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ノート:姜尚中/過去ログ1

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テレビタレントという肩書き紹介は妥当性をかなり欠く内容ですので削除しました。--I have no name 2007年2月19日 (月) 14:20 (UTC)

218.133.218.24 氏の

「支持者の層は概して非知識人が多く、知識人間での評価は必ずしも高くない。 その理由に、著書における理想主義的なアジア主義の展開や「朝まで生テレビ」上の発言でたびたび見受けられる客観的思考の欠如が挙げられる。」

と言う書き込みは恣意性と悪意が感じられWikipediaの精神に反するものと思われるため、オリジナルの文章を可能な限り生かしながら中立的な表現に改めました(両論併記)。

--parole 2005年6月30日 (木) 04:16 (UTC)

上記の218.133.218.24 氏の意見は、極めて客観的かつ事実だと思いますが。 そもそも、学問的な緻密さに欠ける反日的な発言を繰り返すこのような人物が、日本の税金で運営されている大学の教授をしていることに、強い違和感を覚えます。ソウル大学の教授にでも転身したらいいのではないでしょうか。--210.87.78.237 2006年8月28日 (月) 16:54 (UTC)

この方がネット上で「生姜」と呼ばれていることは紛れもない事実だと思います。「生姜 在日 東大」でgoogle検索をすれば、そのことが分かります。何故そのことを記載してはいけないのでしょうか?

署名をして下さい。なぜ記載しなければならないのでしょうか?「ネット上で」ということを、特に取り立てて書く必要があるのかどうか、そのあたりをご説明下さい。ネット上だろうが、ネット外であろうが、人にあだ名をつけて呼ぶことはいくらでもあります。ネット上であれば検索して検証できるということがあると思いますが、そのニックネームをめぐって、何か特筆すべき問題が起きているのでしょうか? --PeachLover 2006年8月4日 (金) 12:18 (UTC)
Ken162さん:ご無沙汰しています。説明なしに全部をrvしないで、どこを問題にしたか教えてください。一部しか編集していなければ戻されることで、どこを問題にしたかかろうじてわかるのですが、これでは。--Iosif 2006年10月9日 (月) 19:06 (UTC)
Iosifさんへ 北朝鮮について明確な批判をしているかいないかは、立証可能です。引用してください。寡聞にしてしらないので、姜尚中が明確な批判をしてないと判断しています。Ken162 2006年10月9日 (月) 19:23 (UTC)
以下Iosif記:とてもじゃないけど北朝鮮非難をしたか否かなんぞは「全部rv」の理由にはなっていません。Ken162さんはrvによって団体名の修正も元に戻してしまうし、在日韓国学生同盟と大韓民国との関係もおさえないで、そのまま戻しているでしょう。また、「右の独裁にも左の独裁にも……」というのは在日から出た言葉ではないのに、それも間違えた情報のほうに戻しているでしょう。「おかしい」と感じた箇所だけ編集するということはできないのでしょうか。たいへん気分が悪いです。
▼この記事にとってはどうでもいいことですが、姜尚中が「自分はちゃんと北朝鮮を批判すべきはしている」等々と書いているのは無数に出てきます。それをあなたが「明確な批判」とみなすか否かは別にして(私も明確な批判とはみなさないけれども)、本人は「やっているよ」と言っている。これは、ほとんど、全部の著作、寄稿文に「うるさいよ、しつこいよ」というくらい出てきます。それどころか「自分だけ北朝鮮と距離をもっていたかのようなツラしてんじゃねー」という批判だって同世代朝鮮人知識人から出てるのをご存じでしょう。あなたが寡聞にして知らないとは、まったくもって仰天です。彼の文章を手にとったことがあるでしょうか?。ざーっと本棚を眺めてみても同氏著『在日からの手紙』(のどこか/後日見ます)、『環』2002年11月号:66-68頁、『現代思想』2002年11月臨時増刊、同氏著『在日』201-202頁、あたり。
▼しかし、こんな、おぼろげな記憶で列挙しているより、同じく記憶に頼って主張をまとめたほうが、内容的には正確です。つまり「北朝鮮の肩を持つ気はないし、拉致は許しがたい犯罪だ。それはさておき、北朝鮮揶揄・非難・血祭り・祭り日本世論の危険性のほうについて私は述べます」みたいな感じですよね。それを「批判をしていない」とken162さんや私が判断するかどうかは別問題(私は別の意味で姜尚中は北朝鮮問題から逃げまわっていると考えている)。しかし、批判自体は私の要約なんかよりももう少し具体的に詳しくやっています。
▼私が問題視しているのは、「『反システム運動』としてのナショナリズムが具体的な北朝鮮の行動に肯定的評価を与える可能性をも含んでいることも否めない」などという意味がよくわからない論評文がくっついていることです。これはKen162さんが戻した文章です。どういう意味ですか、これ。Ken162さん、解説してください。そのうえで、この引用文に賛同なさるかどうか、解説文として適切だと思うかどうか教えてください。
「北朝鮮の人権状況の悪化や核開発などにに対して明確な批判を行ったことはなく、対抗的なナショナリズムに一定の評価をあたえることも含めてその姿勢には疑問がのこる」←これもKen162さんが戻しました。どういう意味なのか解説してください。姜氏は北朝鮮全体主義を「対抗的ナショナリズム」であるとでも規定しているのですか? それとも国際社会に対して「対抗的ナショナリズム」として機能していると主張しているのですか? 彼が「対抗的ナショナリズム」を評価しているのかもしれないのは(よく知らないけどそうなのだとしたら)想像できなくもありませんが、なんでここで北朝鮮の話が挟まっているのですか。▼Ken162さん、失礼を承知で申し上げますが、今回のrvで戻した文章にこだわるというのは、そのまんま、単なる踏み絵の設定を意味するのではありませんか。「なぜ、この人物が特別に『北朝鮮への態度はどうなのか』を問題にされるべきか」がはっきり設定されていなければ、記事中でそのような問いに答える必要もありません。「北朝鮮批判をした例を出せ」とかなんとか言う以前に、そのような話題をもちだす必然がどこにあるのかを説明するのが先です。問題設定もなく「北朝鮮を批判していない」と書き加えることができるのならば、「笑福亭仁鶴」の項目に「北朝鮮を批判していない」と書き加えることができますし、「猫ひろし」の項目に「北朝鮮を批判していない」と書き加えることができます。問題設定自体が、一部の人々の人間分類法を押し付けているものででありPOVです。いろんなところで申し上げましたが、単一イシューで人間をかたっぱしから分類するのはおやめください。そうでなければ「姜尚中にだけは特別に北朝鮮に対する態度を問う必要がある」ことを説明してください。いや、これは挑発的に無理を言っているのではなく、私も「姜尚中にだけは特別に北朝鮮に対する態度を問う必要がある」可能性があるのかないのかという点は判断を保留したうえで尋ねています。--Iosif 2006年10月9日 (月) 20:18 (UTC)--修正。--Iosif 2006年10月9日 (月) 20:28 (UTC)
▼ついでに言えば、姜尚中という人はいくら発言を聞いても、本を読んでも、まったく立場がわからないので(コロコロ変わってるようにも思うし)、あまり深入りして説明したり記事を書いたりするつもりは私にはありません。個人的な好悪から言えば、肩をもつ気などサラサラない。しかし、間違いは間違い、論評は論評、必然性の見出せない問題設定はなおさらよろしくない、という立場に基づいて手を加えています。--Iosif 2006年10月9日 (月) 20:28 (UTC)
Iosifさんは、理論とその適用とを理解されてないように思います。彼の理論は、そのまま北朝鮮擁護に使えるのです。拉致のことではありません。マルクス経済学の周辺と中枢の対抗理論で、周辺に当たる部分を対抗的ナショナリズムと規定した場合の、適用事例に当たるのです。かれが議論している対抗的ナショナリズムおよび、アメリカが掲げる「自由と民主主義」の絶対的理念に対する懐疑がそのまま、北朝鮮の人権状況に対する放置を擁護することつながりうるからです。理念の実際の適用を彼の民族性から北朝鮮について聴くのは当然です。さらに姜尚中は、民族性をあきらかにして、行動しているのですから。指紋押捺に対する姿勢を書いていて、なぜ、その祖国に対する立場が鮮明でないことを書けないのか教えていただけますか?とくに、北朝鮮の人権状況は激烈なのです。その立場性が鮮明でないことは十分書くにあたいします。拉致のことではありません。繰り返しますが理論の適用事例であり、彼の祖国に対する立場性です。Ken162 2006年10月10日 (火) 01:48 (UTC)
先に繰り返しますが、この点↓
>とてもじゃないけど北朝鮮非難をしたか否かなんぞは「全部rv」の理由にはなっていません。Ken162さんはrvによって団体名の修正も元に戻してしまうし、在日韓国学生同盟と大韓民国との関係もおさえないで、そのまま戻しているでしょう。また、「右の独裁にも左の独裁にも……」というのは在日から出た言葉ではないのに、それも間違えた情報のほうに戻しているでしょう。「おかしい」と感じた箇所だけ編集するということはできないのでしょうか。
はどうなってるんでしょうか。なぜ、その他の修正も元に戻しているのですか。先にお尋ねします。--Iosif 2006年10月10日 (火) 01:39 (UTC)
Iosifさんへ。ほかの編集点については気がつきませんでした。しかし、「。「おかしい」と感じた箇所だけ編集するということはできないのでしょうか」」という言葉は、あなたに最初に求められることだと思いますよ。私は、その点について編集してないと理解されてるわけですから。それに、私は全部差し戻したことについて妥当ではないとは思ってないと、とれるのであるから、Iosifさんがその部分を直されないとどこが問題かははっきりとわかりません。私がいいたいのは姜尚中の理論が北朝鮮についてどう適用されるかを聴くのは、政治学者でかれが朝鮮民族である以上、当然すぎて説明の必要はないということです。Ken162 2006年10月10日 (火) 01:48 (UTC)

>Iosifは、理論とその適用とを理解されてないように思います。 >彼の理論は、そのまま北朝鮮擁護に使えるのです。 >かれが議論している対抗的ナショナリズムおよび、アメリカが掲げる「自由と民主主義」の絶対的理念に対する懐疑がそのまま、北朝鮮の人権状況に対する放置を擁護することつながりうるからです。

(1)「適用」についてはcitationが必要ではありませんか。あなたの判断をそのまま書いていいのでしょうか?
(2)とはいえ、上記の解説のほうがよほどわかりやすい。現行よりも上のように書き直したほうがまだマシだと思います。「~という批判がなされている」という具合にして、そういう批判を展開している人を紹介するべきだと思いますが(たぶん誰かいるのでは?)。

>指紋押捺に対する姿勢を書いていて、なぜ、その祖国に対する立場が鮮明でないことを書けないのか教えていただけますか?

