ノート:支倉常長

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慶長遣欧使節との記事内容の調整[編集]

最近慶長遣欧使節の項目も出来ましたので、使節派遣の背景や詳しい旅程、コリア・デル・リオのハポン姓の人々、等使節全体にかかわる記事はあちらのほうに移して、こちらには支倉の生涯・人となりに直接かかわる内容に記事を絞っていってはどうでしょうか。参考文献は両者共通するものが多いので、こちらのものをほぼそのままあちらの方にも加筆しました。--Bearbook 2008年4月9日 (水) 13:11 (UTC)[返信]

軍事同盟説[編集]

伊達政宗がスペイン国王に軍事同盟締結の要請を行った、ということについて異議のある方は、NHK『その時歴史が動いた』でテレビ放送された、「慶長遣欧使節」の回の番組をご覧ください。ガッツ--125.28.139.133 2008年12月3日 (水) 05:41 (UTC)[返信]

  • 信用できないとしてリバートした者です。すみません。その番組見ていません。しかし、記述の根拠が「テレビ番組でそう言っていたから」というのは、あまりにも杜撰ではないでしょうか。たとえば、125.28.139.133さんの専門の分野について、テレビでニュースを流していたときや、教養番組で取り上げられていたときのことを思い出してください。時間制限のあるテレビという媒体で必要なこととはいえ、かなりの程度「省略」「誇張」「演出」があるということにお気づきでしょう。NHKの教養番組だとて、それは例外ではありません。歴史の事項について議論をするならば、「○○年に書かれた××という史料のどこそこに、こういう記述があった」というレベルでないと、意味がないのです。要するに、テレビ番組は根拠としては「ほぼゼロ」なのです。何か他の史料があれば別ですが、もし、根拠が、それだけでしたら、すみませんがやはりリバートしたく思います。--Adan 2008年12月3日 (水) 09:00 (UTC)[返信]
  • そちら様のご意見、ごもっともです。ただし、「NHK『その時歴史が動いた』」には、学者や歴史作家などが登場して解説・意見を述べ、番組の最後には「参考文献」も表示されるのですが、それでもダメでしょうか?私としましては、この「支倉常長」に関しては、「今の状態」以上の編集はしないつもりでいるのですが?--125.28.139.133 2008年12月4日 (木) 07:52 (UTC)ガッツ[返信]

「伊達政宗の真意はスペインと同盟を結んで倒幕を行うことにあったのかについて」

大泉光一『支倉常長 慶長遣欧使節の悲劇』中央公論新社、1999年・・・使節の目的を倒幕と記述。

田中英道『支倉六右衛門と西欧使節』丸善、1994年・・・言及せず。

太田尚樹『ヨーロッパに消えたサムライたち』角川書店、1999年・・・スペインとの交流による、幕府へのけん制の可能性を言及。

五野井隆史『支倉常長』吉川弘文館、2003年・・・言及せず。

田中英道『支倉常長 武士、ヨーロッパを行進す』ミネルヴァ書房、2007年・・・言及せず。

小林清治『伊達政宗』吉川弘文館、1985年・・・否定的。

どうも、軍事同盟、倒幕説は定説とは言いがたい状況のようです。 使節が徳川幕府公認であったこと、少なくとも表向きの公式理由は交易であったことは疑いのないようですので、主文には交易目的と書き、註で軍事同盟、倒幕説について書くのはどうでしょうか。--ポコポコ 2008年12月4日 (木) 09:24 (UTC)[返信]

  • 確かに、軍事同盟説・倒幕説は、「定説」とまではなっていないようです。おっしゃるとおり、この「支倉常長」につきましては、「註」で軍事同盟・倒幕説について書く、ということで結構です。--125.28.139.133 2008年12月4日 (木) 11:10 (UTC)ガッツ[返信]

125.28.139.133さんへ[編集]

1622年以降生存説についてはノート:慶長遣欧使節で述べたことと同じです。先ず出典を探してください。--ポコポコ 2008年12月12日 (金) 09:10 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

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