ノート:国鉄201系電車

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編成番号で車両を特定できますか?[編集]

「202編成とかC14編成とかT101編成とか、いったい何のことですか?」と、誰も疑問を抱かないのだろうか?ウィキペディアを見に来るもの全員が、JRRのJR電車編成表を持ってると思っているのだろうか?

「総武緩行線の323編成の冷房装置は一部分散形だった」と書かれても、どれだけの人がパッと323編成に使われていた車両を思い出せるだろうか。というより編成替えが新製から廃車まで無い形式は数えるほどしか無い上、編成番号も変わっていないとなると、ごく少数にしかならないのだから、編成番号を使うというのは百科事典にはふさわしくないのでは無いだろうか。

百科事典(ウィキペディア)を引きながら、そこに書いてある内容(編成番号に相当する車両)を理解するために、他の書物なり資料を見なければいけないと言うのであれば、その記事は百科事典としてふさわしく無いと思うんだが・・・--永尾信幸 2007年4月4日 (水) 05:42 (UTC)[返信]

私も編成番号を用いた解説には疑問を感じています。おっしゃるように、編成番号で記したところでどの車両かを特定することはできず、また、編成番号は状況に応じて変更されるものであり絶対的なものではないからです。豊田電車区において最近201系の編成番号が変更されているのを見ていればなおさら明らかなことと思います。記事中にも編成番号変更の記録が事細かに並べられていますが、これは不要と考えています。少なくとも「201系」を解説するにあたってはあまりに瑣末なことと考えます。他にも編成番号による解説が何箇所かにありますが、これにも疑問を抱いています。--Alive 2007年4月5日 (木) 16:50 (UTC)[返信]

実際問題として、ウィキペディアで編成番号はおろか、車両番号すら明示する必要性があるのかとも思っています。
例えば特殊な改造をほどこした車両があったとして(仮にそれをサハ201-101番とします)も「●●という改造工事をサハ201-101に施した」ではなく「●●という改造工事を施した車両もある」で十分ではないかと思ったりする。
私もマニアの端くれなので、こと細かい小ネタを披露したい気持ちもわかるし、そういうこだわりはあるんだけど、それをやりたければ自分のサイト上でやれば良いと思う。
と、言っても、そういうルールができない限りは、こと細かく書く人は書いていくので、結局本文も肥大化してしまうだけなんだけど、これは根本からシステムを変えないと(ルールを作らないと)仕方ないことだとも思いますし難しいですね。--永尾信幸 2007年4月6日 (金) 06:45 (UTC)[返信]
私は必ずしも編成番号を示すことに否定的ではありません。しかしながら、芳しくないと思うのは、編成番号についてまったく解説のない状態で、突如として編成名が現れることです。たとえば、本稿を見ますと、概要の次の節に沿革がありますが、編成名についてまったく説明のないまま、「トタ71編成」「トタT6編成」などが現れます。これでは読者は混乱するばかりでしょう。
また、あまりに瑣末な情報は避けるべきではないかとのご意見もありますが、共同加筆である以上、ある程度のことは避けられないと思います。しかし、どこの節に書くべきか、流れるように読むことができるか、これがもっとも重要ではないでしょうか。
記事の構成を考えた場合、概要や大まかな特徴に始まり、徐々に詳細な内容に進んでいくのが読みやすい形と考えます。概要の節に解説もなく専門用語が並んでいたり、細かな機器の違いなどを並べたりするのは論外でしょう。編成名に関する記述も同様で、編成に関する概説を先に加えた上で、瑣末な記述はなるべく後半に書くことが重要と考えます--ikaxer 2007年4月6日 (金) 08:49 (UTC)[返信]
とは言うものの、やはりマニアと呼ばれる方が多いようなテーマは、どうしても深く深く記述が進んでいきます。
流れるように小説のように読めれば良いのでしょうが、例えば全く見ず知らずのものが複数で1つの小説を作り上げようとしたときに、はたしてうまく行くでしょうか。
Aさんは登場人物(甲)を出すには、まずこの時代背景を説明してからでないとと思い、Bさんは登場人物(甲)は登場人物(乙)のこのエピソードを説明してから出した方が効果的と考える・・・・
つまりは、流れというのは個人個人に存在しているものであって、たとえ自分が流れに沿って組み立てようとしても、他の方が他の方の流れに沿って改変してしまうと、どっちつかずの文章になってしまいます。
共同執筆で難しいと思うのはそういった点ですね。
これが、プロジェクトチームとしての共同執筆であれば、お互いが良く調整しあいますから、ここまでいびつにはならないのですが、ウィキペディアの場合は、共同執筆ではなく敵対執筆になるケースが多く見られます。
このあたりが難しいところかなと思います。
顛末なことなのですが、他の説明の伏線になってるのであれば書いても良いでしょうし、そのあたりもきっちりと精査しながら1つ1つをじっくりと進めるということが大事ですし、調整しあうチームワークも必要です。
が、今のウィキペディアには、その双方ともに欠けていると思います。
編成番号や車両番号の変遷については、ページ分割で他のページで存分にやってもおもしろいのかなとかは思っていますが、例えばどこかの高架橋の説明で「第132橋脚の直径は他の橋脚に比べて100ミリ小さくなっている」と書かれても第132橋脚がどこにあるのかわからないし、ましてや「第132橋脚(←第142橋脚から改番)」と書かれていても「だから、何!」と言いたくなるだけですので、このような記述自体は「説明として不十分」じゃないかとは思ってます。
細かい部分については、外に放り出すってのも、文章を簡潔にする1つの方法かもしれませんが、放り出された部分もちゃんと文章ができあがっている必要があるかなと思います。後は、マジで編成表を書き入れるかですね。そうなると、ウィキペディアは鉄道趣味誌?と思ってしまいますが・・・--永尾信幸 2007年4月6日 (金) 13:52 (UTC)[返信]
お世話になります。たしかにストーリー展開は人により様々であるとは思います。しかし、大事なことは、初出の単語・キーワードには説明が必要という原則ではないでしょうか。これはストーリーがどうあれ、知らない人に説明をするときに守られるべき記述の方法です。
JR東海313系電車#3000番台では、一部の編成を取り出してキャパシタ搭載車の記述があります。ただし、その節の冒頭には、編成名について簡単な記述を設けています。このような形であれば、何ら問題は発生しないと思いますが、いかがでしょうか。
また、チームワークですが、ノートページを積極的に活用することでいかがでしょうか。うまく機能していない部分もまま見受けられますが、まったく体制が整っていないわけでもありません。せっかく永尾さんクラスの方がいらっしゃるのですから、批判だけでなく、どのように記述していくべきか、音頭を取っていただけると助かります。
もっとも、私も突拍子もなく編成番号が出てきて、編成番号が重要でないと判断されれば、「一部の編成」と書き換えることにはやぶさかではありません。--ikaxer 2007年4月7日 (土) 00:21 (UTC)[返信]

