ノート:人海戦術

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「共産主義」→「人命軽視」でもないと思います。
「人命を軽視した体制でこそ行える方法であり、当時の共産党政権下においてはこれが可能であった」とか... 220.145.150.22 04:42 2003年8月30日 (UTC)

ソ連、中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジアと共産国はどこを見てもほぼ例外なく人命軽視でありますので、「共産主義」→「人命軽視」で問題ありません。

208.27.166.4氏に『「共産主義」→「人命軽視」』という確信があったとしても、 ここにそれを書くのは、中立的な観点ではないと思うのですが、そんなことないでしょうか。> アカウント持ってる私より詳しい人。
たとえば、「共産主義だとAがBであるので人命軽視になるという説がある」 といったことを書いた方が良いのかな。この項よりも相応しいところがあるかもしれませんが。 220.145.150.22 07:56 2003年8月30日 (UTC)

こんにちは。人海戦術には詳しくないですが、アカウントは持っているので、中立的な観点について書いてみます。
220.145.150.22さんに近い意見も多いのですが、現在の記事は共産主義(思想としての)が人命軽視(の思想)であるかどうかについては述べていないように見えます。共産主義国家が人命軽視だと書いてあるように見えます。
これが中立な意見(異論がなく広く受け入れられているような意見)かどうかは、どなたか他の方の意見を聞きたいところです。
それから、人海戦術の記事で何もわざわざ共産主義を批判する(擁護するのでも同じですが)必要があるのかな、と思わないでもないんですが、どうでしょうか。
人海可能にする条件としては、「人命軽視」以外にもいろいろあるんじゃないだろうか、(近代的な軍備の不足だとか国民の動員能力だとか)とか、人命軽視の国家としてはファシズムや原理主義と呼ばれるような国家もあるんじゃないだろうか、ということも思います。
でも、もしかすると、僕が無知なだけかも知れません。実際には、共産主義国家と人海戦術は密接な関係にあること(多くの共産主義国家が人海戦術をとるとか、人海戦術をとる国家の多くは共産主義国家であるとか、)、共産主義国家が人命軽視であること、人命軽視が人海戦術を可能にする主要な条件であること、が異論の余地がないものとして広く受け入れられているのかも知れません。そうであればこれらの意見が記事中に含まれているのは場違いでも「何もわざわざ」と形容するようなことでもないと思います。
ですが、僕みたいな無知な読者が不要な疑問を抱かないためにも、「という理解が専門家の一致するところである。」みたいな一言があって欲しいな、とは思います。
参考になれば幸いです。Tomos 08:41 2003年8月30日 (UTC)
蛇足ですが、「大量動員」を付け加えさせていただきました。昨今の中東に見られるテロリストの戦術は
自爆という人命軽視の方法ではあるものの、大量の人員を一挙に、かつ一つの戦局に動員できるものではないので、
それとの区別を図るために。