ノート:オリガ (キエフ大公妃)

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議論始点[編集]

事実関係を書く事がAlex Kさんには「正教会至上主義」なんですか?世界史教科書でも何でも御覧下さい。私の書いている内容よりもずっとはっきりと「ギリシャ正教受容のはじまり」とされていますよ。通説とのバランスも考慮して下さい。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 15:28 (UTC)[返信]

「正教至上主義」のことです。ルーシの宗教史では「正教」しか見えないと主義のことです。オリガはギリシアで洗礼を受けたと言われているが、それは「正教」の始まりというよりも「キリスト教」の始まりと言ったほうが適切だと思います。オリガはギリシアの宣教師だけでなく、ドイツの宣教師もキエフに招いていたことが知られております。ですから、「ギリシャ正教受容のはじまり」はウソです。キリスト教受容の始まりのことです。10世紀ー11世紀のルーシの大公達はギリシア人の坊主が気にする「東西教会の差異」にあまり興味が示しなかったのです(例外はともかく)。彼らは「信仰」より「政治の利益」を大事にしていたようです。その故、ときにはギリシアに、ときにはローマに顔を向けていたのです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 15:53 (UTC)[返信]
>ギリシア人の坊主が気にする「東西教会の差異」
誤りです。ローマ人聖職者も「東西教会の差異」を気にしていました。スラヴ語典礼が許可されるかどうかがローマ・カトリックに於いて危うかった歴史を、スラヴ系の方なら御存知でしょう。それから、「ギリシャ人の坊主」などという時点で中傷が含まれています。解っていて日本語お使いになっていますか?
>ときにはローマに顔を向けていたのです。
そういう事例は存じております(もしそれが無ければ、小生も「キリスト教(正教会)」ではなく単に「正教会」と書いています、9世紀頃から両教会の違いは既に表れていたのですから)。
でしたらそういう例外的事例について書き加えられたらいかがでしょう?別に小生はそれには反対しません。
但し、あくまで例外的事象として捉えるべきであり、そう記述するべきでしょう。キエフ・ルーシが正教国となっていた事は間違いないのですから(少なくともそれが通説です)。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:01 (UTC)[返信]
ところで、カトリック教会でもオリガは亜使徒の称号をもっていらっしゃるのです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:02 (UTC)[返信]
>ところで、カトリック教会でもオリガは亜使徒の称号をもっていらっしゃるのです。
存じております。書き加えればいいではないですか。なぜ「事実を消去」するのですか?「書き加える」であれば私も反対しませんよ。
しかし、議論の最中にまた「削除」なさるとは…なるほど、議論しても無駄な方だということはよくわかりました。歴史的事実についても記述する事を許さないという訳ですね。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:04 (UTC)[返信]

>スラヴ語典礼が許可されるかどうか

ロシア帝国の研究史の作り話です。ローマの坊主は布教が許されていたら、スラヴ語典礼は問題にしなかったのです。例は、スビャトポルク公、イジャスラヴ公、ダヌィーロ公。。。現代の研究史を御参考に-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:07 (UTC)[返信]

>但し、あくまで例外的事象として捉えるべきであり...云々

これこそが:「正教至上主義」です。正教でなければ、例外!「平家にあらずんば、人に有らず」というシリーズからですね。:)-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:10 (UTC)[返信]

>これこそが:「正教至上主義」です。正教でなければ、例外!「平家にあらずんば、人に有らず」というシリーズからですね。:)
何を笑っているのです?気色悪いですけれど…
「キエフ・ルーシが正教国」になった事の歴史的きっかけを記述する事が「平家にあらずんば、人に有らず」?
>ロシア帝国の研究史の作り話です。
何を勘違いされているか判りませんが、私が申しているのはモラヴィア伝道以来の歴史です。結果的にはローマは認可する訳ですが、ローマがスラヴ語に難色を示したなどというのは「通説」です。申し訳ありませんが強制的に削除を繰り返す得体の知れないウクライナ人よりも、通説の方に説得力を感じるのですよ。私は権威主義者でも何でもありませんが、話を聞くかどうかは相手の態度によります。貴方は最初から無礼であり、少数説を外国で広める事について無神経過ぎます。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:12 (UTC)[返信]

