コンテンツにスキップ

「世界金融危機 (2007年-2010年)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
加筆、出典追加
編集の要約なし
(5人の利用者による、間の12版が非表示)
1行目: 1行目:
'''世界金融危機'''(せかいきんゆうきき、{{lang-en-short|Global Financial Crisis}})とは、[[2007年]]に顕在化した[[サブプライム住宅ローン危機]]を発端とした[[リーマン・ショック]]と、それに連鎖した一連の国際的な[[金融危機]]である。'''世界経済危機'''、'''世界金融崩壊'''、'''世界金融不況'''、'''世界同時不況'''、'''リーマン不況'''、'''第二次世界恐慌'''<ref>"The Second Great Depression : Why the Economic Crisis Is Worse Than You Think". Retrieved 8 May 2014.</ref> などとも呼ばれる。
'''世界金融危機'''(せかいきんゆうきき、{{lang-en-short|Global Financial Crisis}})とは、[[2007年]]に顕在化した[[サブプライム住宅ローン危機]]を発端とした[[リーマン・ショック]]と、それに連鎖した一連の国際的な[[金融危機]]である。'''世界経済危機'''、'''世界金融崩壊'''、'''世界金融不況'''、'''世界同時不況'''、'''リーマン不況'''、'''第二次世界恐慌'''<ref>''The Second Great Depression : Why the Economic Crisis Is Worse Than You Think''. Retrieved 8 May 2014.</ref> などとも呼ばれる。年表については、「[[サブプライム住宅ローン危機の年表]]」を参照


== 概要 ==
国際流動性の欠乏によって引き起こされ、[[シャドー・バンキング・システム]]の危機に発展し、これまで行われてきた金融規制に限界が存することを明らかにした{{efn|国際流動性とは、基軸通貨を証券化商品にまで拡張した概念である。}}<ref>Łukasz Mamica, Pasquale Tridico, ''Economic Policy and the Financial Crisis'', Routledge, 2014, [https://books.google.co.jp/books?id=ITYsAwAAQBAJ&pg=PA6&dq=international+liquidity+crunch+and+having+been+transformed+into+a+crisis+of+the+'shadow+banking'+industry,+has+revealed+the&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjglZbJzf_bAhWGopQKHY6MBLoQ6AEIJzAA#v=onepage&q=international%20liquidity%20crunch%20and%20having%20been%20transformed%20into%20a%20crisis%20of%20the%20'shadow%20banking'%20industry%2C%20has%20revealed%20the&f=false p.6.]</ref><ref name=nesvet>Anastasia Nesvetailova, [http://www.academia.edu/20185290/Liquidity_in_Light_of_the_Shadow_Banking_System_Lessons_from_the_Two_Crises 'Liquidity' in Light of the Shadow Banking System: Lessons from the Two Crises], in ''Economic Policy and the Financial Crisis''</ref>。短期金融市場から調達された資金を引き揚げられて、シャドーバンキングは脆弱性を露呈した<ref name=nesvet /><ref name=kitahara>{{Cite book|和書|author=北原徹|title=[https://ci.nii.ac.jp/naid/110008753555 シャドーバンキングと満期変換]|series=立教経済学研究|date=2012-01-20}}</ref>。
[[ファイル:Birmingham Northern Rock bank run 2007.jpg|thumb|right|2007年9月15日、サブプライム住宅ローン危機による[[取り付け騒ぎ]]。[[イギリス]][[バーミンガム]]の[[ノーザン・ロック]]銀行の支店。]]


2007年の時点では不動産バブルの崩壊が問題とされていたが、バブル崩壊の影響で銀行や基金が破綻をしたため金融機関が問題とされ、さらに2008年には金融システム全体の問題に対処しなければならなくなった。中欧・南欧・東欧を中心に世界各地へ連鎖的に広がり、その規模と速度は1930年代の[[世界恐慌]]を上回った{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=188, 190}}{{Sfn|柴田|2016|loc=序章}}。
[[2008年]][[9月29日]]に[[アメリカ合衆国下院]]が[[緊急経済安定化法]]案を一旦否決したのを機に、[[ニューヨーク証券取引所|ニューヨーク証券取引市場]]の[[ダウ平均株価]]は史上最大の777ドルの[[暴落]]を記録した<ref name="nikkei20080930">{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080930AT2M3000E30092008.html|title=NYダウ最大の下げ、終値777ドル安 下院が金融安定化法案否決|newspaper=日本経済新聞|date=2008-09-30|accessdate=2008-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081003003842/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080930AT2M3000E30092008.html|archivedate=2008-10-03}}</ref>。これにより、金融危機は中欧・南欧・東欧を中心に各国へ連鎖的に広がった<ref name=shibatachap />。さらに10月6日から10日まではまさに「暗黒の一週間<ref>この呼称は [http://www.kanaloco.jp/editorial/entry/entryxiiioct081011/ 神奈川新聞2008年10月12日付社説] で用いられた。</ref>」とも呼べる[[株価]]の暴落が発生した。


最悪期の2008年第2四半期から2009年第1四半期には、世界の資本移動の90%が消滅し、富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少した。貿易にも影響し、[[世界貿易機関]](WTO)が統計を集めている104カ国の全てで輸出入が減少した。2009年第2四半期は、[[国際通貨基金]](IMF)が統計を集めている60カ国のうち52カ国で[[国内総生産]](GDP)が縮小した。全世界の失業者は2700万人から4000万人に達したといわれる{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=183-187}}。
== 前史==

=== ジョブ・ロス・リカバリー ===
; 対策
各国は従来の枠組みを越えて協調した。[[G20]]では、それまで[[財務大臣・中央銀行総裁会議|財務相・中央銀行総裁会議]]を開催していたが、さらに首脳陣の会合として2008年11月にG20サミットが始まった。中央銀行ではアメリカの[[連邦準備制度]](FRB)を中心として[[通貨スワップ協定]]が拡充された。[[国際通貨基金]](IMF)は2008年から求めに応じて支援を行い、さらに融資拡充をした。それまでの金融規制に限界があることが明らかになり、[[バーゼル銀行監督委員会]]では銀行の国際業務の規制が進められた{{Sfn|柴田|2011|p=9}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=583-584}}<ref>Łukasz Mamica, Pasquale Tridico, ''Economic Policy and the Financial Crisis'', Routledge, 2014, [https://books.google.co.jp/books?id=ITYsAwAAQBAJ&pg=PA6&dq=international+liquidity+crunch+and+having+been+transformed+into+a+crisis+of+the+'shadow+banking'+industry,+has+revealed+the&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjglZbJzf_bAhWGopQKHY6MBLoQ6AEIJzAA#v=onepage&q=international%20liquidity%20crunch%20and%20having%20been%20transformed%20into%20a%20crisis%20of%20the%20'shadow%20banking'%20industry%2C%20has%20revealed%20the&f=false p.6.]</ref><ref name=nesvet>Anastasia Nesvetailova, [http://www.academia.edu/20185290/Liquidity_in_Light_of_the_Shadow_Banking_System_Lessons_from_the_Two_Crises 'Liquidity' in Light of the Shadow Banking System: Lessons from the Two Crises], in ''Economic Policy and the Financial Crisis''</ref>。危機の原因として会計監査制度も批判を受け、会計基準や監査基準も変更された{{Sfn|森|2019|pp=63-68}}{{Sfn|小松|2019|pp=32-34}}。当時は「[[大きすぎて潰せない]]」という言葉が象徴するように大手金融機関の救済が優先されており、住宅ローンの債務者の救済が不十分だった{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=3409-3417/4780}}。

; 影響
[[File:GDP Real Growth in 2009.svg|thumb|upright=1.7|300px|2009年の実質GDP成長率。茶色は景気後退の地域を表す。]]
危機への対策によって2009年にはアメリカでは景気回復が起きたが、経済格差が拡大した。ヨーロッパでは金融危機後に銀行の資本増強が進まなかったため、2010年に国債がもとで[[ユーロ危機]]が起きた。金融危機対策やIMF支援の条件として緊縮財政を進めた各国では、国内で経済的困窮や社会不安を招いた。世界各地で抗議活動が起き、政権交代や国際機関からの離脱、地域紛争の発端にもなった。「[[ウォール街を占拠せよ]]」と呼ばれた抗議デモは、同様の活動が900以上の都市で開催された。イギリスでは国民投票によって[[イギリスの欧州連合離脱|欧州連合離脱]]が決定した。ウクライナとロシアの間では[[クリミア危機・ウクライナ東部紛争]]が起きた{{Sfn|パッカー|2014|pp=564-573, 586-591}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=583-584}}。

; 原因・対策の研究
金融危機の原因や、対策の評価についての研究が続いている。危機の発生や拡大には、住宅ローンの[[証券化]]、低金利政策、[[シャドー・バンキング・システム]]などが関わっていた。最大の原因は住宅投資の減少であり、そのもとをたどると住宅ローンに投資した人々の債務増加にいたる。特にサブプライム・ローンでは、返済能力を無視して貸付を行う{{仮リンク|略奪的貸付|en|predatory loan}}が以前から問題となっており、貸し倒れが増えたことで債務損失が増幅し、バブルが崩壊した{{Sfn|福光|2005|pp=58, 70-73}}{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=1112-1134, 2470/4780}}。金融危機の当初は、経済学者や政策立案者は債務者よりも銀行の救済を優先していたが、その後の研究では家計債務(特に住宅ローン債務)を減免した方が金融危機の回避に役立ったというデータが集まっている{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=3409-3417/4780}}。

== 背景 ==
=== 証券化と低金利政策 ===
[[File:Chart of NASDAQ, DJI, FF, USGG10YR, JPY-USD and EUR-USD.png|400px|right|thumb|上段より[[NASDAQ]]<ref name=NASDAQ>{{cite web|url=http://finance.yahoo.com/q/hp?s=%5EIXIC |title=NASDAQ Historical Price |publisher=Yahoo! Finance |accessdate=2010-01-11}}</ref>、[[ダウ平均株価]]<ref name=DJI>{{cite web|url=http://finance.yahoo.com/q/hp?s=%5EDJI |title=Dow Jones Industrial Average Historical Price |publisher=Yahoo! Finance |accessdate=2010-01-11}}</ref> の[[ローソク足]](月足)、[[フェデラル・ファンド金利]]誘導目標<ref name=Fed.of.StLouis>{{cite web|url=http://www.research.stlouisfed.org/ |title=Economic Data |publisher=[[セントルイス連邦準備銀行|セントルイス連銀]] |accessdate=2010-01-11}}</ref><ref name=BOJ>{{cite web|url=http://www.boj.or.jp/theme/research/stat/etc/index.htm#hdis |title=主要国・地域の中央銀行政策金利 |publisher=[[日本銀行]] |accessdate=2010-01-11}}</ref>(赤)、米国債10年物利回り<ref name=Fed.of.StLouis />(青)、[[円 (通貨)|JPY]]/[[アメリカ合衆国ドル|USD]]<ref name=Fed.of.StLouis />(黄緑)、[[ユーロ|EUR]]/USD<ref name=Fed.of.StLouis />(紫)の月末値推移(1999年1月~2003年12月)]]
[[File:Chart of NASDAQ, DJI, FF, USGG10YR, JPY-USD and EUR-USD.png|400px|right|thumb|上段より[[NASDAQ]]<ref name=NASDAQ>{{cite web|url=http://finance.yahoo.com/q/hp?s=%5EIXIC |title=NASDAQ Historical Price |publisher=Yahoo! Finance |accessdate=2010-01-11}}</ref>、[[ダウ平均株価]]<ref name=DJI>{{cite web|url=http://finance.yahoo.com/q/hp?s=%5EDJI |title=Dow Jones Industrial Average Historical Price |publisher=Yahoo! Finance |accessdate=2010-01-11}}</ref> の[[ローソク足]](月足)、[[フェデラル・ファンド金利]]誘導目標<ref name=Fed.of.StLouis>{{cite web|url=http://www.research.stlouisfed.org/ |title=Economic Data |publisher=[[セントルイス連邦準備銀行|セントルイス連銀]] |accessdate=2010-01-11}}</ref><ref name=BOJ>{{cite web|url=http://www.boj.or.jp/theme/research/stat/etc/index.htm#hdis |title=主要国・地域の中央銀行政策金利 |publisher=[[日本銀行]] |accessdate=2010-01-11}}</ref>(赤)、米国債10年物利回り<ref name=Fed.of.StLouis />(青)、[[円 (通貨)|JPY]]/[[アメリカ合衆国ドル|USD]]<ref name=Fed.of.StLouis />(黄緑)、[[ユーロ|EUR]]/USD<ref name=Fed.of.StLouis />(紫)の月末値推移(1999年1月~2003年12月)]]


1970年代のアメリカから、住宅ローンの[[証券化]]が始まった。これは地域金融の弱点である各地域のリスクを補うために考えられ、国策会社である[[政府支援機関]](GSE)によって進められた。地方銀行は地域のリスクから守るために住宅ローンを証券化してGSEに売った。GSEは証券化された住宅ローンを買うために、プールした住宅ローンを担保にして債券を売った。これが[[不動産担保証券]](MBS)であり、GSEに多大な利益をもたらした。GSEの発行ではないプライベート・ラベルのMBSも1990年代に急増し、利益を得るために[[トランチング]]などの方法が考案された{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=2271-2327/4780}}。
[[2000年]]に[[ITバブル]]が崩壊し、インターネット・情報技術関連企業の上場が多い米国[[NASDAQ]]市場は大暴落を見せ<ref name=NASDAQ/>、その影響から[[2001年]]4-6月期からは米国GDPが3四半期連続のマイナス成長となった。失業率も増加の一途をたどり、米財政赤字は拡大を続けた。政府は大規模所得減税を実施し、[[連邦準備制度|FRB]]は2000年末から利下げを繰り返していた。


2000年に[[ITバブル]]が崩壊し、インターネット・情報技術関連企業の上場が多い[[NASDAQ]]市場は暴落して、2001年第2四半期からアメリカのGDPが3四半期連続のマイナス成長となった<ref name=NASDAQ/>。失業率も増加を続けてアメリカの財政赤字は拡大した。FRBは2000年末から利下げを繰り返し、[[ジョージ・W・ブッシュ]]政権は大規模な所得減税を行った{{efn|既にFRBは年初から7回利下げを実施していたが、事件後の9月17日に緊急利下げをおこない、12月までにさらに4回の利下げを実施した{{efn|2001年FRBの政策金利は誘導目標を年初の6.5%から12月の1.75%まで引き下げを行った<ref>篠原・櫨(2008)</ref>}}。}}。この結果、アメリカ金融史上で最も低金利の時代となったが、当時のFRB議長だった[[アラン・グリーンスパン]]は低金利政策が誤りだったとのちに認めている{{efn|この低金利政策は当初は正当視されていたものの、その後、不動産、住宅、債券などの資産バブルが明らかになると、ITバブル崩壊後の低金利政策が資産バブルの温床となったとして批判された<ref>篠原・櫨(2008)</ref>}}<ref>篠原・櫨(2008)</ref><ref name=Fed.of.StLouis/>。
その中で2001年9月11日に[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生した。被害に遭った[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]には多くの金融機関が入居していたことから業務の遂行に支障を来す恐れがあると判断したニューヨーク証券取引市場は[[太平洋戦争]]以来の市場閉鎖を行い、4日間休場した。この事件は世界中の保険会社に打撃を与え、世界の機関投資家で危険を分担する契機となったが、ポートフォリオの見直しも必至となった。


[[エンロン]]が2001年に粉飾決算で破綻したのちに金融機関への規制強化が検討されたが、実施されなかった{{efn|規制当局は、{{仮リンク|特別目的会社|en|Structured investment vehicle}}(SIV)に含まれる資産が銀行のバランスシートに計上されていると仮定した場合に必要な資本の10%が裏付けられていれば問題ないと判断した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=80-81}}。}}。規制が強化されなかったため、後述のシャドー・バンキングが急拡大した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=80-81}}。
既にFRBは年初から7回利下げを実施していたが、事件後の9月17日に緊急利下げをおこない、12月までにさらに4回の利下げを実施して、本格的金融緩和政策を鮮明とした。この結果、2001年FRBの政策金利は誘導目標を年初の6.5%から12月の1.75%まで引き下げを行い、米国金融史上で最も低い低金利政策となった<ref name=Fed.of.StLouis/><ref name=BOJ/>。<!--年初の5.98%から4.75%低下し1.73%(12月11日)までの引き下げを行い、米国金融史上で最も低い低金利政策となった<ref>「9.11同時多発テロ事件の衝撃」星野俊也(アジア動向データベース2001年 IDE-JETRO)[http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/2001/2001000TPA_03.html]</ref>。誘導目標は6.00%→1.75%に低下、実際のFFレートは5.98%→1.73%です。-->
最終的には[[2004年]]5月まで1%という低金利政策が続いた<ref name=BOJ />。この低金利政策は当初は正当視されていたものの、その後、不動産、住宅、債券などの資産バブルが明らかになると、ITバブル崩壊後の行き過ぎた低金利政策が資産バブルの温床となったとして批判された<ref>篠原・櫨(2008)</ref>。


=== シャドー・バンキング・システム ===
1980年代から産業構造が機関化したところに根本的な問題が存在した。家計部門の金融資産が急速に[[証券化]]し、[[機関投資家]]が膨大な株式を保有した。ファンドマネージャーが短期運用でキャピタルゲインをねらうので、企業経営者はレイオフで株価を引き上げようとした。そして2001年不況からの回復期には[[ジョブ・ロス・リカバリー]](雇用喪失をともなう回復)が起こった<ref name=shibatachap>柴田2016年 序章</ref>。
世界金融危機の大きな要因となった金融ビジネスは、非銀行金融仲介機関である[[シャドー・バンキング・システム]]であった。シャドー・バンクに含まれるのは、[[マネー・マーケット・ファンド]](MMF)、[[特別目的事業体]](SPV)、{{仮リンク|資産担保コマーシャルペーパー|en|Asset-backed commercial paper}}(ABCP)、投資銀行等の[[レポ取引]]、[[ヘッジファンド]]、証券会社、証券化商品発行体、そして個人向けのファイナンス・カンパニーなどである。シャドーバンクの資産額は危機以前の10年間に特に増加したが、銀行よりも高いリスクを抱えていた{{efn|短期資金を調達し、長期の資産に運用するという満期変換は、銀行の場合ロールオーバー・リスクや取り付けの危険をはらんでいる。シャドーバンクも同様であるが、市場性資金を運用するので、銀行よりも高いリスクを抱え、実際に取り付けが起きた{{Sfn|北原|2012|p=}}。}}。シャドーバンクの中でもMMFはMBSの発行や証券化に関わる重要な投資家として[[機関投資家]]が資金を供給した{{efn|満期変換の回数については、投資銀行や証券会社が行うレポ借入のそれが194回という世界記録を残し、MMFも41回というリスキーな数値であった{{Sfn|北原|2012|p=}}。}}。[[レバレッジ]]も危機拡大の一因であり、アメリカの大銀行が倍率を横ばいさせていたのに対して、アメリカの三大投資銀行は2007年に25倍を越え、欧州の大銀行は2008年に35倍を超えた。ABCPの発行残高で、欧州はアメリカを上回っていた{{Sfn|北原|2012|p=}}。


[[BRICS]]を中心とした新興国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要が高まり、原油価格が上昇した。産油国の利益は欧米の機関投資家へ流れ、機関投資家の資金運用がアメリカに集中した。このとき、先の低金利政策と、シャドー・バンキング・システムを通じた証券化を促進する規制緩和が相まって、サブプライムローンを中心とした信用拡張が行われた。ABCP市場は6500億ドルから1兆ドル市場に成長した{{Sfn|柴田|2016|loc=序章}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=80-81}}。
=== 資源インフレの影響 ===
[[BRICs]]を中心とした途上国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要の高まりにより、原油価格の上昇も加速された。産油国は莫大な利益を上げ、その利益は欧米の機関投資家へ流れた。[[ユーロ債]]市場が発行と消化の両方で拡大し、[[台湾]]などの新興経済発展諸国は[[外貨準備]]高を増やした。機関投資家の資金運用が[[円キャリー取引]]のような方法で米国に向かい、世界的な資金がアメリカ合衆国に集中するようになった。それが[[不動産]]市場で住宅バブルを構築する土壌となった。このとき、先の超低金利政策と、[[シャドー・バンキング・システム]]を通じた証券化を促進する規制緩和が相まって、[[サブプライムローン]]を中心とした信用拡張が行われた<ref name=shibatachap />。この複雑な簿外取引については[[証券化]]の記事を参照されたい。


=== サブプライムローン ===
また[[イラク戦争]]において、これまで非公式に輸出されていた世界第2位の埋蔵量を誇った[[イラク]]の[[原油]]輸出が不可能となり、原油をはじめとした商品(先物)市場を通じた資源投機に拍車をかける材料となった。資源投機とユーロ債大量発行により、[[豪ドル]]や[[カナダドル]]に代表される資源国通貨も全面高となった。[[石油輸出国機構|OPEC]]非加盟国であった[[ロシア]]は原油価格の高騰で採算に難があった北極油田の採掘が可能となった。[[サウジアラビア]]を抜いて世界一の産油国となり、原油を輸出して[[債務]]国から[[債権]]国に転じた。ロシアは機関投資家として国際経済に台頭したが、ユーロ市場と無縁ではいられなかった。
[[ファイル:Mortgage loan fraud.svg|thumb|250px|米国財務省による{{仮リンク|不審取引報告|en|Suspicious activity report}}(SAR)分析に見る住宅ローン詐欺の増加]]
アメリカでは、[[エンロン]]と類似の事件を防ぐために、GSEの[[連邦住宅金融抵当公庫|フレディマック]]と[[連邦住宅抵当公庫|ファニーメイ]]がバランスシートを縮小した。その影響で住宅ローンに民間業者が参入し、民間業者が導入した[[サブプライムローン]]は住宅価格の上昇に後押しされて2003年以降に急拡大をした{{efn|2006年には、新しい住宅ローンの70パーセントがサブプライムや非従来型ローンで占められ、発行額は2001年の1000億ドルから2005年の1兆ドルまで増加した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=73-74}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=64-67}}。


2004年6月30日の[[連邦公開市場委員会]](FOMC)から政策金利は引き上げに転じた。2004年-2006年にかけてアメリカでは住宅ブームが生じ、低利の2段階変額ローンにより募集された不動産担保ローンが大量に組成された{{efn|最初の3年は低利固定型の返済で、残金は4年目以降に変額型金利ローンとなる契約のものが中心だった。住宅価格が上昇する間は短期で住宅を転売することで有利に住宅を購入でき、あるいは転売益が期待できるというものであった。また値上がりによる担保価値の上昇分を担保にさらにクレジットローンを提供するサービスなども登場した{{Sfn|柴田|2016|loc=序章}}。}}。少なからぬ利用者が住宅価格の上昇の恩恵を受けた。この住宅ローンの個別債権は、欧米の主要銀行がSPVなどを利用してMBSに証券化した{{Sfn|柴田|2016|loc=序章}}。
[[エネルギー]]価格や資源価格の上昇を見通して[[バイオマスエタノール]]等の開発が促進された。家畜飼料が用いられたので穀物価格が上昇、食料危機の兆候が出始めた。各国はインフレ警戒感から金融引き締めに転じ、米国との金利格差が生じることになった。そして[[サッダーム・フセイン]]大統領が[[2006年]]12月30日に[[処刑]]され、イラクの政情安定の見通しが拡がった。翌[[2007年]]から為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、[[双子の赤字]]にふさわしく米ドルは下落に転じるようになった。


MBSは高利回りの金融商品として世界各国に販売された。[[格付け機関]]の[[ムーディーズ]]や[[スタンダード&プアーズ]]はMBSにトリプルAの格付けをして信用を与えたが、これらの格付け機関は選出基準が不透明だった{{efn|トリプルAを提供しない評価モデルを使っていた[[フィッチレーティングスリミテッド]]は、サブプライムビジネスにほとんど関与できなかった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=75}}。}}。さらに、格付け機関は商品リスクを知りながら高い格付けを与えていたことが、のちに議会の調査で明らかになっている{{efn|ある格付け専門家の2006年のメールには、「砂上の楼閣が崩壊するまでに、私たち皆が金持ちになり、引退していますように」と書かれていた{{Sfn|トゥーズ|2020|p=75}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=74-75}}。貸し倒れに対する保証としては[[クレジットデリバティブ]]([[Collateralized Debt Obligation|債務担保証券]]:CDOや[[クレジット・デフォルト・スワップ]]:CDS)などの金融商品が利用された。
イラク戦争の費用はドル安のため高くついた。米ドル決済で行う原油取引において原油売却代金の実質収入が減少に転じ、その対策からOPEC非加盟国であるロシアや中南米諸国は原油の量的規制を強化して価格の一段の上昇を図った。新興経済発展諸国の経済成長による実需の増加や、折からの商品市況への投機熱も相まって、[[原油価格]]は[[2008年]]7月には147.27ドル/バレル(WTI先物)まで上昇した<ref>{{Cite news|url=http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2008/index.htm|title=平成19年度 エネルギーに関する年次報告書(エネルギー白書)|publisher=資源エネルギー庁|date=2008-05-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080531020616/http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2008/index.htm|archivedate=2008-05-31}}</ref><ref>[http://chartpark.com/wti.html WTI原油先物チャート]</ref>。<!--世界金融危機はオイルショックではないのだから、原油についてばかり書いても仕方がない-->


この住宅ローンは借り換え期の4年目以降に急激に金利が上昇するため、当初から危険性は指摘されていた。契約内容を理解できていない借手に、返済能力を無視して貸付を行う行為が横行したため、{{仮リンク|略奪的貸付|en|predatory loan}}とも呼ばれて問題となった。しかし、住宅価格が上昇する局面では警鐘はかき消された。ちょうどブーム3年目にかかる2006年1月頃から住宅価格のかげりが見え始め、不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めた{{Sfn|福光|2005|pp=58, 70-73}}<ref>[http://www.standardandpoors.com/indices/sp-case-shiller-home-price-indices/en/us/?indexId=spusa-cashpidff--p-us---- S&Pケースシラー住宅価格指数]</ref>。サブプライムローンの債務者の一部は住宅価格の上昇を見込んだ返済計画を建てていたため、住宅価格低下の影響で利払い延滞率が急増した。債務者の延滞が顕著になると、サブプライムローンの直接の貸し手である[[住宅金融専門会社]]に対する金融機関の融資が慎重になり、住宅金融専門会社では資金繰りが悪化して経営破綻が出始めた。サブプライムローンは貸し倒れの危険を分散させるために分割・証券化されて金融商品に組み入れられていたため、金融商品そのものに対する信用リスクが連鎖的に広がった。リスクを警戒し、2006年から住宅ローン売買を減らした投資銀行もあったが問題の解決にはならなかった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=74}}。
=== 信用拡張の後始末 ===
[[ファイル:Dowjones crash 2008.svg|thumb|250px|2006年1月-2008年11月までのダウ平均]]
米国では2004年6月30日の[[連邦公開市場委員会|FOMC]]から政策金利の引き上げに転じた。2006年頃から住宅価格の伸びが停滞し始めた。2004年-2006年にかけて米国では住宅ブームが生じ、金利が安いあいだに低利の2段階変額ローンにより募集された不動産担保ローンが大量に組成された。これは最初の3年は低利固定型の返済で残金は4年目以降に変額型金利ローンとなる契約のものが中心で、住宅価格が上昇する間は短期で住宅を転売することにより有利に住宅を購入でき、あるいは転売益が期待できるというものであった。また値上がりによる担保価値の上昇分を担保にさらにクレジットローンを提供するサービスなども登場し、少なからぬ利用者が住宅価格の上昇の恩恵を受けた。この住宅ローンの個別債権は[[不動産担保証券]](MBS)に証券化された。証券化は欧米の主要銀行が[[特別目的事業体]]などを利用して行った<ref name=shibatachap />。MBSは高利回りの[[金融商品]]として世界各国に販売された。選出基準の不透明な[[格付け機関]]がMBSの信用情報を提供し、三大格付け機関の[[ムーディーズ]]や[[スタンダード&プアーズ]]はトリプルAの格付けをしていた{{efn|トリプルAを提供しない評価モデルを使っていた[[フィッチレーティングスリミテッド]]は、サブプライムビジネスにほとんど関与できなかった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=75}}。}}。これらの格付け機関は、商品のリスクを知りつつ高い格付けを与えていたことが、のちに議会の調査で明らかになっている{{efn|ある格付け専門家の2006年のメールには、「砂上の楼閣が崩壊するまでに、私たち皆が金持ちになり、引退していますように」と書かれていた{{Sfn|トゥーズ|2020|p=75}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=74-75}}。貸し倒れに対する保証としては[[クレジットデリバティブ]]([[Collateralized Debt Obligation|債務担保証券]]:CDOや[[クレジット・デフォルト・スワップ]]:CDS)などの金融商品が利用された。


== 危機の顕在化 ==
この住宅ローンは借り換え期の4年目以降に急激に金利が上昇する設計となっているため当初からその危険性は指摘されていたが、住宅価格が上昇する局面ではその警鐘はかき消される格好となった。住宅価格のかげりが見え始めた2006年1月頃(ちょうどブーム3年目にかかる)から<ref>[http://www.standardandpoors.com/indices/sp-case-shiller-home-price-indices/en/us/?indexId=spusa-cashpidff--p-us---- S&Pケースシラー住宅価格指数]</ref>、不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めた。なかんずく[[サブプライムローン]]は、債務者の一部が住宅価格の継続的な上昇を見込んだ返済計画を建てていたため、住宅価格低下の影響を受けて利払い延滞率が急激に上昇し始めた。債務者の利払い延滞が顕著となってくると、サブプライムローンの直接の貸し手である[[住宅金融専門会社]]に対する金融機関の融資が慎重になり、住宅金融専門会社の中には資金繰りが悪化して[[経営破綻]]する例が出始めた。さらにサブプライムローンは、貸し倒れの危険を分散させるために、分割・証券化され、[[投資信託]]のような金融商品に組み入れられていた。したがって、その金融商品そのものに対する[[信用リスク]]が連鎖的に広がることになった。
[[File:Chart of NASDAQ, DJI, FF, USGG10YR, JPY-USD and EUR-USD 2004-.png|400px|right|thumb|上段よりNASDAQ<ref name=NASDAQ />、ダウ平均株価<ref name=DJI /> のローソク足(月足)、フェデラル・ファンド金利誘導目標<ref name=Fed.of.StLouis /><ref name=BOJ />(赤)、米国債10年物利回り<ref name=Fed.of.StLouis/>(青)、JPY/USD<ref name=Fed.of.StLouis />(黄緑)、EUR/USD<ref name=Fed.of.StLouis />(紫)の月末値推移(2004年1月~2009年12月)。<br />なお、各国の株式相場は2008年11月から2009年3月をおおむねの底値圏として上昇に転じ、2010年の3月時点では各国の株価は[[リーマン・ショック]]以前の水準に回復した。金融危機の発端であるアメリカでは、ダウ平均株価が2010年4月1日に1万0927.07ドルと、2008年9月26日の株価まで回復した。<br />日経平均株価は2010年4月1日に1万1286.09円を記録し、2008年10月1日以来約1年半ぶりの高値水準となった。しかし同年5月には、再び1万円を割り込んだ。]]


===サブプライムローン危機===
2007年は好況のピークであったが、パリバ・ショックが起きている([[#2007年]])。
景気後退は2008年秋の銀行危機よりも2年以上早く表れており、住宅投資は2006年第2四半期には17%下落を始めていた{{efn|2007年の第4四半期から2008年の第1四半期には前年比で30%の下落となった{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=833-841/4780}}。}}。[[全米経済研究所]]によれば、景気後退はリーマン・ブラザーズ破綻の9ヶ月前に始まっている。耐久消費財や自動車の支出下落、大量解雇も銀行危機より早く起きており、しかも大西洋を越えたヨーロッパで影響が出ていた{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=833-860/4780}}。


2007年1月から不動産担保ローンの破産が顕著になり、5月にスイス最大の銀行[[UBS]]が{{仮リンク|ディロン・リード・キャピタルマネジメント|en|Dillon, Read & Co.}}(DRCM)を閉鎖した。6月は[[ベアー・スターンズ]]のヘッジファンドに対する債権者[[メリルリンチ]]が担保の債務担保証券(CDO)をわずかしか売却できず、この時点でCDOには国際流動性を期待できなくなっていた。7月には、特別目的事業体(SPV)を通じてCDO等に投資していた{{仮リンク|IKB ドイツ産業銀行|en|IKB Deutsche Industriebank}}が公的支援を受けることになった。8月はドイツの[[NRW.BANK]]による支払い停止や、フランスの[[BNPパリバ]]による3つのファンド凍結などが相次いだ。パリバが「アメリカ証券市場の一部で流動性が消滅したため、一部の資産評価が不可能になった」という声明を出すと危機の認識が広まり、2007年10月にはイギリスで住宅価格が急落した<ref>{{cite web|url=http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601087&refer=home&sid=aNIJ.UO9Pzxw |title= BNP Paribas Freezes Funds as Loan Losses Roil Markets |publisher=Bloomberg |accessdate=2010-02-11}}</ref>{{Sfn|柴田|2016|pp=42-48}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=165-167}}。
== 危機の原因 ==
{{Main|サブプライム住宅ローン危機#シャドーバンキングシステムのブームと崩壊}}
世界金融危機の中心は、[[銀行]]に増して[[シャドー・バンキング・システム]]であった。シャドー・バンキングとは非銀行金融仲介機関を指し、これこそが従来の金融危機と異なる特徴であった。非銀行金融仲介機関とは、[[マネー・マーケット・ファンド]](MMF)、[[投資銀行]]等のレポ取引、[[特別目的事業体]]、資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)導管体、[[ヘッジファンド]]、[[証券会社]]、[[証券化]]商品発行体、そして個人向けのファイナンス・カンパニーなどである。短期資金を調達し、長期の資産に運用するという満期変換は、銀行の場合ロールオーバー・リスクや取り付けの危険をはらんでいる。シャドーバンクも同様であるが、市場性資金を運用するので、銀行よりも高いリスクを抱え、実際に取り付けが起きた<ref name=kitahara />。


[[資産担保証券]](ABS)も価格を下げて国際流動性を失い、これを担保とする資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)の借換発行もむずかしくなった。ABCPを簿外勘定に出していた銀行は、流動性を失ったABCPを保有することになった。預金債務が膨張したので、銀行とFRBは事後的な信用創造にはげみ、そこでうまれた[[預金通貨]]は機関投資家によってマネー・マーケット・ファンド(MMF)やレポ債権に転換された。ヨーロッパ系銀行は危機発生に先立つ数年間、100以上のSPVのため直接または間接のスポンサーになっていた。これらのABCPは数千億ドル規模のABSをアメリカ市場で販売していた。その流動性が2007年8月に失われると、償還するためにヨーロッパ系銀行は在米支店からドル資金を調達した{{Sfn|柴田|2016|pp=42-48}}。短期金融市場から調達された資金を引き揚げられて、シャドーバンキングは脆弱性を露呈した{{Sfn|北原|2012|p=}}。
1985年から危機まで、シャドー・バンキング・システムの資産は[[機関投資家]]のそれが成長する軌跡を5年ほど遅れてなぞった。これは、機関投資家がシャドーバンク、特にMMFへ市場性資金を供給する関係にあるからである。世界金融危機は機関化の結果である。太字のシャドーバンクは資産額の危機手前10年間における増え方が特に顕著であったが、なかんずくMMFは銀行の一回りも、危機の火種となった[[不動産担保証券]](MBS)を発行する、あるいは証券化した重要な投資家であった。満期変換の回数については、投資銀行や証券会社が行うレポ借入のそれが194回という世界記録を残し、MMFも41回というリスキーな数値であった。本稿の危機では、投資銀行がレポ市場からの取り付けに直面し大銀行に救済された。[[レバレッジ]]の実態は危機拡大の要因として認めうるもので、アメリカの大銀行が倍率を横ばいさせていたのに対して、アメリカの三大投資銀行は2007年25倍を越えたが、欧州の大銀行は2008年35倍を超えた。ABCPの発行残高で、欧州はアメリカを上回っていた<ref name=kitahara />。


