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ノート:激突! 殺人拳/過去ログ1

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訂正と検証[編集]

  • Archiveが使用できるtmpへ変更。
  • リンク切れの出典は差し替えました。
  • 製作経緯節は製作節、海外興行は興行節、とそれぞれ変え、移動。→プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド
  • 解説節で他作品への影響や興行的なことはそれぞれ該当の節へ移動し、作品の紹介的なことのみを解説に残しました。
  • 出典(『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』)を検証しました。
    • 『極真外伝』の書名で波ダッシュがあり、原則として使用しないとなっています→WP:WAVEDASH。波ダッシュを固有名称などでやむを得ず使用する際に該当するので、「〜」(Unicode: U+301C)に直しました。→Wikipedia:表記ガイド#波ダッシュをやむを得ず使用する場合
    • 頁数の範囲が広いので、本文の出典となる範囲を1~2頁に限定して検証しやすくしました。
    • 最新版では「高田宏治が香港の劇場でブルース・リー主演『燃えよドラゴン』を観た」となってます。同映画は香港で1973年10月18日から公開されたのが最初で、同年2月から撮影に入りました。『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』は1972年に香港で先行公開し、日本では1973年9月15日に公開されました。準備期間2か月と製作2か月半の計4か月半で高田は香港へ同作のシナリオハンティングしに行っており、高田の観た映画を『燃えよドラゴン』に限定してしまうと、時系列で矛盾が生じます。出典『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』を検証しましたが、原文には高田の観た映画名は具体的に記されておりません。読者によっては(『あかんやつら』の)前文との繋がりで「高田が『燃えよドラゴン』を観た」と読み取ったのかもしれません。一方で上の理由から『燃えよドラゴン』でないと理解する読者も当然おり、作者である春日太一の書き方のせいか、どちらにも受け取れるような内容になっています。しかし既に申し述べたとおり、時系列的に高田が『燃えよドラゴン』を香港の劇場で観たのはまず有り得ないわけで、となると何を観たかになりますが、リーの作品にこだわることなく、カンフー映画の何かを観ていたとするならしっくりきます。というのもカンフー映画は1970年前後から香港映画のヒットジャンルで量産されており、ゴールデン・ハーベストが積極的に製作し(ジミー・ウォングの『片腕ドラゴン』シリーズなど)、香港では大成功を収めています。もちろん1971年のリー主演『ドラゴン危機一発』を観た可能性もありますが、いずれにしても『あかんやつら』を出典にすると、高田が香港で観た映画を『燃えよドラゴン』に限定するのは無理が出てきます。高田が現地で観た映画を作品名で限定せず、「カンフー映画を観た」と記せば当該記事の編集をできると思い、出典に則って本文を訂正しました。香港で高田が何のカンフー映画を観ようと、岡田茂が試写会で『燃えよドラゴン』を観てから(厳密にいえば、前文の繋がりを否定すると、岡田が『燃えよドラゴン』の試写会に行ったのも否定することになりますが、1973年に日本公開されたカンフー映画は『燃えよドラゴン』しかないことから、同映画でいいと思います)、『激突! 殺人拳』の企画を進められたことがわかれば十分だと思います。つまり当該記事で高田が香港で観た映画を『燃えよドラゴン』と限定してしまうと、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のシナリオハンティングが成立せず、高田の証言をWikipediaに載せにくくなってしまうと思います。
    • 「~ベテラン監督・[[小沢茂弘]]には<!--- 出典の記述を大きく変えないで下さい。--->「ブルース・リーを真似ろ」と指示した<ref name = "小沢">{{Cite book |和書 |author = 小沢茂弘 |authorlink = 小沢茂弘 |coauthors = 高橋聡 |year = 1996 |title = 困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈生 |publisher = [[ワイズ出版]] |pages = 91 - 92 |isbn = 9784948735576 }}</ref>。~」とC/Oで但し書きが付いてたので、出典『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』を検証しました。小沢がインタビュアーの高橋に「真似でやろういう企画でしたから」と答えているだけで、91 - 92頁には、岡田茂の「ブルース・リーを真似ろ」、という発言は載っていません。「 」で記されてると岡田がそう発言したように見受けられ、出典とは違うような気がします。岡田が試写を観てからどういう考えで企画し、製作が進められたかを具体的に記すほうが特筆すべきことだし、百科事典として大事なことだと思います。したがって上記の、岡田が小沢に「ブルース・リーを真似ろ」と指示した、いう表現は書き換えました。『燃えよドラゴン』を観た岡田が企画を進めていく様は、『あかんやつら』を出典にしたほうが具体的であり、今回のケースでは一次資料(小沢の著書)よりも二次資料(『あかんやつら』)のほうが適切でしょうし、編集し直した内容で問題ないと思います。なお『困った奴ちゃ』で全角ハイフンを使用されてましたが、推奨されていないので訂正しました。→WP:HYPHEN
  • 出典付きで数か所加筆しました。--らーしお会話2015年8月1日 (土) 10:24 (UTC)

