ノート:ギリシア神話を題材とした文学作品一覧

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

Wikipedia:記事名の付け方/ギリシャとギリシアにおける議論に基づき、この項目名をギリシア神話を題材とした文学作品一覧に変更したいと思います。ご意見をお願いします。miya 2005年4月8日 (金) 02:16 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

現在の記事名は不適切なので改名を提案します。理由は、ここに列挙されているのは、「ギリシア神話を題材とする作品」ではなく、「ギリシア神話を構成する作品」だからです。少し詳しい事情を、ノート:ギリシア神話 に書いてあります。ギリシア神話は、紀元前3世紀から1世紀ぐらいまでは、なお構成され続けていたのであり、ローマ帝政期の文学作品は、いささか基準に外れますが、ずっと後の人から見ると、これも「ギリシア神話を構成した作品」になります。これらの作品で、神話が可視化・具現化されていなかった場合、ギリシア神話など、どこにもないのです。ホメーロスやヘーシオドスの作品まで、「題材とした作品」に入れているのは、正気の沙汰ではないでしょう。現存する『イーリアス』『オデュッセイア』にしても、ホメーロスが朗誦していたものと、どこまで同じか確認できないのです。ホメーロスの作品自体、朗誦するごとで、短くなったり長くなったり、内容が変わったりで、そもそも、固定したテクストは、紀元前5世紀だったと思いますが、「文字化」したときに初めてテキストができたのですが、このテキストが現在残っているものと同じかというとこれも疑問があります。テキスト化の後でも、吟遊詩人が朗誦していたのと、いま一つ、写本は紀元前3世紀程度にしか遡らないからです。

現代の視点から眺めるので、あるいはアニメや漫画の影響かも知れませんが、「設定」があって、それに従ってギリシア神話を利用したとの考えは錯覚です。アポロドーロスがテキストを造った後では、ギリシア神話とはどういうものか、輪郭がほぼ決まりましたが、それ以前は、ヘーシオドスの書いていることは、彼の創作(無論、当人は、詩神が教えてくれたと信じていたし、そう本文でも書いています)がたくさんあるのであり、どこまでが古来の伝承か確認できません。また古来の伝承と云っても、地域ごとで内容が違っており、また「明白なものではない」のです。「あの高い山には聖なる神・精霊」がいるとか、この森にも神がいると伝わっているというのはありましたが、神とは誰か知らなかったのがあります。オリエントの神話なども参考にして、詩人が具体化したのです(「ギリシア神話を題材とする文学作品」というのは、もっと後世のものを云うべきです)。--Maris stella 2006年9月7日 (木) 20:34 (UTC)[返信]

ヘーシオドスの意味[編集]

追加として書きますが、これはギリシア神話のノートにも記しておくべきことでもあるのですが、何故、ヘーシオドスを幾度も強調して出したかというと、「ギリシア神話として知られる神話システムの中心部分」は、紀元前8世紀に、ヘーシオドスが(近代・現代的な言い方で)「創作した」ものだと云えるからです。無論、根も葉もないことを書いたのではありませんが、大量の葉や根や枝の構造は、ヘーシオドスの創作の可能性が高いのです。何故かというと、彼以前には、こんなまとまった系統的な神話の記録がないのですし、そもそも、神々や英雄の系譜を系統的にまとめた例がありません。また、人間の起源や人間とはどういうものか、パンドーラの神話や、プロメーテウスの火の神話、黄金の時代や銀の時代の話などは、世界中の神話で共通の「神話素」がありますが、ああいう具体的な神話は、ヘーシオドス以前には存在の痕跡がありません。

そもそも、『テオゴニア』の冒頭で、ヘーシオドスはムーサ詩神への讃歌を延々ろ書くと同時に、「無知な一介の羊飼い」であった自分に、詩神がみずから祝福を与え、霊感と知識を与え、「詩人」としてくれた、と述べています。自分の書いているものは、詩神が教えてくれたものだと明言しているのです。ヘーシオドスは貴族とか知識人ではなく、農民で、どこからああいう詳しい神々についての知識を得たのか不明です。また、『仕事と日々』は、怠け者で不正な自分の弟に対し、人間とは何か、人はどうあるべきか、人はどうなるのか、正義とは何か、……人は神々を敬い、謙虚にして、勤勉に働き、正しい行いをせねばならないということを、教訓として教え諭す為、古くからの神話をあげて、弟に説いたということになっていますが、これも、当人が作品のなかで述べていることで、そんな不正な弟がいたのかどうか、疑問も出ています。つまり、『仕事と日々』のなかに書かれていることも、中心となる物語をヘーシオドスが書いた、事実上彼の創作ではないのかということが云えるのです。

ここでも神話の具現化はヘーシオドスが行っていることで、この具現化の作業がないと、「神話一般の主題=神話素」はあっても、個別な「ギリシア神話」にはなっていないのです。ヘーシオドスは、ムーサが数々の物語や真理を教えてくれたと書いているのですから、近代・現代的な言い方では、ヘーシオドスの創作です。ヘーシオドス以前に、彼が書いたような具体的な話が存在したか、疑問なのです。また神々や英雄の系譜も同様で、かなりな部分、彼が創作した可能性が高いのです。

