ノート:ローレル・フェイ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「フリーの音楽研究学者」であるとか、”哲学博士”であるということは、Fay「ショスタコーヴィチある生涯」のカヴァーに訳者紹介とともに記載してあることで引用文献に明らかに書かれていることを、勝手に削除することはいけないと思いますが。この著作中の[ショスタコーヴィチの証言」に関する「証言が本物であるかどうか十分な検証がされていない」というFay 本人記述がどうして引用文献なしということになるのでしょうか? また、Fayの1980年の論文については、内容要約も書かれておらず、、「辞典」の記載評価のみを「やはり孫引きでそのまま引用」されていますね。 特に評価部分は、いろいろな考え方があるので、公平客観的な記述になるように注意されるべきではないでしょうか。 このままの記述であると、Fayの論文著作の記述と離れた、一方の立場の評価のみを記載する説明だけとおもいます。 元通りにお戻しください。--Tonoyama会話2012年5月19日 (土) 09:21 (UTC)[返信]

第一に、Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」とされています。具体的には、Wikipedia:信頼できる情報源において、二次資料が推奨されています。私が用いているのはその二次資料であり該当ページも示しています。Tonoyamaさんは、より「公平客観的」な記述をわざわざ主観的に書き替えていることになります。また、フェイの著作を出典とされているようですが、それは一次史料であるうえ、本記事には参考文献としてなんら示されていません。
第二に、Tonoyamaさんの加筆のほとんどは冗長です。例えば、フリーかそうでないかに、どういう意味がありますか? また、『証言』のテキストがどうこうといったことは、該当項目でさんざんお書きになられていることであり、ここで具体的に述べる必要はありません。さらに、「という人もいる」というような書き方は、記述をあいまいにするだけです。百科事典的記述とはどういうものであるべきか、もう少しお考えください。
第三に、「元通りにお戻しください。」といいつつ、ご自分で差し戻ししているのは言行不一致です。合意を図るおつもりがあるなら、このようなリバートはおやめください。--みっち会話2012年5月20日 (日) 09:05 (UTC)[返信]
2週間近く待ちましたが、とくにご意見もないようなので差し戻しました。ただし、哲学博士号への内部リンクは有用だと思うのでこの部分は活かしました。脚注で文献表示していますので、間違いないかご確認ください。なお、さらにご意見がある場合はこちらで伺いますので、合意を得た上で編集願います。--みっち会話2012年6月1日 (金) 23:12 (UTC)[返信]


>「第一に、Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」とされています。具体的には、Wikipedia:信頼できる情報源において、二次資料が推奨されています。私が用いているのはその二次資料であり該当ページも示しています。」  という点ですが、一次資料が公刊され、入手容易であるのでですから、二次資料の記載を転記するだけならば、一次資料については”孫引き”になることは論文指導などでならうことではありませんか?一次資料の要旨が提示されないと、二次資料に一次資料の要旨の記載がありその評価も記載されているのなら良いのですが、二次資料の著者の評価部分だけを引用することになり、評価の結論はわかるのですが、何に対して評価しているのか全くわからんことのなることも、お分かりいただけませんですか? それがないので、一次資料の要旨を記述すると、それが冗長といういうのは”信用できる第三者情報源”の要件ではなかったはずですが、一次資料の要旨引用に間違いはなかったはずです。 これが「「公平客観的」な記述をわざわざ主観的に書き替えていることになります]という点も、争点からはずれたこと書き込んでいるならその通りなのですが、Fay自身が述べている点を削除することは理解に苦しむところです。ご再考いただけませんか? 要は、ご自分の主観的評価に合う著作のみをその結論部分を引用することになってしまうことはおわかりいただけないでしょうか

>「第二に、Tonoyamaさんの加筆のほとんどは冗長です。例えば、フリーかそうでないかに、どういう意味がありますか?」    Fayがコーネル大学で哲学博士の称号を得たことは、明らかなのですが”音楽学博士”の称号を得ることは哲学博士とコーネル大学では単位取得課程も違うものですので、いつごろ取得したのでしょうか明らかではありませんねか?二次資料の該当ページを示すだけだと矛盾しているかもしれない事実を示していることになる例です。

>「フリーかそうでないかに、どういう意味がありますか? 」    これは大学で教鞭をとっていない、どこかの研究施設大学院で研究活動をしていない、ことなので”研究者の立場としては重要なのではありませんか?、Fayの2005年の著作には、政治的に中立であるということでこの”フリーの音楽研究家”であることを書いておられるようなので一次資料が公刊されているのですからその通り書くべきでしょう。それともどこかの研究施設大学院で研究活動をしているのでしょうか?

>「脚注で文献表示していますので、間違いないかご確認ください。」    これを著作を転記していると申し上げているのですが、上記の点、論文指導で教官から教えられることです・またそれが私的な研究発表や著作の転記にならない客観公平な二次資料の引用という点も合わせてご再考ください。--Tonoyama会話2012年6月2日 (土) 05:18 (UTC)[返信]

1点目ですが、Tonoyamaさん独自の見解はウィキペディアの方針やガイドラインに優先しません。すでに述べたように、私は推奨される二次資料に基づいて記述しています。『ロシア音楽事典』は、日本・ロシア音楽家協会の編纂により、執筆者は30人以上と幅広い専門家が参加しています。フェイの項は中田朱美が担当していますが、その記述は担当者一人にとどまらない、日本におけるロシア音楽研究の現状といって差し支えないでしょう。公平・客観性ならこれだけでも十分といえます。加えてマースの著作も参照しており、同書はソ連崩壊後のロシア音楽研究の最新の成果といってよく、「自分の主観的評価に合う著作のみをその結論部分を引用」などという指摘は当たりません。
また、マースは『証言』や『証言』に関するフェイの指摘についてかなり詳しく述べていますが、そのような問題点は『証言』で紹介・評価すべきことであり、ここでは『証言』に対してフェイの果たした役割・インパクトを要約するにとどめています。もし、『証言』という項目がなければ、代わりにここで述べるという方法もありますが、そうではありません。さらに、フェイの著作の重要性は『証言』に対してであって、フェイ自身の項目とその評価については話が別です。
2点目。哲学博士号へのリンクは活かしましたので、解決済みです。
3点目。「研究者の立場としては重要」とのことですが、フリーであることと政治的に中立であることは、必ずしも因果関係とはいえず、そのような強調は誤解を招きます。とはいえ、現状の記述で「フェイはフリーの研究者として1970年代からソ連での資料収集に努め、」というように加筆することには同意します。
4点目。おっしゃる意味がよく分かりませんが、文章をもう少し整理していただけませんか? 出典を明記することは、ウィキペディアのガイドラインです。ノートページでは明記したことになりません。また、ウィキペディアの項目は論文とは違います。独自の研究や個人の意見を含む論文は排除されます。--みっち会話2012年6月5日 (火) 10:40 (UTC)[返信]
一週間以上待ちましたが、ご意見がなく、おおむね納得いただいたと考えます。上記に基づき、「フリーの研究家」については本文に追加しました。なおご不満は残るかもしれませんが、私としても汲めるところは汲んだつもりであり、今回はこれで決着とさせていただきたいと思います。ご協力ありがとうございました。--みっち会話2012年6月15日 (金) 22:59 (UTC)[返信]