ノート:京浜急行線

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料金所[編集]

料金所の位置が記述されていないのですが、位置がはっきりしません。 ウェブで検索すると、龍口寺、深沢(現・深沢支所西交差点)、富士見町駅付近といった話があるようです。料金所ブースは無く、料金収受員が立っていたという話です。

また、片瀬山-龍口寺の短距離だけ、1984年(昭和59年)7月1日より後もまだ有料だったような記憶があるのですが、定かではありません。--Njt 2008年1月22日 (火) 19:40 (UTC)[返信]

前身について[編集]

「前身については京浜急行バス鎌倉営業所に詳しい」とありましたが、京浜急行バス鎌倉営業所に書かれていた「旧自動車専用道」との関係は? 開通年・最初の運営者が異なるようなので違う道路を指しているのでしょうか。 --Rusk 2008年5月5日 (月) 20:03 (UTC)[返信]

市鏡 - 滝口寺下線との関係について[編集]

市鏡 - 滝口寺下線の冒頭部からこの記事と関係があるみたいですが、市鏡 - 滝口寺下線は京浜急行線と延長距離と譲渡の内容が違います。どのような関係なのでしょうか。--Naw-K 2009年6月27日 (土) 16:23 (UTC)[返信]

首相官邸サイトにある、道路公団民営化に向けた討議資料?の参考3「これまでに廃止された道路運送法上の道路」に「京浜急行線」と「市鏡~滝口寺下」が見えます。この2線は事業者、免許年月日、供用年月日が全く同じであり、常識的に考えるならば連続した路線か、あるいは接続しているかのどちらかである可能性が高いと思います。私の記憶では、京浜急行の有料道路は、鎌倉市域部分が市道化された後も、藤沢市域部分については、鎌倉市境の片瀬山から龍口寺前までのほんのわずかな距離の坂道だけ、しばらくの間は「有料道路」のままだったはずなので、この部分のことではないでしょうか。つまり、本来は「市口寺下」の道路であって、それが上記資料上で誤記されているか、もしくは登記上誤った字で登録されているか、だと思います。記憶と推測による部分が大きいので、全く参考にできないとは思いますが・・・--ひで。 2009年8月4日 (火) 04:41 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。私もウェブで調べましたら、市鏡-滝口寺下線の名称についてはわかりませんが、ひで。さんがおっしゃられるように京浜急行線と市鏡-滝口寺下線はもともとは1本の有料道路だった可能性が高いように思いました。京浜急行線と市鏡-滝口寺下線がもとは1本の道路だったのなら、個別記事にしておくよりも統合したほうが記事を充実させるためにも良いと思いますがどうでしょうか。--Naw-K 2009年8月7日 (金) 06:44 (UTC)[返信]
市鏡-滝口寺下線の記事内容があまりにも薄いため、この記事への統合とすべきか、市鏡-滝口寺下線の単純削除とすべきか判断が難しいですね。ただ、ひとつの記事にすべきだとは思います。--ひで。 2009年8月7日 (金) 08:46 (UTC)[返信]


市鏡 - 滝口寺下線は、この資料で確認する限りでは、事業者、免許年月日、供用年月日が京浜急行線と同一です。異なっている引継年月日については、このサイトや上記料金所にて触れられているように、鎌倉市部分と藤沢市部分の無料開放時期にズレがあり、それを示すものであると考えられます。また、別のサイトの中ほどの記述を見ると、1985年3月22日の段階で、京浜急行有料道路には、国鉄大船工場から江ノ島方面に小さな山を2つ越えたところに料金所が存在していたようです。1984年の鎌倉市への有償譲渡の後であり、これはまさしく藤沢市部分の様子であると考えられますので、京浜急行線の譲渡後も、京浜急行有料道路は藤沢市部分で存続していたことになります。市鏡-滝口寺下線とは、その部分の名称であると考えられます。よって本ページへの統合を提案いたします。--ひで。 2009年8月10日 (月) 01:17 (UTC)[返信]

(賛成)1つのページ中で一緒に解説すべきであると考えますので統合に賛成です。--Naw-K 2009年8月11日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

提案から1週間が経過し、賛成が1票、そして明確な反対意見がありませんでしたので、統合を進めたいと思います。--ひで。 2009年8月17日 (月) 02:53 (UTC)[返信]