ノート:大江健三郎/過去ログ1

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区分

年譜的な部分と、作家研究を分けました。この方が、作家の記事にとっては厚みが増すものと思われまし、 多くの文学史の本は年譜と作家研究とを分けています。 Daisuke.IW2003年12月16日 (UTC)

これからの編集方針について提案

参考文献をみたら分かりますけど、批判本が多いです。それに対して大江の作家研究の項は貧弱です。最近ますます左翼作家(=悪)代表としてだけ取り上げられることと、大江の著作の数が多く、読みにくいことが原因だと考えられます。

難解と言われる大江の小説だけに、作家研究をもっと充実させていくのが百科事典として良いと思います。なにより日本を代表する作家ですし、日本のウィキに大江の活動の側面だけがかいてあるというのはどうでしょうか。--shinya~ 2005年6月22日 (水) 16:15 (UTC)

大江健三郎に対して明らかに悪意を持って書かれた文献を、「参考文献」の欄に載せるのは不適切と思われたので、参考文献から一部を削除しました。 2005年7月13日 (水) 1:24

大江健三郎に対して明らかに悪意を持って書かれた文献←これって大江自身の著作にもまったく同じことが言えますね^^(XXXに対して明らかに悪意を持って書かれた著作)それとも、大江の悪意はキレイな悪意なのカナ?--220.144.35.16 2008年8月16日 (土) 15:56 (UTC)

外部リンクを待避

外部リンクとしてこういったサイトだけが挙がっている状態というのは偏っていると言わざるを得ませんし、議論の真っ最中の事案でもあります。

逆の立場のページが見つからないので仕方なくこれだけ挙げたんですがね。それに議論の証拠でもあるじゃないですか。まあ、事実に目をふさぎたいお気持ちも解らないではないですが。--Kadzuwo 16:03 2004年3月25日 (UTC)
Wikipedia:ガイドブックにも書いたことですが、事実だけを淡々と挙げたつもりでも中立性が失われてしまうことは往々にしてあるのです。記事全体のバランスを考慮してくださいね。Sampo (ノート) 16:12 2004年3月25日 (UTC)
だからこそ、逆方向の事実を挙げていただけることを期待しているのです。それあってこそのこの場所じゃないですか。時々登場するスタブ削除魔じゃあるまいし、削除優先では何も進みませんよ。--Kadzuwo 16:58 2004年3月25日 (UTC)
あ、いや、私は氏が北朝鮮シンパかどうかという論点に関して云々しようと言うわけではないのです。中立的でないといったのは、文学者としての氏に言及したサイトをまったく挙げずに、北朝鮮関連のサイトだけ挙げて「関連サイト」としてしまうことが中立的ではないと言うことです。Kadzuwoさんの挙げてくださったサイトはこのノートでの議論の材料とするのが有用なんじゃないですかね。Sampo (ノート) 17:25 2004年3月25日 (UTC)
もちろん、そういうところも併せて挙げていただけるとありがたく存じます m(_ _)m。--Kadzuwo 18:03 2004年3月25日 (UTC)

「国民栄誉賞」は間違い

編集できないのでここに書きます。大江が受賞拒否したのは国民栄誉賞ではなくて文化勲章でしょう。Tai_i 17:55 2004年3月28日 (UTC)

これは明白な間違いなので、ここだけでも何とか直せないものでしょうか。--Kadzuwo 01:50 2004年4月3日 (UTC)

「日本人作家としては珍しく海外での活動もさかんで」というのも曖昧ですね。「活動」とはメキシコ、プリンストン、ベルリンで教鞭をとったことを指すのか? それならそう具体的に書くべき。また、広い意味でなら、海外で盛んに活動した日本人作家はたくさんいますから「珍しく」というのは不要だと思います。「サルトルと比較される」というのも変な話。なぜ比較しなくてはならない?

