ノート:レオンハルト・オイラー/過去ログ1

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、『自然科学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙』(Lettres à e Princesse d'Allemagne sur divers sujets de physique et de philosophie)のスペルですが、フランス語では、"à e"というのはありえません。"à la Princesse"の間違いではないでしょうか。Tarokun1005 2006年3月15日 (水) 09:46 (UTC)

revertについて[編集]

はじめまして、しゃおと申します。ハシリメデスさんが 2006年9月20日 (水) 09:28 に私の編集に対してrevertを行ったようですが、これは何らかの意志があってのものでしょうか? 荒らし行為の復旧作業以外でrevert(差し戻し)を行う場合は当該記事のノートにおいて十分な議論を形成した上で行うことが望ましいとガイドラインでもまとめられております。また、revertは「細部の変更」扱いではないので、このフラグについても不適切であるかと思われます。一旦貴殿のrevertを差し戻しますので、このノートにてご意見賜りますようお願いします。 --Shao1555 2006年9月20日 (水) 18:42 (UTC)

revertが細部の編集かどうか気にする程の人なら当然TeXに関係する文書にも一通り目を通して、何故TeXが避けられていたのかという点を十分に知っていると思われるが、それでもなおTeXに変更するに足る十分な理由から聞こうか。TeXを覚えたてでTeXに変更してみたかっただけという笑い話は無しね。--ハシリメデス 2006年9月21日 (木) 01:10 (UTC)

ハシリメデスさんによる編集にはTeX -> HTMLのほかにも
  • 18世紀最大・最高の数学者と称する者もいる -> 18世紀最大・最高の数学者である
  • 歴史上非常に価値の高い -> 最も素晴らしい
  • しかしこのような境遇にも関わらず、オイラーの精力的な研究活動は続き -> しかし、普通ならば衰えるであろう研究意欲もオイラーに限っては全く衰えず
などがあります。しゃおさんが聞きたかったのはこれらの根拠ではないでしょうか。(見当違いだったらお許しください)
HTMLでTeXと同じことが表現できる場合には確かにHTML記法が好ましいですが、のような複雑な分数についてどちらがいいか、Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学ではまだはっきりと決めていません。どちらがいいかについてあちらのノートでフィードバックをいただければ幸いです。--Makotoy 2006年9月21日 (木) 03:06 (UTC)

Shao1555本人のみからの返答待ち。差分も確認していない見当違いな割り込みは混乱を大きくするだけだ。--ハシリメデス 2006年9月21日 (木) 03:55 (UTC)


返信遅れてすみません。ハシリデメスさんは再びrevertを行ったようですが、これについて当該ノートでの議論が形成されたとは思えない上での行動に非常に遺憾に思います。また、Wikipediaプロジェクトは自由闊達な議論の上で進められるべきであり、Makotoyさんの 2006年9月21日 (木) 03:06 (UTC)の書き込みに対して「見当違いな割り込み」「Shao1555本人のみからの返答待ち」とするのは、この意に反していると思います。どうか編集やrevertを行う前に、広く意見を募れる場作りにご協力いただければと思います。

TeX表記変更について[編集]

Makotoyさんもおっしゃるとおり、複雑な分数が含まれる場合はTeXを利用した方が可読性が増すという考えの基にTeXを利用しています。HTMLで表現ができるような簡便な式についてはHTMLでの表記が望ましいとの考えについては理解しております。ただ、現在のWikipediaでは"シンプルな数式はHTML、それ以外はPNG"というユーザ設定が一般的になっているため、TeXと非TeXの混在を許すよりかは、少なくともひとつの項目においてはTeXで統一した上で、サーバサイドでのHTML変換に委ねた方がいいかと思ったためです。
これについての議論については、やはりWikipediaプロジェクト 数学のノートで行うべきかと思いますがいかがでしょう?

表現修正のrevertについて[編集]

revertの際に私が編集した"最も素晴らしい -> 歴史上非常に価値の高い"などの百科辞典的表現への訂正についても元に戻されておりますが、これについてはハシリメデスさんが意図したrevertなのでしょうか?
本文そのもののrevertは荒らし行為などの緊急性がきわめて高い行為を除いては、歓迎されないものであると思いますがこちらについてはどのようにお考えでしょうか。
なお、私の編集意図としましては「最も素晴らしい」というのは個人の主観に依拠するものであり、中立的な観点から訂正が必要であると感じたからです。

場合によってはこの記事(ノート除く)の半保護や保護も考えておりますが、いかがでしょうか? --Shao1555 2006年9月21日 (木) 05:18 (UTC)

一応、記事の履歴と、両者の投稿履歴を拝見させていただきました。両者ともこの記事に対して、本質的に何の貢献もしていませんよね。この記事だけではなく、他の記事まで拡げてみても、特にShao1555さんは利用者ページしか編集していませんよね。texに変更する程度の作業などは、やろうと思えば、誰でもすぐできる些末な作業です。こんな、表層的で容易な作業の結果を死守し、編集合戦をしようなどというのは、以ての外です。この記事をこれまで書いて来た人達は、texを選んでないということで、個人的には、html優先かと思います。記事に対して、貢献している人達が選んでいた方ということです。あるいは、記事を広く見て、構成自体を変えれば、少なくとも、インラインではなくなるでしょう。texの方針について、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学で、話し合うのは構いません。構いませんが、両者とも、それなりに記事を書いてからにしてください。言っておきますが、私は、個人的にはWikipedia:ウィキプロジェクト 数学の内容は、あまりいいとは思っていませんし、消してもいいとさえ思っています。しかしながら、これまで何もやってない人が、どこからかやってきて、いきなり、あなたがたの編集方針を代わりに決めて差し上げましょうというような方は、流石に迷惑に思います。--132人目 2006年9月21日 (木) 12:45 (UTC)