解説節の検証[編集]

当時の欧米では空手とカンフーを区別する認識はなく、“ 空手 = ブルース・リー ”から“ 空手 = 千葉真一 ”へ変わる転機と一大ブームを巻き起こした[1][2][3][4]
  1. ^ “本家ブルース・リーをしのぐ千葉真一”. 報知新聞. (1974年12月27日) 
  2. ^ 大山倍達『わがカラテ革命』講談社、1978年、83 - 87頁。 
  3. ^ 「極真空手三段 千葉真一」『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』、175 - 177頁、179頁、182 - 183頁。
  4. ^ Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba” (英語). Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival (2011年8月31日). 2015年7月29日閲覧。
  • 本作が欧米で大ヒットして千葉の知名度が飛躍したようなことは4つの出典には書かれてるんですが、欧米での空手とカンフーを区別する認識とか、リーから千葉へ変わるというのは見当たらなかったので、出典に則り訂正しました。
  • 大山倍達の批評は影響節へ移動。
  • 過剰な内部lkと冗長部分を除去、重複個所をまとめ、解説節に主要キャストを加筆し、数個所を推敲と出典を付け直しています。--らーしお会話2015年8月23日 (日) 10:36 (UTC)

ご返事[編集]

らーしお氏が出典の文言を誤魔化している理由は何でしょうか?
「出典『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』を検証しました。小沢がインタビュアーの高橋に「真似でやろういう企画でしたから」と答えているだけで、91 - 92頁には、岡田茂の「ブルース・リーを真似ろ」、という発言は載っていません。」と書かれていますが、ここでの正確な記述は

ーやくざ映画からカンフー映画への飛躍というのもすごいですね。
小沢ーこりゃもう、何やってもアカンから、当時ブルース・リーの映画が当たっていたから、もうその真似でやろうという企画でしたから。
ー誰の指令ですか。
小沢ーそれはやっぱり岡田茂です。

です。「真似でやろういう企画でしたから」と答えているだけではありません。その前後に重要な記述がなされています。この部分の要点はまんま 岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があったでしょう。
他に関本郁夫の著書『映画人烈伝』(青心社、1980年)にも小沢のインタビューがあり、 ここでも128頁に

『激突!殺人拳』は会社からのハナシです。当時、たまたまね、ブルース・リーという男が出てきて、世界的に人気を得たワケで、東映がソックリ真似をして.....。

とあります。

らーしお氏が出典とするといわれる『あかんやつら』にも

そして、千葉の人気を決定づけたのが、七四年の『激突!殺人拳』に始まるカラテ映画だった。これは、当時、日本で大人気を博していた香港のブルース・リーによるカンフー映画を日本版に翻訳したもの。