201系はあまり詳しくありませんし、自分の中で優先順位の低い項目でしたから放っていましたが、確かにひどい事になっていますね。特に、「置き換え」や「森ノ宮電車区」の部分なんかは専門用語が普通に出るわ、能動態と受動態はごっちゃになるわ、箇条書きで「一つの段落内に収まるんじゃないか?」と思えるような内容が別段落になっているわで、読む気がしません。201系を全く知らない人はもっと感じるでしょう。

かといって「軽装車」の内容が分散していて「何が『軽装』なのか」が非常に分かりにくかったり(鉄道ファンの特集を見た限り、地味にかなりの変更があったと思うので、1項目設けても十分記事が書けるかと思います)で、正直「評価」から下を全部整理するぐらいの意気込みでいかないとダメなのかもしれません。山本輝雄 2007年4月7日 (土) 14:29 (UTC)[返信]

上では編成番号を否定する意見を述べましたが、車両番号を特定できる場合やJR北海道721系のように車両番号と編成番号がリンクしている場合ならあえて否定しようとは思いません。しかし、201系の場合は編成番号を主体として記述することには反対です。 山本輝雄さんがおっしゃる「整理」について、私も以前からその必要性を感じていました。JR西日本の項目に関してはとりあえず「車両の改造」と「配置区所別の動向」に分けた方がよいのではないかと考えています。また、置き換えの項目に書かれている編成番号変更の記録は不要と考えています。--Alive 2007年4月11日 (水) 13:59 (UTC)[返信]

話が少し逸れますが、新たな項目を起こすほどでもなく、また編成番号関連ということで、こちらに書かせていただきます。豊田区から京葉区に転属となった2本目(74編成)について、京葉22編成の転属のためとなっていますが、実際に運用を離脱し、モハ2両が川越区に、残る8両が東大宮に移動したのは京葉21編成です。京葉22編成が再転属するという確かな情報があるのでしょうか。もし未確定なら、編成番号に関わる部分は削除し、内容を修正すべきだと思いますが、いかがでしょうか。L25.203.l03.26 2007年4月21日 (土) 12:53 (UTC)[返信]

上記の転属については、その情報を得ていたのですが、事実関係の確認が取れるまで加筆を差し控えていました。しかし、5月8日に加筆された方が「ケヨ21編成が川越車両センターに転属した」とケヨ21編成全車両が転属したような記述でありましたので、これは事実と違うので5月9日に修正しましたが、記述した後201系の項目に205系の編成番号まで記述する必要はないと思い、その部分は削除しました。因みに、上記の件は事実であります。また、ケヨ22編成の再転属の情報はありませんでした(これは恐らく誤報かと思われます)。--鉄道マニアック野郎 2007年5月9日 (水) 11:17 (UTC)[返信]
積極的な加筆等ご苦労様です。さて、少し気なった点があります。「事実関係の確認」とありますが、それは何らかの書籍等に発表されたという事でしょうか?検証可能性によると、目視等で事実が確認できるだけではウィキペディアに加筆する事ができません。その事実を他の誰もが検証できる状態(雑誌等に掲載される事が求められているようです)が必要になります。ただ201系の廃車回送などニュース速報的に加筆されていますので、この部分が少し忘れ去られてしまっているようです。--永尾信幸 2007年5月9日 (水) 13:12 (UTC)[返信]

今更ですが、編成番号のみの表示のものについては、奇数方先頭車の番号を加えてみました。。--twingle600

置き換えについて[編集]

少し疑問ですが、中央線快速のおそらく国鉄101系電車との入れ換えを以て生産打ち切りとなると、中央・総武線各駅停車や関西の東海道・山陽線各駅停車の分はどう処理しますか?Sat.K 14:31 2004年3月22日 (UTC)

↑ 確かに疑問といわれれば、納得できなくもないですが、中央・総武各駅停車も101系の置き換えであり、関西地区への投入は関西本線などに残る101系を置き換えるための103系を捻出するために東海道・山陽線各駅停車に201系を導入しました。

もう1つは足の遅い103系では東海道/山陽本線のダイヤに支障が出ると言う事も置き換え理由となりました。219.164.83.227 2006年2月22日 (水) 22:35 (UTC)[返信]

改めまして、201系そのものの置き換えについてですが、廃車回送が行われる度に「何番編成が廃車回送された」と書いていてはキリが無いように思います。12月までの4本に留め、07年1月からは、週1編成程度のペースとするのは如何でしょうか。(1月分の廃車回送が、ある程度実行されてからの改変を前提とした話です。)また、1月6日0:34の改変ですが、T18については、1月の廃車回送ですから、「同月までに」(12月までの意味)という内容と矛盾します。この点も修正の必要があります。(他の御意見の方もあると思うので、修正は保留しています。)御意見がある方は、ここに書き込んで下さい。125.203.103.26 2007年1月6日 (土) 09:14 (UTC)[返信]

個人的には、廃車のたびに修正するのは不要と考えています。そういったことは個人のHPやブログでやっていただくことにして、ここでは本格廃車が始まった時期とJR東から消滅した時期をT編成、H編成、青編成、ケヨ編成等に分けて記述すればいいのではないでしょうか。FB 2007年1月6日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

四半期ごとの廃車統括表みたいなのを用意しておき、2006年3Q T編成○本・H編成○本・計○本 2006年4Q T編成○本・H編成○本・計○本というのを並べていけばどうでしょう。現在進行中の四半期については、廃車が発生するたびにその表中の数値を改変すれば良いわけで、いちいち○編成とか書くから長々となると思う。だって一般の人がT4編成とか言われてもわかりませんもの。ウィキペディアの201系のページに編成番号対照表があるわけでもないし。

最近は「沿革」の項目にまで細かい廃車回送が書き込まれますね。1本目はともかくとして、少し書き過ぎのように思います。編集合戦をするのが目的ではないので、とりあえず静観しますが、機をみて、内容を整理する必要があると思います。(編番変更等を含む)L25.203.l03.26 2007年3月19日 (月) 11:38 (UTC)[返信]

古い書き込みに対してのレスですが、東海道/山陽本線のダイヤに支障が出たのは103系の足が遅いからではなく、過度にスピードの速い列車と共存する必要が生じたからです。なお、仮に今の新快速を内側線で走らせた場合、207系ですら新快速から待避駅まで逃げ切れません。その場合207系の事を「足の遅い」という表現を使うかどうかです。その点を誤解されてる方が非常に多いのは残念です。--永尾信幸 2007年1月8日 (月) 12:55 (UTC)[返信]

2005年の中間車の前サボ撤去の後に、3月の改正でH運用が云々とあったところ、2007年3月の改正の話を書いたのですが、これはもしかしたら、2006年3月など、他の年の改正の話かも知れませんね(書いてから気がつきました)。サボ撤去とH運用の減少は関係無いので、全体として書き直すよう、改めて考えてみます。L25.203.l03.26 2007年4月29日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

車体色について[編集]

中央快速線のものは、人参と同じ色である。」という文章ですが、果たして概要の節で必要でしょうか?こういう言い方は、分からなくはないですが、もう少し検討すべき余地があるのではないかというのと、果たして車両の項目でいるのかという点で如何なものでしょうか。この調子でかくと、例えば「京阪神緩行線の塗色は空と同じ色」など訳の分からない塗色の説明が付加されるおそれもありますし、説明としても不可解な説明がこびりつく感じになるのですが。Sat.K 2006年3月10日 (金) 04:04 (UTC)[返信]