えっとTeXとHTMLについてWikipediaプロジェクト 数学では地の文の中かどうかで分けているのでありそういった点からShao1555は理解していない。そして百科事典的な表現について"最も素晴らしい -> 歴史上非常に価値の高い"は正確には"最も素晴らしい -> 歴史上非常に価値の高い~ことが多い"という変更である。これを百科事典的表現への修正と呼んでいること自体が変な話。多いというからには多いという事を示す統計を明示するように。その他のもいろいろあるがつぶさに見ていくとTeXだの百科事典的だの言う前に、この記事は何を参考にして書いたのか分からないが内容や事実関係からしてもともとおかしい。こんな滅茶苦茶な内容で保護しようなんて間抜けにも程があるよ。--ハシリメデス 2006年9月22日 (金) 02:25 (UTC)

Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学で推奨しているHTML vs. TeXの基準は地の文かどうかにはあまり関係ありません。地の文中であろうと数式だけの行であろうとHTMLで表現できる数式はHTMLの方がいいですし、TeXを利用する節のリストの2番目の項目は地の文中でTeXを使うことを完全に禁止するものではありません。
「非常に価値の高い通俗科学書の1つとして挙げられることが多い」の「ことが多い」の部分のみが根拠のないものだとお考えなら「最も素晴らしい」へのリバートでなく「非常に〜挙げられる」への変更にしてください。これはWikipedia:以前の版にページを戻す方法差し戻し(リバート、revert)節に明記されている基準です。
それから、Wikipedia:個人攻撃はしないを守ってください。これも数学プロジェクト以前の基本的なルールです。--Makotoy 2006年9月22日 (金) 04:04 (UTC)
私の知る限り、Wikipedia:ウィキプロジェクト 数学の中で最も使われてきた部分が、地の文にTeXを使うと読みにくくなるという部分だと思います。そのために、インラインに書かれていた数式は、htmlに直されてきました。逆に、その部分以外は全く読まなくても、何か問題が起きるということは、ほとんどありません。他の記事を真似していれば、大体気付いて、問題にならないことばかりですからね。したがって、基準は地の文かどうかにはあまり関係がない、というのは、これまでの経緯からすると、実状と乖離していると思います。ウィキプロジェクトを書き換える時に、当然、理解されているものだとばかり思っていましたが。--132人目 2006年9月22日 (金) 10:50 (UTC)
132人目さんと僕の見解の違いについては利用者‐会話:132人目をみてください。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学でこの問題について検討しています。--Makotoy 2006年9月25日 (月) 04:54 (UTC)

えっと当事者同士で問題点というのをぶつけないことには解決しようがないと思うんだが、当事者同士の会話をなんとしてでも阻止しようとしてる人は何がしたいんだ?会話が始まる前に何としてでも自分の意見を発表したいのか?議論が紛糾してその部分はおかしいというような、訂正を入れるなら分からなくもないが。それとも保護者か何かで私が坊やの代わりに相手してあげるわということなのか?--ハシリメデス 2006年9月22日 (金) 04:49 (UTC)

当事者に対しての個別のコメントであれば私の会話ページで行うべきであると思います。そうでなければ、広く意見を募りつつ話をすればいいと思うのですが。私もWikipediaの編集には及ばないところが多々あり、このノートでみなさんが書かれている内容が非常に参考になっています。HTMLとTeXのいずれを使うかという問題については、総意としてHTMLのほうがよいという議論の流れであると見受けられますのでそれでいいかと思います。

表現の変更を行った件についてはまた別の問題であると思いますので、それを一緒くたにしてrevertをすることは混乱をまねいてしまうと思います。「最も素晴らしい」という書き方はハシリメデスさんの主観にともなう「感想」や「評価」の類ではないでしょうか?

尤もこのような議論は、132人目さんのおっしゃるとおり本質的なところからはずれていると思いますので、この議論によって当該項目に近寄りがたい空気をつくってしまっているという点は否めません。申し訳ありません。 この議論をどのようにつづけていくか、という点を含めみなさんの意見を賜りたいと思います。--Shao1555 2006年9月23日 (土) 16:56 (UTC)

個人的にはこの項目に興味ないのでどっちでもいいのですが、変更前も変更後も表現の劣悪さという点ではさほど変わっていないと思います。とりあえず Shao1555 さんにはwikipedia:言葉を濁さないの一読をおすすめします。--Lem 2006年9月23日 (土) 18:14 (UTC)


出典の明記をしましたので,タグを消させてもらいました.長い間明記していなかったことをお詫びします.また,2006年12月3日のKobayanさんの指摘(本文編集履歴のコメント)についての項目は,参考文献としてあげた『オイラー入門』(邦訳)の200頁を参照しています.それにてご了承下さい.

ご提示ありがとうございます。また、タグの除去について同意いたします。--スのG 2007年4月16日 (月) 02:23 (UTC)

『オイラー入門』が手元にあり

>オイラーによって初めて得られた他の人が初めて考察した結果であると認識されているものが,あまりにもたくさんある.たとえばフーリエ級数,・・・

と確かに書いてある。しかしフーリエ級数がフーリエの名を冠しているのは三角級数を考えたことによるものではないことは常識であろう。微分方程式の特別な解の一つとして考えただけのダランベール、オイラー、ダニエルらの仕事とフーリエの主張やそれに伴う影響は明らかに別物であるし、普通はこのように恥ずかしい勘違いをされることはない。この本ではそういった常識を無視しているのは何故なんだろう?あとフーリエ級数とは全く関係ないながら、書きたい場合ダランベールとオイラーとダニエルベルヌーイが三角級数を用いた論文が何年だったのかもいるかも。初めてでは話にならない。--ハシリメデス 2007年4月21日 (土) 14:52 (UTC)


