グンナル・ベルントソン

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グンナル・ベルントソン
Gunnar Berndtson
誕生日 1854年10月24日
出生地 フィンランド、ヘルシンキ
死没年 1895年4月9日
死没地 フィンランド、ヘルシンキ
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グンナル・ベルントソン(Gunnar Fredrik Berndtson、1854年10月24日 - 1895年4月9日)はフィンランドの画家、イラストレーターである。肖像画や写実的な風俗画を描いた。

略歴[編集]

ヘルシンキのスウェーデン人の家系に生まれた[1] 。父親のフレデリク・ベルントソン(Fredrik Berndtson)はジャーナリスト、詩人として知られていた。1869年には、フィンランド美術協会(Suomen Taideyhdistys)のメンバーと知り合い、美術協会の美術教室で、ロフグレン(Erik Johan Löfgren)らに学んだ。1872年から1875年の間、ヘルシンキの工科学校(後にヘルシンキ工科大学になりアールト大学に統合された。)で学ぶが画家になる決意をして、1876年にパリに留学した。パリではパリ国立高等美術学校に入学し、ジャン=レオン・ジェロームエルネスト・メソニエに学び、アルベルト・エデルフェルトジュリアン・オールデン・ウィアージョン・シンガー・サージェントといった同世代の画家と友人になった。1878年にパリのサロンに出展した。

1882年から1883年の間、カイロの建設会社のオーナーで美術コレクターのグレオン男爵(Alphonse Delort de Gléon)に招かれ、エジプトに滞在し、作品を描き、フランスの雑誌「ル・モンド・イリュストレ」の特派員として、イラストを描いた。

その後フィンランドに戻り結婚するが、しばしばパリを訪れ、パリのサロンに出展を続けた。1890年から1892年の間、ヘルシンキの美術協会の教室で教え、教えた学生にはマグヌス・エンケルエレン・テスレフらがいる。

おそらく梅毒のために1895年に40歳で没した。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Projekt Runeberg: Nordisk familjebok. Band 3, Sp. 44

参考文献[編集]

  • Verzeichnis der Kunstsammlungen im Atheneum Helsingfors. Helsinki 1912.
  • Johan Jacob Tikkanen: Die moderne Kunst in Finnland. Helsinki 1925 (2 Abb.).
  • Johan Jakob Tikkanen: Berndtson, Gunnar Frederik. In: Ulrich Thieme, Felix Becker (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 3: Bassano–Bickham. Wilhelm Engelmann, Leipzig 1909, S. 452 .
  • Konrad Hahm: Die Kunst in Finnland. Berlin 1933 (2 Abb.).
  • Ludvig Wennervirta: Finnlands Konsten. Helsinki 1934 (10 Abb.).
  • Ludvig Wennervirta: Suomen taidetta 1800-luvulaa. Porvoo 1934.
  • Kuvataiteilijat. Suomen kuvataiteilijoiden henkilöhakemisto. Helsinki 1972.
  • Berndt Arell, Christian Hoffman: Gunnar Berndtson, Salonkimaalari. Turun Taidemuseo, Pohjoinen 1998, ISBN 951-749-316-9.
  • Maria Vainio-Kurtakko: Idyll eller verklighet?: Albert Edelfelt och Gunnar Berndtson i det moderna genombrottets ambivalens (Idyll or Reality?) Finska fornminnesförening, 2010, ISBN 951-9057-76-5.