一部画像掲示板にて大ナラ所属と思われるうぐいす色201系更新車の画像が公開されております。白帯の有無についてはまだ明確なソースがみられないためコメントアウトしておきました。--156.156.156.156 2006年12月3日 (日) 04:56 (UTC)[返信]

疑問点[編集]

よく西日本譲渡の噂がありますが、本当なのでしょうか?発祥は2chあたりの掲示板なのでしょうが、そこでも現在は否定的な意見が大勢を占めるようになっており、信憑性は低いと思うのですが。また、「部品の確保が難しくなってきている」「中央線車両は車体疲労が激しい」という話もあるのですが、これらも嘘なのでしょうか?201系に詳しい方、回答お願いします。

あと、「参考文献」の欄、必要でしょうか?とりあえず加筆はしましたが・・・山本輝雄 2006年3月11日 (土) 12:42 (UTC)[返信]

加筆ありがとうございました。山本輝雄 2006年3月12日 (日) 16:02 (UTC)[返信]

車両に関する批評について[編集]

ここの所、この車両に関する批評が書かれていますが、果たして百科事典に必要なものでしょうか?百科事典に批評なんかいかなる理由であれ要らないとは思いますが…。

ある程度評価が固まっているならあってもいいのではないでしょうか。例えば流線型の蒸気機関車なんかは「整備性が悪いと現場の評判は良くなかった」という記述は必要ですよね。ただ個人的な批評は必要ないと思います。--ignis* 2006年3月26日 (日) 23:47 (UTC)[返信]
と言うことは、西日本譲渡云々の記事は東日本の201系が実際に廃車解体されてからの掲載になるのでしょうか?この話が飛び交う今だからこそ掲載する必要があると思うのですが・・・山本輝雄 2006年3月27日 (月) 13:55 (UTC)[返信]
実車で確認してからで十分です。そもそも「除籍」や「廃車」は書類上の手続きですから、事業者が自ら公表しない限り外部の者が公式に知る手段はありません。では何故噂になっているか、まあちょっと考えれば分かるでしょうし、それが正当なものなのかどうかも理解できるでしょう。繰り返しますが、趣味の世界で想像や予想、妄想の類を語ることは一向に構いませんが、事実を記述する媒体である百科事典ではそういうのは不要です。噂話は掲示板か何かで思う存分楽しんでくださるようお願いします。sphl 2006年3月27日 (月) 15:39 (UTC)[返信]

国鉄205系電車のノートにも書きましたが、百科事典である以上記述は多面的な視野に基づいて構成される必要があると思いますので、評価という記事そのものは必要ないと思います。 また記述する必要があるのなら、「誰が」「どのような視点で」という部分を明確にして記述する必要があると思います。--Tokacyan 2006年5月2日 (火) 06:38 (UTC)[返信]

確かに一理ありますが、デザイン面・機械面ともに記載されていますし、特に主観が入り込んでいるとも思えませんので、不要ではないと考えます。あえて言うならば、「この車両にはこういう長所があったが、こういう短所もあった。そしてそれは次世代の車両において、このように改善されていった」と書き、記事名そのものも『ハード面とその評価』ではなく、『概要』の中に組み込めばよろしいかと。
「誰が」「どのような視点で」とおっしゃいますが、「誰が」と名前を出すということは、当然専門家や有識者の名前が記載されることになりますよね? むしろそのような記述があると、かえって偏った記事にある恐れがあります(201系を全く知らない人の考えにバイアスをかけてしまうことになるのではないでしょうか。特に、記述された評価が専門家や有識者の場合、それが例え荒唐無稽なものであっても騙されやすくなります。人間は特に、自分の全く知らない事柄に関して、『専門家』と名のつく人間の発言や見解を鵜呑みにしてしまいがちですから)。
新製されてから間もない車両なら話は別ですが、201系は新製されてから25年も経ちますので、一般的な評価もおおよそ固まっています。そうして形成されてきた評価を「一般的な評価」として、あくまで事実だけを中立的に書く分には問題ないでしょう。--東トウ 2006年5月3日 (水) 14:34 (UTC)[返信]

整理ありがとうございました。ただ、事→こと、無い→ないという書き換えはかえって読み難くなったように思います。山本輝雄 2006年5月12日 (金) 10:00 (UTC)[返信]

はじめまして,稲岡誠二と申します.現在の版の「問題点」という項目の存在,そしてその内容について,多くの疑問を持っております.以前存在した「評価」というものから見たら大きく改善されたと思いますが,今もなお,客観的事実に基づかない主観的コメントが散見されます. 以下当方のホームページ(http://www.geocities.jp/sinaoka2000/wiki201.htm)に,現在の版に対するコメントを列挙しております.ご興味ある向きには,ぜひご参照ください. なお,ここにも当方が存じ上げる方がいらっしゃることと思います.今回の当方のコメントは現在の版に書かれた「内容だけ」に向けられたものであり,過去の執筆者のどなたに対しても個人攻撃する意図は決してないということを,ここで強調させていただきます.当方はウィキペディアの意思決定に何の力も持っていない一マニアに過ぎませんので,これらのコメントを無視していただくのはご自由ですが,この「201系電車」の項目自体の信憑性にかかわることですので,前向きにご検討されますよう,お願いいたします.

稲岡様のサイトを拝見いたしました。相当お詳しいとお見受けいたします。また、裏付けとなる資料もお持ちです。ウィキペディアは「誰でも編集できる」ということが前提でありますので、裏付けがある以上、ぜひ編集にご参加いただけないかと思います。
また、恐縮ですが、ノートでの議論では必ず署名を行うこととなっています。発言者と時刻を明確にするためです。編集履歴からも判明はするのですが、ルールとなっておりますのでご理解をお願いいたします。署名は、半角で--~~~~と入力するか、編集画面左上のアイコンの右から二番目のボタンで行うことができます。このとき、アカウントを取得されていないと、IPがそのまま表示されますので、アカウントの取得も同時にお薦めいたします。--Diagraph01 2006年5月30日 (火) 16:21 (UTC)[返信]

Diagraph01さま,有り難うございます.あと,署名の方法を存じませんですみませんでした.早速アカウントを作成いたしました. 今日のところは目立つところのみちょっとだけ直させていただきました.これから,少しづつ,ゆっくりと,参加させていただこうと思います(数ヶ月前1回だけ編集させていただきましたが・・・IPでバレバレ).よろしくお願いいたします.当方のコメントに対する皆さまからのご意見も,お待ちしております.--Sinaoka 2006年5月31日 (水) 02:36 (UTC)[返信]

東トウさま,編集結果拝見させていただいております.

