ノート:安祥城

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尾張の織田氏(織田信秀)居城時代には、三河支配の牙城となった。という文について[編集]

尾張の織田氏(織田信秀)居城時代とありますが、居城とは通常領主が日常住んでいる城を指します。この頃の織田信秀の居城は、古渡城(1548年まで)と末森城(1548年から)です。また領主の戦略上、最も重要な城と言う意味もありますが、織田氏は北伊勢にも敵がいるわけですし、美濃の斎藤道三とは1546に同盟したとは言え、いつ裏切るか分からない相手なので安祥城が戦略上もっとも重要だったかは疑問が残ります。また三河支配の牙城とありますが、安祥城は織田氏の三河支配の中心と言うより三河進出の足がかり的な色合いが強いと思います。(たとえそうであってもたったの9年間です。)なのでこれらの語句を書き換えたいと思うのですが、220.217.201.55さんよろしいでしょうか?曹洞2007年4月9日(月)03:10分(UTC)