄し、無期懲役を言い渡した([[松戸女子大生殺害放火事件]]{{Efn2|1件([[松戸女子大生殺害放火事件]])は累犯前科および強盗致傷・強盗強姦の同種前科を有する男が出所から3か月後、女子大生を強盗目的で刺殺し、現場に放火して遺体を焼損した(強盗殺人・建造物侵入・現住建造物等放火・死体損壊事件)ほか、その前後約2か月間に住居侵入・窃盗3件、強盗致傷3件、強盗強姦および同未遂各1件などを犯した事件[事件番号:平成25年(あ)第1729号]<ref name="松戸事件"/>。松戸事件以外の事件でも死亡してもおかしくないほどの重篤な傷害や、深刻な性的被害を受けた被害者が出ていた<ref name="産経新聞2013-11-06 p.2">{{Cite news|title=【関西の議論】冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(2/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2013-11-06|url=https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n2.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727145717/https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n2.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>。第一審・千葉地裁(裁判員裁判)は2011年6月に死刑判決を言い渡したが、東京高裁(村瀬均裁判長)は2013年10月8日に<ref>{{Cite news|title=【関西の議論】冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(1/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2013-11-06|url=https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n1.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727151424/https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n1.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>「殺害された被害者が1名の強盗殺人で、殺害行為に計画性がない場合には、死刑は選択されないという傾向がみられる。先例から判断すれば死刑を選択すべきことが真にやむを得ないとはいえない」として無期懲役を言い渡していた<ref name="産経新聞2013-11-06 p.2"/>。}}など)2事件{{Efn2|もう1件は1988年に妻を殺害し、自宅に放火して長女を焼死させたとして<ref name="産経新聞2013-11-06 p.4">{{Cite news|title=【関西の議論】冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(4/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2013-11-06|url=https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n4.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=4|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727151435/https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n4.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>殺人・殺人未遂・現住建造物等放火の罪に問われ、懲役20年に処された前科を有する男が出所から半年後、東京都港区[[南青山]]のマンションに強盗目的で侵入して住人の男性を刺殺した強盗殺人事件[事件番号:平成25年(あ)第1127号]<ref name="南青山事件"/>。第一審・東京地裁(裁判員裁判)は「冷酷非情な犯行で前科を特に重視すべきだ」などとして求刑通り死刑を言い渡したが、東京高裁(村瀬均裁判長)は2013年6月に「前科の殺人(無理心中)と今回の強盗殺人には類似性が認められない。第一審は前科を過度に重視しすぎた」として無期懲役を言い渡していた<ref name="産経新聞2013-11-06 p.4"/>。}}について、最高裁第二小法廷([[千葉勝美]]裁判長 / [[鬼丸かおる]]・[[山本庸幸]]両陪席裁判官)は2015年2月3日付で控訴審判決を支持し、検察官の上告を棄却する決定を出した<ref name="千葉日報2015-02-05">{{Cite news|title=裁判員の死刑破棄 初の確定へ 最高裁「極刑は慎重に」 松戸殺人放火など|newspaper=[[千葉日報]]|date=2015-02-05|url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/238950|accessdate=2020-07-27|publisher=千葉日報社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727152820/http://www.chibanippo.co.jp/news/national/238950|archivedate=2020年7月27日}}</ref><ref name="松戸事件">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成25年(あ)第1729号|裁判年月日=2015年(平成27年)2月3日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=決定|判例集=[[刑集]] 第69巻1号99頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/839/084839_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=84839|事件名=住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊被告事件|判示事項=被告人を死刑に処した裁判員裁判による第1審判決を量刑不当として破棄し無期懲役に処した原判決の量刑が維持された事例|裁判要旨=女性1名を殺害するなどした住居侵入、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊等のほか、その前後約2か月間に繰り返された強盗致傷、強盗強姦等の事案において、女性の殺害を計画的に実行したとは認められず、また、殺害態様の悪質性を重くみることにも限界があるのに、同女に係る事件以外の事件の悪質性や危険性、被告人の前科、反社会的な性格傾向等を強調して死刑に処した裁判員裁判による第1審判決の量刑判断が合理的ではなく、被告人を死刑に処すべき具体的、説得的な根拠を見いだし難いと判断して同判決を破棄し無期懲役に処したものと解される原判決の刑の量定は、甚だしく不当で破棄しなければ著しく正義に反するということはできない。(補足意見がある。)}} - [[松戸女子大生殺害放火事件]]の上告審決定 / [[最高裁判所裁判官]]:[[千葉勝美]](裁判長)・[[鬼丸かおる]]・[[山本庸幸]]</ref><ref name="南青山事件">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成25年(あ)第1127号|裁判年月日=2015年(平成27年)2月3日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=決定|判例集=刑集 第69巻1号1頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/840/084840_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=84840|事件名=住居侵入、強盗殺人被告事件|判示事項=被告人を死刑に処した裁判員裁判による第1審判決を量刑不当として破棄し無期懲役に処した原判決の量刑が維持された事例|裁判要旨=殺人等の罪により懲役20年の刑に服した前科がある被告人が被害者1名を殺害した住居侵入、強盗殺人の事案において、本件犯行とは関連が薄い前記前科があることを過度に重視して死刑に処した裁判員裁判による第1審判決の量刑判断が合理的ではなく、被告人を死刑に処すべき具体的、説得的な根拠を見いだし難いと判断して同判決を破棄し無期懲役に処したものと解される原判決の刑の量定は、甚だしく不当で破棄しなければ著しく正義に反するということはできない。(補足意見がある。)}} - 最高裁判所裁判官:千葉勝美(裁判長)・鬼丸かおる・山本庸幸</ref>。この際、同小法廷は両事件の決定で「死刑は被告人の生命を奪う究極の刑罰で、慎重に検討し、どうしてもやむを得ないという根拠を具体的に示す必要がある。過去の判例との詳細な比較は無意味だが、不公平にならないよう十分配慮しなくてはいけない」と判断したが<ref name="千葉日報2015-02-05"/>、裁判長を務めた千葉は補足意見にて以下のように述べている。
==== 1999年 ====
{{See|福山市独居老婦人殺害事件#連続上告}}
1990年代に入ると(特に殺害された被害者が1人の事件について)裁判所が死刑を回避する傾向が顕著になり{{Efn2|福山事件の控訴審判決以前には、1996年4月に東京高裁で[[甲府信金OL誘拐殺人事件]](1993年発生)の被告人に対し無期懲役判決が言い渡されるなど、検察側が死刑を求刑した事件で死刑が回避される控訴審判決が相次いでいた<ref>『読売新聞』2005年5月3日東京朝刊第二社会面30頁「[検察官]第1部 被害者を前に(7)『死刑求刑』異例の連続上告」(読売新聞東京本社)</ref>。}}{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=175}}、検察内部でも「死刑はよほどの事件でなければ出ない」という空気が漂うようになっていた{{Sfn|読売新聞社会部|2009|p=181}}。

そのような中で検察当局は1997年 - 1998年にかけ、「近年の裁判所の量刑は軽すぎ、国民感情からかけ離れている」として、控訴審で無期懲役とされた強盗殺人事件の5被告人について死刑を求め上告した<ref name="読売新聞1999-11-29"/>('''連続上告'''){{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=177,179-180}}。このうち、[[国立市主婦殺害事件]](1992年10月に[[東京都]][[国立市]]で発生)の刑事裁判では<ref name="読売新聞1999-11-29">『読売新聞』1999年11月29日東京夕刊一面1頁「国立市の強殺事件 最高裁判決で『死刑求めた上告』を棄却 無期懲役が確定」(読売新聞東京本社)</ref>、強盗強姦・強盗殺人・窃盗の罪に問われた<ref name="最高裁1999-11-29"/>被告人{{Efn2|同事件の被告人について、第一審・[[東京地方裁判所|東京地裁]]八王子支部(豊田健裁判長)は求刑通り死刑を言い渡したが<ref>『読売新聞』1995年1月17日東京夕刊第二社会面18頁「強盗殺人の塗装工に死刑判決/東京地裁八王子支部」(読売新聞東京本社)</ref>、控訴審・東京高裁(中山善房裁判長)は原判決を破棄して無期懲役判決を言い渡していた<ref>『読売新聞』1997年5月13日東京朝刊第二社会面30頁「国立市の主婦殺害 情状くみ死刑破棄 『残虐、冷酷』だが無期/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。}}について、東京高検が「死刑を適用すべきで、無期懲役は著しく正義に反する」として、被害者が1人で被告人に殺人前科がない死刑求刑事件としては初となる上告に踏み切ったが<ref>『読売新聞』1997年5月27日東京朝刊一面1頁「東京・国立の主婦殺害 『無期と不服』と東京高検が上告 死刑回避の流れ懸念」</ref>、最高裁第二小法廷([[福田博]]裁判長)は1999年(平成11年)11月29日に無期懲役判決を支持して高検の上告を棄却する判決を言い渡した<ref name="読売新聞1999-11-29"/><ref name="最高裁1999-11-29">{{Cite 判例検索システム|裁判所=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=判決|事件番号=平成9年(あ)第655号|事件名=強盗強姦、強盗殺人、窃盗被告事件 【著名事件名】国立市主婦殺し事件上告審判決|裁判年月日=1999年(平成11年)11月29日|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(集刑)第276号595頁、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28045247|判示事項=強盗強姦、強盗殺人等被告事件につき、無期懲役刑を言い渡した控訴審判決を破棄しなければ著しく正義に反するとは認められないとされた事例|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58540}} - [[最高裁判所裁判官]]:[[福田博]](裁判長)・[[河合伸一]]・[[北川弘治]]・[[亀山継夫]]・[[梶谷玄]]</ref>。同小法廷は同判決において、死刑回避の判断を是認した理由として「強盗強姦は計画的犯行だが、殺人は計画的な犯行ではない。被告人の前科・余罪を見ると性欲・金銭欲に基づく犯罪への親近性が顕著だが、他人の殺害や重大な傷害を目的とした犯行はこれまでにない」と指摘したが、一方で「'''殺害された被害者が1名の事案においても、諸般の情状を考慮して極刑がやむを得ないと認められる場合があることはいうまでもない'''」と判示している<ref name="最高裁1999-11-29"/>。

同時期に検察が上告した3事件についても上告棄却の判断が出されたが、1件('''[[福山市独居老婦人殺害事件]]''':無期懲役囚の仮釈放中の再犯事件)だけは検察の上告が容れられ、同年12月に第二小法廷が「死刑を選択するほかない」として原判決を破棄し、審理を[[広島高等裁判所|広島高裁]]へ差し戻す判決を言い渡した<ref name="読売新聞2009-03-03">『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34頁「[死刑]選択の重さ(6)極刑抑制の流れ変わる」(読売新聞東京本社)</ref>。死刑を求めた検察の上告が認容され、破棄差し戻しとなった事例は本事件(永山事件)以来で、同事件は2007年に死刑が確定した<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。[[最高検察庁]]刑事部長として「連続上告」を決断した[[堀口勝正]]は、後に『読売新聞』社会部記者からの取材に対し「仮釈放中の再犯事件は国家による殺人と同じで、『福山事件のような犯罪を再び無期懲役にすることを許せば、国民の治安への信頼が地に落ちる』と危惧した。当時は寛刑化・死刑回避の傾向が非常に強く、死刑適用に慎重な流れが裁判官の判断を抑圧していた上、検察内部でもあきらめのような空気があったが、連続上告により極刑に慎重な流れを取り払うことができた」と述べている{{Sfn|読売新聞社会部|2009|pp=180-181}}。

==== 2015年 ====
また[[裁判員制度]](2009年導入)施行後、殺害された被害者が1人である2事件で、過去に無期懲役に処された前科を有さない被告人2人にそれぞれ死刑判決が言い渡されたが、両事件とも控訴審・東京高裁([[村瀬均]]裁判長)が原判決を破棄し、無期懲役を言い渡した([[松戸女子大生殺害放火事件]]{{Efn2|1件([[松戸女子大生殺害放火事件]])は累犯前科および強盗致傷・強盗強姦の同種前科を有する男が出所から3か月後、女子大生を強盗目的で刺殺し、現場に放火して遺体を焼損した(強盗殺人・建造物侵入・現住建造物等放火・死体損壊事件)ほか、その前後約2か月間に住居侵入・窃盗3件、強盗致傷3件、強盗強姦および同未遂各1件などを犯した事件[事件番号:平成25年(あ)第1729号]<ref name="松戸事件"/>。松戸事件以外の事件でも死亡してもおかしくないほどの重篤な傷害や、深刻な性的被害を受けた被害者が出ていた<ref name="産経新聞2013-11-06 p.2">{{Cite news|title=【関西の議論】冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(2/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2013-11-06|url=https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n2.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727145717/https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n2.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>。第一審・千葉地裁(裁判員裁判)は2011年6月に死刑判決を言い渡したが、東京高裁(村瀬均裁判長)は2013年10月8日に<ref>{{Cite news|title=【関西の議論】冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(1/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2013-11-06|url=https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n1.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727151424/https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n1.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>「殺害された被害者が1名の強盗殺人で、殺害行為に計画性がない場合には、死刑は選択されないという傾向がみられる。先例から判断すれば死刑を選択すべきことが真にやむを得ないとはいえない」として無期懲役を言い渡していた<ref name="産経新聞2013-11-06 p.2"/>。}}など2事件{{Efn2|もう1件は1988年に妻を殺害し、自宅に放火して長女を焼死させたとして<ref name="産経新聞2013-11-06 p.4">{{Cite news|title=【関西の議論】冷たい判決、冷たい裁判長、連続死刑判決「破棄」、遺族は震えた(4/4ページ)|newspaper=産経新聞|date=2013-11-06|url=https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n4.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=4|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727151435/https://www.sankei.com/west/news/131106/wst1311060085-n4.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>殺人・殺人未遂・現住建造物等放火の罪に問われ、懲役20年に処された前科を有する男が出所から半年後、東京都港区[[南青山]]のマンションに強盗目的で侵入して住人の男性を刺殺した強盗殺人事件[事件番号:平成25年(あ)第1127号]<ref name="南青山事件"/>。第一審・東京地裁(裁判員裁判)は「冷酷非情な犯行で前科を特に重視すべきだ」などとして求刑通り死刑を言い渡したが、東京高裁(村瀬均裁判長)は2013年6月に「前科の殺人(無理心中)と今回の強盗殺人には類似性が認められない。第一審は前科を過度に重視しすぎた」として無期懲役を言い渡していた<ref name="産経新聞2013-11-06 p.4"/>。}})<ref name="千葉日報2015-02-05"/>。