指摘により様々な書物を閲覧したところ、新たに参考文献として挙げた『オイラーの解析幾何』の訳者あとがき「7. オイラーの三つの関数概念」(494~500頁)において、任意の関数を三角級数によって表示する事柄についての触りがありました。この紹介を以て、一週間以内に特に異論が無いようでしたら「未検証」及び「記事の正確さ」のタグを消したいと思います。—以上の署名の無いコメントは、219.116.249.58会話/whois)さんが[2007年6月11日 (月) 20:22]に投稿したものです。

前回の編集から一週間以上経過しましたが、異論がなかったのでタグの消去に同意したと見做し、先程削除させていただきました。今後、この三角級数について新たな議論がある場合、まずノートにて議論し、それでもなかなか解決しない場合にのみタグを添付した方がいいと思います。無闇にタグを付けるのは、「レオンハルト・オイラー」の記事を読む人達に対し、多かれ少なかれ不信感を与えてしまうのではないでしょうか。また、前回、この議論に対する書物として『オイラーの解析幾何』を挙げましたが、他に『リーマン論文集』(朝倉書店,2004)にも同様の内容がありましたので、是非参考にしてみると良いでしょう。—以上の署名の無いコメントは、218.226.95.5会話/whois)さんが[2007年6月19日 (火) 21:38]に投稿したものです。

ちょっといなかっただけだから戻した。タグは議論があるという印であるのでノートで議論があるならはられるべきものだな。議論があるならタグを貼ることを拒むことはできない。フーリエ級数がフーリエの名を冠している理由を聞いたがまったく明後日の方向へ走り続けるとはな。繰り返す。フーリエ級数がフーリエの名を冠しているのは三角級数を考えたことによるものではないことは常識であろう。微分方程式の特別な解の一つとして考えただけのダランベール、オイラー、ダニエルらの仕事とフーリエの主張やそれに伴う影響は明らかに別物であるし、普通はこのように恥ずかしい勘違いをされることはない。いいかい?オイラーは特定の方程式に三角級数解を見つけている。しかしこの級数がフーリエ級数と呼ばれるのは特定の方程式に三角級数解を見つけただけのオイラーらとは明らかに別の仕事によるものだ。その違いを理解できない人はいつまでたってもだめだな。話にならない。なんならオイラーの論文から引いておいで。当たり前のことだがリーマンの仕事もフーリエの業績を受けたものであってオイラーの業績を直接に受けたものではない。--ハシリメデス 2007年6月20日 (水) 16:16 (UTC)


「オイラーが初めて得た結果が、他の人の業績として知られているもの」という項目名の解釈の仕方に、ずれが生じているのかも知れないですね。恐らく、「任意の関数を三角級数によって表示する」という「方法」を体系付けたのはフーリエで間違いないでしょう。然し、その「概念」を最初に提示し、「考察」したのがオイラーであるとリーマンも論文で言っているのです。ハシリメデスさんは「特定の方程式に三角級数解を見つけただけ」と言っていますが、その限りではありません。「いかなる関数も三角級数の形で表示できる」と最初に主張したのがオイラーだという訳です(形式的な主張ではないとは思いますが)。その点についての参考文献を挙げたのですから、先ずはそれを一読してみて下さい。

Wikipedia内での議論・会話は、友人同士のそれとは違いますので、もう少し丁寧な言葉遣いをするべきではないでしょうか。まさか、丁寧語も陸に使えない餓鬼や世間知らずではないでしょう。また、投稿する場合は必ずプレビューをし、納得してから保存した方が良いと思います。履歴が無駄に多くなってしまいますからね。—以上の署名の無いコメントは、218.217.52.139会話/whois)さんが[2007年6月20日 (水) 21:11]に投稿したものです。

履歴が増えるのは物分りの悪い小学生にどう言うべきか迷ってるからだな。プレビューしてもしてなくてもこういう場合は迷うものだよ。はっきりいってやらないとわからないのかな。あのなリーマンの論文はともかくいまそのリーマンの論文から引用されている部分は、波動方程式のダランベール解についてオイラーが考察した部分についてでフーリエ級数そのものの話ではない。ということで俺としてはどこまで本気でとってあげていいのかわからんのだよ。ジョークとしかいえないものを目の前にして物分りが悪いだけなのか、わざとギャグを飛ばそうとしているのかを見極めんとな。そんな小学生並の遊びをしているやつに対して敬語を使う気もない。友人だったら敬語を使ってやってもいいかな。自分が引用した部分に何が書いてあるのか理解できていないのだとしたら、本当に何の話にもならんのでしっかりしとくれよ。俺は物分りの悪いお子様にリーマンの論文の内容の解説をしてやるためにいるわけではないからあまり詳しく述べる気はないが。この場合わざわざ無関係のところを引用するってのはどういう意図があるのだろうか。この論文を読むポイントというのもたくさんあるが、君は自分が写している部分が何を主張しているのかわかっているか?たとえば「問題の性質より」って書いてあるが「問題の性質」て何をさしてんの?かわかってるか?物分りの悪い子供を演じているだけならそろそろふざけないで普通にやってくれよ。それとボク、そろそろしょめいくらいできるようになろうね。--ハシリメデス 2007年6月22日 (金) 09:06 (UTC)

ハシリメデスさんによるコメントが議論の本題を離れIPユーザーさんへの個人攻撃(能力の決め付け・編集意図の邪推など)になっているようなので3日ブロックさせていただきました。ブロックあけ後に冷静で建設的な議論をお願いいたします。ご不便をおかけしますがご了承ください。--Makotoy 2007年6月23日 (土) 07:08 (UTC)

引用・翻案関連[編集]

オイラーの解析幾何について[編集]

