ノート:平勢隆郎

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客観性に欠けてませんか?--KZY 2004年8月14日 (土) 02:58 (UTC)[返信]

砺波護・尾形勇・原宗子・工藤元男・小寺敦・高津純也、各氏が平勢説に賛成したという具体的な文献名を挙げてもらえないでしょうか。特に宋代史が専門の砺波氏が平勢説に賛同するとは思えないのですが?らりた 2008年4月27日 (日) 09:56 (UTC)[返信]

出典が出されないようなのでとりあえずコメントアウトしました。ただ砺波氏は魏晋南北朝が専門でしたね・・・、失礼しました。らりた 2008年5月26日 (月) 13:56 (UTC)[返信]

大野氏のレビューは『東方』発行元である東方書店のサイトにて閲覧可能ですが[1]、平勢説に賛成とは言えないでしょう。平勢説への賛否の中心は平勢氏が再構成した年代観にあるのであって、その部分については「著者は『逸周書』を『竹書紀年』と同時に出土した信頼できる史料として扱っているが、今本『逸周書』が本当に汲冢から出土したものかどうかについてなお議論があることに触れていないのはいかがなものであろうか。」と疑問を呈しています。--Nkymysnr 2008年8月28日 (木) 12:31 (UTC)[返信]

挙げられている『中華文明の誕生』を読んでみました。この本は第一部(先史から春秋戦国まで)を平瀬氏が、第二部(秦の勃興期から三国まで)を尾形氏が書かれています。そして第二部の最初の方に「なお、以下に示す諸侯の在位年代は、平勢隆郎『新編 史記東周年表』の新説に従い、これにともなって歴史的事件の年代が通説とズレを生じる場合には、「平勢年表」を旧説と併記する。」(P.211)とありました。おそらくこれを平勢説への賛意と受け止められたのでしょう。ただこれを賛意としてしまって良いのか。単に共著者に対して配慮しただけなのではないかという疑念があります。まあ、それはそれとしても一定の言及があってもいいでしょう。
しかし礪波氏に関しては『中華文明の誕生』『中国の歴史2』、礪波氏はこの両書に文章を書いていません。あくまで編集者ですので。本に付いて来る小冊子で、という可能性もありますが『中華文明の誕生』の小冊子には礪波氏は書いていません。『中国の歴史2』の方の小冊子は私は紛失してしまったので解りません。具体的な場所を示してください。
そもそも普通の学者さんなら賛意を示す場合は論文や研究書でするのが当たり前で概説書で新説に対する賛意を示したりはしません。--らりた 2008年9月8日 (月) 12:17 (UTC)[返信]
このシリーズにおける「編集」は「監修」とほぼ同義で、具体的執筆内容には踏み込みません。執筆者の選定やシリーズ全体の構想には関わっているでしょうが、個別の記述について賛否を表明する性格のポジションではありません。よって、(よほど事前にすりあわせをしていたという証拠でもない限り)礪波氏が平勢氏の説に賛成であるという証拠にはなりません。--Nkymysnr 2008年9月15日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
砺波氏が賛意を示したとは言いがたいと思われるので、これから一週間まって具体的な部分が示されない場合には「平勢説に賛成する研究者」から砺波氏を除きたいと思います。--らりた 2008年9月16日 (火) 11:35 (UTC)[返信]
礪波氏・大野氏を除きました。--らりた 2008年9月26日 (金) 09:00 (UTC)[返信]