ノート:信濃川逃亡労働者殺害事件

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検証可能な出典がある部分を削除しないでください[編集]

宮崎学『不逞者』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、ISBN 4-87728-734-5のP.219からP.220までを出典として加筆しています。検証可能な出典がある部分は、削除しないでください(元々の記事には出典はありません。出典の明示がない部分を削除するのはかまいません)。また、記事のタイトルを変えたいのであれば、Wikipedia:改名提案に沿って提案してください。--天使の羽根 2008年4月12日 (土) 09:15 (UTC)[返信]

そうであれば宮崎学『不逞者』にも記されていないことをなぜ書くのでしょうか[編集]

その前に削除をしたのは私ではありませんが、今回下記の理由で「天使の羽根」さんの 版を「削除」しました。 「天使の羽根」さんは4月2日00:17の版にて冒頭「7月に…数十人が虐殺された事件」 と加筆していますが、「7月に」とは『不逞者』当該頁に記述されていません。 事件が報道されたのが7月29日というだけで、虐殺が7月だけに起きたということはありません。 『不逞者』に「読売」記事本文引用は無く見出しだけの 引用なので、誤解されたのでしょうか。そうでないとすればこの部分の出典は? (ちなみに朴慶植さんの記述は「5月から8月にかけて」)

「信濃川発電所」は朴慶植さんの間違いの踏襲。

「射殺されたりセメント漬けにされて信濃川に投げ込まれた」は 『不逞者』だけの記述。宮崎さんの「創作」です。 朴慶植さんも書いていません。 虐殺死体を信濃川にわざわざ運ぶことはしないでしょう。

ということで事実誤認が多い出典を元にした「記事」を訂正するより、以前の版を ベースにしました。 2008年4月16日 7時8分

futei

  • 「7月」の表記は、前の版からの踏襲です。この部分の記述は利用者:Earth01さんが、「信濃川朝鮮人虐殺事件」の初版にて、記述されています。工事着工が7月で、『読売新聞』の報道が7月29日ですから、論理的に虐殺は7月に始まっているわけです。その部分は、利用者:Earth01さんに検証可能な出典を明示してもらってくださいませ。なお、上記の問題と検証可能な出典が明示された部分を合意なしに削除することは別問題です。また、宮崎学氏の著作が創作とするのであれば、まずは宮崎学氏と議論して、宮崎学氏に「創作であること」を認めさせて、出版物の表記を変更させてください。それが出来ない限り、誰でも自由に宮崎学氏の著作を参考文献として、加筆修正ができることになります。--天使の羽根 2008年4月15日 (火) 22:32 (UTC)[返信]

一次資料、研究論文をお読みになることを勧めますとしか、いいようがありません[編集]

第一発電所の工事は前年の1921年6月から始まり「日本土建」が受けたのは「圧力隋道」「第二発電所水路」の工事です。(佐藤論文による) 報道されたのは数体の死体が漂着というだけで、日時は特定されず風聞、伝聞だけの内容です。(読売新聞の原本、縮刷版、マイクロフィルム版は近くの図書館に所蔵がないので、『朝鮮人強制連行の記録』収載の翻刻された当該記事が全文間違いないとしての前提で読んでいます)。 「報道が7月29日ですから、論理的に虐殺は7月に始まっているわけです」というのは何処が論理的なのでしょうか? 当該『読売』7月29日付記事はお読みになっているのでしょうか。 宮崎著作は、参考文献を巻末に一括してあげているだけで、引用、典拠を当該頁、当該内容に即して明らかにしていません。--以上の署名のないコメントは、Futei会話/Whois)さんが 2008-04-16T00:07:53 に投稿したものです。

