ノート:ナラティーハパテ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

改名提案[編集]

現在の記事名を、「タヨウピイェー」から「ナラティーハパテ」に変更したいと思います。理由としてはナラティーハパテの名称が多く使用されていることと、初版投稿者が記事の命名にあたって参考としたと思われるパガン王朝(2004年9月25日 (土) 18:59)の参考文献に挙げられている大野徹『謎の仏教王国パガン』(NHKブックス, 日本放送出版協会, 2002年11月)で、正式の名はナラティーハパテ王と述べられているためです。

  • 太田常蔵「パガン」『アジア歴史事典』7巻(平凡社, 1959年)
  • 生田滋、石澤良昭『東南アジアの伝統と発展』(世界の歴史13巻, 中央公論社, 1998年12月)
  • 「イラワジ川の世界」『東南アジア史 1 大陸部』収録(石井米雄、桜井由躬雄編, 新版世界各国史, 山川出版社, 1999年12月)
  • G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』(東亜研究所訳, ユーラシア叢書, 原書房, 1976年)

少なくとも上記の書籍では、「タヨウピイェー」という名称は使用されておらず、「ナラティーハパテ」あるいは「ナラティハパテ」という名称が用いられています。

また、大野徹『謎の仏教王国パガン』(NHKブックス, 日本放送出版協会, 2002年11月)では「タヨウピイェー」「ナラティーハパテ」両方の名称が併記されていますが、55-56ページに「その時の王を、『出生票集王統史』はタヨウピイェーと伝える。(中略)正式の名はナラティーハパテ王であるが、『王統史』はこの名称を伝えない。せめて戦ってほしかったという、史書編纂にあたった人物の無念の思いを伝えるものなのかもしれない。」という記述があります。この記述より、「タヨウピイェー」は記事で述べられている人物の存命中に使用されたものではなく、17世紀末に編纂された『出生票集王統史』の編者が付けた渾名であると読み取れます。

現状では記事の人物が没してからだいぶ後の時代の人間が名付けた渾名が記事名になっているので、1か月以内に反対が無ければ「ナラティーハパテ」に改名したいと思います。--オオミズナギドリ 2012年2月4日 (土) 10:52 (UTC)[返信]