アメリカを中心として会計基準には時価評価主義が採用されており、サブプライム危機が短期間で拡大する一因となった。時価評価では、金融資産の減価は自己資本減少と機関投資家が発行する株式の減価に直結するので、その株式を保有する企業が発行する株式も減価となる。こうして負の連鎖が拡大した{{efn|これに対して[[取得原価主義]]であれば、機関投資家は株式などの金融資産で含み益を持つことができる。アメリカは[[世界恐慌]]の影響で資産の再評価を認めない取得原価が採用されたが、のちに時価評価に変わっていた{{Sfn|辻村|2009|pp=91, 96, 102}}。}}{{Sfn|辻村|2009|pp=91, 96, 102}}。
2007年6月、[[ベアー・スターンズ]]のヘッジファンドに対する債権者[[メリルリンチ]]が担保のCDOをわずかしか売却できなかった。CDOには国際流動性を期待できなくなっていたのである。7月末、ドイツ工業銀行([[:en:IKB Deutsche Industriebank|IKB]])がサブプライム関連証券化商品への投資で多額の損失を出したことが報じられた。この銀行は特別目的事業体を通じてCDO等に投資していた。8月9日に[[BNPパリバ]]が3つのファンド凍結を発表した(パリバ・ショック)。サブプライム証券化商品の時価評価が困難となっていたからであった。[[資産担保証券]]も価格を下げて国際流動性を失った。これを担保とするABCPの借換発行までむずかしくなった。流動性を失ったABCPは、それを簿外勘定に追い出していた銀行が保有することになった。預金債務が膨張したので、銀行と[[連邦準備制度]]は事後的な信用創造に励んだ。そこでうまれた[[預金通貨]]は機関投資家によってMMFやレポ債権に転換された(M3伸び率の増加)。欧系銀行は危機発生に先立つ数年間、100以上の特別目的事業体のため直接または間接のスポンサーになっていた。これらの「導管体」は数千億ドル規模の資産担保証券をアメリカ市場で販売していた。その流動性が2007年8月に失われると、償還するために欧系銀行は在米支店からドル資金を調達した{{Sfn|柴田徳太郎|2016|pp=42-48}}。


== 危機の顕在化と金融危機 ==
===銀行危機金融危機===
2008年3月に[[ベアー・スターンズ]]の経営危機が明らかになると、金融危機が世界的に報道され始めた。9月に入って、政府支援機関(GSE)のフレディマックとファニーメイが実質的破綻に陥り、9月15日には[[リーマン・ブラザーズ]]が[[連邦倒産法第11章]]適用を申請し、負債総額6390億ドル(約64兆円)というアメリカ史上最高額の経営破綻を起こした{{efn|リーマンの抱えていた問題は次のようなものであった。(1) MBSやCDOの不良債権化による自己資本の毀損、(2) 90万を超えるCDS契約によるカウンター・パーティ・リスクの増大、(3) CP債務78億ドルとレポ債務1970億ドル(2008年3月末)。}}。さらに[[バンク・オブ・アメリカ]]による[[メリルリンチ]]の買収、保険会社[[アメリカン・インターナショナル・グループ]](AIG)の国有化など、金融機関の再編が進んだ。
[[File:Chart of NASDAQ, DJI, FF, USGG10YR, JPY-USD and EUR-USD 2004-.png|400px|right|thumb|上段よりNASDAQ<ref name=NASDAQ />、ダウ平均株価<ref name=DJI /> のローソク足(月足)、フェデラル・ファンド金利誘導目標<ref name=Fed.of.StLouis /><ref name=BOJ />(赤)、米国債10年物利回り<ref name=Fed.of.StLouis/>(青)、JPY/USD<ref name=Fed.of.StLouis />(黄緑)、EUR/USD<ref name=Fed.of.StLouis />(紫)の月末値推移(2004年1月~2009年12月)。<br />なお、各国の株式相場は2008年11月から2009年3月をおおむねの底値圏として上昇に転じ、2010年の3月時点では各国の株価は[[リーマン・ショック]]以前の水準に回復した。金融危機の発端であるアメリカでは、ダウ平均株価が2010年4月1日に1万0927.07ドルと、2008年9月26日の株価まで回復した。<br />日経平均株価は2010年4月1日に1万1286.09円を記録し、2008年10月1日以来約1年半ぶりの高値水準となった。しかし同年5月には、再び1万円を割り込んだ。]]

[[ファイル:Lehman Brothers-20080915.jpg|right|thumb|180px|2008年9月15日、連邦倒産法第11章を申請したリーマン・ブラザーズの様子]]
9月のショックで、リーマンの決済銀行である[[JPモルガン・チェース]]、[[シティグループ]]、[[バンク・オブ・アメリカ]]はレポ債権の追加担保を要求したが、貸付が打ち切られ倒産した{{efn|他方、AIGは高格付けCDOのデフォルト率を低く見積もっていたので、CDSのネットでの売りポジションをヘッジしていなかった。AIGの売ったCDSは多くの投資銀行に保有されていたので、リーマンと異なり公的資金が投入された{{Sfn|柴田|2016|pp=52-54, 56}}。}}。リーマン・ショックはリーマン債を保有していたMMFを元本割れさせた。9月19日、MMF保険創設のため連邦政府が為替安定基金から最大で500億ドルを取り崩す方針が公表された{{efn|リーマン保有のCDSは、リーマンの清算価格が8.625%に決まったので、CDSの売り手に91.375%を保証させた{{Sfn|柴田|2016|pp=52-54, 56}}。}}。リーマン以外の清算ケースでもCDSは同様の状態であり、CDSの売り手となっていた金融持株会社、投資銀行、保険会社、ヘッジファンドなどは、短期金融市場からの資金調達を金利の急騰に阻まれた。ヨーロッパ系銀行もドル建て流動性資金について同じ境遇であり、新興国経済から資金を引き揚げた。この資金引き揚げによって、中欧・東欧・南欧にも金融危機が波及した{{Sfn|柴田|2016|pp=52-54, 56}}。

2008年第2四半期から2009年第1四半期には、世界の資本移動の90%が消滅し、富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少した。2009年第2四半期は、IMFにGDP統計を提出している60カ国のうち52カ国でGDPが縮小した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=185-187}}。[[サプライチェーン]]が同期しているためにアメリカやヨーロッパの需要減少は各国に波及し、世界貿易機関(WTO)が統計を取る104カ国の全てで輸出入が減少した。世界の原油価格は76%下がり、産油国で財政赤字が続出した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=183-185}}。

=== 対策 ===
各国政府が金融機関を支援した主な方法は4通りであり、(1) 銀行への貸付、(2) 銀行の資本増強、(3) 資産買い入れ、(4) 銀行のバランスシートに対する国家の保証、があった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=194-195}}。2008年10月10日には[[G7]]の[[財務大臣・中央銀行総裁会議|財務相・中央銀行総裁会議]]、10月11日にはG20の財務相・中央銀行総裁会議が開催され、共通の方針が5つにまとめられた。(1) 重要な金融機関の破綻を避ける。(2) 資本増強を支援する。(3) 銀行間取引の流動性を確保する。(4) 預金保険の整備。(5) 証券化資産の流通市場の再構築である{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=223-224}}。

; 国際通貨基金
2008年から[[国際通貨基金]](IMF)の支援を求める国家が相次いだ。2008年10月のハンガリーに続いて、アイスランド、ラトビア、ウクライナ、パキスタンが支援を受けた。2009年にはアルメニア、ベラルーシ、モンゴル、ルーマニアが支援を受け、予防措置の貸付がコスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナに行われた。さらにアメリカ発案のフレキシブル・クレジット・ファシリティがメキシコ、ポーランド、コロンビアに提供された。IMFは支援の条件として緊縮経済政策を求めたが、緊縮政策の受け入れが国内に対立を起こす事態も起きた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=269-270}}。

; FRBの流動性供給・通貨スワップ
2007年にはヨーロッパのホールセール資金調達市場が不振であり、[[欧州中央銀行]](ECB)や[[イングランド銀行]](BOE)は資金を注入した。しかし注入できる通貨は[[ユーロ]]や[[ポンド]]であり、[[USドル|ドル]]が求められていた。金融危機の間はドルの調達が困難であり、ヨーロッパ系銀行は資金調達に苦しんだ。FRB議長の[[ベン・バーナンキ]]はヨーロッパ系銀行がドルの資金調達を求めていることを理解し、FRBはドル建てのポートフォリオを維持するために2008年秋からドルで流動性ファシリティ(信用供与契約)を始めた。FRBによる供与は、レポ取引、ABCP、MBS、通貨スワップなどシャドーバンキングに関わるものに結びついており、内部関係者は契約についての難解な頭字語をまとめて「ホビット族」と呼んだ{{efn|{{仮リンク|ターム・オークション・ファシリティ|en|Term Auction Facility}}(TAF)、{{仮リンク|プライマリー・ディーラー向け貸出ファシリティ|en|Primary Dealer Credit Facility}}(PDCF)などへの支援の他に、FRBみずからがSPVを設立して貸出業務を行うという方策も用いた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=241-243}}。}}。

2008年9月18日には日米欧の6中央銀行が[[通貨スワップ協定]]による大量のドル供給を開始した{{efn|6中央銀行はFRBのほか日本銀行、ECB、BOE、[[カナダ銀行]]、[[スイス国立銀行]](SNB)。{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080919/fnc0809190001000-n1.htm|title=日米欧の6中央銀行 大量のドル供給は危機感の表れ|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-09-19|accessdate=2008-09-19}}{{リンク切れ|date=2018-04}}<br />}}。その後、個別にドル資金供給を行っていた9中央銀行を含め計15中央銀行がドル供給を10月末まで延長した{{efn|供給を行った中央銀行はFRB、日銀、ECB、BOE、SNB、カナダ銀行、[[デンマーク国立銀行]]、[[ノルウェー中央銀行]]、[[オーストラリア準備銀行]]、[[スウェーデン国立銀行]]、[[ブラジル中央銀行]]、[[韓国銀行]]、[[メキシコ銀行]]、[[ニュージーランド準備銀行]]、[[シンガポール金融管理局]]である{{Sfn|柴田|2011|p=9}}。}}。通貨スワップの協定によって、ドル・ユーロ・ポンドの通貨危機は防がれた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=237, 246-248}}。FRBは緊急支援に加えて、2009年には[[QE1]]と呼ばれる量的緩和も行った。FRBが受け入れたMBSの52%がヨーロッパをはじめとする国外の銀行のものであり、FRBが[[最後の貸し手]]として機能した{{efn|最後の貸し手とは、通常は中央銀行に求められる役割である。[[市中銀行]]の取り付け騒ぎの防止策として、中央銀行が最後の貸し手となって市中銀行に制限なく貸し出しをしたり、銀行預金に保険をかける{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|p=2949/4780}}。}}。しかし、FRBの2007年から2009年にかけての流動性供給は当時は極秘とされ、2010年にドッド=フランク法や情報公開訴訟をきっかけに公開された{{efn|危機の最中に公開すれば、流動性支援が必要な銀行が明らかになるため、FRBは法的手段も使って秘密を守ろうとした{{Sfn|トゥーズ|2020|p=252}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=236-244, 250-252}}。

FRBによる拡充とは別に、他の地域においても金融危機対策として通貨スワップが行われた。ユーロのスワップ協定はECBによってスイス、デンマーク、ハンガリー、ポーランドに拡充された。SNBはスイスフランのスワップ協定を締結した。ブラジル・アルゼンチンや、中国・韓国は自国通貨同士のスワップ協定を締結した。中国は他にも香港、マレーシア、ベラルーシ、インドネシア、アルゼンチンとスワップ協定を結んだ。アジアでは、[[アジア通貨危機]]の時に結ばれた[[チェンマイ・イニシアティブ]]にもとづいて複数国間の契約が実現した{{Sfn|柴田|2011|pp=9-10}}。


; 会計監査
===アメリカ金融機関再編===
2008年11月14日-15日の[[ワシントン・サミット]]で[[G20]]が金融安定化のための[[国際会計基準]]について声明を行った。対応を求められた[[国際会計基準審議会]](IASB)は会計基準を変更し、IAS39号およびIFRS7号で認められていない金融資産の保有目的区分の変更を条件つきで認めた。これは[[国際財務報告基準]](IFRS)を採用しているEU企業が、アメリカ企業に対して不利にならないようにEUが要請したとされる{{Sfn|森|2019|p=63}}。この変更で適正手続([[デュー・プロセス・オブ・ロー]])を取らなかったためにIASBは批判を受けた{{Sfn|森|2019|pp=63-68}}。
2008年3月に[[ベアー・スターンズ]]の経営危機が明らかになると、金融危機が本格的に世界的に報道され始めた。連邦準備制度は最後の貸し手機能を拡充させて、国際流動性の危機に応急処置をしていたが、問題の根底にある不良債権の増大を止めることはできなかった。9月に入って、アメリカ[[政府支援機関]](GSE)の[[連邦住宅金融抵当公庫|フレディマック]]と[[連邦住宅抵当公庫|ファニーメイ]]2社が実質的破綻に陥り、9月15日には[[リーマン・ブラザーズ]]が[[連邦倒産法第11章]]適用を申請し、負債総額6390億ドル(約64兆円)というアメリカ史上最高額で経営破綻した。さらに[[バンク・オブ・アメリカ]]による[[メリルリンチ]]の買収、[[AIG]]の国有化など、金融機関の再編が進んだ。


サブプライムローンが証券化されて急拡大した際、会計事務所の中にはそれらの金融商品が投機的であると警告を発するところもあったが、危機の防止にはいたらなかった。世界金融危機の処理にあたっては、経営者や金融機関に加えて監査法人も非難された。世論は監査の適切さを疑い、企業や金融機関は監査法人が資産価値を過小評価したと主張した{{Sfn|ソール|2018|pp=No.4543-4611/5618}}。
リーマンの抱えていた問題は次のようなものであった。
* MBSやCDOの不良債権化による自己資本の毀損
* 90万を超える[[クレジット・デフォルト・スワップ]](CDS)契約によるカウンター・パーティ・リスクの増大
* CP債務78億ドルとレポ債務1970億ドル(2008年3月末)
9月のショックで、リーマンの決済銀行である[[JPモルガン・チェース]]、[[シティグループ]]、[[バンク・オブ・アメリカ]]はレポ債権の追加担保を要求したが、応じることができず貸付が打ち切られ倒産した。一方、AIGは高格付けCDOのデフォルト率を低く見積もっていたので、CDSのネットでの売りポジションをヘッジしていなかった。AIGの売ったCDSは多くの投資銀行に保有されていたので、リーマンと異なり公的資金が投入された。リーマン・ショックはリーマン債を保有していたMMFを元本割れさせた。9月19日、MMF保険創設のため連邦政府が為替安定基金から最大で500億ドルを取り崩す方針が公表された。リーマン保有のCDSは、リーマンの清算価格が8.625%に決まったので、CDSの売り手に91.375%を保証させることになった。リーマン以外の清算ケースでもCDSは似たような状態であったので、CDSの売り手となっていた金融持株会社、投資銀行、保険会社、ヘッジファンドなどは、短期金融市場からの資金調達を金利の急騰に阻まれた。欧系銀行もドル建て流動性資金について同じ境遇であったので、新興国経済から資本を引揚げて金融危機を波及させた{{Sfn|柴田徳太郎|2016|pp=52-54,56}}。


===アメリカ政府対応===
== 各地域状況 ==
=== アメリカ合衆国 ===
これらの事態を受けて、最大7000億ドル(約70兆円)のアメリカ政府の[[公的資金]]を投入する[[緊急経済安定化法]]案の策定に着手。事前にアメリカ議会指導部と政府の合意が行われ、成立は確実とみられていたが、予想に反して[[9月29日]]に[[アメリカ合衆国下院|アメリカ下院]]で否決されると、この日の[[ニューヨーク証券取引所]]のダウ平均株価は史上最大となる777ドルの下落を記録した<ref name="nikkei20080930" />。これにより世界中でも急激な[[信用収縮]]が起こった。
[[File:President George W. Bush bipartisan economic meeting Congress, McCain, Obama.jpg|thumb|right|250px|2008年9月25日にブッシュ大統領が救済策を話し合った際、次の大統領候補だった[[バラク・オバマ]]と[[ジョン・マケイン]]が出席し、いずれも緊急経済安定化法案に賛成した。]]
; 緊急経済安定化法案
アメリカのジョージ・ブッシュ政権は2008年に最大7000億ドルの公的資金を投入する法案の策定に着手した。{{仮リンク|法律番号 H.R.1424|en|Public Law 110-343}}にあたり、{{仮リンク|不良資産救済プログラム|en|Troubled Asset Relief Program}}(TARP)や[[緊急経済安定化法]]が作成された。事前に議会指導部と政府は合意しており、9月29日の法案成立は確実とみられていた。しかし、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の議員はアメリカの伝統的な自己責任の価値観にもとづいて多数が反対票を選んだ。このため予想に反してブッシュ大統領が属する共和党の反対によって下院で否決された{{efn|共和党からは、この法案が社会主義でアメリカにふさわしくないという批判もあった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=211}}。}}。この日の[[ニューヨーク証券取引所]]のダウ平均株価は史上最大となる777ドルの下落を記録し、世界中でも[[信用収縮]]が起こった<ref name="nikkei20080930">{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080930AT2M3000E30092008.html|title=NYダウ最大の下げ、終値777ドル安 下院が金融安定化法案否決|newspaper=日本経済新聞|date=2008-09-30|accessdate=2008-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081003003842/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080930AT2M3000E30092008.html|archivedate=2008-10-03}}</ref>{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=211-216}}。


[[ファイル:Vix Oct08.png|right|thumb|350px|恐怖指数の推移]]
[[ファイル:Vix Oct08.png|right|thumb|350px|恐怖指数の推移]]
その後、緊急経済安定化法案は修正を加えて10月3日午後1時に成立した。しかし当日の米国株は後場急落し、翌週10月6日から10月10日の1週間は世界の株式市場は大きく下落した{{efn|欧州の金融機関の危機やカリフォルニア州の州財政の危機などが市場で蒸し返されたとされる。[[ニューヨーク]]や[[ロンドン]]などの主要市場は大きく株価が下落し、[[モスクワ証券取引所]]、[[イスタンブール証券取引所]]、[[インドネシア証券取引所]]など新興国の株式市場でも急落や閉鎖が起きた。}}。これに対して10月8日には欧米の中央銀行が協調利下げに踏み切り、[[ヘンリー・ポールソン]][[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]]が金融機関への公的資金注入を示唆したが、株価の下落は止まらなかった。10月10日は、株価変動確率の激しさを表すボラティリティインデックス(VIX、通称[[恐怖指数]])と呼ばれる指数が、1997年の[[アジア通貨危機]]の約38、2001年の[[アメリカ同時多発テロ事件]]の約45を上回って75を超えるなど、市場は混乱した。財務省・FRB・[[連邦預金保険公社]](FDIC)は主な9銀行への公的資金注入を検討し、13日の銀行との会合で承認を得た{{efn|銀行は公的資金注入を受け入れる代わりに、企業当座預金と2009年夏までの新規債券に対して、同年の満期となる債券の125%を上限にFDICの保証を得た。配分はニューヨーク連銀の[[ティモシー・ガイトナー]]によって決められた{{Sfn|トゥーズ|2020|p=229}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=228-229}}。製造業大手では[[クライスラー]]と[[ゼネラルモーターズ]](GM)が破綻の可能性に陥り、GMは事実上国有化された{{efn|[[2009年]]6月1日にGMは連邦倒産法第11章の適用を申請し、負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)という製造業としては史上最大であった。GMはアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有した<ref name="asahi20090601">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/special/08017/TKY200906010065.html|title=GM破綻、米政府が発表 破産法申請「国有化」で再建へ|publisher=[[朝日新聞]]|date=2009年6月1日|accessdate=2019-04-05}}</ref>}}。
その後緊急経済安定化法案は修正を加え、2008年[[10月3日]]金曜日アメリカ現地時間の午後1時に合衆国下院を通過し成立したが、それにもかかわらずこの日の米国株は後場急落し(欧州の金融機関の危機やカリフォルニア州の州財政の危機などが市場で蒸し返されたとされる)、翌週[[10月6日]]から[[10月10日]]の1週間は世界の株式市場で大きく株価が下落した。この週で日本の[[日経平均株価]]は、[[10月8日]]と[[10月10日]]には歴代上位<ref>[http://www3.nikkei.co.jp/nkave/about/down.cfm 日経平均プロフィル]</ref> に入る下落率を記録したのを含め5日連続で2661円(24.33%)も下落した。[[ニューヨーク]]や[[ロンドン]]などの海外の主要市場も大きく株価が下落し、[[ロシア]]や[[インドネシア]]など新興国の株式市場では閉鎖に追い込まれるなど、深刻な事態となった。


=== 中南米 ===
これに対して10月8日には欧米の中央銀行が協調利下げに踏み切り、さらにアメリカの[[ヘンリー・ポールソン|ポールソン]][[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]]が記者会見で金融機関への資本注入を示唆したものの、株価の下落の流れが変わることはなかった。そして週の最終日の10日、ついに日本で[[日経225先物取引|日経先物]]の史上2回目の[[サーキットブレーカー制度|サーキットブレーカー]]発動、この日が[[特別清算指数]]算出日(SQ算出日)であった[[日経225オプション取引|オプション]]10月限の全ての権利行使価格のプットがストライクしてイン・ザ・マネーとなり、米国市場ではボラティリティインデックス(VIX、通称[[恐怖指数]])と呼ばれる、株価変動確率の激しさを表す指数が、1997年の[[アジア通貨危機]]の約38、2001年の同時多発テロの約45を遥かに上回る、75を一時超えるなど、市場の混乱は頂点に達した。
中南米は、アジアやアフリカと同様に金融危機の影響が比較的軽微にとどまった。過去の通貨危機や金融危機の経験を参考にして、外貨準備を維持する対策がとられていた。それが、(1) 対外資産の蓄積、(2) 国内金融資本市場の発展、(3) 短期資本移動規制など政府や中央銀行の政策である。2008年第3四半期には資本流入が減ったものの、それまでの純資本流入と経常黒字によって外貨準備が比較的豊富だった。中央銀行の多くは外国為替市場に介入して外貨の流動性を供給し、チリやブラジルでは先物市場で取引を行い、外貨準備の維持に成功した{{Sfn|柴田|2011|pp=8-9}}。[[北米自由貿易協定]](NAFTA)によってアメリカとの貿易が密接なメキシコは、原油以外の輸出が28%減、輸出加工区の[[マキラドーラ]]は雇用が20%減少した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=183-185}}。


=== 西ヨーロッパ・南ヨーロッパ ===
また、世界金融危機は[[製造業]]にも波及し、[[2009年]]6月1日に[[ゼネラルモータース]]も連邦倒産法第11章の適用を申請し、負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)という製造業としては史上最大であった<ref name="asahi20090601">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/special/08017/TKY200906010065.html|title=GM破綻、米政府が発表 破産法申請「国有化」で再建へ|publisher=[[朝日新聞]]|date=2009年6月1日|accessdate=2019-04-05}}</ref>。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の[[国有企業]]として再建を目指す事になった。
サブプライムローンの証券化はアメリカ国外から資本を集めることを目的としており、ヨーロッパの金融機関も深く関わった。2000年代にヨーロッパ系銀行の国際業務は拡大し、ドルで借りてドルで運用する取引が8兆ドルを越えた。この取引でドルの資金調達のリスクを抱えることになり、サブプライムローン危機でリスクが現実となった{{Sfn|柴田|2011|pp=4-5}}。ヨーロッパ系銀行は2006年には新規の不動産担保証券(MBS)の30%を裏づけをしており、アメリカに現地法人を設立をしてサプライチェーンを一体化していた。2007年下半期からドイツ、イギリス、フランス、スイス、ベネルクスの銀行は損失によって貸出を減らし、フランスの[[ソシエテジェネラル]]を早い例として、G7の核をなす[[メガバンク]]の[[自己資本利益率]]が低迷し、イギリスの[[ロイヤルバンク・オブ・スコットランド]](RBS)が大ダメージを受けた。スイスはUBSが破綻の危機に見舞われたが、早い段階でUBSを監督下に置いて対策をした{{Sfn|坂本|2015|pp=}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=85-88, 179}}。


2007年には影響が出ていたにも関わらず、ヨーロッパ諸国の政治家は2008年8月頃まで金融危機をアメリカの国内問題と解釈していた{{efn|ドイツの[[ペール・シュタインブリュック]]財務大臣は、アメリカはまもなく金融大国の役割を失うと発言した。フランスの[[ニコラ・サルコジ]]大統領は[[自由放任主義]]が終わったと発言した。イタリアの{{仮リンク|ジュリオ・トレモンティ|en|Giulio Tremonti}}財務大臣は、イタリアの銀行システムは英語を話さないので大丈夫だと語った{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=85-88, 179}}。}}。さらに、ヨーロッパはアメリカよりも損失が軽いので各国の対応で解決できると考えた。これに対してオランダの[[ヤン・ペーター・バルケネンデ]]政権は2008年9月に銀行救済基金を提案し、欧州の全国家がGDPの3%を使った基金の設立を訴えた。オランダ政府の提案はフランスの賛同を得て、[[クリスティーヌ・ラガルド]]財務相は共同対策を主張した。しかしドイツの[[アンゲラ・メルケル]]政権や、ヨーロッパ中央銀行(ECB)の[[ジャン=クロード・トリシェ]]総裁、[[ユーログループ]]の[[ジャン=クロード・ユンケル]]議長らの賛同を得られず実現しなかった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=217-218}}。
==各国の状況==
2008年8月の[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]から、ロシアに対する海外の投資家離れも止まらず、ロシア株式市場の株価下落が続いた。[[中華人民共和国|中国]]の[[上海]]株式市場は[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]を前に下落に転じた。12月にはヨーロッパの一部で、金融危機を背景として失業者ならびに、就職できない学生によって暴動が発生した<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081209/erp0812092146008-n1.htm|title=ギリシャ暴動、全土に 不況で社会不安…欧州各地にも飛び火|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年12月9日|accessdate=2008-12-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081211041011/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081209/erp0812092146008-n1.htm|archivedate=2008-12-11}}</ref>。


; フランス
基軸通貨としてのドルの信認は揺らぎ、アメリカに一極集中していた経済覇権にも少なからぬ影響を及ぼした。リーマン・ショックの直後には民間ドル資金の貸し出しが極端に不足し国際決済通貨が枯渇したため、2008年9月18日には日米欧の6中央銀行が[[通貨スワップ協定]]による大量のドル供給を開始した<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080919/fnc0809190001000-n1.htm|title=日米欧の6中央銀行 大量のドル供給は危機感の表れ|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-09-19|accessdate=2008-09-19}}{{リンク切れ|date=2018-04}}<br />6中央銀行はFRBのほか日銀、[[欧州中央銀行]](ECB)、[[イングランド銀行]](BOE)、[[カナダ銀行]]、[[スイス国立銀行]]。</ref><ref>その後個別にドル資金供給を行っていた9中央銀行を含め計15中央銀行がドル供給を10月末まで延長。{{Cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009020301001085.html|title=ドル供給を10月末まで延長 市場緊張で各国中央銀行|publisher=47NEWS(共同通信)|date=2009-02-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111204172638/http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009020301001085.html|archivedate=2011-02-04}}<br />FRB、日銀、欧州中央銀行(ECB)、英国、スイス、カナダ、デンマーク、ノルウェー、オーストラリア、[[リクスバンク|スウェーデン]]、ブラジル、韓国、メキシコ、ニュージーランド、シンガポール</ref>。2008年11月にはタイとイランの両国政府はタイ産のコメとイラン産の原油を等価交換する契約を結ぶ事態となった<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081113AT2M1301D13112008.html|title=世界で2.4兆円不足、貿易金融滞る モノ・サービスの流れ縮小|publisher=日本経済新聞|date=2008-11-13|accessdate=2008-11-13}}{{リンク切れ|date=2018-04}}</ref>。
フランスでは主な銀行の損失が比較的少なく、回復の仕組み作りが成功した。10月16日に緊急資本注入と再融資案が成立し、BNPパリバをはじめとする主な銀行は[[国家資金保証公団]](SPPE)の資本注入に同意した。再融資においては、{{仮リンク|フランス経済財政公団|fr|Société de financement de l'économie française}}(SFEF)が銀行のために政府保証債を発行して主な6行が引き受けた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=225-226}}。


; ドイツ
仏[[ソシエテジェネラル]]を早い例として、G7の核をなす[[メガバンク]]の[[自己資本利益率]]が低迷し、中でも米[[シティグループ]]と英[[ロイヤルバンク・オブ・スコットランド]]が大ダメージを受けた<ref>{{Cite journal|和書| |author=坂本恒夫 |title=何故,巨大銀行の不祥事は絶えないのか |url=https://hdl.handle.net/10291/17710 |journal=経営論集 |publisher=明治大学経営学研究所 |year=2015 |month=mar |volume=62 |issue=1 |pages=127-154 |naid=120005676975 |issn=0387-298X}}</ref>。
ドイツの[[アンゲラ・メルケル]]政権は金融市場安定化基金の創設を検討したが、連邦議会で否決された。[[ドイツ銀行]]は政府の支援を避けるために、会計操作や湾岸国の政府系ファンドからの資金調達をした。政府は不動産金融大手の{{仮リンク|ハイポ・リアル・エステート|en|Hypo Real Estate}}(HRE)を破綻から救済し、取り付け騒ぎ防ぐために貯蓄預金の全額保護を発表した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=219-220, 226-227}}。


; イギリス・アイルランド
=== 日本 ===
イギリスは[[ゴードン・ブラウン]]政権が2008年10月8日に銀行の救済を決定し、救済策を3つに分けて行った。(1) RBSや[[HBOS]]など主な8行に資本増強の要求、(2) 新たな債権の保証に2500億ポンドを投入、(3) イングランド銀行の特別流動性スキームの2000億ポンド増額である。不良債権管理のために[[UKフィナンシャル・インベストメンツ]]が設立され、RBSやHBOSはのちに国有化された{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=222-223}}。
日本は1990年代後半にユーロ円債還流制限が全廃され、折からの金融危機で海外事業が縮小したこともあり、海外の[[機関投資家]]が日本市場へ攻勢をかけていた。日本経済の機関化は2006年ごろに完成した。日本の機関投資家は系列企業を買収するのに多忙であったため、ユーロ債を消化しながらMBSまで消化する余裕がなかった。したがって2008年の金融危機では比較的損失が少なかった。そこで[[野村ホールディングス]]([[野村證券]])は、破綻したリーマン・ブラザーズの2/3(韓国を除くアジア・欧州・中東部門)を買収した。また、[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]](MUFG)が[[モルガン・スタンレー]]に9000億円出資するなど、日本の金融機関が存在感を見せる部分もあった。しかしその後の株価は急落し、経済規模は急速に縮小した。日本の金融機関も多額の経常損失と大規模な増資を余儀なくされたのである。サウジアラビアやドバイなどのオイルマネー、あるいは中国などの政府系金融機関もアメリカの金融機関などへ出資したが、その後の株価の急落や経常損失の発生により多額の含み損を発生させた。[[アイスランド]]や[[バルト三国]]のように国家規模での財政破綻を懸念される国も発生した。


アイルランドでは、アメリカの緊急経済安定化法否決の影響で2008年9月に信用収縮が起き、大手3行は破綻寸前となった。アイルランドの銀行のバランスシートが合計でGDPの700%に達したため、[[ブライアン・カウエン]]政権は取り付け騒ぎを防ぐために全ての債務の2年間保証を発表した。アイルランドの銀行はイギリスの金融システムと密接であるため、イギリスはフランス、オランダ、ドイツなどの国と対策を協議した。ヨーロッパで共同基金を設立して銀行を救済するというオランダの案もあったが、EU統合を進める[[リスボン条約]]がアイルランド自体の国民投票で2008年6月に否決されていた経緯も影響し、実現しなかった<ref name="nikkei20080930" />{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=211-219}}。
; 実感なき経済回復
1990年代以降、国民の間で財政再建の機運やインフレを嫌う傾向が高まったことにより、政府は公共事業などの適切な財政政策や市場への資金供給などの適切な金融政策が行えず、消費の低迷や国内への投資を喚起できなかった。しかし2003年、小泉政権において大規模な為替介入が行われたことにより円相場の実質実効為替レートは低下傾向を示した<ref>日本銀行「実効為替レート(名目・実質)」の解説」[http://www.boj.or.jp/type/exp/stat/exrate.htm](表1、表2)
</ref>。結果、輸出系企業は国内に積極的な投資を行った<ref>[http://www.asahi.com/business/data/gdp304.html 朝日新聞 民間設備投資(実質季調値)93SNA]</ref>。この間、輸出系企業は米国および[[BRICS]]、[[NEXT11]]などの新興国、また、中東・オーストラリアをはじめとした資源国など、特に経済成長が著しい国家を主要販売先として、外需依存型の経営を行なっていた。


; スペイン
しかし、海外で好調であっても、国内ではインフレが起きなかったため、2000年代の雇用報酬は伸び悩んだ。また、失業率や有効求人倍率は改善したが、退職給与引当金の損金繰り入れが廃止されたことや、非正規雇用の規制緩和などにより、企業が正社員よりも低賃金・低待遇ですむ[[非正規雇用]]者の採用を進めたこともあり、[[個人消費]]は伸び悩んだ。そして企業がバブル崩壊後の借金経営に対する批判から、大規模な借金による[[レバレッジ]]投資を控え、儲けた利益の範囲内で投資を行ったため、雇用報酬も伸び悩んだ。これらの現象は「実感なき経済回復」と総称された。
[[File:Puerta de Europa I (Madrid) 01.jpg|thumb|バンキア本社があった[[マドリード]]の[[プエルタ・デ・エウローパ]]。バンキアは不良債権処理のために設立されたが2012年に破綻した。]]
ヨーロッパで不動産バブルが最も盛んだったのは、アイルランドとスペインだった。ユーロ圏の2007年から2012年の失業者はスペインが最も多く、660万人のうち60%(390万人)を占めた。スペインの不動産融資で中心だったのは、カハ(caja)と呼ばれる中小の貯蓄銀行だった{{efn|カハの多くは、スペインの二大政党のいずれかに関係していた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=512}}。}}。スペインの[[ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ]]政権は不良債権処理のために2010年に[[バンキア]]を設立し、カハの整理を進めた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=512-513}}。


=== 東ヨーロッパ・北ヨーロッパ ===
; 量的金融緩和の中断
東欧諸国は危機発生まで成長を続けていたが、資金の調達は西ヨーロッパ系銀行からであった。四半期ごとに500億ドルが東欧や[[NIS諸国]]に流入していたが、危機によって流れが反転し、2008年第4四半期から2009年第1四半期にかけて1500億ドルが流出した。ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアは債務の半分が国外からの融資であり、ハンガリーでは円高の影響によって円建ての世帯が最も債務負担が増えた。東欧はFRBの通貨スワップ枠に含まれておらず、ECBはユーロ建ての資金しか送れないので問題の解決にはならなかった。ハンガリーはIMFに支援を要請したが、支援の条件だった緊縮政策は国内の不満を高める結果となった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=266-270}}。2009年には東欧のEU加盟国をユーロ圏に加盟させてECBが支援するという要請もあったが、ECBの賛成は得られなかった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=272-275}}。
[[Image:CPI2007.png|thumb|250px|right|最近20年間日本のコアコア CPI 前年同月比 (%) の推移]]
2006年以後、日銀はデフレを脱したと判断して、不況対策としての量的金融緩和政策を2006年3月に解除した。ところが、[[CPI]]や[[コアCPI]]を見ると、インフレ傾向に見えていた一方で、生鮮食品と石油関連価格を除いた実体的な物価を表す[[コアコアCPI]]を見ると、日本はまだデフレ傾向にあった。翌年の[[2007年]]から景気の転換局面に入ってしまった<ref name="田中秀臣・上念司">{{Cite book|和書|author=田中秀臣・上念司|title=震災恐慌!〜経済無策で恐慌がくる!|publisher=宝島社|year=2011}}{{要ページ番号|date=2014年5月}}</ref>。これ以後、企業倒産件数は増加傾向にあり、さらに建築基準法改正の悪影響([[建基法不況]])や原油・原材料価格の高騰によるコスト増などで、景気後半でようやく盛り上がった建設・不動産・運輸業は低迷していた。日銀は「金融緩和余地が少ない」という組織の論理で[[量的金融緩和]]を行わなかったため[[コアコアCPI]]は0%を下回り、その後、約-1.5%まで下がった<ref name="田中秀臣・上念司"/>。さらに金融商品に変わる投資先として通貨、特に日本円が注目されて急激に円買いが進んだ結果、予想外の急速な[[円高]]が生じた。円相場は一時は1ドル=87円にまで達し、その後も90円台を推移している。その結果、輸出企業は外需低迷ばかりか莫大な為替差損をも抱え込むことになり、2008年度の決算を大幅な黒字から赤字へと下方修正、そして赤字から大幅な赤字へと再度下方修正せざるを得なくなった。