  • Wikipediaで編集するならば、Wikipediaのルールに従ってください。貴方の個人的な見解や自分勝手なルールを押し付けないでください。まずは、futeiさんもWikipedia:検証可能性に従ってください。また、要出典を出してますので、その部分についても、きちんと検証可能な出典を明示してくださいませ。上にも書いていますが、検証可能な出典宮崎学『不逞者』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、ISBN 4-87728-734-5を否定するのであれば、まずは宮崎学氏と議論してください。貴方の論法では、宮崎学氏の意見を否定したことにはなりません。あくまでも、「宮崎学氏と異なる意見が存在することを立証したにすぎません」。宮崎学氏の意見は全然否定されていないのです。「7月」の件は、上に書いているように、利用者:Earth01さんと議論してください。futeiさんだって、上で「以前の版をベースにしました」と書かれていますよ。私もこの部分は初版をベースにしています。この点に関しては、貴方の方針と同じですよ。なお、Wikipediaには「一次資料、研究論文を読まなければならない」というルールはないと思います。もし、あるのならば、そのルールをご提示ください。--天使の羽根 2008年4月16日 (水) 00:16 (UTC)[返信]
(横から失礼)天使の羽根さんに伺います。天使の羽さんが確認なさった資料は『不逞者』のみなのでしょうか。それとも、これ以外の出典もご確認になったのでしょうか。
『不逞者』は過去の二次資料をもとにした三次資料であると考えられるため、そこに書かれた情報をもとに他の(二次資料をもとにしている可能性のある)記述を否定してよいほどの情報源ではないように思います。むしろ、『不逞者』が情報源としている二次資料を直接確認してそれを「出典」とすべきでしょう。
また『不逞者』以外にアクセスできる資料がないなら、たとえば『不逞者』を「出典」としている「朝鮮人労働者数10人」、朝鮮人「600余人」という数字について、『不逞者』が何を情報源としてこれらの数字を出したのか、まで明確にすべきでしょう。
なお、2008-04-16T00:02のFuteiさんの加筆については、いきなりこれを消すのではなく、styleを整えて[要出典]とする方が良いでしょう。『不逞者』では、それ以外の二次資料多数を参照しているとみられるFuteiさんの加筆を否定できるものではないと考えられるからです。
またFuteiさんには、加筆の出典を明記してくださいますようお願いいたします。--miya 2008年4月16日 (水) 00:36 (UTC)[返信]
検証可能な出典は『不逞者』のみです。しかし、Wikipedia:検証可能性には、この出典(三次資料だとしても)を否定するルールはないと思います。例え三次資料だからと言っても、宮崎学氏の主張が否定されるWikipediaのルールはありません。あくまでも、問題は「検証可能性」です。なお、私は両論併記を主張しています。記事では、きちんと、脚注を作り、宮崎学氏の意見であることは明記しております。あとは、futeiが検証可能な出典を明示して、「○○の出典では××と書かれている」と併記すればいいだけだと思います。--天使の羽根 2008年4月16日 (水) 00:43 (UTC)[返信]
「中津川第一、第二発電所の間違いである」の記述も、きちんと間違いであると明記した出典を明示してください。「別の資料には別のことが書かれてある」ということであれば、、宮崎学氏と異なる意見が存在することを立証したにすぎませんから。この点は十分ご理解くださいませ(私の主張は全てこの1点です)。--天使の羽根 2008年4月16日 (水) 01:15 (UTC)[返信]

出典としての『不逞者』[編集]

見出しを変更しました。--miya 2008年4月24日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

三次資料だからといって否定はしません。ほかに出典が見つからないなら、三次資料でもないよりはましでしょうし、「宮崎学は『不逞者』で朝鮮人の人数を「600余人」としている」と書くことは問題ないだろうと思います。

ただ、ほかにもっと学術的な論文があるにもかかわらず、学術的とは言い難いノンフィクションの書籍による情報を優先することはできません。『在日朝鮮人史研究』はWebcatで調べると、結構いろいろな大学の図書館にあるようなので、一度行ってお読みになってはいかがでしょうか。

また、どんなに質の高い資料であっても、単一資料に頼って百科事典の執筆を行うのは危険です。たとえば

>同月、逃亡を試みた数10人の朝鮮人労働者たちが、信濃川発電所工事所で、大倉組の監督者らに、射殺されたり、セメント漬けにされて信濃川に投げ込まれた。

は論理的に考えてもおかしいと思いませんか。軍隊じゃないんですから、現場で労働者を「射殺」することはまずあり得ないでしょうし、「セメント漬け」は現場でセメントを流し込むときに死体を一緒に放り込むならともかく、その重いセメントを川まで持って行って投げ込んだりするとは考えられません。

