ノート:河辺飛行場

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ウィキペディアにゃウンvol.4[編集]

河辺飛行場が、標記の活動の取材対象となりました。そのためこれまでウィキペディアの編集に携わったことがなかった方が編集参加しております。本記事は今回のイベントまで記事が存在していなかった項目であり、新規の作成となります。不慣れな編集履歴が散見される可能性がありますが、温かく見守っていただければ幸いです。--漱石の猫会話2021年10月31日 (日) 04:37 (UTC)[返信]

標記の活動、というのはどういう活動だかわかりませんが、できれば『河辺飛行場の記録と記憶』べったり、というのはやめていただきたいです。こういうものを使われると京丹後に行かないと検証できず、長々とほったらかしになります。--西村崇会話2021年10月31日 (日) 05:26 (UTC)[返信]
文献の確認と加筆準備に忙しく、ノートに気づくのが今になりました。さっそく本記事に目をとめていただき、ありがとうございます。私も検証可能性を保障することはいかなる場合でも最重要事項と考えておりますので、少し事情を説明します。2018年以降私が監修し京丹後市で開催しているWikipedia編集イベントでは、少なくとも複数冊、分野としては網羅的に文献を収集できた項目のみを新規作成対象としています。そのため、事前に数週間の時間をとって京丹後市立図書館のみでなく京都府立図書館(京都市)にもレファレンスと資料提供を依頼しており、地元外の京都府立図書館からも少なくない量の資料を毎回郵送いただいています。Webだけで出典探しをすることはありませんが、CiNii論文検索及び国立国会図書館デジタルアーカイブス等のWeb文献があれば、できるだけ活用するようにもしています。また、イベント中のみの編集参加者にも、複数冊の文献を確認し、独自研究と誤解を招かない編集をお願いしていますので、少なくとも編集イベントでの作成記事においては、ご心配いただいているような事態にはなりませんので、ご安心ください。
なかなかイベント時間だけで収集した文献すべてを確認し記事に反映することは時間的に難しいですが、おおむね数日以内には上記の手段で収集した文献情報を反映させるよう努めておりますので、いますこし長い目で見守ってやってくださいませ。
ただ、ご心配は尤もですが、郷土の項目では当地でしか検証できない文献が多々あることは避けられない特性と思います。どこの館であれ、公共図書館で自由に閲覧できる資料が基軸文献であれば上々ではないかという性質の題材も少なからずありますが、その瞬間の全国的な知名度と百科事典としての特筆性はイコールではありません。地元まで行かないと検証できないと考えるより、地元に編集者を増やす方が建設的と考えますが、文献調査力も文筆力も一朝一夕に向上するものではありません。イベントで編集を学ばれた後、イベントを離れた場で精力的に新規立項されている方々のなかには、Wikipedia編集に慣れた方々の目には不足の目立つ編集もあることと存じますが、継続的に取り組むなかで少しずつ成長されていますので、そのような編集者にお気づきの際には広いお心で受け止めていただき、引き続き可能な範囲の記事編集でサポートをいただけますと幸いです。--漱石の猫会話2021年11月1日 (月) 08:20 (UTC)[返信]
(一回段を戻します)申し上げたかったのは、そもそもテーマ選びに無理があったのではないか、ということです。『河辺飛行場の記録と記憶』は、この河辺飛行場に関する既存の文献がないから、と地元の人が作った冊子です。「ウィキペディアの編集に携わったことが」なく、「温かく見守」らなければならないような人たちにそんな主題を扱わせるのは無理があるだろう、ということです。結果的に作られた記事を見ても『河辺飛行場の記録と記憶』が何回も使われています。この冊子だけで担保されている記述もあります。しかしこの冊子は「信頼できる公刊された情報源」と言えるのでしょうか。せいぜい10人程度の地元の集まりで作った冊子です。文献がなかったものをまとめたのですから貴重な成果ではあるでしょうが、ウィキペディアの立場で「信頼できる公刊された情報源」と言えるものではないと思います。国会図書館にはありますから、現地に行かなくても確認はできるでしょう。しかし「温かく見守」ろうと思えば前後も見なければなりません。この本は43ページしかなく、簡単に複写できる範囲を超えてしまいますから、結局現地に行かないと確認できない、ということになります。こんな文献を使わないと書けないような主題をそもそも「イベント中のみの編集参加者」がいるような企画で扱うべきではありません。
