シャムスッディーン・カユーマルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャムスッディーン・カユーマルス
奴隷王朝第11代君主
シャムスッディーン・カユーマルスのコイン
在位 1290年

出生 1287年
死去 1290年?
王朝 奴隷王朝
父親 ムイズッディーン・カイクバード
テンプレートを表示

シャムスッディーン・カユーマルス[1](Shamsuddin Kayumars, 1287年 - 1290年?)は、北インドデリー・スルターン朝奴隷王朝の第11代(最後)君主(在位:1290年)。

生涯[編集]

1290年、父ムイズッディーン・カイクバードが貴族らに退位させられると、ハーレムにいたその3歳の息子であるカユーマルスが「シャムスッディーン」の尊称(ラカブ)の下に即位した[2]。貴族らはすぐさまその名を刻んだ貨幣を鋳造して、当時勢力を伸ばしていたハルジー族英語版の族長ジャラールッディーン・ハルジーに対抗しようとし、王朝の存続を試みた[2]

しかし、同年にジャラールッディーンはデリーの宮殿を先制攻撃し、カユーマルスは捕えられ、すでに病床にあった父カイクバードも殺された[3]。これをもって、奴隷王朝はその終焉を迎え、新たにハルジー朝を創始された。

カユーマルスがその後どうなったのかは不明であるが、のちの記録にその名が見えないことから、恐らく父とともに殺害されたと考えられる。

脚注[編集]

  1. ^ カイカーウス(Kaika'us)とも
  2. ^ a b 荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.60
  3. ^ ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.126

参考文献[編集]

  • 荒松雄『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』未来社、2006年。 
  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 

関連項目[編集]