; バルト三国
量的金融緩和の中断は厳しい結果をもたらしたのであるが、中断は合理的に解釈しうる。日本の機関投資家が世界で危機の経済化したときに傷が浅かったのは、日本国債や日本株を買っていた分、海外の証券を買えなかったからであった。量的金融緩和というのは実際問題として買い入れ証券をあまり選べない。国家財政から独立した経営体としては、買い入れに限界が存在した。
[[バルト三国]]はEUと[[北大西洋条約機構]](NATO)加盟に続けてユーロ圏への加盟を進めていたが、危機によって国外の資金調達が止まった。バルト三国の通貨はユーロ圏への統合の途上にあるために為替レートが固定されており、通貨切り下げが困難で苦境に陥った{{efn|[[カレンシーボード制]]や{{仮リンク|アジャスタブル・ペッグ制|en|adjustable peg}}を採用していた{{Sfn|金京|2010|p=69}}。}}。特にラトビアは巨額の経常赤字があり、スカンジナビア系の銀行である[[スウェドバンク]]と[[ノルデア銀行|ノルディア銀行]]が関与しているため問題となった。[[欧州委員会]](EC)は、GDPの35%を支援する条件として、経常収支を調整する緊縮財政をラトビアに求めた。ラトビアは破綻を防いだが、緊縮財政によって大きなダメージを受けた{{efn|住宅価格は50%減、公務員解雇で教師の30%減、公務員給与の35%削減などが行われ、失業率は20%となった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=275}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=272-275}}。


; アイスランド
; 短命に終わる麻生内閣
[[アイスランド]]は危機発生の時期には最悪とも評されたが、最も対策に成功した国の一つとなった。危機以前には1990年代から[[タックスヘイブン]]としての機能を充実させ、2000年代には商業銀行と投資銀行の融合やヘッジファンドへの投資、不動産バブルが進んだ。所得格差が広がり、2006年以降には金融機関やエコノミストから警告があったが、財界に無視された{{efn|金融危機以前のアイスランドでは、人口1%未満の金融界や実業界に富が集中していた{{Sfn|スタックラー, バス|2014|pp=1575,/4865}}。}}{{Sfn|スタックラー, バス|2014|pp=1518-1554/4865}}。危機発生後の2008年10月には大手銀行が国有化され、株価は10%となり、人気があったネット預金{{仮リンク|アイスセーブ|en|Icesave}}も破綻し、失業率は7.6%となって欧米メディアでは世界最悪と報道された{{Sfn|スタックラー, バス|2014|pp=1466-1479, 1561/4865}}。対外債務が9兆5000億クローナとGDPの900%に達したためIMFの支援を受けたが、[[オラフル・ラグナル・グリムソン]]大統領はIMFが求める緊縮策を拒否し、国民投票を行った。その結果、アイスセーブ破綻の補償も拒否することになった。他方で政府は社会保障を維持して医療・再就職・住宅の支援を行った。歳入増加と所得格差の是正を目的に富裕層へ増税をし、危機の原因となった投機的な銀行への責任追及も行った。一連の政策によって、アイスランドはヨーロッパの中では速やかに回復へと向かった{{Sfn|スタックラー, バス|2014|pp=1812-1893/4865}}。
日本の2008年10-12月期の実質[[国内総生産]](GDP)速報値は前期比3.3%(年率換算で12.7%)のマイナスとなり、[[オイルショック|第一次石油危機]]に次ぐ約35年ぶりの、アメリカを超える下落幅を記録した。外需依存が裏目に出た。2009年1-3月期は前期比4.0%(年率換算で15.2%)減と第一次石油危機を超える下落幅となった。企業は[[2009年問題]]もあって、[[派遣社員]]や[[期間工]]、そして正社員の人員削減を進めざるをえない状況となり、[[2009年]]3月末までに失われた非正規労働者の雇用は19万人に達した<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090331AT3L3006D30032009.html|title=非正規労働の失業、9カ月間で19.2万人 内定取り消し1845人|newspaper=日本経済新聞|date=2009-03-31|accessdate=2009-03-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090403014435/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090331AT3L3006D30032009.html|archivedate=2009-04-03}}</ref>。[[日本共産党]]の[[機関紙]]である[[しんぶん赤旗]]は、この人員削減が個人消費を落ち込ませ、内需を悪化させることで更なる人員削減を招くという悪循環が生じると指摘した<ref>{{Cite news|url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-17/2009021705_01_0.html|title=経済悪化をくいとめ、雇用、社会保障、農業、中小企業を応援し、内需をあたためる予算に|newspaper=しんぶん赤旗|publisher=日本共産党|date=2009-02-17}}</ref>。


=== NIS諸国 ===
しかし急激な円高は高騰していた原料・燃料の価格を下げた。[[麻生内閣]]による自家用車高速道路優遇措置も加わり、日本国内における消費の低迷にはある程度の歯止めがかかった。もとより収益を国内販売に頼っていた[[スズキ (企業)|スズキ]]、[[ダイハツ工業]]([[トヨタ自動車|トヨタ]]との連結前)、[[本田技研工業]]等は黒字に踏みとどまった。また輸入ブランド品の末端販売価格の引き下げが可能となりこれらを取り扱う流通業者では増収となった。このため一時期7000円台にまで落ち込んだ日経平均株価は2009年6月の段階で10000円台にまで上げており、先進国の中では素早い回復であった。失業率も2ポイント増程度で歯止めがかかりつつあった。
; ロシア
ロシアは天然資源の利益がGDPの20%を占めており、危機による原油の暴落でロシアの銀行・原材料企業・新興財閥である[[オリガルヒ#ロシアのオリガルヒ|オリガルヒ]]の対外債務は5400億ドルまで増加し、ロシアの公的準備金に匹敵する規模になった。[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]](2008年8月)の影響でロシアに対する海外の投資家離れも止まらず、株価下落が続いた。2008年9月から[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]大統領と[[ウラジーミル・プーチン]]首相の政府はオリガルヒを支援したが、株式市場の安定化にオリガルヒの資金が使われ、小規模な銀行の救済には国営の{{仮リンク|ロシア開発対外経済銀行|en|VEB.RF}}(VEB)があたった。政府予算の9.7兆[[ルーブル]]の25%が金融危機対策として雇用創出・産業助成・減税などに使われ、国家規模から計算すると世界最大級であった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=259-263}}。


; ウクライナ
しかし、現実の失業率は5%台という戦後最高の水準にあり、そして2009年7月の失業率は戦後最悪の5.7%、完全失業者数は359万人に達した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/biz/subprime/news/20090828k0000e020003000c.html?inb=yt|title=失業率:過去最悪5.7% 有効求人倍率も最低更新…7月|newspaper=毎日新聞|date=2009-08-28|accessdate=2009-08-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090903024157/http://mainichi.jp/select/biz/subprime/news/20090828k0000e020003000c.html?inb=yt|archivedate=2009-09-03}}</ref>。結局、景気回復は「歯止めがかかりつつある」「きざしが見える」など単なるレトリックの域を出ていない。それに対し、企業内で不要とされる「過剰雇用者」、つまり失業者予備軍がさらに607万人(約7%)存在するという推計もあり、雇用環境の悪化が消費減退を招き、さらに企業に雇用調整を促すという悪循環さえも予想され<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/life/today/news/20090828k0000e020049000c.html|title=<失業率>予測超す悪化速度 消費減退、悪循環も|newspaper=毎日新聞|date=2009-08-28|accessdate=2009-08-28}}{{リンク切れ|date=2018-04}}</ref> 予断を許さない情勢が続き、<!--数字上で「歯止めがかかりつつある」のは、(特に[[実感景気]]が)即「下げ止まる」「回復する」ということではなく、また現状では2009年末には景気回復は息切れするという予測もある。--><!--日銀の基調判断あたりを仰りたいのかもしれませんが、現行の記述では用語の使い方の正確性に疑問。一旦コメントアウト-->さらに強力な財政政策による内需拡大、大規模な金融緩和による景気刺激策が求められた<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkei.co.jp/keiki/gdp/|title=2009年度の実質成長率マイナス2.8%に・NEEDS予測|publisher=NIKKEI-NET|accessdate=2009-02-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090216231338/http://www.nikkei.co.jp/keiki/gdp/|archivedate=2009-02-16}}</ref>。
経済発展のために西側からの資金調達を続けており、2008年までの国内企業の資金調達の45%、一般世帯向けローンの65%が国外からであり、オーストリアとフランスの銀行など400億ドルにのぼっていた。危機によって貸付が止まると鉄鋼業を中心とする輸出が減少して雇用問題が起きたため、10月にはIMFの支援164億ドルを受け入れた。IMFは条件として予算資金の確保、通貨[[フリヴニャ]]の切り下げ、金融システムの安定を求めた。国内では、IMFの緊縮策を受け入れた[[ヴィクトル・ユシチェンコ]]大統領や[[ユーリヤ・ティモシェンコ]]首相への不満が高まり、かつて不正選挙で[[オレンジ革命]](2004年)の原因になった[[ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ]]に支持が集まった。2009年には天然ガスをめぐって[[ロシア・ウクライナガス紛争]]が起き、ロシアとの対立が深まっていった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=276-278}}。

=== アジア ===
アジア諸国は、アメリカ合衆国やヨーロッパと比べて影響が比較的小さかった。原因として、金融機関の資金調達で海外資金への依存が低かった点にある。資本の流入や国内の信用残高は増えておらず、タイ、インド、マレーシアのように対GDP比では減少していた国もあった。しかし、金融危機の影響で起きた貿易の減少と、欧米の金融機関の資金引き揚げによって、2008年後半から2009年には中国、インドネシア、フィリピンなどをのぞくアジア諸国はマイナス成長となった{{Sfn|渡邉|2010|pp=51-52}}{{Sfn|金京|2010|pp=66-68}}。

; 中国
[[中華人民共和国|中国]]の金融機関に影響が少なかったのは、大きく2つ理由がある。(1) 資本取引を規制していたため、金融機関の資金調達は制限されていた{{efn|資産運用に関しては特別許可の案件か、{{仮リンク|合格境内机构投资者|en|Qualified Domestic Institutional Investor}}(QDI)と呼ばれる案件でだけ認められていた{{Sfn|渡邉|2010|p=53}}。}}。(2) それまでの銀行は中央銀行や政府の指示に従って貸付をしており、リスクを取って利益追求をする業務が少なかった{{efn|[[4大国有商業銀行]]と呼ばれる大銀行の中で、[[中国工商銀行]]、[[中国銀行]]、[[中国建設銀行]]は株式公開を終えたばかりだった{{Sfn|渡邉|2010|p=53}}。}}{{Sfn|渡邉|2010|pp=52-53}}。

実体経済への影響は2008年の第3四半期からとなった。中国は危機以前から急成長で輸出大国になっており、輸出先であるヨーロッパの不振の影響を受けた。2008年7月は輸出25%増、輸入30%増、外国直接投資が65%増だったが、6ヶ月後には危機の影響で輸出18%減、輸入40%減、外国直接投資が30%減となった。[[上海証券取引所]]は[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]を前に下落に転じた。ただし中国は内需を拡大しており、危機進行中の2008年時点でも消費は年間20%の上昇をみせていた。中国は危機にあたってアメリカのGSE保有を2007年水準まで減らし、他方で米国債が望ましい資産となったために財務省証券の購入を増やした{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=281-282}}。

[[胡錦濤]]政権のもとで、2008年11月には[[中国国務院]]が緊急会合を開いた。[[王岐山]][[国務院副総理]]の主導で対策が立案され、財政政策としては4兆元(5860億ドル)の{{仮リンク|内需拡大十項措置|en|Chinese economic stimulus program}}が進められた。この支出は[[中華人民共和国の高速鉄道|高速鉄道]]・道路・飛行場・水利施設などのインフラに使われた{{efn|10大産業支援策として、自動車・鉄鋼・紡績・設備機械・船舶・石油化学・軽工業・有職金属・電子情報・物流に支援が行われた{{Sfn|渡邉|2010|pp=53-55}}。}}。金融政策としては、2008年11月に[[中国人民銀行]]が緩和策として預金準備率・基準金利を引き下げ、2009年5月には「固定資産資本項目資本金比率に関する通知」として、多くの業種で銀行借り入れの債務比率を引き上げることを認めた。これらの大規模な緩和策で銀行貸付が急増して2009年の新規貸付は9兆6000億元となり、政府は貸付を慎重にするよう通知を出した。このため当時はバブルの可能性について懸念も広がった<ref>{{Cite web |date=2019-01-15 |url=https://newsphere.jp/economy/20190215-2/2/ |title=中国の高速鉄道、効率無視で負債86兆円 それでも建設は続く |publisher=newsphere |accessdate=2019-10-19}}</ref><ref>{{cite news |title=王岐山副首相、共産党規律委トップに 経済担当外れる |publisher=日本経済新聞 |date=2012-11-14|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM14037_U2A111C1000000/ |accessdate=2019-10-19}}</ref><ref>{{cite news |title=中国に迫られた2つの難題 財政出動と構造改革に矛盾 |publisher=産経ニュース |date=2016-02-27|url=http://www.sankei.com/world/news/160227/wor1602270046-n1.html |accessdate=2019-03-01}}</ref>{{Sfn|渡邉|2010|pp=53-55}}。

金融緩和と財政支出の組み合わせにより、中国は世界最速で金融危機を脱出した。2009年の中国の経済成長率は9.1%となり、2008年をわずかに下回る程度で、世界で最も高かった。効果の規模は、FRBが行なった流動性供給と並んで世界経済に影響を与えた{{Sfn|トゥーズ|2020|p=292}}。景気対策のために国債増発を必要としたアメリカ政府の要請に応え、[[アメリカ国債]]の大量購入でアメリカ経済を買い支えた<ref>{{cite news |title=中国、米国債を対米外交の武器に |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2018-03-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2854865024032018EA2000/|accessdate=2019-03-28}}</ref>、北京オリンピックの経済効果も相まって世界のGDP増加の過半数が中国に関連し、景気刺激策によってオーストラリアやブラジルなど多くの貿易国が利益を得た<ref>{{cite news |title=論評:「10年前に中国に助けられ、今日は恩をあだで返す」 |publisher=[[CRI]] |date=2018-06-25|url=http://japanese.cri.cn/20180625/f5cf45dd-71b6-b897-efc7-b4b611e35070.html|accessdate=2019-01-25|author=}}</ref>。しかし、景気刺激策によって中国でもシャドー・バンキング・システムが拡大することにもなり、2010年代に大きな問題となる{{Sfn|梶谷, 藤井編|2018|pp=152-153}}。

; 東南アジア諸国
タイはGDPの70%を輸出や観光業が占めており、金融危機は国内の政権交代に拡大した。[[サマック・スントラウェート]]首相の辞任要求デモが行われて政権は2008年12月に解散し、次の[[アピシット・ウェーチャチーワ]]政権はただちに景気刺激策を行った。一般消費者への刺激策、高齢者への特別手当、公教育への補助、政府系銀行や小企業への融資などが実施された。輸出は2009年第3四半期に前年比で25%減となり、財政赤字はGDPの5.6%まで増加した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=300-301}}。

マレーシアは輸出依存度が103%と高かったため実体経済への影響が大きく、2008年から2009年にかけて製造業は17.6%減、特に電子機器関連の工場は前年比44%減となった。[[アブドラ・バダウィ]]政権の景気刺激策は2009年にGDPの9%にあたり、バダウィ政権が解散したのちに[[ナジブ・ラザク]]が刺激策は自らの実績だったと主張し、ラザク政権が成立した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=300-302}}。

インドネシアでは輸出依存度が20%と小さく、金融危機への景気刺激策は減税を中心としていた。減税額は公的支出の10%、GDPの1.4%にあたり、対象は9700万人の労働者と4800万の企業のうちで納税登録された1000万人と20万の企業となった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=300-301}}。

; 韓国
韓国はアジア圏において比較的損失が大きく、貿易急減、通貨切り下げ、流動性の減少が重なった。韓国の銀行は海外からUSドルを調達したのちにウォンに転換し、国内の株や債券に投資するという方法をとっていた。そのために金融危機で海外資産が目減りし、海外からの借入も停止した。ドル不足とウォン急落が起き、アジア通貨危機の際と類似の状況となった。2007年第2四半期の187.46億ドルから2008年第1四半期の17.37億ドルまで減少した{{Sfn|渡邉|2010|pp=51-52}}。

; 日本
日本は[[失われた10年]]とも呼ばれた経済低迷や[[日本のデフレーション|デフレーション]]の只中にあったが、金融危機が金融機関に与えた影響はアメリカやヨーロッパと比べて少なかった。日本の銀行ではサブプライムローンの証券化商品の保有が少なく、310億ドルの損失にとどまった{{efn|保有が少なかった原因としては、(1) 円高期待によって、金融機関がUSドル建て金融商品を購入しなかった。(2) 金融当局の金融監督体制が改良されていた。(3) 証券化商品の資金調達がアメリカとは異なっていた。(4) 2000年代に住宅バブルがなかった。(5) 流動性供給の状況がアメリカとは異なっていた、などがある{{Sfn|鯉渕ほか|2014|pp=2, 10}}。}}。比較的損失が少なかったため、[[野村ホールディングス]]は、破綻したリーマン・ブラザーズの2/3(韓国を除くアジア・欧州・中東部門)を買収した。[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]](MUFG)は[[モルガン・スタンレー]]の株20%を取得するために9000億円を出資したが、その後の株価は急落した。この出資は政府による支援の確約が条件で可能となった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=209}}。

金融機関への影響と比べると、実体経済への影響は大きかった。中国・韓国・台湾向けの輸出減少によって輸出は50%減となった{{efn|[[トヨタ自動車]]は全世界の生産が22%減少し、[[ソニー]]は26億ドル、[[東芝]]は28億ドル、[[パナソニック]]は38億ドルの損失だった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=184}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|p=184}}。株価が急落し、[[日経平均株価]]は2008年10月8日と10月10日には歴代上位の下落率となった{{Sfn|鯉渕ほか|2014|pp=2-6}}<ref>[http://www3.nikkei.co.jp/nkave/about/down.cfm 日経平均プロフィル]</ref>。10月10日の[[日経225先物取引|日経先物]]では、株の売り注文が急増したために取引を強制停止させる[[サーキットブレーカー制度|サーキットブレーカー]]が史上2回目の発動をした。実質GDPは2008年第3四半期に3%、第4四半期に4%減少しており、これは同時期のアメリカを超える下落幅で、[[オイルショック|第一次石油危機]]も超えていた。企業は[[2009年問題]]もあって人員削減を進め、2009年3月末までに19万人の非正規労働者の雇用が失われた<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090331AT3L3006D30032009.html|title=非正規労働の失業、9カ月間で19.2万人 内定取り消し1845人|newspaper=日本経済新聞|date=2009-03-31|accessdate=2009-03-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090403014435/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090331AT3L3006D30032009.html|archivedate=2009-04-03}}</ref>。この人員削減が個人消費の落ち込みや内需悪化となり、さらに人員削減を招く悪循環が生じるという指摘もされた<ref>{{Cite news|url=http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-17/2009021705_01_0.html|title=経済悪化をくいとめ、雇用、社会保障、農業、中小企業を応援し、内需をあたためる予算に|newspaper=しんぶん赤旗|publisher=日本共産党|date=2009-02-17}}</ref>。一時期7000円台に下落した日経平均株価は2009年6月に10000円台に上昇し、先進国の中では素早い回復であった。しかし、2009年7月の失業率は戦後最悪の5.7%、完全失業者数は359万人に達した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/biz/subprime/news/20090828k0000e020003000c.html?inb=yt|title=失業率:過去最悪5.7% 有効求人倍率も最低更新…7月|newspaper=毎日新聞|date=2009-08-28|accessdate=2009-08-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090903024157/http://mainichi.jp/select/biz/subprime/news/20090828k0000e020003000c.html?inb=yt|archivedate=2009-09-03}}</ref>。

[[麻生内閣]]の対策は、財政拡張と金融緩和だった。財政政策では、2008年10月から2010年10月にかけて5回の補正予算が成立し、追加支出は42.7兆円となった。金融政策では、2008年12月にFRBにならって政策金利のコールレートを0.1%に引き下げて実質的にゼロ金利となった。[[日本銀行]]は他国の中央銀行と協調で市場に流動性供給を行った。財政拡大によって増えた国債は日本の金融機関が消化した。中小企業の資金調達が困難となったため、金融庁は2008年11月に銀行監督基準を緩和し、[[中小企業金融円滑化法]](2009年12月)へとつながった{{Sfn|鯉渕ほか|2014|pp=18-19}}。

=== アフリカ ===
アフリカの経済は、2003年からの資源価格の上昇を受けて成長していた。2008年9月15日には、株式時価総額が比較的大きい7カ国(南アフリカ、モロッコ、エジプト、チュニジア、モーリシャス、ザンビア、ナミビア)の株価はいずれも大きく下落し、南アフリカなどへの資金流入が減少した{{efn|当時この中で、ヨーロッパ依存の大きい国はモロッコ、チュニジア、モーリシャスであり、アメリカ依存の大きい国は南アフリカ、エジプト、ナミビアだった{{Sfn|杉本|2014|p=114}}。}}。しかし、金融危機の全体的な影響は欧米に比べると軽微だった。貿易の減少は、資源輸出国であるアンゴラ、ナイジェリア、ボツワナなどに影響を与えた{{Sfn|杉本|2014|p=107}}{{Sfn|杉本|2017|pp=103-104, 110}}。


== 危機後の各国GDPの推移 ==
== 危機後の各国GDPの推移 ==
{{Bar chart|float=center
{{Bar chart|float=center
| title = 世界金融危機後から2017年までのGDP増加率(購買力平価)
| title= 世界金融危機後から2017年までのGDP増加率(購買力平価)
| table_width = 70
| table_width = 70
| bar_width = 50 <!-- must be an unformatted number -->
| bar_width = 50 <!-- must be an unformatted number -->
| data_max = 14,148<!-- Upper bound on the values in the data fields -->
| data_max = 14,148<!-- Upper bound on the values in the data fields -->
| label_type = Economy
| label_type = Economy
| data_type = {{center|Incremental GDP (billions in USD)}}
| data_type = {{center|Incremental GDP (billions in USD)}}
| label1 = (01) '''{{Flagu|China}}''' | data1 = 14,147
| label1 = (01) '''{{Flagu|China}}''' | data1 = 14,147
| label2 = (02) '''{{Flagu|India}}''' | data2 = 5,348
| label2 = (02) '''{{Flagu|India}}''' | data2 = 5,348
| label3 = (03) {{Flagu|United States}} | data3 = 4,913
| label3 = (03) {{Flagu|United States}} | data3 = 4,913
| label4 = () {{Flagu|European Union}} | data4 = 4,457
| label4 = (-) {{Flagu|European Union}} | data4 = 4,457
| label5 = (04) '''{{Flagu|Indonesia}}''' | data5 = 1,632
| label5 = (04) '''{{Flagu|Indonesia}}''' | data5 = 1,632
| label6 = (05) '''{{Flagu|Turkey}}''' | data6 = 1,024
| label6 = (05) '''{{Flagu|Turkey}}''' | data6 = 1,024
| label7 = (06) {{Flagu|Japan}} | data7 = 1,003
| label7 = (06) {{Flagu|Japan}} | data7 = 1,003
| label8 = (07) {{Flagu|Germany}} | data8 = 984
| label8 = (07) {{Flagu|Germany}} | data8 = 984
| label9 = (08) '''{{Flagu|Russia}}''' | data9 = 934
| label9 = (08) '''{{Flagu|Russia}}''' | data9 = 934
| label10 = (09) '''{{Flagu|Brazil}}''' | data10 = 919
| label10 = (09) '''{{Flagu|Brazil}}''' | data10 = 919
| label11 = (10) {{Flagu|South Korea}} | data11 = 744
| label11 = (10) {{Flagu|South Korea}} | data11 = 744
| label12 = (11) '''{{Flagu|Mexico}}''' | data12 = 733
| label12 = (11) '''{{Flagu|Mexico}}''' | data12 = 733
| label13 = (12) '''{{Flagu|Saudi Arabia}}''' | data13 = 700
| label13 = (12) '''{{Flagu|Saudi Arabia}}''' | data13 = 700
| label14 = {{nowrap|(13) {{Flagu|United Kingdom}}}} | data14 = 671
| label14 = {{nowrap|(13) {{Flagu|United Kingdom}}}} | data14 = 671
| label15 = (14) {{Flagu|France}} | data15 = 566
| label15 = (14) {{Flagu|France}} | data15 = 566
| label16 = (15) '''{{Flagu|Nigeria}}''' | data16 = 523
| label16 = (15) '''{{Flagu|Nigeria}}''' | data16 = 523
| label17 = (16) '''{{Flagu|Egypt}}''' | data17 = 505
| label17 = (16) '''{{Flagu|Egypt}}''' | data17 = 505
| label18 = (17) {{Flagu|Canada}} | data18 = 482
| label18 = (17) {{Flagu|Canada}} | data18 = 482
| label19 = (18) '''{{Flagu|Iran}}''' | data19 = 462
| label19 = (18) '''{{Flagu|Iran}}''' | data19 = 462
| label20 = (19) '''{{Flagu|Thailand}}''' | data20 = 447
| label20 = (19) '''{{Flagu|Thailand}}''' | data20 = 447
| label21 = (20) '''{{Flagu|Philippines}}''' | data21 = 440
| label21 = (20) '''{{Flagu|Philippines}}''' | data21 = 440
| caption = <ref>Figures from the April 2018 update of the International Monetary Fund's ''World Economic Outlook Database''. [http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2018/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=80&pr.y=8&sy=2007&ey=2014&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=998&s=NGDPD&grp=1&a=1 Figure for EU], accessed August 30, 2018. [http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2018/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=52&pr.y=15&sy=1980&ey=2017&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=512%2C946%2C914%2C137%2C612%2C546%2C614%2C962%2C311%2C674%2C213%2C676%2C911%2C548%2C193%2C556%2C122%2C678%2C912%2C181%2C313%2C867%2C419%2C682%2C513%2C684%2C316%2C273%2C913%2C868%2C124%2C921%2C339%2C948%2C638%2C943%2C514%2C686%2C218%2C688%2C963%2C518%2C616%2C728%2C223%2C836%2C516%2C558%2C918%2C138%2C748%2C196%2C618%2C278%2C624%2C692%2C522%2C694%2C622%2C142%2C156%2C449%2C626%2C564%2C628%2C565%2C228%2C283%2C924%2C853%2C233%2C288%2C632%2C293%2C636%2C566%2C634%2C964%2C238%2C182%2C662%2C359%2C960%2C453%2C423%2C968%2C935%2C922%2C128%2C714%2C611%2C862%2C321%2C135%2C243%2C716%2C248%2C456%2C469%2C722%2C253%2C942%2C642%2C718%2C643%2C724%2C939%2C576%2C644%2C936%2C819%2C961%2C172%2C813%2C132%2C726%2C646%2C199%2C648%2C733%2C915%2C184%2C134%2C524%2C652%2C361%2C174%2C362%2C328%2C364%2C258%2C732%2C656%2C366%2C654%2C734%2C336%2C144%2C263%2C146%2C268%2C463%2C532%2C528%2C944%2C923%2C176%2C738%2C534%2C578%2C536%2C537%2C429%2C742%2C433%2C866%2C178%2C369%2C436%2C744%2C136%2C186%2C343%2C925%2C158%2C869%2C439%2C746%2C916%2C926%2C664%2C466%2C826%2C112%2C542%2C111%2C967%2C298%2C443%2C927%2C917%2C846%2C544%2C299%2C941%2C582%2C446%2C474%2C666%2C754%2C668%2C698%2C672&s=PPPGDP&grp=0&a= Figures for the countries of the world], accessed August 30, 2018.</ref>}}
| caption = <ref>Figures from the April 2018 update of the International Monetary Fund's ''World Economic Outlook Database''. [http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2018/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=80&pr.y=8&sy=2007&ey=2014&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=998&s=NGDPD&grp=1&a=1 Figure for EU], accessed August 30, 2018. [http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2018/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=52&pr.y=15&sy=1980&ey=2017&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=512%2C946%2C914%2C137%2C612%2C546%2C614%2C962%2C311%2C674%2C213%2C676%2C911%2C548%2C193%2C556%2C122%2C678%2C912%2C181%2C313%2C867%2C419%2C682%2C513%2C684%2C316%2C273%2C913%2C868%2C124%2C921%2C339%2C948%2C638%2C943%2C514%2C686%2C218%2C688%2C963%2C518%2C616%2C728%2C223%2C836%2C516%2C558%2C918%2C138%2C748%2C196%2C618%2C278%2C624%2C692%2C522%2C694%2C622%2C142%2C156%2C449%2C626%2C564%2C628%2C565%2C228%2C283%2C924%2C853%2C233%2C288%2C632%2C293%2C636%2C566%2C634%2C964%2C238%2C182%2C662%2C359%2C960%2C453%2C423%2C968%2C935%2C922%2C128%2C714%2C611%2C862%2C321%2C135%2C243%2C716%2C248%2C456%2C469%2C722%2C253%2C942%2C642%2C718%2C643%2C724%2C939%2C576%2C644%2C936%2C819%2C961%2C172%2C813%2C132%2C726%2C646%2C199%2C648%2C733%2C915%2C184%2C134%2C524%2C652%2C361%2C174%2C362%2C328%2C364%2C258%2C732%2C656%2C366%2C654%2C734%2C336%2C144%2C263%2C146%2C268%2C463%2C532%2C528%2C944%2C923%2C176%2C738%2C534%2C578%2C536%2C537%2C429%2C742%2C433%2C866%2C178%2C369%2C436%2C744%2C136%2C186%2C343%2C925%2C158%2C869%2C439%2C746%2C916%2C926%2C664%2C466%2C826%2C112%2C542%2C111%2C967%2C298%2C443%2C927%2C917%2C846%2C544%2C299%2C941%2C582%2C446%2C474%2C666%2C754%2C668%2C698%2C672&s=PPPGDP&grp=0&a= Figures for the countries of the world], accessed August 30, 2018.</ref>}}


== 危機後の各国 ==
== 危機後の影響 ==
2008年10月の各国の対応によって、金融危機はいったん収束へと向かう。アメリカでは銀行の資本増強が行われたが、ヨーロッパは共通の対策がドイツによって拒否されたために各国ごとの対策にとどまり、資本増強は不十分に終わった。この違いは、のちに2010年の[[2010年欧州ソブリン危機|ユーロ危機]]によって表面化した{{Sfn|トゥーズ|2020|p=235}}。全米経済研究所は2010年9月20日に、2007年12月からのアメリカの景気後退は2009年6月に終了していたとコメントした。しかしこれはアメリカ国内の[[景気循環]]について述べたものであり、余波について触れていない。世界金融危機によって[[韓国通貨危機]](2008年-)、[[ドバイ・ショック]](2009年11月)、ユーロ危機(2010年-)などが起きて経済にマイナスの影響を残したほか、[[2014年クリミア危機]]のように金融危機の余波による政治危機も起きている<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGN2000B_Q0A920C1000000/|title=直近の米景気後退「戦後最長」 09年6月終了と判定|newspaper=日本経済新聞|date=2010-09-21}}</ref>。
2008年に中国は当時の[[王岐山]][[国務院副総理]]の主導で[[金融緩和]]とともに[[中華人民共和国の高速鉄道|中国の高速鉄道網]]の建設など4兆元の大規模な[[財政出動]]({{仮リンク|内需拡大十項措置|en|Chinese economic stimulus program}})を断行して世界最速のV字回復で金融危機を脱出し<ref>{{Cite web |date=2019-01-15 |url=https://newsphere.jp/economy/20190215-2/2/ |title=中国の高速鉄道、効率無視で負債86兆円 それでも建設は続く |publisher=newsphere |accessdate=2019-10-19}}</ref><ref>{{cite news |title=王岐山副首相、共産党規律委トップに 経済担当外れる |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2012-11-14|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM14037_U2A111C1000000/ |accessdate=2019-10-19}}</ref><ref>{{cite news |title=中国に迫られた2つの難題 財政出動と構造改革に矛盾 |publisher=[[産経ニュース]] |date=2016-02-27|url=http://www.sankei.com/world/news/160227/wor1602270046-n1.html |accessdate=2019-03-01}}</ref>、景気対策のために国債増発を必要としたアメリカ政府の要請に応えた[[アメリカ国債]]の大量購入でアメリカ経済を買い支え<ref>{{cite news |title=中国、米国債を対米外交の武器に |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2018-03-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2854865024032018EA2000/|accessdate=2019-03-28}}</ref>、北京五輪の経済効果も相まって世界のGDP増加の過半数が中国に関連し<ref>{{cite news |title=論評:「10年前に中国に助けられ、今日は恩をあだで返す」 |publisher=[[CRI]] |date=2018-06-25|url=http://japanese.cri.cn/20180625/f5cf45dd-71b6-b897-efc7-b4b611e35070.html|accessdate=2019-01-25|author=}}</ref>、世界金融危機後の[[世界経済]]を救ったとする評価を国際的に得てその政治的経済的影響力を高めるきっかけとなるも後に莫大な巨額債務という禍根も残すことになった<ref>{{cite news |title=中国、4兆元対策の功罪 「影の銀行」火種残 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2013-12-15|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1004T_R11C13A2TY8000/|accessdate=2019-03-01}}</ref><ref>{{cite news |title=[FT<nowiki>]</nowiki>中国が強国となった2008年 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2018-09-17|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35368400U8A910C1TCR000/|accessdate=2019-03-01}}</ref>。


[[File:Wallst14occupy.jpg|thumb|250px|[[ウォール街を占拠せよ]]のデモ(2011年10月1日)]]
2008年から数年にわたり、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]、[[インド]]、[[レバノン]]、[[南アフリカ共和国]]では、貴金属と化石燃料をふくむ鉱産資源の輸出量が急増しつづけた。[[イスラエル]]のダイヤモンド輸出量も同様である。
全世界の失業者は2700万人から4000万人に達したといわれる{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=185-187}}。他方、政府支援を受けた企業が高待遇を続けたために批判を受ける場合もあった。ウォール街では、投資銀行、資産運用会社、ヘッジファンドなどの幹部が2009年夏に1450億ドルの利益を得ており、2008年の1170億ドルを超えていた{{efn|ゴールドマン・サックスは報酬とボーナスに162億ドル、シティグループは50億ドルのボーナスを支払った{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=357}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=357-358}}。GM、[[フォード・モーター]]、クライスラーの各首脳は公的支援を求めてアメリカ議会の公聴会に出席した際、自家用ジェット機を使用したため議員から批判された<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081120/biz0811201440005-n1.htm|title=救済求めるビッグ3の首脳、自家用機で議会に乗りつけ非難の嵐|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年11月20日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081209104030/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081120/biz0811201440005-n1.htm|archivedate=2008-12-09}}</ref>。政府の資金注入を受けたイギリスのロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)は、銀行業界で過去最大のボーナスを支給して批判され、CEOの{{仮リンク|フレッド・グッドウィン|en|Fred Goodwin}}が引責辞任した。AIGアメリカン・ゼネラル社幹部は救済決定後にリゾート地で44万ドルの会合を開催し、2009年3月に幹部73人に100万ドル以上のボーナスを支払い、支給直後に11人が退社した。これに対して、ボーナスの90%(地方税の10%相当を加えて事実上は100%)を所得税課税する法案が可決された{{efn|社員の一部はボーナス返還要求を拒否して法的処置を模索した<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-37178020090326 米AIGの欧州部門従業員、賞与返還要求は「脅迫」と反発]、2009年3月29日、ロイター</ref>。}}<ref>[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/772 AIGボーナスベイビー〜深刻な財務省の人手不足](2009年3月26日、[http://jbpress.ismedia.jp/ JBpress])</ref>。アイスランドでは、アイスセーブを提供した[[ランズバンキ銀行]]などの幹部が起訴されて有罪となった{{Sfn|スタックラー, バス|2014|pp=1812-1893/4865}}。金融業界の不祥事は就職にも影響を与え、[[マサチューセッツ工科大学]](MIT)の2009年の卒業生で金融業を選ぶ者は2006年から2008年と比較して45%減少した{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|p=5432/8512}}。