オイラーの解析幾何(レオンハルト・オイラー◆高瀬正仁*訳、海鳴社)という本を、図書室で見かけたので、何がどうなっているのかを、私の方で、確認しました。 219.116.249.58 さんは、この本の 498 ページを、写したと思われます。翻訳者のあとがきです。太字で強調されている部分も、 219.116.249.58 さんが強調したのではなく、すでに、この本で強調されています。前後の文脈を補完すると、オイラーの時代はまだ、関数の概念が固まっていないので、オイラーも場合に応じて、関数概念を、拡張していきました。その 1 つとして、ダランベールの解に関連した話が出てきます。任意に描かれた曲線を、関数として扱うという考えです。現代的には、普通の事ですが、オイラーのこの論文に現れています。ということが、書かれていました。私は、この件に関わる気は、無かったのですが、翻訳者である、高瀬正仁さんの名誉にも関わると思いましたので、当該部分を削除しました。この件につきましては、オイラーが悪いわけでも、リーマンが間違ったわけでも、高瀬正仁さんが勘違いして、誤訳したというわけでもなく、 219.116.249.58 さんの読解力だけの問題と考えて、良さそうです。書いていて気付いたのですが、引用の問題として、 219.116.249.58 さんが、どの本からどこを書いたのかが、明記されていません。一見すると、 1990年版,リーマン全集 から 写したかのようにも読めます。句読点の位置や太字強調部分まで一致している、その部分が、オイラーの解析幾何から写されたことは明らかで、翻訳権の問題もあるのに、オイラーの解析幾何から写したとは、書かれてないですね。これは、削除依頼の必要があるかもしれません。私は、出しません。 Infoweb の IP の方は、 IP を変えつつ、何度か編集されているようなので、履歴も洗わないといけないような、気がします。結構、大変ですね。本を揃えて、確認できる能力と時間がある方がいましたら、お願いします、といったところでしょうか。--132人目 2007年6月24日 (日) 07:07 (UTC)

Makotoy さんの編集について[編集]

こちらの編集[1] を見てください。

> 『オイラーの解析幾何』(高瀬正仁訳)における訳文を、出典を明記せずに引用している疑いがある

としてコメントアウトしている部分の前は、オイラーの解析幾何にある解説文です。関数概念を解説する中で、リーマン全集を引用して書かれています。つまり、219.116.249.58 さんは、「解説文+リーマン全集からの引用」を引用しているのです。引用#条件によりますと

3.本文と引用部分が明らかに区別できること。

とあります。皮肉なことに、引用部分がどこからどこまでなのか、区別が明らかでないことを Makotoy さん自身が、証明してしまいました。--132人目 2007年6月26日 (火) 02:50 (UTC)

Ks aka 98さんの助言を受け、問題の版を削除依頼に出すことにしました。今後の議論のために何の引用が問題だったのかをはっきりさせておきたいのですが、僕の編集でコメントアウトした部分については132人目さんのご指摘の通り『オイラーの解析幾何』高瀬正仁訳 (2005) 海鳴社 の498ページからのコピーであることを確認しました。上の書き込みで132人目さんが指摘されている解説文の部分についてはどこからのコピーなのか見つけることができませんでした。コピー元の文章が載っているページ番号を教えていただけますでしょうか。--Makotoy 2007年6月28日 (木) 10:32 (UTC)

正確には、引用というより翻案ですね。 498 ページ 4 行目からの翻案です。もちろん、この文章が単独で現れたのなら、オリジナルな著作物になっているか、ほかから持ってきたものなのかは、判別しにくいところです。しかし、今回は、問題の 498 ページという狭い範囲の中で、似たような文章が上の方にあるということであれば、それを独自の文章と言って、逃れようとするのは、難しいでしょう。 219.116.249.58 さんが、元の文章の言わんとするところを、ほとんど理解せずに、 Wikipedia に合いそうな、文章に書き換えようとしただけであることは、明らかでしょう。
それと、 Ks aka 98 さんから助言を受けたというのはいいですが、利用者‐会話:Makotoy#基本的なルールより基本の事を見る限りでは、著作権を優先で、削除依頼を出してくださいとしか、言われていません。 だめなものはだめと言い切った Makotoy さんは、どちらに行ってしまわれたのでしょうか?本質的には、私と、 Ks aka 98 さんの言っていることは、あまり違いはありません。誰かがそう言ったからではなく、どうしてそのように意見が変更になったのか、ちゃんと説明してください。今回、ブロック権限まで用いて、 Makotoy さんが 1 人で、滅茶苦茶にしてきたわけですから、そのあたりは、何がどうなって意見が変わったのか、ちゃんと言うべきだと思います。それとも、いつもどおり、考えが浅すぎたことに気づいたから、ということでよろしいのでしょうか? Makotoy さんが、何度も同じ過ちを繰り返さないためにも、そのあたりは、はっきりさせてください。基本的なルールというのは、 Makotoy さんが独自に決めた、自分ルールということでよかったのかどうか、だめなものはだめとは、どのようなルールに沿ったものだったのか等、を踏まえてお答えください。そういったことを、ちゃんと考えて話すことができないのなら、毎回、議論を混乱させるだけなので、いろいろと首を突っ込むのは、控えてください。急ぐも急がないも、すでに結論は見えていました。数学史についての知識がない、 Makotoy さんは、議論をコントロールできる立場でもありません。--132人目 2007年6月29日 (金) 15:05 (UTC)

言葉関連[編集]

  • ラプラス … 「オイラー入門」 vi(序文の直前)
  • ヴェイユ … 「オイラー入門」 vii-viii
  • ヨハン … 「オイラー入門」 p.3
  • アラゴ … 「フェルマーの最終定理」文庫版 p.134 冒頭
  • オイラー … 「リーマン博士の大予想」 p.25,p.61

--132人目 2007年7月13日 (金) 23:17 (UTC)

