ノート:アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ

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改名提案[編集]

アクイレイアの遺跡地域と総主教座聖堂のバシリカからアクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカへの改名を提案します。カトリック教会のものは日本のカトリック教会の用語に準拠すべきであるとの理由からです。(参照:総主教総大司教)--Kliment A.K. 2008年10月1日 (水) 14:12 (UTC)[返信]

(コメント)初版を立てた者です。正直言って記事名をどうすべきか悩んだのですが、世界遺産アカデミー監修『世界遺産学検定(2)』で「554年には東方正教会の総主教座が置かれ」(p.38)とあることから、それに準拠しました。今、総大司教を読んだ限りでは「総大司教」の方が適切なのだろうとは思いましたが、キリスト教史について踏み込んだ知識は持ち合わせていないので、移動の適否については他の方々の合意に従います。--Sumaru 2008年10月1日 (水) 14:29 (UTC)[返信]
>世界遺産アカデミー監修『世界遺産学検定(2)』で「554年には東方正教会の総主教座が置かれ」(p.38)とある
大変驚きました。困ったことですね…東方正教会の総主教庁は西欧には存在して来なかったのですが…いやそもそも、554年の段階では東西教会の分裂は全く確定しておりません(分裂時期は最も早くに判断する場合でも精々7、8世紀です)。一体なぜそのような記述が「アカデミー」を名乗る媒体に掲載されているのか全く理解に苦しむ次第です。学術文献に当たらずとも、文庫・新書レベルで確認出来る知識なのですが…--Kliment A.K. 2008年10月1日 (水) 15:10 (UTC)[返信]
移動の賛否自体は引き続き示しませんが、とりあえず整理のために、少し調べたことを掲げておきます。あまり時間がなくて少ししか調べられていませんが。
上記以外に、以下の世界遺産本はいずれも「総主教(座)聖堂」を採用しています。
・日本イコモス国内委員会 協力『世界遺産を旅する』シリーズ、近畿日本ツーリスト
日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2000』1999年
青柳正規 監修『ビジュアルワイド世界遺産』小学館、2003年
古田陽久『世界遺産ガイド・イタリア編』シンクタンクせとうち、2006年
『年報2000』には次の記述があります。
後にギリシャ正教のイタリアにおける長老座所在地(554年~1751年)となり、中央ヨーロッパの広大な地域への伝道に重要な役割を果たした。(p.27)
世界遺産本ではありませんが、同様の記述は『ミシュラングリーンガイド・イタリア』(実業之日本社、1998年)にもあります。
ついでギリシア正教の長老座の所在地(554~1751)となった。この長老座はイタリアにおけるビザンチン教会の長老座の最も重要なものの一つであった。(「アクイレイア」の項より)
調べた内容へのコメントは控えますが、移動する場合には登録名の訳語について詳しい加筆がなされる(もしくはWikipedia:ウィキプロジェクト 世界遺産/より正確な記事名で丁寧な事情説明がある)方が、閲覧者にとっては親切かと思いました。--Sumaru 2008年10月3日 (金) 13:28 (UTC)[返信]

引用元の文献批判[編集]

Sumaruさん、調査をありがとうございます。
旅行ガイド本の出鱈目さにはいつも泣かされております…orz(念のため申しますが、Sumaruさんを批判する意図ではありません、あくまで一般論としてです)。「生神女就寝大聖堂」と書くべきところを「聖母被昇天聖堂」などと書いたり、兎に角「教派ごとの用語の違いなど無頓着」なのが殆どの旅行ガイド本です。
次に、世界遺産関連の書籍についてですが、これもキリスト教関係用語については本当に無知・無頓着なものが多くございます。良質な百科事典を作るにはこのような無頓着な術語選定は排除しなければならないでしょう。
今回の件についてですが、「正教会のアクイレイア総主教座」などというものは完全に初耳であります。無論、実際にはアクイレイアに"Patriarchate of Orthodoxy"(正教の総主教庁)が存在し、浅学な小生が初耳なだけだ…という蓋然性は全否定しませんが、ネット検索をかけても英語文献の確認がとれません。むしろそれを否定する材料ばかりが見付かります(後述します)。
また、挙げられました「長老座」というのも原語が不明瞭であり、執筆者の見識が疑われるものです。正教会用語でふつう「長老」といった場合、「スターレツ」(ロシア語)の訳語に当てられ、これは神品 (正教会の聖職)の枠外にある修道院の指導者に当てられるものです(アルヒマンドリト:掌院とは別であります)。どの職名に「長老」の訳語を当てているのか分かりませんが、正教の"bishop"、"archbishop"はそれぞれ「主教」「大主教」と訳される事が普通であり、「長老座」が何を意味しているのかさっぱり分かりません。--Kliment A.K. 2008年10月6日 (月) 14:42 (UTC)[返信]