そうですか?しかし、Kliment A.K.さんは無礼のはあなたではないでしょうか。このノート:聖ソフィア大聖堂 (キエフ)で始めてあってから、ずっと私を責めて入るようです。偏見だととか、OO主義者だとかいいて。。。通説だというなら、出典を明らかにしなさい。「正教」を中心とした独自研究にしか見えません。その上、ロシア語・ウクライナ語を知らないまま、ルーシの宗教史をやらないほうがいいと思いますよ。史料も、資料も読めないですから。東西の分裂はルーシに響いてきたのはヤロスラヴ一世の子孫の時代のころであった、オリガ・ヴォロデメルのころではありません (それはどこの歴史書にもかいております。当然よめないでしょうが。。。)。ルーシ史をはじめ、世界史は正教を中心とした歴史ではないんです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:28 (UTC)[返信]

>そうですか?しかし、Kliment A.K.さんは無礼のはあなたではないでしょうか。このノート:聖ソフィア大聖堂 (キエフ)で始めてあってから、ずっと私を責めて入るようです。

責められるだけの行動をなさっていたとお考え下さい。いきなり削除、そして議論の最中に「このようにいたそ」(←非常に日本語的には無礼な言辞です)として勝手にカテゴリを変更したのは貴方ではなかったですか?

問題となっている部分を削除して、問題を解決した上で、書き加えたほうが当たりまえなことだと思います。Kliment A.Kさんは自分の論を強制的に押し進めているから、問題をおこしている部分を何度も削除しなければならくなります。記事を問題の前の状態にもどすためです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:45 (UTC)[返信]

>東西の分裂はルーシに響いてきたのはヤロスラヴ一世の子孫の時代のころであった、オリガ・ヴォロデメルのころではありません (それはどこの歴史書にもかいております。当然よめないでしょうが。。。)。
ですから何度も申しておりますが高校の「世界史教科書」を御覧下さい。ここは「日本語ウィキペディア」なんですよ。ウクライナ語文献を沢山引張って来られても、「日本での通説」「手に入る日本語文献」からかけ離れたものが示されても、日本人がチンプンカンプンになるのは当たり前じゃないですか。勿論、貴方の研究成果が将来に実りをみせて、日本における通説が変更されればそれはそれで大変結構な事だと思いますが、現時点ではそうじゃない。そういう態度が「無礼」じゃないと思える貴方の価値観が不可解でしょうがありません。

--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

>ここは「日本語ウィキペディア」なんですよ

それは論拠ですか?読めないから、誤った情報を載せても、かまわないと?それは何らかの勘違いとおもいます。英語のwikiでは外国語でも出典を出してもかまいません。逆に外国語で出典を出し他方が研究者にも多少役立ちます。ともかく、問題は、出典ではなく、Kliment A.K.さんのルーシ史の知識です。東西の分裂に論じても、外国語を知らずに、東西分裂はどんなふうにルーシを変えたのかを論じることは不可能です。故に、外国語を知っている人、それに、ルーシの史を日本の教科書からでなくまともな文献から知っている人の修正を猛反発に否定してもいいでしょうか?-- Alex K 2007年11月17日 (土) 17:02 (UTC)[返信]

>ルーシの史を日本の教科書からでなくまともな文献から知っている人の修正を猛反発に否定してもいいでしょうか?

時間差だと思うのですが、下に返答を書きました。「そんな乱暴な事は申しておりません」「貴方には期待もしています」。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 17:03 (UTC)[返信]
それからどうも貴方は誤解され切っているようですが、私の書いた脚注を全て読みましたか?「この頃には東西教会の分裂が確定していなかったという見解も有力である」と書いた筈なんですが…そこも削除されましたよね?貴方は、ご自分と見解が異なっていない部分も纏めて消去しているのです。そこが、私の根源的な不信の原因です。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:43 (UTC)[返信]
私の書いた内容を引用しましょう。
この時期(10世紀)は、東西教会の分裂の象徴的年代とされる1054年より以前の事であり、オリガは「正教会から洗礼を受けた」というよりは「キリスト教の洗礼を受けた」というべきだとする見解も有力である。
この記述のどこに問題があったのですか?--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
>Kliment A.Kさんは自分の論を強制的に押し進めているから
「自分の論」ではありません。「通説」です。これを小生が「自分の論」などと言ったら、山川出版社が怒りますよ(苦笑)。「自分の論」を進めているのはAlex Kさんです。少なくとも日本においては。そこは、自覚して下さい。その上で説得なさる(教えて下さる)と仰るのなら、せめて英語文献と日本語文献でお願いします。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:52 (UTC)[返信]