指紋押捺拒否と北朝鮮とどう関係するのでしょうか。指紋押捺拒否運動をはじめた先駆者はカナダ人宣教師であり、日本国の問題ですよ。
あくまで、Ken162さんが述べた「理論の適用事例」に対する批判を引用すべきでしょう。--Iosif 2006年10月10日 (火) 02:12 (UTC)

【!】ココまで書いて投稿したら、編集競合。Ken162さんからさらにお返事がありました。追加してお返事します。

>Iosifさんへ。ほかの編集点については気がつきませんでした。
えーーーーっ。それはひどい、あんまりですよ。「他の編集点までなぜ戻すんですか?」という趣旨でノートに書いたのは3回ですよ(今回が4回目)。rvされるたびにノートに書いたんですよ。1回、2回じゃありませんよ。気づかないとはあんまりだ。ひどい!
本当の話、けっこうイライラしたんですよ。これはさすがに配慮していただきたい。
>これは、あなたに最初に求められることだと思いますよ。私は、その点について編集してないと理解されてるわけですから。
ちょっと意味がとれないのですが……北朝鮮に対する態度について加筆したのはKen162さんだという意味でしょうか? それと私がその部分を編集したこととはどう関係するのでしょうか。私は、私がおかしいと思った部分を編集していて、北朝鮮にからむ部分も「論評」に陥っているためも妥当ではないと考えたのです。
しかし、Iosif編集について「北朝鮮がらみ」を除いてはKen162さんに異論がおありであっても、どうやらそれ以外の編集点については異論があるわけではないのですよね?。だったら、その部分だけでもKen162さんが戻してもらえませんか。私は、もう疲れました。お頼みしますよ。

>私がいいたいのは姜尚中の理論が北朝鮮についてどう適用されるかを聴くのは、政治学者でかれが朝鮮民族である以上、当然すぎて説明の必要はないということです。

これは、Iosifの立場として2つはっきり言えるのですが、第1に個人の論評でやっていいことだと思いません。第2に「朝鮮民族である以上、当然すぎる」というのは「踏み絵」設定であり妥当ではありません。第2番目については異論がおありかもしれませんし我々相互のPOVかもしれません。これについては継続して考えておきます。しかし、第1点については相互の意見というよりもWikipediaの約束事の領域ではないかと思います。適切な典拠が必要でしょうし、また典拠があるだろうと思います。
しかし、どちらにしても本文の記事ではまったく意味がわかりませんでした。ここで説明しているように加筆なさったほうが現行の文章よりは良いと思います。そう修正したうえで、しばらく読者の評価を待ってみてはどうでしょうか。
私は姜尚中の言説に「理論」と呼べるものを見出せないので、「適用事例」についても口を出せません。「個人的論評に陥った表現を削除する」ということはつづけるでしょうけれども(ところで、北朝鮮がらみ以外は戻しておいてくださいね)。--Iosif 2006年10月10日 (火) 02:12 (UTC)
Iosifさんへ どうもわかっておられないようですけど、北朝鮮について冷めた目を彼が持っているということにたいする疑義があるという文脈なんですよ?彼の理論は北朝鮮擁護にそのままふつうの文脈で使えるのです。だから、本当にそうなのか疑問がのこるという事例を理論の適用の不在で書いているのです。ちゃんと文脈読んでください。あと、たとえば東西ドイツ時代の、西ドイツの政治学者が東ドイツについて彼がどういう態度をとったかをウィキペディアで書けないなど理解できない話です。Iosifさんは政治学者という職業がなんだかわかってるんでしょうか。ものすごい不思議です。Ken162
Iosifさんへ あとあなたは、「在日韓国学生同盟(韓国文化研究会)」と書くのを支持されていますが、ほぼ一体化していても手続き的には別団体ではないのでしょうか。あなたの書き込みを明確に否定する材料はありませんが。Ken162
▼他の編集点については?▼西ドイツの政治学者を例にするなら、みんながみんな東ドイツについてファナティックに論難するということはありませんでしたよね(姜尚中が「それを拒否しているのだ」とタテマエ上言っているのは知っている)。▼しかし、Ken162さんは「そういう『論難』を求めているのではなく、彼が自称している『さめた目』について疑義がある」という意味でおっしゃっているのですよね? ならば、そう書けばいいのではないんでしょうか。▼しかし、Ken162さん、以前もそうでしたが「わかっておられないようですけど」等、言葉づかいが無礼であるのは、自覚的に挑戦的に書いているとかではなく、ひょっとすると(私などが)無礼に感じているということに気づいていらっしゃらないのではないでしょうか。▼「文脈を読め」とのことですが、読めない文脈や書けていない文脈は、逆立ちしても読めません。わかるように書いてください。彼が何の「理論」を述べているのか、それを北朝鮮に適用することが必然なのかどうか、をです。▼そして、それはあなたの論評ではなくあなたの思考の産物でもなく、そのような批判や論評が世に存在しているから紹介する……というかたちで書けるのかどうかを吟味してください。匿名子である私やあなたが勝手に「彼の言っていること=Aを、全体主義国家Bという事例に適用してみたところ、このようになります」などと書いてはいけないという点は合意していますよね?。▼「気づかずrvしてしまった」編集点は、責任もって復元していただけるのでしょうか?--Iosif 2006年10月10日 (火) 02:52 (UTC)
言葉遣いについては、わかっておられないのではないかと書くのをどうかきかえればいいのかちょっとわかりません。正直なところです。その他についてですが、たとえば、マルクス経済学における中枢と周辺論などでも、理論の適用を学者自身の国についてどう行っているのかいないのかは学者について記述されるべき領域です。政治学も現実の対象を持つ学問である以上、その適用についてあるいは適用の不在について書くのは当然です。とくに、周辺体論はそのままよめば、アメリカを中枢、北朝鮮を周辺体とよめるわけです。アメリカについて批判をすることは書いていて、その一方について書けないというのは政治学者という立場をもっている以上、ありえないでしょう。これは職業的に記述される範疇に属します。彼を政治学者と書いているなら、そのことに対する言説を書けないなど、ありえないはずです。彼が、北朝鮮について冷めた目を持っていると書いているならなおさらです。わたしは、この点について、疑義があるから書き足したまでです。冷めた目を持っていると書き込むのが妥当ならその反例を書き込むのも当然妥当です。Ken162 2006年10月10日 (火) 03:15 (UTC)

>ほぼ一体化していても手続き的には別団体ではないのでしょうか。

おっしゃるとおり手続き的には別です。となるとますます、姜尚中が語る活動歴を韓国文化研究会と書くのは姜尚中流(?)としか思えない不自然な誤魔化しであって、ちょっと調べればわかりますが、彼が自著で語っている活動はあくまで「在日韓国学生同盟」として行われた活動です。大学単位である「韓国文化研究会」は手続き上・タテマエ上「文化研究会」であって、韓国民主化運動に対して行動したり立場を明らかにしたりしないはずです。--Iosif 2006年10月10日 (火) 02:52 (UTC)
この点については、Iosifさんがここでかかれたとおりのことを本文に書き込まれることをおすすめします。一般の人も疑問に持つはずです。Ken162 2006年10月10日 (火) 03:15 (UTC)

以下Iosif記→Ken162 さんへ。やっぱりおかしいと思います。今朝の朝日新聞で姜尚中が鶴見俊輔と対談しているのを読んでこの項目を思い出し「なんだ、姜尚中って結構、北朝鮮について言及しているではないか」と思いました。加藤さんに「see note」と返事なさっていたのを見て、なぜ、自分は納得したようなそぶりをしたのかわからなくなりました。このノートを見て何かを理解できると思えないからです。どー考えても変です。

Ken162 さんは……

>Iosifさんは、理論とその適用とを理解されてないように思います。彼の理論は、そのまま北朝鮮擁護に使えるのです。(Ken162 さん)

>理念の実際の適用を彼の民族性から北朝鮮について聴くのは当然です。(Ken162 さん)

……とおっしゃっていました。新聞で見かけて、このノートに書き込もうかと思ったついでに、姜尚中の「政治学者としての」数少ない仕事(御茶ノ水書房のやつ)をパラパラとめくっていたんですが、私は姜尚中にさほどユニークな「理論」など見出せません(いや、馬鹿にしているわけではなく、そういうユニークな議論が頻出するほうがおかしいのです)。Ken162さんがその「理論」とやらをどのように理解していて、それをどのように「適用」するのが、百科辞典読者さえ必然的に興味が及ぶ必然の範囲内であるとおっしゃるのか解説してもらえませんか。または、「時事評論家」姜尚中の言動に対する説明でもかまいません。しかし「在日で政治学者」だから特筆に価するというのはまったく承服しかねます。

>マルクス経済学の周辺と中枢の対抗理論で、周辺に当たる部分を対抗的ナショナリズムと規定した場合の、適用事例に当たるのです。(Ken162 さん)