今回の件についての考察と結論[編集]

挙げられました文献の非妥当性については上記の通りであります。さてでは、結局en:Patriarchate of Aquileiaの訳語は、アクイレイア総大司教座とアクイレイア総主教座のいずれが妥当なのでしょう?設立年代は本格的な東西教会分裂前の事のようですから、この主教座がローマ教皇庁の下にあったのか、コンスダンディヌーポリ全地総主教庁の下にあったのかが問題となります。前者ならば「総大司教」、後者ならば「総主教」が適訳でしょう。調べてみました。
提示しますソースはCATHOLIC ENCYCLOPEDIA(パブリックドメイン)であります。カトリック教会の伝統ある百科事典であり、信用が置けると思います。
問題になる記述は以下の通りです。
However, the Bishop of Aquileia began to use his complimentary title in a more definite sense. Though Illyricum undoubtedly belonged legally to the Roman Patriarchate, it was long a fruitful source of dispute with the East (Orth. Eastern Church, 44-45); Aquileia on the frontier thought itself entitled to some kind of independence of either Rome or Constantinople. At first the popes resolutely refused to acknowledge this new claim in any form. Then came the quarrel of the Three Chapters.
これを見る限り、「アクイレイアの主教座はローマからもコンスタンディヌーポリからも一定程度の独立性を主張した事があるものの、ローマ教皇庁はこれを認めなかった」ことになります。さらに以下のような記述もあります。
But there is a fundamental difference between these and any Eastern patriarchate.
の後に
The Western patriarchates have never been more than mere titles conveying no jurisdiction at all. The earliest of them was Aquileia in Illyricum.
と記述されています。この辺りの記述によれば、「西方で言う"patriarchate"と、東方で言う"patriarchate"には根本的な違いがあるのであり、西方の"patriarch"は"Roman patriarchate"(ローマ総大司教すなわちローマ教皇)以外は実質的権限を伴ったものではなく、そのような"patriarchate"のうち最初期のものとしてアクイレイア主教座が挙げられる」事に成ります。
これまで小生が読んできた正教会関連の文献に記された各総主教座とも矛盾の無い記述であり、これが正解でありましょう。
小生の出しました結論としましては、
en:Patriarchate of Aquileiaは一定のローマからの独立性を主張した事はあるものの、大半の歴史をローマ教皇庁の下の司教座として存続してきたのであり、"Patriarchate of Aquileia"はローマ・カトリック教会の用語で訳して「アクイレイア総大司教座」が望ましい
となります。反対意見が無ければ提案から1週間を経た時点で改名を実施させて頂こうと思います。その際には、訳語についての補足説明の加筆もさせて頂こうと考えております。--Kliment A.K. 2008年10月6日 (月) 14:41 (UTC)[返信]
明瞭なご説明ありがとうございます。世界遺産記事は日本ユネスコの訳語を金科玉条として書き変えてしまう方がしばしば出てくるのでその辺を懸念していたのですが、Kliment A.K.さんに御加筆いただけるのなら、その虞もないと思います。お手数ですが、よろしくお願い致します。
蛇足ですが
>世界遺産関連の書籍についてですが、これもキリスト教関係用語については本当に無知・無頓着なものが多くございます。
この辺は貴方やPeccaflyさんに度々直していただくこと中で、徐々に認識できるようになっているのですが、今後とも気をつけていきたいと思います。--Sumaru 2008年10月7日 (火) 12:11 (UTC)[返信]

アクイレイアの総大司教[編集]

 こんにちは、ご無沙汰しております。Methodios です。某氏が私のアイデンティティをウィキペディア上で暴露なさったために、しばらく姿をひそめておりましたが、特に大きな問題もないようなので、久しぶりに失礼いたします。  アクイレイアの総大司教座が、もともとローマの管轄下にあったか、コンスタンチノープルとの結びつきのもとにあったのか、ということを問題にしている方がいらっしゃるようですが、実は、そういう考え方では、この問題は解決しないのです。  簡単に言うと事はこうです。  三章問題に関する皇帝の詔勅が出た時に、アクイレイアの府司教とそれに従う司教たちは、この詔勅に反対して、シスマを起こした。そのため、アクイレイアの司教は、(当時、西方で唯一の総大司教であったローマの教父の向こうを張って)、総大司教を名乗るようになった。そして、この肩書きは、シスマが解消したのちも、ローマからも認められるものとして使われ続けた。  したがって、アクイレイアの総大司教という肩書きは、首都の教会からも、ローマの教会からも、独立したものとして誕生したものと言うべきです。  なお、patriarcha の日本語訳は、総大司教の他に、少し古い文献では、総司教となっている場合もあります (特に非ラテン教会の場合)。