ノート:ジョック

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画像:SPOTUS.png[編集]

横幅が狭い環境だと、画像:SPOTUS.pngがスペースをとるので、回り込んでいる文章が見づらいです。center や none を指定したほうがよいのでは。--fryed-peach 2007年3月21日 (水) 23:49 (UTC)[返信]

ああしてしまうと空白があまりに大きくなってしまうこと、加えて、スクロールして参照しなければならないこと、これらを防ぐために原形にしました。Histwr 2007年4月9日 (月) 12:03 (UTC)[返信]

202.208.159.120氏へ。脚注(出典)の付し方について、どうしてこういう風にしているのかの説明が足りませんでした。

  1. Aであり、Bであり、Cである[1]。
  2. Aであり、Bであり、Cである。[1]

1の場合は、『Cである』という部分についての出典が[1]、

2の場合は、『Aであり、Bであり、Cである。』という部分についての出典が[1]、

ということです。また、

Aである。

そしてBである。

これはCという意味である。

[1]

となっている場合は、この3行全体の出典が[1]、ということです。もちろんこれは自己流にすぎないもので、改善の余地はおおいにあると思います。Histwr 2007年4月9日 (月) 12:03 (UTC)[返信]

重大な引用ミスとそれに伴う誤訳について[編集]

重大な引用ミスがあります。また、引用のミスによる誤訳もありました。


'Everyone with a white cap or baseball cap, stand up ! "and" All jocks stand up!'

白帽子か野球帽をかぶってる奴は全員立て!そしてジョックども、全員立て!)



当項目中にある上記の引用文は、恐らく英語版ウィキペディアからのモノかと思われます。しかし、この間にある "and" は、この引用文の主節(they heard the gunmen utter things such as)における 'such as' に繋がる 'and' です。即ち、「彼らがガンマン達(ハリスとクレボルトのこと)のわめき声」の例として、"Everyone with a white cap or baseball cap, stand up!" とか "All jocks stand up! We'll get the guys in white hats!" といった言葉を聞いたということです。

ここで重要なのは、この引用文中の and が前の文と後ろの文が同格であることを意味しているワケですから、"everyone with a white cap or baseball cap" = "jocks" であって、「白帽子か野球帽をかぶってる奴」と「ジョック」が別物であるかのような読みは、完全な誤訳です。

更に言えば、上記の翻訳文では jocks をあくまで文化論的な術語としての「ジョックども」と訳していますが、わめき声として例示された二つの文章が同格であることから、この jocks は見知らぬ男性に対する呼びかけとしての jock であることが分かります。

また、jocks と guys が同じ対象を指すように表現されていることから、この文章がナード側による「社会批判の方便としてのジョック」を表現した台詞であると解釈するのは無理があることが分かります。例え「見知らぬ男性に対する呼びかけ」でなかったとしても、「運動部員」といった程度の一般的な意味以上を含んでいるという明白な証拠はありません。つまり、この文章がアメリカ人の理想像としての「ジョック」への憎しみをハリス達が晴らそうとしていたという状況だ、とは決して言えません。

つまり、この引用の原文は次のように訳されるべきです。


'Staff and students hiding in the library exterior rooms said they heard the gunmen utter things such as "Everyone with a white cap or baseball cap, stand up!" and "All jocks stand up! We'll get the guys in white hats!"'

図書室のベランダに隠れていた職員と生徒らによると、彼らは銃器を持った連中(ハリスとクレボルト)が「白い帽子か野球帽をかぶっている奴は全員立て!」とか「男は全員立て!白い帽子を被っている奴は全員殺すからな!」などと叫んでいるのを耳にしたということです。

--222.150.223.191 2007年6月3日 (日) 21:16 (UTC)[返信]

どのような意味で使われたのかについては不知ですが、引用のミスという部分は英語記事を見て解ることだったので、私が直してみました。 by 利用者人間学者
その部分を記載した者です。御指摘の通り。単なるミス引用。修正ありがとうございました。Histwr 2007年6月6日 (水) 02:51 (UTC)[返信]
「単なる引用ミス」にも気付けないほど英語に弱い人が無理して英語圏の用語の記事を書くべきでないと思うけどな(笑)--219.119.9.101 2009年6月20日 (土) 01:11 (UTC)[返信]