前半はごもっとも。まあ、ノーベル賞が欲しくてロビー活動をやったという噂があるようですけど、噂を載せるわけには行きませんからね。
で、後半ですが、文化勲章を拒否した際にそう言ってホメる人たちがいたのは事実なんですが、サルトルが拒否したのはノーベル賞で、大江さんの場合はそちらはもらっているわけですから、むしろ逆ですわなあ。--Kadzuwo 01:50 2004年4月3日 (UTC)

The page is protected. Please add it:Kenzaburo Oe Adriano from it:wiki it:utente:Adriano


半年以上議論が行われていないようなので、いったん議論は収束したとみなして本文のプロテクト解除しませんか?いくつかの海外版に大江健三郎の記事が投稿されてるので、interwikiの追加だけでも行いたいと思います。Kamakura 2004年10月21日 (木) 00:33 (UTC)

リクエストが出ていたので先ほど解除しました。イタリア語版へのリンクと、国民栄誉賞/文化勲章の点については修正しました。Tomos 2005年1月15日 (土) 02:43 (UTC)

「民主主義云々」はノーベル賞受賞などから考えても明らかに文化勲章に対するものなので「前言を翻し」との挿入は省きました。johncapistrano 2005年5月27日 (金) 16:25 (UTC)

「民主主義云々」はノーベル賞受賞などから考えても明らかに勲章に対するものなので「前言を翻し」との挿入を行いましたが、どうでしょう?MLfoGtBp 2005年5月27日 (金) 16:30 (UTC)

「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」というのは、あくまで文化勲章の受章の拒否理由として大江氏が述べたものであって、これを勲章全般に広げるのは、拡大解釈です。文化勲章の受章を拒否して、レジオンドヌールを受賞しているわけだから、同じ勲章でも、大江氏は、文化勲章を非民主主義的、権威主義的と考え、レジオンドヌールは民主主義的と考えている、と解釈するのが妥当です。そうした大江氏の考え方について、異論のある人もいるでしょうが、「前言を翻し」とするのには無理があります。--Y-Katsu 2005年6月12日 (日) 14:53 (UTC)

1995年の芸術祭参加拒否と、2002年のレジオンドヌール受章を逆接詞で結んで、大江氏の態度に矛盾があるという文章に修正されていますが、1995年の芸術祭参加拒否の話は、大江氏自身のレジオンドヌール受章理由の中に含まれていたものであったので、元に戻します。両者を関連付けているのはあくまで大江氏の主観であって、レジオンドヌールの授与理由は大江氏の文学的業績を踏まえてのものですから、元の文章のほうが客観的です。--Y-Katsu 2005年6月13日 (月) 04:58 (UTC)

「この後の氏の行動については『民主主義に勝る権威と価値観を認めない』という発言と矛盾するとの指摘もある。」という文章が挿入されていますが、矛盾すると指摘されている大江氏の行動とは具体的に何で、その指摘をしている人たちは誰なのでしょうか。それを明記して欲しい旨を記載して削除を行っていますが、何度削除しても同一内容に復元されています。再記述するには問題点を修正してからにすべきです。ここで記述するには一定の検証可能性が担保されなければなりません。いったい事実であるかどうか確認することもできないことを記述するべきではありません。検証可能性が担保されていなければならないということは、このノート上での議論で既に一致しているはずです。

そして、仮に指摘している人たちがいるとして、それが正しいことが必要です。大江氏の文化勲章の拒否は、「国にかこわれる」ことの拒絶であり、それが、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」ということの意味です。この基準に従って、大江氏は、年金受給権をともなう、文化勲章の受章と芸術院会員となることを拒絶し、年金の受給権がない、つまり、国に囲われる結果とならない、レジオンドヌールを受章したり、全米芸術アカデミーの名誉会員になっています。また、ノーベル賞は、一時金として一括支給されますし、財源は国がらみではありませんから、国に囲われる形にはなりません。大江氏の考える民主主義とは戦後民主主義のことで、国から経済的な給付をうけるとそれが損なわれていると考えているようです。そういう意味で、大江氏の賞や章に対する姿勢に自身の主張と矛盾するところはないように思われます。

こうした大江氏の考え方や行動を正しいと思わない方もいらっしゃるでしょう。芸術院会員になったり、文化勲章を受章したりしないことが、民主主義を守ることになるのかどうか疑問に思う人たちはいるでしょう。年金の受給の有無に関わりなく、自身の良心に従って主張することこそが、民主主義的だと私なども思います。しかし、ここは大江健三郎氏に関わる記述をする場ですから、大江氏の行動や主張に無関係なものを記述しても意味がありません。