金融危機は、現在の金融システムが債務に依存しているという批判のきっかけにもなった。20世紀後半から世界金融危機までは、高額所得者に占める金融業者の割合が増加を続けた時代であった{{efn|アメリカでは1979年から2005年の間に最上位所得層に占める金融業者の数が2倍になった。イギリスでは1998年から2007年にかけて最上位所得層の金額の60%が金融業者のものだった{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=5286-5320/8512}}。}}{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=5286-5320/8512}}。さらには、富裕者とそれ以外の所得格差が拡大した時代でもあった{{efn|アメリカでは1992年には純資産分布の上位10%が富の66%を所有し、2007年には71%に上昇した{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=661-669/4780}}。}}{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=661-669/4780}}。2011年9月17日、ウォール街でデモを起こす呼びかけがFacebookで拡散され、[[ウォール街を占拠せよ]]と呼ばれる抗議活動の始まりとなった。マンハッタンの[[ズコッティ公園]]には2000人が集まって[[ソーシャル・ネットワーク・サービス]](SNS)で活動の様子が拡散された。10月には全米各地で100以上の占拠活動やデモが起き、世界各地にも影響を与えた。2011年10月15日にはローマで10万人から40万人、スペインで100万人、ポルトガルで数十万人が集まって緊縮財政への反対デモが開催され、他にも世界の900以上の都市で支援デモがあった{{efn|ロンドン、パリ、ソウル、マニラ、ベルリン、ムンバイ、アムステルダム、香港でキャンプ村が設置された{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=465-466}}。}}{{Sfn|パッカー|2014|pp=564-573, 586-591}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=465-466}}。
アメリカの[[全米経済研究所]]は2010年9月20日に、2007年12月からのアメリカの景気後退は2009年6月に終了していたとコメントした<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGN2000B_Q0A920C1000000/|title=直近の米景気後退「戦後最長」 09年6月終了と判定|newspaper=日本経済新聞|date=2010-09-21}}</ref>。これはあくまでもアメリカ国内の[[景気循環]]について述べたものであり、世界各国での世界金融危機のショックによる余波(例えば[[ドバイ・ショック]]、[[2010年欧州ソブリン危機]])がもたらしているさまざまな影響について述べているわけではない。世界金融危機以降の回復の過程あるいは経済の推移は、各国個別の事情が影響しており展開はまちまちな状況である。


=== アメリカ ===
世界金融危機による世界同時不況は日本を含め、2013年現在では終わったものと捉えられているが、この不況によって残された爪痕は極めて深い。特にヨーロッパ諸国では高い失業率(特に若年者)や国家レベルでの財政危機などが深刻化しており、経済的な落ち込みから2014年現在も立ち直れていない。
; オバマ政権
危機の最中に大統領選挙が行われ、2008年11月には[[バラク・オバマ]]が当選した。ブッシュ政権時代からオバマと[[民主党 (アメリカ)|民主党]]は危機の対策に協力しており、緊急経済安定化法案では民主党の賛成が共和党よりも多かった。オバマ政権のもとで民主党が上院と下院を支配下に置き、経済政策の人事は市場に歓迎された{{efn|財務長官はニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナー、[[アメリカ合衆国国家経済会議|国家経済会議]]の委員長は[[ラリー・サマーズ]]、[[アメリカ合衆国行政管理予算局|行政管理予算局]]の局長は{{仮リンク|ハミルトン・プロジェクト|en|Hamilton Project}}でオバマの仲間だった[[ピーター・リチャード・オルザグ]]、[[大統領経済諮問委員会]]の委員長は世界恐慌史の研究者である[[クリスティーナ・ローマー]]だった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=233-234}}。}}。しかし景気は回復に向かったものの、危機の対策では住宅ローンの債務者よりも金融機関が優先されたため、オバマ政権への不満が高まり2010年の中間選挙で民主党は大敗する{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=233-234, 584}}。他方、共和党はブッシュ政権時代の緊急経済安定化法案で多数の反対者を出すなど分裂を起こした。2012年の大統領選がオバマの勝利に終わると共和党内の分裂はさらに進み、2016年の[[ドナルド・トランプ]]政権への遠因となる{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=232-233}}。


; 格差の拡大
日本では[[東日本大震災]]による被害も甚大であり、経済のみならず政治的・社会的にも深刻なダメージを受けた。2011年に[[大韓民国|韓国]]と[[ギリシャ]]の原油輸出量が急増している。もっとも2013年前後からは[[アベノミクス]]により雇用環境は大幅に改善したものの、平均給与は未だリーマンショックでの落ち込みを回復した程度にとどまっており、ショックから完全に立ち直ったとは言えない状況である。
危機によってアメリカの格差は拡大した。年間経済生産14兆ドルに対して、2008年の住宅価格は5.5兆ドルの下落と巨額に達した。サブプライムローンの証券化は、価格の暴落分を債務者の純資産に吸収させる構造だったため、高所得者がより有利になり、低所得層がより不利になった{{efn|損失の比率は、上位20%の富裕層の債務比率が7%であり、下位80%の層が債務比率の大半を占めた{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=564-603/4780}}。}}{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=564-603/4780}}。2007年から2009年の間に住宅を差し押さえられた世帯はアメリカだけで400万世帯に及び、2007年3月から2009年3月の間に民間部門で600万人が失業した{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=199, 1550/4780}}。住宅所有で破綻が多かったのはヒスパニック系の人々でもあり、社会集団の分離にもつながった。平均資産は2007年から2010年の間に56万ドルから46万ドルに減ったが、富裕層をのぞくとより深刻であり、中央値の世帯は10万ドルから5万7800ドルと半減した。住宅ブームの最多の参加者だったヒスパニック系は、86%減と最も厳しい状況になっている{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=180-181}}。


; 銀行規制・消費者金融保護
また、世界的に景気回復の実感が弱く、国によってばらつきが見られる中、再び世界経済の先行きの不透明さが増しているとも言われ、今後の状況は予断を許さない<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/economy/20141012-OYT1T50118.html|title=世界経済、下方リスクが増加…IMF諮問機関|publisher=読売新聞|date=2014年10月12日|accessdate=2014年10月12日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141013073628/http://www.yomiuri.co.jp/economy/20141012-OYT1T50118.html|archivedate=2014-10-13}}</ref>。日本でも、2014年4月の[[消費税]]増税が、緩やかな回復状態にあった景気の腰を折り、再び後退局面に追いやったという見方がある<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0RV1MC20140930|title=〔焦点〕予想裏切る生産悪化、「景気後退入り」の可能性で増税シナリオに影|publisher=ロイター|date=2014年9月30日|accessdate=2014年10月12日}}</ref>。
[[File:Nomination of Richard Cordray.jpg|thumb|upright=1.2|2011年7月、消費者金融保護局の初代長官[[リチャード・コードレイ]](右)と、消費者金融保護局設立を提唱した[[エリザベス・ウォーレン]](左)]]
危機を反省した規制として2010年に[[ドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法]]が制定され、FRBがシャドー・バンキング・システムを監督規制することとなった{{Sfn|柴田|2016|pp=143-144}}。破産法の専門家である[[エリザベス・ウォーレン]]は{{仮リンク|アメリカ合衆国消費者金融保護局|en|Consumer Financial Protection Bureau}}(CFPB)の設立を提唱し、オバマ政権はCFPB設立とウォーレンの長官任命を検討した。しかし共和党を中心とする反対を受け、2011年にCFPBは設立されたが初代長官は[[リチャード・コードレイ]]が就任した{{Sfn|パッカー|2014|pp=551-554}}。{{仮リンク|金融調査局|en|Office of Financial Research}}(OFR)が2013年にレポートを提出し、[[機関投資家|資産運用会社や運用ファンド]]も金融システム安定化の脅威になりうると結論した。そこでこれらも{{仮リンク|システム上重要な金融会社|en|Systemically important financial institution}}(SIFI)への指定が検討されたが、資産運用会社の[[フィデリティ・インベストメンツ]]や[[ブラックロック]]が反発し、[[証券取引委員会]](SEC)も警戒感を示した。そしてドッド・フランク法が改正されるまでファンドマネージャーレベルでの規制はなされず、商品や業務のリスクに注目した監視だけが行われた{{Sfn|柴田|2016|pp=143-144}}。


=== ヨーロッパ ===
2014年11月4日、IMFの内部監察を行う独立評価機関(IEO)は報告書で、IMFが金融危機後に主要先進国に緊縮策・予算削減を求めたことは誤りだったとの判断を示した<ref>{{Cite news|url=http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NEJRPR6K50Y101.html|title=IMFの緊縮策要求は誤りだった-金融危機後の対応で報告書|publisher=Bloomberg|date=2014年11月5日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141105174030/http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NEJRPR6K50Y101.html|archivedate=2014-11-05}}</ref>。
ヨーロッパ諸国では若者層を中心とする高い失業率や、国家の財政危機が深刻化した。緊縮財政は経済的困窮や健康の悪化を招いて国内の不満を高めた。危機への対応としてEUレベルで銀行の資本増強が求められたが、{{仮リンク|国際金融協会|en|Institute of International Finance}}(IIF)を中心とする業界が銀行への規制であるという論点から反対し、実現しなかった。そのため、のちにユーロ危機の発端になった公債市場の暴落に銀行は対応できなかった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=364-370}}。東欧諸国やバルト三国は危機が起きる前からユーロ圏加盟を進めていたが、延期や後退が起きた。エストニアは2011年、ラトビアは2014年、リトアニアは2015年にユーロ圏に加盟した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=591-592}}。


ヨーロッパ系銀行は世界金融危機の損失に加えて、いくつもの問題を抱えた。(1) 欧州の国債の不良債権化、(2) ユーロ圏の問題による新規事業の停滞、(3) バーゼルIIIによる規制、(4) アメリカやアジアの銀行との競争、(5) 資金調達の困難、などがある{{Sfn|トゥーズ|2020|p=474}}。
危機を反省した規制として2010年に[[ドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法]]が制定され、シャドー・バンキング・システムを連邦準備制度に監督規制させることとなった。米財務省の金融監督庁(OFR)が2013年にレポートを提出、[[機関投資家|資産運用会社や運用ファンド]]も金融システム安定化の脅威になりうると結論した。そこでこれらも「システム上重要な金融会社(SIFI)」に指定することが検討されたが、[[フィデリティ・インベストメンツ]]や[[ブラックロック]]が強く反発、[[証券取引委員会]]までもが警戒感を示した。そしてドッド・フランク法が改正されるまでファンドマネージャーレベルでの規制はなされず、商品や業務のリスクに注目した監視だけが行われた{{Sfn|柴田徳太郎|2016|pp=143-144}}。


; 早期の回復国
== 略年表 ==
アイスランドは社会保障維持、IMFの緊縮財政案の拒否、所得格差是正、金融機関の起訴などによって回復に向かった。2012年にGDP成長率が3%となり、格付けでも危機対応が評価されて上昇し、所得格差は他の北欧諸国と同レベルになった{{Sfn|スタックラー, バス|2014|pp=1812-1893/4865}}。さらに、国家危機の再発を防ぐためにインターネットの国民投票をもとに憲法を改正した。2012年に改正された新憲法には、政治家と銀行の癒着の防止が含まれている{{Sfn|スタックラー, バス|2014|p=1906/4865}}。
(日付は、現地時間と日本時間が混じっています。また事件と報道がずれている場合があります。そのため事件の順番に矛盾があるので、利用の際はお気を付け下さい。=例えば、ある発表を受けて株価が暴落した場合でも、発表の方が1日後になっているところがありえます)


; ユーロ危機
=== 2006年まで ===
[[File:Budget Deficit and Public Debt to GDP in 2012 (for selected EU Members).png|thumb|upright=1.35|right|alt=Budget Deficit and Public Debt to GDP in 2012|ヨーロッパ諸国の2012年の財政赤字と公的債務の対GDP比。緑がEUの[[安定・成長協定]](SGP)の範囲内である。]]
* 1996年12月{{0|00日}} - [[連邦準備制度|FRB]]の[[アラン・グリーンスパン|グリーンスパン]]議長が米国株の上昇を「根拠なき熱狂」("irrational exuberance")と表現。しかしその後FRB内部での懸念にもかかわらず金融緩和を推し進め、住宅バブルを発生させた主要人物だとの証言がある。
金融危機後に財政悪化が注目された国々は、支払い不能に近いギリシャとポルトガル、不動産バブルが崩壊したアイルランドとスペイン、巨額の政府債務があるイタリアだった。特にギリシャとアイルランドが債務の再編を必要としていたが、両国の国債は暴落し、緊密な金融システムをもつヨーロッパ全体に波及して[[ユーロ危機]]が起きた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=374-380, 418}}。
* 2001年{{0}}9月11日 - [[アメリカ同時多発テロ事件]]発生。[[ニューヨーク証券取引所|NYSE]]などの株式が大幅に下落する。
**12月2日 - [[エンロン]]倒産
* 2002年{{0}}7月21日 - [[ワールドコム]]倒産
* 2003年{{0}}4月28日 - 日経平均株価が、当時のバブル後最安値7607.88円を記録。
* 2004年{{0|00月00日}} - アメリカの金融緩和が終わり、[[政策金利|公定歩合]]を上昇させ始める。


イタリアの[[シルヴィオ・ベルルスコーニ]]政権は、EUとIMFが支援と引き換えに求める年金制度改革を2011年に拒否した。このためにイタリアはIMFの支援を得られないまま監視下に置かれるという状況になり、市民は退陣要求デモを行い、連立与党の[[北部同盟 (イタリア)|北部同盟]]も首相の辞任を求めた。ベルルスコーニは辞任し、経済学者の[[マリオ・モンティ]]が首相に就任した{{efn|ベルルスコーニは過去に数々の起訴歴があり、2011年2月にもスキャンダルを起こしていた。ボッコーニ・ボーイズ(Bocconi boys)と呼ばれるエコノミストやトレモンティ財務相は、金融危機におけるベルルスコーニの対応を懸念していた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=454-455}}。}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=485-487}}。
=== 2007年 ===
* {{0}}2月27日 - [[上海証券取引所|上海株式市場]]で[[上海総合指数]]が前日比-8.84%の大暴落を起こす([[上海ショック]])。
* アメリカで住宅価格の下落が始まる。
* {{0}}6月{{0}}8日 - G8首脳会議
* {{0}}6月20日 - 日本で改正[[建築基準法]]施行。元一級建築士のA氏による[[構造計算書]]偽造に端を発した[[構造計算書偽造問題]]の再発防止のために改正されたが、行き過ぎた規制のために住宅建設などが停滞。[[建基法不況]]を招いた。
* {{0}}7月{{0}}9日 - 日経平均1万8261.98円(ITバブル後最高値)
* {{0}}8月{{0}}9日 - 仏[[BNPパリバ]]傘下の[[ミューチュアルファンド]]が資産凍結(パリバ・ショック)<ref>{{Cite web|url=http://www.ifinance.ne.jp/glossary/world/wor035.html|title=パリバショックとは|金融経済用語集|publisher=iFinance|accessdate=2017-3-15|rel=harv}}</ref>。連鎖的な金融不安を恐れた[[欧州中央銀行]]は、948億ユーロ(当時の日本円で約15兆円)の資金供給を行う<ref>{{Cite book |和書|author1=[[小林正宏]]|author2=[[中林伸一]]|title=通貨で読み解く世界経済|publisher=中央公論新社|date=2010-7-25|rel=harv}}</ref><ref>{{Cite book |和書|url=https://www.komazawa-u.ac.jp/~kobamasa/reference/gazou/subprime_crisis/documents_subprimes/IKB_BNPParibas200708_documents.pdf|author1=倉橋透|author2=小林正宏|title=サブプライム問題の正しい考え方|publisher=中央公論新社|year=2008|rel=harv}}</ref>。このタイミングでサブプライムローン問題がクローズアップされる<ref>{{cite web|url=http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601087&refer=home&sid=aNIJ.UO9Pzxw |title= BNP Paribas Freezes Funds as Loan Losses Roil Markets |publisher=Bloomberg |accessdate=2010-02-11}}</ref>。
* {{0}}9月14日 - 英中央銀行、[[ノーザン・ロック]]へ救済融資発表<ref name="G20">藤井彰夫 『G20 先進国・新興国のパワーゲーム』 日本経済新聞出版社 2011年 年表・G20をめぐる主な動き</ref>。
* 10月{{0|00日}} - [[メリルリンチ]]のオニール[[最高経営責任者|CEO]]が引責辞任。
* 10月{{0|00日}} - 日本の経済では、暫定的にこの月が景気([[第14循環]])の山とされている<ref>[https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/090129gaiyou.pdf 景気動向指数研究会 議事概要] 内閣府 2009年1月29日</ref>。
* 10月{{0}}9日 - NYダウ史上最高値1万4164.53ドル。
* 10月16日 - [[上海総合指数]]が6,092.06のピーク値を付ける。この後、2008年11月4日の1,706.70まで下がり続ける。
* 12月{{0|00日}} - 日経平均2007年年末終値1万5307円
**アメリカ経済は、[[景気循環]]上ではこの月に景気の山を迎えている。


スペインでは2011年11月にサパテロ政権に代わって[[マリアーノ・ラホイ]]政権が誕生したが、2012年にはバンキアが破綻して国有化され、国債の高騰・財政赤字の膨張が起き、若者層の失業が55%に達した。2015年にはスペインの二大政党制は崩壊した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=512-513, 650}}。ポルトガルは緊縮財政によってスペインよりも景気後退が深刻であり、失業率が40%・若者層では60%まで上昇した。2011年に成立した[[ペドロ・パッソス・コエーリョ]]政権はユーロ圏の維持を主張したが、2015年の選挙では[[アントニオ・コスタ]]率いる連立左派政権が成立した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=650-653}}。
=== 2008年8月まで ===
* {{0}}3月16日 - [[JPモルガン・チェース]]が、経営危機に陥っていた[[ベアー・スターンズ]]の買収を発表<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080317/fnc0803171800007-n1.htm|title=モルガンがベアー・スターンズ買収を発表|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-03-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080923002456/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080317/fnc0803171800007-n1.htm|archivedate=2008-09-23}}</ref>。
* {{0}}3月{{0|00日}} - 日米欧、ドル防衛の[[協調介入]]について合意(密約)との報道(米政府は介入はないと公的言明)<ref>2008年8月29日 日本経済新聞のスクープ記事</ref>。
* {{0}}5月30日 - JPモルガン・チェースがベアー・スターンズを救済合併<ref>{{Cite news|url=http://www.ft.com/cms/s/d42c01d2-2d8d-11dd-b92a-000077b07658,Authorised=false.html?_i_location=http%3A%2F%2Fwww.ft.com%2Fcms%2Fs%2F0%2Fd42c01d2-2d8d-11dd-b92a-000077b07658.html&_i_referer=|title=Bear Stearns passes into Wall Street history|publisher=Financial Times|date=2008-05-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080530082933/http://www.ft.com/cms/s/d42c01d2-2d8d-11dd-b92a-000077b07658,Authorised=false.html?_i_location=http%3A%2F%2Fwww.ft.com%2Fcms%2Fs%2F0%2Fd42c01d2-2d8d-11dd-b92a-000077b07658.html&_i_referer=|archivedate=2008-05-30}}</ref>。
* {{0}}7月{{0|00日}} - [[ワンウエスト銀行|インディマック銀行]]破綻。ブリッジバンク設立。
* {{0}}7月{{0|00日}} - [[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]開催。環境対策が中心議題(経済危機については大きな議題としていない)。


; イギリスの欧州連合離脱(Brexit)
=== 2008年9月 ===
[[ファイル:Love Like Jo campaigners Trafalgar Square (2).jpg|250px|thumb|EU離脱是非を問う国民投票の1週間前に、残留支持の[[ジョー・コックス]]議員が殺害された。写真はコックスを追悼する人々。]]
[[ファイル:Lehman Brothers-20080915.jpg|right|thumb|180px|2008年9月15日、連邦倒産法第11章を申請したリーマン・ブラザーズの様子]]
イギリスは金融危機の損失がヨーロッパ最大であり、13年間におよぶ[[労働党 (イギリス)|労働党]]政権が終わったが、[[保守党 (イギリス)|保守党]]も単独政権は不可能で[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]との連立政権となった。[[デーヴィッド・キャメロン]]政権は緊縮財政を続け、2016年までに公共部門で100万人以上の雇用を削減し、地方自治体の支出を30%以上削減した。[[経済協力開発機構]](OECD)によれば、ギリシャ・アイルランド・スペインを除けばイギリスが最も経済収縮を起こした国だった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=408-411}}。
* {{0}}9月{{0}}7日 - 米政府系金融機関(GSE)の[[連邦住宅金融抵当公庫|フレディマック]]と[[連邦住宅抵当公庫|ファニーメイ]]がアメリカ政府の管理下になる([[不動産担保証券|MBS]]残高計5兆ドル)。
* {{0}}9月10日 - [[リーマン・ブラザーズ]]の株価が、[[韓国産業銀行]]との出資交渉が決裂したことを契機に同月9日45%まで下落する<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/world/america/080912/amr0809120827005-n1.htm|title=米証券大手リーマンが身売り交渉、銀行大手バンカメが予備交渉に|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年9月12日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080923204035/http://sankei.jp.msn.com/world/america/080912/amr0809120827005-n1.htm|archivedate=2008-09-23}}</ref>。
* {{0}}9月12日 - 米[[サーベラス・キャピタル・マネジメント|サーベラス]]傘下で再建を目指す[[あおぞら銀行]]が、[[ゼネラルモーターズ|GM]]傘下の金融会社[[GMAC]]への投資損失178億円を処理し、中間決算で40億円の赤字。
* {{0}}9月15日 - リーマン・ブラザーズが[[連邦倒産法第11章]]適用を申請し経営破綻。負債総額6130億ドル(約65兆円)(リーマン・ショック)<ref name="mainichi20080916">{{Cite news|url=http://www.mainichi.jp/select/today/news/20080916k0000e020024000c.html|title=米リーマン:破産法申請 負債総額は米史上最大64兆円|newspaper=毎日新聞|date=2008-09-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080916121429/http://www.mainichi.jp/select/today/news/20080916k0000e020024000c.html|archivedate=2008-09-16}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080915/fnc0809151559008-n1.htm|title=【米金融危機】「流血の日曜日」 リーマン連邦破産法申請へ|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-09-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080922152925/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080915/fnc0809151559008-n1.htm|archivedate=2008-09-22}}</ref>。
* {{0}}9月15日 - [[バンク・オブ・アメリカ]]が[[メリルリンチ]]を救済合併<ref>{{Cite news|url=http://www.mainichi.jp/select/today/news/20080916k0000m020053000c.html|title=米リーマン:破産法申請へ バンカメはメリルリンチ買収|newspaper=毎日新聞|date=2008-09-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080916022718/http://www.mainichi.jp:80/select/today/news/20080916k0000m020053000c.html|archivedate=2008-09-16}}</ref>。
* {{0}}9月16日 - リーマン・ブラザーズの日本法人、リーマン・ブラザーズ証券が民事再生法適用を申請<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080916/fnc0809161952034-n1.htm|title=【米金融危機】リーマン日本法人が民事再生法の適用申請 邦銀融資残高は1700億円|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-09-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080923113954/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080916/fnc0809161952034-n1.htm|archivedate=2008-09-23}}</ref>。
* {{0}}9月16日 - アメリカ政府と[[連邦準備制度|FRB]]が全米最大の保険会社[[AIG]]に850億ドルの融資を決定。アメリカ政府がAIGの株式の79.9%を取得し事実上の国有化<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080917/fnc0809171024013-n1.htm |title= AIG救済へFRBが9兆円融資承認 事実上の政府管理下へ |publisher=MSN産経ニュース|date=2008-09-17|accessdate=2010-02-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080922192142/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080917/fnc0809171024013-n1.htm|archivedate=2008-09-22}}</ref>。
* {{0}}9月18日 - 英銀行・保険大手の [[ロイズTSB]]が、同じく英国大手の[[HBOS]]を122億ポンド(約2兆4000億円)で買収することを発表。事実上の救済合併。
* {{0}}9月18日 - 主要中央6銀行は1800億ドルの直接供給を発表。
* {{0}}9月19日 - [[ムーディーズ]]が大手[[モノライン保険会社|モノライン]]2社(MBIAとアムバック)を格下げ方向で見直し中と発表。
* {{0}}9月21日 - [[ゴールドマン・サックス]]とモルガン・スタンレーが[[金融持株会社|銀行持株会社]]に移行を発表。
* {{0}}9月22日 - [[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]が[[モルガン・スタンレー]]へ出資することを発表<ref name="G20" />。
* {{0}}9月25日 - [[ワシントン・ミューチュアル]]が破綻。JPモルガン・チェースが事業買収。
* {{0}}9月29日 - [[アメリカ合衆国下院]]が緊急経済安定化法案を否決<ref name="nikkei20080930" />。「世界恐慌の再来」を世界が危惧する事態に(議会指導部や大統領は採決は通ると楽観視していたが、下院議員たちはアメリカの伝統的な「自己責任」の価値観に基づき反対票を投じた)。
* {{0}}9月29日 - 法案否決を受けてNYダウが史上最大の777ドル安となる。日経平均も暴落<ref name="nikkei20080930" />。
* {{0}}9月29日 - ドイツ不動産金融大手のドイツ・ヒポ・リアルエステート(ドイツHRE)の破綻危機が表面化([[抵当証券]]約15兆円発行)一旦救済策が発表された。
* {{0}}9月29日 - モルガン・スタンレーに三菱UFJフィナンシャル・グループが出資する計画を発表。優先株60億ドル、普通株30億ドル(22.25ドルで)。
* {{0}}9月29日 - 深夜に[[白川方明]]日本銀行総裁が「ドルの短期流動性は枯渇した」と発言。
* {{0}}9月30日 - ベルギーの金融大手[[Dexia|デクシア]]を[[ベネルクス]]3国で救済。


2011年12月のEU首脳会議では、EUの統合を進める財政協定が検討され、イギリスと他の加盟国のあいだで対立が起きた。キャメロン政権は、イギリスの独立性の保持をEUに求め、財政協定で譲歩が得られないならEU離脱を国民投票に問うと主張した。しかしEU側は譲歩せず、キャメロン政権は[[イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票|EU離脱是非を問う国民投票]]の実施を決定した{{efn|キャメロン政権が2016年に国民投票を決定した理由として、(1) 大都市の保守党支持を確保する、(2) イギリスの影響力でEUの方針を変更させる、(3) EUとの交渉にはユーロ圏が安定する2013年から2016年が望ましい、などがあった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=665}}。}}。キャメロン自身はEU残留支持派だったが、2016年6月23日の国民投票は離脱支持51.9%、残留支持48.11%となり、[[イギリスの欧州連合離脱]](Brexit)が決定した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=663-667}}。スコットランドには残留支持の投票が多かったため、Brexitは[[スコットランド独立運動]]に影響を与えた。[[スコットランド自治政府]]の[[ニコラ・スタージョン]]政権は、イギリスからの独立を問う住民投票の実施と、EUへの加盟を目指している<ref>{{cite news |title=スコットランド独立めぐる住民投票、英政府が正式に拒否 |publisher=BBC NEWS JAPAN |date=2020-1-15|url=https://www.bbc.com/japanese/51115894|accessdate=2020-08-08}}</ref>。
=== 2008年10月第1週 ===
* 10月{{0}}1日 - 緊急経済安定化法が[[アメリカ合衆国上院]]で可決(下院で否決された案とは多少異なる。下院での採決に向けた援護射撃であり、[[バラク・オバマ|オバマ]]、[[ジョン・マケイン|マケイン]]両大統領候補(上院議員)も賛成した)<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20081006k0000m020066000c.html|title=金融安定化法案:修正法案、米上院で可決 下院採決焦点に|newspaper=毎日新聞|date=2008-10-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081006023443/http://mainichi.jp/select/biz/news/20081002k0000e020033000c.html|archivedate=2008-10-06}}</ref>。
* 10月{{0}}3日 - 緊急経済安定化法がアメリカ合衆国下院でも可決し成立。米国政府は7000億ドルの公的資金を投入して不良資産を買い取ることを決定<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/life/money/news/20081004k0000e020021000c.html|title=米金融安定化法:大統領が署名、成立 買い取りは3段階で|newspaper=毎日新聞|date=2008-10-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081006090019/http://mainichi.jp/life/money/news/20081004k0000e020021000c.html|archivedate=2008-10-06}}</ref>。
* 10月{{0}}3日 - [[ウェルズ・ファーゴ]]が[[ワコビア]]の株式約151億ドル(約1兆6000億円)の取得を模索。[[シティグループ]]との争奪戦になる(10日決着、シティが断念)。
* 10月{{0}}3日 - [[カリフォルニア州]]財政危機表面化。[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]知事が連邦政府に資金援助を要請。
* 10月{{0}}3日 - [[ベルギー]]最大の金融グループの[[フォルティスグループ|フォルティス]]([[:en:Fortis (finance)|Fortis]]、総資産120兆円)を[[ベネルクス]]3国で救済。公的資金300億ユーロ投入(フォルティスは[[ABNアムロ銀行|ABNアムロ]]の買収のため資金不足)。
* 10月{{0}}3日 - 米労働省雇用統計で前月比15.9万人減、5年半ぶり。
* 10月{{0}}4日 - [[欧州連合|EU]]4カ国(英独仏伊)首脳会議開催。欧州全体を対象とする銀行監督機関の創設などを表明。フランス構想の3000億ユーロの銀行救済基金創設はドイツなどの反対で提案すらできず、欧州の危機意識不足と協調が取れないことに市場の失望を生む([[アンゲラ・メルケル|メルケル]]首相はアイルランドの公的資金投入を批判)<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20081006k0000m020066000c.html|title=欧州4カ国首脳会議:金融危機抑止へ新機関…銀行を監督|newspaper=毎日新聞|date=2008-10-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081006105814/http://mainichi.jp/select/biz/news/20081006k0000m020066000c.html|archivedate=2008-10-06}}</ref>。
* 10月{{0}}5日 - ドイツ政府とドイツ連邦銀行が、ドイツHREに500億ユーロ(約7兆2000億円)の公的資金投入を決定。
* 10月{{0}}5日 - ドイツ、デンマーク政府、個人銀行預金全額保護を発表。
* 10月{{0}}5日 - イタリア最大手銀行の[[ウニクレディト]]が66億ユーロ(9400億円)の資本増強計画を発表。
* 10月{{0}}5日 - [[日本銀行|日銀]]、1兆円を即日供給。9月16日から14営業日連続供給で累計26.4兆円を供給した。