編集の方針について[編集]

この項目は、独自研究ではありませんか? Wikipedia は独自研究を披露する場所ではなかったと思うのですが…。

少なくても、英語を母語とする人々は Jock をこのような意味合いで(アメリカの基本的な価値観の一つとして)使うことはありません。「運動選手」や「普通の男」を指す意味で使われるのが一般的です。この意味は、英英及び英和辞典にも書かれており、極めて信頼できるモノです。

英語版の Wikipedia にすら載ってないような情報が何故、日本語のウィキペディアに載るのでしょうか。独自研究の疑いが非常に強いように思われます。少なくても普遍的な内容とは到底考えられません。現在の内容は、せめて Jock の意味の一つとして掲載するに留めては如何でしょうか。--222.150.223.191 2007年6月3日 (日) 16:17 (UTC)[返信]

検証タグを貼られた部分についてですが、結論から言いますと独自研究ではありません。挙げている資料の見開き、表紙の真裏に書かれていることです。加えて、著作権侵害もまず無いので心配御無用。どうもでした。Histwr 2007年6月6日 (水) 02:55 (UTC)[返信]

英英辞典(現状では最も信頼できる資料)にすら書かれていない内容でも信頼が置ける出典と言えますか?ゲイもokナHistwrさん?☆--58.93.140.87 2007年6月24日 (日) 18:25 (UTC)[返信]

各ヒエラルキーごとに分割してみては?[編集]

この項目の「階層構造の図形イメージ」を「スクールカースト」もしくは「スクールヒエラルキー」などとして親項目にして、ジョック~ターゲットまでを別項目化してリンクを貼る形にしてはいかがでしょうか?最上位層の項目である「ジョック」に階層構造自体が解説されている状態であり、スクールカーストについて調べていた時に少々手間取りましたので。--220.51.172.61 2007年6月16日 (土) 04:38 (UTC)[返信]

独自研究かつ間違っているのでは?[編集]

この記事は、ちょっと極端すぎる気がしたので、英語サイトや英語版ウィキペディアを調べてみたのですが。
ギーク、ナードという言葉、ここの項目で説明されているような用法では、ほとんど使われていませんでした。
ジョック以外はすべてナード、体育会系以外はすべてナード、アスリート以外は冴えない愚図ども、
そんなニュアンスはないみたいです。

簡単にまとめますと・・・

【ギーク】 en:geekなどのサイトより
日本でいうポジティブ~普通の意味でのオタク。日本で言うオタク(秋葉系)はアニメ、ゲーム、コンピュータなどに夢中な人が代表的だけど、ギークはメカニック、電子系、PCに熱を上げる人々が代表的。英語ウィキペでは日本でいうオタクを「anime and manga geek」などと説明しています。
しかし、代表する人々のイメージが違うだけで、意味は変わらないようです。何か熱を上げているものがあるが社交性がないとか、専門知識はあるけど人付き合いは下手(もしくは好まない)・・・という説明がなされていました。
コンピュータ・ギークは「詳しい人」というポジティブな意味で、「俺はギークですが」と使うみたいですが、日本でも「オタクですが何か?」とあえて自称する人たちもいますし、それに似てる感じです。また、仲間同士で「俺たちオタクだよな」みたいに「俺たちギークだな」と言い合い、仲間意識を持つこともあるみたいですが、そんなところも似てるかと。

【ナード】 日本で言う、ネガティブな意味での「オタク」って言い回しと、ほとんど似ています。 en:nerdより

★ダサい奴(いや、おしゃれじゃない奴?)   ★ガリ勉に対して使う
★知識はあるが社交性はない          ★興味や行動が一つのことに偏りがち
★専門知識、学術知識、難解なこと、マイナーなことに詳しいが、流行には疎い。
★趣味や娯楽が人間関係(恋愛や友人関係など)より優先的な人
★ナードとギークは別物で、ナードはより避けられている人々。用法としても、よりネガティブ。

・・・といった説明がなされていますが。日本で言う悪口としてのオタク、つまりキモイ人や面白みに欠ける人、ウィットのない人に対する用法などと、あまり変わらない気がします。
皮肉などで使うようなネガティブな意味で、オタクとナードには、あまり違いがないようです。

