ノート:タイ国共産党

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[1]のサイトのスラユットの親父が党員だったこと、タクシン政権時代に入閣していた人物が党員だった事を以て、タクシンが大の共産党贔屓であり、タイの大きな勢力であった旨を示していますが、お話になりません。タクシン政権時代にはイスラム教徒が入閣していましたが、それを以てタクシンを大のイスラム贔屓と表現するぐらい、おかしな記述です。だいたい、タイ国共産党がそれほど大きな勢力であれば、非合法化もされてなかったでしょうし、密林にこもる必用もないように思います。--あなん 2007年2月17日 (土) 05:28 (UTC)[返信]

いいえ。タクシンは閣僚だけでなく、側近にも採用しています。密林じゃなく北部に止まった共産党員はタクシンの選挙運動を指導して称賛されてます。私が調べた限りでは中国との関係からかもしれませんが、異常に接近贔屓してますよ。--Saffron 2007年2月18日 (日) 14:42 (UTC)[返信]

ご返答ありがとうございます。まじめに答えさせて頂きますが、
>いいえ。タクシンは閣僚だけでなく、側近にも採用しています。
入閣させたり側近に採用するのは、「元共産党員」ではなく「共産党」に対する「贔屓」なのですか? それいうなら、タクシンもイスラム贔屓といわざるを得ませんね。
>密林じゃなく北部に止まった共産党員はタクシンの選挙運動を指導して称賛されてます。
非合法化されて北部に逃げ密林にこもっていたようですよ。ちなみに元共産党員だろうがそうでなかろうが、選挙活動で功績のあった人物であれば何党出身だろうが賞賛されるのがふつうだと思います。
「私が調べた限りでは」以下の文章は、あなたの主観ですしソースもなければ、学術的検証を経ているものではありませんので、コメントするに値しません。
ちなみに北部の共産主義者達は元々民主主義を願う学生運動者達であって、サガットによって血の日曜日事件以降に「共産主義者」の烙印を押され北部の密林に逃げたのであって、彼らが共産主義思想に傾倒していたかどうか定かではありません。これらの学生は1980年代以降、特赦で密林から出てきてふつうの生活を送るようになりました。
たしかに、タクシンはそうした元学生運動者達をメンバーに入れていたようですが、彼の会社の従業員だったり、パランタム党時代からの友人であったりしたそうです。政治学者のパースック・ポンパイチット博士によれば 「元過激派は愛国党の社会的指針を形作り、タクシンに同世代のジャーナリストや運動家にアピールする権限を与えた」( Phasuk Phongpaichit, Chris Baker "Thaksin" Silkworm Books 2004 P.69)という分析を示していますし、「タイ政治は右か左かという問題ではない」という別の人物の見解も紹介されています。
さらに申し上げておきますと、貴殿は共産党と共産党員と元共産党員を混同していませんか?もう一度、ご確認くださいませ。
さて、最後になりますが、「タクシンが中国からの関係で異常に共産党に接近贔屓している」ということを貴殿がどこでお調べになったのかは存じませんが、まずそれを学会や出版物などで大衆に発表し一定の評価をえてから、ウィキペディアにお書きください。ウィキペディアでは自分で勝手に調査したものは載せないことになっています。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんをご覧ください。--あなん 2007年2月18日 (日) 17:25 (UTC)[返信]