また、「編集内容の要約」を見ると、自身の修正を「両論併記」とされておりますが、両論といいうるためには、矛盾していないという主張をなしている人々の意見も記述しなければなりません。

以上を踏まえて、「この後の氏の行動については『民主主義に勝る権威と価値観を認めない』という発言と矛盾するとの指摘もある。」という文章を削除しました。--Y-Katsu 2005年6月19日 (日) 11:51 (UTC)

文化勲章と小森の見解

記述を削除したということは、大江氏の弁解のソースを持ってる様なので是非提示をお願いします。 --MLfoGtBp 2005年8月4日 (木) 17:57 (UTC)

失礼、敬称の氏が抜けました。 --MLfoGtBp 2005年8月4日 (木) 17:59 (UTC)

上でも指摘されているが無駄な記述を書き込むのは止めて頂きたい。小森の見解は「受賞拒否への理解」であってそれに弁解する必要などない。以上。johncapistrano 2005年8月4日 (木) 18:15 (UTC)

特に議論する意志のない方にレスしてしまったばっかりに、項目を跨いでしまいわかりにくくなってることをまず謝罪します。

>元の文章のほうが客観的です

というのは単なる主観であり、この項目の主役である大江の主観の中の誤謬を指摘するのはこの項目に則することです。

>矛盾すると指摘されている大江氏の行動とは具体的に何で

受賞拒否であることは明らかです。

>年金の受給権がない、つまり、国に囲われる結果とならない、レジオンドヌールを受章したり、全米芸術アカデミーの名誉会員になっています。また、ノーベル賞は、一時金として一括支給されますし、財源は国がらみではありませんから

ノーベル賞の賞金は非課税です。また金だけが問題であれば、そのように記述すべきです。次回修正を監視させて頂きます。

>「編集内容の要約」を見ると、自身の修正を「両論併記」とされておりますが、両論といいうるためには、矛盾していないという主張をなしている人々の意見も記述しなければなりません

「という主張をなしている人々の意見も記述しなければなりません」といいながら

>という文章を削除しました

全く矛盾していますね。 MLfoGtBp 2005年8月15日 (月) 18:08 (UTC)

大江は、(たとえそれが、一瞥した限りでは矛盾しているように見えても)ノーベル賞の受賞と、文化勲章受章拒否の一連の行動を整合する論理をもって行ったと主張し、その「主観的な」論理をたどる限り論理的な矛盾は生じていないように思います。また、MLfoGtBp氏のもつ常識の論理と照らし合わせて「明らかに矛盾」ととられる論理であった場合でも氏自身もいわれるように、「この項目の主役」は大江であるのだから、大江の論理にそって書くことは当然です。「弁解」も何もないのです。--shinya~ 2005年8月16日 (火) 17:04 (UTC)

>「この項目の主役」は大江であるのだから、大江の論理にそって書くことは当然です。「弁解」も何もないのです

大変素晴らしいご意見をありがとうございます。 wikiは項目の対象について記述するのではなく、項目の対象(この場合は大江)の論理に従って項目を記述するというのは初耳です。 寡聞にしてそのようなことは知りませんでした。オウム麻原の項目もきっと彼について記述するのではなく、彼の論理に従って記述するのでしょうね。 もしwikipediaが本当にそのようなモノであるなら、wikipediaには全く価値がないことになるでしょう。 MLfoGtBp 2005年8月18日 (木) 15:30 (UTC)