申し訳ないけれども、姜尚中がどこで「周辺と中枢の対抗理論」などを唱えていたりしているんでしょうか。時事評論に際していろんな言葉を引用したりしているだけということはないですか? それから、ご紹介の「対抗理論」というのはマルクス経済学のものなんでしょうか? 姜尚中がマルクス経済学と縁があるとは思えないのですが。。。。
▼なによりも問題となるのは次の点です。Ken162 さんの主張を最初私はかなり好意的に受け取ったつもりです。「姜尚中はどうも対抗的ナショナリズムを一程度肯定するという人らしいが、一方Ken162から見ても北朝鮮ナショナリズムは対抗的ナショナリズムに思える。姜尚中は北朝鮮ナショナリズムをどう評価するのか、話す責任があるのではないか」というものかなーと想像したのです。
▼しかし、これって、全部、Ken162さんの論評ですよ。でなければ、Ken162さんの「問題関心」を表明したものにすぎません。辞典記事で解説すべきことではありません。

>私がいいたいのは姜尚中の理論が北朝鮮についてどう適用されるかを聴くのは、政治学者でかれが朝鮮民族である以上、当然すぎて説明の必要はないということです。(Ken162 さん)

▼ユダヤ人政治学者が全員パレスチナ問題に言及するでしょうか? 何かしら言及するべきだろうという立場があり得ることを尊重しますが「彼はイスラエルの占領政策について立場をはっきりさせていない」などとユダヤ人社会科学者の項目すべてに書いていたら大変です。そのうえ姜尚中は北朝鮮に言及して立場を明らかにしています。前にも述べましたが、Ken162さんは「北朝鮮の人権状況は激烈(Ken162)」であるのにもっと激しく非難するべきじゃないかと求めているようにしか思えず、第一にこういう踏み絵の設定のような真似はよろしくないと思いますが、第二になによりもそのような一執筆者が設定した基準をどうクリアしているかどうかだけで辞典の記事が構成されてよいはずがありません。こういったことを姜尚中に求めるのが当然なら猫ひろしに求めるのもハンカチ王子に求めるのも当然ということになります(もちろん、それが「当然」視されるならもう全体主義社会ですけれども)。--Iosif 2006年10月24日 (火) 19:12 (UTC)
別に言及することが義務だと言っているんではありません。ただ、政治学者で周辺と中心の理論を援用し、かつその文脈でアメリカ批判をし、民族的に朝鮮民族に属する人が、北朝鮮についてどういう批判をするのかしないのかは記述に値すると言うことです。それに本文中に書いてある北朝鮮にたいする姜尚中の立場が、そうなのかどうかを、疑問だという文脈なので、北朝鮮についてすでに本文にどなたかが書いているのです。なぜ、否定的な文脈で書くととりあげるのでしょうか?あなたの批判はおかしいと思いますよ。その評価について書いているだけです。どうもおわかりにならないようで困ってしまうのですが。それから、姜尚中の北朝鮮についてのきちんと批判があるならそれを引用してくださればいいのです。Ken162 2006年10月25日 (水) 18:16 (UTC)
まったく理解できません(実は今回は文意も読み取れません)。それでは、面倒なことを言うのは(=内容に言及するのは)やめましょう。Ken162さんが戻した版との差分を見てくださいな→[1] 赤い文字の部分イコールKen162さんが付加すべきとしている文章です。どう読んでも論評です。事典の記事ではありません。「権威ある誰か論評の紹介」ならば別ですが、そういうわけでもありません。「要出典」と言うほうが意は通じるでしょうか? ▼で、しかも、姜尚中が北朝鮮にどう言及しているかも、Ken162さんは知らないようです。現に、私がいくつか挙げたものについてはノーコメントでしょう。しかし、この話はやめましょう。それ以前に、あなたが守ろうとしている記述は「論評」でしかありません。論評でしかない記述であるかぎり、内容が適切か否かなどと議論する以前の問題です。▼それから「おわかりにならないようなので困ってしまう」などという無礼な物言いは堪えがたいものがあります。--Iosif 2006年10月25日 (水) 19:05 (UTC)
論旨をわかろうとせず、他人に無礼だというあなたこそ無礼です。仕方ないので、簡単な質問をします。この記述は、『論評』じゃないのですか?「ただし、彼が共産主義や社会主義に対する甘美な幻想を抱いているわけではない。」。 この記述は、『論評』そのものです。そして私の書いていることは、この記述の反証です。おわかりになりませんか?あなたは、一方の記述だけ、しかも反証にだけ文句をつけているのです。あなたが、NPOVでない証拠です。そのことの自覚がないなら議論は平行線をたどるだけです。私が求めているのは、この記述にたいする証拠です。つまり、明確な批判を北朝鮮に行ったかどうかです。いいかえれば、北朝鮮に対して彼に幻想がないことの証明です。Ken162 2006年10月26日 (木) 02:15 (UTC)
ならば、「論評」だと考えた箇所について、その旨を述べて、書き換えるか、削除なさればよろしいかと思います。NPOVについての理解が私と違います。POVをもたない人間はいません。NPOVは共同作業によって目指すところであるという側面もあります(あくまで一側面であり各人が放棄するという意味ではないのは当然)。▼「論評」としてみたときに的外れだと私は考えたのですが、その考えから述べたのが間違いでした。ただし、「社会主義に幻想がない」云々は、その表現では論評ですが、姜尚中の思想遍歴を語る上では大事な要素であるようです。そのうち加筆できますが、彼は20代のころ同世代としては珍しい「非・社会主義シンパ」であり、ナショナリストでありロマン主義者であり、在日二世のなかで相対的に右派だった……というか他の多くが社会主義シンパだった中で変り種だったことを竹田青嗣趙景達が証言しています。このことと彼の修士論文がカール・シュミットの大統領独裁論に関するものだったことと関係しているようにも思えます。論評表現の域を出ないかぎりは削除すべきですし、ご自由に削除なされれば良いと思います。内容的には言及の価値のないものだとは思いませんがいずれもっと詳しいどなたかが正しく書かれるでしょう。▼しかし、匿名投稿者が勝手に踏み絵を設定して「北朝鮮への批判が足りない」とするのは匿名投稿者の論評であり、事典に記載し得るものではありません。北朝鮮に対する言及も数多くあります。「明確な批判を行ったかどうか」などという文言によって、「何が明確な批判か」を勝手に設定することのも匿名投稿者には越権です。争点の所在をおかしなところへと誘導しようとなさるべきではありません。--Iosif 2006年11月10日 (金) 23:22 (UTC)
該当部分を削除しました。姜尚中だけでなく、誰に対してもそうですが北朝鮮問題はシビアな人権問題でもあります。その点について、もしロマンチシズムを持っているような人間を「ただし、彼が共産主義や社会主義に対する甘美な幻想を抱いているわけではない。」などと書くのはこれ以上の欺瞞はありません。この点について疑義がある以上、書き込みは放置できませんし、何よりだぶるスタンダードです。Ken162 2006年11月12日 (日) 06:36 (UTC)

批判[編集]

本文中の「批判」に意見のある方は、下記「コメント依頼」にお願いします。議論が分散されるのを防ぐためです。

まずこの記述を見てください。複数回、記述と削除の編集がありますが、出典が明記されており、Wikipedia:存命人物の伝記にも反しないと考えますがいかがでしょうか?ギル 2007年7月26日 (木) 08:16 (UTC)

「姜尚中は金正日のサポーター」というのはただのレッテリング(悪口)で批判ではないと思いますが。姜尚中と金正日が直接に関係を持っていることを示さなければ、名誉毀損になるおそれがあります。--Sommme 2007年8月3日 (金) 00:52 (UTC)
Sommmeさんのご意見に賛成です。また、敢えて批判だけ別項で括り、特定個人の意見のみを掲載するのは事典の説明としては適切とは言えないでしょう。もしこの文章をどうしても掲載したいというのなら、最低でも両論併記を心掛けるべきであり、でなければ一方的な意見の言いっぱなしに過ぎないと思います。また繰り返しrvされている方の投稿履歴を見ると、特定の見解を持たれていることが色濃く伺われますので、尚更のことこの文章を現行のまま残すことには賛同できません。--parole 2007年8月3日 (金) 17:15 (UTC)

私はギルさんの主張に全面賛成です。現に川人博という「人権派」弁護士さんがいて、その人が「金正日と日本の知識人」という本を出して「姜尚中は金正日のサポーターか?」という章まで設けて姜尚中教授の言論を厳しく批判すると言う厳然たる事実があるわけです。それを事実は事実として記載することの、どこが名誉毀損となるのでしょう。別に私は川人さんの主張が正しいと書いているわけではありません。ただ姜尚中教授を360度から見たときに当然皆さんが知って置くべき「事実」、それも同氏を知る上でなくてはならない事実を記載すべきだと信じているからこそ、消されては復活させ、消されては復活させを繰り返しているわけです。私を「思想的に偏っている」などと一方的に断罪する人もいるようですが、そういう人こそ「思想的に偏っている」と私には思えます。Wikipediaには思想的に偏っている記載で溢れています。記載の多くが「一方的」であって「両論併記」となっているわけではありません。それに本件については、私が書き込んだ「批判」があって、はじめて姜尚中教授に関する公平で一方に偏しない「両論併記」な記述になると思いますが如何でしょうか?--かぬひもと 2007年8月15日 (水) 17:01 (UTC)

Wikipedia:検証可能性に「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」とあります。川人博がこう書いているという事実が検証可能で、金正日とのつながりなどを検証する義務は真実の検証を求めるものであり不要です。両論併記は必要ですが、現在において片方の意見であるから削除は同意できません。「批判」に対して「賛意」を記述することで両論併記が行われ中立性が保たれます。ギル 2007年8月18日 (土) 01:39 (UTC)