と書かれています。千葉ファンにとって「ブルース・リーの物真似」といわれるのが嫌なのは分りますが、『激突!殺人拳』は、岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示がなければ作られなかった映画です。企画の発端であり根幹です。なぜこの最重要ともいえる出典を消して『あかんやつら』を出典にしたほうが具体的であり、今回のケースでは一次資料(小沢の著書)よりも二次資料(『あかんやつら』)のほうが適切といえるんですか。『あかんやつら』を出典に使うのも大いに結構ですが、より当事者である監督の証言が作家の小説の記述より適切でないといえるのかが分りません。『激突!殺人拳』に関わったスタッフ、キャストの証言は削除すべきでないと考えます。あと『日本暗殺秘録』で「製作準備」の項で「始まりは二説ある」と書いて「注釈」でその内容を説明しておられますが、「注釈」で書かれた内容が多くの当事者からの著書・インタビューでの重要な証言なので、「注釈」で押し込むのではなく、これを表に出すべきでしょう。らーしお氏はこれから出典の検証を行うと宣言しておられますが、こちらはより良い記事を書くため、新しい文献を探しています。こちらが苦労して書いた記事を後追いで難癖付けられ改竄されるのはあまり気持ちのいいものではありません。私は先に書かれた記事が明らかに間違いでなければ出来るだけ尊重する形で加筆しています。『日本暗殺秘録』もそうしました。ちなみに『激突!殺人拳』で私が書き込んだ記述は先の部分一行二行だけです。利用者皆さんで記事を書けばいいのであって、丸々自分の思い通りしなくても..という感想を持ちます。--219.106.24.59 2015年8月25日 (火) 17:39 (UTC)


