ノート:交響曲第4番 (ショスタコーヴィチ)

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次の一文について伺います。

最晩年にショスタコーヴィチは「プラウダ批判の後、政府関係者が懺悔して罪を償えとしつこく説得したが拒絶した。代わりに交響曲第4番を書いた。若さと体力がプレッシャーに勝ったのだ。」と証言しており、したたかな彼の一面が窺われる。

とありますが、前後の文脈から見る限り、強調部分は「第4番」ではなく、「第5番」でなければおかしいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--間久部緑郎 2008年10月6日 (月) 02:47 (UTC)[返信]


プラウダ批判は1月と2月、第4交響曲の完成が5月なので、4番だとも考えられるのではないでしょうか。5番のほうは「懺悔して作風を改めます」と表明しているようにも聴こえるので、4番か5番かは何とも言えないように思います。とりあえず{{要出典}}を貼って出典を求めてみるのはどうでしょうか。--Gruppetto 2008年10月13日 (月) 13:35 (UTC)[返信]