『不逞者』に「射殺されたりセメント漬けにされて信濃川に投げ込まれた」と書いてあるのなら、『不逞者』だけを出典とするのは大変遺憾なことと言わざるを得ません。--miya 2008年4月16日 (水) 06:39 (UTC)[返信]

「ノンフィクションの書籍だから価値が下がる」というのは、おかしな理論です。例えば、Aさんという記事の執筆者が、複数の学術論文から情報を取捨選択して記事を書いたとしましょう。天使の羽根さんは、宮崎学氏の『不逞者』1点を参考に記事を書いたとしましょう。宮崎学氏も作家である以上(巻末には参考文献が記載されています)、自書の巻末に明示した参考文献を元に出版したはずです。「Aさんは、複数の学術論文から情報を取捨選択して、記述したのだから、天使の羽根の記述よりも信憑性がある」と言えるのでしょうか?Aさんの情報の取捨選択の基準は、Aさん自身です。天使の羽根さんの情報の取捨選択の基準は実は宮崎学氏です(宮崎学氏の著書にのみ因っているから)。ここで考えるべきことは、『基準が「Aさん」と「宮崎学氏」のどちらが信頼できるか』です。プロの作家として飯を食っている宮崎学氏が、Aさんよりも劣るのでしょうか?いや、私には、プロの作家である宮崎学氏の方が、Aさんよりも信頼できる(インターネットの特性です。Aさんは、現実の社会では、在日朝鮮人史研究では一流の学者かもしれない。しかし、インターネットで匿名で投稿する場合、現実社会の実績が消えてなくなるのです)と思います。私の判断基準はこの点に因っています。宮崎学氏の記述の矛盾点をいくら挙がられても無意味です。宮崎学氏は仮にもプロの作家です。一方、宮崎学氏を批判する人はプロなのかすらどうかもわからない。信憑性ではプロの作家が上だと思います。仮にも、出版物が版元から認められて出版されているわけですから。何度も書きますが、私の記述は、自分の意見ではありません。宮崎学氏の意見です。宮崎学氏を信頼できないとするならば、この点をきちんと論証してください。この部分が私は納得できないのでする。いや、Wikipedia:検証可能性のルールに反しているとしか写らないのです。ただ、私も利用者:Miyaの勧める文献を読みます。ただし、それらの文献を読んで私が加筆する場合、私の情報取捨選択が入り込んでしまうわけです。--天使の羽根 2008年4月16日 (水) 08:04 (UTC)[返信]
とりあえず、射殺についても請願巡査がいたこと等を考えればあり得なくはない。少なくとも『不逞者』の記述であると明記すれば問題なく、非論理的と非難されることではない。『朝鮮人強制連行の記録』に