川人博の文章に信頼性があるかどうかの問題ですね。中立性の観点から見ても現状の記述は政治的意図からの演説みたいなので問題です。--X-jap 2007年8月19日 (日) 15:56 (UTC)
上に書いたばかりですが、「川人博がこう書いているという事実」を記述しているのみであり、その川人博が書いている内容が事実であるかどうか、信頼性があるかどうかを求めることは真実性を求めることであり誤りです。検証可能性を満たしています。ルール以上の根拠を求めることにはルールの根拠が存在せず主観以外の何物でもなく削除理由になりません。Wikipedia:中立的な観点「偏った意見を削除して良いか」も参照。ギル 2007年8月20日 (月) 00:10 (UTC)
参考までに紹介すると秦郁彦記事では、実際に書物に書かれてあるとおり加筆してもNPOVになるといっている人がいます。同じ生存人物の記事なのに全然こことは別次元のルールのようです。ここでの結論如何では、向こうでもここが参照例としても持ち出されるかもしれませんね。たまたま連続して見た読者より。--218.221.0.146 2007年8月20日 (月) 01:55 (UTC)
検証可能物があるとはいえ、川人氏一人の批判のみが詳細に書かれているのは奇異に感じました。記述スタイル自体は中立的でも、記事の分量(バランス)としては中立性に欠けるのではないかと思います。Wikipedia:存命人物の伝記#批判者、敵対者、中傷者の意見にある「項目本人の著名性につりあう重要なもの」にも該当しないのでは。--218.142.163.11 2007年8月20日 (月) 02:15 (UTC)(直前のIP氏とは別人です)

ギルさん以外の意見は、私にはすべて政治的に偏った意見を持つ人たちよる「弾圧」「封じ込め」にしか見えませんね。納得する説明が提示されない限り、私は弾圧には屈しません。--かぬひもと 2007年8月20日 (月) 04:30 (UTC)

信頼性についてはWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源に「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。学術的な主題については、なるべくピアレビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです。また、主張する内容に応じて適切な情報源を選ぶべきです(珍奇な主張には強固な情報源が必要です)。」と書いてあります。ウィキペディアには「出版されている本に書いてある内容ならなんでも記述してよい」などという編集方針はありません。「姜尚中は金正日のサポーター」は信頼性以前に、単なる決めつけであり悪口の類なので「批判」ではなく、名誉毀損に当たる恐れがあるので載せるべきものではありません。これ以上強行するなら、差し戻したユーザーのブロック依頼とこの項目の保護依頼を提出します。--マルコヴィッチ 2007年8月20日 (月) 08:38 (UTC)

公刊された出版物に記載されているのですから「悪口や決め付けだから」というのは除去の理由にはならないでしょう。情報元がはっきりしているのですから名誉毀損にもなりません(川人氏が訴えられることはあってもWikipediaが訴えられることは無いでしょう)。またある意見が「ただの悪口か、それとも正当な批判か」を我々が判断するべきではないです。私はあくまでバランスの問題だと思います。外部の評価として川人氏の批判のみが詳細に取り上げられているのは記事として不自然ということです。
かぬひもと氏は意見の対立するユーザーに悪意を想定するのはやめてください。Wikipedia:ウィキケットに留意してください。--218.142.163.11 2007年8月20日 (月) 10:40 (UTC)

なるほど、そう来るのですか。了解しました。ほかであなたの論理を使わせてもらいますわ。--かぬひもと 2007年8月20日 (月) 12:20 (UTC)

この批判の記述は批判があるという事実を載せるものであって、その批判が正しいという根拠があり載せるものではない。そもそもWikipediaは批判の真実性を示すサイトではない。検証可能性には事実確認が必要で真実追求するものではないとある。川人という人間が本当にこう書いているという事実を確認するために、書名などが記載されたことで検証可能性は満たされている。これを無視して著作の記載内容そのものとWikipediaに記載することを混同し編集してはいけない。中立性に関しては加筆することでバランスをとるべきであり、内容が正しいのにもかかわらず減らすことでバランスを取る消極的な中立性の確保は認められていない。川人の批判が大きく記載されたならば他者による賛辞や批判を大きく記載することが中立性の確保であります。ギル 2007年8月23日 (木) 03:11 (UTC)

>中立性に関しては加筆することでバランスをとるべきであり、内容が正しいのにもかかわらず減らすことでバランスを取る消極的な中立性の確保は認められていない。
それは誤りです。あなた自身が挙げているWikipedia:存命人物の伝記にこうあります。
他の記事分野ではできの悪い記事でも、他の記事ではよくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。Wikipedia:存命人物の伝記#どのように書くべきか
したがって現時点で中立性が保たれていない「批判」の項目は除去されるべきです。
また議論で結論が出ていないのに編集を先行するギルさんの態度にやや問題を感じます。以上の点の再考を求めます。--218.142.163.11 2007年8月23日 (木) 04:49 (UTC)

Wikipedia:中立的な観点の「偏った意見を削除して良いか」を読んでください。これ以外に中立的な観点には減らしてよい、削除してよいなどというルールは存在しません。218.142.163.11さんのWikipedia:存命人物の伝記からの引用部分は「出来の悪い記事」を対象にするもので中立性の問題を対象にしていません。独断で根拠を示さずに「出来の悪い記事」と決め付けているか、中立性の問題と混同しているかのどちらかです。また、Wikipedia:存命人物の伝記には、「存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソースしかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。」、「3出典無き批判は除去」とあります。出典がある=検証可能性を満たしており、批判であっても削除対象にはなりません。中立性を求めるにもかかわらず一向に「批判」に対する賛辞などの記述がありません。出来ないから削除で中立性を保つことは、ここに限らず意味ある記述を、加筆する努力をしない=「批判が中立的に問題のある記述である」説得力を維持する=削除対象である。という詭弁です。中立性を求めているのにもかかわらず中立性を保つ努力を怠っています。今回の記述が批判ではなく賛辞であっても同じです。この記述の削除は、ルール上の根拠が無いためにWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことの「意味のある記述を削除してしまうこと」、「独断で変革を試みること」に該当します。こちらも意味ある記述の強行をしたくありません。意味ある記述の削除は止めてください。ギル 2007年8月24日 (金) 00:46 (UTC)

>218.142.163.11さんのWikipedia:存命人物の伝記からの引用部分は「出来の悪い記事」を対象にするもので中立性の問題を対象にしていません。
そんな馬鹿な。私の引用部分のすぐ上に「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです」とあるではないですか。中立性が問題になっているのは明らかです。ここでいう「記事の出来のわるさ」と「中立性」が別問題とするギル氏の論法こそ根拠がありません。--218.142.163.11 2007年8月24日 (金) 01:19 (UTC)

Wikipedia:中立的な観点内にこの記述を問題とする根拠が無く、中立性を問う根拠にならない。また、上に書いたあなたが反論しているもの以外のものが記載できる削除対象ではないとする根拠である。自分の意見に都合の良いルールの一部のみを切り抜いて意見しないでいただきたい。ちなみに「保守的」とは現状維持の意味であり、「百科事典的に書くべきです」と、書くべきであるともあります。ギル 2007年8月24日 (金) 01:26 (UTC)

Wikipedia:中立的な観点にないからといってなぜWikipedia:存命人物の伝記に明記されていることが無視してよいことになるのだろうか?「自分の意見に都合の良いルールの一部のみを切り抜いて」などの決め付けで済ませないでほしい。--218.142.163.11 2007年8月24日 (金) 01:34 (UTC)

何を中立性とするか=Wikipedia:中立的な観点であるからです。「これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とあります。他のガイドラインであるWikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:中立的な観点を矮小化、または拡大解釈できない。あなたは(自己解釈による)中立性のみを追及し、「保守的」、「百科事典的に書くべきです」、「存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソースしかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。」、「3出典無き批判は除去」を無視し、自分の都合の良い一部を切り抜いて用いています。ルールの歪曲でありWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことの「独断で変革を試みること」に該当します。ギル 2007年8月24日 (金) 01:49 (UTC)

コメント依頼[編集]

議論の解決が見えなくなってきたのでコメント依頼を行いました。以下に議論の要約を行います。

議論の要約)問題となっているのはこの記述を載せるべきかどうかです。これについていくつかの論議があったのですが、現在の論点は以下のものです。

  • (私218.142.163.11の意見)記述に出典はあるものの、外部の評価として川人氏ひとりの評価(批判)のみが詳細に書かれていることはバランスに欠いており、中立性を損なっている。Wikipedia:存命人物の伝記#どのように書くべきかの観点から記述を除去(少なくとも最低限の記述に縮小)すべきである。
  • ギル氏の意見)Wikipedia:中立的な観点#偏った意見を削除して良いかには偏った記述という理由で削除を行うべきではないとある。何を中立性とするか=Wikipedia:中立的な観点であるが、ここにはこの記述を削除する理由に該当するものがない。中立的な観点には「これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とあるように、Wikipedia:存命人物の伝記という他のガイドラインが優先されることはない。Wikipedia:存命人物の伝記の「どのように書くべきか」には中立性のほかに「保守的」とありこれは現状維持の意味であり、「百科事典的に書くべきです」と、書くべきであるともあります。また、「存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソースしかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。」、「3出典無き批判は除去」とあるが、書名が書かれており検証可能性を満たしている。批判がおおきく取り上げられていることで中立性を欠いているなら評価や賛辞を加筆することでバランスをとるべきであり、批判を除去するべきではない。

これらの論点についてコメントをお願いします。--218.142.163.11 2007年8月24日 (金) 01:51 (UTC)

上にあるノート:姜尚中#批判を必ずお読みください。ギル 2007年8月24日 (金) 01:56 (UTC)