生涯関連[編集]

  • しかし、オイラーは … 「オイラーの贈物」p.236 ところが~
  • カタリーナ・グゼルは … 「オイラー入門」p.4-5
  • この書物は … 「オイラー入門」 p.8 下から10行目~

おそらく、全体的に「オイラー入門」を、下敷きにしています。

Makotoyさんについて[編集]

Makotoyさんは、一応、数学に詳しく、数学の分野に資するだろうと期待されて、管理者になられたと思いますが、こういった議論の内容を追えていないことが、少なくないような気がします。どう対処するにしても、数学関連の項目に関わる議論については、最低限、その項目について正しく理解し、真偽くらいは押さえてから、関わるようにお願いします。今回の件は、明らかにデタラメです。 Makotoy さんが、本当に、ウィキペディアの記述全体を、読み手にとって、有意義・有益なものに、しようと考えているのなら、最初にすべきことは、 IP の方の書いた、あの引用の内容と真偽を確かめて、削除することだったと思います。このままいくと、Makotoy さんがわけもなく邪魔をするから、こういったデタラメを消すことができない、といったことにもなりかねません。 Makotoy さんは、本当は、数学に縁の無い人なのでは、ということにもなりかねないので、数学の内容が、関係する事については、今ひとつ深く注意して考えて、行動されるようにお願いします。そこを期待されているわけですから、よく考えてください。もし、今回の事で、 Makotoy さんが介入した後に、私も含めて誰も何もしなかった場合、表のテンプレートが、当該 IP の方によって再びはがされて、正しく出典の書かれていない、半ば著作権を侵害し、しかも場違いである引用が、放置されるところでした。読み手にとって、有害無益な記述が、放置されるところでした。 Makotoy さんがしたことは、そういうことです。--132人目 2007年6月24日 (日) 07:07 (UTC)

ハシリメデスさんが議論のルールを守れているかどうかという話を記事中の問題の部分の数学的な内容や引用の形式の問題にすり替えないでください。たとえ数学的に正しいことをいっていたとしても議論の基本的なルールが守れなければだめなものはだめです。また、132人目さんが削除された部分については問題の訳文をコメントアウトすればとりあえず十分なはずです。議論中の部分についていたずらに結論を急ぎ自分の思う方向への記事の編集を強行するようなことはご遠慮ください。ぼく自身はハシリメデスさんを最初にブロックしているので、ハシリメデスさんのブロックがあけて議論が正常化するまではこの件の数学的な内容に関するコメントは差し控えようと思います。それまでおまちください。--Makotoy 2007年6月24日 (日) 08:28 (UTC)

目の前の本を見る以上は、議論の余地は無いです。 Makotoy さんの責任によって、著作権侵害部分を、戻してもいいですよ。 wp のローカルなルールよりも先に、著作権保護法が来ると思いますが。コメントアウトすれば、著作権侵害にはならないというのであれば、どうぞコメントアウトにしてください。私は、将来的にこれらの版が削除されることを見込んで、そうしているのですから、数学的な正しさとか、あまり関係ないですね。 Makotoy さんは、そういうところからして考えが、浅すぎると思います。そもそも、ハシリメデスさんが戻ってきて、議論に参加する保証は、どこにあるのでしょうか? 管理者がブロックしたことによって、戻ってこなくなった方は、何人かおられます。原因はともかく、たとえば 1 年戻ってこなかったとしましょう。その 1 年の間は、wp に明らかな虚偽と、著作権侵害の問題を抱えた、文章が残されるわけです。 1 年後に戻ってきて、削除の結論になれば、その 1 年間に加筆された所は全て無駄になるということですね。 Makotoy さんのしたことは、そういうことです。私は、すでに Makotoy さんの数学的な内容に関するコメントには、期待していません。現状では、意味がないですから。興味など全くありません。私は、 Makotoy さんの数学的な判断を、聞きたいとは思いません。それは、価値がある時期に、されるべきでした。私の目の前に現物がある以上、 Makotoy さんが、わざわざ意見を言う必要が、無いのです。誰かに対して、意見を言いたいのなら、どうぞ、ご自由に。--132人目 2007年6月24日 (日) 09:25 (UTC)

上でハシリメデスさんと132人目さんはIPユーザーさんの提示されたリーマンの論文の引用がオイラーの三角級数/フーリエ級数への貢献とは無関係だと主張されていますが、訳文の引用元となった『オイラーの解析幾何』では

このリーマンの論文は全部で13個の節で構成されているが、冒頭の三つの節(第1〜3節)には、
「任意に与えられた関数の、三角級数による表示可能性に関する問題の歴史」
という小見出しが附せられて、フーリエ級数論の形成史が回想されている.しかも第1節の表題は、
「オイラーからフーリエまで」
「1753年のダランベールとベルヌーイによる振動弦の問題の解決の有効性を巡る論争に見る問題の起源.オイラー、ダランベール、ラグランジュの見解」
という長大なもので、リーマンの数学史家としての力量をよく示しているように思う.オイラーの第三の関数概念はここに登場する. (レオンハルト・オイラー 著、高瀬正仁 訳『オイラーの解析幾何』海鳴社、2005年、p 498頁。ISBN 4-87525-227-7 より引用)

と書かれており、これのすぐ後に問題のリーマンの論文の訳文が続いています。これだったら問題になっているリーマンの論文は、オイラーのフーリエ級数論への貢献を論じていると見るのが自然なように思います。

