シトロエン

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シエトロンから転送)
シトロエン S.A.
Citroën S.A.
種類 ブランド
略称 シトロエン
本社所在地 フランスの旗 フランス
パリ
設立 1919年
業種 輸送用機器
事業内容 自動車メーカー
外部リンク http://www.citroen.com/
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シトロエンCitroën)は、フランスの大手自動車メーカー。現在はステランティス N.V.の一ブランドである。

いち早い前輪駆動方式の採用や、窒素ガスを気体ばねに用いて高圧油圧制御する独自のサスペンション機構「ハイドロニューマチック」の開発をしていたことでも知られる。

沿革[編集]

戦前のエッフェル塔の「シトロエン」電光広告。1925年アールデコ博の際に登場した。

第一次世界大戦終結直後の1919年、ダブルヘリカルギア(やまば歯車)の製造と大砲用の砲弾製造で財を成したアンドレ・シトロエン(André Citroën)が、ヨーロッパにおける自動車の大衆化を目指し、フランス版フォードとなるべく設立した企業である。フランスの自動車メーカーの中では後発組といえる存在であった。最初の工場は軍需工場を転用したパリセーヌ川・ジャヴェル河岸の工場で、現在その場所は「アンドレ・シトロエン公園」になっている。

エンブレム「ヘ」の字状のクサビ形を2つ重ねたもので「ドゥブル・シュヴロン (double chevron)」または「ダブルヘリカルギア」と呼ばれる。これはアンドレ・シトロエンが経営者としてスタートするきっかけになった歯車「シェブロン・ギア(やまば歯車)」の歯形をモチーフにしたものである。

流れ作業方式による小型車・中型車の大量生産で成功を収め急成長したが、やがてアンドレのワンマン経営による過剰投資がたたり、1934年に経営危機に陥り、この際タイヤメーカーのミシュランの系列会社となり、同社の市販車は工場出荷タイヤにミシュラン製タイヤを指定、装着している。

第二次世界大戦後も先鋭的な自動車開発で世界的に注目される存在であり続け、1960年代にはイタリアのフィアットマセラティなどとも提携するが、1970年代には再び経営困難な状況となり、結局1976年からは同じフランスの競合自動車会社プジョーに主導されるかたちで、企業グループPSA・プジョーシトロエンの傘下となっている。それに伴いプラットフォームやエンジンをプジョー車と共通化するようになった。

21世紀初めの現在でもプジョー車とのコンポーネンツ共用の基本方針は変わっておらず、また一時期のような独善的なまでの個性は抑えられるようになってきてはいるものの、依然として系列メーカーであるプジョーとは異なった個性を持つブランドとして存続し続けている。

伝統として、フランス大統領の就任パレードに使用するオープンカーの提供を続けている。その車両は既存の車体を利用したワンオフモデルである。

先進技術[編集]

新しい技術をいち早く採用することで知られ、それは「10年進んだ車を20年間作り続ける」と形容された。

創業にあたり、ジュール・サロモンの設計で1919年に発売された1327cc・4気筒車のタイプAは最初の生産車であると共に、フォードの流儀に倣ってヨーロッパで最初の大量生産方式で製造され、当時の他社ではオプションなのが普通な各種付属装備類を標準装備した買い得な自動車でもあった。1919年から2年間に24,000台以上が生産され、当時のヨーロッパでは異例の量産記録を達成した。

1922年に発売された2人乗り「5馬力C型車」(タイプC)、通称「5CV」は543kg・排気量856ccエンジンに3速MTの軽量車だが、60km/hの最高速度と比較的手頃な3,900フランの価格を実現、シトロンとあだ名されたレモンイエローの車体と黒塗装ホイール、良好な運転性(ドライバビリティー)が世界の小型車の歴史に新時代を画し、同時期発売のイギリスのオースチン・7と並び、欧州大手メーカーによる量産型小型車カテゴリー進出の嚆矢となった。運転のしやすい5CVの登場によって、フランスでは初めて自動車が女性に開放されたといわれる[1]

その後は1000cc超の中級車に主軸を移す。1925年に発表されたB12はヨーロッパで最初のオール鋼製ボディを持った大量生産車で、現代では当然となった4輪ブレーキもこの時に導入した。1932年にはモノピースという溶接による一体ボディ構造の8/10/15を発表する。このように1930年代前半までは、常識的な設計ではあるが、アメリカ合衆国で実用化された進歩的自動車技術をいち早く咀嚼してヨーロッパに導入する、という姿勢が顕著なメーカーであった。

