ノート:小西信八

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「東京盲唖学校」節の分割提案[編集]

東京盲唖学校は官立教育機関であって小西信八の私的事業ではないので、人物伝の一節で概説を行うことには無理があります。同校および前身の訓盲院、訓盲唖院に関しては『日本近代教育史事典』(1971年)、『図説盲教育史事典』(1985年)などの教育事典に記述があるほか、『東京盲学校六十年史』(1935年)、『創立六十年史』(東京聾唖学校、1935年)、『わが国特殊教育の成立』(1967年)、『大正の東京盲学校』(1986年)などの文献があり、Wikipedia:特筆性を満たしています。このため、節を分割して独立記事東京盲唖学校とすることを提案いたします。なお、ほとんど同じ文面の節が町田則文奥村三策富岡兵吉にもありますが、削除してよいと思います。本記事の節と記述が若干異なるので、町田則文#東京盲唖学校東京盲唖学校に転記した上で、それぞれの節を削除することも提案いたします。--庚寅五月 2011年10月23日 (日) 15:06 (UTC) ※2011年10月24日 (月) 20:29 (UTC)一部変更[返信]

分割のご提案の趣意に関してはまったく賛同します。ただ、私としては、東京盲亜学校の後身校である筑波大学附属視覚特別支援学校の記事へ分割転記・修正することを提案いたします。現在、同記事の内容は旧制・新制時代とに分けて説明するほど充実してはいないので、旧制学校時代の記事を別個に立てるより、ひとつにまとめて記述することがまず必要ではないかと考えます。--Ihimutefu 2011年10月26日 (水) 13:43 (UTC)撤回。--Ihimutefu 2011年11月3日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
東京盲唖学校の後身には筑波大学附属視覚特別支援学校(1909年に成立した東京盲学校が前身)だけでなく筑波大学附属聴覚特別支援学校(1910年に成立した東京聾唖学校が前身)もあります。「盲唖分離」以前については東京盲唖学校として一つの記事にまとめておいた方がよいのではないでしょうか(なお、筑波附属両校の記事の「沿革」節には既に「東京盲唖学校」節とほぼ同様の記述があります)。--庚寅五月 2011年10月26日 (水) 15:26 (UTC)[返信]
賛成 いけません、聴覚特別支援学校の存在をつい忘れておりました。分離以前については確かに東京盲唖学校に記すほうが適切であると思われますので、改めてご提案に賛成します。--Ihimutefu 2011年11月3日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。当初の説明が不十分で申し訳ありませんでした。念のためもう1週間ほど合意形成期間を取ります。--庚寅五月 2011年11月3日 (木) 22:03 (UTC)[返信]
報告 分割・一部転記などを実行しました。--庚寅五月 2011年11月10日 (木) 16:08 (UTC)[返信]