返信 IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois = IP:219.106.38.213会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんでしょうか?可変IPで御活動されてると他の利用者からわかりにくいんですよね。同一の方ならこちらを読んでいただけましたでしょうか?上の御発言は読んでいただいてるようにも受け取れますが、まずイエスかノーかお願いします。私に限らず、どの利用者も表現や内容に疑問があれば編集しますので、それが219.106.24.59さんの一生懸命に編集されたのを大幅に変えたことでお怒りになってるなら謝罪します。私が編集した理由と目的は『激突! 殺人拳』については#訂正と検証、『日本暗殺秘録』についてはノート:日本暗殺秘録#検証・訂正・加筆に、具体的な訂正理由を記していますが、これらの補足をこの場でさせていただきます。
Wikipedia:ページの編集は大胆に
もちろん、「あなたが書いた項目」も、誰かが大胆に修正していきます。それを自分に対する批判だと思わないでください。そもそも GFDLというライセンスを採用しているウィキペディアに投稿するということは「自分の文章が他人によって自由に編集、配布されることに同意する」ことを意味しています。それに“3人寄れば文殊の知恵”ということわざもあるように、ウィキペディアは多くの人が共同で編集することで、より質の高い百科事典を作り上げることを目指していることを忘れないで下さい。
となっています。IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが編集された後でも「より質の高い百科事典を作り上げることを目指している」というのがWikipediaの方針である以上、私に限らず、他の利用者からも編集されます。Wikipediaで私やあなたが執筆されたことを、査読するためのシステムがWikipedia:検証可能性です。
私が執筆した個所も他の利用者から検証可能性で査読できるわけですから、『激突! 殺人拳』と『日本暗殺秘録』でIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの編集最終版と私の編集最終版が、現状どちらが中立的観点で記され百科事典として適切か、#激突! 殺人拳と日本暗殺秘録で第三者にコメントして頂ければいいでしょう。
『激突! 殺人拳』の岡田茂が「ブルース・リーを真似ろ」と指示したという文について。
インタビュアーの高橋聡と小沢茂弘のやりとりはIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの記されてるとおりで否定しません。
  • 小沢茂弘、高橋聡『困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈生』ワイズ出版、1996年、91 - 92頁。ISBN 9784948735576 
の該当ページを読んでますから。前回の#訂正と検証で申し上げたことに補足するなら、確かに岡田が社長ですから、監督の小沢に映画を作るうえで指示は当然あったでしょう。しかし出典には「岡田茂が「ブルース・リーを真似ろ」と指示した」という文言もしくは文章が載っていません。219.106.24.59さんは「岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があったでしょう」とあなたの予想を仰ってますが、それをWikipediaに執筆しては非常に良くないですね。編集者の予想や考えをWikipediaに載せてはいけません(Wikipedia:独自研究は載せない)。
関本郁夫の著書『映画人烈伝』(青心社、1980年)に小沢のインタビューや『あかんやつら』の該当箇所も読んでます。しかし異なる三つの書籍(『困った奴っちゃ』『映画人列伝』『あかんやつら』)から一つの結論を導くという編集は、これも「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に合致し、Wikipediaでは不適切な編集となります。詳しくはこちらをお読みください。
つまりもしAが信頼できる媒体で発表されており、Bも信頼できる媒体で発表されているなら、AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事を書いてもよいと誤解するウィキペディア編集者が、しばしば見受けられます。しかしこれは、ジミー・ウェールズの言葉を借りれば「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生む「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型であり、独自研究に相当します。~中略~。「AでありBである、ゆえにCである」という論証は、その記事の主題に関連する形で信頼できる情報源によって既に発表されている場合にのみ、掲載することができます。(WP:SYN
となっています。「岡田茂が「ブルース・リーの真似をしろ」と指示をした」という文(内容でなく文章もしくは文言です。誤解されぬよう)が、出典『困った奴っちゃ』には載っていない、出典『あかんやつら』にも載っていない、新たに示された『映画人列伝』にも載っていない以上、編集者が予想して「岡田茂が「ブルース・リーの真似をしろ」と指示をした」と当該記事に執筆するのは非常にまずいので、訂正させていただいたわけです。出典があれば、何でもWikipediaに書いていいわけではないと思います。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを今一度ご確認してください。
IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの編集で杞憂なものの一つに、人物の発言を「出典にそのような発言が載っていないにも関わらず、加工する編集」は非常に好ましくないですね。特に岡田茂の発言を加工してるのが多くの記事で目立ちますので、それも順に検証して必要に応じ、訂正することになるでしょう。少なくとも発言は出典から、必要に応じて引用すべきものであり、編集者が作るものではないと思いますWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針)。
もしあなたが自身が是とする視点の長所を他人に説得したいのならば、ブログを始めるか、インターネットコミュニティを訪ねる方が望ましいかもしれません(WP:NOTSOAPBOX)。
どうしても三つの情報を合成したものを記したいのなら、Wikipedia以外でなさってくださるよう、よろしくお願いいたします。
「岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示がなければ作られなかった映画です。企画の発端であり根幹です。なぜこの最重要ともいえる出典を消して『あかんやつら』を出典にしたほうが具体的であり、今回のケースでは一次資料(小沢の著書)よりも二次資料(『あかんやつら』)のほうが適切といえるんですか」について。
上で申し上げた通り、社長の指示で製作が動いたのは間違いありません。映画記事で製作の流れを記すなら「真似しろ」という一言で記事を締めるのは貧弱な内容で終わってしまいます。そもそも発端は高田宏治の香港でのロケーション・ハンティングであり、根幹は「(『燃えよドラゴン』を試写した)岡田が日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた」と判断したことです(『あかんやつら』からWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に則り引用)。これを「真似しろ」の一言で片づけられてしまうと、Wikipediaは質の高い百科事典に近づけないでしょう。そもそも「真似」という言葉にどれほど特筆性あるのでしょうか?「真似しろ」「真似した」と言う言葉が、出典に載っているのは全て小沢茂弘の発言だけですから、「岡田茂が「真似しろ」と指示した」と当該記事に記すことが最重要だとは思えません。
前回申し上げてますが、岡田茂が『燃えよドラゴン』を観てどのように考え、脚本家の高田、企画の松平乗道などに指示し、どのように映画作りをしていったか、出典を用いて具体的に執筆しました。岡田が実際に「ブルース・リーの真似をしろ」と発言した出典も現状ではないのに、そう言ったであろうというIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの予想で、あたかも岡田が発言したようにみせかけるほうがWikipediaの質を落とす編集だと思います。何より「真似」という言葉を使わなくても、「岡田は日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた」という文と前後に繋がる文章で、岡田の意図や狙い、スタッフの動き、キャスティング、撮影など、製作の流れが読者へ伝わりやすい現状記事となっています。以上の理由から、仮に219.106.24.59さんの言われる岡田発言があったとしても、載せる必要性はないでしょうね。「真似しろ」と短絡的に編集するのでなく、具体的に製作での流れを出典に則り、中立的に執筆すればいいことですから。
どのジャンルの記事にも当てはまると言えるでしょうけど、利用者はWikipedia:中立的な観点で活動すべきだと思います。プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイドが指針の一つですが、こちらを参考にしてみてください。少なくともIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの企画至上主義のようなお考えで、多くの映画記事がここまで執筆されてきたのではないと思います。
ちなみに
は、巻末に参考文献が記載され、著者が関係者に取材している書籍であり、どこどう読んでも小説ではありませんよ。Wikipedia:信頼できる情報源の基準を満たしている二次資料です。読まれていない第三者のために書評をlkいたします[1], [2]。ちなみに文藝春秋では「ノンフィクション」としていますね。
俊藤浩滋で出典に使われている嶋崎信房『小説 高倉健 孤高の生涯(上・任侠編)』音羽出版、2015年、228-231頁。ISBN 978-4-901007-61-0 のほうが明らかな小説だと思いますけどね。タイトルにも小説と入ってるし、あとがきにも嶋崎信房が小説と宣言しています。近々、俊藤の記事も編集する予定です。
IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは可変IPで東映ポルノ、岡田茂の記事と彼が関わった東映内外の作品や人物の記事、ドラゴンへの道池玲子鈴木則文仁義なき戦い、新規映画記事の立項などなど、膨大な記事を編集されてることは認識しており、その情熱はひしひし感じております。しかしながらいくら出典をつけられていても、編集傾向として木を見て森を見ずと、岡田茂を必要以上に前面に出される特徴がありますね。一つの内容の説明に出典も含めて詰め込み過ぎる文章が多く、その記事にさして関係のないことが過剰に加筆される傾向があり(内部リンクで対処できるのがWikipediaです)、閲覧者が読んでいても非常にわかりにくい記事が多く見受けられます。