Shinya氏は、「大江は、(たとえそれが、一瞥した限りでは矛盾しているように見えても)ノーベル賞の受賞と、文化勲章受章拒否の一連の行動を整合する論理をもって行ったと主張し、その「主観的な」論理をたどる限り論理的な矛盾は生じていない」という主張を前提としています。大江氏がどう書いたのかをなるべく歪曲せずにウィキに記録するという主張であって、その記述の際に、「『この項目の主役』は大江であるのだから、大江氏の論理は大江氏が書いたそのまま(あるいは的確な要約で)記述し、そこにウィキペディア記述者の意見は必要ないし、大江氏本人の弁解というのは百科事典において必要ないと主張しています。MLfoGtBp氏の提案のおかげで、毎回、「大江健三郎」という項目の記述が充実するのですが、オウム真理教について、麻原という人の論理「に」従って記述するのではなく、麻原という人の論理「を」書くのです。その意味で、ウィキペディアは麻原という人の論理に従うのではなく、麻原という人の論理にそって記述した項目と、それが世間でどのように受け止められたかという記述が均衡するサイバースペースの事典であり、記述者は、つねにバランス感覚が要求されると思われます。大江氏の項目で言うと、大江氏の論理に対する批判意見が論文なりの形で提出されているならば、それを引いてくるのがよいのではないでしょうか。--開放系の槍 2005年8月19日 (金) 06:00 (UTC)

大江の思想について

大江の思想に関する是非をノートで議論の上、結論が出るまで一応中立スタブを置かせていただきました。--Tamachan21 2006年9月2日 (土) 05:45 (UTC)

余り議論になっていないようですし、そこそこNPOVが保たれているように思います。細かくNPOVに沿った修正を要するところがあるようですが、中立スタブは外して良いのではないでしょうか。BB-45 2006年10月6日 (金) 15:08 (UTC)

 学歴

大江は大洲高校ではなく内子高校から松山東高校へ転校したはずなので直しました。 --以上の署名の無いコメントは、219.109.48.16ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2006年9月19日 (火) 18:52 (UTC) に投稿したものです。

「エピソード」について

中国や北朝鮮を非難しなければ“民主主義者”を名乗る資格がないのですか?--220.157.206.74 2007年11月3日 (土) 09:11 (UTC)

そう言って批判している出典があればいいですけど。個人の感想のようなので削除しました。--Miwa.SS 2007年11月3日 (土) 09:53 (UTC)
訂正。即削除ではなく要出典で一定期間待ちます。--Miwa.SS 2007年11月3日 (土) 09:54 (UTC)

 「雨の木」について 

武満の曲に触発されて執筆、というのは順序が逆なので、書き直しました。 --以上の署名の無いコメントは、122.26.40.82ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2009年5月28日 (木) 14:01 (UTC) に投稿したものです。

出典つき記述の除去取り消し

2013年7月27日(土)20:48の利用者:24.205.91.22会話 / 投稿記録さんの編集[1]で、「他方、1967年には中国核実験の成功について賞賛し、キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を「いかにも美しく感動的であった」と評している」が除去されていますが、この部分はその次の出典「『世界』1967年9月号。秦郁彦『歪められる日本現代史』PHP研究所 2006, p35」とともに、2012年9月30日(日)05:35の利用者:221.119.170.122会話 / 投稿記録さんの編集[2]で加筆されたものです。出典つき記述を理由もなく除去するのも問題だし、記述だけ除去されて出典がそのままなので出典がその前の記述に対する出典であるかのようになってしまっている。よって元に戻します。--211.14.204.139 2013年7月27日 (土) 21:41 (UTC)

政治少年死す

<re f >ただし鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』には「風流夢譚」ともども(おそらく著者に無断で)収録されている。</ref>、

全集に収録されて誰もが読めるようになった現在では不要な記述だろう。 オミットした。 --以上の署名の無いコメントは、2409:252:b60:5a00:5959:3c64:67:cac5ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2019年8月30日 (金) 22:37 (UTC) に投稿したものです。

個人的な体験について

ただしこの作品のプロットについては、ジョン・アップダイク走れウサギ』(1960年)との類似、ないし本歌取りの可能性を指摘する声もあるhttp://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IAS/ras/27/aoyama.pdf 「文学からみた アメリカン・ポップ・カルチャー」青山南

記事全体の記述の中でこれだけ異様にトリビアルな記述である。 青山南という人物の説がそれほど大江文学の理解に重要なものなのか甚だ疑問である そもそもこの青山の説自体にどれほどの妥当性があるのかも疑問である。 リンク先に記事が存在しない。 よってオミットした。 --以上の署名の無いコメントは、2409:252:b60:5a00:5959:3c64:67:cac5ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2019年8月30日 (金) 22:26 (UTC) に投稿したものです。