通説なら、「OOさん」の通説でしょう?そこは書いておりません。さらにロシア語・ウクライナ語が出来ないのなら、どうやってそのようなテーマを自身満々で修正することができましょうや?:)) -- Alex K 2007年11月17日 (土) 17:09 (UTC)[返信]

>通説なら、「OOさん」の通説でしょう?そこは書いておりません。さらにロシア語・ウクライナ語が出来ないのなら、どうやってそのようなテーマを自身満々で修正することができましょうや?:))
前から気になっているのですが、議論の最中に笑う顔文字を書きこむ癖は止めた方がいいかと思いますよ。私は別に「自信満々」などではありません。だからこそ再三申しておりますがウクライナ正教会では教えを乞うたではありませんか。それは印象操作というものです。…まあ、小生、段々どうでもよくなってきたのも事実です。それほど思い入れのある記事では御座いませんので。但し、高校で最大のシェアを誇る歴史教科書の記述を「通説」と捉えないというのは初耳です…もしかして、今の教科書では記述が変わっているのでしょうか?オリガは兎も角、ウラジーミル1世については和田春樹編の「ロシア史」でも「ギリシャ正教受容」となっております。…尤も、小生は和田氏に疑念を抱いているので否定されても一向構いませんが。先ほど、歴史ポータルの方に議論参加の要請を出しておきましたから、後はプロかセミプロの方々にお任せしようと思います。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 17:17 (UTC)[返信]

それから、小生の正教会への思いいれは否定致しませんが、別にロシアにだけ思いいれがある訳では毛頭、御座いません。Alex Kさんには期待もしているのです。正直なところ、小生は現在のロシア史研究論壇のソ連史への偏りに疑問を感じております。カウンターとしてのウクライナ史観は是非とも日本に必要だと思っております。それだけに、現状、日本におけるルーシ研究が「ロシア史観」をベースに作られている事の重みと現実を知って頂きたい。それが問題だという位の事は小生も存じております。ですが小生も「ロシア史観」をベースにしたものしか手にする事が出来ませんし、いくら「それは偏っている!」と言われても、検証出来ない事には変わりありません。

もちろん、「通説だけを書け」などと乱暴な事は申しません。せめて「私の論(というのも恥ずかしいくらいの日本における通説)」と「Alex Kさんの仰る世界的通説」の「両論併記にしたらいかがですか」と申しているのです。

--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:59 (UTC)[返信]

では、なぜ喧嘩をするでしょうか?必要ないでしょう?今日は「和議」を結ぶことにして、明日に建設的なつづきをやりましょう。明日の夕方・明後日にウクライナ・ロシアの文献を翻訳して、ルーシの宗教政策を紹介してみようと思います(正教の役割は否定しないが、カトリック教を含めてルーシの有りさまを考えて頂きたいだけです)。それでは、神の御加護!:) -- Alex K 2007年11月17日 (土) 17:19 (UTC)[返信]

>なぜ喧嘩をするでしょうか?必要ないでしょう?
一点だけです。「削除するのではなく加筆して下さい」つまるところ基本はこれだけです。
それでは今日のところは、おやすみなさい。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 17:20 (UTC)[返信]
お互いの誤解を減らすために、もう少し、私の基本的立場のようなものを2点、以下に述べておきます。
  • 我が国のルーシ研究には、ロシア史観への偏りがみられる。→(カウンターとしてのウクライナの視点の必要性)
  • 我が国のキリスト教研究には、西方教会への偏りがみられる。→(カウンターとしての東方教会の視点の必要性)
  • (追記)ロシア史観への偏りがあるにしても、ロシア史観を全否定するだけの必要性は認められない(あくまで「両論併記」推進)。ロシアの見解もウクライナの見解にも現時点の日本人としては、当初は等距離を置くしかない。
--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 17:36 (UTC)[返信]

