ノート:ラ・パロマ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

書き残しメモ[編集]

以下は他言語版に見えるけれども出典の調べがつかなかったために書かなかったことです。

  • 作曲年。イタリア語版にいろいろな説が書かれているけれども根拠が不明。
  • メキシコでマクシミリアン皇帝あるいは皇妃のお気に入りの曲だったという話。
  • メキシコで帝政に反対する勢力が替え歌を作ったという話。スペイン語版に見える。皇妃を揶揄する「Adiós, Mamá Carlota」という曲の存在は確認できたが、この曲の替え歌ではないようだ。
  • マクシミリアンが銃殺された後、遺体をオーストリア海軍の船で運ぶとき(船に積むとき? 船から下ろすとき?)に演奏されたという話。およびその後オーストリア海軍ではこの曲を船上で演奏することを禁じた、という話。ドイツ語版に見える。
  • 2004年にハンブルクで88,600人の合唱によって歌われ、最大人数の合唱としてギネスに載ったという話。英語版に見える。

--Pekanpe会話2020年11月28日 (土) 21:41 (UTC)[返信]