ノート:バプテスマ

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バプテスマが幼児洗礼ではないことはエホバの証人だけでなくプロテスタントの一部のグループ(バプテスト派など)も信じています。

ではそのように記述なさってください。Johncapistrano 07:41 2004年2月10日 (UTC)

何度もいいますが、バプテスマが幼児洗礼でないことは、エホバの証人、バプテスト派以外にも信じているグループもあります。それに、これは原語のギリシャ語(コイネー)の字義的な意味を解説しています。K.M.

ではそのように書いてください。Johncapistrano 08:02 2004年2月10日 (UTC)

「聖書 新共同訳」の巻末付録の用語解説で「洗礼」を調べると以下のように書かれていました。

従来のプロテスタント諸訳では「バプテスマ」と訳されていたが、これはギリシャ語「バプティスマ」(名詞形)の音訳。動詞形「バプティゾー」は元来「水に浸す」という意味。ヨハネは「悔い改めの洗礼」を授けたが、ユダヤ教の一部では、宗教的な清めの儀式として、身を水に浸すことが行われていた。キリスト教では、罪からの清めと、キリストと一致する新しい生活に入るしるしとなり、教会の重要な聖礼典もしくは秘跡となった。

この注解から結論付けられるのは次の点です。つまり、もともと身を水に浸すこと、すなわち「浸礼」が行われていた。後に、キリスト教会がそれを「洗礼」という「聖礼典もしくは秘跡」にした。これって、わたしが「バプテスマ」の記事で書いていることと同じではありませんか。また、「従来のプロテスタント諸訳では『バプテスマ』と訳されていた」とあるので、教会内で意見の一致がないということではありませんか。意見の一致がない以上、浸礼が一部のグループのみの見解と記載するのは不当だと思います。K.M. 01:36 2004年2月19日 (UTC)

洗礼のほうに統合させる方向で、洗礼の記事を一部書き足しました。足りないところを補っていただければ幸い。KIZU

記事中、「語源」、「幼児洗礼や入信儀式ではない」、「水に完全に浸す」は、K.M.氏による『聖書に対する洞察』第2巻、549ページ、551-552ページからの盗用です。削除が必要でしょう。宮原崇 15:08 2004年4月7日 (UTC)

リダイレクトされている洗礼をrevertして、この記事は削除申請に出しておきます。Aphaea 15:30 2004年4月7日 (UTC)

最近ウィキペディアを見るようになったので、2ヶ月ほど前の事について再度提案をすることになりますが、ご容赦願います。K.M.さんが2月19日に書かれた、(また、その上に記載されている)「聖書 新共同訳」の引用部について意見を述べられている部分について提案をいたします。
まず初めに、「聖書 新共同訳」というのは、お互いの見解が異なる、キリスト教のカトリック教会とプロテスタント諸教会との間で、20年弱のプロジェクトを経て、一定の合意が得られたものであることを明記したいと思います。
「バプテスマ」あるいは「洗礼」と訳されていたギリシャ語の単語が「水に浸す」の名詞形であり、新共同訳では、この単語の訳を、洗礼の右に[バプテスマ]となってます(縦書きなのでルビの位置です)。また、水に浸さない「洗礼[バプテスマ]」という表現もこの聖書の中には存在します。後者についてはギリシャ語でどのような単語を用いているかは分かりません。

補足として。「浸礼」と言う単語は、現在のカトリック教会では目にすることはありません。申し訳ありませんが、プロテスタント諸教会でどのようになってるのかは、存じ上げません。

本来は、違う部分を提示しなければならないと思いますが、以下の提案をいたします。

  1. 「浸礼」と「洗礼」の記事はそれぞれ独立させ、この二つの単語は用いられ方が違うことを明記する。
  2. 「バプテスマ」の記事には「浸礼」と「洗礼」の異なる解釈があることを明記し、詳細は各々の記事に書くこととする。
  3. この3つの単語の意味が、教義によって異なる場合は、その旨を「自分の知っている教義についてのみ」定義部に追記すること。
  4. この3つの単語にリンクを張るときは、定義部分を参考にして、意味の違いに注意して張るようにする。

このような提案はいかがでしょうか? これらの記事量が多い上に、それぞれの項目を書いたのが私ではない為、内容を理解されている方に分けていただくことが、よろしいかと思っております。--218.140.240.45 15:43 2004年4月7日 (UTC)

それも一つの方法ですね。わたくしは大項目のほうが読者には便利かと思いますので、洗礼またはバプテスマで項目立てて、詳細を下に書くほうがよいかと思いますが、固執はしません。浸礼は教派の用語ではなく宗教学などで記述する際の用語ではないでしょうか。浸礼という語を教派として用いるところは私も知りません。
いずれにせよ、議論を深めた上で投票か何か明確な合意形成をした上で記事を書き下ろすのがよいと考えます。皆様のご意見をお待ちします。Aphaea

日本語に聖書を翻訳するときに、洗礼の語を主張する立場と、バプテスマの語を主張する立場で対立があったのに、現状の記事には問題があります。--イザヤ 2011年2月5日 (土) 13:02 (UTC)[返信]