これは一九二二年、信濃川支流中津川第二水カ発電所の通水隧道工事をやっていた大倉組のタコ部屋における虐殺・虐待事件である。

云々とあります。[1]に同じものの引用があります。この時代に信濃川発電所と言えば中津川だったので宮崎が略記したのを天使の羽根氏が理解していないだけに見える。johncapistrano 2008年4月17日 (木) 03:52 (UTC)[返信]
宮崎学氏が略記したのかどうかを確認しなければ、議論は前に進みません。略記したかどうかは、johncapistranoさんの推論ですよね。ここで、推論を述べ合っても、何の結論も出てきません。お互いに「それは貴方の推論でしょう?」と述べ合って平行線を辿るだけです。私が下に書いているように、宮崎学氏に、直接記述について確認する以外に、解決策はありませんよ。表現に誤りがあれば「ごめん。間違いだった」という回答が普通は返ってきますし、次からは修正された表記で重版されるはずですよ(プロの作家である以上、誤りを垂れ流して重版するはずありません)。宮崎学氏は只今海外にいらっしゃいます。宮崎氏の返事は少々お待ちください。--天使の羽根 2008年4月17日 (木) 05:42 (UTC)[返信]
工事が行われていない存在しないものに言及する訳がないでしょう。確認以前の問題です。誤りではなく調べれば分かることで、修正の必要もないことです。johncapistrano 2008年4月17日 (木) 06:15 (UTC)[返信]
johncapistranoさんの論旨がずれていると思います。johncapistranoさんは上記で「この時代に信濃川発電所と言えば中津川だった」と記述されています。つまり、宮崎学氏の主張である「信濃川発電所」という表現は間違いではないのですよね。それならば、この記述を完全な誤りとして削除するのには無理があります。『「中津川第二水カ発電所(当時は「信濃川発電所」とも呼ばれた)』と記述すればいいだけのことです。宮崎学氏の意見も入っているし、116.64.98.8さんの意見も入ってる。これこそが、両論併記でしょう?お互いが、歩み寄る記述なんていくらでもありますよ。参考文献の示された記述を一方的に排除するということは、最初から話し合う気なんて全然ないと誤解されても仕方ありません。話し合う気があるならば、必ずノートとかで議論を求めます。わかっていない人がいたら、きちんと納得させるはずです。相手が勘違いをしてくるならば、相手を説得することは極めて簡単です。私は、「宮崎学氏の記述に合わせろ」と主張しているのではありません。検証可能な出典が挙がっている以上、宮崎学氏の主張が誤りであると書かれた出典がない限り、宮崎学氏の主張を削除できないでしょう?と言っているのです。--天使の羽根 2008年4月17日 (木) 06:51 (UTC)[返信]
「宮崎学氏の主張」なら「宮崎学氏の主張」であると、脚注を見なくても本文を一瞥しただけでわかるようにすべきだと考えています。--miya 2008年4月24日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

「事件」の内容について[編集]

天使の羽さんの2008-04-15T21:48:13の版における差し戻し

  • 「大倉組の朝鮮人労働者数10人が虐殺された事件。」
  • 「逃亡を試みた数10人の朝鮮人労働者たちが、信濃川発電所工事所で、大倉組の監督者らに、射殺されたり、セメント漬けにされて信濃川に投げ込まれた。」

というのではまるで、数十人が一度に逃亡を試みて集団虐殺されたような印象を受けました。 この事件の冒頭は

  • 「上流から死体が流れてきた事件」
  • 「その死体は上流の中津川水力発電所建設現場での虐待によって死亡したらしい朝鮮人だったが詳細は不明のまま終わった。」

としたほうが正確ではないか、誤読の恐れが少ないのではないかと思います。--miya 2008年4月16日 (水) 06:39 (UTC)[返信]