余談ですが、闇雲に出典をつけて加筆していった結果が、今の岡田茂 (東映)の記事の現状でしょう。とても理解しにくい記事になっています。Wikipedia:脚注過剰Wikipedia:過剰な内容の整理という問題ですね。
「スタッフ、キャストの証言は削除すべきでない」について。
『激突! 殺人拳』では小沢茂弘の発言を引用してますし、やみくもに除去はしていないはずですが?主に『日本暗殺秘録』での編集についてのことでしょうが、ノート:日本暗殺秘録#検証・訂正・加筆に補足すると、笠原和夫 (脚本家)千葉真一の発言は一言でいえば冗長です。まるまる発言を載せる特筆性があるとは思えず、発言をへし折っても当該映画の製作準備やキャスティングや撮影で、何が起きたかわからないことはないという理由から短くまとめました。当事者間の会話を過度に載せるのは百科事典で相応しいとはいえず、丸写しするのはWikipediaでは推奨されていません(Wikipedia:原典のコピーはしない)。特筆性があることは発言に限らず、出典からWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に則って引用すべきでしょうが、笠原にしろ、千葉にしろ、これらの発言を全部載せなくても製作時のスタッフや出演者の動きがわかる内容になっており、十分現状で問題ないと思います。私のまとめ方がおかしいと仰るのなら具体的にどこが不適切であり、発言をWikipediaに全部載せる特筆性を、個々の案件ごとに御説明頂けますようお願い致します。
「『日本暗殺秘録#準備』で「始まりは二説ある」と書いて「注釈」でその内容を説明しておられますが、「注釈」で書かれた内容が多くの当事者からの著書・インタビューでの重要な証言なので、「注釈」で押し込むのではなく、これを表に出すべきでしょう。」について。
注釈に入れた理由は、二説ある片方の説はドキュメンタリーですが、そのドキュメンタリーの始まりも更に枝分かれして二つ(言い出しは中島貞夫、または岡田茂)あるため、文章の構成上わかりにくくなるので、中島と岡田の部分は注釈に入れた次第です。二説というのは岡田か中島かわかりませんが「ドキュメンタリーをやろう」という説と、渡邊達人が企画を通したという説で、現状の文章構成で特に問題ないのではありませんか?岡田を準備節の一番最初に持ってこないと何か拙いのでしょうか?大きくはドキュメンタリーか渡邊の企画かどちらかであるというのが分かれば十分でしょう。
中島と笠原和夫の取材がどのように行われたのか、大川博の鶴の一声でオールスターになったこと、オムニバスになったので笠原が脚本に苦心したという流れがわかれば十分であって、関係者の発言を闇雲に羅列しても特筆性もなく、中立的でなく、何より読者に読みにくい記事になると思います。いくら出典があっても、関係者の発言なら何でも重要で載せるべきというお考えには賛成できませんね。「たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません(WP:IINFO)」とありますように、Wikipediaは情報を無差別に収集する場ではないのです。
「らーしお氏はこれから出典の検証を行うと宣言しておられますが、こちらはより良い記事を書くため、新しい文献を探しています。こちらが苦労して書いた記事を後追いで難癖付けられ改竄されるのはあまり気持ちのいいものではありません。私は先に書かれた記事が明らかに間違いでなければ出来るだけ尊重する形で加筆しています。『日本暗殺秘録』もそうしました。ちなみに『激突!殺人拳』で私が書き込んだ記述は先の部分一行二行だけです。利用者皆さんで記事を書けばいいのであって、丸々自分の思い通りしなくても..という感想を持ちます。」について。
#訂正と検証ノート:日本暗殺秘録#検証・訂正・加筆が難癖、そして改竄されるという御指摘はとても残念でなりません。これも第三者にコメント頂ければいいと思います。何より上で申しげました通り、他利用者の編集を拒むなら、Wikipediaの編集には向いてないと思います。ちなみにIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの編集されてきた記事はいろいろな意味で目立っております。必要に応じて徐々に編集していくと申し上げましたが、それ以外の記事も検証していく姿勢に変わりません。検証以外でも出典をつけて加筆していく記事も当然あり、いろいろな編集活動していくことになるでしょう。検証して内容がおかしければ、編集で変えていくのがWikipediaです。そのためのWikipedia:検証可能性です。一番最初に申し上げましたが、「“3人寄れば文殊の知恵”ということわざもあるように、ウィキペディアは多くの人が共同で編集することで、より質の高い百科事典を作り上げることを目指していること」こそが、Wikipediaなのです。反対に私の編集について別の利用者から疑問がでたり、編集されることに否定しません。それに対して私から疑問があれば、また質問するケースもでてくるでしょう。そのために各ノートで話し合っていけばいいわけですから(Wikipedia:論争の解決)。219.106.24.59さんの編集や考え方が現状のままなら、今後もどこかの記事のノートで出会うことになりますが、必要に応じて話し合えばいいでしょう。私の編集活動にご納得いかないのであれば、コメント依頼#利用者の行為についてのコメントで私についてコメントを募ってくださるようお願い致します。
可変IPで御活動されることについてお願いがございます。
Wikipedia:説明責任には
多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。

