ノート:天球の回転について

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「ラトランの宗教会議」について。[編集]

「ラトランの宗教会議」とは第5ラテラン公会議のことでしょうか? 会期が重なっているので単に訳語や表記のゆれだったらリンクをしたいと思ったのですが、当該の記事を見ても改暦が議題になったようには書かれていないのでここに書いておきます。―霧木諒二 2010年9月24日 (金) 17:03 (UTC)[返信]

孫引きですが、湯浅光朝『宇宙の探求』(1966年の古い一般向けの本)に『天球の回転について』の序文の1部の引用がありまして、「あまり古いことではありませんがレオ10世のときのラトランの宗教会議で教会暦の改良が議論されましたが・・・」がもとですが第5ラテラン公会議のことかどうかはわかりません。Fuusenn 2010年9月24日 (金) 22:00 (UTC)[返信]
矢島祐利訳の岩波文庫版『天体の回転について』(初版1958年)を見たところ、1章の前にある教皇パウルス3世への献辞に同じ文章がありました。新字旧字以外はFuusennさんの引用された文章とまったく同じで注もついてないのであまり参考にはなりませんが。なお解説には「ラトラン(Latran)」(96ページ)とあり、これはフランス語の綴りfr:Latranと同じです。
本題。ガリレオ・ガリレイの魅力と脅威にも「教皇レオ10世は第5ラテラン公会議において暦の改訂をコペルニクスに依頼しようとしていたほどであった」とありますので、どうやら「ラトランの宗教会議」は第5ラテラン公会議のことのようです。数日待って否定的な傍証がなければリンクしようかと思いますがいかがでしょうか。―霧木諒二 2010年9月26日 (日) 08:21 (UTC)[返信]
異議はありません。第5ラテラン公会議のほうにコペルニクスの地動説のきっかけになったことを追記されますか。Fuusenn 2010年9月26日 (日) 08:37 (UTC)[返信]
どうしましょうか。というのも第5ラテラン公会議にとって改暦は重要な問題ではないかもしれないからです。実際、グレゴリオ暦への改暦の直接のきっかけになったトリエント公会議に、グレゴリオ暦についての言及はありません。もちろん、書かれるに値する重要な事実で、単にまだ書かれていないだけという可能性もありますが。
最後にちらっと「この公会議では、ユリウス暦で計算された春分と実際の春分のずれが大きくなっている問題を解決するため、改暦が検討された。このときフォッソンブローネ司教パウル(Paul of Middelburg)がニコラウス・コペルニクスに相談したことが、コペルニクスが、『天球の回転について』を著すきっかけのひとつとなった。」とか書くくらいなら大丈夫ですかね。―霧木諒二 2010年9月26日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
まあこちらの記事がもっと充実することのほうが大切でしょうがFuusenn 2010年9月26日 (日) 15:04 (UTC)[返信]