本記事における説明としては、1749年に刊行されたオイラーによる原論文をあげなければ片手落ちでしょうし、リーマンの論文は『リーマン論文集』(足立恒雄, 杉浦光夫, 長岡亮介編訳、朝倉書店, 2004)から引くのがよいでしょう。また、可読性のことを考えるとリーマンの論文の文面を示す必要はないようにも思います。「オイラーによる振動弦の問題に関する考察<ref>L. Euler (1947-1957). Leonhardi Euleri Commentationes mechanicae : ad theoriam corporum flexibilium et elasticorum pertinentes. Auctoritate et impensis Societatis Scientiarum Naturalium Helveticae. pp. pp 50-62, 63-77 </ref>がフーリエ級数の概念の端緒だとリーマン<ref>足立恒雄, 杉浦光夫, 長岡亮介 訳『リーマン論文集』朝倉書店、2004年、pp 224-225頁。 </ref>は指摘している」のようにするのはいかがでしょうか。--Makotoy 2007年7月6日 (金) 02:28 (UTC)

IP の方を守りたいのなら、最初からそうすべきでした。数学の話でカタをつけるのが、一番手っ取り早いですから。
三角級数が、ダニエル・ベルヌーイやオイラーによって扱われていた事は、誰も否定していません。もし、論文のタイトルと、フーリエ級数史という言葉を隠して、そのリーマンの論文の引用部分が、何の話か考えてみると、どうなるでしょうか?これを、三角級数の話だと思う人はいないでしょう。そこは、いわゆる、三角級数「前史」です。フーリエ級数史を語る時に、オイラーが出てくる事も自然です。 Makotoy さんが引用した部分を、私が見たとき、まず最初に目につくのは、それは振動弦の話であるということです。質点の位置と速度が決まると、その後の運動が全て決まるというのは、ニュートンの決定性原理あたりですか。常識的に考えていただけば、わかると思いますが、弦というのは、途中で切れたりはしないんですよね。基本的なフーリエ級数として、方形波のフーリエ展開というものを学ぶと思いますが、あれは切れてますよね。したがって、誰が何を言ったのかは、もう少しよく見ないと、わからないだろうことは、理解できると思います。リーマンの論文では、ダランベール、オイラー、テイラー、ダニエル・ベルヌーイ、ラグランジュ達が何をどう考えて争ったのかが書かれています。リーマンの論文から引用するにしても、そこではないんですよね。オイラーのしたこととして引用するとしたら、ベルヌーイの解に対するオイラーの条件式でしょう。オイラーが関係したということを主張したいとしても、引用すべき文言が、全く的外れなわけです。そしてリーマンの数学史家としての力量を信用するならば、
>フーリエによってこそ,三角級数の本性が完全に正しく認識されたのである.
(「リーマン論文集」足立恒雄、杉浦光夫、長岡亮介 編訳、朝倉書店 p.229)
という主張を、無視することはできないでしょう。
何を端緒とするかについても、オイラーの条件式がベルヌーイの解から出てきている事を考えると、難しい所です。これは、有限ではありますが、端緒というのはリーマンの論文の最初を指すとすると、波動方程式ということになります。いずれにしろ、端緒とは何を指すのかは難しい所です。少なくとも、「リーマン論文集」 p.224-225 では、これらの波動方程式についての研究が、端緒だとは述べてませんよね。ここを、端緒としてピックアップするのであれば、それに先行するダランベールの仕事を持ってくるべきでしょう。いずれにしろ、リーマンは、オイラーを含む同時代の数学者の考える「関数」の狭さを論じていくわけですが、もし、そのオイラーの論文が端緒であると明記された部分があるのであれば、頁数と行数を明示してください。--132人目 2007年7月6日 (金) 05:41 (UTC)

今引用すべきかどうか問題になっている部分というのは、(三角級数によって表しうる)振動弦の階の初期値の自由度が「任意の関数」であり得ることをオイラーが認識していた、という文意だと思いますが、これはフーリエ級数がどれだけ一般的な関数を表せるかということに関わっているのではないかと思いますが。『リーマン論文集』228ページなどでも「オイラーが一般的な関数を考えたこと」がふたたび注意されています。もちろんオイラーが考察した振動弦の問題がフーリエ級数によって「表される」(周期、自乗可積分、etc.)可測関数をすべてカバーするわけではないでしょうが、それを持って、振動弦問題がフーリエ級数と関係がないというのは乱暴ではないでしょうか。もちろん、名前の通りフーリエ級数論に決定的な貢献をしたのはフーリエでしょうが、過去の蓄積と無関係にいきなり一般論ができたとはいえないと思います。

『リーマン論文集』を見ていて、さらに、問題になっている引用に続く部分(226ページ)で、三角関数を使った振動弦の表示

を与えるベルヌーイによる論文のあと、オイラーの(問題になっている引用の論文の後に書かれた)論文の中でいわゆる三角級数表示が与えられたことを紹介した部分がありました。

オイラーは、ここでダランベールに反対して、関数 f(z) が -l と l の区間の中では、全く任意でありうると主張し、もしベルヌーイの階(オイラーは、これをはるか以前から一つの特殊解としては認めてきた)が一般解でありうるとしたら、それは、級数
が、変数x に対し、0 と l の間で全く任意の関数の値を表現できる場合、かつそのときに限るということに注意した。(レオンハルト・オイラー 著、高瀬正仁 訳『オイラーの解析幾何』海鳴社、2005年、p 498頁。ISBN 4-87525-227-7 より引用 足立恒雄, 杉浦光夫, 長岡亮介 訳『リーマン論文集』朝倉書店、2004年、pp 226頁。  引用元訂正--Makotoy 2007年7月18日 (水) 14:41 (UTC)

とあります。引用するならばこちらの部分も含めた方がよさそうです。上に挙げた「オイラーの解析幾何」の解説文を見て、何となく「三角級数が振動弦の解を与えることが知られる」→「オイラーによって任意の関数が振動弦解になることが指摘される」→ 「フーリエによってフーリエ級数の理論がまとめられる」というふうに進展したのかと思っていたのですが、最初の二つは順番が逆だったんですね。その部分について取り違えをしていたことは不明をお詫びします。