ギル氏の意見の部分はご自身で加筆修正していただいてかまいません。--218.142.163.11 2007年8月24日 (金) 02:00 (UTC)
加筆。ギル 2007年8月24日 (金) 02:13 (UTC)

ギルさんの意見に全面的に同意します。218.142.163.11が行なおうとしていることは、自分が気に入らない記述は「中立性を書いている」とレッテルを貼り、自分が気に入らないことを書いて出版する人物については「信頼性の点で問題がある」と難癖をつけ、要するに自分にとって都合の悪い言論はすべてWikipediaから消去して存在しないものにしようという思想統制言論統制に過ぎません。ギルさんが指摘している通り、現に自由法曹団の一員として活動されている社会的に信用度の高い川人という弁護士が諸君!週刊朝日誌上で公開した言論、しかも本節の主人公・姜尚中を知る上でなくてはならない最近の公開討論を消し去ろうと言うのは、贔屓の引き倒しであって、およそ公正中立とはかけ離れた態度であるといわざるをえません。--かぬひもと 2007年8月24日 (金) 11:09 (UTC)

私もギル氏の意見に同意します。wikipediaでの中立性とは『第三者意見を元に記事を書け』というもので『両論併記しろ』だとか『賛否をバランス良く書け』というものではありません。またwikipediaでの信頼性とは『どれだけ査読されたか』や『説明責任の所在が明確か』等が機軸であり、該当の出典に一定の信頼性があると考えられますし、wikipediaでは、事実かどうかを認定することは基本的に出来ません。非中立的だと主張するのであれば、『批判を否定する出典を出すべき』です。 その上で本件は存命人物ですので『事実でないとするより強い出典がある』のであれば、そちらを採択し除去あるいは強い出典でなかったとしても『批判を否定する内容を軸に記述』する方法が取れます。別件ですが指摘された版の括弧書きにある『北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍』というのは、正しくその文面が出典に書かれているのか疑問があり、括弧書きとして版投稿者の見解を述べているのではないかという懸念があります。そこは除去すべきでしょう。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年8月27日 (月) 04:09 (UTC) - (一部追記) 秋月 智絵沙(Chiether) 2007年8月27日 (月) 04:14 (UTC)

ここでいいのかな、

  • 川人さんの著書の紹介は妥当だと思います。おたがい公的な活動をしているもの同士の議論なのですから、書かれるのがよろしいかと思います。どちらの主張に理があるのかという問題ではありません。
  • 下の保護依頼ですが、取り下げたほうがいいです。川人さんの議論がこれからどのように発展していくのかが不明確ですので、保護はかけないほうがいいでしょう。いっそのこと、「現在進行」のテンプレでも貼っておけばいいのではないでしょうか。

いかがでしょう。 --ねこぱんだ 2007年8月27日 (月) 09:34 (UTC)

コメント依頼を行った者です。秋月さん、ねこぱんださん、コメントありがとうございます。私は下のparole氏と同じく当項目の人物にさほど興味を持っておらず(というか政治の分野に興味が無い)、たまたま閲覧していて「批判」の項目に疑問をもったことからノートの議論に首をつっこんだのですが、「都合の悪い記述を消そうとしている」だの「努力を怠っている」「詭弁を弄している」だのと一方的に極めつけられ辟易しておりました。第3者からの客観的な意見を得ることが出来てうれしく思います。
現在の当項目に問題があるという考えは変わっていませんが、出典を記述の軸とする方針上記述を消すべきでないことはある程度納得いたしました。一応補足させていただきますが、お二方のいわれている「川人氏の批判に理があるかどうか」は私はもともと問題にしておりません。政治(学)のような立場がはっきり分かれる分野で論敵の主張ばかり一方的に載っているというのは事典のあり方としてどうなのか、という点を疑問に思った次第です。しかし政治と他の分野を分けるような根拠も今のところないですし、さしあたりは現状維持で仕方ないのかもしれません。
もっとも、上の議論にあるように私以外にも複数の方が問題の記述に疑問を抱いています。今後もそういう方が現れるのではないでしょうか。私の希望としましては、将来的に川人博氏の単独項目が作られ、「姜尚中への批判」のような節を作ってそちらに問題の記述を移し、当項目にはそこへのリンクのみを残す、というような形にすれば、双方ともに納得いく形になるのではないかな、と思います。いかがでしょうか。

なお秋月氏指摘の部分については除去ということで異論はありませんでしょうか。現在この項目には半保護がかけられており、私は編集することが出来ませんので、どなたか変わりに除去していただけると助かります。--218.142.163.11 2007年8月29日 (水) 03:36 (UTC)

(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)を削除すれば合意形成がなされるということでしょうか?しかし、このカッコ内はカンサンジュンの言動を要約したものなのですが。--かぬひもと 2007年8月29日 (水) 22:41 (UTC)

その「要約」を行なったのは誰ですか?川人氏が行なった要約なら出典を明記すれば記載することが出来ると思いますが、そうでないなら(秋月氏の言うように)記述した方の個人的な見解ですので除去すべきです。--218.142.163.11 2007年8月30日 (木) 14:24 (UTC)

218.142.163.11さんは川人さんの著作を読んだのだのでしょうか。もし読めば、「北朝鮮べったり、反日反小泉反安倍」に偏向した姜尚中死氏の姿勢のこそが問題であるという同氏の主張を見事なまでに要約したものであると素直に読めると思うのですが。まず批判をする前に、川人氏の著作を読むべきです。読後、再度コメント願いします。--かぬひもと 2007年8月30日 (木) 22:30 (UTC)

あなたには川人氏の著作を読むことを私に強制する権利も、読んでないからといって議論を拒否する権利もありません。そもそも「読まなければわからない」というような問題ではないでしょう。要約といいますか、「北朝鮮べったり」「反日」などの語が川人氏の著作に(この人物への批判として)そのまま出てくるのかどうかです。「正しく要約されている」かどうかは専門家でもなんでもないあなた(や私)が請け負うことはできません。--218.142.163.11 2007年8月31日 (金) 00:11 (UTC)

あなたのコメントは、ただの独りよがりな思い込みの羅列に過ぎません。やはり川人氏の著作を読まずして、私の「公平無私」な要約を批判する資格はないと思いますね。別に「強制」するつもりはありません。ただ「読まなければ説得力は無い」と申しているだけです。--かぬひもと 2007年8月31日 (金) 13:06 (UTC)

「(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)」などという扇情的かつ感情的な言葉遣いを「公平無私」などと自画自賛することこそ「独りよがりな思い込みの羅列」であり、そんな主張(アジテート)に全く「説得力は無い」と思いますが。218.142.163.11さんは姜尚中氏の言動が「(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)」であるとすることの是非を問題にしているわけではなく、この言葉がかぬひもと氏の創作であるか否かを問うているに過ぎません。その問いかけに対して何ら答えを出していないと言うことは、「(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)」がかぬひもと氏の創作であることを証明しています。もし創作ではないと主張するなら、「(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)」と言う「要約」の元となった原著の該当箇所を提示するべきであり、川人氏の著作を読めと繰り返すばかりでは全くお話しになりません。--parole 2007年8月31日 (金) 18:09 (UTC)

平行線ですね。私のスタンスは、ちゃんと物事をわきまえていれば、ご指摘の箇所が総作だ、などという言葉がでてこず、「ああ、なかなか要領よくまとめていますねえ」と思うのが普通と考えているんですが、まあ、ご要望もあるので川人氏の著作より該当箇所を抜き出してみましょう。場合によっては、あなたにとって「更に刺激的(私にとっては客観的で冷静)」な記述を抜き出すことになるやもしれませんが、それは貴方の要望に基づくものですから。あしからず。--かぬひもと 2007年9月1日 (土) 02:57 (UTC)

お話中の所、すみません。コメント依頼から来ました。「北朝鮮支持者との批判を受けることもある」くらいの記述にして、出典に川人氏の著作を挙げるのが良いかと思います。『諸君!』は読んでいますし、『金正日と日本の知識人』もざっと斜めに読んでいますが、あまり中立的に姜氏を批判した文章ではありませんでしたので、川人氏の批判の妥当性が示されていない現状では、詳細まで記述するべきではないと考えます。それはそれとして、現在何カ所か引用されていますが、そのうち「姜尚中的平和とは何か。……」の部分以外について引用元が示されていません。明らかな政治闘争という件は『金正日と日本の知識人』で見た覚えがあるのですが。また『金正日と日本の知識人』からの引用とされる「姜尚中的平和とは何か。……」の部分についても、出版年、頁数などについて示されていません。そのため、引用が認められる条件を満たさず、著作権侵害となる可能性があります。可及的速やかに削除依頼に提出し、該当部分を削除あるいは疑念を排除、しかるのちに改めて記述について話し合うべきかと思います。--コータ 2007年9月1日 (土) 11:31 (UTC)

出典の明記があり、著作を読むことで記述内容が確かであるか自分で確かめられるものを読まずに記述を希望する側に求めることは論外です。検証可能性は、その名のとおり検証(記述内容が確かであるかどうかなど)ができるかどうかを指します。検証可能性を満たしているこの記述に問題があるというのであれば、著作から問題部分を指定することで記述内容に誤りがあるという反証をしてください。 著作権に関してはWikipedia:引用のガイドライン/草案を見る限り問題ありません。 「内容が批判ではない」に関してはうえの議論「批判」にあるとおり主観的で無根拠です。また、検証可能性から「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を示したとおり、この記述が検証可能であるにもかかわらず批判ではない、行き過ぎである、は真実追求であり不要です。(規約に根拠のない)これこれの理由で載せるべきである、これこれの理由で載せるべきでないという個人的見解もやめましょう。また、誰々はこんな理由で記述したがっている、消したがっているというものは、Wikipedia:個人攻撃はしないに反すると思います。 川人博の項目ができたとしてそこに作ることはできますが、姜尚中にあってはならないということにはなりません。ギル 2007年9月1日 (土) 16:45 (UTC)