この2事件については、いずれも東京高検が死刑適用を求めて上告し、被告人側も量刑不当や事実誤認を主張し上告していたが、最高裁第二小法廷([[千葉勝美]]裁判長 / [[鬼丸かおる]]・[[山本庸幸]]両陪席裁判官)は2015年2月3日付でいずれの事件も控訴審判決を支持し、検察官・被告人側双方の上告を棄却する決定を出した<ref name="千葉日報2015-02-05">{{Cite news|title=裁判員の死刑破棄 初の確定へ 最高裁「極刑は慎重に」 松戸殺人放火など|newspaper=[[千葉日報]]|date=2015-02-05|url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/238950|accessdate=2020-07-27|publisher=千葉日報社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727152820/http://www.chibanippo.co.jp/news/national/238950|archivedate=2020年7月27日}}</ref><ref name="松戸事件">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成25年(あ)第1729号|裁判年月日=2015年(平成27年)2月3日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=決定|判例集=[[刑集]] 第69巻1号99頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/839/084839_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=84839|事件名=住居侵入、強盗強姦未遂、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗、窃盗未遂、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊被告事件|判示事項=被告人を死刑に処した裁判員裁判による第1審判決を量刑不当として破棄し無期懲役に処した原判決の量刑が維持された事例|裁判要旨=女性1名を殺害するなどした住居侵入、強盗殺人、建造物侵入、現住建造物等放火、死体損壊等のほか、その前後約2か月間に繰り返された強盗致傷、強盗強姦等の事案において、女性の殺害を計画的に実行したとは認められず、また、殺害態様の悪質性を重くみることにも限界があるのに、同女に係る事件以外の事件の悪質性や危険性、被告人の前科、反社会的な性格傾向等を強調して死刑に処した裁判員裁判による第1審判決の量刑判断が合理的ではなく、被告人を死刑に処すべき具体的、説得的な根拠を見いだし難いと判断して同判決を破棄し無期懲役に処したものと解される原判決の刑の量定は、甚だしく不当で破棄しなければ著しく正義に反するということはできない。(補足意見がある。)}} - [[松戸女子大生殺害放火事件]]の上告審決定 / [[最高裁判所裁判官]]:[[千葉勝美]](裁判長)・[[鬼丸かおる]]・[[山本庸幸]]</ref><ref name="南青山事件">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成25年(あ)第1127号|裁判年月日=2015年(平成27年)2月3日|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=決定|判例集=刑集 第69巻1号1頁|全文URI=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/840/084840_hanrei.pdf|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=84840|事件名=住居侵入、強盗殺人被告事件|判示事項=被告人を死刑に処した裁判員裁判による第1審判決を量刑不当として破棄し無期懲役に処した原判決の量刑が維持された事例|裁判要旨=殺人等の罪により懲役20年の刑に服した前科がある被告人が被害者1名を殺害した住居侵入、強盗殺人の事案において、本件犯行とは関連が薄い前記前科があることを過度に重視して死刑に処した裁判員裁判による第1審判決の量刑判断が合理的ではなく、被告人を死刑に処すべき具体的、説得的な根拠を見いだし難いと判断して同判決を破棄し無期懲役に処したものと解される原判決の刑の量定は、甚だしく不当で破棄しなければ著しく正義に反するということはできない。(補足意見がある。)}} - 最高裁判所裁判官:千葉勝美(裁判長)・鬼丸かおる・山本庸幸</ref>。この際、同小法廷は両事件の決定で「死刑は被告人の生命を奪う究極の刑罰で、慎重に検討し、どうしてもやむを得ないという根拠を具体的に示す必要がある。過去の判例との詳細な比較は無意味だが、不公平にならないよう十分配慮しなくてはいけない」と判断したが<ref name="千葉日報2015-02-05"/>、裁判長を務めた千葉は補足意見にて以下のように述べている。
{{Quotation|死刑の選択が問題となり得る事案においては、その適用に慎重さと公平性が求められるものであることを前提に、これまでの裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度・根拠を検討し、その検討結果を評議に当たっての裁判体の共通認識とし、それを出発点として議論することが不可欠であるとしている。その意味するところは次のようなことであろう。
{{Quotation|死刑の選択が問題となり得る事案においては、その適用に慎重さと公平性が求められるものであることを前提に、これまでの裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度・根拠を検討し、その検討結果を評議に当たっての裁判体の共通認識とし、それを出発点として議論することが不可欠であるとしている。その意味するところは次のようなことであろう。
* すなわち、殺人という犯罪行為の特質やそれに対する死刑という刑罰の本質を見ると、圧倒的に重要な保護法益である生命を奪う殺人という犯罪行為に対する量刑上の評価としては、まず被害者の数が注目されるべきであり、死刑の選択上考慮されるべき重要な要素であることは疑いない(もっとも被害者の数を死刑選択の絶対的な基準のように捉えることは適切ではなく、最終的には他の要素との総合考慮によるべきものであることには注意が必要であろう。)。
* すなわち、殺人という犯罪行為の特質やそれに対する死刑という刑罰の本質を見ると、圧倒的に重要な保護法益である生命を奪う殺人という犯罪行為に対する量刑上の評価としては、まず被害者の数が注目されるべきであり、死刑の選択上考慮されるべき重要な要素であることは疑いない(もっとも被害者の数を死刑選択の絶対的な基準のように捉えることは適切ではなく、最終的には他の要素との総合考慮によるべきものであることには注意が必要であろう。)。
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『[[産経新聞]]』([[産業経済新聞社]])は同月7日付の記事で2事件の決定について言及し「死刑は究極の刑罰であり、慎重な判断が求められるのは当然だが、裁判員制度は国民を司法に参加させ、その日常感覚・常識を判決に反映させることを目的に導入された。制度の趣旨を生かすためには、先例が現状に即しているかについても議論すべきだろう」<ref>{{Cite news|title=【主張】死刑判決破棄 永山基準見直しも議論を(1/2ページ)|newspaper=産経新聞|date=2015-02-07|url=https://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n1.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727150243/https://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n1.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>「(今回は)裁判員が苦慮を重ねて出した死刑の結論が、過去の集積結果から逸脱した(ことになる)。『国民感覚や常識』と『先例の傾向』が乖離しているなら、その理由・背景について分析・議論することも必要ではないか」と指摘している<ref>{{Cite news|title=【主張】死刑判決破棄 永山基準見直しも議論を(2/2ページ)|newspaper=産経新聞|date=2015-02-07|url=https://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n2.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180118010244/http://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n2.html|archivedate=2018年1月18日}}</ref>。
『[[産経新聞]]』([[産業経済新聞社]])は同月7日付の記事で2事件の決定について言及し「死刑は究極の刑罰であり、慎重な判断が求められるのは当然だが、裁判員制度は国民を司法に参加させ、その日常感覚・常識を判決に反映させることを目的に導入された。制度の趣旨を生かすためには、先例が現状に即しているかについても議論すべきだろう」<ref>{{Cite news|title=【主張】死刑判決破棄 永山基準見直しも議論を(1/2ページ)|newspaper=産経新聞|date=2015-02-07|url=https://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n1.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727150243/https://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n1.html|archivedate=2020年7月27日}}</ref>「(今回は)裁判員が苦慮を重ねて出した死刑の結論が、過去の集積結果から逸脱した(ことになる)。『国民感覚や常識』と『先例の傾向』が乖離しているなら、その理由・背景について分析・議論することも必要ではないか」と指摘している<ref>{{Cite news|title=【主張】死刑判決破棄 永山基準見直しも議論を(2/2ページ)|newspaper=産経新聞|date=2015-02-07|url=https://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n2.html|accessdate=2020-07-27|publisher=産業経済新聞社|page=1|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180118010244/http://www.sankei.com/column/news/150207/clm1502070002-n2.html|archivedate=2018年1月18日}}</ref>。


== 少年犯罪について ==
前述の最高裁判所調査官・稲田は死刑と無期懲役の量刑の境界の調査に加え、過去の重大な[[少年犯罪|少年事件]]における死刑や無期懲役の適用事例についても検討したが、その結果「19歳以上の年長少年が犯した強盗殺人事件で複数の被害者が存在する場合、死刑確定が11人、無期懲役が4人。被害者の数が3人の場合はすべて死刑が適用されている」と結論付けている{{Sfn|堀川惠子|2009|p=259}}。

「永山基準」が示された本判決以降に発生した少年事件(死刑求刑事件)の刑事裁判では以下のような結果が出ており、天白郁也 (2013) は「少年事件においては殺害された被害者の数に加え、殺害の計画性・被告人の更生可能性が重要視されている」と結論付けている{{Sfn|天白郁也|2013|p=36}}。'''太字'''は死刑確定事件。
* [[名古屋アベック殺人事件]](1988年発生・死者2人 / 2人への殺人罪)<ref>『中日新聞』1989年6月28日夕刊一面1面「大高緑地アベック殺人 主犯少年(当時)に死刑 『残虐、冷酷な犯罪』 共犯の5被告、無期 - 不定期刑に 名地裁判決」「解説/精神的未熟さ認めたが厳刑」(中日新聞社) - [[名古屋アベック殺人事件]]の関連記事。</ref> - 第一審(名古屋地裁・1989年)で主犯格の少年A(当時19歳)に死刑判決が言い渡されたが、控訴審(名古屋高裁・1996年)で原判決破棄・無期懲役判決が言い渡された(1997年に確定)<ref>『中日新聞』1997年1月7日夕刊第二社会面10頁「2被告の刑確定 アベック殺人事件」(中日新聞社) - 名古屋アベック殺人事件の関連記事。</ref>。
** 第一審判決は、Aとともに殺害行為を実行した少年B(当時17歳)に対しても死刑を選択したが、Bは当時18歳未満の少年だったため、[[少年法]]の規定{{Efn2|少年法第51条(1項)は「犯罪を犯した時に18歳未満だった少年に対し、死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならない」と規定している。}}により無期懲役が適用された(第一審で確定){{Sfn|天白郁也|2013|pp=31-32}}。
* '''[[市川一家4人殺害事件]]'''(1992年発生・死者4人 / 3人への強盗殺人罪・1人への殺人罪)<ref>『[[千葉日報]]』1994年8月9日朝刊一面1頁「市川の一家4人殺害 19歳少年(犯行時)に死刑判決 千葉地裁 罪刑の均衡重視」(千葉日報社) - [[市川一家4人殺害事件]]の関連記事。</ref> - 第一審(千葉地裁・1994年)で死刑判決が言い渡され、控訴審(東京高裁・1996年)および上告審(2001年)でも一貫して死刑が支持され確定。2017年に死刑が執行されたが、犯行時少年だった被告人への死刑確定・および[[少年死刑囚]]への死刑執行は永山以来20年ぶりだった<ref>『[[千葉日報]]』2017年12月20日朝刊一面1頁「市川一家4人殺害 元少年の死刑執行 永山元死刑囚以来20年ぶり 再審請求中、群馬3人殺害も」(千葉日報社)</ref>。
** 悪質な犯行の客観的側面(殺害された被害者が4人である点・単独犯である点など)に加え、主観的側面(被告人が同事件以前にも多数の粗暴な犯罪を重ねており犯罪傾向が見られる点など)が重視された{{Sfn|天白郁也|2013|p=33}}。
* '''[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]]'''(1994年発生・死者4人 / 2人への殺人罪・2人への強盗殺人罪)<ref name="中日新聞2001-07-10"/> - 第一審(名古屋地裁・2001年)では被害者4人のうち1人については傷害致死罪が認定され、死刑を求刑された3被告人のうち1人を死刑、2人を無期懲役とする判決が言い渡された<ref name="中日新聞2001-07-10">『[[中日新聞]]』2001年7月10日朝刊一面1頁「主導の19歳(当時)に死刑 リンチ殺人で名地裁判決 『強固な殺意 集団の推進力』追従2人は無期」([[中日新聞社]]) - [[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]]の関連記事。</ref>。しかし控訴審(名古屋高裁・2005年)では被害者4人全員への殺人罪・強盗殺人罪成立が認定され、3被告人全員に死刑判決が言い渡された<ref>『中日新聞』2005年10月15日朝刊一面1頁「元少年3人に死刑判決 連続リンチ殺人 『役割に大差ない』名高裁 2人無期の一審破棄」(中日新聞社)</ref>。2011年に上告審でも控訴審判決が支持され、3被告人の死刑が確定した{{Sfn|天白郁也|2013|p=34}}。
* '''[[光市母子殺害事件]]'''(1999年発生・死者2人 / 2人への殺人罪)<ref name="光市確定">{{Cite news|title=光市母子殺害事件、元少年の死刑確定へ 最高裁が上告棄却|newspaper=MSN産経ニュース|date=2012-02-20|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022015050005-n1.htm|publisher=産業経済新聞社|language=ja|accessdate=2012-02-20|archivedate=2012-02-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120221075653/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022015050005-n1.htm}}</ref> - 第一審(山口地裁・2000年)および控訴審(広島高裁・2002年)では無期懲役判決が言い渡されたが、検察が上告したところ、最高裁は2006年に「(事件当時の被告人の)年齢は死刑回避の決定的な事情とはいえない」として控訴審判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した<ref name="光市事件経過">{{Cite news|title=光市母子殺害事件の経過|newspaper=47NEWS|date=2012-02-20|url=http://www.47news.jp/47topics/e/225807.php|agengy=共同通信社|accessdate=2014-01-21|language=ja|archivedate=2012-02-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20120220194634/http://www.47news.jp/47topics/e/225807.php}}</ref>。その後、差し戻し後の控訴審(広島高裁・2008年)では死刑が言い渡され、2012年に弁護側の上告が棄却されたことで死刑が確定<ref name="光市事件経過"/>。本判決以降、殺害された被害者数が2人の少年事件としては初めて死刑が確定した事例<ref name="光市確定"/>。
* '''[[石巻3人殺傷事件]]'''(2010年発生・死者2人 / 2人への殺人罪) - 裁判員制度施行(2009年)以降、少年犯罪における死刑判決宣告・確定は初の事例<ref name="石巻事件"/>。第一審(仙台地裁・2010年)で死刑判決が言い渡され、控訴審(仙台高裁・2014年)<ref>{{Cite news|title=石巻3人殺傷で元少年二審も死刑 裁判員の判断支持、仙台高裁|newspaper=[[47NEWS]]|date=2014-01-31|url=http://www.47news.jp/CN/201401/CN2014013101002055.html|agency=[[共同通信社]]|publisher=全国新聞ネット|language=ja|accessdate=2014-02-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222173148/http://www.47news.jp/CN/201401/CN2014013101002055.html|archivedate=2014-02-22}}</ref>および上告審(2016年)でも一貫して死刑が支持され確定<ref name="石巻事件">{{Cite news|title=<石巻3人殺傷>元少年死刑確定へ 裁判員初|newspaper=[[河北新報]]|date=2016-06-17|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160617_13018.html|accessdate=2017-06-17|publisher=[[河北新報社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170617165034/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160617_13018.html|archivedate=2017-06-17}}</ref>。
** 光市事件の差し戻し判決(2006年)以降に発生した事件で、犯行当初から被害者の殺害を計画していた点が重視された{{Sfn|天白郁也|2013|p=35}}。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|3}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}

