ノート:最長片道切符の旅

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「最長片道切符」は看板に偽りありでは?[編集]

第15日。鶴見線を乗ってきて鶴見駅から京浜東北線で品川駅に行き、山手線外回りに乗っています。その後、代々木・錦糸町・東京を経て、品川駅を通っています。つまり、同一駅に戻ってきてしまっているので、「片道切符」の距離算出はここで打ち切りのはずです。そこからまた片道切符を買ったのだとしても、「最長片道切符の旅」の看板には偽りありでは?

さらにいうと、錦糸町-東京の経路からすると、新川崎経由の横須賀線ルートと思われます。だとすると、横須賀線と東海道線が合流する駅は規則上、鶴見駅です(ホーム設備がなく、乗降は不可能だが)。よって、鶴見駅でも同一駅を通過していることになります。

いきなり本文に書くのもどうかと思ったので、ノートで問題提起したく。特に異議がなければ、本文に記載します。--Circodelsol 2009年12月25日 (金) 03:43 (UTC)[返信]

当時は東海道新幹線の品川駅はありませんでした。東京-小田原間で新幹線を利用すれば、品川も鶴見も通らずに済んだのです。原著を読み直してはいませんが、当時は可能なルートであったことを記しておきます。--Shadow ump 2009年12月25日 (金) 03:59 (UTC)[返信]
ありがとうございました。当時は新幹線品川駅がなかった点がポイントですね。とすると、「現在は新幹線品川駅があるので、ここで片道切符の積算は打ち切り。このルートでは片道切符にならない。鶴見から品川に来た際、新幹線で小田原方面に乗り換えるのが次善の策。」ぐらいの注記が必要だと思うので、記載しておきます。
それと、品川駅がないとなぜOKなのかの説明が必要だと思うので、補記したく。
・在来線と新幹線は基本的に同一線扱い。
・但し、新幹線側に在来線にない駅がある場合、別線扱いすることが可能。
例 福島→(新幹線)→仙台→(在来線)→東福島 は、白石蔵王駅があるため、片道乗車券で購入可能。将来、何らかの事情で白石蔵王駅が廃止されたら、購入不可。
上記の事例では、新横浜駅があるので、片道乗車券でOKというわけですね。
第6日の五稜郭-函館間については、宮脇氏自身が注記していることと思います。函館駅で①途中下車していない②往復分料金を別途支払って途中下車した のどちらかでしょう。
署名を忘れたので追記します。--Circodelsol 2009年12月25日 (金) 05:17 (UTC)[返信]
函館については、1、2のいずれでもありません。当時津軽海峡線は未開通です。ことほど左様に現在とは路線の異なる部分が多数あり、当時可能でも現在では不可能という点は1つ2つではありません。冒頭に「当時の鉄道運行状況や沿線状況を記した貴重な記録」という記載がありますから、現在との相違点を列挙する必要はないでしょう(すでに本文に追記をなさったようですが)。また、片道切符のルールに関する内容は宮脇俊三氏の著作に関する本記事ではなく、最長片道切符または普通乗車券に記載すべき内容かと存じます。--Shadow ump 2009年12月25日 (金) 06:05 (UTC)[返信]

片道乗車券に現在では組み込めない箇所[編集]

津軽海峡線についても調べればわかったことですね。ありがとうございます。「現在との相違点を列挙する必要はないでしょう」とのことですが、調べたので、ノートに記載しておきたく。さすがに本文に書くのは憚られるので。ただし、品川駅の件は廃線や第3セクター化と違ってわかりにくいので、本文に説明が必要かと。

第1日 

広尾→帯広 広尾線 1987年廃止

第2日

北見→池田 池北線 1989年第3セクター化(2006年に第3セクターとしても廃止)

第3日

厚床→標茶 標津線 1989年廃止
網走→中湧別 湧網線 1987年廃止
中湧別→名寄 名寄本線 1989年廃止

第4日

音威子府→南稚内 天北線 1989年廃止

第5日

幌延→留萌 羽幌線 1987年廃止

第6日

(小樽→倶知安 函館本線 2031年第3セクター化(北海道新幹線で代替可能))
倶知安→伊達紋別 胆振線 1986年廃止
(長万部→函館 函館本線 2031年第3セクター化(北海道新幹線で代替可能))
函館→青森 青函連絡船 1988年廃止(津軽海峡線で代替可能。2016年以降は新函館北斗→木古内のルートとする必要あり)
青森→八戸 東北本線 2010年第3セクター化 新青森から東北新幹線で代替可能
八戸→好摩 東北本線 2002年第3セクター化(東北新幹線を使っても、いわて沼宮内までしか行けない)

第15日

品川 2003年の東海道新幹線品川駅開業により、代々木・錦糸町を通るループが不可能に。

第16日

掛川→新所原 二俣線 1987年第3セクター化

第17日

小諸→軽井沢 信越本線 1997年第3セクター化(小海線佐久平から長野新幹線に乗り換えることで代替可能)
軽井沢→横川 信越本線 1997年廃止(長野(北陸)新幹線で軽井沢→高崎間が代替可能)

(第19日

豊野→直江津 信越本線 2015年第3セクター化(飯山線・飯山駅から北陸新幹線で代替可能)
直江津→糸魚川 北陸本線 2015年第3セクター化(同上))

第23日

西舞鶴→豊岡 宮津線 1990年第3セクター化

第27日

宇野→高松 宇高連絡船 1990年完全廃止(茶屋町から瀬戸大橋線・予讃線で代替可能)
窪川→若井 中村線 1998年第3セクター化

第28日

堀江→仁方 仁堀航路 1982年廃止(なので、そもそも四国には入れなくなった)

第30日

宇美→吉塚 勝田線 1985年廃止
1988年に香椎線と篠栗線の交差地点に長者原駅ができたので、そこで飯塚方面に乗り換える次善の策が可能になった。
飯塚→豊前川崎 上山田線 1988年廃止
直方→伊田(田川伊田) 伊田線 1989年第3セクター化
伊田(田川伊田)→行橋 田川線 1989年第3セクター化
香春→添田 添田線 1985年廃止

第31日

博多→姪浜 筑肥線 1983年廃止
伊万里→佐世保 松浦線 1988年第3セクター化

第32日

佐賀→瀬高 佐賀線 1987年廃止

第33日

志布志→国分 大隈線 1987年廃止

第34日

八代→川内 鹿児島本線 2004年第3セクター化(新八代へ1駅北上することで、九州新幹線で代替可能)
川内→薩摩大口 宮之城線 1987年廃止
薩摩大口→栗野 山野線 1988年廃止

--Circodelsol 2009年12月26日 (土) 16:27 (UTC) --Circodelsol 2011年10月12日 (水) 06:08 (UTC) --Circodelsol 2012年1月24日 (火) 08:02 (UTC) --Circodelsol会話2015年9月17日 (木) 00:20 (UTC)[返信]