ノート:杉浦ひとみ

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エピソードの記述[編集]

エピソードの内容がエピソードになっていない気がするのですが。ブログの実況はエピソードになるんですかね?--Seseragi 2007年8月26日 (日) 02:22 (UTC)[返信]

幼稚な中傷は、百科事典の一項目としてのクオリティにとても達していないと思われます。 (2007-08-27T00:48:04 121.102.113.102さん)

エピソードの除去をめぐって編集合戦状態だったので、1ヶ月の保護をかけました。半保護にしなかったのは、除去されたエピソードが不適切なものであれば「白紙化荒らし」ということはできないと考えたからです。--miya 2007年8月27日 (月) 01:15 (UTC)[返信]

他の人物のエピソード欄にも、舌禍事件について触れているものはいくらでもあります。記事を記述するに当たり、出典を明示するのは当たり前で、それがブログだったからといって何の問題があるのでしょうか?自らの発言をエピソードとして公知されるのが幼稚な中傷呼ばわりとは、お笑いぐさです。220.216.109.63 2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)[返信]

気違い左翼らしいエピソードがいっぱいなので、それをそのまま書けば本人のイメージが悪くなるだけの話でしょう。言うまでもありませんが、だからといって、それを書いてはいけないという理屈にはならないでしょう。--124.155.56.181 2009年8月21日 (金) 23:23 (UTC)[返信]

エピソードに関する議論[編集]

  1. 中央大学法学部法律学科を卒業しているが、2007/05/24付けの自身のブログ[9]にて、「これまで、実は学校で憲法の勉強なんて教えてもらってこなかったんです。」と発言した。

ブログをよく読むと、この文章の主語は「私(杉浦ひとみ)は」ではなく「日本人は」、「学校で」は正確には「小中学校では」ということではないでしょうか。もしそうなら、この要約の仕方は不適切ではないでしょうか。--miya 2007年8月27日 (月) 01:15 (UTC)[返信]

外国の方でしょうか?少なくとも日本人は小中学校で憲法を教わりますので、あなたの主張のような意図で発言をされているとしたら、別の意味で問題発言ですね。220.216.109.63 2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)[返信]

  1. 2007/05/31付けの自身のブログ[10]にて第44回衆議院議員総選挙における国民の判断を、「思慮なく与党にたくさんの投票をしてしまった」と批判した。

現在のブログには「思慮なく」という言葉はありません。本人が取り消した(?)言葉を記載し続けることは適切でしょうか?--miya 2007年8月27日 (月) 01:15 (UTC)[返信]

産む機械発言にしろ、しょうがない発言にしろ、舌禍を引き起こした人間というのは、ほとんどの場合、発言を取り消しますが、発言した事実はなかったことにはなりません。自説の正当性を主張されるならば、それらすべての、発言が取り消された舌禍事件に関する記述ついて、異議を唱えてからにした方がよろしいでしょう。また、杉浦氏はなぜか二つのブログを公開しており、より活発に運用されているこちらのブログでは「「思慮なく与党に投票」は、いいすぎだということは分かっています。」と述べており、確信犯で「思慮なく与党に投票」と述べたことは明かです。220.216.109.63 2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)[返信]

  1. 2007/06/23付けの自身のブログ[11]にて、第166回通常国会の会期延長とそれに伴う第21回参議院議員通常選挙の投票日変更について、選挙権行使の事実上の侵害であると明言。さらに「穿った見方をすれば選挙権行使の妨害」とも発言している。また、同記事において、不在者投票制度について、「通常でない(選挙権の)行使」「有権者の権利行使のチェックにおいて杜撰」「公正な投票の保障に疑い」と批判している。

これは「百科事典に記載するべき重要なエピソード」と言えるのでしょうか?--miya 2007年8月27日 (月) 01:15 (UTC)[返信]

周知の事実ですが、第166回通常国会の会期延長とそれに伴う第21回参議院議員通常選挙の投票日変更は法律に則って行われており、何ら違法性のないものです。にもかかわらず、仮にも法曹関係者が、なんの法的根拠もなく、違法なものであるかのように放言して回るのは、重大な舌禍事件と思います。220.216.109.63 2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)[返信]

情報価値はないと思います。 一人で問題だと騒いでいる偏執狂がいるだけです。 121.102.40.213 2007年8月28日 (火) 21:41 (UTC)[返信]