翻訳[編集]

研究では「正教」ではなく「キリスト教」しか用いられていません。ゆえに、当記事においても「キリスト教」が好ましいと思います。さらに、Klimentさんは、私を根拠なしで「嫌いロシアPOV」、「民族主義者」、「カトリック至上主義者」などの色々なラベリングで責めようとしているが、今回はその妙なラベリングをやめさせるためにわざわざとロシア語の研究を提出しました。翻訳は完璧でありませんが、ご勘弁ください。-- Alex K 2007年12月27日 (木) 00:42 (UTC)[返信]

ロシア語の研究

    • По летописи Ольга приняла христианство в 955 г….
    • 年代記によればオリガは955年に キリスト教を受けたが、...
    • Под 959 г. в хронике продолжателя Регинона Прюмского стоит запись: “Пришли к королю, — как после оказалось, лживым образом, — послы Елены королевы ругов, которая при константинопольском императоре Романе крещена в Константинополе, и просили посвятить для сего народа епископа и священников”[70]. Сообщение это настолько необычно, что многие, например, А. В. Карташев, из ложно понятого православного патриотизма отказывались верить в возможность подобного шага со стороны святой Ольги. Однако факт остается фактом: княгиня послала к саксонскому королю Оттону I, готовившемуся стать германским императором, послов с просьбой об учреждении епископии; при этом подразумевался ее автокефальный статус.
    • 続レギノン・プリュームスキ年代記の959年の条では、「(ドイツの)王様のところに、コンスタニトポリ皇帝ロマンのもとにてコンスタンチポリで洗礼を受けたヘレナというルーギ族の女王から使節団がやってきた(その使節団が不正の目的できたことがのちほど明白となった)。その使節団はルーギ族のために司教と司祭を任命するようにと願い申しあげた」という記事が記入されている。この記事はあまりにも奇妙なものであったため、カルタシェフをはじめ多くの研究者が誤解された正教至上主義の立場から、聖オリガがそのような手段を利用していたことがないと信じていたのである。しかし、事実は事実である。大公妃は、ドイツの皇帝になろうとしていたザフセンの王オット一世に使者を派遣し、司教区を作るように懇願した。そして、その司教区は

独立を承認されるようなものでなければならなかったのである。

ウクライナ語

    • Християнкою була вдова Ігоря княгиня Ольга, нібито охрещена самим патріархом за участю візантійського імператора під час візиту в Константинополь у 50-х роках Х ст. (точна дата цієї події лишається спірною). У 959 р. Ольга навіть звернулася до німецького імператора Оттона І з проханням призначити [для її народу] єпископа і священиків [episcopum et presbiteros... ordinari] тобто мала намір поширити хрещення на всю державу.
    • イゴル大公の後家だったオリガ大公妃はキリスト教徒であった。彼女は、950年代、コンスタンチノポで皇帝を訪問する折に、総主教から洗礼を授けたといわれている(正確な日付について論議あり)。959年、オリガはドイツの皇帝オット1世に頼んで、自分の人民のために司教と司祭を任命されるようにと懇願した。つまり、オリガは全国(ルーシ)に洗礼を広めようとしたのである。

-- Alex K 2007年12月27日 (木) 00:29 (UTC)[返信]

最初から一貫して両論併記を要求しているだけなのですが[編集]