== 参考文献 ==
'''刑事裁判の判決文'''
* {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第2刑事部|裁判種別=判決|事件番号=昭和54年(う)第1933号|事件名=窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件|裁判年月日=1981年(昭和56年)8月21日|判例集=『[[判例時報]]』第1019号20頁、『[[判例タイムズ]]』第452号168頁、『東京高等裁判所(刑事)判決時報』第32巻8号46頁|判示事項=|裁判要旨=|url=|ref={{SfnRef|東京高裁|1981}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
; 『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:24005888
: 【事案の概要】
:# 犯行時19歳の少年であった被告人が、ピストルによる殺人2件、強盗殺人2件、強盗殺人未遂1件等を犯したものではあるが、出生以来極めて劣悪な生育環境にあったため、精神的な成熟度においては、犯行時実質的には18歳未満の少年と同視しうる状況にあったと認められ、かような劣悪な環境にある被告人に対し救助の手を差延べなかった国家社会もその責任を分ち合わなければならないと考えられることなどの事情を綜合すると、被告人に死刑を言い渡した原判決は重きに過ぎ、無期懲役に処するのが相当である。
:# 少年が盗んだけん銃により1箇月内に4名を射殺し1名に発射したなどの強盗殺人・同未遂、殺人等の事案について、言渡した第一審の死刑は、被告人の犯行時の年令、生育時の劣悪な環境、現在の心境変化、遺族に対する慰藉の措置等を考慮すれば、酷に過ぎて不当である。
; 『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:24005888
</div>
:* 判決内容:原判決を[[取消し|破棄]]し、被告人・永山を無期懲役に処する(検察官が上告)
:* 裁判官:[[船田三雄]](裁判長)・櫛淵理・門馬良夫
* '''本判決''' - {{Cite 判例検索システム|法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷|裁判種別=判決|事件番号=昭和56年(あ)第1505号|事件名=窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件|裁判年月日=1983年(昭和58年)7月8日|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁|判示事項=一・死刑選択の許される基準 二・無期懲役を言い渡した控訴審判決が検察官の上告により量刑不当として破棄された事例|裁判要旨=一・死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。二・先の犯行の発覚をおそれ、あるいは金品の強取するため、残虐、執拗あるいは冷酷な方法で、次々に四人を射殺し、遺族の被害感情も深刻である等の不利な情状(判文参照)のある本件においては、犯行時の年齢(一九歳余)、不遇な生育歴、犯行後の獄中結婚、被害の一部弁償等の有利な情状を考慮しても、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、甚だしく刑の量定を誤つたものとして破棄を免れない。|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50235|ref={{SfnRef|最高裁第二小法廷|1983}}}}
** 判決内容:控訴審判決(無期懲役)を破棄し、審理を東京高等裁判所へ差し戻し
** [[最高裁判所裁判官]]:[[大橋進 (法曹)|大橋進]]([[裁判長]])・[[木下忠良]]・[[塩野宜慶]]・[[宮崎梧一]]・[[牧圭次]]
'''最高裁司法研修所による研究報告書'''
* {{Cite book|和書|title=裁判員裁判における量刑評議の在り方について|publisher=[[法曹会]]|date=2012-10-20|ref={{SfnRef|司法研修所|2012}}|editor=[[司法研修所]]|edition=第1版第1刷発行|isbn=978-4908108198|series=司法研究報告書|volume=63|issue=3}} - 司法研究報告書第63輯第3号(書籍番号:24-18)
** 協力研究員 - [[井田良]]([[慶應義塾大学]]大学院教授)
** 研究員 - [[大島隆明]]([[金沢地方裁判所]]所長判事 / 委嘱時:[[横浜地方裁判所]]判事)・園原敏彦([[札幌地方裁判所]]判事 / 委嘱時:[[東京地方裁判所]]判事)・辛島明([[広島高等裁判所]]判事 / 委嘱時:[[大阪地方裁判所]]判事)
'''書籍・論文など'''
* {{Cite Kotobank|word=永山基準|accessdate=2020年7月9日|ref={{SfnRef|コトバンク}}}}
* {{Cite book|和書|title=日本の死刑|publisher=柘植書房|date=1990-11-25|ref={{SfnRef|村野薫|1990}}|author=村野薫|edition=第1版第1刷発行|isbn=978-4806802983}}
* {{Cite book|和書|title=死刑囚 永山則夫|publisher=[[講談社]]|date=1994-09-05|author=[[佐木隆三]]|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000177091|edition=第二刷発行|accessdate=2020-07-13|isbn=978-4062071215|origdate=1994年7月28日・第一刷発行|ref={{SfnRef|佐木隆三|1994}}}} - 初出:『[[群像]]』1994年5月号
* {{Cite book|和書|title=新版 死刑再考論|publisher=[[成文堂]]|date=1999-06-01|ref={{SfnRef|斎藤静敬|1990}}|author=斎藤静敬|url=http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/001624.html|edition=第二版第1刷発行|accessdate=2020-09-12|isbn=978-4792315047|chapter=第三章 日本における死刑の現状 第四節 死刑の適用基準|pages=121-127|origdate=初版第1刷発行日:1980年4月1日}}
* {{Cite book|和書|title=死刑はこうして執行される|series=[[講談社文庫]]|date=2006-01-15|edition=第1刷発行|author=村野薫|publisher=講談社|isbn=978-4062753043|pages=|ref={{SfnRef|村野薫|2006}}}}
* {{Cite book|和書|title=死刑|publisher=[[中央公論新社]](発行人:[[浅海保]])|date=2009-10-30|ref={{SfnRef|読売新聞社会部|2009}}|author=[[読売新聞]]社会部|edition=再版発行(初版:2009年10月10日)|isbn=978-4120040634|pages=145-181}}
* {{Cite book|和書|title=死刑の基準--「永山裁判」が遺したもの|publisher=[[日本評論社]]|date=2009-11-30|ref={{SfnRef|堀川惠子|2009}}|author=[[堀川惠子]]|url=https://www.nippyo.co.jp/shop/book/5175.html|edition=第1版第1刷発行|accessdate=2020-07-20|isbn=978-4535517226}}
* {{Cite book|和書|title=私たちは『犯罪』とどう向きあうべきか?―裁判員裁判を経験して死刑のない社会を構想する―第54回人権擁護大会シンポジウム第1分科会 基調報告書|publisher=[[日本弁護士連合会]]|date=2011-10-06|ref={{SfnRef|日弁連|2011}}|editor=日本弁護士連合会 第54回人権擁護大会シンポジウム第1分科会実行委員会|url=https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report1_1.pdf|format=PDF|accessdate=2021-02-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160812032622/http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report1_1.pdf|archivedate=2016-08-12}}
* {{Cite journal|和書|journal=早稲田社会科学総合研究 別冊 2012年度学生論文集|author=天白郁也|title=少年事件における死刑選択基準の一考察 ─光市母子殺害事件第一次上告審判決を通じて─|date=2013-06-25|pages=29-40|publisher=[[早稲田大学]]社会科学学会|ISSN=13457640|NAID=120005334126|ref={{SfnRef|天白郁也|2013}}}}
* {{Cite journal|和書|journal=關西大學法學論集|author=永田憲史|title=[資料] 最高裁において永山事件第一次上告審判決以降 平成27年末までに確定した死刑判決一覧([Material] All Death Sentences in the Supreme Court between 1983 and 2015)|volume=67|date=2017-05-18|issue=1|pages=288-329|publisher=[[関西大学]]法学会|url=http://hdl.handle.net/10112/11390|ref={{SfnRef|永田憲史|2017}}}}
* {{Cite book|和書|title=塀の中の事情 刑務所で何が起きているか|publisher=[[平凡社]]|date=2020-05-18|ref={{SfnRef|清田浩司|2020}}|author=清田浩司|url=https://www.heibonsha.co.jp/book/b506994.html|series=[[平凡社新書]]|accessdate=2020-07-25|isbn=978-4582859416|pages=34-35|issue=941}}
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2021年2月28日 (日) 13:23時点における版

最高裁判所判例
事件名 窃盗殺人強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件
事件番号 昭和56年(あ)第1505号
1983年(昭和58年)7月8日
判例集 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁
裁判要旨
  1. 死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。
  2. 犯行時少年であった者でも、18歳以上であり、犯行の態様も残虐であることなどから、無期懲役とした原判決を破棄した事例。
第二小法廷
裁判長 大橋進
陪席裁判官 木下忠良塩野宜慶宮崎梧一牧圭次
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
刑法9条、199条、240条
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永山基準[1](ながやまきじゅん[1]Nagayama Criteria[2])とは、日本の刑事裁判において死刑を選択する際の量刑判断基準[1]

1983年昭和58年)7月8日最高裁判所第一小法廷(大橋進裁判長)が連続射殺事件1968年発生)の加害者である被告人永山則夫(事件当時19歳少年)に対し、控訴審(東京高等裁判所)の無期懲役判決破棄して審理を東京高裁へ差し戻す判決(第一次上告審判決・以下「本判決」)を言い渡した際に提示した傍論[3]が由来で、日本の最高裁判所が初めて詳細に明示した死刑適用基準である[4]

本基準は必ずしも他の判決に対し拘束力を持つ判例ではないが、後に死刑適用の是非が争点となる刑事裁判でたびたび引用され、広く影響を与えている[1]

概要

本判決において、最高裁第二小法廷は基準として以下の9項目を提示し「それぞれの項目を総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」[3]とする傍論を判示した。

  1. 犯罪の性質[3]
  2. 犯行の動機[3]
  3. 犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性)[3]
    • なお本判決では明示されていないが、3. の1つとして「犯行の計画性」も考慮すべき事情とされている[5]。当初から被害者の殺害まで計画していた(計画性が高い)事件の場合、当初は被害者の殺害までは計画していなかった(計画性が低い)事件より死刑が適用される可能性が高いとされる[6]
  4. 結果の重大性(特に殺害された被害者の数)[3]
  5. 遺族の被害感情[3]
  6. 社会的影響[3]
  7. 犯人の年齢[3]
  8. 前科[3]
  9. 犯行後の情状[3]

本判決は「基準」という言葉そのものは明示しておらず[注 1][9]、それぞれの項目では具体的な数値は示されていない[1]。しかし、その後に行われた死刑事件の刑事裁判では本判決の「各論」と比較・検討して結論を出し、判決理由にて9項目を掲げた「総論」の表現を引用する手法が多く取られている[9]。特に被害者数について、同判決は「結果の重大性ことに殺害された被害者の数」と強調した上で被害者数に言及しているため、その後は被害者数が1人の場合は大半で懲役刑が選択され、「一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン」という基準が形成されていった[10]

その一方で光市母子殺害事件(1999年に発生)の最高裁による差し戻し判決(2006年)では犯行時の被告人の年齢を重視せず[1]、「やむを得ない場合のみ死刑適用が許される」と判示した本判決とは逆に「犯罪の客観的側面が悪質な場合は、特に酌量すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と判示している(後述)[11]。このことから「同判決により、死刑適用基準の解釈に新たな変化がもたらされた」とする識者の見解[1]・判例評釈もある[10]