また、それぞれの言葉を「ジョックの対概念」として説明している箇所はなかったです。

もっとも、これらは定義のないステレオタイプ俗語ですので、日本の「おたく」などの項目と同じで、編集は錯綜しているようです。定義や捉え方に、かなり個人差があるからだと思いますが・・・。
なので、ウィキペディアの原則に沿うなら、英和辞書で使われている用法にてのみ記載し、中立性独自調査の回避を守ることが、もっとも無難と考えます。
で、そもそも、実際には、勉強も出来てスポーツもできる人、両方できない人、色々いるわけで、二項対立では語れないかと。ここまで極端なものは、日本でも、学園物の漫画や映画でしかみませんし。S.Tanaka 2007年10月2日 (火) 16:34 (UTC)[返信]

現時点の版の大部分を構築した者です。とりあえず御貼付のタグを除去しておきました。御提案のうちの解釈の部分については、このまま議論しても埒が明かないことは目に見えているので、原則論になりますが、これを論じた何らかの典拠をもととされれば議論の余地もあるかと思います。『英和辞書で使われている用法にてのみ記載し、・・・』という御提案については、これはウィキペディアの原則に沿うどころか真っ向から反すること―字引に徹する―なので、自分は賛同はできません。原則に従って検証可能な典拠をもとに構築してゆくのがやはり適切であると思うのみです。ただどうしても体系的に論じた典拠を見つけるのが困難なのも事実ですね。
加えて一応、『対概念』という表現については、これを記載したのは自分なのですが、確かに再考の必要もあるかもしれないと思ったりします。これは意訳の問題で、『ジョックが語られるときにはナードも同時に語られることがしばしばである』『互いの概説に際して互いの概念が対として用いられることがしばしばである』という説明の適切な簡略表現として、記載時点で即座に思いついたそれがこれであったに過ぎないからです。このあたりについては、新たな典拠として良さそうな本がちょうど見つかったところでもあるので、こうした諸問題点を含めて大幅に改変できる日も近いかもしれません(ただジョックという単語が使われていなかったら期待外れに終わってしまいますが。この記事の資料探しだけでもその失敗で馬鹿みたいに金を浪費しました)。Histwr 2007年10月4日 (木) 21:48 (UTC)[返信]
更に - ナード∧ギークについての御考察については、実は自分の持っている認識からも同意できる部分が結構あります。しかし、現時点のこの記事に挙げている資料からの参照では、やはり現時点のこの記事にあるような説明になってしまうことに加え、これも体系的に論じたものがなかなかない。その英語版は自分も何度か参考にしようとはしたのですが、肝心なところで出典が無いため、参照できないというのが現状です。なにか画期的な資料が見つかればよいのですが。Histwr 2007年10月4日 (木) 22:45 (UTC)[返信]

編集についてのご意見は、なるほど、たしかに・・・概ね同意できるものがあります。 辞典的になりすぎるのは、それはそれで問題ですし。 また、対概念か否かに関することも、「そのような見解もある」とすれば、概ね無問題に思います。


まぁ言葉への認識全般(解釈と用法も含む)については、議論して埒が明く類のものではない、と私も思いますが。 たとえば、オタクという言葉は、20代は今の10代よりネガティブに捉える言葉でしょうし。 シチュエーションとグループによっても、定義など認識全般に差があることだと思います。

しかし、ナードとギークのニュアンスと考察については、ネイティブが複数人で編集した記事を参考にしているので、現状の記事よりは、ある程度の信頼性はあると思います。(彼らの編集もかなり錯綜していますが・・・)

しかし、以下のような原則に抵触すると考えられる点で、同意できないものがあります。

【信頼できる資料であるのか?】 独自研究は載せないの「信頼できる資料」より

ここでの資料は、かなり恣意的かつ個人的な見解を叙述した書籍だと思えるのですが・・・。たとえば、日本でも「オタク」「恋愛」など私的なルサンチマンが噴出しがちなジャンルでは、一般的に見ると「頭冷やせ」としか思えない極端な内容のものもあると思うのですが。(個人HPやブログなど私的なメディアでない、雑誌や書籍の書き物でもです)