川人氏は本当に「要約部分」にあるような言葉を用いて批判しているのか、ということを記述者に確認しているだけです。べつにおかしなこととは思えませんが。「引用部分は本当に該当の著作にあるのか」みたいなことなら論外でしょうけどね。なお項目間で記述が重複するのは望ましくないとされています。川人氏の項目が作られた場合、そちらに「批判」を移してこちらには最低限の記述とそこへのリンク、という形を希望します。
引用元は記されているので削除依頼までは行なわなくてもいいんじゃないかと思います。--218.142.163.11 2007年9月2日 (日) 01:50 (UTC)

記事の内容についてはあまり関わるつもりはないので、純粋に引用を行う際の技術的な問題について。通常、引用を行う場合は、引用部分をカギ括弧でくくって、その直後に著者名、書名・論文名、出版社、出版年、引用したページを明記する必要があります(Wikipedia:引用のガイドライン/草案の「引用の方法」やWikipedia:出典を明記するをご確認下さい)。これは個々の引用部分それぞれについて必要です。現在、引用と思われるカギ括弧で囲まれた部分は「姜尚中は金正日のサポーター」、「知識人の評論の域を超えた明らかな政治闘争(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)」、「この人物(姜尚中)を徹底して批判することが極めて重要と判断した」、および「姜尚中的平和とは何か。それは金(正日)独裁体制を温存し、朝鮮民衆と日本国民の人権を侵害し、耐え難い苦難を強いる秩序である。姜尚中とは何者か。彼は、金正日独裁体制のサポーターであり、独裁者の、独裁者による、独裁者のための国家を温存するための詭弁家である」の四ヶ所ですが、最後以外は出典が示されていませんし、最後の部分もページまでは示されていません。また引用の際には原則、改変を行ってはいけません。必要上どうしても括弧書きで補足しなければならない場合は、その旨を明記しなければなりません。もしかしたら後から追加しても許されるかもしれませんが、断言できません。これから加筆を重ねた後に問題視される可能性を考えると、現状で削除依頼を行い、問題が無ければそれでよし、もし削除となっても改めて適正に出典を明記して再度引用部分を加筆するのが最善かと思います。--コータ 2007年9月3日 (月) 16:04 (UTC)
追伸です。「記事の内容についてはあまり関わるつもりはない」とは書きましたが、『金正日と日本の知識人』を読んでいる方があまりいない様なので、一応補足しておきます。『金正日と日本の知識人』は現在、引用されているような内容の本です。『諸君!』に川人氏が姜氏批判を発表、姜氏が『週刊朝日』で反論、それに対する再反論となるのが、『金正日と日本の知識人』だったと思います。公正を期すなら、『週刊朝日』での姜氏の反論とこれからあるかもしれない『金正日と日本の知識人』への反論も盛り込むべきかと思いますが、あまり関わるつもりはないので、適当にやって下さい。--コータ 2007年9月3日 (月) 16:22 (UTC)
連続で申し訳ありません。『金正日と日本の知識人』を読み直し、出典の示されていない引用部分(「姜尚中は金正日のサポーター」、「知識人の評論の域を超えた明らかな政治闘争(北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍)」、「この人物(姜尚中)を徹底して批判することが極めて重要と判断した」)が記載されている事を確認しました。それぞれ、p.16、p.6、p.6です。ただし、括弧書きの「北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍」と「姜尚中」は原文に記述はありませんでした。なお、本書には「北朝鮮べったり」と方向性を同じくする表現(「サポーター」、「御用学者」など)はありましたが、「反日・反小泉・反安倍」については姜氏に対して類似した表現を行っている部分は確認できませんでした。また引用部分と原文では意味は同じものの細部の表現が変わっている部分もありました。これらの事から、出典を提示しない引用、および改変による同一性侵害の可能性は否定できず、削除依頼による審議は避けられないものと考えます。
なお、もし本当に引用が必要不可欠・最低限であるならば、削除後改めて正規の出典を表記した上でなら同様の引用を行うことを妨げる理由はないと考えます。
参考までに引用例として、極力原文を残した形で挙げておきます。
弁護士川人博(自由法曹団所属の弁護士)は「姜尚中は金正日のサポーター」(川人博『金正日と日本の知識人』講談社現代新書、2007年、p.16)であり、彼の言動は「知識人の評論の域を超えており、明らかな政治闘争の一環」(前掲書、p.6)であり「この人物を徹底して批判することが極めて重要になっていると判断するに至った」として『諸君!』ならびに『週刊朝日』誌上で姜尚中と論争を展開した。『金正日と日本の知識人』の中で川人は「姜尚中的平和とは何か。それは金独裁体制を温存し、朝鮮民衆と日本国民の人権を侵害し、耐え難い苦難を強いる秩序である。姜尚中とは何者か。彼は、金正日独裁体制のサポーターであり、『独裁者の、独裁者による、独裁者のための』国家を温存するための詭弁家である」(前掲書、p.16)と書いている。
……このような形でならば、引用の際の手続きとしては問題ないかと思います。本当に引用が必要不可欠、最低限か(同内容で別の文章を書き起こすのでは駄目なのか)についてはまた別の問題ですが、特に追求はしません。問題だと思う人が現れたらその人と協議して下さい。--コータ 2007年9月4日 (火) 11:04 (UTC)

とりあえず、上に引用として堪えられる記述案が提示されましたので、当分のあいだ、この記述でいきませんか。しばらく待って、異論が出なければ編集いたします。 --ねこぱんだ 2007年9月5日 (水) 03:02 (UTC)

Wikipedia:検証可能性#但し書きでは、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかをあげています。信頼できる情報源であれば、それをそっくりそのまま何でも書いていい、ということではありません。単に川人博氏の主張のみを一方的に垂れ流すことは、明らかな宣伝行為です。「サポーター」とするからには、誰が見てもそれが「サポーター」だと理解できる姜尚中氏の具体的な発言や行動を提示する必要があります。--みまつまみ 2007年9月5日 (水) 03:25 (UTC)
例えば、同様に端的な語句をもって人物批評をする論者としては、日垣隆佐高信などがいますが、それらの論者が用いた言葉をそのまま書き込むのは不適切だと思います。例をあげれば、宮台眞司松平永芳について言及する度に「田吾作宮司」と評していますが、それをそのままウィキペディアの松平永芳の記事に書くことがいいのかどうか、ということです。「金正日のサポーター」という語句で言えば、雑誌の論文・記事の題名にもなっているので、出典を紹介するだけならこれは必要不可欠です。しかし、コータさんが引用例として出されたものではその範囲を超えており、またWikipedia:中立的な観点から外れたものにもなっています。--みまつまみ 2007年9月5日 (水) 05:41 (UTC)
同意です。出典があればなんでも書いていいなんてことがまかり通ればwikipediaはめちゃくちゃになってしまいます。
同じく同意です。コータ さんの提言や、これに基づいてみまつまみさんが書かれたような本文こそが、単なるアジテートはなく「個人的見解」でもない、もちろん「独りよがりな思い込みの羅列」などでもない、まさに「公平無私」な辞典的な記述だと思います。
また、みまつまみさんの「信頼できる情報源であれば、それをそっくりそのまま何でも書いていい、ということではありません」との主張にも強く賛同します。他の項目でも似たようなことを経験したのですが、この手のことをやり出せば「検証可能性」をたてに、「書いているという事実が検証可能」ならば、その主張なり事実関係なりを「検証する義務は真実の検証を求めるものであり不要です」との論理により、まさに「なんでもあり」の事態になってしまうはずです。何が(どちらが)正しいかを論じること、断じることも事典(wikipedia)においてはふさわしいこととは思いませんが、少なくともいたずらな編集合戦や過剰な反応を呼び起こさせないために、仮にそれが原典にあったとしても扇情的な言葉遣いや極論は差し控えるなどの配慮が必要なのだと思います。--parole 2007年9月5日 (水) 14:01 (UTC)
みまつまみさん、Paroleさんの仰ることもごもっともです。確かに『金正日と日本の知識人』は論争の一方の当事者による書物であり、必ずしも中立的な立場から書かれたものではありません。実際に姜氏とともに批判対象とされている朝穂氏から、その曲解を指摘されてもいます([2]のバックナンバー、2007年7月16日([3])を参照して下さい)。また実際に読んでみて、ドイツ留学時の姜氏と北朝鮮工作員の関係を臭わせる記述(pp.33-34)や、姜氏の指摘する核の暴発と拡散の危険性に対して、暴発の可能性のみに言及し、拡散に対しては意図的に論を避けている部分(pp.54-55)など、中立性について疑念を覚える要素も少なからず存在します。更にそもそも引用が必要かといった問題や、引用するにしても適切な箇所を引用しているのかといった問題もあります。しかし、それらは内容に関する問題であり、時間を掛けて修正していけば良い事です。対して不適切な引用による著作権侵害は法に関わる問題であり、内容を巡る論争とは切り分け、最優先で解決しなければならない問題であります。
つまり何が言いたいかと言うと、まずは法的に問題のある部分を削除するので、あとは別途相談して下さい、ということです。
……内容に関わるつもりはないとは書きましたが、このままだとあまりに無責任と言われそうなので、一応、引用を使わずにマイルドに要約した文面を作っておきます。
北朝鮮崩壊の際に起こりうる混乱状況や核兵器の暴発・拡散の危険性を指摘し、国際社会からの孤立を煽るべきではないとする姜に対し、北朝鮮の独裁体制維持を許すことになり、拉致被害者や北朝鮮国内での人権侵害を見過ごしている、との批判がある。
引用を使わず、中立的フィルターを掛けて要約するとこんな感じになるかと思います。実際の文面は削除依頼以降に考えて頂ければ幸いです。--コータ 2007年9月6日 (木) 15:04 (UTC)
議論をみずに編集してしまいました。私としては、コータさん上記の案は論争の要約としてはちょっと簡便すぎると思います。ある程度、両者の実際の文章を入れた方がいいでしょう。そうしないとその状況が伝わらないと思います。一方で、論争は両者がおこなっているのですから川人さんのだけでなく、姜さんのも引用されたらいいのではないかと思います。水平線80 2007年9月8日 (土) 02:38 (UTC)
削除依頼を提出しました。審議終了後は、姜氏と川人氏、それぞれ原文を読んだ上で両者の主張を突き合わせていって頂くのが最善かと思います。--コータ 2007年9月9日 (日) 15:59 (UTC)
該当図書を持っていないので削除依頼にはタッチしませんが。 ちょっと気になったのは、『Wikipediaでの中立性とは、客観性ではない』という事を意識してください(Wikipedia:中立的な観点#客観的な視点など存在しない)。ですので恣意的な内容であろうと、どのような内容であろうと『そういう意見がある』というのであれば記述できますし、『それが誤りであるとする意見がある』という出典があれば、相手を除去するのでななく(除去すればwikiepediaが採択する立場になってしまいます)ぶつける形で記述できます。(未署名の方が『出典があれば何でも書いていいのか』とありますが、書いていいのです。ただし『重複する意見は、出来る限り除去』してください。1つの意見に対して最適な出典を載せればいいだけの話で数の暴力のように羅列する事だけはおやめください)
ぶつける形の例えば、AmbivalenZ -二律背反-であれば客観的にみればメーカー側の主張が妥当ですが、事実認定せずにお互いの出典(メーカー側の主張は明示されていませんが、私自信もそう認識しているのであえて除去していません)を元に記述しています。もっと良いのは、日本海呼称問題のように『お互いの意見を表にして対比する』といった様々なアプローチがあり参考になります。ぜひ冷静になって、全ての主張を賛否せずに、ありのまま記述し(まずここから)。そして全て反映させてください(必要であれば例えば査読に問題がある等の指摘があればコメント依頼等で第三者の意見を求めてください)。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年9月9日 (日) 19:46 (UTC)
追伸。今回のように引用や出典に問題や衝突が発生しているのは事実です。この件について今後の出典明記は『発行者:執筆者:誌名等』の他に『ページ番号』まで記述するよう御願いします。同様の衝突を繰り返さないために。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年9月9日 (日) 19:46 (UTC)