ログインが望まれる理由は、自身の編集に対する説明責任を果たしてほしいからです。

ログインしていないのは、自身の投稿に自信がなかったり、責任を持ちたくないためであるとか、ウィキペディアの方針に沿っていないことを自覚しているため、と見られることも多々あります。

特に、ログインしていない利用者(即ち説明責任に欠ける利用者)が、他の利用者らが多くの議論の積み重ねにより書き上げた記事に対し、それらを考慮しない大幅な変更を行った場合、問題になりがちです。

IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんとはジャンルが近いので、当該記事や『日本暗殺秘録』以外でも出会うケースが増えていくでしょう。連絡もしにくいですし、何よりお互いWikipediaの質を高くし、充実させようという目的で編集に携わっているのですから、これを機会にアカウントを取得されるよう、よろしくお願い致します。--らーしお会話2015年8月26日 (水) 14:09 (UTC)

木を見て森を見ずとは、随分横柄な言い草で許しがたい。私はこれまであまり書く方がおられない項目を文献を探し出典をちゃんと出して真面目な編集をやってきたつもりでしたが、編集姿勢を全否定されているようで面白くないですね。今回も私が問題にしてるのはただの2点ですが、あなたはそれに乗じて私の編集全般に色々批判される、繰り返しね。私も引くわけにはいきません。私のことを「企画至上主義」とまた大袈裟なこといわれますが、まず映画の作り手・プロデューサーなり、監督なり、脚本家なり、俳優の場合もありますが、どのような意図、経緯で映画製作が始まったか、これを企画といいますが、これをしっかり書くのは映画の成り立ちからいえば当然でしょう。まずそこから動き始めるんですから。私は企画だけ過分に書いてはいません。脚本、監督、俳優、撮影、音楽の功績とかも分け隔てなく書いてるつもりです。勿論出典がなければ書けないので、有名な映画・人物でないと出典が見つからず、同じ分量にはならないのは仕方のないことです。あなたは逆に「企画」を軽視し過ぎでないですか。

丸々「注釈」に押し込む編集にはびっくりしました。補足的な説明をするのが「注釈」でしょう。 私も『あかんやつら』など春日氏の文献や『風雲映画城』なども使いますが、まず作り手であるプロデューサーや監督、脚本家などの証言がある場合は、それを中心に編集すべきでしょう。勿論撮影以降は、俳優の証言なども優先すべきものと考えます。

先に『日本暗殺秘録』の編集についてですが、重要な企画成立の経緯についてを「注釈」に押し込まれている件ですが、その下の内容、シナリオハンティングやシナリオ成立にあたる部分、あなたが詳細に加筆した長さに比べてバランスが悪いように感じます。ここをこれだけ詳しく書くなら、「注釈」に押し込まれている部分は全て表に出すべきでしょう。全て出しても以降の詳細に比べると特別長いものでありません。その映画がどういう切っ掛けで始まったか、どのようなコンセプトを元に作られた映画なのか、出典がある場合は冒頭にしっかり書く、映画の記事としては当然でしょう。

『日本暗殺秘録』に挙がっている出典を全てもう一度目を通しましたが、渡邊達人の扱いがちょっと困りますね。この映画にどういう関わりをしたのか分りにくい。『昭和の劇』で笠原が企画は「渡邊さんじゃないかなあ」と言っていて、たぶん『ワケありな映画』の企画は渡邊とする記述は、この本の参考文献に記載のある『昭和の劇』からの引用と思われますが、著者の沢辺有司は、本人や関係者には取材してないような感じはします。ここの記述が『あかんやつら』や渡邊の著書『私の東映30年』の記述と異なりますね。あなたは『私の東映30年』は非売品だから使わない方がいいといわれ出典からも外しておられ、おそらく読まれていないのでしょうが、ここでの記述は以前書いていた、岡田に「明治以来の暗殺事件を網羅せよ」と渡邊と天尾完次が命ぜられた、渡邊が小沼の訊問調書を探し出した、というもので、別に、渡邊が暗殺をテーマにした映画を通してしまったという話ではないです。『あかんやつら』では「渡邊が小沼の訊問調書をたまたま目にしており」と若干言い回しが違いますが、途中から渡邊が入って来て、脚本に悩む笠原に小沼の話を柱にしたら、とアドバイスしたというもので、この部分は製作-準備の下の方にあなたが書いておられます。中島貞夫は著書『遊撃の美学』と『私と東映』のどちらでも渡邊の話はしていませんね。『映像のスリット』でもなかった気がします。『昭和の劇』での笠原の記述、中島の記述を考えると渡邊はこの映画にほとんど関わってないんじゃないですかね。二人はこの映画の製作中は渡邊に会ってないかもしれないです。中島は『映画の四日間 PART1 中島貞夫映画ゼミナール』66頁に、「ぼくが監督した作品のうち四本が自分で企画をたてた作品です。『893愚連隊』『狂った野獣』『鉄砲玉の美学』『瀬降り物語』がそう。初監督作の『くノ一忍法』も、じつはぼくが企画をたてた」と書いてます。この話からすると『日本暗殺秘録』は中島の企画でないことになります。すると「テロをやる」という話は岡田と渡邊、あるいは、岡田と天尾で話し合われたのかなという感じはします。これだと『私と東映』の中島の証言と食い違いますが。出典の良し悪しを決めていけないというなら、出典全て入れた編集になりますが、あなたが書かれた以下の部分