ここで使われている資料も、そのようなものではないかと思えてなりません。 アメリカがいくら外国とはいえ「スポーツ以外に興味がある奴はナード」というのはいささか極端に思えます。私の身近にアメリカ人の知人が一人いることと、英語のサイトを閲覧すること以外、アメリカの何かと直接交流した経験ありません。それでも、疑いの念、そこまで極端ではないだろうという疑いの念を、隠さずにいられません。

【特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成】 【中立的な観点】

ここでは「特定の~」が行われているように見えるのですが。 その上、それをすることにより、中立的な観点が損なわれてしまっているようにも見えます。


んで、以下は編集に対する意見ですが。

【体系的な編集】 これは困難だと思います。日本でのおたくの記事でさえ、体系的とは言いがたいです。 「独自研究は~」に関する項で「理論に関する取扱い方」というのがあるのですが、俗語バズワードサブカルチャーなどは、体系的ではないものが多いので、体系的に書くこと自体が困難ではないでしょうか? 体系的でないものは、実例や見解の羅列をなんとか公平にまとめる努力をしつつ、主観を排す(価値自由)努力をしながら、整理して編集するしかないと思うのですが。S.Tanaka 2007年10月5日 (金) 18:36 (UTC)[返信]

記事上に既出の典拠の検証に加えて別の典拠による内容自体の再検証が入らない限りは、ここでいくら感想を出し合ったところで独自の見解による主観の衝突にしかなり得ないことは明らかですし、やはり新たな典拠の明示をもって議論の開始を見たいところです。既出の典拠の信頼性については、これの参照者でない方による検証を待ちたいところです。ただその検証の結果がどうあれ、現在のこちらの記事に示されている記載が、その『ネイティブ』とやらが構築した現状の英語版より『ウィキペディア的』に信頼性が高いことは確かです。残念ながらこの百科事典は寄稿者の集合知の価値を認めていないので。
各々の典拠の統合の過程については、先に申しましたように、体系的に論じた資料を有していないため、これについて参考としたものはありません。現段階の記事の構築に至るまでの記載の過程は、典拠にある説明を無作為に―つまり関係する説明のおおよそ全ての部分を参照しています。平たく言えば、そこに書いてあること全部を記載に反映させているということ。つまり現段階でいずれかの部分を削るとなれば、それこそ恣意的な取捨になってしまう。
新たな典拠が未出の現段階において、独自の感想のみでああしたタグを貼付されるというのは、全ての部分についての出典の明示というCSの原則に嫌でも従って多くを構築してきた者からすれば非常に心外なことであり、また同様に構築に関わってこられた全ての人々の労をあからさまに侮辱するものであるとの憤りに従い、御貼付のタグを外しておきました。
見直したい気持ちは山々。より多くの発展を望む気持ちはほとんどの方が共有されるところでしょう。しかしながら、この百科事典の糞みたいなルールを踏まえるならば、新たな典拠なき現段階ではどうしょうもないと言うしかありません。Histwr 2007年10月6日 (土) 01:59 (UTC)[返信]

私のふっかけた話、その後の流れ、あまりに主観的すぎますね。これはすいません。 出だしが出だしなので、収拾がつかず、長くなりがちな展開になっていしまいました。

解釈については一旦置いておいて、編集と資料の引用に限った議論に切り替えましょう。S.Tanaka 2007年10月7日 (日) 01:26 (UTC)[返信]

この記事の編集と資料に限定した話。[編集]

【資料の正確性】 たしかに、英語版ウィキペディア含む英語のサイトの内容が正確とも限りませんね。向こうのウィキペディアの編集も、問題のない記事とは言えませんし。 しかし、他言語ウィキペディアからの引用は認められていないわけではありません! 「英語版だって、編集が錯綜しているので載せる価値がない」と判断するのは性急です。 注釈つきで載せるくらいは、いいのではないでしょうか?

また

この記事の資料として羅列されている書籍などは、果たして「信頼が出来る書籍」でしょうか? Wikipedia:出典を明記するに信頼が出来る資料の例が書いてありますが。 どちらかといえば、ここの資料は、極めて俗で主観的な・・・エッセイの類が多いのでは? それを使うことは悪くないと思うのですが。 それのみを使うこと、ましてや各種辞典からの引用をせずに使うことは、どうなんでしょう?