嫌韓流を見て下さい。ここには「嫌韓流」に関する一方的な「誹謗中傷」の類の「批判」しか出ていません。あんまりなので私が「批判」に関する項目を、「姜尚中」のpalore理論に基いて全文削除したところ、すぐ復活されてしまう始末です。やはりWikipediaには「北朝鮮べったり」の人間が組織的に書き込んでいるという「仮説」を立てざるを得ませんね。--かぬひもと 2007年9月10日 (月) 22:07 (UTC)

結局、議論に負けて「川人博さんの批判」そのものを抹殺できないとわかると、今度は「姜尚中」項目そのものの存在を抹殺ですか。そこまでして、この人を守りたいのか?不思議な情熱ですね。プラス面もマイナス面も両論併記でいいではないですか。当初の「批判」の記述に戻すのが一番穏当な結論だと信じますが如何ですか?--かぬひもと 2007年9月14日 (金) 23:33 (UTC)

どなたとの議論に勝ったとお考えなのかは存じませんが、削除依頼は姜氏への批判に対してでもなければ、この項目自体に対してでもありません。引用の要件を理解しない方がなされた不適切な引用に対して、です。引用が行われるよりも前の版には、編集対応にて解決すべき問題はあったとしても、少なくとも削除しなければならないような問題は、法律上もWikipediaのガイドライン上も、ありませんでした。法に抵触する引用がなされたために、引用が存在する期間の履歴は、引用者以外の方が行った編集も含めて、削除されなければなりません。今回は比較的早く発覚しましたが、もし一年後、二年後まで発覚しなかった場合、その間になされた編集は全て水の泡となってしまいかねません。悪いのは不適切な引用を行った編集者、ただ一人なのにもかかわらずです。引用をなされた方におかれましては、二度と同様の間違いを繰り返し、他の参加者の方々に迷惑を掛けぬよう反省するとともに、Wikipedia:著作権Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意Wikipedia:引用のガイドライン/草案Wikipedia:出典を明記するなどを熟読し、適正な執筆方法を理解して下さい。--コータ 2007年9月15日 (土) 13:06 (UTC)

そういう理屈は、あなたが嫌韓流の記述を正しく訂正依頼をかけない限り、説得力を持ちません。あなたの理屈に同意していない人も大勢いるわけで、まあ、独りよがりな解釈を述べているに過ぎないとみなされるだけです。あなたの主張は明らかに一方に偏しています。私の川人さんの著作はwikipedia内ではごくごく「平均的な要約」だと思いますけどねえ。如何ですか。--かぬひもと 2007年9月16日 (日) 02:47 (UTC)

繰り返しますが、姜氏への批判を紹介したことを問題視している訳でもなければ、姜氏への批判として川人氏の著作の内容を使用していることを問題視しているわけでもありません。川人氏の著作から引用する際に、原文に無い「北朝鮮べったり、反日・反小泉・反安倍」という記述を追加し、そのことについて何の説明もつけなかった事が最大の問題なのです。どうしてもこの補足を付けたいのならば、引用後に地の文で、「括弧内引用者補足」のように原文には存在しない記述であることを明記して下さい。かぬひもとさんが「平均的な要約」と呼ぶ文章は、要約と呼ぶには原文をそのまま使い過ぎてますし、引用と呼ぶには原文を改変し過ぎています。要約するのなら、原文は使わずに最初から自分の文章で書いて下さい。引用するのなら、原文は変えてはいけません。引用として問題の無い書き方は既に一例[4]を提示しています。また「平均的な要約」と仰るのならば「反日・反小泉・反安倍」という記述が『金正日と日本の知識人』の何処の部分を要約したのかを明示して下さい。この本は手元にありますので、ページ数を仰って頂ければ内容を確認できます。--コータ 2007年9月16日 (日) 03:36 (UTC)

ほうほう。大分、あなたの「主張」が分かり易くなってきましたなあ。そうですか。「北朝鮮べったり」がいけないのですか。それならそれで削除するのはやぶさかではないですよ。もっとも他の「左巻き言論弾圧主義者」の連中?が既に削除してしまっていますが。それにしても、丸ごと本項目を「削除」しようという発想はどういうことでしょうか。私が引用した「川人博」の存在そのもの、指摘そのものが、よっぽど「痛かった」ということでしょうかねえ。

特定版削除なので「姜尚中」の項目自体が無くなるわけではありませんよ。転載が行われる以前の版に戻るだけです。通常の編集による記述の除去との違いは、特定版削除では削除された期間の履歴自体が見えなくなる点です。削除後は通常通りに編集できます。--コータ 2007年11月4日 (日) 09:03 (UTC)

姜尚中の項目から「批判」「川人氏の著作の記述」を削除することには絶対に同意できません。「北朝鮮べったり」という簡にして要を得た要約がお気に召さないのなら、そこだけ削除することには同意します。--かぬひもと 2007年11月8日 (木) 15:33 (UTC)

コメント依頼から飛んできました。上から議論のひとつひとつを読ませていただき、感想として第一に思いましたのは、相手を汚く罵るような態度をとる利用者には、(どんなに正しい意見を主張していたとしても)編集・対話する資格がないということです。残念なのは、「要約」について検証可能性が示されておらず、現時点では対話の程度がノートにおける荒らしにしか達していないところです。かぬひもと氏には、投げかけられた質問に誠実に応答されるよう求めます。--MKT (Talk) 2007年12月11日 (火) 19:44 (UTC)

コメント依頼から。現状[5]で批判・反論の議論の流れが良くまとめられていると思います。本項での議論者双方の提示を踏まえた記述であり議論は終了していますので、コメント依頼は削除してよいでしょう。それぞれの主張についての要約を行う場合は、資料にある語句をできるだけそのまま使って「~によれば○○」と記述することで「視点」に伴う論争を避けてください。--Jjok 2007年12月23日 (日) 02:32 (UTC)

保護依頼提出[編集]

本文中の「批判」に意見のある方は、上記「コメント依頼」にお願いします。議論が分散されるのを防ぐためです。

wikipediaは好き勝手に(批判に値しない)悪口を書く場所ではないですよ。何度言ってもわからないユーザーさんがおられるので保護依頼を提出しました。--X-jap 2007年8月24日 (金) 17:11 (UTC)

コメント依頼の結論を待つことはできませんか?「中立性」のテンプレートを貼っておくとか。結論の無いまま保護をかけられても誰も納得しませんし、双方が感情的になるだけだと思うのですが。--218.142.163.11 2007年8月24日 (金) 19:29 (UTC)

川人さんが政治的に中立的じゃないのではなくて姜尚中が政治的にかなり偏った活動を行なっているので、彼を公正に論じようとすれば、当然「批判」は必要と考えるものです。--かぬひもと 2007年8月24日 (金) 23:24 (UTC)

