みちびき地蔵

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みちびき地蔵・導き地蔵(みちびきじぞう)

  1. 宮城県気仙沼市大島にある地蔵菩薩像、及びそれを題材にした民話昔話。本項で解説。
  2. 1以外にも、同名もしくは「みちびき地蔵尊」「導き地蔵尊」といった名称の地蔵菩薩像が日本各地に見られる。

みちびき地蔵/導き地蔵(みちびきじぞう)とは、宮城県気仙沼市大島にある地蔵菩薩像及びそれを題材にした民話昔話である。昔話はJNNテレビアニメ番組『まんが日本昔ばなし』において、1977年昭和52年)10月29日(第107回)にこの題名で放映された。

地蔵[編集]

みちびき地蔵は宮城県気仙沼市大島に実在し、1770年代に祀られたとの記録がある[1]。この名称になった時期は不明である[1]。場所は田中浜で丘の上にあり、地蔵は木製の3体で、地蔵堂は昭和時代に建て替えられた[1][2]。地蔵は死者極楽浄土に導くと言い伝えられ、大島住民の信仰を集めていた[2][3]

この地蔵を題材にした民話昔話も気仙沼市大島に存在する(後述)。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による津波では、地蔵堂が全壊し、地蔵が流失した[2]。気仙沼大島観光協会は有志が寄せた寄付金などで地蔵堂を再建することを決め[2]、その資金に充てるために民話の絵本出版を企画した[4]地蔵菩薩の制作は東北生活文化大学彫刻を学ぶ大島出身の男子学生に同観光協会が依頼し[2]2012年2月に完成した[5]。地蔵堂の工事については、2012年2月の時点では、他の復興物件が多数存在し大工職人が不足状態で着工予定の見通しが立っておらず、既に完成した地蔵は民家に仮安置して、再建後に移動する予定となっていた[6]。しかし、その後地蔵堂は再建され、新たに作られた木製のみちびき地蔵3体と石仏6体が納められた。2013年7月になって、地蔵堂の近くに積まれた瓦礫の中から、流失した石仏のうちの3体が発見された。2014年5月現在地蔵堂には、3体のみちびき地蔵と、発見されたものを含めて9体の石仏が祀られており、地元住民や観光客がしばしば手を合わせているという[3]

昔話[編集]

要約[編集]

昔、現在の気仙沼大島にある村で、ハマキチという名の子どもとその母親が、端午の節句の前日に、他所の田植えの手伝いに出かけた。夕方、その帰宅途中、「みちびき地蔵」という地蔵の辺りを通りかかった。その地蔵は、明日死ぬ者の魂が亡者の姿となって、天国に導いてもらえるように挨拶に来ると言い伝えられている。母子がその地蔵をしばらく見ていると、亡者の姿になった大勢の村人や牛馬までもが次から次へと挨拶に来て、天へと上がっていった。この様子を見た母親は怖くなり、ハマキチの手を引いて急いで帰宅した。ハマキチの父にその話をしたが、狐にでも化かされたんだろうと取り合ってもらえなかった。 翌日、端午の節句には大きく潮が引くという慣わしの通りに、島の浜辺の潮が引き、ハマキチ親子も含めて大勢の村人が潮干狩りに出た。その年は例年になく大きく潮が引き、沢山海藻が取れたが、村の老人たちはこんなにも潮が引くのは何十年ぶりだと話している。やがて潮が満ちてくる時間になっても潮は満ちてこず、村人たちはそのまま海藻を採りつづけていた。すると遠くから地鳴りとともに山のように高い大津波が襲ってきた。ハマキチ親子は急いで松山に上り、3人とも助かったが、他の逃げ遅れた大勢の村人が津波にさらわれて亡くなった。母親は昨日見たことは本当だったんだと確信した。村の書きつけには、この津波で61人が亡くなり、牛馬6頭が死んだと記されている。みちびき地蔵には今でも花や線香が欠かさずに供えられている。 — みちびき地蔵[1][7][8][9]

解説[編集]

この物語のモデルとされている津波は明治三陸津波である。明治三陸地震とそれが起因した明治三陸大津波が旧暦の端午の節句(6月15日)に発生しており、大島村 (宮城県)で津波による死者数は昔話と同じ61人であった。物語で地震の描写が存在しないのは、チリなどで起こった遠地地震による津波であったという理由ではなく、このときの地震では震源地が気仙沼から遠く離れた岩手県沖であったためである。当時の気象庁の記録によると、この地域の揺れの大きさは弱(震度2〜3相当)とされている。ほとんどの住人が気づかない、もしくは津波が来ると考えつかないような地震であったと考えられる。物語中で地震の描写が存在しないのはこのためである。

また、気仙沼市大島では別内容で地震と地蔵が関係する昔話も存在する(詳細は「大島 (宮城県気仙沼市)#名所・観光」を参照)。

『まんが日本昔ばなし』において[編集]

1977年10月29日毎日放送のアニメ『まんが日本昔ばなし』で、「みちびき地蔵」が放送された(演出:小林治、文芸:沖島勲、美術:青木稔、作画:シンエイ動画[10])。

2011年平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の後、日本国内のインターネット上で当該回が話題になり、日本国外でも「The guiding jizo」と紹介されている[1][8][9]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e “津波の恐怖伝える気仙沼の昔話 「みちびき地蔵」がネットで話題”. J-CASTニュース. (2011年4月27日). https://www.j-cast.com/2011/04/27094429.html?p=all 2011年5月28日閲覧。 
  2. ^ a b c d e [リンク切れ] “悲惨な記憶、仏像に刻む”. 河北新報. (2011年8月26日). http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110826_03.htm[リンク切れ] 2012年4月30日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ a b “東日本大震災/気仙沼・大島見守る石仏3体/がれきの中から見つかる”. 河北新報. (2014年5月12日). オリジナルの2015年3月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150324092019/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140512_15016.html 2015年3月7日閲覧。 
  4. ^ かつらぎ町の墨彩画家 福井光さん”. ニュース和歌山 (2012年1月7日). 2014年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月30日閲覧。
  5. ^ 2012年3月11日放送『田舎に泊まろう!』(テレビ東京高山厳は宮城県・大島へ
  6. ^ みちびき地蔵堂再建支援者の皆様へ - 気仙沼大島観光協会 2012年(平成24年)2月15日
  7. ^ 1977年10月29日放送『まんが日本昔ばなし』(TBS系列)第107回「みちびき地蔵」
  8. ^ a b 被災地・気仙沼に伝わる昔話「みちびき地蔵」が、海外サイトで紹介される - ロケットニュース24 2011年4月14日
  9. ^ a b 「想へ惨禍の大津波 ここより下に家を建てるな」心に刻みたい「災害伝承」が伝える知恵 - 日経ビジネスオンライン 2011年5月17日
  10. ^ まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - みちびき地蔵

関連項目[編集]

外部リンク[編集]