=== 2008年10月第2週 ===
=== NIS諸国 ===
[[ファイル:Ruins of Donetsk International airport (16).jpg|thumb|250px|クリミア危機・ウクライナ東部紛争で破壊されたウクライナの[[ドネツィク国際空港]](2014年12月)]]
* 10月{{0}}6日 - FRBが9000億ドルに資金供給を倍増。
ウクライナは2008年のIMF支援がもたらした緊縮政策で国内の不満が高まり、2010年にヤヌコーヴィチ政権が成立する。EUとロシアはウクライナへの支援を申し出る代わりに、それぞれ条件を出した。EUの条件はEU連合協定であり、ロシアの条件は[[ユーラシア関税同盟]]への参加だった。ウクライナ世論はEU派とロシア派で二分され、2013年に数十万人の市民が反ヤヌコーヴィチ政権のデモを行った([[2014年ウクライナ騒乱]])。ヤヌコーヴィチはロシアへ亡命し、2014年に[[クリミア危機・ウクライナ東部紛争]]が起きた。ウクライナは資本規制をしなかったため外貨準備高が急減し、2015年2月に[[ウクライナ国立銀行]]は公式為替レートの発表を停止し、IMFは支援の再開とともに債務再編を認めた{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=593-600, 612}}。
* 10月{{0}}6日 - [[連邦住宅金融抵当公庫|フレディマック]]、[[連邦住宅抵当公庫|ファニーメイ]]のクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)精算価格が決定。フレディマックは94%、ファニーメイは91.51%に決定。劣後債はそれぞれ98%、99.9%。市場推計は5000億ドルのため数百億ドルが損失となった。大手金融機関や[[Collateralized Debt Obligation|CDO]]の損失が心配される。
* 10月{{0}}7日 - ロシアRTS市場が19パーセント下落。一時取引停止。
* 10月{{0}}7日 - [[アイスランド・クローナ]]が対ユーロで30%暴落。アイスランド政府が同国の全金融機関を事実上国有化する法案を可決。
* 10月{{0}}7日 - 6日の[[ニューヨーク証券取引所|NYSE]]でダウが1万ドル割れ(終値9955.50ドル)。円ドル相場一時100円台(中央値102円)。原油一時90ドル割れ。
* 10月{{0}}7日 - 7日の日経平均が4日連続続落、合計1200円。一時1万円割れ。(終値1万0155.90円)。([[株価収益率|PER]]が約13倍、解散価値を示す[[株価純資産倍率|PBR]]が約1.1倍、年間配当利回りが2%と割安感にもかかわらず、底が見えない)
* 10月{{0}}7日 - [[オペル]]が生産の一時停止を発表。[[BMW]]、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]も追随した。
* 10月{{0}}7日 - 英大手銀行[[ロイヤルバンク・オブ・スコットランド]](RBS)の株価が30%下落。ポンドも下落。
* 10月{{0}}7日 - FRBがこれから社債を買い取ることを発表。
* 10月{{0}}7日 - イングランドのサッカー・[[プレミアリーグ]]は合計30億ポンド(5300億円)の巨額負債があると発表。特に[[ウェストハム]]はオーナーがアイスランドの銀行と関係があるため心配されている。
* 10月{{0}}7日 - [[国際通貨基金]](IMF)が[[国際金融安定性報告書]](GFSR)を発表。欧米主要銀行の資本増強額を6750億ドル、米国の損失額を1.4兆ドルとした。まだ6400億ドル残った計算になる<ref>[http://www.imf.org/external/japanese/pubs/ft/gfsr/2008/02/sumj.pdf 国際金融安定性報告書(GFSR) 2008 年10 月 要旨 日本語仮訳]</ref><ref name="reuters20081017">{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-34382120081017|title=焦点:欧米の公的資金注入策に懸念の声、不良債権の全体像見えず|publisher=ロイター通信|date=2008年10月17日|accessdate=2008-10-18}}</ref>。
* 10月{{0}}8日 - 7日のNYダウはさらに暴落(終値9447.11ドル、-508.39ドル)。
* 10月{{0}}8日 - BNPパリバが、フォルティスのベルギーとルクセンブルクの銀行業務と、ベルギーの保険部門の経営権を総額145億ユーロ(約2兆円)で取得を決定。
* 10月{{0}}8日 - 日経平均が史上ワースト3位の暴落。前日比952.58円安(9203.32、-9.38%)を記録。為替は1ドル99円台に。
* 10月{{0}}8日 - ロシアRTS指数は8.4%下落。
* 10月{{0}}8日 - イギリス政府が国内銀行向けに500億ポンド(872億ドル)の公的資金注入計画を発表。大手8行に250億、英国内の希望する外銀に250億を注入する。また2000億ポンドの流動性を銀行に供給することを発表(いくつかの銀行は受け入れない方針)。
* 10月{{0}}8日 - ポールソン財務長官が記者会見で資本注入を示唆(法律上微妙な上に、議会の反対は必至-良いニュースではあるが、株は続落した)。
* 10月{{0}}8日 - アイスランドが銀行国有化。必要な援助をEUから断られ、ロシアからの予定(「冷戦時代に西側の生命線と言われた[[GIUKギャップ]]にほころび」、と言う意味で軍事上大きな意味合いを持つ。その後11日に日本の[[麻生太郎]]首相がIMFの融資を提案)。
* 10月{{0}}8日 - FRBがAIGに追加融資枠設定、総計1228億ドル(「当初設定では不足」ということで市場の憂慮を生む)。
* 10月{{0}}8日 - 欧米6中銀が0.5%協調利下げ(米[[フェデラル・ファンド金利|FFレート]]1.5%、[[欧州中央銀行|ECB]]3.75%)。
* 10月{{0}}8日 - [[LIBOR]]ドル翌日物が5.38%、[[手形割引|CP]]1ヶ月もの5.5%。LIBORは表面金利で、資金の出し手がほとんどいない。
* 10月{{0}}9日 - ソウル市場でウォン下落、1ドル=1400ウォン台へ。1月950ウォン台。昨年からは5割減。
* 10月{{0}}9日 - スイス3大銀行の一つ[[クレディスイス]]第3四半期赤字と有力紙報道。
* 10月{{0}}9日 - [[欧州中央銀行|ECB]]が過去最大規模の10兆円の資金緊急供給。
* 10月{{0}}9日 - [[ニューシティ・レジデンス投資法人]]が東証上場[[REIT]]として初の破綻。負債1123億円。個人投資家8600人へ影響。
* 10月{{0}}9日 - 8日のNYダウが再び暴落、終値8579.19ドル(-678.91ドル、-7.3%)。[[ゼネラルモーターズ|GM]]の欧州での販売不振より[[スタンダード&プアーズ|S&P]]格下げの可能性から経営不安が広がり、実体経済への影響を懸念した。
* 10月10日 - 積極投資で知られていた中堅保険会社[[大和生命保険]]が経営破綻<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20081011AT2C1001L10102008.html|title=大和生命が破綻 金融淘汰、日本でも 株安痛手で生保5社含み損|newspaper=日本経済新聞|date=2008-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081014025421/http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20081011AT2C1001L10102008.html|archivedate=2008-10-14}}</ref>。債務超過114億円、負債2695億円。
* 10月10日 - この日算出される日経平均オプション10月限の[[特別清算指数|SQ]]値が、7992.60となった。通常、[[日経225オプション取引|オプション]]ではATM(アット・ザ・マネー)を中心として上下それぞれ最低8種類の権利行使価格が存在するように権利行使価格の見直しが日々行われるが、規定により、SQ週はこの見直しが行われない。よって、10月限の権利行使価格は9000円未満が存在しないこととなった(前週10月3日のITM 1万1000円を中心とし、最低値は9000円)。一方、日経平均はこの週も下落を続けた。最終的に先述のようなSQ値となり、10月限のプットオプションはすべてがITM(イン・ザ・マネー)となる異常事態となった(プットオプションの売り手が、損失を回避するため、この週、日経平均先物のヘッジ売りを大量に行ったことが、この週の日経平均の下落に拍車をかけたと見る市場関係者もいる)。
* 10月10日 - 日経平均が暴落。終値は前日比881.06円安(-9.62%、過去3番目)の8276円(5年5ヶ月ぶり)。欧米[[ヘッジファンド]]の換金売りと言われるが、日本国内からのドル売りも考えられる。日経平均先物には[[サーキットブレーカー制度|サーキットブレーカー]]が発動。アジア株も大幅下落。円高一時97円。
* 10月10日 - 東京株式市場時価総額268兆円、1年前530兆円のほぼ半額。
* 10月10日 - ロンドン、パリ、フランクフルト、ロシアの株式約10%下落。
* 10月10日 - 日銀が4.5兆円を市場に供給。
* 10月10日 - [[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ米大統領]]が声明を発表。新味なしで売り材料に。
* 10月10日 - 前日12ドル台のモルガン・スタンレー、MUFGの出資取りやめ予想で7ドル台で推移。ジャンク級のGM、[[フォード・モーター|フォード]]をさらに格下げ予定。フォードは[[マツダ]]株を売却報道。GM、[[クライスラー]]合併交渉中の報道。
* 10月10日 - NYダウは小康状態。終値8451.19ドル(-128.00ドル)([[ザラ場]]最安値は7882.51ドル)。原油相場77.09ドルへ下落。金859ドルに下落。
* 10月10日 - リーマン・ブラザーズCDS精算価格が元本の8.625%に決定。推定想定元本は4000億ドル。ほぼ全額が失われるため、影響が大きい。日本国内への波及も懸念されている<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081011AT2M1100P11102008.html|title=リーマン対象の金融派生商品CDS、残高の大部分損失の公算|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月11日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081012221311/http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081011AT2M1100P11102008.html|archivedate=2008-10-12}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20081012AT2C1100Y11102008.html|title=米リーマン対象のCDS清算、国内に損失波及も|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月12日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081015033208/http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20081012AT2C1100Y11102008.html|archivedate=2008-10-15}}</ref>(バーナンキFRB議長が7日の講演で発言した「(証券会社への公的資金投入の枠組みがなかったので)金額が大きすぎて救済のしようがなかった」<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/kaigai/us/20081008D2M0800M08.html|title=対リーマン公的支援「巨額すぎ使えず」FRB議長|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月9日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081016023504/http://www.nikkei.co.jp/kaigai/us/20081008D2M0800M08.html|archivedate=2008-10-16}}</ref> の根拠を裏付けるものとなる。当時財務省などが緊急査定しており、金額はほぼ確定していた)。後の市場予測は、相殺されるため数千億円規模の損失。
* 10月11日 - 先進7か国[[財務大臣・中央銀行総裁会議|財務相・中央銀行総裁会議]](G7)をワシントンで開催。5項目の行動計画を発表<ref>[https://web.archive.org/web/20081031020759/http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/g7_201010.pdf 「7か国財務大臣・中央銀行総裁の行動計画」](742字)</ref>。続いてロシア中国を含む[[G20]]を開催。
* 10月11日 - ポールソン財務長官が公的資金投入を明言。
* 10月11日 - サンデータイムズが英公的資金申請額を報道。RBS(総資産300兆円)が最大150億ポンド(時価総額120億を上回る)を申請。英住宅金融最大手のHBOSが100億、HBOSを買収するロイズTSBが70億、バークレイズが30億。総計350億(約6兆円)前後になる<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081013AT2M1201K12102008.html|title=欧州金融再編が加速 主要行、公的資金受け入れへ|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081016023516/http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081013AT2M1201K12102008.html|archivedate=2008-10-16}}</ref>。
* 10月12日 - [[国際通貨基金|IMF]]と[[世界銀行]]が「米国発の金融危機は最貧国の人々に深刻で取り返しの付かない損害を与えるリスクがある」との共同声明を発表<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200810/2008101300091|title=最貧国で深刻な損害も=金融危機の波及懸念-世銀・IMF|publisher=時事通信社|date=2008年10月13日11時18分}}{{リンク切れ|date=2018年6月}}</ref><ref>[http://www.imf.org/external/np/sec/pr/2008/pr08240.htm Communiqué of the International Monetary and Financial Committee of the Board of Governors of the International Monetary Fund]。国際通貨基金、No. 08/240 October 11, 2008{{En icon}}</ref>。
* 10月12日 - MUFGとモルガン・スタンレーが出資条件巡り再交渉中<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081013AT3K1300B13102008.html|title=三菱UFJとモルガン、出資条件巡り再交渉 米紙報道|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081016023522/http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081013AT3K1300B13102008.html|archivedate=2008-10-16}}</ref> と報道。


ロシアの外貨準備高は2014年には5100億ドルに達して危機から回復していたが、ウクライナとの紛争が始まると為替市場が11%以上急落した。さらに[[マレーシア航空17便撃墜事件]]が原因となった西側の経済制裁、FRBのQE3終了、原油価格の下落なども重なって財政難に陥った。2014年から2015年にGDPは10%以上減少し、ロシアの市民にとっては2008年から2009年の危機を超える厳しさだった。ロシアの苦境は周辺のNIS諸国にも影響し、ベラルーシ、カザフスタン、アゼルバイジャンの通貨が50%の暴落、モルドバ、キルギス、タジキスタンの通貨は30%から35%下落した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=606-611}}。
=== 2008年10月第3週 ===
* 10月13日 - 日米欧5中銀はドル資金を無制限供給すると発表(担保が必要)<ref>{{Cite web|url=http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc/un0810c.pdf|title=米ドル短期金融市場における流動性向上のための更なる対策|publisher=日本銀行|date=2008年10月13日|accessdate=2018-10-13}}</ref>。
* 10月13日 - [[G7]]週明けの市場が再開。各市場8-11%前後上昇(台北を除く)。
* 10月13日 - MUFGがモルガン・スタンレーに90億ドル出資。全額優先株、配当10%、一株25.25ドル、出資比率20%<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081013AT2C1300E13102008.html|title=三菱UFJ発表、モルガンへの出資を優先株に 投資額は変えず|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081016023526/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081013AT2C1300E13102008.html|archivedate=2008-10-16}}</ref><ref>[http://www.mufg.jp/data/current/pressrelease-20081013-001.pdf 三菱UFJ フィナンシャル・グループによるモルガン・スタンレーへの出資実行について]</ref>。
* 10月13日 - 麻生太郎首相が[[中川昭一]]財務・金融担当相に地銀への公的資金注入検討を指示。3月失効の金融強化法を基礎に。同じく麻生首相の指示で年内に限り自社株買いを緩和<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081013AT3S1300A13102008.html|title=首相、地銀に公的資金注入など検討指示 中川財務・金融担当相に|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081016023537/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081013AT3S1300A13102008.html|archivedate=2008-10-16}}</ref>。
* 10月13日 - 独仏が合計8600億ユーロ(約100兆円)を金融支援に投入すると発表<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081013AT2M1301I13102008.html|title=独、銀行支援に68兆円 公的資金と政府保証、仏伊も支援実施へ|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081016023532/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081013AT2M1301I13102008.html|archivedate=2008-10-16}}</ref>。
* 10月13日 - NYダウ始値8462.42ドル、終値9387.61ドル(+936.42は同日時点で過去最大、+11.08%)。
* 10月14日 - 日経平均が過去最大の上昇9447.57円(+1171.14円、+14.15%)、[[東証株価指数|TOPIX]]956.30(+115.44)(13日は休日)<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/market/20081014m1ASS0ISS16141008.html|title=東証大引け・急反発――金融対策受けストップ高続出・先物にヘッジ買い|newspaper=日本経済新聞|date=2008-10-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081015173128/http://www.nikkei.co.jp/news/market/20081014m1ASS0ISS16141008.html|archivedate=2008-10-15}}</ref>。
* 10月15日 - 米国財政赤字が過去最大の4550億ドル<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20081015-OYT1T00331.htm|title=08会計年度の米財政赤字、過去最大の4550億ドル|newspaper=読売新聞|date=2008年10月15日13時00分|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081018181556/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20081015-OYT1T00331.htm|archivedate=2008-10-18}}</ref>。
* 10月15日 - 米小売り売り上げ高が1.2%減(市場予測0.6%の2倍) 金融危機で消費抑制<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081016AT3K1501315102008.html|title=9月の米小売売上高 1.2%減 金融危機で消費抑制|newspaper=日本経済新聞|date=2008年10月15日21時56分}}{{リンク切れ|date=2018年6月}}</ref>。
* 10月16日 - FRBのバーナンキ議長が「金融市場が安定したとしても景気回復には時間がかかる」と発言。株価急落の原因の一つとされる。
* 10月16日 - 景気後退懸念から急落。NYダウ 8577.91ドル(-733.08ドル、-7.87%)、英[[FTSE]] 4079.59(-314.62、-7.16%)、他独DAX -6.5%、西IBEX35 -5.1%、仏CAC40 -6.8%。
* 10月16日 - 日経平均暴落、8458.45円(-1089.02円、-11.41%。[[ブラックマンデー]]以来2番目)。
* 10月16日 - [[UBS]]経営危機に対し、スイス政府が60億スイスフラン(5220億円)投入、6兆円の基金設立。ベルギー、アイスランドのように小国にありながら規模の大きい銀行に市場の疑惑の目。[[クレディ・スイス]]は[[カタール]]などから9000億円調達<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPnTK826212020081016|title=WRAPUP2: UBSに公的資金注入、クレディ・スイスは民間から資金調達|publisher=ロイター通信|date=2008年10月16日}}</ref>。
* 10月16日 - [[原油価格]][[ウェスト・テキサス・インターミディエイト|WTI]]が70ドル割れ、69.85ドル。2007年8月23日以来、約1年2カ月ぶりの安値<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20081017k0000e020034000c.html|title=NY原油:急落、70ドル割る 1年2カ月ぶり安値|newspaper=毎日新聞|date=2008年10月17日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081017163720/http://mainichi.jp/select/biz/news/20081017k0000e020034000c.html|archivedate=2008-10-17}}</ref>。
* 10月16日 - NYダウ乱高下、終値8979.26ドル(+401.35ドル、+4.68%)(高値 9013.27、安値 8197.67)。
* 10月16日 - FRB発表の鉱工業生産指数は前月比2.8%低下し、1974年12月以来ぼ34年ぶりの大きな下落<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081017AT2M1602X16102008.html|title=世界同時不況の様相 9月の米鉱工業生産34年ぶりの下げ幅|publisher=日本経済新聞|date=2008年10月17日07時00分}}{{リンク切れ|date=2018年6月}}</ref>。シカゴとサンフランシスコ連銀総裁が景気後退を示唆。
* 10月17日 - ロイター集計による、世界中の[[公的資金]]注入状況。米国は2500億ドル(約25兆円)、英国は500億ポンド(約9兆円)、ドイツは800億ユーロ(約11.2兆円)、フランスは400億ユーロ(約5.6兆円)。米国と欧州で総額6000億ドル(60兆円)を超える<ref name="reuters20081017" />。
* 10月17日 - 米[[ミシガン大学消費者信頼感指数|ミシガン大消費者信頼感指数]]が前月の70.7から大幅悪化し、57.5に。また[[景気現況指数]]も大幅悪化し、前月の75.0から58.9に低下し過去最低となる<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-34384120081017|title=10月米ミシガン大消費者信頼感指数が大幅悪化|publisher=ロイター通信|date=2008年10月18日}}</ref>。
* 10月17日 - 商務省発表の9月の住宅着工・許可統計着工件数が前月比6.3%減少し、1991年以来の水準、住宅着工許可件数も前月比8.3%減少し、1981年以来の低水準となった<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-34383420081017|title=9月米住宅着工件数は17年半ぶり、許可件数は約27年ぶり低水準|publisher=ロイター通信|date=2008年10月18日}}</ref>。
* 10月18日 - 米大手金融機関が金融安定化法の公的資金資本注入を受け入れる。[[シティグループ]]とJPモルガン・チェースが250億ドル、モルガン・スタンレーが100億ドル、[[バンク・オブ・ニューヨーク・メロン]]が30億ドル<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-34384920081017|title=シティなど米大手金融機関、公的資金の受け入れ発表|publisher=ロイター通信|date=2008年10月18日}}</ref>。


=== 2008年10月第4・第5週 ===
=== アジア ===
; 中国
* 10月20日 - FRBのバーナンキ議長が下院予算委員会で証言。追加的財政出動を支持すると表明<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081020/fnc0810202349021-n1.htm|title=FRB議長が追加的財政出動を支持|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年10月20日}}{{リンク切れ|date=2018年6月}}</ref>。
中国は金融危機の対応で世界経済の回復を牽引して高く評価され、国際的な影響力を高めた{{efn|{{仮リンク|ピュー・チャリタブル・トラスト|en|The Pew Charitable Trusts}}の世論調査によれば、中国を世界経済のリーダーと考える人が2010年のアメリカとヨーロッパでは最多となった{{Sfn|トゥーズ|2020|p=293}}。}}{{Sfn|梶谷, 藤井編|2018|pp=296-297}}。[[習近平]]政権においても経済成長は続いたが、危機対策による巨額の債務が残った。2009年の段階で政府赤字、債券発行、銀行への貸付を合計すると6兆4870億元であり、GDPの19%を超える額となった{{efn|中国の対応に関しては批判も起きた。アメリカのヘンリー・ポールソン財務長官や後任のティモシー・ガイトナーは2009年1月に、中国や産油国をはじめとする新興国の過剰な貯蓄が金利低下をもたらしてリスクを拡大させた、中国が為替操作をしている、などと述べた{{Sfn|渡邉|2010|pp=53-54}}。}}<ref>{{cite news |title=中国、4兆元対策の功罪 「影の銀行」火種残 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2013-12-15|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1004T_R11C13A2TY8000/|accessdate=2019-03-01}}</ref><ref>{{cite news |title=[FT<nowiki>]</nowiki>中国が強国となった2008年 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2018-09-17|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35368400U8A910C1TCR000/|accessdate=2019-03-01}}</ref>{{Sfn|トゥーズ|2020|p=291-292}}。シャドウ・バンキング・システムは中国でも拡大しており、[[理財商品]]と呼ばれる高金利の金融商品が中心になっている。地方政府が資金調達に用いる[[地方融資平台]](融資プラットフォーム)でも理財商品が扱われ、金融危機の対策だった4兆元の景気刺激策によって急増した。2013年の地方政府の債務は17兆元、2017年の金融機関以外の民間債務はGDPの165%まで増加している。理財商品は10年代から次第に不良債権化しており、政府は対策を進めている{{Sfn|梶谷, 藤井編|2018|pp=131-132, 152-153}}。
* 10月23日 - FRBのグリーンスパン前議長が下院政府改革委員会で証言。議長時代の政策の誤りを認める<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081024/fnc0810241127012-n1.htm|title=融資規制せず「過ち犯した」グリーンスパンFRB前議長|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年10月24日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081209104046/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081024/fnc0810241127012-n1.htm|archivedate=2008-12-09}}</ref>。
* 10月23日 - [[ワコビア]]のCDS精算価格決定予定。
* 10月27日 - 日経平均の終値が7162.90円となり、バブル崩壊後最安値を更新<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081027/fnc0810271422014-n1.htm|title=【金融危機】東証終値7162円90銭 バブル崩壊後最安値|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年10月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081031003626/http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081027/fnc0810271422014-n1.htm|archivedate=2008-10-31}}</ref>。
* 10月28-29日 - FRBが[[連邦公開市場委員会]](FOMC)を開催<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20081016k0000e020015000c.html |title=景気判断を大幅下方修正 実体経済にダメージ |newspaper=毎日jp |publisher=毎日新聞社 |date=2008-10-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081019042453/http://mainichi.jp/select/biz/news/20081016k0000e020015000c.html |archivedate=2008年10月19日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。


2014年には中国の外貨準備高は4兆ドルまで増加し、中国企業の対外債務1兆ドルのうち8000億ドルが欧米大手金融機関への債務になっていた。しかし中国経済の減速と、原油価格の急落、さらに汚職撲滅運動で富裕層が資産を国外に流出させたことが重なり、[[人民元]]が下落を始める。2015年6月12日には上海総合株価指数が30%下落して[[中国株の大暴落 (2015年)|中国株の暴落]]となった。企業と投資ファンドの人民元投入で一時的に安定したものの、8月の人民元切り下げで下落が続いた。2016年には株価指数は半減し、外貨準備高は3兆ドルまで落ちた。一時は中国発のグローバルなデフレも警戒されたが、中国政府は新たなペッグの設定・資本移動規制強化・信用拡張・景気刺激策・過剰生産能力の削減などを打ち出して鎮静化にあたった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=738-744}}。
=== 2008年11月・12月 ===
* 11月{{0}}4日 - [[2008年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ大統領選挙]]で民主党の[[バラク・オバマ]]が勝利。
* 11月{{0}}4日 - [[上海総合指数]]が1,706.70のその後の底値となる値をつける。
* 11月{{0}}9日 - 中国、4兆元の景気対策を発表<ref name="G20" />。
* 11月14-15日 - [[第1回20か国・地域首脳会合]](金融サミット)開催。
* 11月18-19日 - GM、フォード・モーター、クライスラーの各首脳が公的支援を求めてアメリカ上院、下院の公聴会に出席したが、自家用ジェット機で来たことに対して議員から非難が集中<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081119/biz0811191025004-n1.htm|title=【金融危機】支援訴えビッグスリー 米上院銀行委|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年11月19日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090207234916/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081119/biz0811191025004-n1.htm|archivedate=2009-02-07}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081120/biz0811201440005-n1.htm|title=救済求めるビッグ3の首脳、自家用機で議会に乗りつけ非難の嵐|publisher=MSN産経ニュース|date=2008年11月20日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081209104030/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081120/biz0811201440005-n1.htm|archivedate=2008-12-09}}</ref>。
* 11月23日 - FRBがシティグループに対し追加で200億ドルの資本注入、および不良資産3600億ドルの政府保証を発表。
* 11月25日 - FRBが最大8000億ドルの追加金融対策を発表。
* 12月11日 - 自動車大手3社に対し総額140億ドルの政府融資を行う救済法案がアメリカ上院で交渉が決裂、事実上廃案となる<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081212/biz0812121334006-n1.htm|title=ビッグ3救済協議、米上院決裂! 救済法廃案に (1/2ページ)|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-12-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081214201640/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081212/biz0812121334006-n1.htm|archivedate=2008-12-14}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081212/biz0812121334006-n2.htm|title=ビッグ3救済協議、米上院決裂! 救済法廃案に (2/2ページ)|publisher=MSN産経ニュース|date=2008-12-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081214201858/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081212/biz0812121334006-n2.htm|archivedate=2008-12-14}}</ref>。その後、緊急経済安定化法による公的資金の一部を活用しつなぎ融資を行うことを決定。
* 12月11日 - [[バーナード・L・マドフ]](ナスダック元会長)、巨額投資詐欺の容疑で逮捕。被害総額は500億ドル超と見られる。


; 東南アジア
=== 2009年 ===
金融危機の対策を主張して成立したマレーシアのナジブ・ラザク政権は、国際金融地区の建設のために[[1マレーシア・デベロップメント・ブルハド]](1MDB)という投資会社を設立する。しかし不正の発覚によって、2018年には野党から出馬した[[マハティール・ビン・モハマド]]政権が成立し、マレーシア初の政権交代が起きた。ラザクは10億ドル規模の汚職で有罪となった{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=300-302}}。
[[ノーベル経済学賞]]受賞者の[[ポール・クルーグマン]]は2009年1月に、生産、金融、消費の世界的な縮小状況について「これは実に第二次世界恐慌(''Second Great Depression'')の始まりのように思われる」と評した<ref>[http://www.nytimes.com/2009/01/05/opinion/05krugman.html "Fighting Off Depression"], by Paul Krugman, [[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]], January 4, 2009</ref>。また、[[国際通貨基金]](IMF)の[[ドミニク・ストロス=カーン]]専務理事(当時)は2009年2月に非公式のコメントとして「(日本を含む先進各国は)既に恐慌の状態にある」と述べた<ref>[[時事通信社|時事通信]], 2009年2月9日</ref>。
* {{0}}1月28日-2月1日 - [[ダボス会議]]
* {{0}}2月13-14日 - G7財務相・中央銀行総裁会議(ローマ)
* {{0}}3月{{0|00日}} - 日本の経済では、暫定的にこの月が景気([[第14循環]])の谷とされている<ref>{{Cite web|url=https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/100607gaiyou.pdf|title=景気動向指数研究会 議事概要|publisher=内閣府|date=2010年6月7日|accessdate=2010-06-07}}</ref>。
* {{0}}3月13-14日 - G20財務相・中央銀行総裁会議(英ホーシャム)
* {{0}}3月23日 - [[中国人民銀行]]総裁の周小川が国際通貨改革で論文を発表<ref name="G20" />。
* {{0}}4月{{0}}2日 - [[第2回20か国・地域首脳会合]]開催。2010年の世界経済の成長率を2%に回復させることなどを宣言<ref>{{Cite news|title=2010年「世界2%成長」へ協調|newspaper=日本経済新聞|date=2009-04-03}}</ref>。
* {{0}}4月10日 - 日本政府が過去最大の56兆8000億円規模の追加経済対策(経済危機対策)を決定<ref>{{Cite news|title=追加経済対策 景気下支え最大の56兆円|newspaper=日本経済新聞|date=2009-04-11}}</ref>。
* {{0}}4月24日 - G7,G20財務相・中央銀行総裁会議(ロンドン)
* {{0}}4月30日 - クライスラーが連邦倒産法第11章適用を申請。
* {{0}}5月{{0}}7日 - 米財務省とFRBがアメリカ大手金融機関19社の資産査定(ストレステスト)を実施。その結果、[[バンク・オブ・アメリカ]]やシティグループなど10社で総額746億ドルの資本不足になる恐れがあると公表<ref>{{Cite news|title=資本不足10社で7.4兆円 米金融資産査定結果|newspaper=日本経済新聞|date=2009-05-08}}</ref>。
* {{0}}6月{{0}}1日 - GMが連邦倒産法第11章適用を申請し経営破綻<ref name="asahi20090601" />。
* {{0}}6月10日 - クライスラーが連邦倒産法に基づく再建手続きを完了。
* {{0}}6月16日 - BRICs首脳会議(エカテリンブルク)
* {{0}}7月8-10日 - G8首脳会議(イタリア・ラクイラ)
* {{0}}7月10日 - GMが連邦倒産法に基づく再建手続きを完了。
* {{0}}8月30日 - 衆議院議員総選挙で民主党が勝利、鳩山政権誕生へ
* {{0}}9月4-5日 - G20財務相・中央銀行総裁会議(ロンドン)
* {{0}}9月24-25日 - [[第3回20か国・地域首脳会合]]開催。
* 10月{{0}}3日 - G7財務相・中央銀行総裁会議(イスタンブール)
* 11月6-7日 - G20財務相・中央銀行総裁会議(英セントアンドルーズ)
* 11月17日 - 米中首脳会談(北京)
* 11月25日 - [[アラブ首長国連邦]]、[[ドバイ]]の政府系金融企業の債務支払い繰延べの要請が明らかとなり金融不安が生じた(ドバイ・ショック)。ドルとユーロが下落し27日には1ドルが一時84円台に14年ぶりに突入、また金の価格が高騰し1オンス1194.50ドルを記録した。


; 日本
=== 2010年 ===
日本銀行は、金融危機後の景気後退への対策として2010年10月から包括的金融緩和を行い、国債の他に[[上場投資信託]](ETF)や[[不動産投資信託]](REIT)などのリスク資産の買い入れを始めた{{efn|EFTの残高上限は当初4500億円だったが、2011年に9000億円、2014年に3兆円、2016年に6兆円へと増額された{{Sfn|原田|2017|p=17}}。}}。[[東日本大震災]]の被害も大きく、経済のみならず社会に深刻なダメージを受けた。日銀は物価上昇率2%を目標としたが、円高やデフレは解消されず国内外で批判が高まり、[[白川方明]]日銀総裁は任期満了前の2013年に退任した{{Sfn|白井|2017|pp=60-62}}。
{{See_also|2010年欧州ソブリン危機}}

* {{0}}1月27-30日 - [[ダボス会議]]
[[第2次安倍内閣]]は[[アベノミクス]]と呼ばれる一連の経済政策を掲げ、日銀は[[黒田東彦]]総裁のもとで緩和政策を続けた。しかしデフレは続き、[[失われた20年]]とも呼ばれるようになった。2013年から2016年の実質GDP成長率は2010年から2012年よりも低下し、実質賃金は下落した。2013年前後から雇用環境は改善したものの、平均給与は[[リーマン・ショック]]の下落を回復した程度にとどまっている。OECDによる2015年時点の調査では、日本の[[相対的貧困率]]は加盟国33カ国中で9位となった。2016年には[[エンゲル係数]]が約30年前の水準まで上昇し、実質消費は改善されず、安倍内閣による2014年4月の[[消費税]]増税が景気回復を後退させたという見方がある<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0RV1MC20140930|title=〔焦点〕予想裏切る生産悪化、「景気後退入り」の可能性で増税シナリオに影|publisher=ロイター|date=2014年9月30日|accessdate=2014年10月12日}}</ref>{{Sfn|白井|2017|pp=73-75}}{{Sfn|OECD|2020|p=}}。2017年には、日銀がETF市場全体の純資産総額の70%にあたる15兆9300億円を保有し、日本株の第1位の株主が日銀、第3位が[[年金積立金管理運用独立行政法人]](GPIF)となった。結果的に中央銀行が大企業を優遇する状況になり、株式市場の価格形成の歪み、コーポレートガバナンスへの悪影響、将来の量的緩和縮小による株価下落のリスクなどが懸念されている{{efn|間接的にせよ、株式を金融緩和目的で購入した中央銀行は日銀のみである{{Sfn|白井|2017|p=51}}。}}{{Sfn|白井|2017|pp=41-50}}{{Sfn|原田|2017|pp=20-21}}{{Sfn|大原|2019|pp=16-17, 24}}。
* {{0}}2月5-6日 - G7財務相・中央銀行総裁会議([[イカルイト]])。共同声明発表を取りやめ<ref name="G20" />。

* {{0}}4月15日 - BRICs首脳会議(ブラジリア)
=== 国際機関 ===
* {{0}}4月22-23日 - G7,G20財務相・中央銀行総裁会議(ワシントン)
世界金融危機は、IMFをはじめとする国際機関の方針や経済学者の思想に変更をもたらした。20世紀後半以降の金融危機である{{仮リンク|メキシコ通貨危機|en|Mexican peso crisis}}(1994年)、[[アジア通貨危機]](1997年)、[[ロシア金融危機]](1998年)、{{仮リンク|ブラジル通貨危機|en|Samba effect}}(1999年)、{{仮リンク|アルゼンチン金融危機|en|1998-2002 Argentine great depression}}(2001年)などが起きた際には、国内に問題があるといわれていた。危機が起きた国々では、金融危機を防ぐための金融規制や財政規律などが不完全であり、国内改革が必要だとされていた。しかし、世界金融危機によって[[グローバル金融システム]]そのものの監督や規制が課題となった{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3920-3926/5574}}。
* {{0}}5月{{0}}2日 - EU・IMFが財政危機のギリシャに1100億ユーロ金融支援で合意<ref name="G20" />。

* {{0}}6月4-5日 - G20財務相・中央銀行総裁会議(韓国・釜山)
; 緊縮財政
* {{0}}6月25-26日 - G8首脳会議(カナダ・ムコスカ)
IMFは支援の条件として各国に緊縮財政を求めた。しかし緊縮財政によって、ヨーロッパのユーロ危機をはじめとして問題が頻発した{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=374-377, 418}}。IMFの内部監察を行う独立評価機関(IEO)は、2014年11月4日の報告書で、IMFが金融危機後に主要先進国に緊縮策・予算削減を求めたことは誤りだったとの判断を示した<ref>{{Cite news|url=http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NEJRPR6K50Y101.html|title=IMFの緊縮策要求は誤りだった-金融危機後の対応で報告書|publisher=Bloomberg|date=2014年11月5日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141105174030/http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NEJRPR6K50Y101.html|archivedate=2014-11-05}}</ref>。
* {{0}}6月26-27日 - [[第4回20か国・地域首脳会合]]

* {{0}}7月21日 - [[ドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法]]成立。
; 資本規制
* {{0}}9月27日 - マンテガ・ブラジル財務相の「通貨戦争」発言<ref name="G20" />
IMFは2012年に資本規制と、国境を越える資金フローへの制限を認めた。世界金融危機が起きるまでは、金融危機は国内問題だと解釈されていた。IMFや欧米の経済学者は、危機の起きた国が資本の活用や危機を防ぐ金融機関の健全性規制・財政規律・金融統制などを行わなかったのが理由だと分析した。しかし世界金融危機は先進国と呼ばれる国々から発生しており、グローバル金融市場の監督や規制に問題があるとされるようになった。IMFが資本規制を認める条件には、マクロ経済政策やプルーデンス政策が資金流入に対応できない場合や、景気の加熱などがある{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3893-3925/5574}}。
* 10月{{0}}8日 - G7財務相・中央銀行総裁会議(ワシントン)

* 10月22-23日 - G20財務相・中央銀行総裁会議(韓国・慶州)
; 会計監査
* 11月11-12日 - [[第5回20か国・地域首脳会合]](ソウル)
国際会計基準審議会(IASB)は、2008年に会計基準を変更した際に適正手続を取らなかったために批判を受け、IASBが推進してきた公正価値会計も批判された{{efn|公正価値会計への批判には、収益費用観と資産負債観に代表される会計観の違いや、{{仮リンク|景気循環増幅効果|en|Procyclical and countercyclical variables}}などマクロ経済の観点からの批判も含まれている{{Sfn|森|2019|pp=66-67}}。}}。IASBは公正価値会計の全面適用から方針を変更し、調整機関としての活動を増やすこととなった{{Sfn|森|2019|pp=63-68}}。
* 11月15日 - EU統計局はギリシャの対GDP赤字比率を2009年は15.4%(前回13.6%)、2008年は9.4%(同7.7%)と拡大修正した。目標は8.1%なので歳出削減追加を求められている。2009年度のユーロ圏16カ国の赤字は6.3%(前年2%)、EU全体では6.8%(前年2.3%)と拡大している<ref>{{cite news |title=ギリシャの09年財政赤字比率を拡大修正、ユーロ圏は前年比3倍に=EU |newspaper=ロイター |date=2010-11-15 |url=http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK879190520101115 |accessdate=2011-01-12}}</ref>。

* 11月22日 - アイルランドは、総額7500億€(約85兆円)のEUとIMF「ユーロ防衛基金」金融支援800億-900億€を要請した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/world/news/20101122k0000m030078000c.html|title=アイルランド:EUとIMFに金融支援申請へ…財務相表明|newspaper=毎日新聞|date=2010-11-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101125155702/http://mainichi.jp/select/world/news/20101122k0000m030078000c.html|archivedate=2010-11-25}}</ref>。原因はアイルランドが全金融機関を救済したため、財政赤字がGDPの30%以上となり、公債がGDPの176%になったため<ref>{{Cite news|url=http://jp.ibtimes.com/articles/11954/20101121/62398.htm|title=アイルランドの財政危機、なぜ問題なのか|publisher=IBTimes|date=2010-11-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121108175346/http://jp.ibtimes.com/articles/11954/20101121/62398.htm|archivedate=2012-11-08}}</ref>。
危機によって会計監査報告の信頼性や監査人の役割に疑問がもたれ、欧州委員会(EC)や{{仮リンク|国際監査・保証基準委員会|en|International Auditing and Assurance Standards Board}}(IAASB)は規制を強化した。IAASBは2011年に監査報告を改革して、2015年に[[国際監査基準]](ISA)を公表した。EUでは監査委員会と監査人の協力で改革を検討し、監査報告書の透明化を進めた。2014年には法定監査指令にEUの統一監査報告書が導入され、加盟国に適用された。IAASBとEUの改革にドイツやフランスも適合し、イギリスやオランダはIAASBよりも早く新監査基準を成立させたのちに適合を果たした。アメリカでは2017年に新監査基準がSECに承認された{{Sfn|小松|2019|pp=32-34}}。
* 11月22日 - フィナンシャル・タイムズはバークレーズ・キャピタルの発表として、バーゼル3の適用(自己資本比率コアTier1規制7%+余裕1%)で米国の上位銀行が資本不足となり、リスク資産の売却を迫られるだろうとした。バーゼル2(欧州は適用済み)の米国への適用の影響は予測が付かないとした<ref>日本経済新聞 2010年11月22日夕刊2面</ref>。