1921年10月、パリ・モーターショーでの5CV。当時としては廉価な超小型クラスながら上級車種同様な4気筒・3段変速のスペックと洒落たスタイルを備え、市場の人気を得た。

そのベクトルを転じ、強烈な独自性を発揮するようになったのは1933年ヴォワザン社出身の技術者アンドレ・ルフェーブルが入社してからである。一大転機となったのは彼の主導による設計の「7CV」・通称「トラクシオン・アバン」が開発されたことによる。前輪駆動(FF)やモノコック・ボディトーションバー・スプリングなどを、いち早く採用し、1934年に発表されると大きな反響を呼び、同社の「先進性」を市場に印象づけた最初の車となった。しかし同車の短期開発と新工場建設により、会社の経営破綻とアンドレ・シトロエンの経営撤退を招いた[2]

トラクシオン・アバン。1934年4月に発売され、独立懸架の前輪、9リッターで100キロメートル走るエンジン、計器盤にはめ込まれた3段変速のギアと低いスタイルを備え、成功を収めた。

1955年には、金属スプリングの代わりに気体ばね高圧オイルを用いる独創的なハイドロニューマチック・サスペンションを装備した「DS」を発表。車高調整とダンパーに使われたオイルは、サスペンションだけに留まらずパワーステアリングやブレーキ、ペダルレスでのクラッチコントロールや遠隔操作でのギヤチェンジにも使われた。この「10年進んだ車」は、果たしてその後「20年間作り続け」られた。

他にも「こうもり傘に4つの車輪」「走る物置」「フランスの民具」とまでいわれ、40年以上も生産された経済車の「2CV」をはじめ、ユニークで独創性に満ちた自動車を多数開発し、世に問うてきた。

広告[編集]

創業者のアンドレ・シトロエンは万事派手好きで、広告戦略にも意を砕いたことで知られる。1925年から1936年までの11年間エッフェル塔は「CITROËN」の文字で飾られた(「翼よ、あれがパリの灯だ!」で知られるチャールズ・リンドバーグ大西洋単独無着陸飛行も、この期間の中に入る)。この電飾文字は40km離れた場所からも視認でき、当時のエッフェル塔の代名詞でもあったという。また、飛行機でパリ上空に「Citroën」と描いたこともあった。

ニューモデルを発表すると、同時に生産車の精巧なミニチュアカーを作り販売したが、これは将来の顧客である子どもへのアピールであった。当時の同社の威勢は頂点を極めており、「赤ん坊が最初に覚える言葉はパパ、ママ、そしてシトロエンだ」と豪語するほどであった。

広告においては戦後もセンス溢れる活動を展開し、1965年ルーブル美術館主催のアート展が開かれるなど、芸術的にも評価を受けている。

ロゴマーク[編集]

車種一覧[編集]

現行[編集]

※は2024年5月現在、日本市場に導入されているモデル。

シトロエン[編集]

車種 初登場年 現行型 世代数 備考

AMI
アミ 2020年 2020年 1代 電動マイクロカー。かつて販売された車とは、名前以外まったく関係ない。

C3
C3 2002年 2016年 3代 Bセグメントのコンパクトカー。※

C3 AIRCROSS
C3エアクロス 2010年 2017年 2代 小型SUV。初代はC3 ピカソがベース。※

C4
C4 2004年 2020年 1代 Cセグメントのコンパクトカー。2004欧州カー・オブ・ザ・イヤー2位、2005RJCカー・オブ・ザ・イヤーインポート大賞、2006ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤー大賞などを受賞。電気自動車のë-C4のほか、欧州市場ではファストバックとSUVを融合したデザインのC4 Xおよびë-C4 Xもある。※

C4 CACTUS
C4カクタス 2014年 2014年 1代 個性的なデザインの小型SUV。2014年に発表され、日本市場にも2016年に200台限定で正規輸入された[5]。欧州市場では2018年にフェイスリフトが行われた。その後南米にて販売されている。

C5 AIRCROSS SUV
C5 AIRCROSS SUV 2017年 2017年 1代 日本市場、欧州市場におけるフラグシップ車のSUV。ガソリン、ディーゼル、プラグインハイブリッドの設定がある。※