【断定的な編集の仕方】

Wikipedia:言葉を濁さないをご覧ください。 ここではジョックやナードという言葉が、特定の見方でのみ掲載されているように見えます。 「このようなヒエラルキーや対立構造を指摘する人もある」とかならまだしも、

似たような主張ばかりを集め、そうでないものを排し「これはこうである」と定義づけをするのは、 独自研究の「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に当たるのでは?S.Tanaka 2007年10月7日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

    • 先の編集2007年10月11日 (木) 05:06の理由について。まず、議論が全く噛み合っておらず、例えば、新たにS.Tanaka氏が設けられたこの節の主張は、既に一つ上の節においてHistwr氏により反論済みの事柄であり、Histwr氏の言われるように、ああしたテンプレートを貼付し得るだけの背景に欠けるという判断からです。この記事においては以前にもこうしたことがあって一時紛糾したんです。結果として編集対応してゆこうということで落ち着いたのですけどね。人間学者 2007年10月14日 (日) 07:28 (UTC)[返信]

まぁ資料に対する考え方にギャップがあるみたいなので、議論が噛み合わないのでしょうね。言いたいことが理解できないのではなく、言っていることが納得できないのでこの項を作ったのですが。

まず、納得がいかないこと。これは私以外にも同じようなことを指摘する人がいますが。 英和辞典にさえ載っていない概念と用法が、なにゆえ一番前面に出て来るのか? ここについて説明していただきたい。

過去の議論は 辞典的な記述はウィクショナリーでやるべき、って流れですが。これは場を弁えろという話ではありません。

辞典的な用法をまったく記載せず、特定の見方(階層としてのジョック)のみが記載されているからです。辞典的になるのも問題ですが、辞典にさえ載っていない概念が先頭にくるのも問題ではないでしょうか? 辞典を引用するのは禁止されていないですから、辞典的用法も記載されるべきでは?

そして、辞典の引用さえせずに、雑学的な読み物からの情報ばかり羅列する。 ここで使われている資料についても、もっと深く考えられるべきです。 資料の正確性は問わないのがウィキペディアの方針ですが、資料の信頼性は考慮されます。

また、「特定の観点を推進するような~」でないことを、編集で示すべきです。 この記事は「言葉を濁す」ことにより「特定の~」が行われているように見えるのですが。

他のスラングの記事、たとえばおたくなどと見比べて欲しいのですが、あまりに偏っていませんか? 私には中立的な観点から見て、問題のある記事に見えます。S.Tanaka 2007年10月14日 (日) 08:16 (UTC)[返信]

ジョックについての記事なのに、それ以外の階層構造の説明に内容が偏っていること。雑学的に過ぎること。カリカチュライズされたテレビドラマや映画のそれと現実のそれが区別されておらず、説明が断定的に過ぎること。特に、大まかな傾向としてこうした構造があるのはある程度事実でしょうが、細かすぎる各階層の説明はそれぞれの資料や論者の意見にすぎないものであって、実態を正しく反映したものではないことなどが問題だと思います。

大まかな傾向以外は、誰の発言・見解なのか本文中で出典を明らかにするか、もしくは断定的な説明を避けること。他の方も書かれているように、本来的な用語の解説に文量を割くことが必要かと思います。

ちなみに、冒頭の説明は、広義と狭義が逆ではないでしょうか?--220.8.222.14 2012年7月25日 (水) 19:26 (UTC)[返信]

質問です。スクールカーストは分割すべきでは?[編集]

分割して、関連項目としてお互いをリンクしあう形がいいと思います。S.Tanaka 2007年10月15日 (月) 10:08 (UTC)[返信]

なぜこの記事では辞典を出展として認めないのですか?[編集]

英和辞典は十分に出展となりえます。 くどいようですが、ウィキペディアでは資料の内容の検証はしないのですが、資料の信頼性は考慮されます。

(本当は、資料の繋げ方も問われるのですが、その話は平行線をたどって議論にならないようなので、今は保留します)

エッセイや娯楽本より、査読制度のある辞典の方が、資料としての信頼性は高いと考えられますが?