ただ,当方もTokacyanさまの2006年5月2日付けのご意見に全面的に賛成です. 先日の当方のコメントには裏が取れる事象しか記しておらず(その出所を全ては示していませんが,必要に応じて参考文献リストくらい用意します),そのコメントで示した,「出所のハッキリしない裏づけのない中傷」をそのまま存置するのはいかがなものかと思います.今「201系の光と影」となっている項目はその内容を根本的に改変するべきであると強く思います.そのうち自分でそのご提案をするかもしれませんが,今のところは皆さまのご意見も伺いたく,静かに見守らせていただきます.--Sinaoka 2006年6月3日 (土) 00:46 (UTC)[返信]

御覧頂きまして、また貴重なアドバイスをありがとうございました。くどすぎましたか…。但し、私はTokacyan様の意見には、まるでダメとは申しませんが、上に書いた理由から全面的な肯定は致しかねます。あの編集は鉄道ファンの2005年2月号などを参考に執筆したものです。上に書いた意見に対しても、ご指摘があれば是非伺いたいと思いますので、遠慮なくおっしゃって頂ければと思います。東トウ 2006年6月3日 (土) 12:27 (UTC)[返信]

手許に鉄道ファン201系特集があります.19ページに「受難の時代」という項目があるものの,その中でさえ内容は実際に起こった事象のみを扱っています.「201系の光と影」に残っているような裏づけのない批判はどこにも見当たりません.マニア向け掲示板に相応しいレベルと申しましょう. フェアなやり方とは思いませんが,設計時には存在しなかった新系列と比較して201系を論じるのは可能でしょう.しかしその場合も,今なお残っている「裏づけのない批判」は除去するのが大前提です. たとえ大多数のファンが声高に叫ぼうとも,裏づけのないものは百科事典の場には相応しくないかと思いますが,皆さま如何思われますか.--Sinaoka 2006年6月3日 (土) 13:51 (UTC)[返信]

失礼ながら申し上げますが、「201系の光と影」をよくお読みになっていただければ、「裏づけのない批判」を肯定しているのではなく、否定しているのがご理解いただけるかと存じます。それに、裏づけと申しますが、裏づけは必ずしも明文化されたものとは限りません。
なるほど、出典の明記できる資料には信憑性があるように見えます。しかし、出典が明記された資料というのも、所詮はその出典を執筆した個人(団体)の考察、もっと言えば主観に過ぎません。一見客観的なデータや統計にせよ、実験状況などの条件を変えればいかようにも操作できるものです。逆説的ですがそういう面では、ある特定の個人や団体が執筆した論文より、不特定多数の明文化されていない意見のほうに信憑性があると言えます。言い換えれば、「根拠や裏づけがいくら存在しても、必ずそれが正しいとは限らない」「根拠や裏づけがないからと言って、その情報が信用できないとは言い切れない」ということです。例を挙げれば、裁判でしばしば証拠とされる「証言」だって、100%正しいとは言い切れません。いくらでも嘘はつけるからです。従って、証拠資料の不在だけではその情報が誤っている根拠にはなりません。
また、『フェアなやり方とは思いませんが~』とおっしゃいますが、それは短所のみをあげつらっている場合にのみ言えることであって、「201系の光と影」のように長所も書いている場合にはあてはまりません。
加えて、ファンの全てが、主観や好みや噂でその系列を評価しているわけではありません。ある程度の知識を持ったファンは、それを基にして客観的に評価や批判を加えるものです。東トウ 2006年6月3日 (土) 16:02 (UTC)[返信]

未だに当方の意見を全くご理解いただけないようです.こちらはそれなりに資料やらデータをお持ちしているのですが,資料やらデータの価値をここまで否定されると,議論が進みませんね.これからも自サイトで当方の意見は発信させていただきますが,ウィキ中の他の鉄道系列のページをご一読される事をおすすめします.他の系列の項目では,皆さま冷静に事実だけを執筆しようとされているのに対し,今のこの201系のページは異様です.お知らせいただければ,その根拠となるページをご紹介します. --Sinaoka 2006年6月4日 (日) 03:38 (UTC)[返信]

敢えてきつい言い方をしますが、随分と被害者意識をお持ちのようですね。本当に貴方の意見が全く理解されていないのなら、あのように書き換えが行われるものでしょうか。確かに以前の「問題点」の記述に関しては、両論併記がされていなかったなどの点で問題があったことは事実です。しかし、私はこれ以上の改変は不要だと考えます。また、この201系のページでここまでお怒りになるのでしたら、ウィキの117系のページに文句をつけないのは(「評価」という項目があります)、どうしてでしょうか。その理由を伺いたいと思います。また、『資料やらデータの価値をここまで否定されると』とありますが、全否定をした覚えはありません。「明文化されているものがあるからと言って、それだけでは必ずしも信用できる情報とは言えない」と書いたまでです。
それに『他の系列の項目では,皆さま冷静に事実だけを執筆しようとされているのに対し,今のこの201系のページは異様です』とありますが、かつてこの201系のページには、実現するかどうかさえ分からない関西譲渡の話が書いてありましたけれども、実車で確認してからで十分とのことで削除されています。そしてその後も無理に書こうとなさった方はいらっしゃいません。自分の意見が通らないからと言って、異様と決めつけるのは如何なものかと。201系のページの執筆に協力してくださっている他の大勢の方に対して失礼です。東トウ 2006年6月4日 (日) 06:36 (UTC)[返信]

この件に付いては、201系に限った事ではないので、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両#「車両の批評は必要なのか?」についてに書き込んだ方が良いのかも知れませんね。--目蒲東急之介 2006年6月4日 (日) 06:41 (UTC)[返信]

目蒲東急之介さま,早速そうさせていただきました.ここ201系の項での上記の件については,より権限の高い管理者さまのご判断を仰ぎたく思います.それまでは当方から本文編集は行わない事にいたします.--Sinaoka 2006年6月4日 (日) 13:20 (UTC)[返信]

その方法も一つの案ですね。因みにWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他#「活躍」という表現でも似た様な議論が出ています。--目蒲東急之介 2006年6月6日 (火) 02:44 (UTC)[返信]

関連サイト拝読しました.ところでWikipedia:ウィキペディアは何でないかという,明確に定義された公式方針がありました.それと,Wikipedia:多重アカウントについて,必要なログを保存いたしました.ご参考までにご紹介します.--Sinaoka 2006年6月6日 (火) 03:14 (UTC)[返信]


Diagraph01さまがWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両にご判断を示してくださいました. そのご提案に沿った形で,といいますか,自分の2006年6月3日 (土) 13:51 のノートに『フェアなやり方とは思いませんが,設計時には存在しなかった新系列と比較して201系を論じるのは可能でしょう』と書きました.201系設計当時存在しなかった技術,あるいは使えなかった技術と単純比較するのは『アンフェア』という意味で使ったのですが,それを『あくまでも事実を基にして』書くことは可能だと思うのです.その事実とは,Diagraph01さまが Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両で例を上げてくださったような資料(査読制度のある定期刊行物,テレビ番組,など)で検証可能な物に限られるのは,Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを読めば明白でしょう. たとえば・・・タイトルを「201系で実現したこと・201系で実現できなかったこと」みたいにして,今の「201系の光と影」に代わるセクションとして,「暖色系インテリア」「ステンレス車体」「添加励磁制御」「ボルスタレス台車」「電気指令式ブレーキ」などの技術要素につき,なかった技術,特許がらみで使えなかった技術のように記述していくのはどうでしょう. ただし,コレは自分も含めてですが,こういう内容を書くためには生半可な知識では足りません.必要な資料を集める時間もかかります.執筆される方には,それなりのご覚悟をお持ちいただかなくてはなりませんが,これもウィキの精神を鑑みれば当たり前の事なのかもしれません. このような方向性に付き,皆さまとの合意が得られるのであれば,当方としても執筆者の一人としてお手伝いさせていただければと思いますが,皆さまのお考えをお聞きできればと思います. 繰り返しますが,Diagraph01さまがお示しくださったガイドラインに明確に従うのが,当方のご提案の大前提です. --Sinaoka 2006年6月7日 (水) 03:20 (UTC)[返信]