C5 X
C5 X 2021年 2021年 1代 日本市場では2022年8月に発売。ステーションワゴンのフラッグシップで、プラグインハイブリッドの設定がある。※

BERLINGO
ベルランゴ 1996年 2018年 1代 小型MPV。2019年に日本市場に3代目がデビューエディションとして先行導入され、2020年にカタログモデルの導入が開始された。※

C-Elysée
C-エリーゼ 2012年 2012年 1代 2012年6月に発売され、2016年11月にフェイスリフトが行われた。3ボックスのCセグメントモデルで、スペインのヴィゴ工場で生産される。基本的に新興国市場向けで、品質の悪いガソリンに合わせて設計された新エンジンが用意されている[6]

過去(戦後のみ)[編集]

(1948年以降発表モデル)

車種 初登場年 販売終了年 世代数 備考

2CV
2CV 1949年 1990年 1代 個性的な見た目だが極めてすぐれた経済性、信頼性、実用性、汎用性を有していたため、市場での評価は非常に高かった。このため、派生車も多く誕生した。

2CV AU
2CV AU 1951年 1956年 1代 2CVのバンタイプ。その後モデル名は AZU・AK に変更。

DS
DS 1955年 1975年 1代 DSブランドの由来となった車である。排気量によってDS19、DS21、DS23と変遷してきた。

ID
ID 1957年 1969年 1代 DSの廉価版。

AMI 6
アミ6 1961年 1969年 1代 当時流行していたクリフカット・ルーフを特徴とした。

AMI 8
アミ8 1969年 1978年 1代 アミの後期モデル。ファストバック・ルーフに変更された。

AMI 6
アミ・スーパー 1973年 1976年 1代 アミ10とも呼ばれる。GS1015用の空冷4気筒エンジン搭載の高性能版。

DYANE
ディアーヌ 1967年 1983年 1代 2CVの後継車として発表された。しかし2CVの方が人気だったことから、同車よりも早く生産を終了した。ディアーヌのバンタイプのアカディアーヌもある。

Méhari
メアリ 1968年 1988年 1代 ディアーヌ6をベースにABSボディパネルを架装したモデル。

SM
SM 1970年 1975年 1代 DSのベースにマセラティV型6気筒DOHCエンジンを搭載した。

GS
GS 1970年 1981年 1代 2CVとDSとのギャップを埋める車種として計画された。

GS BIROTOR
GSビロトール 1970年 1971年 1代 NSUと共同で開発。ロータリーエンジンを搭載。

GSA
GSA 1979年 1986年 1代 GSの発展型。ボディはハッチバック化された。

CX
CX 1974年 1991年 1代 DSの後継車。

LN
LN 1975年 1985年 1代 プジョーの影響下で開発された初のモデル。プジョー・104クーペの空冷2気筒エンジンを搭載。1978年の改良で,名前がLNAに変更された。

VISA
ヴィザ 1978年 1988年 1代 プジョー・104の機構をベースとしている。内外装にはシトロエンらしいデザインが与えられた。

OLTCIT
オルトシト 1978年 1996年 1代 ルーマニアで生産されたヴィザの派生モデル。アクセルとして西ヨーロッパ各国でも販売された。

BX
BX 1982年 1994年 1代

AX
AX 1986年 1998年 1代

XM
XM 1989年 2000年 1代 CXの後継車。

ZX
ZX 1991年 1998年 1代 GSの後継車。

XANTIA
エグザンティア 1993年 2001年 1代

Évasion
C8
エバシオン、C8 1994年 2010年 - 欧州専売のグループPSA共同販売車。エバシオンは英語圏で「シナジー」として販売された。

SAXO
サクソ 1996年 2003年 1代 プジョー・106の姉妹車。

XSARA
クサラ 1997年 2006年 1代 ZXの後継車種。プジョー・306と共通の設計である。

XSARA PICASSO
クサラ ピカソ 1999年 2012年 1代 クサラを基にしたMPVである。

C5
C5 2001年 2021年 2代 中型セダン。油圧式サスペンション“ハイドラクティブIIIプラス”を搭載している。日本は2015年に、欧州は2018年に販売終了しているが、中国市場では2代目がフェイスリフトされ、2021年まで販売されていた。後継車は派生モデルのC5 Xである。