<!--
== 原因と対策の研究 ==
== 総括 ==
[[ファイル:BankingCrises.svg|thumb|300px| 1800年以降に銀行危機が発生した国の数。1945年から1971年までの[[ブレトン・ウッズ協定|ブレトン・ウッズ体制]]期には銀行危機が事実上存在しない。ケネス・ロゴフとカーメン・ラインハートの研究(2009)の図10.1と同様<ref name="Rogoff & Reinhart 2009">{{Cite book|title=This Time Is Different: Eight Centuries of Financial Folly|last=Rogoff, Kenneth|last2=Reinhart, Carmen|year=2009|publisher=Princeton University Press|isbn=978-0-691-14216-6}}</ref>]]
2007年のサブプライムローン問題を発端とし、2008年のリーマンショックで本格化したこの金融危機は、発生のスピード、インパクトから第二次世界恐慌といわれた。しかし、中国、インドを中心とした新興国の経済成長が牽引し、世界的に2009年3月を底として株価は回復に向った。中国では2009年度から沿海地域で土地のバブル化が懸念され、2010年には労働力不足が指摘された。また、先進国でも過去の恐慌を教訓とした経済政策により、韓国などでは2009年度も経済はプラス成長するに至った。世界恐慌では恐慌前の水準の株価に戻るまで25年かかったことを考えると、わずか1年半ほどで終焉した短期集中型の恐慌と位置づけられている。
{{Notice|この節は学術上に論争のある記事を扱っています。}}
-->
金融危機の原因については議論が続いている。(1) 金融の自由化・市場の自己調節機能・政府の規制の不可能性をはじめとする思想が経済学者や専門家に影響を与えたというする説、(2) 住宅市場を支えようとする政府の介入が過度だったという説、(3) 銀行の利益団体とコミュニティ・グループの協力によって起きたとする説、などがある{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3193-3206/5574}}。バブル経済の研究で知られる経済学者の[[チャールズ・キンドルバーガー]]は、晩年は不動産市場に注目していた。2002年の[[ウォールストリートジャーナル]]のインタビューで、銀行がそろって住宅担保ローンを売ろうとしており、危険な兆候だと語っていた{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|p=2785/4780}}。

; 家計債務の増加
近年の研究によって有力とされる説が、債務者の消費減少にある。特に家計債務の大幅な増加が景気後退につながるとする説である。債務者の家計支出の減少は、家計債務の上昇と相関関係がある{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|p=352/4780}}。

{{仮リンク|国民所得・生産勘定|en|National Income and Product Accounts}}(NIPA)のデータによれば、GDP成長率を引き下げた最大の理由は、住宅投資の減少である。銀行危機が起きる前から家計の消費は減っており、景気後退の3四半期においても同様だった。純資産が減った人間は支出を控えることが明らかにされており、(1) 家計債務の上昇、(2) 家計の消費の減少、(3) 景気後退による企業投資の減少や大量解雇につながったとされる{{efn|住宅資産からの限界消費性向についての研究にもとづいている。当時の住宅価値が5.5兆ドル減少したことから計算すると、少なくとも2750億ドルから3850億ドルの消費が失われた{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=878-1009/4780}}。}}。1997年から2007年にかけて家計債務が急増した地域と、2008年から2009年に家計支出が急落した地域は一致する{{efn|ルーベン・グリック(Reuven Glick)とケビン・ランシング(Kevin J. Lansing)の研究による。グリックとランシングはOECD加盟の16カ国を調査しており、さらにIMFが36カ国に拡げて調査した{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=296-305/4780}}。}}。戦後の5大銀行危機の全てで、不動産価格の高騰と経常収支の赤字が起きている。そして、金融危機発生前には民間債務が急増したことも明らかになっている{{efn|[[カーメン・ラインハート]]と[[ケネス・ロゴフ]]の研究、およびモリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)と{{仮リンク|アラン・M・テイラー|en|Alan M. Taylor}}の研究による。5大銀行危機とは、1977年スペイン、1987年ノルウェー、1991年フィンランドとスウェーデン、1992年日本を指す{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=330-338/4780}}。}}{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=296-345/4780}}。

銀行部門が景気後退の原因であり、リーマン・ブラザーズを救済しなかったのは間違いであるという説も存在するが、NIPAのデータとは矛盾する{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=878-1082/4780}}。金融危機の当初は、経済学者や政策立案者は銀行を景気後退の原因として救済した。その後の研究によれば、家計債務(特に住宅ローン債務)の減免の方が金融危機の回避に役立ったというデータが集まっている{{efn|債務減免政策も提案されていたが、実施されなかった。主なものとして、(1) 住宅ローンの見直し制度。2008年10月にジョン・ジーナコロプスとスーザン・コニャックが提案。(2) 住宅ローンの変更手続き(クラムダウン)。(3) 元本の減額。2007年10月にドリス・ダンギーとビル・マックブライドが提案{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=3504, 3519, 3535/4780}}。}}。のちに、国家経済会議委員、住宅都市開発長官、経済顧問などオバマ政権の当局者やIMFも、住宅ローン減額を選択しなかったのは誤りと認めた{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=3409-3417, 3553/4780}}。

; 格差
所得格差の拡大を金融危機の一因とする説もある。特にアメリカでは、金融危機前の1977年から2007年にかけての国民経済の成長は、最も裕福な層が75%を得ていた。この期間の経済成長は低かったため、実質的に低所得者層や中間所得者層の賃金の停滞につながった。中間所得者層や低所得者層の購買力が低下するために借金が増え、金融機関が融資を拡大する余地が増えた{{Sfn|ピケティ|2014|pp=308-309}}。

; ロビー活動
アメリカの銀行による[[ロビー活動]]を一因とする研究がある。{{仮リンク|カントリーワイド・フィナンシャル|en|Countrywide Financial political loan scandal}}と{{仮リンク|アメリクエスト|en|Ameriquest Mortgage}}は、2002年から2006年にかけて3000万ドルを献金とロビー活動に使い、サブプライムローンを規制する可能性がある法案の成立を妨害したとされる。この2社は貧困層に融資をしていた最大手であり、違法ではないが公共の利益を損なう活動として批判された{{Sfn|フィスマン, ゴールデン|2019|pp=50-51}}。


== 出典・脚注 ==
== 出典・脚注 ==
351行目: 295行目:
{{Reflist|3|}}
{{Reflist|3|}}


== 参考文献==
== 参考文献(著者五十音順) ==
* {{Cite journal|和書|author=[[大原透]] |title=日銀の金融政策とETF購入 : 退路はあるのか |url=https://www.waseda.jp/inst/cro/assets/uploads/2020/05/59be92c7f05a8f50f28149853653dcd6.pdf |fotmat=PDF |journal=プロジェクト研究 |publisher=早稲田大学総合研究機構 |year=2019 |month=nov |volume=15 |issue= |pages=15-24 |naid= |issn= |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|大原|2019}}}}
* {{Cite book|和書|author=柴田徳太郎|title=世界経済危機とその後の世界|publisher=日本経済評論社|year=2016|ref=harv}}
* {{Citation| 和書
| author =
| ref = {{sfnref|梶谷, 藤井編|2018}}
| chapter =
| title= 現代中国経済論 第2版
| series =
| publisher = ミネルヴァ書房
| editor1 = [[梶谷懐]]
| editor2 = [[藤井大輔]]
| pages =
| periodical =
| year = 2018
}}
* {{Cite book|和書|author=[[北原徹]]|title=シャドーバンキングと満期変換 |url=https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3174&item_no=1&page_id=13&block_id=49 |journal=立教経済学研究 |publisher=立教大学経済学部・経済学研究科 |year=2010 |month=nov |volume=65 |issue=3 |pages=99-141 |accessdate=2012-01-20 |ref={{sfnref|北原|2012}}}}
* {{Cite journal|和書|author=[[金京拓司]] |title=世界金融危機の東アジア新興国経済への影 |url=http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81006972 |journal=国民経済雑誌 |publisher=神戸大学経済経営学会 |year=2010 |month=nov |volume=202 |issue=5 |pages=61-70 |naid=110007767371 |issn=03873129 |doi=10.24546/81006972 |accessdate=2020-09-23 |ref={{sfnref|金京|2010}}}}
* {{Cite journal|和書|author=[[鯉渕賢]], [[櫻川昌哉]], [[原田喜美枝]], [[星岳雄]], [[細野薫]] |title=世界金融危機と日本の金融システム |url=http://www.jsmeweb.org/ja/journal/pdf/vol.36/full-paper-36jp-koibuchi.pdf |fotmat=PDF |journal=金融経済研究 |publisher=東京経済研究センター |year=2014 |month=apr |volume=36 |issue= |pages=1-23 |naid= |issn= |accessdate=2020-07-16 |ref={{sfnref|鯉渕ほか|2014}}}}
* {{Cite journal|和書|author=[[小松義明]] |title=各国の監査報告制度の改革の動向 ─監査上の主要な検討事項(KAM)の基準化の分析─ |url=https://doi.org/10.11208/jauditing.2019.32 |journal=現代監査 |publisher=日本監査研究学会 |year=2019 |month=mar |volume=2019 |issue=29 |pages=32-41 |naid=130007702313 |issn=1883-2377 |doi=10.11208/jauditing.2019.32 |accessdate=2020-09-23 |ref={{sfnref|小松|2019}}}}
* {{Cite journal|和書|author=[[坂本恒夫]] |title=何故,巨大銀行の不祥事は絶えないのか |url=https://hdl.handle.net/10291/17710 |journal=経営論集 |publisher=明治大学経営学研究所 |year=2015 |month=mar |volume=62 |issue=1 |pages=127-154 |naid=120005676975 |issn=0387-298X |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|坂本|2015}}}}
* {{Cite journal|和書 |author=[[篠原哲]] |coauthors=[[櫨浩一]] |title=サブプライム問題と日本のバブル |journal=ニッセイ基礎研REPORT |issue= |year=2008 |month=6 |url=http://www.nli-research.co.jp/report/report/2008/06/repo0806-1.pdf |format=PDF |pages= }}
* {{Cite journal|和書|author=[[柴田徳太郎]] |title=世界金融危機とドル体制の行方 |url=https://doi.org/10.5760/jjce.48.1_1 |journal=比較経済研究 |publisher=比較経済体制学会 |year=2011 |month=mar |volume=48 |issue=1 |pages=1-14 |naid=130004558768 |issn=1880-5647 |accessdate=2020-07-16 |ref={{sfnref|柴田|2011}}}}
* {{Cite book|和書|author=柴田徳太郎|title=世界経済危機とその後の世界|publisher=日本経済評論社|year=2016 |ref = {{sfnref|柴田|2016}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[白井さゆり]]|title=東京五輪後の日本経済|publisher=小学館|year=2017 |ref = {{sfnref|白井|2017}}}}
* {{Cite journal|和書|author=[[杉本喜美子]] |title=アフリカにおける株式市場の発展とその経済効果 |url=https://ir.ide.go.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=47728&item_no=1&page_id=39&block_id=158 |fotmat=PDF |journal=アフリカレポート |publisher=日本貿易振興機構アジア経済研究所 |year=2014 |month= |volume=52 |issue= |pages=106-118 |naid= |issn=21883238 |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|杉本|2014}}}}
* {{Cite journal|和書|author=杉本喜美子 |title=サブサハラ・アフリカにおけるグローバリゼーション |url=https://hdl.handle.net/10236/00025645 |fotmat=PDF |journal=国際学研究 |publisher=関西学院大学 |year=2017 |month=mar |volume=6 |issue=3 |pages=103-114 |naid= |issn=21868360 |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|杉本|2017}}}}
* {{Citation| 和書
| author1 = [[デヴィッド・スタックラー]]
| author2 = [[サンジェイ・バス]]
| title= 経済政策で人は死ぬか?―公衆衛生学から見た不況対策(Kindle版)
| publisher = 草思社
| series =
| translator = [[橘明美]], [[臼井美子]]
| year = 2020
| isbn =
| ref = {{sfnref|スタックラー, バス|2014}}
}}(原書 {{Citation| 洋書
| last1 = Stuckler
| first1 = David
| last2 = Basu
| first2 = Sanjay
| authorlink =
| year = 2013
| title= The Body Economic. Why Austerity Kills
| publisher =
| isbn =
}})
* {{Citation| 和書
| author = [[ジェイコブ・ソール]]
| year = 2018
| title= 帳簿の世界史
| publisher = 文藝春秋
| series = 文春文庫(Kindle版)
| isbn =
| translator = [[村井章子]]
| ref = {{sfnref|ソール|2018}}
}}(原書 {{Citation| 洋書
| last = Soll
| first = Jacob
| author-link =
| year = 2014
| title= The Reckoning: Financial Accountability and the Making and Breaking of Nations.
| publisher = Basic Books Limited
| isbn =
}})
* {{Cite journal|和書|author=[[辻村雅子]] |title=米国サブプライム危機の資金循環分析 |journal=産業連関 |publisher=環太平洋産業連関分析学会 |year=2009 |volume=17 |issue=1-2 |pages=88-104 |naid= |issn= |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/130005084141/ |fotmat=PDF |accessdate=2020-08-08|ref={{sfnref|辻村|2009}}}}
* {{Citation| 和書
| author = [[アダム・トゥーズ]]
| title= 暴落 - 金融危機は世界をどう変えたのか(上・下)
| publisher = みすず書房
| series =
| translator = [[江口泰子]], [[月沢李歌子]]
| year = 2020
| isbn =
| ref = {{sfnref|トゥーズ|2020}}
}}(原書 {{Citation| 洋書
| last = Tooze
| first = Adam
| authorlink =
| year = 2018
| title= CRASHED: How a Decade of Financial Crises Changed the World
| publisher = London: Allen Lane and New York: Viking
| isbn =
}})
* {{Citation| 和書
| author = {{仮リンク|ジョージ・パッカー|en|George Packer}}
| title={{仮リンク|綻びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語|en|The Unwinding}}
| publisher = NHK出版
| series =
| translator = [[須川綾子]]
| year = 2014
| isbn =
| ref = {{sfnref|パッカー|2014}}
}}(原書 {{Citation| 洋書
| last = Packer
| first = George
| authorlink =
| year = 2013
| title= The unwinding : an inner history of the new America.
| publisher = New York: Farrar, Straus and Giroux
| isbn =
}})
* {{Citation| 和書
| author1 = [[アビジット・V・バナジー]]
| author2 = [[エステル・デュフロ]]
| year = 2020
| title= {{仮リンク|絶望を希望に変える経済学 - 社会の重大問題をどう解決するか|en|Good Economics for Hard Times}}(Kindle版)
| publisher = 日経BP
| series =
| isbn =
| translator = 村井章子
| ref = {{sfnref|バナジー, デュフロ|2020}}
}}(原書 {{Cite| 洋書
| author1 = Abhijit Vinayak Banerjee
| author2 = Esther Duflo
| year = 2019
| title= Good Economics for Hard Times
| publisher = PublicAffairs
| isbn =
}})
* {{Cite journal|和書|author=原田喜美枝 |title=日本銀行のETF買入政策と日経平均株価銘柄入れ替えの事例分析 |url=https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/65089/ |fotmat=PDF |journal=国際公共政策研究 |publisher=大阪大学大学院国際公共政策研究科 |year=2017 |month=sep |volume=22 |issue=1 |pages=15-26 |naid=AA1115271X |issn=24320870 |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|原田|2017}}}}
* {{Citation| 和書
| author = トマ・ピケティ
| authorlink1 = トマ・ピケティ
| title = [[21世紀の資本]]
| publisher = みすず書房
| series =
| year = 2014
| isbn =
| translator = 山形浩生, 守岡桜 [[森本正史]]
| ref = {{sfnref|ピケティ|2014}}
}}(原書 {{Cite| 洋書
| last = Piketty
| first = Thomas
| authorlink =
| year = 2013
| title = Le Capital au XXIe sièclethe present
| publisher =
| isbn =
}})
* {{Citation| 和書
| author1 = {{仮リンク|レイ・フィスマン|en|Raymond Fisman}}
| author2 = {{仮リンク|ミリアム・A・ゴールデン|en|Miriam A. Golden}}
| year = 2019
| title= コラプション なぜ汚職は起こるのか
| publisher = 慶應義塾大学出版会
| series =
| isbn =
| translator = 山形浩生, 守岡桜
| ref = {{sfnref|フィスマン, ゴールデン|2019}}
}}(原書 {{Cite| 洋書
| last1 = Fisman
| first1 = Ray
| last2 = Golden
| first2 = Miriam A.
| author-link =
| year = 2017
| title= Corruption: What Everyone Needs to Know
| publisher = Oxford University Press
| isbn =
}})
* {{Cite journal|和書|author=[[福光寛]] |title=アメリカの住宅金融をめぐる新たな視点 : 証券化の進展の中でのサブプライム層に対する略奪的貸付 |url=https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2138&item_no=1&page_id=13&block_id=17 |fotmat=PDF |journal=成城大學經濟研究 |publisher=成城大学経済学部 |year=2005 |month=sep |volume=170 |issue= |pages=57-88 |naid= |issn= |accessdate=2020-08-08 |ref={{sfnref|福光|2005}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[藤井彰夫]]|title=G20 先進国・新興国のパワーゲーム |publisher= 日本経済新聞出版社 |year=2011 |ref = {{sfnref|藤井|2011}}}}
* {{Citation| 和書
| author1 = {{仮リンク|アティフ・ミアン|en|Atif Mian}}
| author2 = {{仮リンク|アミール・サフィ|en|Amir Sufi}}
| title= {{仮リンク|ハウス・オブ・デット|en|House of Debt}}(Kindle版)
| publisher = 東洋経済新報社
| series =
| translator = [[岩本千晴]]
| year = 2015
| isbn =
| ref = {{sfnref|ミアン, サフィ|2015}}
}}(原書 {{Citation| 洋書
| last1 = Mian
| first1 = Atif
| last2 = Sufi
| first2 = Amir
| authorlink =
| year = 2014
| title= House of Debt: How They (and You) caused the Great Recession, and How We Can Prevent It from Happening Again
| publisher =
| isbn =
}})
* {{Cite journal|和書|author=[[森洵太]]|year=2019|url=https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_04515986-70-1-57|title=金融危機後のIASBの変化 : 2つの正統性の視点から|format=PDF|work=|journal=経営研究|volume=70|issue=1 |pages=57-70 |publisher=大阪市立大学経営学会|accessdate=2020-08-08|ref={{sfnref|森|2019}}}}
* {{Citation| 和書
| author = [[ダニ・ロドリック]]
| year = 2019
| title= 貿易戦争の政治経済学 - 資本主義を再構築する(Kindle版)
| publisher = 白水社
| series =
| isbn =
| translator = [[岩本正明]]
| ref = {{sfnref|ロドリック|2019}}
}}(原書 {{Cite| 洋書
| last = Rodrik
| first = Dani
| author-link =
| year = 2017
| title= Straight Talk on Trade: Ideas for a Sane Economy
| publisher = Princeton University Press
| isbn =
}})
* {{Cite journal|和書|author=[[渡邉真理子]] |year=2010 |url=https://doi.org/10.5760/jjce.47.1_51 |title=中国のサブプライム危機の影響と対応|journal=比較経済研究 |publisher=比較経済体制学会 |volume=47|issue=1 |pages=51-57 |naid=130004558748 |issn=1880-5647 |doi=10.5760/jjce.47.1_51 |accessdate=2020-09-23|ref={{sfnref|渡邉|2010}}}}
* {{Cite web|和書|year=2020|url=https://data.oecd.org/inequality/poverty-rate.htm |title=OECD Date Poverty rate |format= |work= |journal= |publisher=OECD |volume= |issue= |pages= |accessdate=2020-08-08|ref={{sfnref|OECD|2020}}}}

== 関連文献==
* {{Cite journal|和書
* {{Cite journal|和書
|author=国立国会図書館調査及び立法考査局
|author=国立国会図書館調査及び立法考査局
361行目: 510行目:
|month=9
|month=9
|url=http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0647.pdf
|url=http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0647.pdf
|pages=
}}
* {{Cite journal|和書
|author=篠原哲
|coauthors=櫨浩一
|title=サブプライム問題と日本のバブル
|journal=ニッセイ基礎研REPORT
|issue=
|year=2008
|month=6
|url=http://www.nli-research.co.jp/report/report/2008/06/repo0806-1.pdf
|pages=
|pages=
}}
}}
* {{Citation| 和書
* {{Citation| 和書
| author1 = {{仮リンク|レオ・パニッチ|en|Leo Panitch}}
| author = [[アダム・トゥーズ]]
| author2 = {{仮リンク|サム・ギンディン|en|Sam Gindin}}
| title = 暴落 - 金融危機は世界をどう変えたのか(上・下)
| title= グローバル資本主義の形成と現在――いかにアメリカは、世界的覇権を構築してきたか
| publisher = みすず書房
| publisher = 作品社
| series =
| series =
| translator = [[江口泰子]], [[月沢李歌子]]
| translator = [[長原豊]], [[芳賀健一]], [[沖公祐]]
| year = 2020
| year = 2018
| isbn =
| isbn =
| ref = {{sfnref|トゥーズ|2020}}
| ref = {{sfnref|パニッチ, ギンディン|2018}}
}}(原書 {{Citation| 洋書
}}(原書 {{Citation| 洋書
| last = Tooze
| last1 = Panitch
| first = Adam
| first1 = Leo
| last2 = Gindin
| first2 = Sam
| authorlink =
| authorlink =
| year = 2018
| year = 2012
| title= The Making of Global Capitalism: The Political Economy of American Empire
| title = CRASHED: How a Decade of Financial Crises Changed the World
| publisher = London: Allen Lane and New York: Viking
| publisher = Verso
| isbn =
| isbn =
}})
}})


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{portal|経済学}}
{{Colbegin}}
{{col-begin}}
{{col-2}}
* {{仮リンク|アメリカ住宅バブル|en|United States housing bubble}}
* {{仮リンク|アメリカ住宅バブル|en|United States housing bubble}}
* [[貯蓄貸付組合]]
* [[貯蓄貸付組合]]
* {{仮リンク|貯蓄貸付組合危機|en|Savings and Loan crisis}} - 1980年代の貯蓄貸付組合を舞台とした金融危機。単に、S&L危機とも(英語)
* {{仮リンク|貯蓄貸付組合危機|en|Savings and Loan crisis}} - 1980年代の貯蓄貸付組合を舞台とした金融危機。単に、S&L危機とも(英語)
* [[韓国通貨危機]](2008年以後)
* [[失われた20年]]
* [[就職氷河期]]
* [[派遣切り]]
* [[バブル景気]]
* [[不良債権]]
* [[ノンリコースローン]]
* [[ノンリコースローン]]
* [[米国債ショック]]
* [[米国債ショック]]
* [[財政の崖]]
* [[財政の崖]]
* [[8割経済]]
* [[UKフィナンシャル・インベストメンツ]]
* [[2007年-2008年の世界食料価格危機]]
* [[2007年-2008年の世界食料価格危機]]
{{col-2}}
* [[ドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法]]
* 映画
* 映画
:* [[マージン・コール]]
:* [[マージン・コール]]
416行目: 551行目:
:* [[キャピタリズム〜マネーは踊る〜]]
:* [[キャピタリズム〜マネーは踊る〜]]
:* [[インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実]]
:* [[インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実]]
:* [[ノマドランド]]
{{Colend}}
{{col-end}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030347_00000 アメリカ発金融危機] - [[NHKアーカイブス]]


{{日本の経済史}}
{{日本の経済史}}

2021年1月26日 (火) 03:57時点における版

世界金融危機(せかいきんゆうきき、: Global Financial Crisis)とは、2007年に顕在化したサブプライム住宅ローン危機を発端としたリーマン・ショックと、それに連鎖した一連の国際的な金融危機である。世界経済危機世界金融崩壊世界金融不況世界同時不況リーマン不況第二次世界恐慌[1] などとも呼ばれる。年表については、「サブプライム住宅ローン危機の年表」を参照。

概要

2007年9月15日、サブプライム住宅ローン危機による取り付け騒ぎイギリスバーミンガムノーザン・ロック銀行の支店。

2007年の時点では不動産バブルの崩壊が問題とされていたが、バブル崩壊の影響で銀行や基金が破綻をしたため金融機関が問題とされ、さらに2008年には金融システム全体の問題に対処しなければならなくなった。中欧・南欧・東欧を中心に世界各地へ連鎖的に広がり、その規模と速度は1930年代の世界恐慌を上回った[2][3]

最悪期の2008年第2四半期から2009年第1四半期には、世界の資本移動の90%が消滅し、富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少した。貿易にも影響し、世界貿易機関(WTO)が統計を集めている104カ国の全てで輸出入が減少した。2009年第2四半期は、国際通貨基金(IMF)が統計を集めている60カ国のうち52カ国で国内総生産(GDP)が縮小した。全世界の失業者は2700万人から4000万人に達したといわれる[4]

対策

各国は従来の枠組みを越えて協調した。G20では、それまで財務相・中央銀行総裁会議を開催していたが、さらに首脳陣の会合として2008年11月にG20サミットが始まった。中央銀行ではアメリカの連邦準備制度(FRB)を中心として通貨スワップ協定が拡充された。国際通貨基金(IMF)は2008年から求めに応じて支援を行い、さらに融資拡充をした。それまでの金融規制に限界があることが明らかになり、バーゼル銀行監督委員会では銀行の国際業務の規制が進められた[5][6][7][8]。危機の原因として会計監査制度も批判を受け、会計基準や監査基準も変更された[9][10]。当時は「大きすぎて潰せない」という言葉が象徴するように大手金融機関の救済が優先されており、住宅ローンの債務者の救済が不十分だった[11]

影響
2009年の実質GDP成長率。茶色は景気後退の地域を表す。

危機への対策によって2009年にはアメリカでは景気回復が起きたが、経済格差が拡大した。ヨーロッパでは金融危機後に銀行の資本増強が進まなかったため、2010年に国債がもとでユーロ危機が起きた。金融危機対策やIMF支援の条件として緊縮財政を進めた各国では、国内で経済的困窮や社会不安を招いた。世界各地で抗議活動が起き、政権交代や国際機関からの離脱、地域紛争の発端にもなった。「ウォール街を占拠せよ」と呼ばれた抗議デモは、同様の活動が900以上の都市で開催された。イギリスでは国民投票によって欧州連合離脱が決定した。ウクライナとロシアの間ではクリミア危機・ウクライナ東部紛争が起きた[12][6]

原因・対策の研究

金融危機の原因や、対策の評価についての研究が続いている。危機の発生や拡大には、住宅ローンの証券化、低金利政策、シャドー・バンキング・システムなどが関わっていた。最大の原因は住宅投資の減少であり、そのもとをたどると住宅ローンに投資した人々の債務増加にいたる。特にサブプライム・ローンでは、返済能力を無視して貸付を行う略奪的貸付英語版が以前から問題となっており、貸し倒れが増えたことで債務損失が増幅し、バブルが崩壊した[13][14]。金融危機の当初は、経済学者や政策立案者は債務者よりも銀行の救済を優先していたが、その後の研究では家計債務(特に住宅ローン債務)を減免した方が金融危機の回避に役立ったというデータが集まっている[11]

背景

証券化と低金利政策

上段よりNASDAQ[15]ダウ平均株価[16]ローソク足(月足)、フェデラル・ファンド金利誘導目標[17][18](赤)、米国債10年物利回り[17](青)、JPY/USD[17](黄緑)、EUR/USD[17](紫)の月末値推移(1999年1月~2003年12月)

1970年代のアメリカから、住宅ローンの証券化が始まった。これは地域金融の弱点である各地域のリスクを補うために考えられ、国策会社である政府支援機関(GSE)によって進められた。地方銀行は地域のリスクから守るために住宅ローンを証券化してGSEに売った。GSEは証券化された住宅ローンを買うために、プールした住宅ローンを担保にして債券を売った。これが不動産担保証券(MBS)であり、GSEに多大な利益をもたらした。GSEの発行ではないプライベート・ラベルのMBSも1990年代に急増し、利益を得るためにトランチングなどの方法が考案された[19]

2000年にITバブルが崩壊し、インターネット・情報技術関連企業の上場が多いNASDAQ市場は暴落して、2001年第2四半期からアメリカのGDPが3四半期連続のマイナス成長となった[15]。失業率も増加を続けてアメリカの財政赤字は拡大した。FRBは2000年末から利下げを繰り返し、ジョージ・W・ブッシュ政権は大規模な所得減税を行った[注釈 2]。この結果、アメリカ金融史上で最も低金利の時代となったが、当時のFRB議長だったアラン・グリーンスパンは低金利政策が誤りだったとのちに認めている[注釈 3][22][17]

エンロンが2001年に粉飾決算で破綻したのちに金融機関への規制強化が検討されたが、実施されなかった[注釈 4]。規制が強化されなかったため、後述のシャドー・バンキングが急拡大した[23]

シャドー・バンキング・システム

世界金融危機の大きな要因となった金融ビジネスは、非銀行金融仲介機関であるシャドー・バンキング・システムであった。シャドー・バンクに含まれるのは、マネー・マーケット・ファンド(MMF)、特別目的事業体(SPV)、資産担保コマーシャルペーパー英語版(ABCP)、投資銀行等のレポ取引ヘッジファンド、証券会社、証券化商品発行体、そして個人向けのファイナンス・カンパニーなどである。シャドーバンクの資産額は危機以前の10年間に特に増加したが、銀行よりも高いリスクを抱えていた[注釈 5]。シャドーバンクの中でもMMFはMBSの発行や証券化に関わる重要な投資家として機関投資家が資金を供給した[注釈 6]レバレッジも危機拡大の一因であり、アメリカの大銀行が倍率を横ばいさせていたのに対して、アメリカの三大投資銀行は2007年に25倍を越え、欧州の大銀行は2008年に35倍を超えた。ABCPの発行残高で、欧州はアメリカを上回っていた[24]

BRICSを中心とした新興国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要が高まり、原油価格が上昇した。産油国の利益は欧米の機関投資家へ流れ、機関投資家の資金運用がアメリカに集中した。このとき、先の低金利政策と、シャドー・バンキング・システムを通じた証券化を促進する規制緩和が相まって、サブプライムローンを中心とした信用拡張が行われた。ABCP市場は6500億ドルから1兆ドル市場に成長した[3][23]

サブプライムローン

米国財務省による不審取引報告英語版(SAR)分析に見る住宅ローン詐欺の増加

アメリカでは、エンロンと類似の事件を防ぐために、GSEのフレディマックファニーメイがバランスシートを縮小した。その影響で住宅ローンに民間業者が参入し、民間業者が導入したサブプライムローンは住宅価格の上昇に後押しされて2003年以降に急拡大をした[注釈 7][26]

2004年6月30日の連邦公開市場委員会(FOMC)から政策金利は引き上げに転じた。2004年-2006年にかけてアメリカでは住宅ブームが生じ、低利の2段階変額ローンにより募集された不動産担保ローンが大量に組成された[注釈 8]。少なからぬ利用者が住宅価格の上昇の恩恵を受けた。この住宅ローンの個別債権は、欧米の主要銀行がSPVなどを利用してMBSに証券化した[3]

MBSは高利回りの金融商品として世界各国に販売された。格付け機関ムーディーズスタンダード&プアーズはMBSにトリプルAの格付けをして信用を与えたが、これらの格付け機関は選出基準が不透明だった[注釈 9]。さらに、格付け機関は商品リスクを知りながら高い格付けを与えていたことが、のちに議会の調査で明らかになっている[注釈 10][28]。貸し倒れに対する保証としてはクレジットデリバティブ債務担保証券:CDOやクレジット・デフォルト・スワップ:CDS)などの金融商品が利用された。

この住宅ローンは借り換え期の4年目以降に急激に金利が上昇するため、当初から危険性は指摘されていた。契約内容を理解できていない借手に、返済能力を無視して貸付を行う行為が横行したため、略奪的貸付英語版とも呼ばれて問題となった。しかし、住宅価格が上昇する局面では警鐘はかき消された。ちょうどブーム3年目にかかる2006年1月頃から住宅価格のかげりが見え始め、不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めた[13][29]。サブプライムローンの債務者の一部は住宅価格の上昇を見込んだ返済計画を建てていたため、住宅価格低下の影響で利払い延滞率が急増した。債務者の延滞が顕著になると、サブプライムローンの直接の貸し手である住宅金融専門会社に対する金融機関の融資が慎重になり、住宅金融専門会社では資金繰りが悪化して経営破綻が出始めた。サブプライムローンは貸し倒れの危険を分散させるために分割・証券化されて金融商品に組み入れられていたため、金融商品そのものに対する信用リスクが連鎖的に広がった。リスクを警戒し、2006年から住宅ローン売買を減らした投資銀行もあったが問題の解決にはならなかった[30]

危機の顕在化

上段よりNASDAQ[15]、ダウ平均株価[16] のローソク足(月足)、フェデラル・ファンド金利誘導目標[17][18](赤)、米国債10年物利回り[17](青)、JPY/USD[17](黄緑)、EUR/USD[17](紫)の月末値推移(2004年1月~2009年12月)。
なお、各国の株式相場は2008年11月から2009年3月をおおむねの底値圏として上昇に転じ、2010年の3月時点では各国の株価はリーマン・ショック以前の水準に回復した。金融危機の発端であるアメリカでは、ダウ平均株価が2010年4月1日に1万0927.07ドルと、2008年9月26日の株価まで回復した。
日経平均株価は2010年4月1日に1万1286.09円を記録し、2008年10月1日以来約1年半ぶりの高値水準となった。しかし同年5月には、再び1万円を割り込んだ。

サブプライムローン危機

景気後退は2008年秋の銀行危機よりも2年以上早く表れており、住宅投資は2006年第2四半期には17%下落を始めていた[注釈 11]全米経済研究所によれば、景気後退はリーマン・ブラザーズ破綻の9ヶ月前に始まっている。耐久消費財や自動車の支出下落、大量解雇も銀行危機より早く起きており、しかも大西洋を越えたヨーロッパで影響が出ていた[32]

2007年1月から不動産担保ローンの破産が顕著になり、5月にスイス最大の銀行UBSディロン・リード・キャピタルマネジメント英語版(DRCM)を閉鎖した。6月はベアー・スターンズのヘッジファンドに対する債権者メリルリンチが担保の債務担保証券(CDO)をわずかしか売却できず、この時点でCDOには国際流動性を期待できなくなっていた。7月には、特別目的事業体(SPV)を通じてCDO等に投資していたIKB ドイツ産業銀行英語版が公的支援を受けることになった。8月はドイツのNRW.BANKによる支払い停止や、フランスのBNPパリバによる3つのファンド凍結などが相次いだ。パリバが「アメリカ証券市場の一部で流動性が消滅したため、一部の資産評価が不可能になった」という声明を出すと危機の認識が広まり、2007年10月にはイギリスで住宅価格が急落した[33][34][35]

資産担保証券(ABS)も価格を下げて国際流動性を失い、これを担保とする資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)の借換発行もむずかしくなった。ABCPを簿外勘定に出していた銀行は、流動性を失ったABCPを保有することになった。預金債務が膨張したので、銀行とFRBは事後的な信用創造にはげみ、そこでうまれた預金通貨は機関投資家によってマネー・マーケット・ファンド(MMF)やレポ債権に転換された。ヨーロッパ系銀行は危機発生に先立つ数年間、100以上のSPVのため直接または間接のスポンサーになっていた。これらのABCPは数千億ドル規模のABSをアメリカ市場で販売していた。その流動性が2007年8月に失われると、償還するためにヨーロッパ系銀行は在米支店からドル資金を調達した[34]。短期金融市場から調達された資金を引き揚げられて、シャドーバンキングは脆弱性を露呈した[24]

アメリカを中心として会計基準には時価評価主義が採用されており、サブプライム危機が短期間で拡大する一因となった。時価評価では、金融資産の減価は自己資本減少と機関投資家が発行する株式の減価に直結するので、その株式を保有する企業が発行する株式も減価となる。こうして負の連鎖が拡大した[注釈 12][36]

銀行危機・金融危機

2008年3月にベアー・スターンズの経営危機が明らかになると、金融危機が世界的に報道され始めた。9月に入って、政府支援機関(GSE)のフレディマックとファニーメイが実質的破綻に陥り、9月15日にはリーマン・ブラザーズ連邦倒産法第11章適用を申請し、負債総額6390億ドル(約64兆円)というアメリカ史上最高額の経営破綻を起こした[注釈 13]。さらにバンク・オブ・アメリカによるメリルリンチの買収、保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)の国有化など、金融機関の再編が進んだ。