前史

被告人・永山則夫は1968年(昭和43年)10月 - 11月にかけて東京都京都府北海道愛知県の4都道府県で相次いで男性警備員など4人を射殺するなどしたとして殺人罪(2件)・強盗殺人罪(2件)などの罪に問われ、1979年(昭和54年)7月10日に東京地方裁判所刑事第5部(蓑原茂廣裁判長)で死刑判決を受けた[12]。一方、永山裁判当時は世界的に死刑廃止の潮流が広まっていた[注 2][13]。また日本国内でも死刑判決の宣告数が減少傾向にあった[注 3]ほか、冤罪が問題になり[注 4]、死刑存廃論議が高まっていた[注 5][13]

永山および弁護団が判決を不服として東京高等裁判所控訴したところ、東京高裁第2刑事部(船田三雄裁判長)は犯行時の年齢・幼少期の貧困・第一審判決後の反省の情など、永山にとって有利な情状を評価し、死刑判決を破棄して無期懲役判決を言い渡した[14]。この時、東京高裁 (1981) は判決理由で以下のように判示している[15]

ある被告事件について、死刑を選択すべきか否かの判断に際し、これを審理する裁判所の如何によって結論を異にすることは、判決を受ける被告人にとって耐えがたいことであろう。もちろん、わが刑法における法定刑の幅は広く、同種事件についても、判決裁判所の如何によって宣告される刑期に長短があり、また、執行猶予が付せられたり、付せられなかったりすることは望ましいことではないが、しかし裁判権の独立という観点からやむを得ないところである。しかし、極刑としての死刑の選択の場合においては、かような偶然性は可能なかぎり運用によって避けなければならない。すなわち、ある被告事件につき死刑を選択する場合があるとすれば、その事件については如何なる裁判所がその衝にあっても死刑を選択したであろう程度の情状がある場合に限定せられるべきものと考える。立法論として、死刑の宣告には裁判官全員一致の意見によるべきものとすべき意見があるけれども、その精神は現行法の運用にあたっても考慮に値するものと考えるのである。 — 東京高裁第2刑事部(船田三雄裁判長)・1981年(昭和56年)8月21日判決、事件番号:昭和54年(う)第1933号[16]

同判決は死刑について極めて限定的な解釈を示したもので、死刑廃止運動に弾みをつけるものとなったが、検察は「死刑制度の存在に目を覆ってその宣告を回避したもので、運用面での死刑廃止論に等しい」と反発した[17]。結果、東京高等検察庁は以下の理由から同年9月4日付で[18]、判例違反[注 6]および甚だしい量刑不当[注 7]を理由に最高裁へ上告した[19]

  • 永山以前に4人への(強盗)殺人罪に問われた被告人が死刑に処されなかった前例はなく、同種の事件で死刑が確定している者と比較して不公平である[18]
  • 控訴審判決が示した「死刑を選択する際は、その事件についてどの裁判所が審理しても死刑を選択するだろう程度の情状がある場合に限られるべき」との見解は、最高裁が1948年(昭和23年)に示した死刑合憲判例に違反する[20]
  • 控訴審判決が被告人(永山)に有利な情状として示した永山の精神的未熟度、福祉政策の貧困、被害者遺族への慰謝などについて納得できない点がある[19]

この上告は最高裁に対し、死刑適用の基準を示すことを迫る形となった[17]。上告審における審理の結果、最高裁第二小法廷は戦後の刑事裁判で初めて被告人に不利益な方向で控訴審判決を破棄し、審理を高裁に差し戻す判決を言い渡したが、その際に「犯罪・刑罰のバランスや犯罪防止の見地から極刑がやむを得ないときは、死刑の宣告が認められる」として[4]、前述の9項目を提示した。ただし、その内容は最高裁が初めて明示したとはいえ、従来から刑事裁判においてすべての裁判官が量刑選択に当たり留意している量刑の判断基準のうち、一部を羅列したにすぎなかった[21]。また、村野薫 (2006) は「本判決は『残虐性』『遺族の被害感情』『犯行後の情状』など、客観化しづらい抽象的な要件をいかに評定へ取り込むかについては言及されていなかった。また、比較的客観化しやすい要件である『被害者の数』『犯人の年齢』についても、『それぞれの要素が全体の量刑に与える比重』『被告人に不利な評価と有利な評価とのバランスの取り方』など、『罪責が誠に重大(=死刑選択もやむなし)』か否かを考察するために必要とされる点についても言及されていなかった」と指摘している[22]

なお永山は差し戻し後の控訴審の結果、1987年(昭和62年)3月18日に東京高裁第3刑事部(石田穣一裁判長)で控訴棄却判決(第一審・東京地裁の死刑判決を支持する判決)を受け上告したが[23]、1990年(平成2年)4月17日に最高裁第三小法廷(安岡満彦裁判長)にて上告を棄却する第二次上告審判決を受けたことで死刑が確定[24]。この第二次上告審判決も本判決が示した死刑選択基準を追認する形となった[24]。そして永山は法務大臣松浦功の死刑執行命令により、1997年(平成9年)8月1日に収監先・東京拘置所で死刑を執行されている[25]

殺害された被害者の数

本判決以前から、死刑適用の可否が争われる刑事裁判では殺害された被害者の数が重要視されていた[26]。これは刑法上、最も重要な法益は生命であり、これが現実に侵害された個数が多い=刑事責任が重いと考えられるためである[27]

村野薫 (1990) が死刑事件・無期刑事件の量刑比率(「死刑:無期刑」)について調査したところ、以下のような結果が算出されている[注 8](グラフの赤い部分が死刑事件の割合を示す)[29]

  • 1949年(昭和24年)1月 - 1950年(昭和25年)9月の間(1年9か月間)に判決が確定した死刑事件(84件)・無期刑事件(67件)の場合[29]
    • 被害者1人の場合
      42 / 100
    • 被害者2人以上の場合
      78 / 100
  • 1975年(昭和50年)1月 - 1978年(昭和53年)3月の間(3年3か月間)に判決が確定した死刑事件(34件)・無期刑事件(134件)の場合[29]
    • 被害者1人の場合
      7 / 100
    • 被害者2人以上の場合
      69 / 100

戦後の混乱期には、単純な1人殺害に止まる者でも死刑とされた例がある[注 9]が、裁判所はその後、死刑判決を抑制するようになり、極めて慎重に言い渡すようになった[33]。特に、1965年(昭和40年)以降は死刑適用が相当抑制されるようになり[34]、東京高検の上告後に本事件の調査を担当した稲田輝明(最高裁判所調査官[35]も、過去の重大事件における死刑と無期懲役の量刑の境界について調査し[36]、「強盗殺人罪の場合、全体的に被害者が1人の場合は無期懲役以下、複数であれば死刑が適用される傾向にある」と結論付けている[26]。また、永山の死刑が確定した第二次上告審判決(1990年)に関与した園部逸夫最高裁判所裁判官)は、『読売新聞』社会部記者からの取材に対し、「永山基準は、裁判官が死刑選択に当たって自分を納得させるための『てこ』となる基準を求めていた中で生まれた。9項目のうち、『ことに』という表現が用いられた『殺害方法の執拗性・残虐性』『被害者の数』が重視されたが、その後は下級審の裁判官の間で『被害者が1人の場合、よほどの事情がなければ死刑にできない』という空気が生まれたことは否定できない」と述べている[37]

最高裁司法研修所は2012年(平成24年)7月23日[38]、『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』と題した研究報告書をまとめた(『司法研究報告書』第63輯第3号として刊行、同年10月に法曹会から発売)[39]。同報告書によれば、1980年度(昭和55年度) - 2009年度(平成21年度)に死刑か無期懲役が確定した死刑求刑事件346件[40]・被告人346人(死刑193件・無期懲役153件)について分析したところ[8]、殺人の場合は174人中93人の、強盗殺人の場合は172人中100人の被告人について死刑が確定した[40]。また、死亡した被害者数と死刑適用の比率について分析したところ、以下のような結果が出た[41][38]

死亡した被害者の数と死刑が宣告される比率(1980 - 2009年度に判決が確定した死刑求刑事件)[41]
死亡した被害者数 求刑合計 死刑宣告数 無期刑宣告数
1人 100件
  • 殺人 - 48件
  • 強盗殺人 - 52件
32人 (32%)
32 / 100   (32%)
  • 殺人 - 18人 (38%)
    18 / 48   (38%)
  • 強盗殺人 - 14人[注 10] (27%)
    14 / 52   (27%)
68人(68%)
68 / 100   (68%)
  • 殺人 - 30人 (62%)
    30 / 48   (63%)
  • 強盗殺人 - 38人 (73%)
    38 / 52   (73%)
2人 164件
  • 殺人 - 65件
  • 強盗殺人 - 99件
96人 (59%)
96 / 164   (59%)
  • 殺人 - 31人 (48%)
    31 / 65   (48%)
  • 強盗殺人 - 65人 (66%)
    65 / 99   (66%)
68人 (41%)
68 / 164   (41%)
  • 殺人 - 34人 (52%)
    34 / 65   (52%)
  • 強盗殺人 - 34人 (34%)
    34 / 99   (34%)
3人以上 82件
  • 殺人 - 61件
  • 強盗殺人 - 21件
65人 (79%)
65 / 82   (79%)
  • 殺人 - 44人 (72%)
    44 / 61   (72%)
  • 強盗殺人 - 21件 (100%)
    21 / 21   (100%)
17人 (21%)
17 / 82   (21%)
  • 殺人 - 17人 (21%)
    17 / 61   (28%)
  • 強盗殺人 - 0人 (0%)
    0 / 21   (0%)
  • ※主文が2個以上の場合[注 11]、死刑求刑の個数を人数として計上している[40]
  • ※死亡被害者2人以上の強盗殺人の被害者の中には殺人による被害者を含む場合がある[41]
  • ※人の死亡の結果を伴う放火や、強盗強姦致死で死刑が求刑された場合は、それぞれ殺人罪・強盗殺人罪として扱っている[40]

以上のように、被害者数と死刑判決との間には強い相関関係があり、死刑宣告に当たっての最も大きな要素は被害者数であると報告されている[41]。概ね「被害者に落ち度がなく、複数の被害者を殺害した事件の場合は原則的に死刑である」とされるが[33]、以下のような例外もある[以下(事件発生年 / 殺害人数)と表記]。

被害者3人以上で死刑が回避された事例

司法研修所 (2012) によれば、1980年度 - 2009年度に判決が確定した被害者3人以上の死刑求刑事件(全82件)のうち、無期懲役が確定した事例は17件(すべて殺人事件)[42]。強盗殺人罪に問われた21件はいずれも死刑が確定していた[41][43]が、報告書発行後(2015年)に発生した熊谷連続殺人事件(6人殺害)では2020年に、被告人の心神耗弱を理由に無期懲役が確定している[44]

被害者3人以上で無期懲役が確定した事例
計17件(1980年 - 2009年)
件数 主な事件
(2009年以前に確定)
主な事件
(2009年以降に確定)
備考
心神耗弱で責任能力に問題があった殺人[45] 7件[45] 裁判所が死刑を選択したが、被告人が犯行時に心神耗弱であったことを理由に量刑無期懲役へ減軽した事例[注 13]
心神喪失により無罪になった殺人事件(被害者3人以上)として、青森県新和村一家7人殺害事件[注 12](1953年)がある[51]
男女関係・家庭内の軋轢が原因の殺人[45] 5件[45] 司法研修所 (2012) によれば、5件のうち3人は男女関係に起因する動機から同一機会に3人以上を殺害した事件で、残り2件(杉並・つくば両事件)は家庭内の軋轢から、(ほぼ)同一機会に3人以上の親族を殺害した事件[53]
親族間の殺人事件では3人以上が殺害された事件でも、無理心中や被害者の落ち度を認定したり、犯行の計画性を否定したりして死刑を回避する傾向が目立つ[52]。これらについて、司法研修所 (2012) は「社会的にみた場合の犯意の単一性、家庭内という限られた人間関係のもとでの犯行などを考慮したものと思われる。」と推測している[57]ほか、森炎は「『死のうと思いつめて死にきれなかった者を死刑にすることはない』という考え方や、『死刑にすれば、法の名のもとで一家心中させたことになる』という考えにより、裁判所は無理心中事件への死刑適用を回避している」と指摘している[58]
親族間殺人で死刑を適用された例外的な事例として、岩手県種市町妻子5人殺害事件(1989年)[注 18]がある[52]
共犯事件で、犯行への関与の程度が低い殺人[45] 4件[45] 共犯事件で無期懲役とされた被害者3人以上の殺人6件のうち、5件は3人以上の共犯者による犯行[53]。死刑回避の理由としては以下のような事情が挙げられる。
  • 他の共犯者との刑の均衡[53]
  • 犯行への寄与への度合いの相違[53]
  • 首謀者が圧倒的な影響力を持っていたこと[53]
  • 暴力団組織同士の抗争に端を発する犯行で、被害者側に落ち度[注 24]があったこと[53]
殺意が確定的でなく、未必の故意にとどまった事例 未必の殺意による放火事件(3人以上死亡)でも死刑が確定した事例(昭和郷アパート放火事件[注 26]館山市一家4人放火殺人事件など)があるため、森炎は「本人の内面を重視した場合は無期懲役、結果の重大性を重視した場合は死刑が選択される傾向にある」と指摘している[82]

また、地下鉄サリン事件(1995年・オウム真理教事件)の実行犯(サリン散布役)の1人である林郁夫は、自身がサリンを散布した車両で2人を死亡させた(事件全体では計12人[注 27]が死亡)。本来ならば死刑を求刑されてもおかしくない事例だったが[注 28]、自首を有利な情状と認定した検察側が死刑求刑を見送り、求刑通り無期懲役判決が確定した[注 29][86]