評価のところで「103系では定時運行が困難なほどの高速運転を実施し、これが原因で故障が多発していた京阪神緩行線という」という記述がありますが、高速運転とはどの程度の速度を指していたのでしょうか?少し事実誤認のところがあるように思われます。1980年~1990年まで立花-大阪間に乗っていましたが100キロなんて速度を出す場所は無く、JR後常磐快速線にて100キロ近いスピードで走るような、そういう高速運転というのは上記の区間ではおこなわれておりませんでした。国鉄時代はだいたい70~80キロ程度でノッチオフしていたかと思いますが、京浜東北線や山手線でも70キロ程度でノッチオフする区間があったと思いますので、駅間距離を考えると無茶苦茶ムリをして走っていたというわけではなさそうです。そのあたりの比較データなどを持ち合わせておりませんので記憶に頼る部分ですが、故障多発という点でも故障がもとで運休が発生したというのも一度たりとも聞いた事がありません。平均的な故障率に対してどの程度多かったのでしょうか?どうも思いこみか、何人かの運転士の主観だけで物事を判断しているように思えますが、その点はわたしも勉強不足な点がありますので、根拠や平常時との比較等をご教示頂ければありがたいです。--永尾信幸 2006年9月26日 (火) 11:37 (UTC)[返信]

103系の高速運転については、まだ72系が残っていた1970年代初頭から、大阪-京都間が42.8kmを所要45分で表定速度約58km/h(平行する阪急京都線の今の特急が梅田から河原町まで47km強を42分で走っている、と言えばどの程度の速度かおわかりいただけようかと思います)、高槻前後の駅間距離の長い区間を怖いくらいのモーター音を立てて走行していたのをよく覚えています。特に、ガラガラの時の揺れの大きさが、何というか洒落にならないレベルであったことが記憶に強烈に残っています。実際、201系が投入されて嘘のように揺れが無くなり、静かになったことにはひどく感激した覚えがあります。基本的に、京阪神緩行線は1970年代からダイヤ、特に主要駅間の到達時分がほとんど変わっておらず(無論、今に至るまでの間に甲南山手の新設や東西線開業に伴う再編があったわけですから、細部はかなり変わっています)、京都から西明石までの約100kmを2時間弱で走る体制が維持されています(むしろ。先年の大事故の影響もあり、昔に回帰しているようにも見えます)ので、現状の運行体制から当時のおおよその状況を類推することは可能かと思います。少なくとも、私が乗車した当時の感想として、あれが103系に好適な運用状況ではなかったことだけは確かです。後、故障の件ですが、207系就役開始後の岡山への103系転用時に聞いた話では、これらは各部の状態が非常に悪化していた由で、実際前担当各工場は必死で修理して定時運行を維持していたとのことでした。当時の記憶に頼り、具体的な文献資料に欠けるのが申し訳ないのですが、一応ご参考まで。HATARA KEI 2006年9月26日 (火) 13:57 (UTC)[返信]


早速のお返事ありがとうございました。返答をいただいた内容から高速運転に関しては「私が乗車した当時の感想として」という言い回しからしても「私見」であるという事でよろしいでしょうか?基本的にウィキペディアの編集は検証可能なもの、つまり根拠のあるものとされ、自己の研究発表や見聞など、周りは知らないが自分だけは知ってるという内容をもとに編集してはいけません。(この件に関してはWikipedia:検証可能性をご覧下さい)「怖いくらいのモーター音を立て、ゆれが激しい」という事象については個人の体感差があるばかりか、その事象と、書こうとしている内容との因果関係についてきちんと証明できるのかが問われるとも言えます。 ちなみに例に挙げられた京都-大阪間の所要時間ですが、鉄道ファン70年11月号(通算114号)の9ページに昭和45年10月頃の東海道山陽緩行線の緩行電車の所要時間が記載されています。引用しますと京都-大阪は55分、大阪-神戸は44分、神戸-明石は34分とのことです。103系が高速運転を余儀なくされたのは昭和47年3月15日改正による新快速の15分間隔化からではないかと思われます。大鉄局電車課による「関西国電略年誌」の117ページによると、この改正で京都-神戸間の緩行103系の最高速度が改正前の95キロから100キロに引き上げられたとあります(神戸以西は95キロのまま、ちなみに旧形は京都-神戸間90→95キロ、神戸以西は90キロ)のでもう少し短縮されているとは思いますが、書かれた45分とはかなり違いがありそうです。 なお、鉄道ピクトリアル1998年12月号(通算662号)の55ページには昭和50年3月10日改正時の東海道山陽線のダイヤが掲載されています。11:02に京都を出発した下り緩行電車は大阪駅に11:53に着いています。ただし高槻駅で8分の待避待ちをおこなっていますので「表定速度」ではなく「平均速度」では書かれたように60キロ程度だったと言えましょう。

故障の件については、わたしも何度か明石区にはおじゃまさせて頂いた事がありますが、書かれてるような「とっても大変な事」であれば皆さん口を揃えて「故障が多い」と言われたと思うのですが、わたしの記憶には全く残っていません。当時の明石区は通勤電車、しかも103系しか配置が無い事からマニアがやってくるなどとても珍しかったのか、イロイロと皆さん優しく対処して頂きましたので、仮に「故障が多くて大変だ」というような事が大きく職場内で取り上げられていたならば、当然その時に話として聞かせて貰えていたのでは?と思ってます。これは単なる私の体験談に過ぎませんが、そのような面も見ているだけに余計に故障の多さという点が、どの程度「公平な観点で記載されたのか」を問いたいと思います。平均故障率などメンテをする部署では必ず持ってるであろうデータなどのによる比較がどこかで発表されているならば信憑性も高まると思いますが、人聞きの怖いところは、例えば年間3件の故障を対応して、その全てが同じ形式の同じ箇所なら、たまたま連続しただけであっても人間の心理としては「その形式のその箇所は故障が多い」と判断してしまいます。それは自分の経験から導き出したものですが、それが全体的なものと一致するかどうかはまた別問題です。ましてや今回の故障に関しては高速運転が原因での故障なのかどうかも明らかにせねば文としてつながりません。 更に岡山区へ東海道山陽線から103系が転出したのは1994年頃ですが、交友社刊「電車」誌の1990年6月号12ページには、宮原電車区の車両技術係の方々による「103系電車の力行性能改善」という記事が掲載されていて103系のノートにも記しましたが、設計通り35%弱め界磁性能を発揮しているかどうかに着目し、従来40%程度だったものを設計通りの性能を出せるように改善し90キロまでの到達時分を平均15秒短縮する成果をあげています。岡山転属時の話を当てはめてみると、高速対応の103系に変わっていながら故障が多発していたのであれば、故障の主たる原因は低速運転しかできない103系を高速運転させたためとは言い切れなくなります。 長々書きましたが、ウィキペディアは誰でも簡単に編集ができるので、勢いいろんな所を編集したくなりますが、1つ1つの編集という作業には先の「検証可能性」にもありますとおり、裏をとって他人から説明を問われた時にもスムーズに資料を出せるようにしなければなりません。そうでなければ、単なる私見という事で削除されても文句は言えなくなります。これらの点については具体的に検証できる資料類が出ない限りは該当する本文を削除せざるを得ないと思われます。--永尾信幸 2006年9月26日 (火) 17:19 (UTC)[返信]