C3 PLURIEL
C3 プルリエル 2003年 2010年 1代 C3から屋根着脱式の派生モデルとして登場。外装は専用に設計されている。

C2
C2 2004年 2008年 1代 プジョー・2061007とも基本プラットフォームを共有する。

C1
C1 2005年 2022年 2代 Aセグメントコンパクトカー。PSAとトヨタ自動車との共同開発車種でチェコ共和国の合弁工場TPCAで生産される。

C6
C6 2005年 2023年 2代 フラグシップセダン。初代はC5と同じく油圧式サスペンション“ハイドラクティブIII”を搭載。日本にはV6 3.0リッターエンジンにアイシン・エィ・ダブリュ(現:アイシン)製の6速ATが組み合わされたモデルのみ導入されていたが2010年正規輸入が終了された。フランス本国でも2012年12月に生産が終了されたが、C5同様、2016年に中国市場向けに2代目が開発され、2023年まで販売されている。

C2
C2 China 2006年 2013年 1代 プジョー・206にシトロエンのマスクをつけたもの。中国市場専用車。

C-TRIOMPHE
Cトリオンフ 2006年 2016年 1代 C4のノッチバックセダン中国市場向けに開発された車種である。

C4 PICASSO
GRAND C4 PICASSO
C4 ピカソ→C4 スペースツアラー 2006年 2022年 2代 C4を基にしたMPV。当初、日本で販売されるピカソは7シーターだけで、欧州ではグランピカソという名で販売されていた(欧州では5シーターをC4ピカソとして販売)。2014年10月25日に日本発売されたシリーズからは、5シーターモデルが追加され、7シーターをグランドC4ピカソ、5シーターをC4ピカソとしている。[7]2021年には7シーターモデルのみであり、名称から「ピカソ」が外され、「グランドC4 スペースツアラー」となっている。

C-CROSSER
Cクロッサー 2007年 2012年 1代 三菱・アウトランダーOEM

C3 PICASSO
C3 ピカソ 2008年 2017年 1代 C3を基に設計されたMPV

C-ZERO
C-ゼロ 2010年 2020年 1代 電気自動車三菱・i-MiEVのOEM。

C4 AIRCROSS
C4 エアクロス 2012年 2020年 1代 三菱・RVROEMモデル。そのポジションはC4 カクタスに受け継がれた。

C3-XR
C3-XR 2014年 2023年 1代 中国市場で販売されるコンパクトクロスオーバーSUV。

DSライン[編集]

2015年にシトロエンから独立して単独のブランドとなった。詳細はDSオートモビルズを参照。

  • DS3
  • DS4 - 2011年、世界で最も美しい車 (2010発表車)に選ばれた[8]
  • DS5 - C4とC5の中間サイズのクロスオーバー。2011年発表。日本国内では2012年8月1日発売。

クラシック・シトロエン[編集]

(1947年以前発表モデル)

初期の車名について

C4以前のモデルでは、タイプA・B・Cはシャーシの形式を表しており車名ではない。当時の広告などによると、シトロエンの10馬力でトーピード式、シトロエンの5馬力で3人乗り、シトロエンの5馬力でカブリオレ、などの名称で販売されていた。また、馬力はフランス流の課税馬力フランス語版英語版であったが、綴りは英語風に10HP、5HPであった。タイプBがエンジンを拡大し多様化していくとこの方法は通用しなくなり、C4・C6に至ってシャーシ名が車名となった。続くモデルはC7となるはずであったが、ロザリーという車名が付けられ課税馬力による呼称を併用した。トラクション・アバンで再び、7CV・11CV・15CVのように課税馬力が車名となった。

車種 初登場年 販売終了年 備考

TYPE A
タイプA 1919年 1921年 シトロエンが初めて生産した車である。24,093台が生産された。

TYPE B
タイプB 1921年 1927年 B2B10B12B14・B15・B18といったバリエーションが存在した。

TYPE C
タイプC 1922年 1926年 生産時期によってC2・C3に分けられ、さまざまなボディ形状が存在した。

TYPE C4
タイプC4 1928年 1934年 AC4とも呼ばれており、名前は創業者アンドレ・シトロエンのイニシャルに由来する。

TYPE C6
タイプC6 1928年 1933年

ROSALIE
ロザリー 1932年 1938年 Record Breakerの愛称。正式には単に 8・10・15・7UA等と呼ばれる。

TRACTION AVANT
トラクシオン・アバン 1934年 1957年 パワーと外観が変化するたびに7CV・11CV・15CVと名前も変わった。

貨物車・ミニバス[編集]