「偏執狂」かどうかはさておき、検討いたしますならば、
  • 「別の意味で問題発言」2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)
  • 「確信犯で『思慮なく与党に投票』と述べたことは明か」2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)
  • 「重大な舌禍事件」2007年8月28日 (火) 12:54 (UTC)
とのご主張は、すべて主観に基づくものですから、Wikipedia:独自研究は載せないという原則に反します。このような見解が信頼できる媒体において述べられているかどうか、すなわちウィキペディアの掲載基準は、「真実であるかどうか」ではなく、「検証可能かどうか」となっており、評判のいい情報源によって既に発表された事実、主張、理論、概念、表明、意見、論証のみウィキペディアに掲載できるわけですから、信頼できる媒体において、いつだれがどの媒体でそのような主張を発表しているのか出典を明記する必要がございます。「問題発言」「重大な舌禍事件」という意見が信頼できる媒体において発表されていなければ、ウィキペディアの記事として採用することはできない、という結論になります。
- Opponent 2007年9月1日 (土) 01:17 (UTC)[返信]
何か勘違いをされているようです。「問題発言」「重大な舌禍事件」云々というのは、元々の本文中のエピソードには記載のない文言です。それをもって採用できないとはいかがなものか。元々のエピソードでは、当人のブログで当人が行った発言とそれに関する事実関係のみしか触れられていませんし、その発言についても、発信元が明記され、一部本人による削除がされているものの、ご本人のコメントや、ブログ読者のコメントなどで、検証が十分可能です。ご本人が、自ら運営するブログ上でなされた発言をエピソードとして取り上げて、信頼性に於いて何か不都合があるのでしょうか? 220.216.109.63 2007年9月1日 (土) 04:25 (UTC)[返信]

元のブログはごく普通です。 しかし、個人的恨みをもった一人の偏執狂が編集したここの「エピソード」は幼稚で悪意に満ちたものです。 見るに耐えません。58.138.36.191 2007年9月1日 (土) 06:52 (UTC)

「問題発言」「重大な舌禍事件」は特別:Contributions/220.216.109.63投稿履歴)さまのご発言を引用したにすぎません。編集内容の要約で「問題発言の隠滅の取り消し」という記述も見られます。信頼できる媒体がブログでの発言に対して批判的な意見を述べたり「検証」を行なった事実がどこにもなければ、記事に採用すべきではありません。「検証は十分可能」とおっしゃいますが、その「検証」は信頼できる媒体という第三者によらなければならず、ウィキペディアに掲載されるべき内容は、信頼できる媒体に掲載された「検証」や論評にのみ依拠すべきだということです。
- Opponent 2007年9月1日 (土) 07:03 (UTC)[返信]
繰り返しになりますが、元々の本文中のエピソードでは、単にブログでのご本人の発言を取り上げただけで、論評などしてありません。「検証は十分可能」というのは、その発言が実際にあったかどうかの検証について述べただけであり、元々なされてもいない論評の妥当性を論じたものではありません。掲載にあたって、本人が公表した、本人の発言であっても信頼できる媒体という第三者によら無ければならないというのなら、2007年参議院選挙に関する記述等における、本人の所属団体・支持団体という利害団体のみを媒体とする記述なども削除するか、別の論拠を示すべきと主張された方が一貫性があるはずですが、そのような主張も見受けられません。220.216.109.63 2007年9月1日 (土) 09:02 (UTC)[返信]
後段のご説明の全く事案は次元の異なる例示にすぎず、飛躍がありますので返答いたしません。◆さて、記事に採用なさった杉浦ひとみさん本人の発言は、どういう基準で選択なさったのでしょうか。発言の引用だけでも、その選択と配列によって十分論評になり得ます。平たく申し上げるなら、エピソードに取り上げられた発言を具体的に誰が問題視していますか、ということです。エピソードに採用なさったブログ発言は、何を説明するためなのか、その動機・意図・理由、そして採用する意義についてご説明ください。
- Opponent 2007年9月1日 (土) 09:44 (UTC)[返信]
- Opponent 2007年9月1日 (土) 09:47 (UTC): [返信]
- Opponent 2007年9月1日 (土) 09:49 (UTC): 全く[返信]
【予告】一週間以上経過した現在、何のご説明もいただいておりません。誰が問題視しているのか、その典拠をお示しいただけなければ、「エピソード」は削除いたします。
- Opponent 2007年9月9日 (日) 23:22 (UTC)[返信]
どこが次元が違うのか理解できませんが、議論する姿勢がないのは理解できますので説明する必要を感じませんでした。元々Opponentさんの提唱される「検討」内容自体が、本文とは関係ない部分に対する検討ですので、次元の異なるというのはむしろ私の感想ですし。◆繰り返しになりますが、元々の本文中のエピソードでは、単にブログでのご本人の発言を取り上げただけで、論評などしてありません。私自身は問題発言だと思いますが、ノートでの議論以外で、私の主観などいれておりませんので、「エピソードに取り上げられた発言を具体的に誰が問題視していますか」などといわれても理解に苦しみます。「発言の引用だけでも、その選択と配列によって十分論評になり得ます。」という考え方もあるのでしょうが、だからといって、元々の本文中のエピソードの記述がそうであるとは考えておりません。ただ、自身のブログで公開されている、自身の発言は、自らの実際の信条を、利用者が伺うのに役に立つとは考えております。220.216.109.63 2007年9月10日 (月) 09:22 (UTC)[返信]
困った方ですね、