この件については、幻冬舎を通じて、宮崎学氏に問い合わせます。本来、宮崎学氏の意見を否定する立場の人が問い合わせるべきだと思いますが。宮崎学氏と議論すらしないで、宮崎学氏の主張を否定することはできません。宮崎学氏の主張を、他人の憶測だけで否定できません。憶測では、宮崎学氏の主張は否定できません。この件は、宮崎学氏の返答を得てから、判断したいと思います。宮崎学氏が「『不逞者』で書いた信濃川朝鮮人虐殺事件は出鱈目だ」と認めるならば、私の記述は削除します。しかし、宮崎学氏が「自分の記述は正当である」と主張されるならば、私の記述を否定される理由は全くありません。後は、宮崎学氏の主張を否定される方が、直接宮崎学氏と議論してください。その議論の結果に従います。--天使の羽根 2008年4月16日 (水) 08:04 (UTC)[返信]
宮崎氏に問い合わせて仮に回答があったとしても独自研究です。それよりか、疑問自体が研究者によるものでなく出典の明記に沿った記述に改めればよいのみでおかしなぼかし方をする必要はない。研究者から疑問が出ているならそれを出典付きで提示すればよい。johncapistrano 2008年4月17日 (木) 03:52 (UTC)[返信]
独自研究にはならないと思います。Wikipedia:独自研究は載せないでは、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」と書かれてあります。つまり、「信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述」すれば独自研究ではないことになります。参考文献は挙げていますので、この点に関しては問題ありません。さて、問題は「宮崎学氏が信頼できるかどうか」という点に集約されます。もし、「宮崎学氏は信頼できない」とするならば、どのような理由からでしょうか?上記でも何度も問いかけています(これこそが、この議論の最大の焦点だからです)。しかし、誰からも明確な論証がされていません。今までの宮崎学氏の出版物にどれだけの誤りがあり、それ故、どれほど信頼できないのでしょうか?この部分をきちんと示していただけなければ、話は前に進みません。--天使の羽根 2008年4月17日 (木) 05:42 (UTC)[返信]
だから宮崎学が信頼できるかどうかはウィキペディアの利用者が本文中で判断することでない。あなたが問い合わせても意味がない。johncapistrano 2008年4月17日 (木) 06:15 (UTC)[返信]
問い合わせは意味があると思います。宮崎学氏が「ごめん。自分の間違いだった」というかもしれません。宮崎学氏が誤っているならば、私の記述は削除されなければいけません。ところで、ウィキペディアの利用者が宮崎学氏の信憑性を判断しないで、誰が判断するのでしょうか?「宮崎学氏の出版物は信頼できない」と書かれた検証可能な出典があるのでしょうか?宮崎学氏の主張を記事に入れるかどうかを判断するのは、最終的にはウィキペディアの利用者のはずです(管理者なのかもしれないが、それは言及しません)。もちろん、議論のよりどころとしてWikipedia:検証可能性などのルールが存在しているのだと思います。--天使の羽根 2008年4月17日 (木) 06:51 (UTC)[返信]
読者として判断するのは自由。本文中に出典なく記載しようとするのは誤り。johncapistrano 2008年4月17日 (木) 07:00 (UTC)[返信]
johncapistranoさん、ありがとうございます。「『不逞者』の記述であると明記すれば問題なく」には同意します。請願巡査については、たしかにおっしゃるとおり。ですからたとえば「<ref>宮崎学『不逞者』は~~~~~~~としている</ref>」のような脚注をつけるとには反対しませんが、正確性について疑問が出ている箇所については「広く認められた事実」であるかのような書き方はしないでいただきたいです。
『不逞者』「そして、この年の夏・・・(ハードカバーP.172)」のくだりを確認しました。金天海氏を主題にした興味深い本でしたが、発電工事所の件は簡単に紹介されているだけなのですね。この文章を唯一の出典にして加筆するのは、司馬遼太郎氏の歴史ものを唯一の出典に歴史項目を執筆するようなものだと思いました。。--miya 2008年4月18日 (金) 00:25 (UTC)[返信]
miyaさん、おはようございます。では、「出典を明示した上で、(どんな表記になるにしろ)宮崎学氏の記述を残す」ということでいいんですね。私が主張しているのは、最初からこの1点のみです。「検証可能な出典が明示されている以上、記述を議論もなしに一方的に削除できないでしょう?」ということです。勝手に削除する行為などは、宮崎学氏に対して失礼ですよ。そりゃ、出典が明示されていない部分ならば、削除されても文句は言えないでしょうけど(この記事の初版のように)。なお、文章に対応させて、脚注などで出典を明示していれば、普通、その文章が出典の著者の意見だということは自明だと思います。だから、司馬遼太郎氏の歴史物を参考に記述しても、この文章の出典が司馬遼太郎氏の出版物であることを明記しておけば、読み手は司馬遼太郎の意見であることは理解できると思います。つまり、出典を明示することは、「誰の主張なのかを明確化すること」なのだと思います。なお、私が信濃川朝鮮人虐殺事件に加筆した部分は、ほんの数行ですよ。だって、参考文献に書かれていること以外を記述してしまうと、独自研究になりますから。上の「検証可能な出典がある部分を削除しないでください」にも明記していますが、あくまでも問題にしているのは私が加筆した部分のみですよ。上でも、きちんと書いているはずです。私は初版作成者の利用者:Earth01さんとは別人です。誤解のないようにお願いします。--天使の羽根 2008年4月18日 (金) 01:37 (UTC)[返信]

(インデント戻)横から失礼します。M.Mと申します。私は問題となっている『不逞者』を読んだことがないのでそれ自体についてコメントはできませんが、議論に参加している皆さんの主張に気になる点がありましたのでコメントさせていただきます。

