ノート:ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争

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初版について[編集]

履歴継承[編集]

初版には以下のページからの訳文を用いております。

また、リューリク朝略系図はキエフ大公国の分裂(2018年8月20日 (月) 11:17‎)内のものを改変して使用しております。

記事名[編集]

ロシア語版によれば、別の名前でこの戦争を呼んでいる研究者の方もおられるようですが、ロシア語版、ウクライナ語版どちらも用いている記事名に準じました(個人的には、「統一」というのはロマン、ダニール親子目線であり、別にこの戦争の参加者全員が統一を目的としていたわけじゃないのでは?という気がしますが。)。さて、日本語版ウィキペディア上でのこの記事名の問題点は、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国ハールィチ・ヴォルィーニ戦争などの既存の記事の名称とのズレが生じる点です。なお、「ハールィチ・ヴォルィーニ」はウクライナ語準拠、「ガーリチ・ヴォルィーニ」はロシア語準拠です。なぜこの名称にしたか、という理由を以下にまとめさせていただきました。
まず、「ガーリチ」か「ハールィチ」かですが、日本語版ウィキペディアは、ルーシの諸公国のうち、特にこの「ガーリチ公国」を「ハールィチ公国」というウクライナ語準拠の表記で記述することが多いようです。にもかかわらずガーリチとしたのは、かつてjp:ノート:ガーリチ公で説明させていただいた理由によります。現時点でもまだ、この時代のルーシ(ロシア・ウクライナ・ベラルーシ)の歴史的人物や地名を、日本語文献上で何語に準じて表記しているかといえば、ウクライナ語・ベラルーシ語よりもロシア語が優勢(というかウクライナ語やベラルーシ語による、新しい歴史学文献が出版されない)なのではないかと思われます。
また、「公国」か「大公国」かですが、ロシア語・ウクライナ語・ベラルーシ語版ではこの国は「公国」(княжество / князівство / княства)であり、大公国と呼ぶことはないようです(なお、ウクライナ語版ではルーシ王の称号から王国(Королівство)と呼ぶこともあるようです)。よって、ここもロシア語版、ウクライナ語版に準じました。ただ、どこかで「大公国」とした日本語文献を見たような気はするのですが(jp:ノート:アールパード朝でコメントさせていただきました)、ちょっと思い出せません。日本語文献では「大公国」が用いられることがあるかもしれません(しかし、そもそも、この公国の歴代の統治者がガーリチ・ヴォルィーニ大公(ヴェリーキー・クニャージ)を称したことは、おそらくなかったのではないでしょうか。初代のロマンがキエフ大公を兼任した時期があるからなのか、あるいは「大公 - の - 国」ではなく、「大きな - 公国」という意味でしょうか?)。
以上、「独自研究」といえばそうだと思います(逆に言うなら「ハールィチ・ヴォルィーニ大公国」という記事名も、現時点では独自研究なのでは、とも思いますが。)。改名提案があればご意見をください。--ノフノフ会話2018年8月26日 (日) 02:07 (UTC)[返信]