しかし、オイラーが「任意の関数」と「三角級数」をともに振動弦の解として取りあげていることはフーリエ級数の概念史の中でとりあげ、重要視してよいことなのではないでしょうか。リーマンが論文でオイラーを取りあげた理由はそこにあるように読めます。「オイラーが端緒」については、『オイラーの解析幾何』のあとがきに挙げられている「オイラーからフーリエまで」という小見出しと、リーマンがオイラーの貢献をくりかえし強調して取りあげているように、リーマンの論文の第1節ではオイラーが最も重要視されているように見えます。ただ、誰が端緒か、ということについて強くこだわるつもりはありません。誰のどの仕事をフーリエ級数論の端緒に挙げるかは史家によって解釈の異なることでしょうし、オイラーがフーリエ級数論について貢献したということがリーマンの論文の中で述べられているかどうか、というのが問題なので。--Makotoy 2007年7月11日 (水) 03:32 (UTC)

まだ、私は、 Makotoy さんが、何が問題になっているかということと、リーマンの論文で述べられていることを、勘違いしているのではないか、と思っています。
「名前の通りフーリエ級数論に決定的な貢献をしたのはフーリエでしょう」と Makotoy さんが言った時点で、この話は Makotoy さんとの間では決着が付きました。なぜなら、本文の「オイラーが初めて得た結果が、他の人の業績として知られているもの」について、争われていたわけで、フーリエの貢献は、オイラーが既に得ていた結果ではない、ということですから、まさに、(正確性に難あり)であるわけです。引用というのは、オイラーが初めて得た事の理由付けに、 219.116.249.58 さんが持ってきたものなのです。そして、引用が理由付けになっているかどうかが、争われていたのです。元の問題が、解決した以上、引用に妥当性も何もありません。
ここからは余談です。 Makotoy さんが引用した 2 つの式ですが、すぐ上で私は、ベルヌーイの解、オイラーの条件式と呼んでいるものです。 Makotoy さんが、何のためにこちらに書き写したのかわかりませんが、書き写すのなら変なところで切ってはいけません。誤解の元です。その話では、オイラーは背理法を、用いようとしているのです。ベルヌーイは、ベルヌーイの解を一般的な解である、と考えました。オイラーは、ベルヌーイの解が一般的な解であるなら、同値な命題として、その三角級数(オイラーの条件式)で、任意の関数を表せなければならないと、述べたのです。しかし、オイラーはそのようなことは、不可能だと考えているのです。
>それゆえオイラーは,この問題は,ベルヌーイの考えとは反対向きに解決されるに違いないと信じたのである.
(「リーマン論文集」足立恒雄、杉浦光夫、長岡亮介 編訳、朝倉書店 p.226)
とあるように、オイラーは、オイラーの条件式が任意の関数を表すものではなさそうなので、ベルヌーイの解も一般な解を表すものでもないだろう、と考えているのです。
見た目がフーリエ級数と似てはいますが、フーリエ級数とは、反対の立場なわけです。したがって、この式を書くときは、オイラーはフーリエ級数には、到達していないということが、正確に伝わるように、注意しなければなりません。
p.227 にあるように、これは、オイラーだけではなくて、ダランベールも、ラグランジュも、ベルヌーイの解が、一般的な解であること、には否定的です。
振動弦問題がフーリエ級数と関係がない、と言っている人はいません。いかなる、数学も、過去の蓄積から出てきます。しかし、だからといって、数学の業績を、全て、タレスやピタゴラス学派に、帰着させる人はいません。
それと、もちろん、「任意の関数」という言葉の変遷にも、気をつけなければなりません。フーリエ級数史というよりは、関数概念史でしょうね。--132人目 2007年7月12日 (木) 01:24 (UTC)
先にも述べたとおり、私自身は、 Makotoy さんの知識や能力に、期待しているというわけではないのですが、現物を目の前にしても、内容を追えていないというのは、さすがにどうかと思うので、 2,3 書いておきます。当然のことですが、雰囲気だけで数学の文章を読むとか、見出しに引き摺られて、内容を歪めるとかいったことには、気をつけてほしいと思います。 Makotoy さんにとっては、オイラーの業績がフーリエ級数論に対する貢献に見えても、私からみると、オイラーでさえ、ここまでしかできなかったという強調にも見えたりもするので、雰囲気だけで、オイラーが 1 番貢献したようだ、といったように宣言するのは、やめましょう。オイラーが何をやって、ダランベールが何をやって、 … といった切り分けをした上で、だからオイラーの仕事が重要である、といった述べ方なら、わからなくもないです。もちろん、ブルバキスタイルではないし、一般講演のネタということで、読みにくい部分もあると思いますが、内容を把握できていないのなら、議論も無駄になるだけなので、把握してから出てくるか、わかりにくい部分についての質問、といった形で臨んでください。あと、フーリエ級数史を書くのであれば、フーリエ級数か、フーリエ解析の記事になると思うので、どこの項目に何をどう書きたいのか、といったことも考えながら話してください。少なくとも、現時点で、このオイラーの項目に書くのは難しい、と思います。書くとしても、関数概念の話としてまとめる、ということになると思います。--132人目 2007年7月16日 (月) 15:33 (UTC)