  • (天子の羽根さんへ)『不逞者』を「検証可能な出典」とされていますが、『不逞者』について異論がある場合は必ずしも検証可能性を満たしているとはいえませんよ。ただし、ひとつの見解として脚注等で明示しているのであれば問題ないとは思いますけどね。それから、中立性の観点からいえば、宮崎学氏と異なる見解も同時に載せられたほうがよろしいと思います。
  • (johncapistranoさんへ)「あなたが問い合わせても意味がない」とおっしゃっていますが、そんなことはないと思いますよ。天子の羽根さんは、ご自分で加筆された記事の信頼性を確認されるために宮崎学氏に問い合わせるとおっしゃっているわけです。つまり、『不逞者』の内容を検証しようとされているわけですから、これは意味あることだと思いますよ(ボランティアなのに、そこまで手間をかけられるというのは賞賛に値すると思います)。わざわざそのようなことをしなくても、宮崎説を覆すのに十分な根拠のある資料を明示すれば、特に宮崎学氏に問い合わせる必要はないとは思いますけどね。
  • (Miyaさんへ)天子の羽根さんは、十分議論が尽くされないままいきなりご自分が加筆された部分を削除されたことに疑問を抱き、議論を提起しただけだと思われます。『不逞者』が信頼に足る資料といえるか疑問があったとしても、ノートで議論をして納得されたのであれば、天子の羽根さんも修正または削除に同意されることと思います。私としては、宮崎学氏の見解のほかに異論があれば、それを併記することで議論は決着すると考えますがいかがでしょうか?--M.M 2008年4月18日 (金) 23:31 (UTC)[返信]
M.Mさん、おはようございます。おっしゃる通りです。上にも、書いておりますが、私は「宮崎学氏の記述に合わせろ」と主張しているのではありません。「宮崎学氏が信頼できない(=検証可能性を満たさない)のであれば、それを論証してください」と主張していた(つまり、「検証可能な出典でないことを示してください」と求めていた)のです。そりゃ、プロの作家の出版物と言えども、誤植がある可能性だってありますし、本が売れるために少々オーバーに書く(つまり、オーバーに書ける参考文献を優先してしまう)ことだってあるでしょうから。また、既に記述していますが、この問題にはインターネットの匿名性の問題もあると思います。現実社会では、こんな場合、どう判断されるのでしょうか?私は、現実社会では「権威者の主張で判断されている」と思います。つまり、その道の偉い人が「一般には、この説が支持されてますよ」と言えば、議論終了です。しかし、インターネットの匿名性の世界では、匿名者は「現実社会での実績を放棄していることになる」と思います。つまり、どんなに偉い研究者でも、匿名(アカウント名)で投稿する限り、単なる1人の実績のない人物に同化されてしまうのです。Wikipedia:検証可能性でも、極論すれば、「検証可能性を否定できない説ならば、出典を明示した上で全部記述した方が良い」としているのだと思います。もしも、利用者:Futeiさんが実名を公表し、実名で記述したら、たぶん議論の展開は全く違うものになっていたと思います。しかし、利用者:Futeiさんというアカウント名で投稿する限り、利用者:Futeiさんは現実社会での実績を放棄してしまっているのです。この部分を利用者:Futeiは理解し、インターネットの特性に合わせて対応すべき(つまり、匿名やアカウントで投稿したならば、自分の現実社会での実績が、インターネット社会では消えてなくなってしまっているのだと認識すべき)だと思います。これは、利用者:Futeiさんの現実社会での実績を否定するものではありません。恐らく、現実社会では、利用者:Futeiさんは、その道のプロでしょうから。--天使の羽根 2008年4月19日 (土) 00:08 (UTC)[返信]
M.Mさん、コメントありがとうございます。宮崎学氏の見解のほかに異論があれば、それを併記で良いと思います。この際、どの情報にどんな出典があるか、節を改めてリストしたいと思います。--miya 2008年4月24日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

出典確認[編集]

個別内容について、ひとつずつ出典の有無を検討してみます。よろしければご協力ください。--miya 2008年4月24日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