被害者2人の場合

殺害された被害者が2人の事件の場合、計画性が高くなかったり、「主犯ではない」と認定されたりした場合に死刑が回避される傾向が目立っている[87]。また、日本弁護士連合会 (2011) は「異なる機会に2人を殺害した場合には、殺害を繰り返したということで、死刑判断になりやすいが、同じ機会に2人を殺害した場合には無期懲役判断になったものが多い」と報告している(例:名古屋アベック殺人事件[88]

被害者2人で死刑が確定した事例
計96件(1980年 - 2009年)[45]
件数
(被害者の殺害を)当初から意図した強盗殺人 41件
生命保険金目的の殺人[注 30] 6件
(被害者の殺害を)当初から意図していないが、
殺害方法が残虐だったり、強姦・放火を伴ったりした強盗殺人
5件
無期懲役で仮釈放中の殺人・強盗殺人[注 31] 4件
わいせつ目的誘拐殺人[注 32] 2件
身代金目的誘拐殺人[注 33]・無差別殺人[注 34] 各1件
被害者2人で無期懲役が確定した事例
計68件(1980年 - 2009年)[45]
件数
高度な計画性を伴わない殺人[注 35] 20件
計画性がない強盗殺人[注 36]、主犯ではない強盗殺人 各9件
被害者との関係に同情すべき事情がある強盗殺人 5件
利欲目的だが、犯行までに相当悩んでいたり、残虐性が薄い殺人 2件

被害者1人で死刑が確定した事例

一方で1人死亡の事件の場合は、本判決で「永山基準」が示されて以降、死刑回避の傾向が強まっている[103]。「永山基準」以降、被害者1人の殺人事件で死刑が確定した死刑囚の人数は(2008年2月 / 三島女子短大生焼殺事件の加害者の死刑が確定する直前時点で)24人だが、以下のような事情がある場合に限られている[104]

「国民の常識を刑事裁判に反映させる」との趣旨から(2009年に)裁判員制度が導入されて以降、殺害された被害者が1人の事件では(2017年までに)計4件で裁判員裁判により被告人に死刑判決が言い渡されたが、被告人が控訴を取り下げて確定した1事件(岡山元同僚女性バラバラ殺人事件)を除き、いずれも控訴審(職業裁判官のみの審理)で死刑判決が破棄され、無期懲役が言い渡されている(後述)[108]

以下、太字は最高裁が死刑判決を是認したケースである。

被害者1人で死刑が確定した事例
計32件(1980年 - 2009年)[45]
件数 事例 概説 備考
無期懲役で仮釈放中の
殺人・強盗殺人[45]
10件[45] 東京都北区幼女殺害事件[注 12](1979年) 3歳女児にわいせつ行為を行った上で殺害したほか、別に5歳女児への強制わいせつ1件の余罪あり[109]。少年時から幼女への強姦未遂を含むわいせつ行為を繰り返し、7歳女児への強姦殺人で[109]無期懲役に処された。 1980年 - 2009年に判決が確定した事件のうち、この場合に該当する死刑求刑事件は計10件(殺人・強盗殺人とも各5件)あるが、すべて死刑が確定している[110][105]
福岡県直方市強盗殺人事件[注 12](1980年) 仮出所1年後から窃盗を繰り返し、強盗致傷(被害者への大きな後遺症)など多数の余罪があった[111]
福島女性飲食店経営者殺害事件(1990年) 一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。
福山市独居老婦人殺害事件(1992年) 第一審・控訴審における判決は無期懲役だったが、最高裁は1999年に検察官の上告を容れて破棄差戻し。差戻後の控訴審で死刑が言い渡され、2007年に確定(詳細な経緯は#1999年の節を参照)。
川口バラバラ殺人事件(1999年)[注 37] 第一審では「被害者は1人で、衝動的な犯行である」として無期懲役が言い渡されたが、控訴審[注 38]では犯罪性向の強さ、犯行の残忍さが重視され、死刑が言い渡された[注 39][113]。弁護人が上告したが、後に被告人が自ら取り下げたため死刑が確定[113]
宇都宮実弟殺害事件(2005年) 一・二審とも死刑判決を受け、上告取り下げにより確定。
当初から殺害を計画していた
強盗殺人[45]
8件[45] 東村山署警察官殺害事件[注 12](1976年) 政治家家族の誘拐に用いるための拳銃強取を企て、職務中の警察官を襲い殺害[114]。同じ動機で強盗傷人を犯した前科[114](懲役7年)があった[115]
福岡病院長殺人事件(1979年) 2人による共犯事件(2人とも死刑確定)[115]
資産家として知られていた病院長に狙いをつけ[115]、被害者をおびき出す方法、犯行の日時場所、被害者の家族を利用した金員の強奪方法、犯行の隠蔽(遺体の解体・運搬・遺棄など)方法について緻密に計画を練り上げ、周到な準備の上で実行した犯行[116]
被害者の医師を監禁して刺し、大量出血で苦しみ哀願するのを無視して15時間放置[117]。2,000万円を要求しようとしたが失敗し、被害者を殺害した上で死体をバラバラにして海に投棄した[117]。動機は経営上の借金・遊興が原因で、遺体の一部未発見に乗じ、さらに金員を得ようとしていた[117]
被害者1人の殺人事件で複数被告人の死刑が確定した事例は、2009年時点で同事件(1988年4月の上告審判決により2被告人の死刑が確定)のみである[注 40][10]
闇サイト殺人事件(2007年) 犯人3人のうち1人(イニシャルKT)は第一審で死刑判決を受け[10]、いったん控訴したが、自ら取り下げて死刑が確定した。
  • KTと堀慶末に死刑を言い渡した名古屋地裁 (2009) は、計画性の高さや[注 41]インターネットの闇サイトを悪用した犯行の特殊性[注 43]を指摘し[10]、「3人の刑事責任は同等であり、(自首によって事件解決に貢献した1人を除き)死刑が妥当」と結論づけた[注 44][10]
  • しかしKT以外の被告人2人(堀と無期懲役判決を受けた被告人)が控訴したところ、名古屋高裁 (2011) は「第一審が指摘したように『逮捕が困難で模倣性が高い』とは言えず[注 45]、他の強盗殺人などと比べて過度に強調して厳罰で臨むことは相当ではない」「2被告人の刑事責任は被害者の殺害を提案したKTより軽く、綿密な殺害計画もない。2人とも重い前科はなく、矯正可能性がある」として、2被告人に無期懲役判決を言い渡した[121]
共犯者の堀慶末[注 46]は同事件で無期懲役が確定した後(2012年8月以降)、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件への関与が発覚して強盗殺人罪・同未遂罪(2人死亡・1人負傷)で起訴され、2019年に最高裁で死刑が確定した[123]
横浜中華街料理店主射殺事件(2004年)[注 47][124]

第一審判決は無期懲役だったが、控訴審[注 38]で死刑となり[125]、上告棄却判決により確定[124]

  • 犯行の残虐さ[注 48][126]、犯罪性向の強さ[注 49][125](多数の前科)、強い利欲的動機や計画性の高さ[注 50]に加え、強盗殺人未遂事件の被害者が重篤な後遺症を負った点[注 51]などが重視された[124]
同事件の死刑確定は2011年であるため、司法研修所 (2012) の報告書には未記載。
当初から殺害を計画していた
身代金目的誘拐殺人[45]
5件
(全10件)[110]
名古屋市女子大生誘拐殺人事件[注 12](1980年)[注 52][128] 殺害も含めて計画・準備していた[117] 司法研修所 (2012) は「身代金目的の誘拐殺人は、一般的に犯行の計画性が高いとされるが、特に被害者の殺害まで計画された場合は被害者の生命侵害の危険性が極めて高いため、生命軽視の度合いが大きいと考慮されていると思われる」と報告している[130]
一方、身代金目的の誘拐殺人(1人殺害)でも無期懲役が確定した事例もある(10件中5人)が、それらの事件はいずれも誘拐前から被害者の殺害を計画していた事案ではない[130]
日立女子中学生誘拐殺人事件(1978年)[注 58][139] 被害者を誘拐する以前から殺害も含めて計画していたほか、被害者への準強姦未遂[117]
泰州くん誘拐殺人事件(1984年)[注 59][140] 計画性は低かったが、誘拐から1時間半後に[117]「足手まといになる」との理由で被害者(9歳男児)を殺害[130]。控訴審では「被害者の誘拐を決意した後の被告人の行動に照らすと、まさに計画的犯行に比すべきものがあると思料される」と評価されている[130]
熊本大学生誘拐殺人事件(1987年)[注 60][142] 殺害も含めて計画していたほか、殺害した被害者の恋人を監禁して集団で強姦した[117]。共犯者3人は無期懲役(1人)および有期懲役刑(2人)が確定。
わいせつ目的誘拐殺人[45] 3件[45]

奈良小1女児殺害事件(2004年)[注 61][144]

被害者女児(当時7歳)をわいせつ目的で誘拐し、犯行の発覚を恐れて殺害した[145]。第一審で死刑判決が言い渡され、被告人の控訴取り下げにより確定。
  • 加害者が女児に対する強制わいせつ致傷罪などの前科を有していた点、被害者を強姦後に殺害する意図を有していた[注 62]点、被害者である幼女が性的被害に遭っている点、殺害後に遺体を傷つけた点などが重視された[145]
司法研修所 (2012) によれば、わいせつ・姦淫目的で誘拐した後の殺人は計10件あるが、いずれも一連の犯行に着手する前に被害者への殺意を抱いていた事例ではなく、10件中7件で無期懲役が確定している[注 63][149]
三島事件は殺害された被害者が1人で、利欲目的・高度な計画性を伴わない事件であるが、殺人前科を有さない被告人に死刑判決が言い渡された。これは極めて異例なケースとされる[150]
群馬女子高生誘拐殺人事件(2002年)[注 64][151] 被害者(女子高生)を誘拐・強姦後に殺害し、被害者の両親に身代金を要求して受け取った[151]。第一審判決は無期懲役だったが、控訴審で死刑となり[152]、上告せず確定[153]
三島女子短大生焼殺事件[5](2002年) 被害者(女子短大生)を拉致・監禁して強姦した後、灯油をかけて焼き殺した[154]。第一審判決は無期懲役だったが、控訴審で死刑となり[注 65]、最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定。
生命保険金目的の殺人[45] 2件
(全7件)[45]

日建土木保険金殺人事件[117](1976年)[注 66][155][140]

自身が実権を握る会社の代表役員へ3億円の大型保険契約を掛け、その役員を殺害することで保険金を詐取することを計画した上で、Xら共犯者2人と共謀し、1976年7月 - 8月に役員を川・ダムへ連れ出して殺害しようとしたが、危険を察知され身を隠されたため失敗した[155]
その後、Xおよび自分の親分(暴力団連合会会長)らと共謀し、同年9月に役員を自動車で轢き殺そうとしたが失敗したため、1977年1月にXや兄弟分の暴力団幹部らと共謀し、別の役員に同様の保険を掛けた上で自動車内にて絞殺し、遺体を遺棄した[155]。そして翌2月 - 3月にかけ、その役員が他人に殺害されたかのように装って保険金を詐取しようとしたが、保険会社が不審を抱いたため未遂に終わった[155]
死刑判決を受け確定した被告人は同事件の首謀者とされたほか、保険金殺人の既遂1件以外に未遂2件も認定されている[130]
同事件ではほかにもう1人の加害者が一・二審で死刑判決を受けたが、この共犯者は最高裁で死刑判決を破棄(自判)され、無期懲役判決を受け確定している[注 67][156][157]
被害者1人の保険金殺人で無期懲役が確定した5事件はすべて共犯事件で、いずれも共犯者間の役割の違いや、利得が得られなかったことなどが考慮された[158]
計画的な保険金殺人で、かつ被告人に殺人前科がある場合でも「共犯者との量刑不均衡」を理由に死刑が回避され、無期懲役が言い渡された事例(熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件:1989年)[注 68]がある[159]
高度な計画性を伴わないが、殺人前科が重視された事例
  • 熊本主婦殺人事件(1979年) - 農作業中の女性を強姦目的で襲い、鋭利な刃物で刺殺[161]。周到な計画なし[109]。第一審判決は無期懲役だったが、控訴審では犯行態様の残酷さ、無反省な態度などが考慮され、死刑を宣告された[109]。少年時に女性を狙った同種の強盗殺人を起こして[109]懲役5年以上10年以下に処された前科があり、刑の執行終了から3か月後に本件殺人を再犯したため、その前科の存在が量刑選択に相当影響したとされる[110]
  • 名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件(2002年) - 第一審判決は無期懲役[111]。殺人罪で懲役15年の刑に処されたほか、詐欺・窃盗などで多数(20件以上)の前科があり[111]、出所直後に金に困って被害者(スナック経営者)を絞殺。計画性は低いが、過去に起こした殺人事件と類似した経緯・手口の犯行である点が重視された。また、殺害後にわいせつ目的に見せかける偽装工作を行った[111]
無期懲役刑に処された前科はないが、高度な計画性が重視された事例
  • JT女性社員逆恨み殺人事件(1997年 / 殺人罪など) - 加害者(殺人前科あり)は1989年に強姦致傷罪で逮捕・起訴され実刑判決を受けたが、同事件の被害者女性を逆恨みし、出所後に被害者を刺殺した[162]お礼参り[163]。第一審判決は無期懲役だったが控訴審で死刑となり、最高裁で上告棄却判決を受け確定[164]
    • 無期懲役を言い渡した第一審判決 (1999) は「殺人の動機は個人的な恨みで利欲的ではなく、周到な計画に基づく犯行とは言えない」「被告人は公判で謝罪の気持ちを口にしており、人間性の一端が認められる」などの事情を挙げ、「被害者が1人の事件であり、極刑がやむを得ない事件とまではいえない」と判断したが[165]、死刑を言い渡した控訴審判決 (2000) は「動機は個人的な恨みだが、通常みられる人間関係の軋轢・もつれなどのような、被告人側にも同情すべき点がある事案とは全く異なり、自身の犯罪行為を被害者に届け出られたことを逆恨みした極めて理不尽かつ身勝手なもので、動機の悪質性は保険金・身代金目的の殺人と変わらない」「服役中から殺害計画を立て、出所直後から被害者の居所を探して計画通りに準備を進め、周到な用意の末に実行した犯行であり、極めて計画性が高い」などの事情を挙げ、「被害者が1人でも死刑がやむを得ない場合はあり、今回はそれに該当する」と判断している[166]
  • 岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(2011年 / 強盗殺人罪・強盗強姦罪・死体損壊罪・死体遺棄罪) - 元同僚の女性から現金・バッグなどを奪い、女性を強姦・刺殺して遺体を切断・遺棄した[167]
    • 第一審・岡山地裁(裁判員裁判)は2013年2月14日に「事件前から被害者女性を強姦して欲望を満たし、証拠隠滅のため殺害して遺体を処理することまで考えていた。その上で現場を下見し、ナイフ・手錠も用意した計画性の高い犯行だ」[167]「殺害された被害者は1人だが、性的欲求を満たすためという動機は極めて自己中心的で、犯行は残虐。被告人の犯罪的傾向は否定できず、前科がない点を考慮することは相当ではない。被害者への性的被害を伴っており、結果は重大だ」と指摘し、裁判員裁判では1人殺害かつ初犯の被告人に対し初めて死刑判決を言い渡した[168]。判決後に弁護人が控訴したが[167]、被告人が自ら取り下げたため死刑が確定[169]
その他