小生は別にオリガ大公妃が受けた洗礼について「正教会とのみ限定して記述するべきだ」などと言った覚えは一回も無いのですが…「両論併記」程度の事を申したまでです(ですから「キリスト教」と書くべきだという意見についても尊重した編集をした筈ですが)。11世紀後半以降、オリガのコンスタンティノポリからの受洗が(広義の)ルーシに於いて正教会が優勢になった事のきっかけになったのは明らかなのであり、その点で両論併記が必要だと申したまでです。その辺りを一切考慮せず、感情的なまでと思えるほどの小生に対しての批判をなさるAlex Kさんの態度は、やはり小生には奇異に思えます。--Kliment A.K. 2007年12月27日 (木) 15:34 (UTC)[返信]
>私を根拠なしで「嫌いロシアPOV」、「民族主義者」、「カトリック至上主義者」などの色々なラベリングで責めようとしているが
根拠については小生のトークページに記しました。この件につきましては小生のみの意見では無い事も御記憶下さい。要するに「やり過ぎ」は禁物だと言う事です。
(追記)
それと、根拠の無いラベリング云々でしたら、貴方も相当な物言いをなさっておいでです。
>これこそが:「正教至上主義」です。正教でなければ、例外!「平家にあらずんば、人に有らず」というシリーズからですね。:)
こういう発言をなさる方に「ラベリング云々」と仰られても、何だかなあ、としか思いません。
但し、このノートページにも似たようなことを一度記しましたが、改めてこちらのAlex Kさんに対する評価点も申し添えます。
  • ウクライナ史についての史観についてはロシア史観の偏りの是正を日本語で行いうる研究者として期待しています。
  • 別に小生は「自信満々」などではありません、ただ「両論併記」すら許さないAlex Kさんのやり方には大いに異議を感じているのみです。ウクライナ語・ロシア語・日本語・英語に通じていらっしゃるAlex Kさんの実力や知識まで否定する者では小生はありません。
お分かりですか?小生はただ「日本の各種文献で当たり前のように記載されている事項」と「最新の研究成果の一端」の「両論併記」を要求しているだけです。ちなみに前者については和田春樹氏の編集に成る著作を提示しておきました。

--Kliment A.K. 2007年12月27日 (木) 15:45 (UTC)[返信]


Kliment さん

>根拠については小生のトークページに記しました。この件につきましては小生のみの意見では無い事も御記憶下さい。要するに「やり過ぎ」は禁物だと言う事です。

根拠はいまだにありません。ラベリングのレーベルにすぎません。「やり過ぎ」の例も見当たりません。

>こういう発言をなさる方に「ラベリング云々」と仰られても、何だかなあ、としか思いません。

これはラベリングではありません。ルーシに関するKlimentさんの編集の仕方から、そのような結論を出すしかないからです。

「正教至上主義」の押し通しとしか思わない幾つかの例を挙げます。

以上の編集は「誤解された正教至上主義」(Е. С. Холмогоров氏の発言)という方針でなされたとしか思いません。そうでなければ、「キリスト教」を「正教」に変えるはずがないでしょう。私の考えは間違っているのなら、Kliment さんが御説明いただければ幸いです。

次は、Klimentさんの基本的な立場の点についてです。

>我が国のルーシ研究には、ロシア史観への偏りがみられる。→(カウンターとしてのウクライナの視点の必要性)

賛成です。ただ、ウクライナの視点というよりも、ロシア人の研究史以外の欧米の研究史にも注目すべきだと思います。ウクライナの視点だけにすると「ロシアの神話」対「ウクライナの神話」になるだけです。

>我が国のキリスト教研究には、西方教会への偏りがみられる。→(カウンターとしての東方教会の視点の必要性)

賛成です。ただ、ローカルなルーシのキリスト教史も知ることも大事です。11世紀後半までにルーシは正教とカトリックの違いはあまり重視していなかったことは事実です。ですから、オリガ (キエフ大公妃)ウラジーミル1世を正教占めにするわけには参りません。「キリスト教」という言葉を一貫して用いればよいと思います。その言葉は「正教」でも「カトリック」にも通じるのです。

>(追記)ロシア史観への偏りがあるにしても、ロシア史観を全否定するだけの必要性は認められない(あくまで「両論併記」推進)。ロシアの見解もウクライナの見解にも現時点の日本人としては、当初は等距離を置くしかない。

ロシア史観を全否定する必要がないと思います。否定ではなく「神話的な」研究史の論点とそれを見破る現代の研究史の論点を両立して書けば、最もいいと思います。ただし、事実無根の事、あるいは間違っている事だけを書く事がしかるべからずと思います。

それに、「両論併記」といっても、教会(正教会もカトリックも)にかかわりのない記事に「教会」という単語また「教会」に関するカテゴリーを付け加える必要はないと思います。また、現代ウクライナについての記事において、一々ロシア語の表記を書くことが全く必要もないと思います(interwikiがあるはずだし、ウクライナはロシアの一部ではないからです)。