103系を引き合いに出されている場面が多く見受けられますが、内容を見てみますと根拠に乏しいものが多く感じます。これは103系のページにも言える事ですが、単に加筆者の思いこみ(103系が嫌いなのか?)からそうさせているようです。例えば201系のページ中「103系がその車内接客設備の貧弱さで批判を浴びた」という表現がありますが、201系が落成した頃の記事を見ますと批判を浴びたというような表現は特に見あたりません。さらに103系に限定してというのはありえないと考えられます。むしろ引き合いに出すのであれば201系によって置き換えられた101系が妥当ではないかと思われますが、そもそも国鉄の車内接客設備はどの形式であってもさほど変わりばえしたわけでもないので、形式を特定する必要性を感じられません。鉄道ファン1979年4月号(通算216号)55ページから61ページまで国鉄車両設計事務所電気車の松田清宏氏が201系の解説をしていますが、記事中に「101系電車は~接客設備面からも103系の最近のグループや一部私鉄電車に比べ見劣りするようになってきた」とも記載されており、接客設備面では当時103系(の後期形?)は容認できるレベルにあった事を裏付けています。少なくともこれらを見ますと、加筆された方の調査不足が明らかではないかと思われます。たぶん、これはウィキペディアの加筆者にありがちな傾向ですが「○○だから××なはずだ」「○○は(たぶん)××だろう」と勝手に自分の頭の中で決めつけてしまい、それを記事にしてしまう結果、このような検証すればボロがでる書き込みが増えてしまうのでしょう。 この件は、このスレッドの上の方で議論されていた件にも関連しますが、数人がうわさ話を流せば事実誤認の項目をあたかも真実かのごとく広める事ができる悪い例と言えるのではないかと思われます。つまり悪意を持った複数人がたくさんの箇所である形式のある箇所の悪口(長所でも可)を流せば、知らずにそれを鵜呑みにする人たちによって単なる作り話であっても「多数の人が噂している」から「信憑性がある」と思わせる事が可能になってきます。ウィキペディアは度々出てきますがWikipedia:検証可能性が非常に大事になりますので、人が知らないけど自分は知ってるんだよというような「裏話」ですら書いてはいけません。そう考えると加筆者は書き込む前に自分が書く内容について入念な下調べ(自分が書こうとしている内容が過去に発表されてるかどうかの確認)をする必要があるかと思われます。今回の件は比較的検証が簡単な大手趣味誌にも掲載されたにも関わらず、その内容と異なる事実を記載されており、どの程度書き込む前に検証されたのかが疑問が残ります。ウィキペディアの編集は誰もが参加できるとはいえ、今回のように本文に掲載された場合、それが「過去に公開されていないのでは?」と読者が感じたとしても、それを削除するには非常な労力がかかります。本来出典を出すのは記事を掲載する側なのに、一度記事が書かれてしまうと、それを除去するには除去する側がある程度の根拠を示さなければならないように感じます。もちろん記事をスパッと削除して「元に戻したければ出典を示せ」とガイドライン通りの方法をとっても良いのでしょうが、やはり人の記事に難癖つける以上は、こちらも何か調べないとと遠慮してしまいます。103系のページでも感じましたが、思いこみで書き込む前に、まず他人が検証可能な裏付けを取って頂きたいなと思います。--永尾信幸 2006年9月28日 (木) 16:23 (UTC)--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 01:11 (UTC)[返信]

JR西日本 スカートについて[編集]

本文に強化型のスカートに「2005年春までに全車の改良を完了した」とありますが、2006年1月に撮影したクハ200-61は高さの低い旧タイプでした。 専門に当形式を見ているわけではないのですが気になりましたので書いてみました。

それと、今年に入ってからスカートの一部に切り目をつけてジャンパケーブルが干渉するのを緩和させるような改造をしているようです。 これも詳細はわかりませんので、どなたかご存じの方がおられましたら、このあたり加筆していただけると嬉しいです。--永尾信幸 2006年6月4日 (日) 04:53 (UTC)[返信]

画像について[編集]

201系のデビュー当時の「省エネ電車」のHMがついた写真があったらいいと思うのですが…どなたかお持ちではありませんか?--ignis 2006年6月5日 (月) 03:38 (UTC)[返信]

沿革について[編集]

いちいち各編成の廃車を記録することは記事をいたずらに肥大化させるだけではないでしょうか。初廃車や初老朽廃車など201系の説明に意義があると思われるものを残して一部削ろうと思っています。--Muyo master 2007年2月24日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

同意見です。1,018両が製造された系列ですから個別の編成の廃車回送日を記録するときりがありません。また、「沿革」の項は201系全体の沿革を扱う項ですから、系列全体を概観したうえで簡潔に記述し、具体的な細かい内容はそれぞれの節で記述するという形でよいと思います。--Alive 2007年3月1日 (木) 15:59 (UTC)[返信]

「沿革」の項目に豊田電車区から京葉車両センターへ転属した編成について新たに加筆されましたが、削らせていただきました。転属については本文中で述べられていることですし、個別の編成ごとに入場日等を「沿革」に追加していくときりがなくなります。--Alive 2007年3月23日 (金) 12:14 (UTC)[返信]

1979年8月20日というのは営業を開始した日であり、試作車の落成自体は同年の2月頃だったと思いますので、何日に試作車が登場、試験云々、同年8月20日から営業運転を開始した。というような文章に直したいと思います。なお、(中央緩行線でも運用)という部分は、黄色い電車の運用に入ったかと誤解しやすいので、その際に削除するつもりです。L25.203.l03.26 2007年7月22日 (日) 01:20 (UTC)[返信]

試作車900番代について[編集]

クモハ200形にATS-Pが搭載不可能と記載されておりますが、これはなぜでしょうか。床下の構造上かと思われますが、JR西日本207系や321系のクモハも搭載していますし、武蔵野線・京葉線に在籍していた103系のクモハも運番表示機を潰し搭載できました。電機子チョッパ制御の制御装置が大型だからと思われますが。--明良 2007年6月27日 (水) 07:50 (UTC)[返信]