特殊車両[編集]

シトロエン・M35
  • M35 - ヴァンケルエンジンのモニター用試作車
  • AX Electric - 電気自動車
  • Saxo Electric - サクソを基にした電気自動車(量産車)である。

コンセプトカー[編集]

シトロエンは数十年にわたり、将来のデザインのトレンドや技術を予告するために多くのコンセプトカーを製造してきた。注目すべきコンセプトカーには、シトロエン・カリン(1980年)、シトロエン・アクティバ(1988年)、シトロエン・C-メティス(2006年)、GT by シトロエン(2008年)、シトロエン・スルボル(2010年)およびシトロエン・オリ(2022年)といった車両が含まれる。

モータースポーツ[編集]

シトロエン・C3 WRC(2017年)

1989年に創設されたレース部門のシトロエン・レーシング(1989〜2000年までは『シトロエン・スポール』)の活動は伝統的にラリー系を中心として行われ、参戦した全てのビッグカテゴリでチャンピオンを獲得した経歴を持つ[9]

1950年代からDS2CVでラリーに参加し、ラリー・モンテカルロツール・ド・コルスで勝利を挙げた。世界ラリー選手権 (WRC)には1986年グループB時代に小規模に参戦した後一時活動を休止していたが、1998年にF2キットカークサラで復帰。二輪駆動車でありながら、四輪駆動ワールドラリーカー(WRカー)勢を破って2度総合優勝を飾っている。2001年にはWRカーを開発し、WRCクラスへの参戦を再開。フランス人の天才セバスチャン・ローブを擁して2004年から2012年までドライバーズタイトル9連覇を達成した。マニュファクチャラータイトルも同期間中2006・2007年を除いた全てで獲得している。しかしローブの離脱以降は勢いを失い、2019年をもって撤退。シトロエンの歴代WRC勝利数102回は全メーカー中トップである(うち79勝はローブによる)。

下位クラスでは、JWRC(ジュニアWRC)でもマルチメイク時代の勝利数・タイトル数はスズキを凌いで1位である。JWRCのワンメイク化後も2013年から2016年までDS3 R3Tが使用車両に指定されていた。また、WRC2/WRC3でもプライベーター向けにグループRally仕様のマシンを販売しており、WRCから撤退したあとの2020年以降も、関わりの深い独立系チームのPHスポールを支援する形でWRC2/WRC3へのセミワークス参戦は続けられている。

1990年代にはパリ・ダカール・ラリーを中心とするラリーレイドにもZXで参戦し、1991年アリ・バタネンが総合優勝を果たす。さらに1994年 - 1996年にはピエール・ラルティーグが総合3連覇を達成するなど、同一グループのプジョーとともに三菱自動車ラリーアート)にとって最強のライバルとして立ちはだかった。

2014年からはローブと共に世界ツーリングカー選手権(WTCC)にワークス参戦を開始。サーキットレースの世界選手権にエントリーするのはこれが初めてとなった[10]。マシンは新興国向けセダンのC-エリーゼ。デビュー年からホンダを圧倒する速さを見せ、2014年から2016年までドライバー(ホセ・マリア・ロペス)とマニュファクチャラーズタイトル双方で3連覇を達成。特に2015年はフィーチャーレースは全勝、リバースグリッドの第2レースも他チームに3勝しか許さない完勝といえる内容であった。しかしWRCに集中するために2016年いっぱいで撤退した。

2014年からはWTCCと同時に世界ラリークロス選手権にもペター・ソルベルグをワークス支援する形で参戦し、初年度と翌2015年にドライバーズタイトル2連覇を果たし、プジョーにあとを託す形で撤退している。

同一グループのプジョーとはダカールではコンポーネントの大部分やエンジンを流用したり、逆にWRCではライバルとして真っ向から戦うなど、敵としても味方としても関わってきた。しかしPSA全体の経営が年を追うごとに苦しくなっているため、2006年のプジョーのWRC撤退以降は同一カテゴリでバッティングさせることは減った。また2014年にPSAのCEOに就任したカルロス・タバレスにより、シトロエン・レーシングの本拠地であるサトリーにプジョー・スポールDSのモータースポーツ部門が移管され、財政面での統合がされている[11]