最後に、私は日本語であまり早く書けないので、ご了承ください。また間違いをご指摘していただければ、ありがたいです。-- Alex K 2007年12月28日 (金) 03:59 (UTC)[返信]

二点だけ御返事しておきます。他は、年を越してからになるかもしれません。
>これはラベリングではありません。ルーシに関するKlimentさんの編集の仕方から、そのような結論を出すしかないからです。
貴方の思い込みです。正教会に一切の好感を持っていないであろう、自他共に共産主義シンパと認める和田春樹氏の編著における表現が、「正教会至上主義」とは恐れ入りました。
>11世紀後半までにルーシは正教とカトリックの違いはあまり重視していなかったことは事実です。
ローカルも何も、正教とカトリックの違いは9世紀から既に顕在化していました。と言って何度も申しておりますように小生も「この時に正教とカトリックが完全に分かれていた」などとは書いておりませんし、オリガが正教会から洗礼を受けたと断言した覚えも御座いません。そもそも履歴をよく御覧になって頂ければお分かりになりますが、「オリガが正教会の洗礼を受けた」と表現したのは小生1人ではありませんし、ここまでどなたも疑問に持たないほど「日本では」通説となっているのです。寧ろ小生はこの見識に対して修正を加える事に賛同しているのであり、相対的に言えばAlex Kさん寄りの立場なのですよ。傍目から見れば恐らく滑稽な争いに見えているのではないかと思います。小生程度の見解に妥協出来ないというのもこれまた奇異に思いまし、小生程度の表現を「正教会至上主義」などと仰るようでは、これまでの編集者が全て同様の非難をされた事になりますが、如何。--Kliment A.K. 2007年12月28日 (金) 17:11 (UTC)[返信]

これまでの履歴を振り返ります[編集]

そもそもですね、5月の履歴Alex Kさんが放置されていらした「正教会からの洗礼」の文言に、「この当時の洗礼は正教会からのものではなくキリスト教のものと表現すべきだという見解もある」といった文言を付加えたのは、ほかでもない小生ですよ(11月における最初の小生の書き込み履歴)?

こうした姿勢に関わらず、「正教会至上主義云々」と云われ、それを「根拠あり」などと言われては、中傷だとしか思えません。全く出鱈目な御対応にあきれ返っている次第であります。--Kliment A.K. 2007年12月28日 (金) 17:18 (UTC)[返信]

もう一つ申し上げますが、上記のように御自分の都合の良い履歴のみを引っ張り出してきて小生に謂れの無いレッテル貼りをなさろうとした事には、非常に強い憤りを感じます。--Kliment A.K. 2007年12月28日 (金) 17:27 (UTC)[返信]