地下鉄サリン事件(オウム真理教事件)の実行犯のうち1人である横山真人は、自身がサリンを散布した車両では1人の死者も出さなかったが、サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことが重視され、地下鉄サリン事件全体(12人殺害)の関与者の一人として殺人罪を適用され、死刑が確定している。

また、司法研修所 (2012) は「死亡被害者が1名の殺人事件で死刑が選択された」事例の1つとして、勝田清孝事件(死刑の主文2個の事例:事件全体の死者は8人)を挙げている[149][170]が、これは加害者(勝田清孝)が被害者7名の強盗殺人(甲事件:1972年 - 1980年)を犯した後、1980年に別の窃盗事件を起こして検挙され、翌1981年に有罪判決が確定[171]。その確定判決後(1982年)に被害者1名の殺人事件(乙事件:警察庁広域重要指定113号事件)を犯して検挙され、それまで未解決だった甲事件も含めて起訴された結果、甲・乙両事件ともに死刑を宣告された事例である[171]

最高裁の見解

1999年

1990年代に入ると(特に殺害された被害者が1人の事件について)裁判所が死刑を回避する傾向が顕著になり[注 69][37]、検察内部でも「死刑はよほどの事件でなければ出ない」という空気が漂うようになっていた[173]

そのような中で検察当局は1997年 - 1998年にかけ、「近年の裁判所の量刑は軽すぎ、国民感情からかけ離れている」として、控訴審で無期懲役とされた強盗殺人事件の5被告人について死刑を求め上告した[174]連続上告[175]。このうち、国立市主婦殺害事件(1992年10月に東京都国立市で発生)の刑事裁判では[174]、強盗強姦・強盗殺人・窃盗の罪に問われた[176]被告人[注 70]について、東京高検が「死刑を適用すべきで、無期懲役は著しく正義に反する」として、被害者が1人で被告人に殺人前科がない死刑求刑事件としては初となる上告に踏み切ったが[179]、最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は1999年(平成11年)11月29日に無期懲役判決を支持して高検の上告を棄却する判決を言い渡した[174][176]。同小法廷は同判決において、死刑回避の判断を是認した理由として「強盗強姦は計画的犯行だが、殺人は計画的な犯行ではない。被告人の前科・余罪を見ると性欲・金銭欲に基づく犯罪への親近性が顕著だが、他人の殺害や重大な傷害を目的とした犯行はこれまでにない」と指摘したが、一方で「殺害された被害者が1名の事案においても、諸般の情状を考慮して極刑がやむを得ないと認められる場合があることはいうまでもない」と判示している[176]

同時期に検察が上告した3事件についても上告棄却の判断が出されたが、1件(福山市独居老婦人殺害事件:無期懲役囚の仮釈放中の再犯事件)だけは検察の上告が容れられ、同年12月に第二小法廷が「死刑を選択するほかない」として原判決を破棄し、審理を広島高裁へ差し戻す判決を言い渡した[180]。死刑を求めた検察の上告が認容され、破棄差し戻しとなった事例は本事件(永山事件)以来で、同事件は2007年に死刑が確定した[180]最高検察庁刑事部長として「連続上告」を決断した堀口勝正は、後に『読売新聞』社会部記者からの取材に対し「仮釈放中の再犯事件は国家による殺人と同じで、『福山事件のような犯罪を再び無期懲役にすることを許せば、国民の治安への信頼が地に落ちる』と危惧した。当時は寛刑化・死刑回避の傾向が非常に強く、死刑適用に慎重な流れが裁判官の判断を抑圧していた上、検察内部でもあきらめのような空気があったが、連続上告により極刑に慎重な流れを取り払うことができた」と述べている[181]

2015年

また裁判員制度(2009年導入)施行後、殺害された被害者が1人である2事件で、過去に無期懲役に処された前科を有さない被告人2人にそれぞれ死刑判決が言い渡されたが、両事件とも控訴審・東京高裁(村瀬均裁判長)が原判決を破棄し、無期懲役を言い渡した(松戸女子大生殺害放火事件[注 71]など2事件[注 72][187]

この2事件については、いずれも東京高検が死刑適用を求めて上告し、被告人側も量刑不当や事実誤認を主張し上告していたが、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長 / 鬼丸かおる山本庸幸両陪席裁判官)は2015年2月3日付でいずれの事件も控訴審判決を支持し、検察官・被告人側双方の上告を棄却する決定を出した[187][182][186]。この際、同小法廷は両事件の決定で「死刑は被告人の生命を奪う究極の刑罰で、慎重に検討し、どうしてもやむを得ないという根拠を具体的に示す必要がある。過去の判例との詳細な比較は無意味だが、不公平にならないよう十分配慮しなくてはいけない」と判断したが[187]、裁判長を務めた千葉は補足意見にて以下のように述べている。

死刑の選択が問題となり得る事案においては、その適用に慎重さと公平性が求められるものであることを前提に、これまでの裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度・根拠を検討し、その検討結果を評議に当たっての裁判体の共通認識とし、それを出発点として議論することが不可欠であるとしている。その意味するところは次のようなことであろう。
  • すなわち、殺人という犯罪行為の特質やそれに対する死刑という刑罰の本質を見ると、圧倒的に重要な保護法益である生命を奪う殺人という犯罪行為に対する量刑上の評価としては、まず被害者の数が注目されるべきであり、死刑の選択上考慮されるべき重要な要素であることは疑いない(もっとも被害者の数を死刑選択の絶対的な基準のように捉えることは適切ではなく、最終的には他の要素との総合考慮によるべきものであることには注意が必要であろう。)。
  • そのほか、生命という保護法益侵害行為の目的(動機)は、一般に、行為に対する非難の程度に関わるものであり、犯行の計画性は、生命侵害の危険性の度合いに直結するものであり、侵害の態様(執よう性・残虐性)等も究極の刑罰の選択を余儀なくさせるか否かの要素となることは、いずれも、これまでの裁判例が示してきたところである。
  • さらに、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等も取り上げられ得る要素である。
これらの各要素をどの程度重要なものとして捉えるかは、殺人という犯罪行為の特質や死刑という刑罰の本質という刑事司法制度の根本に関係するすぐれて司法的な判断・考察と密接に関係するものであり、これまでの長年積み上げられてきた裁判例の集積の中から自ずとうかがわれるところである。裁判官に求められるのは、従前の裁判官による先例から量刑傾向ないし裁判官の量刑相場的なものを念頭に置いて方程式を作り出し、これをそのまま当てはめて結論を導き出すことではなく、裁判例の集積の中からうかがわれるこれらの考慮要素に与えられた重みの程度・根拠についての検討結果を、具体的事件の量刑を決める際の前提となる共通認識とし、それを出発点として評議を進めるべきであるということである。このように、法廷意見は、死刑の選択が問題になった裁判例の集積の中に見いだされるいわば「量刑判断の本質」を、裁判体全体の共通認識とした上で評議を進めることを求めているのであって、決して従前の裁判例を墨守するべきであるとしているのではないのである。このことは、裁判員が加わる合議体であっても裁判官のみで構成される裁判体であっても異なるところはない(それが控訴審であっても同じである。)。 — 千葉勝美(最高裁第二小法廷・裁判長)、同小法廷・2015年2月3日付決定 事件番号:平成25年(あ)第1127号[186]

産経新聞』(産業経済新聞社)は同月7日付の記事で2事件の決定について言及し「死刑は究極の刑罰であり、慎重な判断が求められるのは当然だが、裁判員制度は国民を司法に参加させ、その日常感覚・常識を判決に反映させることを目的に導入された。制度の趣旨を生かすためには、先例が現状に即しているかについても議論すべきだろう」[188]「(今回は)裁判員が苦慮を重ねて出した死刑の結論が、過去の集積結果から逸脱した(ことになる)。『国民感覚や常識』と『先例の傾向』が乖離しているなら、その理由・背景について分析・議論することも必要ではないか」と指摘している[189]

少年犯罪について

前述の最高裁判所調査官・稲田は死刑と無期懲役の量刑の境界の調査に加え、過去の重大な少年事件における死刑や無期懲役の適用事例についても検討したが、その結果「19歳以上の年長少年が犯した強盗殺人事件で複数の被害者が存在する場合、死刑確定が11人、無期懲役が4人。被害者の数が3人の場合はすべて死刑が適用されている」と結論付けている[190]

「永山基準」が示された本判決以降に発生した少年事件(死刑求刑事件)の刑事裁判では以下のような結果が出ており、天白郁也 (2013) は「少年事件においては殺害された被害者の数に加え、殺害の計画性・被告人の更生可能性が重要視されている」と結論付けている[191]太字は死刑確定事件。

  • 名古屋アベック殺人事件(1988年発生・死者2人 / 2人への殺人罪)[192] - 第一審(名古屋地裁・1989年)で主犯格の少年A(当時19歳)に死刑判決が言い渡されたが、控訴審(名古屋高裁・1996年)で原判決破棄・無期懲役判決が言い渡された(1997年に確定)[193]
    • 第一審判決は、Aとともに殺害行為を実行した少年B(当時17歳)に対しても死刑を選択したが、Bは当時18歳未満の少年だったため、少年法の規定[注 73]により無期懲役が適用された(第一審で確定)[194]
  • 市川一家4人殺害事件(1992年発生・死者4人 / 3人への強盗殺人罪・1人への殺人罪)[195] - 第一審(千葉地裁・1994年)で死刑判決が言い渡され、控訴審(東京高裁・1996年)および上告審(2001年)でも一貫して死刑が支持され確定。2017年に死刑が執行されたが、犯行時少年だった被告人への死刑確定・および少年死刑囚への死刑執行は永山以来20年ぶりだった[196]
    • 悪質な犯行の客観的側面(殺害された被害者が4人である点・単独犯である点など)に加え、主観的側面(被告人が同事件以前にも多数の粗暴な犯罪を重ねており犯罪傾向が見られる点など)が重視された[197]
  • 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年発生・死者4人 / 2人への殺人罪・2人への強盗殺人罪)[198] - 第一審(名古屋地裁・2001年)では被害者4人のうち1人については傷害致死罪が認定され、死刑を求刑された3被告人のうち1人を死刑、2人を無期懲役とする判決が言い渡された[198]。しかし控訴審(名古屋高裁・2005年)では被害者4人全員への殺人罪・強盗殺人罪成立が認定され、3被告人全員に死刑判決が言い渡された[199]。2011年に上告審でも控訴審判決が支持され、3被告人の死刑が確定した[200]
  • 光市母子殺害事件(1999年発生・死者2人 / 2人への殺人罪)[201] - 第一審(山口地裁・2000年)および控訴審(広島高裁・2002年)では無期懲役判決が言い渡されたが、検察が上告したところ、最高裁は2006年に「(事件当時の被告人の)年齢は死刑回避の決定的な事情とはいえない」として控訴審判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した[202]。その後、差し戻し後の控訴審(広島高裁・2008年)では死刑が言い渡され、2012年に弁護側の上告が棄却されたことで死刑が確定[202]。本判決以降、殺害された被害者数が2人の少年事件としては初めて死刑が確定した事例[201]
  • 石巻3人殺傷事件(2010年発生・死者2人 / 2人への殺人罪) - 裁判員制度施行(2009年)以降、少年犯罪における死刑判決宣告・確定は初の事例[203]。第一審(仙台地裁・2010年)で死刑判決が言い渡され、控訴審(仙台高裁・2014年)[204]および上告審(2016年)でも一貫して死刑が支持され確定[203]
    • 光市事件の差し戻し判決(2006年)以降に発生した事件で、犯行当初から被害者の殺害を計画していた点が重視された[205]