ここのところ多忙のため返事が遅れてしまいました。今週末以降はもう少し時間を割けると思います。

「フーリエ級数」という名前によってオイラーたちフーリエ以前の数学者の貢献はいわば覆い隠されているわけで、たとえ部分的な貢献であったにせよフーリエ級数論の(重要な)一部分をオイラーがすでに提出していた、という説が認められるならばそれは記事に書いたっていいのではないでしょうか。オイラーが「任意の関数」のあらわれる文脈において、さらに三角級数の表式を提出し、三角級数による関数の表示可能性を問うているという意味でフーリエ級数論の基本をなす問いがすでにオイラーによって投げかけられていた、というふうに読むのも全くのでたらめとは言い切れないように思うのですが。確かに「オイラーが初めて得た結果が、他の人の業績として知られているもの」という節のタイトルは扇情的ですが、それはむしろ「オイラーによる先駆的な業績が認められる分野」のようにトーンダウンさせるか、あるいはこのトピックをほかの節におくのがより適切かという問題で、引用そのものがでたらめでフーリエ級数論に関係ないかどうかとは別の問題ではないですか?--Makotoy 2007年7月18日 (水) 14:41 (UTC)


まず、最初に、削除依頼が通ったら、 1 年分全て消えます。この話も、多くは無駄になることでしょう。引用がデタラメと言ったのは、本文に対しての事ですね。引用と、本文には、密接な関係があります。引用#要件でも、引用には必然性が、求められています。引用を妥当なものにするために、本文を動かすというのは、本末転倒です。本文あっての引用ですから、本文の意味するところが変われば、引用の必要性はまた、0 から考え直すことになります。業績リストの部分も、その IP の方が、関わっていますから、削除依頼が通れば、再利用ということは、できません。したがって、オイラーが最後まで辿り着けなかった、この仕事についての話を書く前に、オイラーがやり遂げた多くの仕事について、書かなければいけないといったことも、覚悟してください。これらは、当然、 Makotoy さんが、責任を持って書かれるんですよね?リーマン論文集を目にしたばかりで、それを、そのまま引用するというのも、当然やめた方がいいですね。いろんな文献にあたってください。このリーマンの論文だけを以て、オイラーの業績を、フーリエ級数論に対する業績とか、先駆的と言ってしまうのは、拙速でしょう。このことについて、書くのをとめる気はありませんが、否定的である部分と、フーリエ級数と三角級数の違いについては、気をつけるべきでしょう。引用の観点から言えば、引用するなら、引用した所が、従となるだけの解説文も必要です。
以下は、余談の続きです。
フーリエ級数というのは、関数から積分を通して定められる、フーリエ係数を係数にとる「特殊な」三角級数です。この展開が任意の関数について、可能であるというのが、フーリエの主張です。オイラーの書いた条件は、「ただの」三角級数の一般式ですね。そのあたりの区別は、しないといけません。全ての三角級数を、フーリエ級数と呼ぶわけでは、ありません。しかも、オイラーは、任意の関数を表現できるとは、思っていません。この部分に関して言えば、オイラーの業績とは、(ベルヌーイ解の一般性を否定するために、)任意の関数を、三角級数で表現することは無理でしょう、と主張したことなんですよね。オイラーにとっては、三角級数は、特殊解の 1 つでしかありません。そこは、勘違いされないように、強調しないといけません。「三角級数による関数の表示可能性を問うている」、という平等な所に昇華させてはいけません。リーマンは、ラグランジュ達についても、同じように否定していますから、リーマンは、フーリエの業績を弁護するために、ダランベール解から話をしているともとれますね。数学者達の業績は、別に、フーリエ級数という名前に、隠れてはいません。波動方程式論や、三角級数論として知られているものばかりです。ダランベール解にしても、オイラーの解にしても、振動・波動論や偏微分方程式論で、今でも出てきますよね。フーリエ級数論に対する業績という前に、それらの分野での大きな業績として、残っているわけですが、それらの結果を何故、フーリエ級数論だけに、押しつけようとしているのか?といった事も、疑問ですよね。フーリエ級数論に対する、当時の数学者達の業績で一番大きく、また知られているのは、三角級数では、任意の関数を表現することはできないと思われる、と主張したことでしょう。--132人目 2007年7月19日 (木) 12:22 (UTC)

著作権侵害を理由に行為を無下にできるか[編集]

議論を最初から見ていた訳じゃないので、軽率な発言になるのかもしれないけど、どうも著作権法違反で削除方針になっているようだが、そこまでしてこの記事を消したい人は多いのか?どうも自分にはそう思えてならない。 IPの人は著作権法を明確に知らなかったとしたら(自分もその限りであるが)、それはすぐに違反とするのではなく、違反にならない様に指導・改善をするべきだと思うんだが、そうは思わないのだろうか?

参考文献・引用文献を挙げているのだから、違反するつもりがあったとはどうも思えない。それに、いくつかの文献を組み合わせ、更に手を加えた文は、文献の引用ではなく参考なのだから、それを違反とするのは如何かと思われる。 より詳しい記事にしようと試みたIPの人の好意を無下にするのが、Wikipediaの趣旨だったのか、と疑問に思う。蓋し、そういう人の集まりであると思えてくる。--Stronghold 2007年8月8日 (水) 20:04 (UTC)

著作権侵害しようとした意思があったかどうかというのは、実際に著作権を侵害している状態に結果としてなっているかどうかということに影響するわけではありません。善意だから権利を侵害する結果を招いても構わない、結果責任を負わないということでもありません。ウィキペディアにおける執筆者の保護を優先しようとするあまり、著作権保持者(あるいは他の権利を有する人)の権利を無碍にするのがウィキペディアの趣旨でないことには同意いただけると思います。ですから、IPの好意だとか知らなかったとかそういうのはひとまず忘れてください、そうして、きちんと文献と照らして、著作権侵害の虞がどの程度認められるか、という結果に対する議論をしていただけませんか。ウィキペディアの基本方針を再度ご確認ください、われわれは誰かの権利を侵害する内容をフリーコンテンツだといって配ることを許可するわけには行かないのです。それはIP参加者とて、ウィキペディアに参加する以上は、あらかじめ心構えとして持っているべきではありませんか。--Wailerleaf 2007年8月9日 (木) 08:37 (UTC)