理想論を言いますが、お許しを。
私は、Kliment A.K.さんの用いられている日本語文献の信憑性は問題ないと思います。ですから、その日本語文献の出典となっているロシア語なり古いルーシの言語の文献なりを調べればなぜ日本で「正教会が」というのが定説になっているのか理解できるでしょう(もしかしたら、「正教会」と記述している原語資料が多数あるのかもしれませんし、たんなる慣習で「(原語)キリスト教」を「(日本語文献)正教」と意訳しているだけかもしれません。もし意訳であれば、その意訳が正当なものであるかどうかさらに検証が必要です)。しかし、日本で原語の原典に当たるのはかなり困難かもしれません……。
Alex Kさん、翻訳ご苦労様でした。Alex Kさんのご主張を裏付ける資料は取敢えずそれで問題ないとしましょう。としてもですよ、「Aと言っている文献」をすべて書き出しても、それは「Bと言っている文献」の存在の有無には全く関係ないことです。もしかしたら「正教会」と記述している原語資料も探せばないことはないかもしれません(日本ではよく言うことなのですが、「ないものを証明するのは難しい」。Alexさんがご自身の主張を裏付ける資料を提示されたからといって、「正教会」と書いている資料が皆無であると言う裏付けにはならない)。また、当時の名称「キリスト教」は実質的に今で言う「正教」に相当した可能性も100 %は否定できませんよね? 結局のところ、Alex Kさんのご主張にきちんと出典・根拠があることはわかった、じゃあ両論併記で、という結論しか現段階では出すことができません。両論併記を拒むのでしたら、「正教会」と書いた史料が皆無であることをまず証明していただくことが前提となると思います(それでも、本文内には「日本語文献では「正教会」とされることが多い」と書く必要は残ります)。
というわけで、すでに現段階では、Kliment A.K.さんの日本語出典の元情報(原語資料)の調査が非常に重要だと言わざるを得ません。その上で、「キリスト教を受容した(日本語文献○○では「正教」と書かれる)」にするか「正教を受容した(ロシア語文献○○やウクライナ語文献○○では「キリスト教」と書かれる)」等、どちらを主とするかが決められると思います(Kliment A.K.さんの仰る両論併記はウィキペディアの原則ですので守っていただきたい、しかし、それでもやはり優先順位はある、ということです)。
Alex Kさん、どちらかの説が明らかに間違いであるということが証明されない以上、平等を原則とした両論併記は已むを得ないです(積極的に両論併記が良いか悪いか、ということではありません。ウィキペディアのルール上、このような方式を取ることは已むを得ないのです)。どちらかが間違いであると判明した場合は、ページ本文内に「これこれというの説があるがこれこれという理由において間違いである」と明記するべきでしょう。いずれにせよ、どちらか一方の説だけ記載して一方を隠蔽することは(何度も重ねて言いますがウィキペディアのルール上)できません。小さな問題であれば片方を黙殺することも可能かと思いますが、これだけ問題になっているのですから恐らくそれはもう無理でしょう。
その他、○○主義の論争については私が口出しすると問題を悪化させるだけですので慎みます。と言いつつ一言だけ言えば、何となくすでに議論というよりは「けんか」の領域に入ってきてしまっているように思え、心配します……。できれば、新年は心機一転、旧年中のことは水に流せれば幸いです……。--ПРУСАКИН 2007年12月28日 (金) 18:31 (UTC)[返信]

Kliment A.K.さん、

>正教会至上主義云々

嫌@@@POV、@@@主義、云々のこと、本当にやめましょうよ。そのような武器を両方でおさめて、建設的な討論すればいかがですか?

>小生に謂れの無いレッテル貼りをなさろうとした事

よくわかりません。この修正はKliment A.K.さんのものではないでしょか。?そこで「この当時の洗礼は正教会からのものではなくキリスト教のものと表現すべきだという見解もある」という文が見当たりません。その代わりに「正教会から洗礼を受けた」というよりは「キリスト教の洗礼を受けた」というべきだとする見解も有力である」というふうな表現があるが、その表現は「しかしながら」の続きがありまして「・・・従って本項では折衷的記述として、オリガは受けた洗礼を「キリスト教正教会)からのものと表現する」という結論が出されています。そこの「「キリスト教正教会)」という文は、ただ「(正教会)」と書いても同様なもので、私は納得いけませんでした。

おそらく、私とKliment A.K.のアプローチが異なっているから、合意は得られないのではないかと思います。Kliment A.K.さんは、日本の研究史に基づいて、ビザンツ側から見たのオリガの洗礼を正教の洗礼だったと解釈なされているようです。私は、母国・ロシアの研究史をもとに、ルーシ側から見たオリガの洗礼を正教でもなく、カトリックでもなく、ただのキリスト教の洗礼だったと説明してます。確かに、ビザンツは、オリガが当時の東方キリスト教から洗礼を受け、ルーシをビザンツの勢力範囲に入れた、と見なしていたはずです。しかし、オリガは、後にドイツの皇帝に司教を頼んだことによって、東方キリスト教と西方キリスト教にかかわらない自らの独立ルーシ教会を作ろうとしていたことが明らかになっています。もし、ビザンツの見解とルーシの見解を両記することができれば、おもしろい記事になるはずです。ただし、「東方キリスト教」のかわりに「正教」という単語を用いることがよろしくないと思います。なぜなら、当時の正教会がカトリック教会と同様にまだ形式的に存在しないので、そのままで「正教」を用いると、聊か紛らわしかかと思いまし、読者に誤解を招く恐れがあると思います。

喧嘩のことを水に流して、年が明けてからいい修正と議論を続けましょう。よいお年を!!!-- Alex K 2007年12月28日 (金) 20:35 (UTC)[返信]