2008年9月15日、連邦倒産法第11章を申請したリーマン・ブラザーズの様子

9月のショックで、リーマンの決済銀行であるJPモルガン・チェースシティグループバンク・オブ・アメリカはレポ債権の追加担保を要求したが、貸付が打ち切られ倒産した[注釈 14]。リーマン・ショックはリーマン債を保有していたMMFを元本割れさせた。9月19日、MMF保険創設のため連邦政府が為替安定基金から最大で500億ドルを取り崩す方針が公表された[注釈 15]。リーマン以外の清算ケースでもCDSは同様の状態であり、CDSの売り手となっていた金融持株会社、投資銀行、保険会社、ヘッジファンドなどは、短期金融市場からの資金調達を金利の急騰に阻まれた。ヨーロッパ系銀行もドル建て流動性資金について同じ境遇であり、新興国経済から資金を引き揚げた。この資金引き揚げによって、中欧・東欧・南欧にも金融危機が波及した[37]

2008年第2四半期から2009年第1四半期には、世界の資本移動の90%が消滅し、富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少した。2009年第2四半期は、IMFにGDP統計を提出している60カ国のうち52カ国でGDPが縮小した[38]サプライチェーンが同期しているためにアメリカやヨーロッパの需要減少は各国に波及し、世界貿易機関(WTO)が統計を取る104カ国の全てで輸出入が減少した。世界の原油価格は76%下がり、産油国で財政赤字が続出した[39]

対策

各国政府が金融機関を支援した主な方法は4通りであり、(1) 銀行への貸付、(2) 銀行の資本増強、(3) 資産買い入れ、(4) 銀行のバランスシートに対する国家の保証、があった[40]。2008年10月10日にはG7財務相・中央銀行総裁会議、10月11日にはG20の財務相・中央銀行総裁会議が開催され、共通の方針が5つにまとめられた。(1) 重要な金融機関の破綻を避ける。(2) 資本増強を支援する。(3) 銀行間取引の流動性を確保する。(4) 預金保険の整備。(5) 証券化資産の流通市場の再構築である[41]

国際通貨基金

2008年から国際通貨基金(IMF)の支援を求める国家が相次いだ。2008年10月のハンガリーに続いて、アイスランド、ラトビア、ウクライナ、パキスタンが支援を受けた。2009年にはアルメニア、ベラルーシ、モンゴル、ルーマニアが支援を受け、予防措置の貸付がコスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナに行われた。さらにアメリカ発案のフレキシブル・クレジット・ファシリティがメキシコ、ポーランド、コロンビアに提供された。IMFは支援の条件として緊縮経済政策を求めたが、緊縮政策の受け入れが国内に対立を起こす事態も起きた[42]

FRBの流動性供給・通貨スワップ

2007年にはヨーロッパのホールセール資金調達市場が不振であり、欧州中央銀行(ECB)やイングランド銀行(BOE)は資金を注入した。しかし注入できる通貨はユーロポンドであり、ドルが求められていた。金融危機の間はドルの調達が困難であり、ヨーロッパ系銀行は資金調達に苦しんだ。FRB議長のベン・バーナンキはヨーロッパ系銀行がドルの資金調達を求めていることを理解し、FRBはドル建てのポートフォリオを維持するために2008年秋からドルで流動性ファシリティ(信用供与契約)を始めた。FRBによる供与は、レポ取引、ABCP、MBS、通貨スワップなどシャドーバンキングに関わるものに結びついており、内部関係者は契約についての難解な頭字語をまとめて「ホビット族」と呼んだ[注釈 16]

2008年9月18日には日米欧の6中央銀行が通貨スワップ協定による大量のドル供給を開始した[注釈 17]。その後、個別にドル資金供給を行っていた9中央銀行を含め計15中央銀行がドル供給を10月末まで延長した[注釈 18]。通貨スワップの協定によって、ドル・ユーロ・ポンドの通貨危機は防がれた[44]。FRBは緊急支援に加えて、2009年にはQE1と呼ばれる量的緩和も行った。FRBが受け入れたMBSの52%がヨーロッパをはじめとする国外の銀行のものであり、FRBが最後の貸し手として機能した[注釈 19]。しかし、FRBの2007年から2009年にかけての流動性供給は当時は極秘とされ、2010年にドッド=フランク法や情報公開訴訟をきっかけに公開された[注釈 20][47]

FRBによる拡充とは別に、他の地域においても金融危機対策として通貨スワップが行われた。ユーロのスワップ協定はECBによってスイス、デンマーク、ハンガリー、ポーランドに拡充された。SNBはスイスフランのスワップ協定を締結した。ブラジル・アルゼンチンや、中国・韓国は自国通貨同士のスワップ協定を締結した。中国は他にも香港、マレーシア、ベラルーシ、インドネシア、アルゼンチンとスワップ協定を結んだ。アジアでは、アジア通貨危機の時に結ばれたチェンマイ・イニシアティブにもとづいて複数国間の契約が実現した[48]

会計監査

2008年11月14日-15日のワシントン・サミットG20が金融安定化のための国際会計基準について声明を行った。対応を求められた国際会計基準審議会(IASB)は会計基準を変更し、IAS39号およびIFRS7号で認められていない金融資産の保有目的区分の変更を条件つきで認めた。これは国際財務報告基準(IFRS)を採用しているEU企業が、アメリカ企業に対して不利にならないようにEUが要請したとされる[49]。この変更で適正手続(デュー・プロセス・オブ・ロー)を取らなかったためにIASBは批判を受けた[9]

サブプライムローンが証券化されて急拡大した際、会計事務所の中にはそれらの金融商品が投機的であると警告を発するところもあったが、危機の防止にはいたらなかった。世界金融危機の処理にあたっては、経営者や金融機関に加えて監査法人も非難された。世論は監査の適切さを疑い、企業や金融機関は監査法人が資産価値を過小評価したと主張した[50]

各地域の状況

アメリカ合衆国

2008年9月25日にブッシュ大統領が救済策を話し合った際、次の大統領候補だったバラク・オバマジョン・マケインが出席し、いずれも緊急経済安定化法案に賛成した。
緊急経済安定化法案

アメリカのジョージ・ブッシュ政権は2008年に最大7000億ドルの公的資金を投入する法案の策定に着手した。法律番号 H.R.1424英語版にあたり、不良資産救済プログラム(TARP)や緊急経済安定化法が作成された。事前に議会指導部と政府は合意しており、9月29日の法案成立は確実とみられていた。しかし、共和党の議員はアメリカの伝統的な自己責任の価値観にもとづいて多数が反対票を選んだ。このため予想に反してブッシュ大統領が属する共和党の反対によって下院で否決された[注釈 21]。この日のニューヨーク証券取引所のダウ平均株価は史上最大となる777ドルの下落を記録し、世界中でも信用収縮が起こった[52][53]

恐怖指数の推移

その後、緊急経済安定化法案は修正を加えて10月3日午後1時に成立した。しかし当日の米国株は後場急落し、翌週10月6日から10月10日の1週間は世界の株式市場は大きく下落した[注釈 22]。これに対して10月8日には欧米の中央銀行が協調利下げに踏み切り、ヘンリー・ポールソン財務長官が金融機関への公的資金注入を示唆したが、株価の下落は止まらなかった。10月10日は、株価変動確率の激しさを表すボラティリティインデックス(VIX、通称恐怖指数)と呼ばれる指数が、1997年のアジア通貨危機の約38、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の約45を上回って75を超えるなど、市場は混乱した。財務省・FRB・連邦預金保険公社(FDIC)は主な9銀行への公的資金注入を検討し、13日の銀行との会合で承認を得た[注釈 23][55]。製造業大手ではクライスラーゼネラルモーターズ(GM)が破綻の可能性に陥り、GMは事実上国有化された[注釈 24]

中南米

中南米は、アジアやアフリカと同様に金融危機の影響が比較的軽微にとどまった。過去の通貨危機や金融危機の経験を参考にして、外貨準備を維持する対策がとられていた。それが、(1) 対外資産の蓄積、(2) 国内金融資本市場の発展、(3) 短期資本移動規制など政府や中央銀行の政策である。2008年第3四半期には資本流入が減ったものの、それまでの純資本流入と経常黒字によって外貨準備が比較的豊富だった。中央銀行の多くは外国為替市場に介入して外貨の流動性を供給し、チリやブラジルでは先物市場で取引を行い、外貨準備の維持に成功した[57]北米自由貿易協定(NAFTA)によってアメリカとの貿易が密接なメキシコは、原油以外の輸出が28%減、輸出加工区のマキラドーラは雇用が20%減少した[39]

西ヨーロッパ・南ヨーロッパ

サブプライムローンの証券化はアメリカ国外から資本を集めることを目的としており、ヨーロッパの金融機関も深く関わった。2000年代にヨーロッパ系銀行の国際業務は拡大し、ドルで借りてドルで運用する取引が8兆ドルを越えた。この取引でドルの資金調達のリスクを抱えることになり、サブプライムローン危機でリスクが現実となった[58]。ヨーロッパ系銀行は2006年には新規の不動産担保証券(MBS)の30%を裏づけをしており、アメリカに現地法人を設立をしてサプライチェーンを一体化していた。2007年下半期からドイツ、イギリス、フランス、スイス、ベネルクスの銀行は損失によって貸出を減らし、フランスのソシエテジェネラルを早い例として、G7の核をなすメガバンク自己資本利益率が低迷し、イギリスのロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)が大ダメージを受けた。スイスはUBSが破綻の危機に見舞われたが、早い段階でUBSを監督下に置いて対策をした[59][60]

2007年には影響が出ていたにも関わらず、ヨーロッパ諸国の政治家は2008年8月頃まで金融危機をアメリカの国内問題と解釈していた[注釈 25]。さらに、ヨーロッパはアメリカよりも損失が軽いので各国の対応で解決できると考えた。これに対してオランダのヤン・ペーター・バルケネンデ政権は2008年9月に銀行救済基金を提案し、欧州の全国家がGDPの3%を使った基金の設立を訴えた。オランダ政府の提案はフランスの賛同を得て、クリスティーヌ・ラガルド財務相は共同対策を主張した。しかしドイツのアンゲラ・メルケル政権や、ヨーロッパ中央銀行(ECB)のジャン=クロード・トリシェ総裁、ユーログループジャン=クロード・ユンケル議長らの賛同を得られず実現しなかった[61]

フランス

フランスでは主な銀行の損失が比較的少なく、回復の仕組み作りが成功した。10月16日に緊急資本注入と再融資案が成立し、BNPパリバをはじめとする主な銀行は国家資金保証公団(SPPE)の資本注入に同意した。再融資においては、フランス経済財政公団フランス語版(SFEF)が銀行のために政府保証債を発行して主な6行が引き受けた[62]

ドイツ

ドイツのアンゲラ・メルケル政権は金融市場安定化基金の創設を検討したが、連邦議会で否決された。ドイツ銀行は政府の支援を避けるために、会計操作や湾岸国の政府系ファンドからの資金調達をした。政府は不動産金融大手のハイポ・リアル・エステート英語版(HRE)を破綻から救済し、取り付け騒ぎ防ぐために貯蓄預金の全額保護を発表した[63]

イギリス・アイルランド

イギリスはゴードン・ブラウン政権が2008年10月8日に銀行の救済を決定し、救済策を3つに分けて行った。(1) RBSやHBOSなど主な8行に資本増強の要求、(2) 新たな債権の保証に2500億ポンドを投入、(3) イングランド銀行の特別流動性スキームの2000億ポンド増額である。不良債権管理のためにUKフィナンシャル・インベストメンツが設立され、RBSやHBOSはのちに国有化された[64]

アイルランドでは、アメリカの緊急経済安定化法否決の影響で2008年9月に信用収縮が起き、大手3行は破綻寸前となった。アイルランドの銀行のバランスシートが合計でGDPの700%に達したため、ブライアン・カウエン政権は取り付け騒ぎを防ぐために全ての債務の2年間保証を発表した。アイルランドの銀行はイギリスの金融システムと密接であるため、イギリスはフランス、オランダ、ドイツなどの国と対策を協議した。ヨーロッパで共同基金を設立して銀行を救済するというオランダの案もあったが、EU統合を進めるリスボン条約がアイルランド自体の国民投票で2008年6月に否決されていた経緯も影響し、実現しなかった[52][65]

スペイン
バンキア本社があったマドリードプエルタ・デ・エウローパ。バンキアは不良債権処理のために設立されたが2012年に破綻した。

ヨーロッパで不動産バブルが最も盛んだったのは、アイルランドとスペインだった。ユーロ圏の2007年から2012年の失業者はスペインが最も多く、660万人のうち60%(390万人)を占めた。スペインの不動産融資で中心だったのは、カハ(caja)と呼ばれる中小の貯蓄銀行だった[注釈 26]。スペインのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ政権は不良債権処理のために2010年にバンキアを設立し、カハの整理を進めた[67]

東ヨーロッパ・北ヨーロッパ

東欧諸国は危機発生まで成長を続けていたが、資金の調達は西ヨーロッパ系銀行からであった。四半期ごとに500億ドルが東欧やNIS諸国に流入していたが、危機によって流れが反転し、2008年第4四半期から2009年第1四半期にかけて1500億ドルが流出した。ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアは債務の半分が国外からの融資であり、ハンガリーでは円高の影響によって円建ての世帯が最も債務負担が増えた。東欧はFRBの通貨スワップ枠に含まれておらず、ECBはユーロ建ての資金しか送れないので問題の解決にはならなかった。ハンガリーはIMFに支援を要請したが、支援の条件だった緊縮政策は国内の不満を高める結果となった[68]。2009年には東欧のEU加盟国をユーロ圏に加盟させてECBが支援するという要請もあったが、ECBの賛成は得られなかった[69]

バルト三国

バルト三国はEUと北大西洋条約機構(NATO)加盟に続けてユーロ圏への加盟を進めていたが、危機によって国外の資金調達が止まった。バルト三国の通貨はユーロ圏への統合の途上にあるために為替レートが固定されており、通貨切り下げが困難で苦境に陥った[注釈 27]。特にラトビアは巨額の経常赤字があり、スカンジナビア系の銀行であるスウェドバンクノルディア銀行が関与しているため問題となった。欧州委員会(EC)は、GDPの35%を支援する条件として、経常収支を調整する緊縮財政をラトビアに求めた。ラトビアは破綻を防いだが、緊縮財政によって大きなダメージを受けた[注釈 28][69]

アイスランド

アイスランドは危機発生の時期には最悪とも評されたが、最も対策に成功した国の一つとなった。危機以前には1990年代からタックスヘイブンとしての機能を充実させ、2000年代には商業銀行と投資銀行の融合やヘッジファンドへの投資、不動産バブルが進んだ。所得格差が広がり、2006年以降には金融機関やエコノミストから警告があったが、財界に無視された[注釈 29][73]。危機発生後の2008年10月には大手銀行が国有化され、株価は10%となり、人気があったネット預金アイスセーブ英語版も破綻し、失業率は7.6%となって欧米メディアでは世界最悪と報道された[74]。対外債務が9兆5000億クローナとGDPの900%に達したためIMFの支援を受けたが、オラフル・ラグナル・グリムソン大統領はIMFが求める緊縮策を拒否し、国民投票を行った。その結果、アイスセーブ破綻の補償も拒否することになった。他方で政府は社会保障を維持して医療・再就職・住宅の支援を行った。歳入増加と所得格差の是正を目的に富裕層へ増税をし、危機の原因となった投機的な銀行への責任追及も行った。一連の政策によって、アイスランドはヨーロッパの中では速やかに回復へと向かった[75]

NIS諸国

ロシア

ロシアは天然資源の利益がGDPの20%を占めており、危機による原油の暴落でロシアの銀行・原材料企業・新興財閥であるオリガルヒの対外債務は5400億ドルまで増加し、ロシアの公的準備金に匹敵する規模になった。南オセチア紛争(2008年8月)の影響でロシアに対する海外の投資家離れも止まらず、株価下落が続いた。2008年9月からドミートリー・メドヴェージェフ大統領とウラジーミル・プーチン首相の政府はオリガルヒを支援したが、株式市場の安定化にオリガルヒの資金が使われ、小規模な銀行の救済には国営のロシア開発対外経済銀行英語版(VEB)があたった。政府予算の9.7兆ルーブルの25%が金融危機対策として雇用創出・産業助成・減税などに使われ、国家規模から計算すると世界最大級であった[76]

ウクライナ

経済発展のために西側からの資金調達を続けており、2008年までの国内企業の資金調達の45%、一般世帯向けローンの65%が国外からであり、オーストリアとフランスの銀行など400億ドルにのぼっていた。危機によって貸付が止まると鉄鋼業を中心とする輸出が減少して雇用問題が起きたため、10月にはIMFの支援164億ドルを受け入れた。IMFは条件として予算資金の確保、通貨フリヴニャの切り下げ、金融システムの安定を求めた。国内では、IMFの緊縮策を受け入れたヴィクトル・ユシチェンコ大統領やユーリヤ・ティモシェンコ首相への不満が高まり、かつて不正選挙でオレンジ革命(2004年)の原因になったヴィクトル・ヤヌコーヴィチに支持が集まった。2009年には天然ガスをめぐってロシア・ウクライナガス紛争が起き、ロシアとの対立が深まっていった[77]

アジア

アジア諸国は、アメリカ合衆国やヨーロッパと比べて影響が比較的小さかった。原因として、金融機関の資金調達で海外資金への依存が低かった点にある。資本の流入や国内の信用残高は増えておらず、タイ、インド、マレーシアのように対GDP比では減少していた国もあった。しかし、金融危機の影響で起きた貿易の減少と、欧米の金融機関の資金引き揚げによって、2008年後半から2009年には中国、インドネシア、フィリピンなどをのぞくアジア諸国はマイナス成長となった[78][79]

中国

中国の金融機関に影響が少なかったのは、大きく2つ理由がある。(1) 資本取引を規制していたため、金融機関の資金調達は制限されていた[注釈 30]。(2) それまでの銀行は中央銀行や政府の指示に従って貸付をしており、リスクを取って利益追求をする業務が少なかった[注釈 31][81]

実体経済への影響は2008年の第3四半期からとなった。中国は危機以前から急成長で輸出大国になっており、輸出先であるヨーロッパの不振の影響を受けた。2008年7月は輸出25%増、輸入30%増、外国直接投資が65%増だったが、6ヶ月後には危機の影響で輸出18%減、輸入40%減、外国直接投資が30%減となった。上海証券取引所北京オリンピックを前に下落に転じた。ただし中国は内需を拡大しており、危機進行中の2008年時点でも消費は年間20%の上昇をみせていた。中国は危機にあたってアメリカのGSE保有を2007年水準まで減らし、他方で米国債が望ましい資産となったために財務省証券の購入を増やした[82]

胡錦濤政権のもとで、2008年11月には中国国務院が緊急会合を開いた。王岐山国務院副総理の主導で対策が立案され、財政政策としては4兆元(5860億ドル)の内需拡大十項措置英語版が進められた。この支出は高速鉄道・道路・飛行場・水利施設などのインフラに使われた[注釈 32]。金融政策としては、2008年11月に中国人民銀行が緩和策として預金準備率・基準金利を引き下げ、2009年5月には「固定資産資本項目資本金比率に関する通知」として、多くの業種で銀行借り入れの債務比率を引き上げることを認めた。これらの大規模な緩和策で銀行貸付が急増して2009年の新規貸付は9兆6000億元となり、政府は貸付を慎重にするよう通知を出した。このため当時はバブルの可能性について懸念も広がった[84][85][86][83]

金融緩和と財政支出の組み合わせにより、中国は世界最速で金融危機を脱出した。2009年の中国の経済成長率は9.1%となり、2008年をわずかに下回る程度で、世界で最も高かった。効果の規模は、FRBが行なった流動性供給と並んで世界経済に影響を与えた[87]。景気対策のために国債増発を必要としたアメリカ政府の要請に応え、アメリカ国債の大量購入でアメリカ経済を買い支えた[88]、北京オリンピックの経済効果も相まって世界のGDP増加の過半数が中国に関連し、景気刺激策によってオーストラリアやブラジルなど多くの貿易国が利益を得た[89]。しかし、景気刺激策によって中国でもシャドー・バンキング・システムが拡大することにもなり、2010年代に大きな問題となる[90]

東南アジア諸国

タイはGDPの70%を輸出や観光業が占めており、金融危機は国内の政権交代に拡大した。サマック・スントラウェート首相の辞任要求デモが行われて政権は2008年12月に解散し、次のアピシット・ウェーチャチーワ政権はただちに景気刺激策を行った。一般消費者への刺激策、高齢者への特別手当、公教育への補助、政府系銀行や小企業への融資などが実施された。輸出は2009年第3四半期に前年比で25%減となり、財政赤字はGDPの5.6%まで増加した[91]

マレーシアは輸出依存度が103%と高かったため実体経済への影響が大きく、2008年から2009年にかけて製造業は17.6%減、特に電子機器関連の工場は前年比44%減となった。アブドラ・バダウィ政権の景気刺激策は2009年にGDPの9%にあたり、バダウィ政権が解散したのちにナジブ・ラザクが刺激策は自らの実績だったと主張し、ラザク政権が成立した[92]

インドネシアでは輸出依存度が20%と小さく、金融危機への景気刺激策は減税を中心としていた。減税額は公的支出の10%、GDPの1.4%にあたり、対象は9700万人の労働者と4800万の企業のうちで納税登録された1000万人と20万の企業となった[91]

韓国

韓国はアジア圏において比較的損失が大きく、貿易急減、通貨切り下げ、流動性の減少が重なった。韓国の銀行は海外からUSドルを調達したのちにウォンに転換し、国内の株や債券に投資するという方法をとっていた。そのために金融危機で海外資産が目減りし、海外からの借入も停止した。ドル不足とウォン急落が起き、アジア通貨危機の際と類似の状況となった。2007年第2四半期の187.46億ドルから2008年第1四半期の17.37億ドルまで減少した[78]

日本

日本は失われた10年とも呼ばれた経済低迷やデフレーションの只中にあったが、金融危機が金融機関に与えた影響はアメリカやヨーロッパと比べて少なかった。日本の銀行ではサブプライムローンの証券化商品の保有が少なく、310億ドルの損失にとどまった[注釈 33]。比較的損失が少なかったため、野村ホールディングスは、破綻したリーマン・ブラザーズの2/3(韓国を除くアジア・欧州・中東部門)を買収した。三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)はモルガン・スタンレーの株20%を取得するために9000億円を出資したが、その後の株価は急落した。この出資は政府による支援の確約が条件で可能となった[94]

金融機関への影響と比べると、実体経済への影響は大きかった。中国・韓国・台湾向けの輸出減少によって輸出は50%減となった[注釈 34][95]。株価が急落し、日経平均株価は2008年10月8日と10月10日には歴代上位の下落率となった[96][97]。10月10日の日経先物では、株の売り注文が急増したために取引を強制停止させるサーキットブレーカーが史上2回目の発動をした。実質GDPは2008年第3四半期に3%、第4四半期に4%減少しており、これは同時期のアメリカを超える下落幅で、第一次石油危機も超えていた。企業は2009年問題もあって人員削減を進め、2009年3月末までに19万人の非正規労働者の雇用が失われた[98]。この人員削減が個人消費の落ち込みや内需悪化となり、さらに人員削減を招く悪循環が生じるという指摘もされた[99]。一時期7000円台に下落した日経平均株価は2009年6月に10000円台に上昇し、先進国の中では素早い回復であった。しかし、2009年7月の失業率は戦後最悪の5.7%、完全失業者数は359万人に達した[100]

麻生内閣の対策は、財政拡張と金融緩和だった。財政政策では、2008年10月から2010年10月にかけて5回の補正予算が成立し、追加支出は42.7兆円となった。金融政策では、2008年12月にFRBにならって政策金利のコールレートを0.1%に引き下げて実質的にゼロ金利となった。日本銀行は他国の中央銀行と協調で市場に流動性供給を行った。財政拡大によって増えた国債は日本の金融機関が消化した。中小企業の資金調達が困難となったため、金融庁は2008年11月に銀行監督基準を緩和し、中小企業金融円滑化法(2009年12月)へとつながった[101]

アフリカ

アフリカの経済は、2003年からの資源価格の上昇を受けて成長していた。2008年9月15日には、株式時価総額が比較的大きい7カ国(南アフリカ、モロッコ、エジプト、チュニジア、モーリシャス、ザンビア、ナミビア)の株価はいずれも大きく下落し、南アフリカなどへの資金流入が減少した[注釈 35]。しかし、金融危機の全体的な影響は欧米に比べると軽微だった。貿易の減少は、資源輸出国であるアンゴラ、ナイジェリア、ボツワナなどに影響を与えた[103][104]

危機後の各国GDPの推移

世界金融危機後から2017年までのGDP増加率(購買力平価)
Economy
Incremental GDP (billions in USD)
(01) 中華人民共和国の旗 中国
14,147
(02) インドの旗 インド
5,348
(03) アメリカ合衆国の旗 アメリカ
4,913
(-) 欧州連合の旗 欧州連合
4,457
(04) インドネシアの旗 インドネシア
1,632
(05) トルコの旗 トルコ
1,024
(06) 日本の旗 日本
1,003
(07) ドイツの旗 ドイツ
984
(08) ロシアの旗 ロシア
934
(09) ブラジルの旗 ブラジル
919
(10) 大韓民国の旗 韓国
744
(11) メキシコの旗 メキシコ
733
(12) サウジアラビアの旗 サウジアラビア
700
(13) イギリスの旗 イギリス
671
(14) フランスの旗 フランス
566
(15) ナイジェリアの旗 ナイジェリア
523
(16) エジプトの旗 エジプト
505
(17) カナダの旗 カナダ
482
(18) イランの旗 イラン
462
(19) タイ王国の旗 タイ
447
(20) フィリピンの旗 フィリピン
440

[105]

危機後の影響

2008年10月の各国の対応によって、金融危機はいったん収束へと向かう。アメリカでは銀行の資本増強が行われたが、ヨーロッパは共通の対策がドイツによって拒否されたために各国ごとの対策にとどまり、資本増強は不十分に終わった。この違いは、のちに2010年のユーロ危機によって表面化した[106]。全米経済研究所は2010年9月20日に、2007年12月からのアメリカの景気後退は2009年6月に終了していたとコメントした。しかしこれはアメリカ国内の景気循環について述べたものであり、余波について触れていない。世界金融危機によって韓国通貨危機(2008年-)、ドバイ・ショック(2009年11月)、ユーロ危機(2010年-)などが起きて経済にマイナスの影響を残したほか、2014年クリミア危機のように金融危機の余波による政治危機も起きている[107]

ウォール街を占拠せよのデモ(2011年10月1日)

全世界の失業者は2700万人から4000万人に達したといわれる[38]。他方、政府支援を受けた企業が高待遇を続けたために批判を受ける場合もあった。ウォール街では、投資銀行、資産運用会社、ヘッジファンドなどの幹部が2009年夏に1450億ドルの利益を得ており、2008年の1170億ドルを超えていた[注釈 36][109]。GM、フォード・モーター、クライスラーの各首脳は公的支援を求めてアメリカ議会の公聴会に出席した際、自家用ジェット機を使用したため議員から批判された[110]。政府の資金注入を受けたイギリスのロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)は、銀行業界で過去最大のボーナスを支給して批判され、CEOのフレッド・グッドウィン英語版が引責辞任した。AIGアメリカン・ゼネラル社幹部は救済決定後にリゾート地で44万ドルの会合を開催し、2009年3月に幹部73人に100万ドル以上のボーナスを支払い、支給直後に11人が退社した。これに対して、ボーナスの90%(地方税の10%相当を加えて事実上は100%)を所得税課税する法案が可決された[注釈 37][112]。アイスランドでは、アイスセーブを提供したランズバンキ銀行などの幹部が起訴されて有罪となった[75]。金融業界の不祥事は就職にも影響を与え、マサチューセッツ工科大学(MIT)の2009年の卒業生で金融業を選ぶ者は2006年から2008年と比較して45%減少した[113]

金融危機は、現在の金融システムが債務に依存しているという批判のきっかけにもなった。20世紀後半から世界金融危機までは、高額所得者に占める金融業者の割合が増加を続けた時代であった[注釈 38][114]。さらには、富裕者とそれ以外の所得格差が拡大した時代でもあった[注釈 39][115]。2011年9月17日、ウォール街でデモを起こす呼びかけがFacebookで拡散され、ウォール街を占拠せよと呼ばれる抗議活動の始まりとなった。マンハッタンのズコッティ公園には2000人が集まってソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)で活動の様子が拡散された。10月には全米各地で100以上の占拠活動やデモが起き、世界各地にも影響を与えた。2011年10月15日にはローマで10万人から40万人、スペインで100万人、ポルトガルで数十万人が集まって緊縮財政への反対デモが開催され、他にも世界の900以上の都市で支援デモがあった[注釈 40][12][116]

アメリカ

オバマ政権

危機の最中に大統領選挙が行われ、2008年11月にはバラク・オバマが当選した。ブッシュ政権時代からオバマと民主党は危機の対策に協力しており、緊急経済安定化法案では民主党の賛成が共和党よりも多かった。オバマ政権のもとで民主党が上院と下院を支配下に置き、経済政策の人事は市場に歓迎された[注釈 41]。しかし景気は回復に向かったものの、危機の対策では住宅ローンの債務者よりも金融機関が優先されたため、オバマ政権への不満が高まり2010年の中間選挙で民主党は大敗する[118]。他方、共和党はブッシュ政権時代の緊急経済安定化法案で多数の反対者を出すなど分裂を起こした。2012年の大統領選がオバマの勝利に終わると共和党内の分裂はさらに進み、2016年のドナルド・トランプ政権への遠因となる[119]

格差の拡大

危機によってアメリカの格差は拡大した。年間経済生産14兆ドルに対して、2008年の住宅価格は5.5兆ドルの下落と巨額に達した。サブプライムローンの証券化は、価格の暴落分を債務者の純資産に吸収させる構造だったため、高所得者がより有利になり、低所得層がより不利になった[注釈 42][120]。2007年から2009年の間に住宅を差し押さえられた世帯はアメリカだけで400万世帯に及び、2007年3月から2009年3月の間に民間部門で600万人が失業した[121]。住宅所有で破綻が多かったのはヒスパニック系の人々でもあり、社会集団の分離にもつながった。平均資産は2007年から2010年の間に56万ドルから46万ドルに減ったが、富裕層をのぞくとより深刻であり、中央値の世帯は10万ドルから5万7800ドルと半減した。住宅ブームの最多の参加者だったヒスパニック系は、86%減と最も厳しい状況になっている[122]

銀行規制・消費者金融保護
2011年7月、消費者金融保護局の初代長官リチャード・コードレイ(右)と、消費者金融保護局設立を提唱したエリザベス・ウォーレン(左)

危機を反省した規制として2010年にドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法が制定され、FRBがシャドー・バンキング・システムを監督規制することとなった[123]。破産法の専門家であるエリザベス・ウォーレンアメリカ合衆国消費者金融保護局英語版(CFPB)の設立を提唱し、オバマ政権はCFPB設立とウォーレンの長官任命を検討した。しかし共和党を中心とする反対を受け、2011年にCFPBは設立されたが初代長官はリチャード・コードレイが就任した[124]金融調査局英語版(OFR)が2013年にレポートを提出し、資産運用会社や運用ファンドも金融システム安定化の脅威になりうると結論した。そこでこれらもシステム上重要な金融会社英語版(SIFI)への指定が検討されたが、資産運用会社のフィデリティ・インベストメンツブラックロックが反発し、証券取引委員会(SEC)も警戒感を示した。そしてドッド・フランク法が改正されるまでファンドマネージャーレベルでの規制はなされず、商品や業務のリスクに注目した監視だけが行われた[123]

ヨーロッパ

ヨーロッパ諸国では若者層を中心とする高い失業率や、国家の財政危機が深刻化した。緊縮財政は経済的困窮や健康の悪化を招いて国内の不満を高めた。危機への対応としてEUレベルで銀行の資本増強が求められたが、国際金融協会(IIF)を中心とする業界が銀行への規制であるという論点から反対し、実現しなかった。そのため、のちにユーロ危機の発端になった公債市場の暴落に銀行は対応できなかった[125]。東欧諸国やバルト三国は危機が起きる前からユーロ圏加盟を進めていたが、延期や後退が起きた。エストニアは2011年、ラトビアは2014年、リトアニアは2015年にユーロ圏に加盟した[126]

ヨーロッパ系銀行は世界金融危機の損失に加えて、いくつもの問題を抱えた。(1) 欧州の国債の不良債権化、(2) ユーロ圏の問題による新規事業の停滞、(3) バーゼルIIIによる規制、(4) アメリカやアジアの銀行との競争、(5) 資金調達の困難、などがある[127]

早期の回復国

アイスランドは社会保障維持、IMFの緊縮財政案の拒否、所得格差是正、金融機関の起訴などによって回復に向かった。2012年にGDP成長率が3%となり、格付けでも危機対応が評価されて上昇し、所得格差は他の北欧諸国と同レベルになった[75]。さらに、国家危機の再発を防ぐためにインターネットの国民投票をもとに憲法を改正した。2012年に改正された新憲法には、政治家と銀行の癒着の防止が含まれている[128]

ユーロ危機
Budget Deficit and Public Debt to GDP in 2012
ヨーロッパ諸国の2012年の財政赤字と公的債務の対GDP比。緑がEUの安定・成長協定(SGP)の範囲内である。

金融危機後に財政悪化が注目された国々は、支払い不能に近いギリシャとポルトガル、不動産バブルが崩壊したアイルランドとスペイン、巨額の政府債務があるイタリアだった。特にギリシャとアイルランドが債務の再編を必要としていたが、両国の国債は暴落し、緊密な金融システムをもつヨーロッパ全体に波及してユーロ危機が起きた[129]

イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ政権は、EUとIMFが支援と引き換えに求める年金制度改革を2011年に拒否した。このためにイタリアはIMFの支援を得られないまま監視下に置かれるという状況になり、市民は退陣要求デモを行い、連立与党の北部同盟も首相の辞任を求めた。ベルルスコーニは辞任し、経済学者のマリオ・モンティが首相に就任した[注釈 43][131]

スペインでは2011年11月にサパテロ政権に代わってマリアーノ・ラホイ政権が誕生したが、2012年にはバンキアが破綻して国有化され、国債の高騰・財政赤字の膨張が起き、若者層の失業が55%に達した。2015年にはスペインの二大政党制は崩壊した[132]。ポルトガルは緊縮財政によってスペインよりも景気後退が深刻であり、失業率が40%・若者層では60%まで上昇した。2011年に成立したペドロ・パッソス・コエーリョ政権はユーロ圏の維持を主張したが、2015年の選挙ではアントニオ・コスタ率いる連立左派政権が成立した[133]

イギリスの欧州連合離脱(Brexit)
EU離脱是非を問う国民投票の1週間前に、残留支持のジョー・コックス議員が殺害された。写真はコックスを追悼する人々。

イギリスは金融危機の損失がヨーロッパ最大であり、13年間におよぶ労働党政権が終わったが、保守党も単独政権は不可能で自由民主党との連立政権となった。デーヴィッド・キャメロン政権は緊縮財政を続け、2016年までに公共部門で100万人以上の雇用を削減し、地方自治体の支出を30%以上削減した。経済協力開発機構(OECD)によれば、ギリシャ・アイルランド・スペインを除けばイギリスが最も経済収縮を起こした国だった[134]

2011年12月のEU首脳会議では、EUの統合を進める財政協定が検討され、イギリスと他の加盟国のあいだで対立が起きた。キャメロン政権は、イギリスの独立性の保持をEUに求め、財政協定で譲歩が得られないならEU離脱を国民投票に問うと主張した。しかしEU側は譲歩せず、キャメロン政権はEU離脱是非を問う国民投票の実施を決定した[注釈 44]。キャメロン自身はEU残留支持派だったが、2016年6月23日の国民投票は離脱支持51.9%、残留支持48.11%となり、イギリスの欧州連合離脱(Brexit)が決定した[136]。スコットランドには残留支持の投票が多かったため、Brexitはスコットランド独立運動に影響を与えた。スコットランド自治政府ニコラ・スタージョン政権は、イギリスからの独立を問う住民投票の実施と、EUへの加盟を目指している[137]