ウィキペディアにゃウンvol.4、なるものがウィキペディアタウンと同じものかどうかはわかりませんが、私はウィキペディアタウンによい印象を持っていません。確かに地元では肯定的に受け止められるでしょう。またウィキペディア日本語版は文献を集めて書くことができていない記事が多いので、文献情報がたくさん並んでいるとそれだけで好印象です。しかし同じくウィキペディアタウンで作られ、良質にも選ばれている宇川のアユを読んで愕然としました。簡単に手に入る岩波と比較してもおかしなことが書かれています。『川と人とふるさとと うかわ』なんて確認しようものなら何が出てくるか、と思いましたので、もう確認するのをやめました。
この記事も、確認しづらい地元文献に隠れて好き勝手なことを書いているのでは、という印象はぬぐえません。どんな経緯で作られたものであろうと、ウィキペディアは発表した瞬間に真に受けて読まれるものです。他に文献のない主題ならなおさらでしょう。そんな読者に「温かく見守」る余裕などないのだということをご理解いただきたいと思います。--西村崇会話2021年11月7日 (日) 23:24 (UTC)[返信]
残念ですが、偏見を持ってみればどのような物事も信用できないものです。お気持ちは一定理解しますが、当方が誠心誠意、誠実な編集活動を心掛けていることもご理解いただければ幸いです。
地方でまとめられた資料をこんな文献とおっしゃいますが、突き詰めれば数人の研究者しか研究していないような項目は郷土の題材に限らず中小規模の題材の多くがそうでしょうし、ウィキペディアタウンと一言で言ってもそのイベント形態や内実は多様であり、他企画と容易に比較して語れるものではありません。
また、アウトリーチイベントのテーマ選びに関しては、西村崇さんのお考えは、むしろ逆だと私は考えています。『河辺飛行場の記録と記憶』が本記事で基軸文献のひとつになっているといっても、河辺飛行場がこの冊子以前に多くの関連文献や新聞に取り上げられている時点で特筆性がある項目であることは明らかです。特筆性があり、複数の文献があり、参加者の関心が高い題材ということ以上に、編集イベントのテーマ選びで重要なことはありません。そして、関連文献や新聞などの散逸する情報だけで題材の知識が浅い者が文章をまとめようとすれば誤解を招くこともあるところを、『河辺飛行場の記録と記憶』というまとめられた文献があることで、軸がぶれずに執筆することができています。これはWikipedia編集スキルとは本質的に別の問題で、イベント編集でなくても素人が編集する以上は同じでしょう。なお、『河辺飛行場の記録と記憶』も大部分は既存文献の情報を集めたもので、これ自体、一次資料でもありません。元の文献を確認できたものは元の文献も併記しています。
宇川のアユに関していえば、岩波は古い文献です。基礎文献のひとつではありますが、その後の他者の研究により説が変わった部分も当然ありますし、1人の研究者の視点がすべてを網羅しているわけもありません。『川と人とふるさとと うかわ』も京都府立図書館の蔵書ですから、当地までいらっしゃらなくても、都道府県立図書館館連携により取り寄せて閲覧することは可能な文献です。Wikipediaは歴史的研究も抑えつつ、最新の情報を記載して常にその時点での最良を目指すことができる百科事典と思っていますし、それをしている編集者達が「印象」などという根拠のないもので誹謗中傷されるいわれはないと存じます。この点に関しては、正直不快に感じます。感情で議論しても無意味と存じますので、このあたりでやめておきましょう。--漱石の猫会話2021年11月8日 (月) 04:10 (UTC)[返信]