脚注

注釈

  1. ^ 司法研修所の研究報告書(2012年)は「永山基準」について「単に考慮要素を指摘しているだけで、基準とはいい難い」と指摘している[7][8]
  2. ^ 永山裁判と同時期にはイギリス(1969年)・カナダ(1976年)・フランス(1981年)で死刑が廃止されていた[13]
  3. ^ 戦後、第一審における死刑判決の宣告数は最多時に60人/年を記録したが、1970年前後からはほぼ1桁台に減少していた[13]
  4. ^ 1979年には死刑が確定していた財田川事件免田事件松山事件で相次いで再審開始決定が出された[13](いずれも後に再審で無罪が確定)。
  5. ^ 法制審議会は1974年、死刑に当たる罪の犯意を現行法より限定するとともに、死刑の適用については「特に慎重でなければならない」とする明文規定を盛り込んだ改正刑法草案を作成した(ただし国会には提出されなかった)[13]。また、草案の議論の過程では「死刑宣告は裁判官全員一致でなければならない」とする提案もされていた[13]
  6. ^ 刑事訴訟法第405条:高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
    1. 憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤があること。
    2. 最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
    3. 最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
  7. ^ 刑事訴訟法第411条:「上告裁判所は、第405条各号に規定する事由がない場合であっても、左の事由があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。(2). 刑の量定が甚しく不当であること。」
  8. ^ 参考:前田俊郎『法律のひろば』1970年10月号[28][29]、加藤松次『法務研究』第67集4号[30][29]
  9. ^ 戦後、犯行時少年で1人を殺害して死刑判決を受けた例も相当数存在する[31]。これは、戦後の混乱期に凶悪犯罪が相次いだことが背景にあり、斎藤静敬 (1990) は「第二次世界大戦の過酷な戦争体験が国民に生命軽視の感覚をもたらした」と述べている[32]
  10. ^ a b 1980年 - 2009年に死刑が確定した被害者1人の強盗殺人(全14件)のうち、8件は当初から被害者の殺害を計画していたケースで[105][5]、ほか6人は無期懲役の仮釈放中に再犯した者である[105]。残る1人は確定判決前の事件(強盗強姦・強盗殺人)で無期懲役に、確定判決後の事件(強盗強姦・強盗殺人)で死刑に処されており、実質的には被害者複数の強盗殺人である[105]
  11. ^ 参照:刑法第45条「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。」
    • 適用例:大阪連続バラバラ殺人事件勝田清孝事件など。これらは起訴された複数の犯行の間に確定判決を挟んでいるため、裁判所は確定判決の前後で事件を分離し、それぞれについて判決を宣告している。
  12. ^ a b c d e f g 本判決(1983年7月8日)以前の判決。
  13. ^ 刑法第39条の規定により、心神喪失者(=責任能力がない人間)の行為を罪に問うことはできず、心神耗弱者(=責任能力が限定されている人間)の行為については必ず刑を減軽しなければならない。淡路島5人殺害事件の控訴審判決(2020年・大阪高等裁判所 / 第一審・死刑判決を破棄)は被害者5人への殺人罪について死刑を選択した上で、「被告人は犯行当時、心神耗弱状態にあった」として刑法39条2項(心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する)、刑法68条1号(死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は十年以上の懲役若しくは禁錮とする)の規定を適用して刑を減軽したが、死刑の減軽は犯行内容の悪質性を鑑みて無期懲役刑にとどまった[49]。また、熊谷連続殺人事件(2019年・東京高等裁判所)でも淡路島事件と同様に第一審の死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡したが、同判決でも「責任能力の点を除けば極刑で臨むほかない」と認定されている[50]
  14. ^ 被告人は東京都杉並区で、妻と口論になった末に家族4人を殺害した[52]。東京地裁は「家族の冷たい一言が原因で、同情の余地がある」として無期懲役を言い渡し、控訴審も同判決を支持した[52]
  15. ^ 家庭内の軋轢から、2日間に相次いで親族[53]3人を殺害[54]
  16. ^ a b ただし、北九州事件で最高裁第一小法廷の裁判官を務めた横田尤孝は上告審決定に当たり、「検察側の上告を棄却すべき」とする多数意見(最高裁判所裁判官5人中4人)に対し「多数意見が被告人に有利な情状として考慮した点には賛同できないものが多いばかりか、仮に百歩譲って多数意見が被告に有利な情状とする点を考慮しても、犯行の凶悪・重大性を鑑みればなお極刑で臨むほかない事件。死刑判決を破棄した無期懲役の量刑は著しく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する。そのため原判決を破棄し、死刑回避の妥当性についてさらに慎重な審理を尽くさせるため、審理を福岡高裁へ差し戻すべきだ」と反対意見を出した[70]。また、横田は裁判長を務めた中津川事件の上告審決定でも、他4人の多数意見「上告棄却」に対し「酌量の余地は皆無で、幼い孫2人まで殺害した結果の重大性・犯行の残虐さなどに照らせば死刑を回避すべき特段の事情は見当たらない。原判決を破棄し、審理を名古屋高裁へ差し戻すべきだ」と反対意見を表明している[56]
  17. ^ 岐阜地裁は弁護人の「被告人は事件当時、心神耗弱状態だった」とする主張を退け、検察官の主張通り完全責任能力を認定したが、「あまりに独善的で自己中心的な犯行だが、犯行動機は長年にわたり母から嫌がらせを受け続けたことである。長男・長女・孫らを殺害した動機も『殺人者の家族』という汚名を着せられるのを避けるためで、理解できないものではない。一家心中という面は否定できず、情状酌量の余地はある」と判断し、死刑を回避した[55]。控訴審・名古屋高裁も一審判決支持(検察官・被告人双方の控訴を棄却)を言い渡し[52]、2012年12月3日付で最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)が検察官・弁護人双方の上告を棄却する決定を出した[注 16][56]
  18. ^ 同事件の動機は生活難・(被告人からの)暴力を苦にした妻から離婚を切り出されたこと[52]。第一審(盛岡地裁)は「被告人は妻子5人を殺害後、自殺を真剣に考えた(無理心中である)」として無期懲役判決を言い渡したものの[59]仙台高裁は「被告人は犯行後に『自分も死んだ方がいい』などと漠然と考えただけで、無理心中ではない。被告人の身勝手で自己中心的な性格に起因する事件」として死刑を言い渡した[60]。なお被告人は上告中(1992年10月16日)に病死したため、同事件は公訴棄却となった[61]
  19. ^ 松本サリン事件(1994年 / 7人殺害)や男性信者殺害事件(1989年)、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件(1995年)など[62]。死亡者数8人(いずれも殺人)[63]で死刑を求刑されたが、「松本サリン事件では従属的な役割だった」として無期懲役を言い渡され、被告人側の上告棄却により2006年に無期懲役が確定[62]
  20. ^ 殺人・傷害致死の被害者が各2人(傷害致死の被害者1人は殺人で起訴)[64]。中心的な役割を果たしたと認定された[64]が、自首により事件解決に貢献したことが考慮され、死刑回避[65]。同事件では共犯者3人の死刑が確定している[66][67]
  21. ^ Xは控訴審でも死刑判決が維持され、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)で2011年12月12日に上告を棄却する判決(死刑支持判決)を受け死刑が確定[68]
  22. ^ 主犯の男Xと共に6人への殺人罪・1人への傷害致死罪に問われ、第一審(福岡地裁小倉支部)で死刑判決を受けたが、控訴審・福岡高裁では「X[注 21]から長年にわたり暴力・虐待を受けたことで正常な判断力が低下し、追従的な立場にあった」として、無期懲役判決を言い渡された[69]。検察官は判例違反を理由に上告したが、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)が2011年12月12日付で棄却決定を出したため、無期懲役が確定[注 16][70][71]
  23. ^ 主犯格(同僚の男)2人+幇助犯1人と共謀し、経営者とその息子夫婦を殺害したとして強盗殺人罪死体遺棄罪に問われた。第一審では「自ら被害者2人を次々に殺害した」として死刑判決を受けた[72]が、控訴審では「主犯格の1人から事件当日に急遽呼び出され、突発的に犯行に巻き込まれた」として無期懲役を言い渡され[73]、上告棄却により確定[74]。主犯格2人は死刑が[75][76]、残る1人は懲役18年が確定した[76]
  24. ^ 被害者らが所属していた暴力団組織が、加害者らが所属していた暴力団組織に切り崩し工作を図り、自ら抗争を誘発したこと[53]
  25. ^ 首謀者のうち1人の控訴審判決(第一審・無期懲役判決を支持)において、大阪高裁 (2009) は「被告人は実行行為には加担していないが、共犯者たちと事前の謀議があった。また被告人は以前、被害店舗と同じ場所でテレクラを経営していたため、店の構造を知っており、仮に店内へ火炎瓶が投げ込まれれば死者が出ることを容易に想像できた」として、共犯者たちとの共謀および殺意を認定したが、「死傷者の発生は本意ではなく、殺意の程度は高くなかった」として死刑を回避した[77]。2人とも2010年・2013年に相次いで最高裁で無期懲役が確定した[78][79]ほか、実行犯2人も無期懲役が確定している[78]
  26. ^ 同事件では8人が焼死したが、殺意自体が認められず、放火罪のみで死刑判決が言い渡され確定した[82]
  27. ^ 起訴状による。行政上では死者数は「13人」と認定されているが、13人目は事件翌日に浴室で事故死した男性で[83]、起訴状ではこの被害者について「サリン吸引と死亡の因果関係が不明」として殺人未遂罪で起訴されている。その後、2020年3月10日にサリン中毒の後遺症(低酸素脳症)により1人が死亡した[84]ため、2020年時点では死者は14人である。
  28. ^ 実際、東京地検は林郁夫への求刑に当たり、論告で「本来ならば死刑を求刑すべき」と述べているほか[85]、林郁夫以外の実行犯(地下鉄車両へのサリン散布役)4人(広瀬健一横山真人豊田亨林泰男)はいずれも求刑通り死刑判決を受け確定した[86]。地下鉄サリン事件ではこのほか、麻原彰晃オウム真理教教祖 / オウム事件全般の首謀者)・新実智光(送迎役 / 地下鉄サリン事件以前にも多数の殺人事件に関与)・井上嘉浩(総合調整役)が死刑判決を受け確定した(いずれも2018年に死刑執行)。
  29. ^ 自首は絶対的減軽事由ではなく任意的(裁量的)減軽事由であるため、同じくオウム真理教事件の岡崎一明(2018年に死刑執行)のように、自首の成立自体は認定されても酌量理由とは認められず死刑が確定した例もある。
  30. ^ 被害者2人の保険金殺人は10件中6件で死刑が、4件で無期懲役が確定している[89]。無期懲役が確定した事例には、「既存の保険契約を利用しており、殺害方法が極端に残虐でない事例」「死刑に処された共犯者に比べ、関与の度合いが低かったり、その共犯者から繰り返し誘われた末に加担した事例」「周到な計画性がなかった事例」がある[90]
  31. ^ 殺人が3件[91]豊中市2人殺害事件:244番など[92])、強盗殺人が1件[93]熊本母娘殺害事件:106番)[94]
  32. ^ 例:飯塚事件(事件一覧表における整理番号:211番)[95]
  33. ^ 富山・長野連続女性誘拐殺人事件(事件一覧表における整理番号:116番)[96]
  34. ^ 池袋通り魔殺人事件(事件一覧表における整理番号:246番)[97]
  35. ^ 殺害の計画性が皆無もしくは低かったり、綿密な計画の下で実行されたものでなかったりする場合[98]。例:名古屋アベック殺人事件(事件一覧表における整理番号:131番)[99]秋田児童連続殺害事件[58](同:341番)[100]。ただし、これらの事件は計画性の低さだけでなく、様々な犯情・情状が考慮されている[93]
  36. ^ 「家人などに気づかれて殺害におよび、同一機会に2人を殺害した場合」(5件)「複数機会に事後強盗殺人ないしそれに近い類型の強盗殺人を犯した場合」(1件)「犯行現場で被害者と借金の申し出に関するやり取りをしたが、断られたことをきっかけに強盗殺人に至った事例」(2件)など[101]。ただし、犯行現場で強盗殺人の犯意が発生した場合でも、殺害方法の残虐さや強固な殺意などが考慮され、死刑が確定した事例もある[102]
  37. ^ 1978年に千葉県で強盗殺人事件を起こしたとして同年9月に強盗殺人罪で無期懲役判決を受け、1998年1月に仮釈放されたが、出所後の1999年1月9日に被害者女性(当時21歳)と喧嘩になって女性を殺害した[112]
  38. ^ a b 東京高裁(高橋省吾裁判長)[113][125]
  39. ^ 東京高裁は「20年間服役したにも拘らず、出所直後に殺人を再び犯した」「(被害者の遺体を切り刻んで遺棄した点は)極めて悪質で、人命への畏敬の念が全く感じられない」と指摘した[113]
  40. ^ なお控訴審・上告審で被告人2人(いずれも1996年に死刑執行)のうち1人の弁護人を担当した岩城邦治弁護士は、死刑囚の刑執行後に「自分は死刑制度そのものに反対だが、1人の死に対し、2人の死を以て報いる量刑自体が重すぎる」と述べている[118]
  41. ^ 名古屋地裁 (2009) は「被告人3人は『楽をして金儲けしよう』と考えて犯罪計画を立て、犯行前の謀議により、被害者を拉致・殺害し、遺体を遺棄することまで計画した上で犯行におよんだ」と認定した[119]上で、「同事件は監禁場所・殺害方法について詳細な計画はなかったが、計画自体が『通行中の女性を物色して襲う』というもので、具体的・詳細な方法は成り行きに任せざるを得ない部分があることは当然。最後に被害者を殺害する点は当初の計画通りに実行された。より綿密詳細な計画が立てられていた事件と比べ、刑の選択を分けるほど有利な事情は認められない」[119]「事前にロープ・ハンマー・包丁などを用意し、何人もの女性を追尾した計画的な犯行。素性を知らない者同士が悪知恵を出し合い、虚勢を張り合った、1人では行えない凶悪な犯行」と認定した[10]
  42. ^ 匿名性については「仮に犯行後、集団が解消され、それぞれが連絡手段を絶ってしまえば、犯罪者を発見・検挙することが著しく困難になることが予想される。このような犯罪は誠に悪質で、社会の安全に与える影響も大きく、一般予防の必要性も高い」と指摘した[119]。その上で、自首した被告人1人については「自首の動機はKT・堀に腹を立てたことによると考えられるが、自首しなければ捜査は相当難航したことも予想され、その場合は次の犯行が行われた可能性が否定できない。自首したことでKT・堀の逮捕に協力したことは量刑要素として大きく評価できる」として、死刑を回避した[119]
  43. ^ 名古屋地裁 (2009) は「闇サイトを悪用した犯行は凶悪化・巧妙化しやすく危険。また匿名性が高いため、発覚が困難で模倣性も高く[注 42]、厳罰で臨む必要性が高い」と指摘し[10]
  44. ^ 名古屋地裁 (2009) は「KTは殺害の計画・実行に最も積極的に関与した。堀も当初から犯行計画を積極的に提案し、特に『人を拉致して強盗する』という計画を当初から提案した上、殺害実行行為にもKTに次いで積極的に行っていた」と認定したほか、自首した被告人1人(無期懲役)についても「結果的に、他2人と比べれば殺害実行行為への関与は程度が低いが、闇サイトへの投稿によりKT・堀を集めたほか、(未遂には終わったが)被害者に性的暴行を加えようとした」と認定し、「KTの有する知識・経験を頼り、互いが互いを利用し合い、3人という集団で犯罪を行うことで自らの利欲目的を満たそうとした犯行。3人の間に量刑選択を分かつほどの差異は認められない」と結論付けた[120]
  45. ^ その理由として、名古屋高裁 (2011) は「インターネットを通じて知り合った素性を知らない者同士の犯行は、意思疎通の不十分さから失敗に終わりやすく、携帯電話・メールの履歴など痕跡が残るため、発覚が困難とは考え難い」と指摘した[121]
  46. ^ 堀は死刑確定前の2019年5月、インパクト出版会から実名で著書『鎮魂歌』を発刊している[122]
  47. ^ 現住建造物等放火未遂、建造物侵入・強盗未遂、強盗殺人、強盗殺人未遂を起こした[124]
  48. ^ 殺傷力の高い強力な拳銃を使用した点[126]、被害者の右頬に銃口を押し付けて撃ち抜いた点[125]
  49. ^ 同事件の加害者は以前に7回服役していたが、服役中から犯行計画を練り続けており、出所翌月から一連の事件を起こした[127]
  50. ^ 事前に下見を繰り返すなど[124]
  51. ^ 同事件の被害者は脊椎を損傷したほか、(右足の完全麻痺など)両下肢機能障害といった後遺症を負い[124]、社会的な活動を制限された[126]。東京高裁で裁判長を担当した高橋は『読売新聞』社会部 (2009) の取材に対し「一連の事件の死者は1人だが、(渋谷駅事件で重い後遺症を負った被害者の存在を考慮すれば)限りなく2人殺害に近い」と述べている[126]
  52. ^ 1987年(昭和62年)7月に最高裁で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けたため死刑が確定[128]。1995年12月に名古屋拘置所で死刑執行[129]
  53. ^ 加害者の男(元電気工事業)は放漫経営と遊興から、材料仕入れ代などの借金返済に困り、身代金目的誘拐を計画[131]。1980年8月2日、山梨県東八代郡一宮町(現:笛吹市)で5歳の被害者男児(保育園児)を誘拐し、被害者宅に電話で「11日までに身代金1,000万円を用意しろ」と要求[131]。誘拐から2日後の8月4日夜、同県中巨摩郡敷島町の山中で被害者を扼殺し、死体を埋めた[131]。甲府地裁 (1982) は被告人の反省の情・更生可能性を評価しつつも、泣き叫ぶ被害者男児を殺害した残忍さ、幼児誘拐殺人という犯罪の模倣性の強さを重視して死刑判決を言い渡した[132]が、無期懲役を選択した東京高裁 (1985) は「犯行は残忍・冷酷だが、被害者を見失い、いったんは誘拐を諦めるなど、犯行に躊躇もある。身代金の要求も場当たり的で、必ずしも緻密な計画に基づく行為とは言い難い」と判断した[133]。鬼塚は退官後、『読売新聞』社会部記者からの取材に対し「少しでも酌量の余地があれば、死刑から救ってやりたいと思っていた」と回顧している[132]
  54. ^ 同事件の加害者(受刑者)は2008年11月時点で千葉刑務所に服役している[134]
  55. ^ 同事件の被告人に対し、第一審では甲府地裁(芥川具正裁判長)で1982年3月30日に死刑判決が言い渡された[注 12][131]が、控訴審で東京高裁刑事第3部(鬼塚賢太郎裁判長)は1985年3月20日に原判決を破棄して無期懲役判決を言い渡し[注 53][133]、無期懲役が確定した[注 54][132]
  56. ^ 三浦自身は「一般的には死刑判決の方が理解を得られるかもしれない」と考えていたが、甲府地裁 (1995) は「犯行態様は計画的かつ冷酷・残忍だが、被告人に前科はなく、犯行に至るまで普通に勤務していた。また『追及の手から逃れられない』と観念した結果とはいえ、自ら警察に出頭し、犯行内容を詳細に供述した」として死刑を回避した[135]
  57. ^ 同事件は死刑が確定した名古屋女子大生誘拐殺人事件と犯行形態が類似していたが、甲府地裁(三浦力裁判長)は被告人の更生可能性[注 56]を重視し、1995年3月9日に無期懲役判決(求刑:死刑)を言い渡した[136]。控訴審・東京高裁(1996年4月)も「近年、その罪種の如何に拘らず、殺害された被害者が1名の事案については、死刑の適用は依然と対比してやや控えめな傾向がある」と指摘して第一審判決を支持し、検察が上告を断念したため無期懲役が確定している[137]
  58. ^ 1988年(昭和63年)に最高裁で死刑が確定[117]。しかし死刑は執行されず、2013年6月に収監先・東京拘置所で病死[139]
  59. ^ 1991年(平成3年)に最高裁で死刑が確定[117]。1998年11月に広島拘置所で死刑執行[140]
  60. ^ 1998年(平成10年)4月に最高裁で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けたため死刑が確定し、2002年9月に死刑執行[141]
  61. ^ わいせつ誘拐罪・強制わいせつ致死罪・殺人罪・死体損壊罪・死体遺棄罪・脅迫罪など[143]
  62. ^ 奈良地方裁判所 (2006) は「被告人は『被害者(女児)をそのまま自宅に帰せば犯罪が明るみに出る』と考え、女児を強姦した後に殺害することを考えていたところ、浴室内でわいせつ行為をした女児に抵抗されたため、犯行を恐れて殺害におよんだ。本件は偶発的な事情からとっさに殺意を抱いて犯した激情犯的な犯行とは全く異なるもので、その動機は身勝手極まりなく酌量の余地はない」と認定している[146]
  63. ^ 例:名護市女子中学生拉致殺害事件(1996年発生)[147]江東マンション神隠し殺人事件(2008年発生)[148]
  64. ^ 殺人罪・わいせつ略取罪・強姦罪など[151]
  65. ^ 控訴審判決 (2005) は被告人が過去に少年時代から非行を繰り返し、強盗致傷罪で服役するなどした犯罪性向の深さに加え、犯行態様の悪質さ・残虐な殺害方法・改善更生可能性の乏しさなどを重視した[154]
  66. ^ 1989年3月に最高裁で死刑が確定し、1998年11月に名古屋拘置所で死刑執行[140]
  67. ^ この被告人(無罪を主張)について、最高裁第二小法廷(根岸重治裁判長)は1996年9月20日に「(一・二審は「背後で死刑囚を操っていた」と認定したが)積極的に殺人計画を推進した共犯者(死刑囚)に引きずられたのであって、主導性は死刑囚より劣る。命を狙われた被害者は3人だが、結局殺害されたのは1人で、この被告人は殺人の実行行為・殺害方法の謀議には関与していない」として死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した[156][157]。最高裁が量刑不当を理由に下級審(控訴審)の死刑判決を破棄した事例は1953年(昭和28年)以来・戦後2件目だった[156]。このほかの共犯者7人はいずれも懲役刑(無期懲役 - 懲役4年まで)が確定した[156]
  68. ^ 被告人のうち1人(実行犯)[159]。この被告人は殺人罪で懲役20年の刑に処され、その仮釈放中に犯行におよんだとして第一審で死刑を言い渡されたが[160]、控訴審では「犯行を依頼した首謀者は無期懲役刑が確定しており、この被告人を死刑に処すことは刑の均衡を失する」として無期懲役が言い渡された[159]。その後上告中に被告人が病死し、最高裁で公訴棄却となった。
  69. ^ 福山事件の控訴審判決以前には、1996年4月に東京高裁で甲府信金OL誘拐殺人事件(1993年発生)の被告人に対し無期懲役判決が言い渡されるなど、検察側が死刑を求刑した事件で死刑が回避される控訴審判決が相次いでいた[172]
  70. ^ 同事件の被告人について、第一審・東京地裁八王子支部(豊田健裁判長)は求刑通り死刑を言い渡したが[177]、控訴審・東京高裁(中山善房裁判長)は原判決を破棄して無期懲役判決を言い渡していた[178]
  71. ^ 1件(松戸女子大生殺害放火事件)は累犯前科および強盗致傷・強盗強姦の同種前科を有する男が出所から3か月後、女子大生を強盗目的で刺殺し、現場に放火して遺体を焼損した(強盗殺人・建造物侵入・現住建造物等放火・死体損壊事件)ほか、その前後約2か月間に住居侵入・窃盗3件、強盗致傷3件、強盗強姦および同未遂各1件などを犯した事件[事件番号:平成25年(あ)第1729号][182]。松戸事件以外の事件でも死亡してもおかしくないほどの重篤な傷害や、深刻な性的被害を受けた被害者が出ていた[183]。第一審・千葉地裁(裁判員裁判)は2011年6月に死刑判決を言い渡したが、東京高裁(村瀬均裁判長)は2013年10月8日に[184]「殺害された被害者が1名の強盗殺人で、殺害行為に計画性がない場合には、死刑は選択されないという傾向がみられる。先例から判断すれば死刑を選択すべきことが真にやむを得ないとはいえない」として無期懲役を言い渡していた[183]
  72. ^ もう1件は1988年に妻を殺害し、自宅に放火して長女を焼死させたとして[185]殺人・殺人未遂・現住建造物等放火の罪に問われ、懲役20年に処された前科を有する男が出所から半年後、東京都港区南青山のマンションに強盗目的で侵入して住人の男性を刺殺した強盗殺人事件[事件番号:平成25年(あ)第1127号][186]。第一審・東京地裁(裁判員裁判)は「冷酷非情な犯行で前科を特に重視すべきだ」などとして求刑通り死刑を言い渡したが、東京高裁(村瀬均裁判長)は2013年6月に「前科の殺人(無理心中)と今回の強盗殺人には類似性が認められない。第一審は前科を過度に重視しすぎた」として無期懲役を言い渡していた[185]
  73. ^ 少年法第51条(1項)は「犯罪を犯した時に18歳未満だった少年に対し、死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならない」と規定している。