  • リンクというのはこちらの論文のことでしょうか。「青山南という人物の説がそれほど大江文学の理解に重要なものなのか甚だ疑問」とのことで調べてみましたが、青山南という人物は立教大学ラテンアメリカ研究所で論文を書かれたということはわかりますが、アメリカ文学研究者の青山南氏と同一であるかどうかはこれだけではわかりません。ただし、この研究所がその研究者の青山南氏を講師として何度か呼んでいるようです。「異様にトリビアル」という主張はともかくとして、同一性や特筆すべき事項であるという立証がなされないかぎりは不要であるとかんがえます。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 04:53 (UTC)

2020年8月28日 (126.211.116.90による削除の差し戻し対してのコメント

全体をみて大江の文学にほとんど知識を持たない方が記述内容の妥当性や軽重を度外視して削除編集していると見受けられます。かなり乱暴なかたちで重要な記述が削られまくっているので削除前に戻します。事実に基づく記述を無闇に削除しないということは https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:ページの編集は大胆に の「ただし、配慮を忘れない」でも記されているガイドラインにも沿うでしょう。明快な理由もなく削除する前に、一個一個の記述の真実性、妥当性、有用性をノートで議論していくべきではないでしょうか。(もちろん出典の要求を注記していくのは記事をブラッシュアップさせていくのに資するのでどんどんするべきで、そこに異存はないです。ただ削除内容が多すぎることから一括的に戻すので、その注記が削られますので必要に応じて適宜再度付加ください。)

削除について中身を見ると主に次の三点を問題にしているように思われるのでコメントします。

①大江の代表作は何かについての出典の要求について(これは削除された「来歴」内の章わけのタイトルの副題にも関わります) ②来歴内でキャリアの節目、章わけをどこで行うのが適切か? ③なされた記載内容の削除が本当に適切なのか?

①について ●文学賞を受賞している作品 『万延元年〜』、『雨の木〜』『新しい人よ〜』など ●大江健三郎の文業を貫く主題系、「森の神話」「共生」に関わるものである それぞれ ( 『芽むしり』『万延』『同時代』『懐かしい年』など) ( 『個人的』、『新しい人よ』など) ●作者が節目節目にキャリアの総決算として取り組んだ大作である (『万延』『同時代』『懐かしい年』『燃え上がる』) などを勘案して大江の代表作をこれらとするのは全く自然で、大江文学に一定以上の知識や理解がある人の間では特に議論もなく妥当とされるのではないでしょうか。

②について 来歴内の章わけを削除されていますがむしろどういう基準でそれを行なったのか怪訝に思います。『大江健三郎作家自身を語る』というインタビューをまとめた本がありますが、この本でも削除前の章立てと同じく『万延元年』〜、『雨の木』〜、で章を区切っています。それはここで区分していくのが自然かつ合理的である作風や主題の転換があるからです。ウィキペディアの記述の章立てが合理的な境目で分けられているのは記事の読みやすさや、読者の理解の助けになるでしょう。

③について 完全に削除された『同時代ゲーム』まわりの記述を一例にしますが、大江の文学の理解にとって重要性や必要性のとても高い記述が削られまくっています。これは一例であって来歴全体にわたりそうした削除がされています。以下にしるしますが削除された方は大江文学について包括的な知識を持っていないのではないでしょうか。そういう方がご本人の感覚的な基準で大鉈を振るって記述を削除しまくるのは率直に暴挙といってもよいとおもいます。よって削除前にもどすべきであると判断しました。

「この頃、ちょうど日本に紹介され始めたバフチン、ロシア・フォルマリズムなどの思想潮流や山口昌男の理論などから学び、新しい小説の方法論(『小説の方法』1978年)を獲得している。」←大江は方法論に異常にこだわる作家でありこれは重要な記述です。自伝『私という小説家の作り方』では「この方法を長らく探し求めていた」という章をまるまるさいて作家自身これらの理論の重要性を説明しています。『小説の方法』の内容を簡易にして『新しい文学のために』という理論書を改めて書いてもいます。削除すべきでないとても重要な出来事・事実についての記述です。

