ドリャノヴォ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯42度59分 東経25度29分 / 北緯42.983度 東経25.483度 / 42.983; 25.483

ドリャノヴォ
Дряново
ドリャノヴォの位置(ブルガリア内)
ドリャノヴォ
ドリャノヴォ
ブルガリア内のドリャノヴォの位置
 ブルガリア
州(オブラスト)ガブロヴォ州
基礎自治体ドリャノヴォ
自治体全域の人口11207 人
(2005年7月5日現在)
町の人口8635 人
(2005年7月5日現在)
ナンバープレートEB
標高230 m
標準時EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3
画廊、コリュ・フィチェトによる建築
正教会の聖堂、コリュ・フィチェトによる建築

ドリャノヴォДря̀ново / Dryanovo)はブルガリア北西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ガブロヴォ州に属する。ヤントラ川Янтра / Yantra)川の支流であるドリャノヴォ川の両岸の堤防に沿って広がっている。

ドリャノヴォは地理的条件に恵まれており、ガブロヴォから20キロメートル、ヴェリコ・タルノヴォから24キロメートル、トリャヴナから14キロメートル、セヴリエヴォから30キロメートル離れている。町はルセ-ヴェリコ・タルノヴォ-ガブロヴォ-シプカ峠-カザンラク-スタラ・ザゴラをつなぐ幹線道路の経路上にあり、またブルガリアの南北を結ぶ鉄道の幹線が貫いている。

バルカン山脈に位置するほかの集落同様、ドリャノヴォはブルガリア民族復興時代に大きく繁栄した。1833年、ドリャノヴォは町となった。石工職人や木工職人は、ブルガリア各地に、そして遠くはオスマン帝国にまでその名を知られるところとなった。

バルカン半島で最も古い人類の居住の痕跡がこの地域で見られる。旧石器時代の人の居住を示す証拠が、アンダカ川(Андака / Andaka)渓谷にあるドリャノヴォ修道院Дряновски манастир / Dryanovski manastiren)近くのバチョ・キロ洞窟пещера „Бачо Киро“ / peshtera "Bacho Kiro"en)から見つかっている。トラキア人古代ローマ時代の村や要塞、刻印や装飾のある柱などが見つかっている。

ドリャノヴォは時として「100歳長寿の町」と呼ばれ、その健康的な気候条件によって人々の寿命が長いといわれている。また、ドリャノヴォは建築家コリュ・フィチェトの生誕の地として知られている。

町村[編集]

ドリャノヴォ基礎自治体(Община Дряново)には、その中心であるドリャノヴォをはじめ、以下の町村(集落)が存在している。

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]