クモハ200はM'ですから主制御器は搭載していないので、明良さんがおっしゃるような、理由は考えられないですね。おそらくは、この2両が試作車であり、かつクモハ200形はその2両のみであったことが大きいと思います。同様に、2両しかないクハ201形試作車にATS-Pが搭載されなかったものと思います。また、分割可能編成よりも10連貫通編成の需要が大きかったのも、理由の一つでしょう。その4両のために、わざわざ2種類の新規設計を起こす必要がなかったということと思います。(あくまで、私の私見ではありますが。)--Kone 2007年6月27日 (水) 08:02 (UTC)[返信]

クハ200にはPを搭載していますよ。クモハに搭載できないため先頭に立つことはありませんでした。--明良 2007年6月28日 (木) 08:01 (UTC)[返信]

クモハ200にATS-Pを搭載しようとすると、機器が多い床下をいじらなければならず、手間がかかるので、やめたのでしょう。確かに「不能」ではないですから、表現方法には問題があるかも知れません。「搭載が煩雑」とか「搭載に手間がかかる」という表現が妥当でしょう。それより、中間組込みで使用すれば、ATS-Pの有無は問題にならないのですから、これを「早期の廃車の理由」の1つにすること自体に無理があると思います。早期廃車の理由から、ATS-P関連の文章を外すことを考えた方が良いと思います。その上で、試作車にATS-Pが搭載されていなかったことを示すため、「なお、クハに比べて床下機器の多いクモハ200にATS-Pを取り付ける作業が煩雑になるためATS-Pは取り付けられておらず、ATS-Pが首都圏で本格導入された1989年頃から先頭車両を量産車の中間に組み込んで使用していた。」という文章に直せば良いと思います。それから、冒頭に「先述の900番台」という言葉がありますが、900番台は沿革の2005年の廃車のところしか出てきませんし、「試作車=900番台」という案内も全くありませんし、さらには試作車にだけクモハ200形式が存在したことも書かれていません。置換え理由や冒頭部分の表現方法のみならず、試作車自体の紹介方法を先に考えた方が良いと思われます。(そうしないと、ここの部分の文章も確定できないでしょう。)L25.203.l03.26 2007年6月30日 (土) 12:34 (UTC)[返信]
103系や205系などと比べましたが、この201系と203系には「形式」を紹介する記事が無いですね。この記事を作成するところから始めるのが妥当でしょう。L25.203.l03.26 2007年6月30日 (土) 12:52 (UTC)[返信]

無理にP設置するよりも量産クハに組み込む方が容易で低コストであったのですか。205系鶴見線・南武部支線用のように2~3両となると無理にクモハが出来ます。こちらはそれでもP付です。こちらは煩雑でも付けざるを得ません--明良 2007年7月10日 (火) 05:21 (UTC)[返信]

評価欄などについて(質問)(完了済み)[編集]