  • 「姜尚中が政治的にかなり偏った活動を行なっている」という発言は。かぬひもと 氏の個人的な見解(意見)に過ぎず、「彼を公正に論じようとすれば、当然「批判」は必要と考えるものです」との言も、こうした姿勢から発せられたものに相違ありません。つまり、川人氏の著作云々というのはいわば後出しジャンケン的に繰り出された言い訳に過ぎず、かぬひもと 氏の意図が当然「批判」は必要と言う個人的な見解を披露すること以外の何ものでもないと思います。語るに落ちるとはまさにこう言ったことを言うのでしょう。
  • こうした経緯と背景を持つ文言に対して、wikipediaの編集方針云々を軸に議論することは、個人的な(あるいは一定の姿勢を元にした)意見の披露の場を与えることになってしまうのではないでしょうか?
  • 私個人は姜尚中氏に取り立て関心があるわけでも、また氏の言動に確たる賛同を感じる者ではありませんが、氏に対して(強烈に)批判的な方がいることぐらいは知っていますし、そのこと自体をも書くなとまでは言うつもりはありません。しかし、金日成云々だとか、反何やらとか、仮に川人氏の原著でそれ相当のことが語られていたとしても、いたずらに議論の的になるような扇情的な言葉を持ち込むことは事典においては全く必要性を感じません。--parole 2007年8月27日 (月) 18:47 (UTC)

「かぬひもと氏の個人的見解に過ぎず」というご意見こそ、Paroleさんの「個人的見解」とお見受けしました。川人さんと言う方の言論を1人でも多くの方に見ていただくことが公正な「姜尚中理解」に通じる近道と思います。--かぬひもと 2007年8月28日 (火) 11:40 (UTC)

編集合戦の当事者であるX-jap氏が1ヶ月のブロックとなりましたのでこの場での議論は不要です。Wikipedia:保護依頼のほうにも報告しておきました。--218.142.163.11 2007年8月29日 (水) 03:36 (UTC)

姜さんの本を読んで、この人なんか好き、って思って、京都から東京大学まで行って実際生身の姜さんに会って来ました。 私は「いい顔」をしている人だと思いました。 本や、テレビ、インターネットとかじゃ、その人の事を本当に理解する事は難しいと思います。 私は姜さんのこと「この人は信用できるかも」と思いました。嫌いでも好きでも、興味があるなら実際会いに行ったら良いと思います。講義とかもありますし・・・。東京大学は国立だし、誰でも勉強したいなら学内に入れますし、警備員さんも親切でした。 頭も良いし、感覚も良い・・・。私は実際目にしたものしか信じません。私の第六感ですが・・・。どうでしょうか? 西山 あいみ

Longlongsummer(まったけ)さんへ。

姜尚中は「在日同胞たちが過去に日本に連れて来られた」と発言している。それでは、姜尚中本人は、本当に強制連行された者の子孫なのか? これは大事な論点だ。姜尚中の両親が仕事を求めて自らの意思で日本に来たことは、姜尚中が自伝『在日』で公開している。オバマ大統領も自分の出自を明らかにしている。姜尚中についても、同様の記載が必要だ。--Island16 2009年1月27日 (火) 02:51 (UTC)


姜尚中の両親の来日の経緯について[編集]

姜尚中氏のご両親が日本へ渡った経緯について、先日投稿したところ、Longlongsummer(まったけ)さんが削除してしまいました。そこで、ノートのページで議論したいと思います。

姜尚中の両親は強制連行されて日本に来たのではありません。仕事を求めて、自らの意思で日本に渡ったのです。姜尚中は強制連行された者の子孫ではありません。このことは、姜尚中本人が自伝『在日』(講談社、2004年)で明らかにしています。該当箇所を引用しましょう。

【父、母はこうして在日一世になった】  父が日本に来たのは、満州事変の年だった。若干十五歳のときである。 着の身着のまま、単身、日本にやってきたのだ。慶尚南道昌原郡南山里という、韓国南部の典型的な貧しい小作人の長男に生まれた父は、貧しさに押されるように宗主国にたどり着いたのである。まさしく流民のような境遇であった。『在日』(27頁)。

 韓国の釜山近くの鎮海から母が許嫁の父を訪ねてくるのが、太平洋戦争勃発の年である。日本の破局を決定づけることになる大戦勃発の年に母は父の住所を唯一の手掛かりに単身、関釜連絡船で下関に上陸し、そこから各地を転々としながら、東京の巣鴨三丁目にある父の社宅に身を寄せ、新婚生活を始めることになったのだ。わずか十八歳の娘であった。『在日』(29頁)。

姜尚中は「在日同胞たちが過去に日本に連れて来られた」と発言していますが、実は、姜尚中の両親は強制連行されて日本に来たのではありません。仕事を求めて、自らの意思で日本に渡ったのです。姜尚中は強制連行された者の子孫ではありません。これは秘密の情報ではなく、すでに姜尚中本人が自伝『在日』(講談社、2004年)で明らかにしています。

未だに多くの日本人は、姜尚中が強制連行された者の子孫だと思い込んでいて、姜尚中は日本人の誤った思い込みを放っておいています。史実は正確に。皆さんのご意見もお聞きしたいです。

※Longlongsummerさんへ 「まったけ」は、無期限の投稿ブロックを受けているけど、Longlongsummerは、まったけと同一人物でしょ? Longlongsummer(まったけ)の返事も待っていますよ。

--Island16 2009年1月28日 (水) 13:27 (UTC)

インテリジェンスの欠片もない破廉恥なことがよくも書けたものですね。呆れてしまいます。ここは、姜尚中の項目であって両親のことを書く義務がないのは明白でしょう。一方、『在日』に関しては、姜尚中の自伝だから姜尚中自身が判断して書いたまでのことで、Wikipediaに書く必要があるのか理解に苦しみます。在日韓国・朝鮮人の有名人が書いた全ての自伝を網羅されて編集されているのでしょうか?強制連行などの話は当該項目や在日韓国・朝鮮人のところで編集に参加されてはいかがですか?--Happyhk1997 2009年1月28日 (水) 14:26 (UTC)


Happyhk1997さん、こんばんは。

>ここは、姜尚中の項目であって両親のことを書く義務がないのは明白でしょう。

通常であれば、顕著な活動をしていない両親のことは書く必要がないですね。しかし姜尚中は「在日同胞たちが過去に日本に連れて来られた」と発言している。姜尚中が強制連行された者の子孫であるかどうかについて判定するには、姜尚中の両親が日本に来た経緯を明らかにする必要がありますよ。さらに姜尚中は、自分の両親が日本に来た経緯を自伝『在日』で公開しており、機密情報ではない。だから、僕は姜尚中の両親のことを本文のページに投稿した。

>一方、『在日』に関しては、姜尚中の自伝だから姜尚中自身が判断して書いたまでのことで

『在日』に記述されている両親の来日の経緯は、姜尚中自身が判断して書いたものであるから、その記述はとても信用できる。さらに、Wikiでは出典の明記が求められており、『在日』は資料的価値が高い。今後、投稿の削除は厳に慎んで下さいね。

ところで、Happyhk1997さん。あなたはアカウントをいくつ持っているのですか? 「まったけ」「Longlongsummer」「Happyhk1997」はすべて同一人物でしょ?

--Island16 2009年1月28日 (水) 16:30 (UTC)


花蝶風月雪月花警部さん、こんにちは。

姜尚中氏が強制連行された者の子孫ではないことは、来歴の重要事項ですよ。姜尚中本人の来歴を明示するために、両親が日本に来た経緯を記したわけで、両親の項目を新たに設ける必要性は見当たりませんね。

--Island16 2009年4月1日 (水) 10:41 (UTC)


Cicaさん、こんばんは。

姜尚中氏が強制連行された者の子孫ではないことは、姜尚中ご本人が『在日』ですでに公表しています。 本人が公表した事実・内容は、多くの人々に共有されるべきですね。

--Island16 2009年5月7日 (木) 15:28 (UTC)


Changjongさん、こんばんは。

>当人も強制連行で日本に来たとは言っていない

姜尚中は「在日同胞たちが過去に日本に連れて来られた」と発言している。未だに多くの日本人は、姜尚中が強制連行された者の子孫だと思い込んでいて、姜尚中は日本人の誤った思い込みを放っておいています。姜尚中の両親は強制連行されて日本に来たのではありません。仕事を求めて、自らの意思で日本に渡ったのです。姜尚中は強制連行された者の子孫ではありません。これは秘密の情報ではなく、すでに姜尚中本人が自伝『在日』(講談社、2004年)で明らかにしています。史実は正確に。

--Island16 2010年6月19日 (土) 11:20 (UTC)

そんなことは前段の文章を見れば一目でわかります。逆に「強制連行」云々を強調することで、逆に「強制連行」が一般的であり、姜尚中の父母だけ例外と誤解される恐れがあります。Island16さんの編集は逆効果であり、よって削除しました。そもそも文章の流れとしておかしいです。--SLIMHANNYA 2010年11月10日 (水) 19:32 (UTC)


SLIMHANNYAさん、こんばんは。

>逆に「強制連行」云々を強調することで、逆に「強制連行」が一般的であり、姜尚中の父母だけ例外と誤解される恐れがあります。

>むしろ「一般的な在日は強制連行で来たけど、姜の両親は違うよ」と暗に主張してると誤解される可能性が高いです。

そんな誤解をする人はいませんよ。むしろ、姜尚中は強制連行された者の子孫ではないことを、SLIMHANNYAさんは隠そうとしている。一般的な在日の人々については、在日韓国・朝鮮人を参照すればよい。ここは姜尚中のページなのだから、その来歴を記せば十分。史実は詳細に。

--Island16 2010年12月23日 (木) 12:00 (UTC)

姜流[編集]

半保護中で追加できませんのでこちらに書いておきます。朝日新聞出版から「姜流」というムック(ISBN 978-4022744128)が出版されています。どなたか他の編集のついでにでも、しかるべき場所に記入していただければと思います。--122.29.83.144 2009年8月1日 (土) 17:16 (UTC)

親族について[編集]

「親族について」という項目で姜尚中の叔父にあたる人物のことが書いてありますが、これは本人とどういう関係があるのですか? 一応姜尚中の自著が脚注に挙がっていますが、本人が公開している情報だからといって、全て掲載する必要はありません。 特に異論が出なければ削除いたします。--221.21.174.212 2009年11月3日 (火) 14:27 (UTC)さんしろ