あと、辞典的な編集は禁止されていますが、辞典を出展とすることは禁止されていません。S.Tanaka 2007年10月19日 (金) 08:53 (UTC)[返信]

スクールカーストに移動すべき内容が多いのでは[編集]

様相、大衆文化 以外は全て移動すべき内容と思われます。異論が無ければ履歴継承に従って移動します。--紅美鈴 2008年3月24日 (月) 12:58 (UTC)[返信]

反対です。スクールカーストというのはそもそも日本で作られた造語ですから。VivaLaLiberties 2008年3月29日 (土) 02:29 (UTC)[返信]
しかしスクールカーストの記事がありながらジョックの記事で延々とスクールカーストの説明をすることはおかしいと思います。そもそもジョックはスクールカーストの一階層でしかありません。しかも内容はほとんどがジョックを否定する内容です。これはウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんに違反している可能性があります。--紅美鈴 2008年3月29日 (土) 14:00 (UTC)[返信]
前にも書きましたが、スクールカーストと分割する案には、賛成です。賛成に一票。ジョックという語を英和辞典を見てみると、やや蔑称的な意味を含んだ、スポーツマンの学生という意味だそうです。言葉の解釈でいえば「体育会系」みたいな用法でしょうかね。厳密には違うと思いますが。まあ細かいニュアンスが何であれ、たぶん、わざわざカテゴライズして取り上げている書籍は、侮蔑的な用法での取り上げ多いと思います。ちなみに、体育会系の項目も、ここと同じ様相を呈しています・・・。あくまで個人的意見ですが、ソースもないレッテル張りみたいな内容自体、いらないと思いますね。S.Tanaka 2008年3月30日 (日) 23:54 (UTC)[返信]
体育会系の人間がゴミであることは事実だし、否定したい気持も非常によく理解できるのですが、方針違反を見逃すことはできないのです。--紅美鈴 2008年3月31日 (月) 14:19 (UTC)[返信]
問題は、資料の選び方、編集の仕方にあると思います。資料は、エッセイばかりから集めても否定的見方のみが強くなりがちなのは当然です。しかし、学術的に分析している資料・・・あるかどうか?それにしても、英語版ウィキペディア、英和辞典にさえ存在しない概念を、先頭に押し出してそれ中心に編集していることには、違和感を感じますね。
そして、特定の立場からの視点によっていることは、重大な方針違反といえますね。それが無意識的なものでも、意図しないものでも。エッセイ自体、誰かの私情をつづる物なので、主要な出典としては不向きだと考えます。意図しなくても、バイアスが掛かってしまいますからね。特に、現在進行形の社会現象を扱ったものは・・・。私情を廃し自分のおかれた立場をみて、バイアスをなくす努力をすることは当然ですが、資料選択も重要だと思います。正確性やソース作成者(とくにその立場や専門性)を吟味することは、編集方針にもあることです。資料の査読はしないっていう方針と誤解され、無視されがちですけど。
あと、移動の件ですが、類似の概念を紹介したいなら、スクールカーストの中にアメリカの事情を説明する項目を設けても、問題ないと思いますよ。あくまで近縁のもの、という説明があれば、なんら問題ないでしょう。実際、項目を立てるほどでもない類縁のものを、そのように紹介している記事はありますよ。生物の記事には多いですね。いちいち、一種一種の項目を立てるわけにはいかないので。S.Tanaka 2008年4月1日 (火) 07:55 (UTC)[返信]
基本的な部分ですが、勝手にスクールカーストと結びつけたらそれは独自研究になりますよ。「ジョックの記事で延々とスクールカーストの説明をすることは~」と言われていますが、この見解自体が独自研究です。そもそもスクールカーストなどという単語はどこにも現れていません。分割はできませんね。 218.222.55.166 2008年4月3日 (木) 22:55 (UTC)[返信]

求む出典[編集]

この編集この編集この編集について、こちらにお話がありました。VivaLaLibertiesさん、よろしくお願いします。Uryah 2008年3月25日 (火) 10:35 (UTC)[返信]

ご協力ありがとうございました。VivaLaLiberties 2008年3月29日 (土) 02:26 (UTC)[返信]