ノート:同和鉱業花岡線

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釈迦内村[編集]

訂正と追記と追記ありがとうございます。

さて大館釈の所在地を迦内村とされていますが当方では見つけられません。例えばこの資料『いろは別鉄道駅名鑑. 大正3年12月10日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)では大館駅は大館町と記載されております釈迦内村とされる出典を提示していただけますか。--Tamrono157会話2013年5月1日 (水) 02:21 (UTC)[返信]

指摘を受けて、改めて調べてみました。私の加筆した根拠は、大館町釈迦内村に「大館駅は釈迦内村に所在した」とあったので、その記事の出典が角川地名辞典によるものですね。ただご指摘のあと、よく考えてみると地名辞典に鉄道駅まで掲載していることはなく、「鉄道駅」だけに関して言うなら厳密には「独自研究」にあたるものではなかろうか?と思いました。それと、私も以前大館市に在住しており確かに大館駅周辺は釈迦内だったと記憶していたので、疑いなく大館町・釈迦内村の記事に記載されているのを信じてしまっていました。
今回指摘されて、その思い込みが果たして正しかったのか、記述した本人ですが自信がありません。申し訳ありません。また資料も見つかりませんでしたので、大館町釈迦内村を立項された検見川町さんにお伺いしてみることにします。--フォット会話2013年5月2日 (木) 00:35 (UTC)[返信]
JRの大館駅の住所は大館市御成町(旧大館町)、敷地の大部分は大館市松木(旧釈迦内村)です。また、同和鉱業の大館駅の住所は御成町、敷地の大部分は大館市字清水堰添(旧大館町)です。よって、本記事においては大館町で良いと思います。--検見川町会話2013年5月5日 (日) 05:11 (UTC)[返信]
お調べいただきありがとうございます。ところで1934年時点で国鉄大館駅の所在地は大館町松木境となっていますが旧釈迦内村となると、釈迦内村が大館と合併したのが1951年と釈然としません。ご教授いただけないでしょうか。『 鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)--Tamrono157会話2013年5月5日 (日) 10:36 (UTC)[返信]
検見川町さんご対応ありがとうございました。とりあえず私が記述した関係部分を消去しておきました。 --フォット会話2013年5月6日 (月) 00:25 (UTC)[返信]