「自身のブログで公開されている、自身の発言は、自らの実際の信条を、利用者が伺うのに役に立つとは考えております」

は、220.216.109.63さまの個人的なご判断です。「利用者が伺うのに役に立つ」というご判断も同様です。◆ウィキペディアという百科事典に求められている内容は、個人的判断に基づくものであってはならず、社会に何らかの影響を与えたという客観的事実がなければ記述すべきではないんです。仮に問題発言であったにせよ、マスメディアや書籍などの媒体が言及した事実があるならともかく、そのような論評がどこにもないのであれば、ウィキペディアの記事の内容として一切採用すべきではありません。上記の説明を踏まえた上で、再度、エピソードに採用なさったのブログ発言が、何を説明するためなのか、その動機・意図・理由、そして採用する意義についてご説明下さいませ。
- Opponent 2007年9月11日 (火) 17:41 (UTC)[返信]

概要の記述について[編集]

「2009年に、朝日新聞の記事を東京新聞の記事であると偽ってカットアンドペーストで公開した」との表現であるが、偽ったという出典は示されていない。「偽る」の意味は大辞林 第二版によれば、「[1] 本心や真実を隠して、それと違うことを言う。[2] だます。欺く。」 であり、故意であるという出典があれば、「偽って」でも問題ない。しかし、そのような出典がないため、過失の可能性もある。「偽る」には過失の意味はなく、過失の場合は「誤って」あるいは「間違って」が適当である。したがって、どちらか不明な以上、どちらとも表さない「表記し」が適当と考える。--政治野球マニア 2010年1月12日 (火) 13:10 (UTC)[返信]

他者に当該人物の本心がわかっていようはずもないため、当該辞書の一意は「真実を隠して、それと違うことを言う。」となる。客観的な事実から、この一意で問題ないのは明らか。過失の可能性もあるというのが、そもそも根拠のない独自解釈に過ぎないので、そのような事を考慮する必然がない。過失の可能性もあるというのなら、その根拠を明示すべき。ちなみに、当人は「引用」であったと明示しており、正しく「引用」であるためには、脚注にもある通り「出所の明示」が必要であるが、事実関係において、「出所の明示」は間違いだったわけであり、事実関係において間違いであった事を正しいと主張しているので、過失の存在は本人の主張により否定される。--122.132.126.132 2010年1月12日 (火) 14:14 (UTC)[返信]

客観的事実は、記事に偽りがあったことであり、それが隠してそのような記述を書いたかのか間違って書いたのかについての出典はなく、したがって、偽ったと根拠がない。何をもって本人の主張により過失を否定されるかについても意味がわからない。--政治野球マニア 2010年1月13日 (水) 12:19 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ました。「2009年に、朝日新聞の記事を東京新聞の記事であると偽ってカットアンドペーストで公開した」は中立ではないです。「2009年に、朝日新聞の記事を東京新聞の記事であると偽ってカットアンドペーストで公開したと言われてた」と書き、誰から言われたのか出典を示すなら問題はない。「偽って」の部分が誰の解釈によるのか示す必要がある。--Ie31 2010年1月13日 (水) 13:04 (UTC)[返信]

選挙の話[編集]

「出馬する動機は、憲法9条を守り、改憲の動きに歯止めをかけるため、何とかしたいと説明している。」は概要より前に書く必要はありますか? 概要より前は、簡潔に書くことが求められているから、選挙の出馬動機を書く必要はないのではないですか? そして、そもそも出馬したこと自体を概要より前に書く必要はないと思います。--Ie31 2010年1月13日 (水) 13:09 (UTC)[返信]