事件名
  • 信濃川虐殺事件 --『不逞者』
  • 中津川朝鮮人虐殺事件 --佐藤泰治
定義・概要
  • 信濃川の上流から朝鮮人の死体が次々と流れてくるという大正時代に起きた怪事件。2008-03-10T09:13:56の版
  • 大正11年(1922年)7月に信濃川発電所工事所(「北越の地獄谷」と呼ばれた)で大倉組朝鮮人労働者数10人が虐殺された事件。2008-04-02T00:19:07の版
  • これは一九二二年、信濃川支流中津川第二水カ発電所の通水隧道工事をやっていた大倉組のタコ部屋における虐殺・虐待事件である。 --『朝鮮人強制連行の記録』


第一報
  • 遺体がの上流から流れてきて、それを1922年7月29日に読売新聞が報じた。--『不逞者』
  • 数体の死体が漂着、日時は特定されず風聞、伝聞だけの内容(読売新聞1922年7月26日の版、『朝鮮人強制連行の記録』収載)
「事件」の起きた時期
  • 「7月」 --利用者:Earth01さん
  • この年(1922年)の夏 --『不逞者』
  • 同じ年(1922年)の7月26日 --『もうひとつの現代史
  • 「5月から8月にかけて」 --朴慶植
川の名前
  • 信濃川 --『不逞者』、朴慶植
  • 信濃川支流中津川 --『朝鮮人強制連行の記録』
会社・現場
  • 大倉組--『不逞者』
  • 「日本土建」(「圧力隋道」「第二発電所水路」の工事) --佐藤論文
  • 信濃川支流中津川第二水カ発電所の通水隧道工事をやっていた大倉組 --『朝鮮人強制連行の記録』
工事現場
  • 信濃川発電所工事所(「北越の地獄谷」と呼ばれた)--『不逞者』
  • 新潟県信越電力工事場 --『もうひとつの現代史
  • 大倉組配下の監獄部屋 --『不逞者』
  • 大倉組のタコ部屋 --『朝鮮人強制連行の記録』
人数
  • 総勢 ?人、うち朝鮮人六百余人
犠牲者の人数
  • 数十人 --『不逞者』
  • 百余人 --『もうひとつの現代史』、『東亜日報』1922年8月1日?
被害
  • 低賃金 --『不逞者』
  • 酷使・虐待 --『不逞者』
  • 虐殺 --佐藤泰治
  • ピストルで銃殺 --『不逞者』、『東亜日報』1922年8月1日?
  • セメント漬けにして信濃川に投げ込み --『不逞者』


参考資料・URL[編集]

参考になりそうな資料、サイトがあればリストしてください。 116.64.98.8さんによる2008-04-15T21:18:47の版には詳しい参考文献説明が載っています。--miya 2008年4月24日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

  • 『亜細亜公論』1922年10月号
  • 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』、1965年、未来社 [2]
  • 佐藤泰治「新潟県における朝鮮人労働者ー中津川朝鮮人虐殺事件」(1980年『新潟県部落史研究』第3号所収)
  • 佐藤泰治「中津川朝鮮人虐殺事件」(『在日朝鮮人史研究』第15号 1985年所収)
  • 張明秀『新潟近代史研究』第三号1982年「中津川水力発電所における朝鮮人労働者虐待・虐殺事件、東亜日報掲載の資料紹介」。
  • 宮崎学『不逞者』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、ISBN 4-87728-734-5
  • 川瀬俊治『もうひとつの現代史 序説ー朝鮮人労働者と「大日本帝国」』(株)ブレーンセンター 1987年 0036-871015-7518
  • 季刊 新世紀 2002 秋季3号(PDF)(これは企画出版のようですが)に『東亜日報』1922年8月1日「日本での朝鮮人大虐殺/見よ! この残忍無道なる惨劇を/一日十七時間の苦役を強制/逃亡すれば銃殺して川に投げ捨てる/毒魔によって殺害された百余人」引用(現物未確認)
  • 大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編

逃亡労働者殺害事件?[編集]

このような名称で報道、記述された著書、資料は存在しない。 記載者の考えによって記述されているのではないか 信濃川朝鮮人虐殺事件 (在日朝鮮人 歴史と現在 著者水野直樹) と記載されるのが事件の真相に近い 表題を変更すべき Osamu angel会話2021年1月9日 (土) 01:47 (UTC)[返信]