ノート:名鉄竹鼻線

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1935年から1943年までの路線名について[編集]

1935年から1936年までの新笠松 - 笠松間、1936年から1943年までの笠松 - 西笠松間の路線名は何だったのでしょうか。現状の記事を文字通りに読むのなら「名鉄笠松線」ということになりますが、公的資料で直接言及したものを見つけられませんでした。この期間に該当するものとして三河鉄道で参照した「貨物営業料程表ト小運送認可運賃料金表. 昭和16年3月現行」がありますが、名岐線新一宮以北や竹鼻鉄道を含めて記載がなく、旅客専業のようです。「名鉄笠松線」が当記事へのリダイレクトとなっている以上、本文中で言及する必要があるように思います。--210.48.133.123 2020年3月18日 (水) 01:23 (UTC)[返信]

社史の資料編に名岐・愛電合併直前時のそれぞれの路線一覧が載っており、そこで新笠松 - 笠松間を「笠松線」と定義しています(639頁)。さらに合併直後である1935年8月1日現在の路線データ(路線名、区間、鉄軌道別の単線・複線粁程。686頁)が掲載されており、そこでも笠松線とあります(ファイル:Nagoya Railroad Linemap 1935.svgの路線名は社史686頁準拠)。本文では竹鼻鉄道合併の項に載っている路線図(247頁)にも「笠松線」の記載があり、同社合併までこの区間が笠松線であったことが伺えます。「名古屋鉄道車両史 上巻」に転載された1943年4月1日調査の配線略図では西笠松のみを笠松線とし竹鼻線は別項となっていました(全区間竹鼻線となっていないのは合併前後の調査・作成で情報の錯綜があったのかもしれません。社史には笠松線がいつ竹鼻線に組み込まれたのか言及がありませんが、百年史には744頁に記載があります)。--ButuCC+Mtp 2020年3月18日 (水) 12:32 (UTC)[返信]

ありがとうございます。書き方が難しいですが、一応本文に社史に記載がある旨を記述しました。--210.48.133.123 2020年3月19日 (木) 01:22 (UTC)[返信]