これと同じような事情が、ホメーロスを初めとする叙事詩人の作品についても云え、悲劇作家たちも、同じように英雄の悲劇を創作したと云えます。「ギリシア神話」の典拠・概説の部分で、大きな枠は、紀元前8世紀頃に決まっていたが、細かい話は、後の人が段々作って行ったと書いたはずです。地方の似たような性格の神々が、代表的な神々にまとめられ、習合してゆく過程が平行してあり、また大いなる神が、再度、地方へと信仰が広がる形で拡散して行くという動きもあった訳です。いずれにしても、ギリシア神話は、どういう風に造られて行ったか、または可視化・具現化されて行ったか、その歴史的な過程がかなり見えるのです。ギリシア神話を「具現化・可視化した作品」、いわば「ギリシア神話を構成した作品」を、「ギリシア神話を題材とする文学作品」などと呼ぶのは、とんでもない話だということです。--Maris stella 2006年9月7日 (木) 21:52 (UTC)[返信]

賛否[編集]

  • ギリシア神話を扱った作品なのですから「題材とした」でも用法的には間違いではないと思いますが、Maris stellaさんの疑念もわからなくもないです。我々はこれらの作品をギリシア神話の「典拠」としているのですから。その点をはっきりさせるために改名に賛成します。もっとも、これとは別個に「ギリシア神話を題材とした作品一覧」なんてものがあっても良いとは思いますが。--oxhop 2006年9月8日 (金) 15:26 (UTC)[返信]
  • ギリシア神話を題材にしたというより、神話そのものという意味ではMaris stellaさんのご指摘のとおりではないかと思います。ただ、「後代」の節に挙がっているものは神話を題材とした二次創作ではないでしょうか。したがって、「構成しているもの」はギリシア神話に移し、「題材にしているもの」を残して、この項目を生かすという手もあるように思います。その場合、古代ローマの作品はどう分類されるのかが、私にはよくわからないので^^;。どこまでが神話で、どこからが二次創作かという線引きのようなものがあるでしょうか。--みっち 2006年9月9日 (土) 00:42 (UTC)[返信]
  • 賛否というか、わたしは二つ記事があるので良いと思います。「ギリシア神話を題材とする作品」は調べるとたくさんある訳で、文学ではなく、もっとジャンルを広げると一杯あります。「ギリシア神話」というので、「文学」だという勘違いがあるということです。古代ギリシアでは、ゼウスやアポロンやデメテルは実際に宗教的信仰・崇拝の対象だったので、文学創作をしていたのではないのです。--Maris stella 2006年9月9日 (土) 03:17 (UTC)[返信]
新約聖書』を指して、「イエス・キリストを題材とした文学作品」などに入れると、いかにおかしいかが、はっきりすると思います。しかしセルマー・ラーゲルレーブの作品集などは、伝説に基づいた「イエス・キリストを題材とした文学作品」になります(ただし、これも、「宗教文学」であって、「文学作品」に入れるのはおかしいと主張する信徒の人が出てくる可能性があります)。
実際に宗教として信仰されていたというのは、例えば、ソクラテスの裁判の提訴理由が、ポリスの伝統的な神々を敬わず、「ダイモーン」なる不審な新興宗教を説いて、青少年を惑わした、というもので、プラトンの『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスは、自分はみんなと同様に神々を信仰している、と述べていますし、ソクラテスの最期の言葉も、どこそこの神様の社にお供え物をしてくれ、ですから、「古代ギリシアの宗教」だったのです。
ギルバート・マレーという人に『ギリシア宗教発展の五段階』(岩波文庫)という本がありますが、これで見ると、いわゆるギリシア神話に出てくる神々やその挿話などは、宗教であり、ストアやエピクロスの思想(現代は、哲学に入れます)も宗教で、五段階の最終段階は確か、「背教者ユリアヌス」(こういう呼び方が、すでにキリスト教POVですが。古代ギリシアの宗教からは、「復興者ユリアヌス」とでも呼ぶのが妥当です)の古代ギリシアやローマの宗教の復権運動だったと思います。古代ギリシアの悲劇の上演は宗教行事だったのです。喜劇も同様です。
記事の名前は、「ギリシア神話を構成する作品」か「ギリシア神話の典拠作品」か、色々と考えてみたく思いますが、確かに、現在の名前の記事も存在しておかしくありません。移動した後、その跡地のリダイレクトから新しい記事を造るか、方法は幾つかあると思います(なお、線引きについては、「誰の視点」から判断してかという問題と関係するので、重複があっておかしくないと思います。オウィディウスの『変身物語』は、作者に信仰心がなかったとはいえませんが、ギリシア神話を題材に、娯楽目的で書いたと考えられます。しかし、後世には、これが「/いわゆるギリシア神話/の典拠」にもなっており、両方の記事に掲載可能です。この辺は、単に一覧ではなく、どういう作品か、位置付けはどうかなど、説明を書くときに述べればよいものです)。--Maris stella 2006年9月9日 (土) 03:17 (UTC)[返信]
分かりやすい例だと、『イーリアス』は、神話研究の観点からは「典拠」(すなわち神話を構成する一部)ですが、文学研究の観点からすると古典ギリシア文化を代表する「文学作品」の1つであることは間違いないと思いますが、どうでしょう?
ギリシア神話への統合案について。現在の記事を見ると既に重要なものは列記してあり、あといくつか足せばよさそうなので、それもありだなと思いました。ただし、記事内容がさらに充実した後には、現在列記されている部分も含めて分離される可能性が大きいことを考えると、統合は二度手間かなと思います。なお、私としては「ギリシア神話を題材とした芸術」を「題材とした作品(仮称)」の側に移したいと思っています。--oxhop 2006年9月11日 (月) 13:35 (UTC)[返信]