仰るとおり、片方が日本語文献、片方が外国語情報を元に議論なさっているのでなかなか難しいところです。私は日本語文献の信頼性は問題ないと思います。というのは、それはきちんとした外国語史料(ロシア語・英語・ドイツ語・ルーシ語等)を踏まえた上できちんと作成されているはずだと思うからです。もし日本語文献の元資料が辿れれば、恐らく問題は容易に解決されるでしょう。そうでなければ、文章を工夫して、お互い過不足のない形で(つまり厳密に平等な文章表現・文章構成で)両論併記、ということになるでしょう。
「キリスト教」と書いている原語資料があることはわかったのですが、問題は「正教」と書いている原語資料があるのかないのか、ということです(現在示されている情報からはこの点はまったく不明です)。あるとすればよし、ないとすれば恐らく日本語文献では慣習的に意訳を行っているものと解釈できそうです。但し、それについては英語やドイツ語といった他の外国語でどのようにしているかという点もチェックしなければ、日本での習慣なのか国際的な習慣なのかは判断しかねるでしょう。--ПРУСАКИН 2007年12月29日 (土) 05:17 (UTC)[返信]

ПРУСАКИНさん、

  • 「正教」と書いている資料を探してみます。あるはずと思います。今回、紹介しましょう。源語史料プラススラブ語系の研究史。
  • ルーシに関する日本語文献については、たしかに議論するは難しい。しかし、私は、あるまともな日本語文献においてもルーシについても、コサックについても、明らかな間違い(事実の解釈のではなく、事実を有無に関する問題)があったこと、そして、その間違いに基づいている結論をだされていたことが見かけたことがあります。ともかく、私はすべてのオリガについての日本語文献を見たことがないので、今度チェックさせていただきます。-- Alex K 2007年12月29日 (土) 12:17 (UTC)[返信]
Alex Kさんに「正教」と書いている資料を探していただけるというのはたいへん助かります。私たちには古いルーシの史料や新しいロシア語の資料でも探し出すのはきっとかなり難しいことですので。よろしくお願いします。
日本語文献については、元となっている史料がどうであるかわからない限り、日本語資料のみについて議論しても仕方ないようです。日本語資料に間違いがあると言うのは、多分ロシア語か英語か何かの出典に起因することだと思いますので。まあ、少なくとも日本語資料とルーシの史料とを比較するのはあまり意味はなさそうです。
いずれにせよ、最終的に「日本語文献○○では~~~と書かれている」といった形での「両論併記」はページ内で行われることにはなると思います。--ПРУСАКИН 2007年12月29日 (土) 15:49 (UTC)[返信]
Alex Kさん
>そこで「この当時の洗礼は正教会からのものではなくキリスト教のものと表現すべきだという見解もある」という文が見当たりません。
単純に事実誤認です。小生はしっかりとこう↓書きました。
>オリガは「正教会から洗礼を受けた」というよりは「キリスト教の洗礼を受けた」というべきだとする見解も有力である。
但し「<ref>」で囲って脚注という形式を採りましたので、直ぐには見付かりにくいものである事は認めます。しかしながら(Alex Kさんも含めて今までの編集者の皆様によって)「正教会」のママ放置されていた文言の部分に「<ref>(脚注)」形式であるとは言え、以上のような文章を書き加えた小生の姿勢を「正教会至上主義」と断罪された事に対する憤りと違和感は未だに消えません。
相手についての評価の問題につきましては変更するのは難しいでしょうし、そこまではAlex Kさんには求めません。いずれにしましてもこの点についての事実誤認「そんな書き込みは無かったのでは?」だけは訂正を求めます。実際、該当する書き込みは行いました11月における最初の小生の書き込み履歴・脚注部分を御覧下さい)。
なお、Alex Kさんに最後に一言。小生も喧嘩が目的ではありません。年内にまたお話するかもしれませんが、まずとりあえずは「良いお年を」と申し上げさせて頂きます。正直申して不愉快な事もありましたが、実りと学びもあった事もまた事実であります。その事には素直に感謝申し上げたいと思います。
ПРУСАКИНさん、議論への参加ありがとうございました。ПРУСАКИНさんも、良いお年を。--Kliment A.K. 2007年12月29日 (土) 17:59 (UTC)[返信]