WRC撤退後から現在までの活動は、上述のようなカスタマー向けラリーカーの供給や支援を行う程度に留まっている。

日本での販売[編集]

長きに渡り西武自動車販売が日本でのビジネスを展開していたが、1980年代後半、シトロエン本社が日本のメーカー各社に持ちかけた販売提携に手を挙げたマツダを加え、輸入権を持つ2社の全国ネットワークで販売された。1990年2月、シトロエン・西武自動車販売・マツダの出資でシトロエン・ジャポン(第1次)が設立されたが、この時は3社間の業務調整および後方支援を目的としたものだった。しかしバブル崩壊によりマツダの経営が悪化したことに伴い1998年にシトロエン・ジャポンが解散し、マツダ側での販売は終了した(一部地場資本のディーラーは販売を継続)。その後は西武自動車販売の後継会社である新西武自動車販売が旧西武の全国ネットワークを引き継いで販売を続けた。

2001年より第2次のシトロエン・ジャポンが本社100%出資で立ち上がり、新西武よりインポーター業務を移管し日本でのビジネスを統括することとなった。2008年4月にプジョー・ジャポンと統合、プジョー・シトロエン・ジャポンとなり、2020年2月1日にGroupe PSA Japanと社名変更している。その後、2022年3月1日にFCAジャパンに吸収合併され社名をStellantisジャパンとした[12]

第2次のシトロエン・ジャポンが設立されてからは本国CIに基づく専売ディーラー化が進んだが、販売台数の低迷により撤退・閉鎖が続出し、2023年3月現在、青森県・秋田県・福島県・和歌山県・鳥取県・島根県・高知県・佐賀県にはサービス拠点すらなく、山形県・山口県・徳島県・香川県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県もディーラーはない(サービススポットのみ)。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ シトロエンが冒険旅行のために設計・製造したハーフ・トラック
  2. ^ P45 (1934–1953)
  3. ^ ヴィザをベースにした小型バン
  4. ^ トヨタ自動車向けにプロエースとしてOEM供給している。

出典[編集]

  1. ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京堺屋太一立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p318。
  2. ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京堺屋太一立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p492。
  3. ^ a b c d e f g h i j ロゴの歴史Citroen Origins(日本語)、2023年11月23日閲覧。
  4. ^ Citroën logo history: The Citroën symbol and its meaningFabrik、2023年11月23日閲覧。
  5. ^ シトロエン、新コンパクトSUV「C4 CACTUS」を200台限定発売。238万円から” (jp). Car Watch (2016年10月5日). 2020年3月10日閲覧。
  6. ^ シトロエンCエリゼ/C4L、デビュー - AUTOCAR JAPAN・2012年6月20日
  7. ^ [1] -シトロエン・ジャポンWebページ
  8. ^ 試乗 プレミアムかつアクティブで、しかも実用的・・・DSシリーズ随一の欲張りクロスオーバー「DS4 CROSSBACK」(3/4)”. MoTA (2016年6月15日). 2021年8月1日閲覧。
  9. ^ シトロエンDS3レーシング(FF/6MT)【試乗記】アムロ、いきます!2012.12.16
  10. ^ シトロエン&ローブ、WTCC参戦! - HOBIDAS AUTO・2013年7月1日
  11. ^ 『トヨタWRCのすべて』 2018年4月15日発行 三栄書房刊
  12. ^ Stellantisジャパン誕生 個性豊かな8のブランドを1法人の下に統合 - Stellantisジャパン 2022年3月1日(2022年3月1日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

<- Previous シトロエン ロードカータイムライン 1980年代-
タイプ 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3
ハッチバック 2CV
LN / LNA AX C1 I C1 II
ヴィザ サクソ C2
C3 I C3 II C3 III
DS3 DS3クロスバック
C4エアクロス
GSA ZX クサラ C4 I C4 II C4 III
オープン DS3カブリオ
セダン BX エグザンティア C5 I C5 II
CX XM C6
ミニバン C15 ベルランゴ ベルランゴ II
C3ピカソ
クサラピカソ
C4ピカソ I C4ピカソ II
エバシオン C8 I C8 II C8 III
オフローダー メアリ
クロスオーバーSUV Cクロッサー
DS4 DS4
DS5
ハイブリッドカー C-ZERO
EV Eメアリ