NIS諸国

クリミア危機・ウクライナ東部紛争で破壊されたウクライナのドネツィク国際空港(2014年12月)

ウクライナは2008年のIMF支援がもたらした緊縮政策で国内の不満が高まり、2010年にヤヌコーヴィチ政権が成立する。EUとロシアはウクライナへの支援を申し出る代わりに、それぞれ条件を出した。EUの条件はEU連合協定であり、ロシアの条件はユーラシア関税同盟への参加だった。ウクライナ世論はEU派とロシア派で二分され、2013年に数十万人の市民が反ヤヌコーヴィチ政権のデモを行った(2014年ウクライナ騒乱)。ヤヌコーヴィチはロシアへ亡命し、2014年にクリミア危機・ウクライナ東部紛争が起きた。ウクライナは資本規制をしなかったため外貨準備高が急減し、2015年2月にウクライナ国立銀行は公式為替レートの発表を停止し、IMFは支援の再開とともに債務再編を認めた[138]

ロシアの外貨準備高は2014年には5100億ドルに達して危機から回復していたが、ウクライナとの紛争が始まると為替市場が11%以上急落した。さらにマレーシア航空17便撃墜事件が原因となった西側の経済制裁、FRBのQE3終了、原油価格の下落なども重なって財政難に陥った。2014年から2015年にGDPは10%以上減少し、ロシアの市民にとっては2008年から2009年の危機を超える厳しさだった。ロシアの苦境は周辺のNIS諸国にも影響し、ベラルーシ、カザフスタン、アゼルバイジャンの通貨が50%の暴落、モルドバ、キルギス、タジキスタンの通貨は30%から35%下落した[139]

アジア

中国

中国は金融危機の対応で世界経済の回復を牽引して高く評価され、国際的な影響力を高めた[注釈 45][141]習近平政権においても経済成長は続いたが、危機対策による巨額の債務が残った。2009年の段階で政府赤字、債券発行、銀行への貸付を合計すると6兆4870億元であり、GDPの19%を超える額となった[注釈 46][143][144][145]。シャドウ・バンキング・システムは中国でも拡大しており、理財商品と呼ばれる高金利の金融商品が中心になっている。地方政府が資金調達に用いる地方融資平台(融資プラットフォーム)でも理財商品が扱われ、金融危機の対策だった4兆元の景気刺激策によって急増した。2013年の地方政府の債務は17兆元、2017年の金融機関以外の民間債務はGDPの165%まで増加している。理財商品は10年代から次第に不良債権化しており、政府は対策を進めている[146]

2014年には中国の外貨準備高は4兆ドルまで増加し、中国企業の対外債務1兆ドルのうち8000億ドルが欧米大手金融機関への債務になっていた。しかし中国経済の減速と、原油価格の急落、さらに汚職撲滅運動で富裕層が資産を国外に流出させたことが重なり、人民元が下落を始める。2015年6月12日には上海総合株価指数が30%下落して中国株の暴落となった。企業と投資ファンドの人民元投入で一時的に安定したものの、8月の人民元切り下げで下落が続いた。2016年には株価指数は半減し、外貨準備高は3兆ドルまで落ちた。一時は中国発のグローバルなデフレも警戒されたが、中国政府は新たなペッグの設定・資本移動規制強化・信用拡張・景気刺激策・過剰生産能力の削減などを打ち出して鎮静化にあたった[147]

東南アジア

金融危機の対策を主張して成立したマレーシアのナジブ・ラザク政権は、国際金融地区の建設のために1マレーシア・デベロップメント・ブルハド(1MDB)という投資会社を設立する。しかし不正の発覚によって、2018年には野党から出馬したマハティール・ビン・モハマド政権が成立し、マレーシア初の政権交代が起きた。ラザクは10億ドル規模の汚職で有罪となった[92]

日本

日本銀行は、金融危機後の景気後退への対策として2010年10月から包括的金融緩和を行い、国債の他に上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(REIT)などのリスク資産の買い入れを始めた[注釈 47]東日本大震災の被害も大きく、経済のみならず社会に深刻なダメージを受けた。日銀は物価上昇率2%を目標としたが、円高やデフレは解消されず国内外で批判が高まり、白川方明日銀総裁は任期満了前の2013年に退任した[149]

第2次安倍内閣アベノミクスと呼ばれる一連の経済政策を掲げ、日銀は黒田東彦総裁のもとで緩和政策を続けた。しかしデフレは続き、失われた20年とも呼ばれるようになった。2013年から2016年の実質GDP成長率は2010年から2012年よりも低下し、実質賃金は下落した。2013年前後から雇用環境は改善したものの、平均給与はリーマン・ショックの下落を回復した程度にとどまっている。OECDによる2015年時点の調査では、日本の相対的貧困率は加盟国33カ国中で9位となった。2016年にはエンゲル係数が約30年前の水準まで上昇し、実質消費は改善されず、安倍内閣による2014年4月の消費税増税が景気回復を後退させたという見方がある[150][151][152]。2017年には、日銀がETF市場全体の純資産総額の70%にあたる15兆9300億円を保有し、日本株の第1位の株主が日銀、第3位が年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)となった。結果的に中央銀行が大企業を優遇する状況になり、株式市場の価格形成の歪み、コーポレートガバナンスへの悪影響、将来の量的緩和縮小による株価下落のリスクなどが懸念されている[注釈 48][154][155][156]

国際機関

世界金融危機は、IMFをはじめとする国際機関の方針や経済学者の思想に変更をもたらした。20世紀後半以降の金融危機であるメキシコ通貨危機英語版(1994年)、アジア通貨危機(1997年)、ロシア金融危機(1998年)、ブラジル通貨危機英語版(1999年)、アルゼンチン金融危機英語版(2001年)などが起きた際には、国内に問題があるといわれていた。危機が起きた国々では、金融危機を防ぐための金融規制や財政規律などが不完全であり、国内改革が必要だとされていた。しかし、世界金融危機によってグローバル金融システムそのものの監督や規制が課題となった[157]

緊縮財政

IMFは支援の条件として各国に緊縮財政を求めた。しかし緊縮財政によって、ヨーロッパのユーロ危機をはじめとして問題が頻発した[158]。IMFの内部監察を行う独立評価機関(IEO)は、2014年11月4日の報告書で、IMFが金融危機後に主要先進国に緊縮策・予算削減を求めたことは誤りだったとの判断を示した[159]

資本規制

IMFは2012年に資本規制と、国境を越える資金フローへの制限を認めた。世界金融危機が起きるまでは、金融危機は国内問題だと解釈されていた。IMFや欧米の経済学者は、危機の起きた国が資本の活用や危機を防ぐ金融機関の健全性規制・財政規律・金融統制などを行わなかったのが理由だと分析した。しかし世界金融危機は先進国と呼ばれる国々から発生しており、グローバル金融市場の監督や規制に問題があるとされるようになった。IMFが資本規制を認める条件には、マクロ経済政策やプルーデンス政策が資金流入に対応できない場合や、景気の加熱などがある[160]

会計監査

国際会計基準審議会(IASB)は、2008年に会計基準を変更した際に適正手続を取らなかったために批判を受け、IASBが推進してきた公正価値会計も批判された[注釈 49]。IASBは公正価値会計の全面適用から方針を変更し、調整機関としての活動を増やすこととなった[9]

危機によって会計監査報告の信頼性や監査人の役割に疑問がもたれ、欧州委員会(EC)や国際監査・保証基準委員会英語版(IAASB)は規制を強化した。IAASBは2011年に監査報告を改革して、2015年に国際監査基準(ISA)を公表した。EUでは監査委員会と監査人の協力で改革を検討し、監査報告書の透明化を進めた。2014年には法定監査指令にEUの統一監査報告書が導入され、加盟国に適用された。IAASBとEUの改革にドイツやフランスも適合し、イギリスやオランダはIAASBよりも早く新監査基準を成立させたのちに適合を果たした。アメリカでは2017年に新監査基準がSECに承認された[10]

原因と対策の研究

1800年以降に銀行危機が発生した国の数。1945年から1971年までのブレトン・ウッズ体制期には銀行危機が事実上存在しない。ケネス・ロゴフとカーメン・ラインハートの研究(2009)の図10.1と同様[162]

金融危機の原因については議論が続いている。(1) 金融の自由化・市場の自己調節機能・政府の規制の不可能性をはじめとする思想が経済学者や専門家に影響を与えたというする説、(2) 住宅市場を支えようとする政府の介入が過度だったという説、(3) 銀行の利益団体とコミュニティ・グループの協力によって起きたとする説、などがある[163]。バブル経済の研究で知られる経済学者のチャールズ・キンドルバーガーは、晩年は不動産市場に注目していた。2002年のウォールストリートジャーナルのインタビューで、銀行がそろって住宅担保ローンを売ろうとしており、危険な兆候だと語っていた[164]

家計債務の増加

近年の研究によって有力とされる説が、債務者の消費減少にある。特に家計債務の大幅な増加が景気後退につながるとする説である。債務者の家計支出の減少は、家計債務の上昇と相関関係がある[165]

国民所得・生産勘定英語版(NIPA)のデータによれば、GDP成長率を引き下げた最大の理由は、住宅投資の減少である。銀行危機が起きる前から家計の消費は減っており、景気後退の3四半期においても同様だった。純資産が減った人間は支出を控えることが明らかにされており、(1) 家計債務の上昇、(2) 家計の消費の減少、(3) 景気後退による企業投資の減少や大量解雇につながったとされる[注釈 50]。1997年から2007年にかけて家計債務が急増した地域と、2008年から2009年に家計支出が急落した地域は一致する[注釈 51]。戦後の5大銀行危機の全てで、不動産価格の高騰と経常収支の赤字が起きている。そして、金融危機発生前には民間債務が急増したことも明らかになっている[注釈 52][169]

銀行部門が景気後退の原因であり、リーマン・ブラザーズを救済しなかったのは間違いであるという説も存在するが、NIPAのデータとは矛盾する[170]。金融危機の当初は、経済学者や政策立案者は銀行を景気後退の原因として救済した。その後の研究によれば、家計債務(特に住宅ローン債務)の減免の方が金融危機の回避に役立ったというデータが集まっている[注釈 53]。のちに、国家経済会議委員、住宅都市開発長官、経済顧問などオバマ政権の当局者やIMFも、住宅ローン減額を選択しなかったのは誤りと認めた[172]

格差

所得格差の拡大を金融危機の一因とする説もある。特にアメリカでは、金融危機前の1977年から2007年にかけての国民経済の成長は、最も裕福な層が75%を得ていた。この期間の経済成長は低かったため、実質的に低所得者層や中間所得者層の賃金の停滞につながった。中間所得者層や低所得者層の購買力が低下するために借金が増え、金融機関が融資を拡大する余地が増えた[173]

ロビー活動

アメリカの銀行によるロビー活動を一因とする研究がある。カントリーワイド・フィナンシャル英語版アメリクエスト英語版は、2002年から2006年にかけて3000万ドルを献金とロビー活動に使い、サブプライムローンを規制する可能性がある法案の成立を妨害したとされる。この2社は貧困層に融資をしていた最大手であり、違法ではないが公共の利益を損なう活動として批判された[174]

出典・脚注

注釈

  1. ^ 2001年FRBの政策金利は誘導目標を年初の6.5%から12月の1.75%まで引き下げを行った[20]
  2. ^ 既にFRBは年初から7回利下げを実施していたが、事件後の9月17日に緊急利下げをおこない、12月までにさらに4回の利下げを実施した[注釈 1]
  3. ^ この低金利政策は当初は正当視されていたものの、その後、不動産、住宅、債券などの資産バブルが明らかになると、ITバブル崩壊後の低金利政策が資産バブルの温床となったとして批判された[21]
  4. ^ 規制当局は、特別目的会社(SIV)に含まれる資産が銀行のバランスシートに計上されていると仮定した場合に必要な資本の10%が裏付けられていれば問題ないと判断した[23]
  5. ^ 短期資金を調達し、長期の資産に運用するという満期変換は、銀行の場合ロールオーバー・リスクや取り付けの危険をはらんでいる。シャドーバンクも同様であるが、市場性資金を運用するので、銀行よりも高いリスクを抱え、実際に取り付けが起きた[24]
  6. ^ 満期変換の回数については、投資銀行や証券会社が行うレポ借入のそれが194回という世界記録を残し、MMFも41回というリスキーな数値であった[24]
  7. ^ 2006年には、新しい住宅ローンの70パーセントがサブプライムや非従来型ローンで占められ、発行額は2001年の1000億ドルから2005年の1兆ドルまで増加した[25]
  8. ^ 最初の3年は低利固定型の返済で、残金は4年目以降に変額型金利ローンとなる契約のものが中心だった。住宅価格が上昇する間は短期で住宅を転売することで有利に住宅を購入でき、あるいは転売益が期待できるというものであった。また値上がりによる担保価値の上昇分を担保にさらにクレジットローンを提供するサービスなども登場した[3]
  9. ^ トリプルAを提供しない評価モデルを使っていたフィッチレーティングスリミテッドは、サブプライムビジネスにほとんど関与できなかった[27]
  10. ^ ある格付け専門家の2006年のメールには、「砂上の楼閣が崩壊するまでに、私たち皆が金持ちになり、引退していますように」と書かれていた[27]
  11. ^ 2007年の第4四半期から2008年の第1四半期には前年比で30%の下落となった[31]
  12. ^ これに対して取得原価主義であれば、機関投資家は株式などの金融資産で含み益を持つことができる。アメリカは世界恐慌の影響で資産の再評価を認めない取得原価が採用されたが、のちに時価評価に変わっていた[36]
  13. ^ リーマンの抱えていた問題は次のようなものであった。(1) MBSやCDOの不良債権化による自己資本の毀損、(2) 90万を超えるCDS契約によるカウンター・パーティ・リスクの増大、(3) CP債務78億ドルとレポ債務1970億ドル(2008年3月末)。
  14. ^ 他方、AIGは高格付けCDOのデフォルト率を低く見積もっていたので、CDSのネットでの売りポジションをヘッジしていなかった。AIGの売ったCDSは多くの投資銀行に保有されていたので、リーマンと異なり公的資金が投入された[37]
  15. ^ リーマン保有のCDSは、リーマンの清算価格が8.625%に決まったので、CDSの売り手に91.375%を保証させた[37]
  16. ^ ターム・オークション・ファシリティ英語版(TAF)、プライマリー・ディーラー向け貸出ファシリティ英語版(PDCF)などへの支援の他に、FRBみずからがSPVを設立して貸出業務を行うという方策も用いた[43]
  17. ^ 6中央銀行はFRBのほか日本銀行、ECB、BOE、カナダ銀行スイス国立銀行(SNB)。“日米欧の6中央銀行 大量のドル供給は危機感の表れ”. MSN産経ニュース. (2008年9月19日). http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080919/fnc0809190001000-n1.htm 2008年9月19日閲覧。 [リンク切れ]
  18. ^ 供給を行った中央銀行はFRB、日銀、ECB、BOE、SNB、カナダ銀行、デンマーク国立銀行ノルウェー中央銀行オーストラリア準備銀行スウェーデン国立銀行ブラジル中央銀行韓国銀行メキシコ銀行ニュージーランド準備銀行シンガポール金融管理局である[5]
  19. ^ 最後の貸し手とは、通常は中央銀行に求められる役割である。市中銀行の取り付け騒ぎの防止策として、中央銀行が最後の貸し手となって市中銀行に制限なく貸し出しをしたり、銀行預金に保険をかける[45]
  20. ^ 危機の最中に公開すれば、流動性支援が必要な銀行が明らかになるため、FRBは法的手段も使って秘密を守ろうとした[46]
  21. ^ 共和党からは、この法案が社会主義でアメリカにふさわしくないという批判もあった[51]
  22. ^ 欧州の金融機関の危機やカリフォルニア州の州財政の危機などが市場で蒸し返されたとされる。ニューヨークロンドンなどの主要市場は大きく株価が下落し、モスクワ証券取引所イスタンブール証券取引所インドネシア証券取引所など新興国の株式市場でも急落や閉鎖が起きた。
  23. ^ 銀行は公的資金注入を受け入れる代わりに、企業当座預金と2009年夏までの新規債券に対して、同年の満期となる債券の125%を上限にFDICの保証を得た。配分はニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナーによって決められた[54]
  24. ^ 2009年6月1日にGMは連邦倒産法第11章の適用を申請し、負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)という製造業としては史上最大であった。GMはアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有した[56]
  25. ^ ドイツのペール・シュタインブリュック財務大臣は、アメリカはまもなく金融大国の役割を失うと発言した。フランスのニコラ・サルコジ大統領は自由放任主義が終わったと発言した。イタリアのジュリオ・トレモンティ英語版財務大臣は、イタリアの銀行システムは英語を話さないので大丈夫だと語った[60]
  26. ^ カハの多くは、スペインの二大政党のいずれかに関係していた[66]
  27. ^ カレンシーボード制アジャスタブル・ペッグ制英語版を採用していた[70]
  28. ^ 住宅価格は50%減、公務員解雇で教師の30%減、公務員給与の35%削減などが行われ、失業率は20%となった[71]
  29. ^ 金融危機以前のアイスランドでは、人口1%未満の金融界や実業界に富が集中していた[72]
  30. ^ 資産運用に関しては特別許可の案件か、合格境内机构投资者英語版(QDI)と呼ばれる案件でだけ認められていた[80]
  31. ^ 4大国有商業銀行と呼ばれる大銀行の中で、中国工商銀行中国銀行中国建設銀行は株式公開を終えたばかりだった[80]
  32. ^ 10大産業支援策として、自動車・鉄鋼・紡績・設備機械・船舶・石油化学・軽工業・有職金属・電子情報・物流に支援が行われた[83]
  33. ^ 保有が少なかった原因としては、(1) 円高期待によって、金融機関がUSドル建て金融商品を購入しなかった。(2) 金融当局の金融監督体制が改良されていた。(3) 証券化商品の資金調達がアメリカとは異なっていた。(4) 2000年代に住宅バブルがなかった。(5) 流動性供給の状況がアメリカとは異なっていた、などがある[93]
  34. ^ トヨタ自動車は全世界の生産が22%減少し、ソニーは26億ドル、東芝は28億ドル、パナソニックは38億ドルの損失だった[95]
  35. ^ 当時この中で、ヨーロッパ依存の大きい国はモロッコ、チュニジア、モーリシャスであり、アメリカ依存の大きい国は南アフリカ、エジプト、ナミビアだった[102]
  36. ^ ゴールドマン・サックスは報酬とボーナスに162億ドル、シティグループは50億ドルのボーナスを支払った[108]
  37. ^ 社員の一部はボーナス返還要求を拒否して法的処置を模索した[111]
  38. ^ アメリカでは1979年から2005年の間に最上位所得層に占める金融業者の数が2倍になった。イギリスでは1998年から2007年にかけて最上位所得層の金額の60%が金融業者のものだった[114]
  39. ^ アメリカでは1992年には純資産分布の上位10%が富の66%を所有し、2007年には71%に上昇した[115]
  40. ^ ロンドン、パリ、ソウル、マニラ、ベルリン、ムンバイ、アムステルダム、香港でキャンプ村が設置された[116]
  41. ^ 財務長官はニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナー、国家経済会議の委員長はラリー・サマーズ行政管理予算局の局長はハミルトン・プロジェクト英語版でオバマの仲間だったピーター・リチャード・オルザグ大統領経済諮問委員会の委員長は世界恐慌史の研究者であるクリスティーナ・ローマーだった[117]
  42. ^ 損失の比率は、上位20%の富裕層の債務比率が7%であり、下位80%の層が債務比率の大半を占めた[120]
  43. ^ ベルルスコーニは過去に数々の起訴歴があり、2011年2月にもスキャンダルを起こしていた。ボッコーニ・ボーイズ(Bocconi boys)と呼ばれるエコノミストやトレモンティ財務相は、金融危機におけるベルルスコーニの対応を懸念していた[130]
  44. ^ キャメロン政権が2016年に国民投票を決定した理由として、(1) 大都市の保守党支持を確保する、(2) イギリスの影響力でEUの方針を変更させる、(3) EUとの交渉にはユーロ圏が安定する2013年から2016年が望ましい、などがあった[135]
  45. ^ ピュー・チャリタブル・トラスト英語版の世論調査によれば、中国を世界経済のリーダーと考える人が2010年のアメリカとヨーロッパでは最多となった[140]
  46. ^ 中国の対応に関しては批判も起きた。アメリカのヘンリー・ポールソン財務長官や後任のティモシー・ガイトナーは2009年1月に、中国や産油国をはじめとする新興国の過剰な貯蓄が金利低下をもたらしてリスクを拡大させた、中国が為替操作をしている、などと述べた[142]
  47. ^ EFTの残高上限は当初4500億円だったが、2011年に9000億円、2014年に3兆円、2016年に6兆円へと増額された[148]
  48. ^ 間接的にせよ、株式を金融緩和目的で購入した中央銀行は日銀のみである[153]
  49. ^ 公正価値会計への批判には、収益費用観と資産負債観に代表される会計観の違いや、景気循環増幅効果英語版などマクロ経済の観点からの批判も含まれている[161]
  50. ^ 住宅資産からの限界消費性向についての研究にもとづいている。当時の住宅価値が5.5兆ドル減少したことから計算すると、少なくとも2750億ドルから3850億ドルの消費が失われた[166]
  51. ^ ルーベン・グリック(Reuven Glick)とケビン・ランシング(Kevin J. Lansing)の研究による。グリックとランシングはOECD加盟の16カ国を調査しており、さらにIMFが36カ国に拡げて調査した[167]
  52. ^ カーメン・ラインハートケネス・ロゴフの研究、およびモリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)とアラン・M・テイラー英語版の研究による。5大銀行危機とは、1977年スペイン、1987年ノルウェー、1991年フィンランドとスウェーデン、1992年日本を指す[168]
  53. ^ 債務減免政策も提案されていたが、実施されなかった。主なものとして、(1) 住宅ローンの見直し制度。2008年10月にジョン・ジーナコロプスとスーザン・コニャックが提案。(2) 住宅ローンの変更手続き(クラムダウン)。(3) 元本の減額。2007年10月にドリス・ダンギーとビル・マックブライドが提案[171]

出典

  1. ^ The Second Great Depression : Why the Economic Crisis Is Worse Than You Think. Retrieved 8 May 2014.
  2. ^ トゥーズ 2020, pp. 188, 190.
  3. ^ a b c d 柴田 2016, 序章.
  4. ^ トゥーズ 2020, pp. 183–187.
  5. ^ a b 柴田 2011, p. 9.
  6. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 583–584.
  7. ^ Łukasz Mamica, Pasquale Tridico, Economic Policy and the Financial Crisis, Routledge, 2014, p.6.
  8. ^ Anastasia Nesvetailova, 'Liquidity' in Light of the Shadow Banking System: Lessons from the Two Crises, in Economic Policy and the Financial Crisis
  9. ^ a b c 森 2019, pp. 63–68.
  10. ^ a b 小松 2019, pp. 32–34.
  11. ^ a b ミアン, サフィ 2015, pp. 3409-3417/4780.
  12. ^ a b パッカー 2014, pp. 564–573, 586–591.
  13. ^ a b 福光 2005, pp. 58, 70–73.
  14. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 1112–1134, 2470/4780.
  15. ^ a b c NASDAQ Historical Price”. Yahoo! Finance. 2010年1月11日閲覧。
  16. ^ a b Dow Jones Industrial Average Historical Price”. Yahoo! Finance. 2010年1月11日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h i Economic Data”. セントルイス連銀. 2010年1月11日閲覧。
  18. ^ a b 主要国・地域の中央銀行政策金利”. 日本銀行. 2010年1月11日閲覧。
  19. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 2271-2327/4780.
  20. ^ 篠原・櫨(2008)
  21. ^ 篠原・櫨(2008)
  22. ^ 篠原・櫨(2008)
  23. ^ a b c トゥーズ 2020, pp. 80–81.
  24. ^ a b c d 北原 2012.
  25. ^ トゥーズ 2020, pp. 73–74.
  26. ^ トゥーズ 2020, pp. 64–67.
  27. ^ a b トゥーズ 2020, p. 75.
  28. ^ トゥーズ 2020, pp. 74–75.
  29. ^ S&Pケースシラー住宅価格指数
  30. ^ トゥーズ 2020, p. 74.
  31. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 833-841/4780.
  32. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 833-860/4780.
  33. ^ BNP Paribas Freezes Funds as Loan Losses Roil Markets”. Bloomberg. 2010年2月11日閲覧。
  34. ^ a b 柴田 2016, pp. 42–48.
  35. ^ トゥーズ 2020, pp. 165–167.
  36. ^ a b 辻村 2009, pp. 91, 96, 102.
  37. ^ a b c 柴田 2016, pp. 52–54, 56.
  38. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 185–187.
  39. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 183–185.
  40. ^ トゥーズ 2020, pp. 194–195.
  41. ^ トゥーズ 2020, pp. 223–224.
  42. ^ トゥーズ 2020, pp. 269–270.
  43. ^ トゥーズ 2020, pp. 241–243.
  44. ^ トゥーズ 2020, pp. 237, 246–248.
  45. ^ ミアン, サフィ 2015, p. 2949/4780.
  46. ^ トゥーズ 2020, p. 252.
  47. ^ トゥーズ 2020, pp. 236–244, 250–252.
  48. ^ 柴田 2011, pp. 9–10.
  49. ^ 森 2019, p. 63.
  50. ^ ソール 2018, pp. No.4543-4611/5618.
  51. ^ トゥーズ 2020, p. 211.
  52. ^ a b “NYダウ最大の下げ、終値777ドル安 下院が金融安定化法案否決”. 日本経済新聞. (2008年9月30日). オリジナルの2008年10月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081003003842/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080930AT2M3000E30092008.html 2008年9月30日閲覧。 
  53. ^ トゥーズ 2020, pp. 211–216.
  54. ^ トゥーズ 2020, p. 229.
  55. ^ トゥーズ 2020, pp. 228–229.
  56. ^ “GM破綻、米政府が発表 破産法申請「国有化」で再建へ”. 朝日新聞. (2009年6月1日). http://www.asahi.com/special/08017/TKY200906010065.html 2019年4月5日閲覧。 
  57. ^ 柴田 2011, pp. 8–9.
  58. ^ 柴田 2011, pp. 4–5.
  59. ^ 坂本 2015.
  60. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 85–88, 179.
  61. ^ トゥーズ 2020, pp. 217–218.
  62. ^ トゥーズ 2020, pp. 225–226.
  63. ^ トゥーズ 2020, pp. 219–220, 226–227.
  64. ^ トゥーズ 2020, pp. 222–223.
  65. ^ トゥーズ 2020, pp. 211–219.
  66. ^ トゥーズ 2020, pp. 512.
  67. ^ トゥーズ 2020, pp. 512–513.
  68. ^ トゥーズ 2020, pp. 266–270.
  69. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 272–275.
  70. ^ 金京 2010, p. 69.
  71. ^ トゥーズ 2020, p. 275.
  72. ^ スタックラー, バス 2014, pp. 1575, /4865.
  73. ^ スタックラー, バス 2014, pp. 1518-1554/4865.
  74. ^ スタックラー, バス 2014, pp. 1466–1479, 1561/4865.
  75. ^ a b c スタックラー, バス 2014, pp. 1812-1893/4865.
  76. ^ トゥーズ 2020, pp. 259–263.
  77. ^ トゥーズ 2020, pp. 276–278.
  78. ^ a b 渡邉 2010, pp. 51–52.
  79. ^ 金京 2010, pp. 66–68.
  80. ^ a b 渡邉 2010, p. 53.
  81. ^ 渡邉 2010, pp. 52–53.
  82. ^ トゥーズ 2020, pp. 281–282.
  83. ^ a b 渡邉 2010, pp. 53–55.
  84. ^ 中国の高速鉄道、効率無視で負債86兆円 それでも建設は続く”. newsphere (2019年1月15日). 2019年10月19日閲覧。
  85. ^ “王岐山副首相、共産党規律委トップに 経済担当外れる”. 日本経済新聞. (2012年11月14日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM14037_U2A111C1000000/ 2019年10月19日閲覧。 
  86. ^ “中国に迫られた2つの難題 財政出動と構造改革に矛盾”. 産経ニュース. (2016年2月27日). http://www.sankei.com/world/news/160227/wor1602270046-n1.html 2019年3月1日閲覧。 
  87. ^ トゥーズ 2020, p. 292.
  88. ^ “中国、米国債を対米外交の武器に”. 日本経済新聞. (2018年3月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2854865024032018EA2000/ 2019年3月28日閲覧。 
  89. ^ “論評:「10年前に中国に助けられ、今日は恩をあだで返す」”. CRI. (2018年6月25日). http://japanese.cri.cn/20180625/f5cf45dd-71b6-b897-efc7-b4b611e35070.html 2019年1月25日閲覧。 
  90. ^ 梶谷, 藤井編 2018, pp. 152–153.
  91. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 300–301.
  92. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 300–302.
  93. ^ 鯉渕ほか 2014, pp. 2, 10.
  94. ^ トゥーズ 2020, p. 209.
  95. ^ a b トゥーズ 2020, p. 184.
  96. ^ 鯉渕ほか 2014, pp. 2–6.
  97. ^ 日経平均プロフィル
  98. ^ “非正規労働の失業、9カ月間で19.2万人 内定取り消し1845人”. 日本経済新聞. (2009年3月31日). オリジナルの2009年4月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090403014435/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090331AT3L3006D30032009.html 2009年3月31日閲覧。 
  99. ^ “経済悪化をくいとめ、雇用、社会保障、農業、中小企業を応援し、内需をあたためる予算に”. しんぶん赤旗 (日本共産党). (2009年2月17日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-17/2009021705_01_0.html 
  100. ^ “失業率:過去最悪5.7% 有効求人倍率も最低更新…7月”. 毎日新聞. (2009年8月28日). オリジナルの2009年9月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090903024157/http://mainichi.jp/select/biz/subprime/news/20090828k0000e020003000c.html?inb=yt 2009年8月28日閲覧。 
  101. ^ 鯉渕ほか 2014, pp. 18–19.
  102. ^ 杉本 2014, p. 114.
  103. ^ 杉本 2014, p. 107.
  104. ^ 杉本 2017, pp. 103–104, 110.
  105. ^ Figures from the April 2018 update of the International Monetary Fund's World Economic Outlook Database. Figure for EU, accessed August 30, 2018. Figures for the countries of the world, accessed August 30, 2018.
  106. ^ トゥーズ 2020, p. 235.
  107. ^ “直近の米景気後退「戦後最長」 09年6月終了と判定”. 日本経済新聞. (2010年9月21日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGN2000B_Q0A920C1000000/ 
  108. ^ トゥーズ 2020, pp. 357.
  109. ^ トゥーズ 2020, pp. 357–358.
  110. ^ “救済求めるビッグ3の首脳、自家用機で議会に乗りつけ非難の嵐”. MSN産経ニュース. (2008年11月20日). オリジナルの2008年12月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081209104030/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081120/biz0811201440005-n1.htm 
  111. ^ 米AIGの欧州部門従業員、賞与返還要求は「脅迫」と反発、2009年3月29日、ロイター
  112. ^ AIGボーナスベイビー〜深刻な財務省の人手不足(2009年3月26日、JBpress
  113. ^ バナジー, デュフロ 2020, p. 5432/8512.
  114. ^ a b バナジー, デュフロ 2020, pp. 5286-5320/8512.
  115. ^ a b ミアン, サフィ 2015, pp. 661-669/4780.
  116. ^ a b トゥーズ 2020, pp. 465–466.
  117. ^ トゥーズ 2020, pp. 233–234.
  118. ^ トゥーズ 2020, pp. 233–234, 584.
  119. ^ トゥーズ 2020, pp. 232–233.
  120. ^ a b ミアン, サフィ 2015, pp. 564-603/4780.
  121. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 199, 1550/4780.
  122. ^ トゥーズ 2020, pp. 180–181.
  123. ^ a b 柴田 2016, pp. 143–144.
  124. ^ パッカー 2014, pp. 551–554.
  125. ^ トゥーズ 2020, pp. 364–370.
  126. ^ トゥーズ 2020, pp. 591–592.
  127. ^ トゥーズ 2020, p. 474.
  128. ^ スタックラー, バス 2014, p. 1906/4865.
  129. ^ トゥーズ 2020, pp. 374–380, 418.
  130. ^ トゥーズ 2020, pp. 454–455.
  131. ^ トゥーズ 2020, pp. 485–487.
  132. ^ トゥーズ 2020, pp. 512–513, 650.
  133. ^ トゥーズ 2020, pp. 650–653.
  134. ^ トゥーズ 2020, pp. 408–411.
  135. ^ トゥーズ 2020, p. 665.
  136. ^ トゥーズ 2020, pp. 663–667.
  137. ^ “スコットランド独立めぐる住民投票、英政府が正式に拒否”. BBC NEWS JAPAN. (2020年1月15日). https://www.bbc.com/japanese/51115894 2020年8月8日閲覧。 
  138. ^ トゥーズ 2020, pp. 593–600, 612.
  139. ^ トゥーズ 2020, pp. 606–611.
  140. ^ トゥーズ 2020, p. 293.
  141. ^ 梶谷, 藤井編 2018, pp. 296–297.
  142. ^ 渡邉 2010, pp. 53–54.
  143. ^ “中国、4兆元対策の功罪 「影の銀行」火種残”. 日本経済新聞. (2013年12月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1004T_R11C13A2TY8000/ 2019年3月1日閲覧。 
  144. ^ “[FT]中国が強国となった2008年”. 日本経済新聞. (2018年9月17日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35368400U8A910C1TCR000/ 2019年3月1日閲覧。 
  145. ^ トゥーズ 2020, p. 291-292.
  146. ^ 梶谷, 藤井編 2018, pp. 131–132, 152–153.
  147. ^ トゥーズ 2020, pp. 738–744.
  148. ^ 原田 2017, p. 17.
  149. ^ 白井 2017, pp. 60–62.
  150. ^ “〔焦点〕予想裏切る生産悪化、「景気後退入り」の可能性で増税シナリオに影”. ロイター. (2014年9月30日). http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0RV1MC20140930 2014年10月12日閲覧。 
  151. ^ 白井 2017, pp. 73–75.
  152. ^ OECD 2020.
  153. ^ 白井 2017, p. 51.
  154. ^ 白井 2017, pp. 41–50.
  155. ^ 原田 2017, pp. 20–21.
  156. ^ 大原 2019, pp. 16–17, 24.
  157. ^ ロドリック 2019, pp. 3920-3926/5574.
  158. ^ トゥーズ 2020, pp. 374–377, 418.
  159. ^ “IMFの緊縮策要求は誤りだった-金融危機後の対応で報告書”. Bloomberg. (2014年11月5日). オリジナルの2014年11月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141105174030/http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NEJRPR6K50Y101.html 
  160. ^ ロドリック 2019, pp. 3893-3925/5574.
  161. ^ 森 2019, pp. 66–67.
  162. ^ Rogoff, Kenneth; Reinhart, Carmen (2009). This Time Is Different: Eight Centuries of Financial Folly. Princeton University Press. ISBN 978-0-691-14216-6 
  163. ^ ロドリック 2019, pp. 3193-3206/5574.
  164. ^ ミアン, サフィ 2015, p. 2785/4780.
  165. ^ ミアン, サフィ 2015, p. 352/4780.
  166. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 878-1009/4780.
  167. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 296-305/4780.
  168. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 330-338/4780.
  169. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 296-345/4780.
  170. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 878-1082/4780.
  171. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 3504, 3519, 3535/4780.
  172. ^ ミアン, サフィ 2015, pp. 3409–3417, 3553/4780.
  173. ^ ピケティ 2014, pp. 308–309.
  174. ^ フィスマン, ゴールデン 2019, pp. 50–51.

参考文献(著者五十音順)

関連文献

関連項目

外部リンク