「1979年に発表された大作『同時代ゲーム』において故郷の森の谷間の「村=国家=小宇宙」の神話や歴史を複雑な叙述方法で描いた。自らの文学のトポスを想像力豊かにコスモロジカルに描いたもので、」←同時代ゲームの内容を簡潔に説明したものです。作品名を単に挙げるだけよりも、簡便な内容説明を付加記載した方が、作家の主題の変遷を示すことができ、読者の理解の助けになるでしょう。記載内容が妥当であるなら削除する理由はないと思います。

「作家は自作の中でも重要なものと位置づけており、ここで提示された森の谷間の村の神話や歴史は以降の大江の諸作品のバックグラウンドとなる。」←本作以降の大江の作品は、大江の故郷の村で『同時代ゲーム』に記された神話・歴史があったということが前提にされているのは端的に事実です。作家が本作を重要視しているにはそこから自明でしょう。作家はこの神話にこだわりがあり、『同時代ゲーム』が難渋との批判や読者の戸惑いを受けて『いかに木を殺すか』『MTと森のフシギの物語』を書いているほどです。そういう重要な作品が来歴から完全に消されているのは全く適切でないでしょう。 --2409:252:B60:5A00:7404:66AF:64E5:3368 2020年8月28日 (金) 23:19 (UTC)

  • コメント 記事の一連の編集・差し戻しとノートを読みました。IP:2409:252:B60:5A00:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは可変IPの方のようなのでこちらにコメントいたします。Wikipediaを編集するにあたって、まずなにより重要なのはWikipedia:出典を明記する(一般的には本文中に脚注を使う)、そしてWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないの「三大方針」です。ノートでの議論も当然大事ですが、それらを満たす努力をしてください。『我々愛好家・知識人にとっては常識である』『肌でしっている』を根拠とはしないようにしてください。「知識や関心のない方による編集」「常識的な理解」というのは、理由にはなりません。少なくともIPv6さんが編集参加される以前の版と比較すると冒頭文からして存在しなかったものも多く含まれていますが、それらの加筆にかんしてIPv6さんが要約やノートで個々に説明されたという形跡はありません。出典がはっきりと付いているのであればまだしも、除去については要求されているのに無出典加筆をされていることは妥当なのでしょうか。
①の「作者が節目節目にキャリアの総決算として取り組んだ大作」についても同様で、であるならばそう明記した出典を提示してくださいとしか申し上げようがないのです。少なくとも『勘案して大江の代表作をこれらとするのは全く自然で、大江文学に一定以上の知識や理解がある人の間では特に議論もなく妥当』『自明である』というのはWikiepdiaにおいては適切ではありません。なにかの専門家や研究者・マスメディア等がそう記した出典が必要です。除去には議論しろ、とおっしゃる方がそのような物言いをおこなわれることには違和感があります。②の主張は、ある書籍をもとに段組みをされているというのは一定の説得力をもつとはおもいます。しかしその本人がかかわった本を元にそのまま名称ふくめ節分けするのが正しいとは限りません。「円熟へ」とありますがこれは内容とどのようにリンクしているのでしょうか。内容はただ普通に経歴を綴っているにすぎないようにみえます。「国際的な作家」も交流を深めた等の記述があるのみで、たとえばその節の中に海外の大きな文学賞を受賞したとかそういった事が書かれているわけでもなく、残りは英訳一本にかんする記述程度になっています。③は①と同様です。『簡便な内容説明を付加記載した方が、作家の主題の変遷を示すことができ、読者の理解の助けになる』、そう思われるのであれば出典をもとに記述してください。正直申し上げて、IPv6さんがこの記事に加筆されて以降の内容は『ファン目線の研究内容』が以前にもまして多くなっているように見受けられます。IPv6さんが意見を異にするユーザーとくらべ、大江健三郎について知識豊富であることを自負されるのはご自由ですが、であればその知識を生かしてWikipedia:信頼できる情報源・おもに二次資料をもちいた編集をおこなってください。自分は知識がある、よってその知識を生かして信頼できる情報源を見つけてきて加筆する。と、自分は知識がある、よって自分の加筆内容は常識にのっとっており妥当だ、これは前者と後者はまったく異なり、後者はWikipediaを編集するにいたっては不適切です。ご自身が知識人であるとどう自負されても、「出典をもとに記事を書くか否か」という点においては我々参加者は基本同等であり、その行動内容によって正否が判断されることはあっても、「誰々さんだから」で判断されることはあってはなりません。あなたが文学に詳しいとおっしゃるのであれば、ご自身で出版社を通じ校正等他者のチェックの入った研究本を出版され、それを文献としてWikipedia編集に用いるというのであれば、それは正当なものであると判断されるでしょう
なお、「他も方針どおりというわけでもないのになんでここだけ」「他の記事にも言うべき」というのはWP:SPEEDに反しており、方針・ガイドラインに沿わない編集を正当化できるものではないことは先にお伝えしておきます。本当は安定してお話ができる会話ページなどがあればそこで指摘したい内容も含まれていますが、IPv6さんがこの記事に携われる前に編集をおこなっていた中上健次にかんしては、出典なしの注釈がやや見受けられるもののここまで極端な内容ではなかったようにおもわれます。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 02:52 (UTC)
  • テンプレートの復帰やあきらかに独自研究とみられるものなどを整理した編集をIPユーザー両者の編集をもとにおこないました。同時代ゲーム周りにかんしてはたしかに過度の除去が見られたためIPv6さんの主張も一理あることから個人的には適切ではないと判断しておりますが、全体的に出典がたりていないこともまた事実でしょう。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 03:18 (UTC)

