ノート:岩波文庫

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「存在感、独自性」に関する記述について[編集]

現代では、他の出版社が数多くの文庫本を出版し、文庫の総出版点数が激増するのと反比例して文庫の総売上が減少し、漫画文庫も当たり前となった。それに伴い、存在感、独自性が強いとは言えなくなった。
何が言いたいのかよくわかりませんね~。--以上の署名のないコメントは、Chuta会話投稿記録)さんが 2004-08-29 03:56:23 (UTC) に投稿したものです。

岩波文庫の地位の低下(?)について、少し書き加えました。
本当は、(1)誤訳といわないまでも、理解に苦しむような生硬な翻訳が、哲学畑を中心に存在すること(典型的にはカント)、(2)マルクス主義文献の翻訳が必ずしも最新の研究成果を反映しているとはいえない状態がつづいたこと(典型的には、真下真一訳『ドイツ・イデオロギー』)、科学的社会主義と対立するとみなされる文献の翻訳は、共産主義に反対するもののみならず、ソヴィエト批判を含むもの(例・トロツキー)でも長い間アイテムとして含まれていなかったこと、(3)文学では、品切書目の定期的復刊という公式の方針とは別に、どうしても欧米中心となりがちであったこと……などが入るべきでしょう。MFu --以上の署名のないコメントは、59.129.65.242会話/Whois)さんが 2005-08-27 12:28:17 (UTC) に投稿したものです。

改編報告_2007年2月[編集]

岩波書店ホームページ「岩波文庫編集だより」などからの情報により改編しました。[1]

今後、活字を順次大きく組み替えていき、また改訳などによって既刊を整備していくそうですから、「消極的」とはいえないと思います。また書目も20世紀の古典に広げていくそうですから、文中にあった原則というものも変わったのではないかと思います。--DOERAX 2007年2月10日 (土) 13:26 (UTC)[返信]

「『紫禁城の黄昏』の未収録部分について」節[編集]

紫禁城の一件だけ、特別に項目立てする必要があるでしょうか? --pata 2008年7月10日 (木) 08:54 (UTC)pata[返信]

異論がなければ、「『紫禁城の黄昏』の未収録部分について」の節を削除します。「紫禁城の黄昏」にこの記述があり、とくに「岩波文庫」に特記するものでもないと考えています。--DOERAX 2008年8月6日 (水) 13:44 (UTC)[返信]

報告 半年近く放置状態でしたので、コメントアウトしました。 --ねこぱんだ 2009年2月14日 (土) 00:00 (UTC)[返信]

報告 さらに半年近く放置状態ですので、除去しました。 --ねこぱんだ 2009年8月11日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
異論があるため戻します。--110.134.197.9 2010年2月10日 (水) 13:05 (UTC)[返信]

ISBNコード使い回し問題の記述について[編集]

ISBNでは番号重複の可能性が一切記載されておらず、一方でこちらの岩波文庫には、詳しい実例までが記述されています。 NCIDの紹介などの部分はISBNへ移動し、岩波文庫では「岩波文庫は注釈者や翻訳者が異なる場合でも、同じISBNを使用することがある」という内容にとどめた方が良いのではと思いました。 理由として、ISBNの重複問題は岩波文庫に限らないということが挙げられます。

以前ISBNのページだけを見ていて、NCIDが書籍の同定に有用だという情報に数年間行き着かなかったので、ちょっと勿体ないなと思いまして。 みなさんはいかがお考えでしょうか。 --119.104.21.161 2016年1月15日 (金) 07:55 (UTC)[返信]