トンビナイ・セチェン

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トンビナイ・セチェン(Tumbinai Sečen)は、モンゴル部ボルジギン氏族カイドゥ・カンの長子バイ・シンコル・ドクシンの子で、カブル・カンの父。『集史』ではトゥーメネ・ハーン(Tūmene Xān)と表記。「セチェン」とはモンゴル語で「賢者」を意味する。[1]

生涯[編集]

カイドゥの長子バイ・シンコル・ドクシンの子として生まれる。[2]

1084年、トンビナイ・セチェンは帝国に使者を派遣し、「萌古国」として朝貢した。[3]

トンビナイ・セチェンが死ぬと、6男のカブル・カンが後を継いだ。[4]

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トンビナイ・セチェンの子は9人おり、その9人はいずれも各部族の始祖となった。[4][5]

  • カジュクゥ(カチン)…ノヤキン氏の祖
  • セン・カチュラ(Sem Qačula)[6](カチュラ・ギルタン)…大バルラス氏の祖
  • カチャン(カチウ)…小バルラス氏の祖
  • カラルダイ…ブダアト氏の祖
  • カチクン(カチウン)…アダルキン氏の祖
  • カブル・カン…6男。キヤト氏の祖。モンゴル国初代カン。

系図[編集]

ボドンチャルからカブル・カンまでのボルジギン氏の系図

脚注[編集]

  1. ^ 村上 1970,p.55
  2. ^ 村上 1970,p.46
  3. ^ 宮脇 2002,p.66
  4. ^ a b 佐口 1968,p.26
  5. ^ 集史』の「チンギス・ハン祖先紀」によれば9人。『元朝秘史』ではセン・セチュレ(セン・カチュラ)とカブルの2人のみとしている。(白岩 1995, p. 321)
  6. ^ 元朝秘史』ではセン・セチュレ(Sem Sečüle)とあるが、ポール・ペリオが論じたように、古代ウイグル文字ではsとqが混同しやすいため、訳者の誤写と考えられる。≪村上 1970,p.61≫

参考資料[編集]

  • ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(1989年、平凡社、ISBN 4582801102
  • 白岩一彦「一二世紀モンゴル社会における宗族と族譜 : 『集史』「チンギス・ハン祖先紀」をめぐって」『史学』、慶應義塾大学、311-325頁、1995年。ISSN 03869334https://ci.nii.ac.jp/naid/110007410749/ 
  • 宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房、2002年、ISBN 4887082444
  • 村上正二訳注『モンゴル秘史1チンギス・カン物語』(1970年、平凡社)