それと、あまりここでは言いたくはないのですが可変IPで実質会話ページがない状態ですのでもうしあげますと、大江健三郎にしても中上健次にしても、出版物の独立記事を作成されるのであれば最低数点は二次資料を提示してくれませんか?そうではないものを多数作成されるのは乱立のそしりを受けても仕方ないですよ。長期に渡って出典が不足していたり出典の明記テンプレートが貼られて時間が経過してもさほど改善が見られないものが散見されます。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 03:49 (UTC)

70年代からの海外作家との交流

1968年オーストリアのアデレード芸術祭、エンツェンスベルガー、ビュトールと会う/ 1970年『新潮』アップダイクと対談/ 1970、73年にアジア・アフリカ作家会議(作家固有名は不詳)/ 1973年『朝日新聞』エンツェンスベルガーと対談/ 1976年、メキシコ、ルルフォら(本文に記載してある)/ 1977年ハワイ大学セミナー、ギンズバーグ、ショインカと会う 1978年『海』ギュンター・グラスと対談/ 1979年『海』バルガス・リョサと対談/ と60年代末から70年代にかけて海外作家との対話の機会を積極的に求めに行っている事実がある。 (大江健三郎全小説の年譜による)--2409:252:B60:5A00:89D0:3517:9B11:691E 2020年8月29日 (土) 07:55 (UTC)

ありがとうございます。「記述が煩雑になるため固有名は本文には載せていない」とのことですが、~~と対談したという内容が重要なものであれば記載したほうがよいでしょう。積極的に求めに~という表現は二次資料が必要でしょうが、「1970年代ごろから海外の作家との交流を持つようになった。」というのも、交流がある事実といつごろ持つようになったかは必ずしも一致する内容ではなく場合によっては情報の合成にあたる可能性があります。すなわちそれに特筆性があるなら淡々と事実のみを述べていくべきでしょう。言葉を濁す必要はないとおもわれます。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 08:11 (UTC)

  • あえてテンプレートを貼り付けはいませんが、Wikipedia:出典を明記するではページ番号を記載することが公式にもとめられているのでその点にも留意ねがいます。Template:誰については不要かどうか悩みましたが、他の記述では積極的に他の作家名が記載されているのにこの部分だけは不要というのもどうかとおもい付与しております。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 08:29 (UTC)

谷沢の出版の信頼性

--2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月4日 (金) 01:02 (UTC) https://ja.wikipedia.org/wiki/ベストセラーズ とはこういう出版社ですが 谷沢著作 「こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状 クレスト社 1995.6/ベストセラーズ・ワニ文庫 1999」 は

「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」 「「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます。一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」

こうした信頼性の基準に照らして、学術出版、文芸誌をだしている大手文芸出版と並べて信頼性は明らかに欠くと判断して非表示にしています。--2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月4日 (金) 01:00 (UTC) .