  • 私見(主観)や要出典を必要とする記述があまりにも多く、編集が煩雑になるので、全文をコメントアウト化させて頂きました。評価欄の必要性自体にも疑問を感じています。--東武経験者 2008年2月23日 (土) 10:30 (UTC)[返信]
  • コメントアウトを外された方がいらっしゃいますが、主観や要出典が曖昧なまま外されたその理由を教えて頂きたいです。なお、該当者でありその他の記事の大規模な差し戻しも行なった125.175.59.253に質問状を提出致しました。--東武経験者 2008年2月29日 (金) 17:00 (UTC)[返信]
  • 私は差し戻した当人ではありませんが、103系の車両価格については資料がありますので、追って確認して報告いたします。201系と205系については、205系登場時に10両編成で、10億8千万から10億になった、というような記事を見た記憶があるので探してみます。ただ、これが「軽装車」の価格なのか、また一般車と軽装車の価格差がどの程度なのかについては存じ上げません。また私鉄に比べてチョッパ車の導入が遅れたのは、近郊形への応用を目指し高速からの回生ブレーキを可能にするシステムの開発に時間がかかっていたから、と試作車が登場した時の国鉄の方が書いた雑誌記事にありますね。L25.203.l03.26 2008年3月1日 (土) 01:24 (UTC)[返信]
2008年2月23日 (土) 19:23の版でのコメントアウトですが、どことどことどことどこが、どういう風に主観的で検証可能性を満たさない場所なのでしょうか?検証可能性を満たすための議論は必要かと思いますが、東武経験者さん自体も、前回のコメントアウト部と、3月1日のコメントアウト部ではコメントアウトの範囲が違っておりますので一貫性が無いように思います。また、3月1日の版がコメントアウトとして正しいのであれば、2月23日の版は不必要に本文を削除したともとれますし、それは逆に一種のアラシ行為とも取られかねません。評価欄の必要性自体に対する疑問というのもまた主観ではないかと私は思います。
特に要出典の使われ方なのですが、東武経験者さんを指してるのではありませんが、きちんと自分で研究せずに、ただ単に自分が知らないからと要出典を貼り付ける方が増えたように思えます。ウィキペディアは学校ではないので、他人の知らない事に対してイチイチ説明する必要も無いのですが「私が知らない事が書かれてる」と言う理由で「独自研究」と言う方までおられます。
本来、独自研究と言える立場というのは、その案件に非常に精通していて、過去の文献で紹介された記事を数多く読まれ調査されてる方が「そんな事が書いてあるのは見たこと無いなぁ」として初めて口に出せる言葉ですが、ウィキペディアの出典は加筆者がするというのに甘えてる方が多いかなと近頃感じています。
また、問題を解決しようとするのであれば、125.175.59.253さんではなく、要出典と貼られた箇所を最初に加筆した人に対して質問すべきです。過去ログは調べて頂けましたか?
[1]で車両の価格差については加筆されていますが、HATARA KEIさんは積極的にウィキペディアにも参加し様々な資料から記事を書いてくれています。まず201系の記事に手を加えたりするよりも、疑問に感じた点は直接聞かれたらどうでしょうか?きちんとした質問に対して邪険な扱いをされる方には思えませんが。
私としては、当該文章の加筆者すら特定せずに事を運んでいる性急なやりかたを見ると、201系の記事についても過去の文献を精査してからの要出典貼り付けではないように感じます。
仮に出典がきちんと出た場合は、東武経験者さんの方が迷惑行為をしたことになってしまいます。
言いたいことはわかります。私も「思いこみだけの記事」をさんざん見てきて「それって、どこに書いてあるんだよ(怒)」というのは多いのも事実ですが、だからといって「要出典」をペタペタ貼れば事が解決するわけでもありません。
ウィキペディアのルール的には「加筆者が出典を提示する」きまりはありますが、先に書いた「私が知らないから独自研究だ」とのたまう方が増えてきた現在、要出典を要求する側もある程度の下調べをして、それでもわからない場合に使われるべきではないかと思いますし、仮にそういう状況になっても、加筆した方がおられるわけですから、その方に質問するのが先ではないかと思います。
単に本文をコメントアウトしたり、要出典を貼るよりもスムーズに事が運ぶように思います。
ただ、東武経験者さんが201系に精通していて、これだけの資料に目を通したが、そんな記述は発見できなかったと言われるのであれば、それはそれで「調査の結果、独自研究」としてコメントアウトせずに削除したら良いわけです。
私は過去の文献を確認したわけではありませんが、コスト的な面は鉄道ジャーナル誌が比較することが多いような感じを受けますので、201系軽装車が出たあたりとか205系が出たあたりに手がかりは無いでしょうか?
余談ですが103系の製造価格については、車両史へんさん会から出てる「103系・301系 通勤形直流電車」[2]の61ページに掲載されています。
ふと見ていたら[3]というのがありましたが、Tokacyanさんにあれだけ厳しく言われてるのに、現在やってる「要出典」ってのは、それと同じような事に思えますが・・・・--永尾信幸 2008年3月1日 (土) 01:21 (UTC)[返信]
  • L25.203.l03.26様、お手数をおかけ致します。
  • 永尾信幸様へ。『再び全文をコメントアウト化⇒差し戻し』の繰り返しになる恐れがありましたので前回とは違う形にしておきました。「コメントアウトせずに削除したら良いわけです」との事ですが、削除をするのは簡単です(評価欄以外ではやり過ぎたなとの反省をしております)が、それはそれで編集合戦を招きかねないと気付きましたので先に書いたように個々にコメントアウト化や要出典のテンプレートを貼り付ける編集に切り替えておきました。同時に、匿名の者が差し戻しを行なっている時点で訝しいものを感じているのも事実です。
    • 『主要機器』欄などで顕著なのですが、研究論文調の記述を客観的で読み易い形に変えると共に、新たに『開発の意図と経緯』の欄を設けて該当する記述をそちらに移動した方が全体的に見易くなるかなと思っているのですがいかがでしょうか?--東武経験者 2008年3月1日 (土) 14:31 (UTC)[返信]
返答ありがとうございます。
ただ「削除するのは簡単です」とありますが、これはどうなんでしょう。先にも書きましたが、自分自身が記事の内容に精通している人間が、多数の資料を見た結果「これは見た事無い」と言うのであれば自信をもって削除できるわけで、その旨を要約欄に書いておけば編集合戦など起こりません。
編集合戦を併発するというのは、根拠を明確に示しきれないからであって、書かれてる「削除するのは簡単」という軽い表現だけでは、少なくとも記事内容を精査した結果としての行動とは見てもらえないと思います。
私は記事を削除するのは非常に難しいと思っています。出典は加筆者とは言うモノの、削除するにも削除するなりの根拠が必要だからです。
先に書いたように「私がきいた事がない」という思いこみだけでは行動には移せないんですよね。それをすると編集合戦になってしまうので。
匿名が差し戻したとありますが、これはコメントアウトに対して東武経験者さんの説得力が少なかったからじゃないかと思いますよ。
私もコメントアウトするだけの根拠に乏しいなぁとは思っていましたから。
それに対して、差し戻し者にキツイ言葉を書き込んでいましたので、今回その件も含めて少し書かせてもらいました。
「開発の意図と経緯」などの変更については、別に良いと思いますけど、その客観視という点で、今、要出典と書かれてる内容についても内容を調べてからと言う事になろうかとは思います。調べれないからはずすというのは客観視ではなく主観的記述(自己都合で知ってる部分しか書いてない)になりますので。--永尾信幸 2008年3月1日 (土) 17:43 (UTC)[返信]
  • 匿名の者による差し戻しまたは差し戻しと同様な編集行為は他の場所でも多発している事をご留意下さいませ。そして、差し戻したい位までに異議があるのであれば責任を明らかにするためにログインしてから堂々とノート欄で述べるなどをすればいいだけの事です。身元を隠す必要性を感じませんし、言葉は悪いですが、やり方が卑怯ですから敢えてキクく迫ったのです。それはさておき、願わくば原文を書き込んだ方自らのご意見をお伺いしたいと思っております。
  • 大袈裟な表現と思われる箇所などを修正・削除しておきました。--東武経験者 2008年3月3日 (月) 10:02 (UTC)[返信]
  • 「評価」については価格計算で物価変動(加筆当時は失念していたのですが、CPIをどう適用するのか、など議論の幅がありすぎます)などによる異論があることを考慮し、全削除としました。実を申しますと、この項については小生よりもよほど201系について精通した方がおられるため、一切触れないつもりでいた(より詳しい方がおられるならば基本的にその方にお任せする、というのが小生の基本方針です。小生としては不要な編集競合に割く時間はございません)のですが、この度東武経験者氏よりご連絡を受け、最初に価格にかかわる記述を行った者の責任として、全削除といたしました。後、小生が前回加筆した約1年半前と比べても混沌の度合いがひどく悪化しているように見受けられたため、それ以外の部分についても最低限の整理や脚注化、あるいはコメントアウト化を実施いたしましたが、コメントアウトの解除あるいはコメントアウト部の内容除去の判断については他の参加諸氏の判断にお任せいたします。--HATARA KEI 2008年3月5日 (水) 10:48 (UTC)[返信]

参考文献について[編集]

複数の書物が挙げられていますが、文献名を記載した202.94.153.92は、実際には何も編集しておらず、完全な虚偽記載という状態になっています。このままですと、上記の者が記載した書物名は削除しなければなりません。この記事を編集なさった方で、現在書かれている書物で参考にした部分がありましたら、こちらに記載して下さい。「一般的に参考になる」ではなくて「編集に利用した」という観点でお願いします。特に無ければ、3月18日頃を目途に、上記利用者が記載した、

を削除する予定です。なお本人の会話ページには呼びかけ済みです。L25.203.l03.26 2008年2月29日 (金) 13:33 (UTC)[返信]

四季彩の廃車予定時期の出典について[編集]

あのデータは「とれいん誌」2007年7月号から引用したものだと思われます。要出典を貼った方は、その資料をお持ちではないのでしょうか。該当誌の記事は、当時のJR東日本の「計画」を転載したものです。計画ですので、その後に変更が生じているかも知れませんし、該当誌にも「今後変更がありうる」と書かれています。しかし、もし変更が生じていたとしても、それを示す新たな出典が無ければ、最初の「とれいん誌」のデータを尊重して記事にするしか方法はないのではないでしょうか。いずれにしましても「要出典」を貼る理由や根拠が判りません。是非、要出典を貼った根拠を教えていただきたく思います。事情が変わったのでしょうか。なお、文章を「~という予定とされている」という間接的な表現などに変更することは異論はありません。L25.203.l03.26 2008年6月11日 (水) 13:57 (UTC)[返信]

耐候性高張力鋼と剛性について質問[編集]

本文の車体に関する記述で、耐候性高張力鋼を使うことで耐久性と剛性が向上した旨の記述があります。耐久性が向上するのはわかるのですが、高張力鋼の使用によって剛性が上がることが理解できません。引張強度の高い材料特性を積極的に利用すれば、むしろ剛性は下がるのではないかと思うのですが、どのような理由によるものでしょうか?--ikaxer 2009年7月25日 (土) 05:12 (UTC)[返信]

再び試作車について他[編集]

末尾901の先頭車と、902の先頭車のマスコン形式は、現在の表記と逆では無いですかね。東急車輌落成のものに、横軸式が付いていたはずなのですが。 また軽装車はチョッパ装置の形式が変わっています。それは記述してもいいような。--60.71.212.233 2019年2月13日 (水) 14:40 (UTC)[返信]