出典

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『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:24005888
【事案の概要】
  1. 犯行時19歳の少年であった被告人が、ピストルによる殺人2件、強盗殺人2件、強盗殺人未遂1件等を犯したものではあるが、出生以来極めて劣悪な生育環境にあったため、精神的な成熟度においては、犯行時実質的には18歳未満の少年と同視しうる状況にあったと認められ、かような劣悪な環境にある被告人に対し救助の手を差延べなかった国家社会もその責任を分ち合わなければならないと考えられることなどの事情を綜合すると、被告人に死刑を言い渡した原判決は重きに過ぎ、無期懲役に処するのが相当である。
  2. 少年が盗んだけん銃により1箇月内に4名を射殺し1名に発射したなどの強盗殺人・同未遂、殺人等の事案について、言渡した第一審の死刑は、被告人の犯行時の年令、生育時の劣悪な環境、現在の心境変化、遺族に対する慰藉の措置等を考慮すれば、酷に過ぎて不当である。
TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:24005888
  • 判決内容:原判決を破棄し、被告人・永山を無期懲役に処する(検察官が上告)
  • 裁判官:船田三雄(裁判長)・櫛淵理・門馬良夫
  • 本判決 - 最高裁判所第二小法廷判決 1983年(昭和58年)7月8日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁、昭和56年(あ)第1505号、『窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件』「一・死刑選択の許される基準 二・無期懲役を言い渡した控訴審判決が検察官の上告により量刑不当として破棄された事例」、“一・死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。二・先の犯行の発覚をおそれ、あるいは金品の強取するため、残虐、執拗あるいは冷酷な方法で、次々に四人を射殺し、遺族の被害感情も深刻である等の不利な情状(判文参照)のある本件においては、犯行時の年齢(一九歳余)、不遇な生育歴、犯行後の獄中結婚、被害の一部弁償等の有利な情状を考慮しても、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、甚だしく刑の量定を誤つたものとして破棄を免れない。”。

最高裁司法研修所による研究報告書

書籍・論文など