もともとはテロリストをセミ・ドキュメンタリーで描く予定だったという話と[注釈 5]、東映京都撮影所の企画部長である渡邊達人が二・二六事件などの資料をもとに暗殺をテーマにした映画を通してしまった話と[13][注釈 6]、始まりは二説ある。

と書かれ下の二つに[注釈 5]][注釈 6]として押し込んでおられますが

[注釈 5]「中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した「セックスドキュメンタリーシリーズを5〜6人のスタッフみで製作し、ヒットさせていた。大川博は俳優の出演がなく、収益率の良い同シリーズを高く評価していた。テロのドキュメンタリーは、中島が岡田茂へ「撮りたい」と言った話と、岡田が「次はテロや」と中島に企画を練らせたという話」

[注釈 6]笠原和夫は「渡邊達人さんがわりと反体制反乱とか好きで、二・二六事件満州事変をコツコツ自分で調べていた。会社としてアクションものの一環として軽く考えていたのだろう

これを表に出し、まだこの時点では「セックスドキュメンタリー」はシリーズ化されていないので『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』に変更して

中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した前作『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を5〜6人のスタッフみで製作しヒットさせた。大川博社長(当時)は俳優の出演がなく、収益率の良い同作を高く評価していた。本作『日本暗殺秘録』の始まりには中島が続いて「テロのドキュメンタリーを撮りたい」と岡田茂企画本部長(当時)へ企画を提出した、「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、渡邊達人東映京都撮影所企画部長(当時)が「二・二六事件などの資料をもとに暗殺映画を企画したら通った」[注釈 6]など、幾つか説がある。

とこのように記載してもらうという提案でどうでしょうか?これだと全然冗長でないと思いますが。

もう一つの
ーやくざ映画からカンフー映画への飛躍というのもすごいですね。
小沢ーこりゃもう、何やってもアカンから、当時ブルース・リーの映画が当たっていたから、もうその真似でやろうという企画でしたから。
ー誰の指令ですか。
小沢ーそれはやっぱり岡田茂です。

から私が 岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった と編集した点についてですが、これはもうそのままでしょう。「編集者の予想や考え」「発言した出典も現状ではない」「そう言ったであろうというみせかける」などと言い張られますが、これはもうまんまだと思いますよ。これに乗じて「岡田茂の発言を加工してる」といわれるのも心外ですね。Wikipedia:原典のコピーはしないというルールがあるので、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に従って編集をするようになりますが、ここでも「独自の表現で記事を執筆しなければなりません」と書かれています。あなたが「上で申し上げた通り、社長の指示で製作が動いたのは間違いありません」と書かれているように「岡田社長から『ブルース・リーを真似ろ』という指示があって始まった企画と重要なことを最初にしっかり書き、以降に詳細を書けばいい話なんで、あなたが書かれているように、「真似しろ」という一言で記事を締めているわけではないですし、これを書いたからといって貧弱な内容で終わるわけではないでしょう。何故この発言を書いたら貧弱な内容になるのか?日本映画は海外の映画をパクってそれ以上に良い物を作ったケースも数多いのでどうしてそれを恥じる必要があるのか、デリケートになり過ぎでないですか?そういえば千葉関係の記事に何か書くと他記事以上に反撥されるので書いていませんが、『キネマ旬報』だか『映画秘宝』だか忘れましたが、記事に『激突! 殺人拳』が香港で公開されるや、千葉真一のアクションがブルース・リーとはまた違う迫力があり大ヒットした」と書かれてましたね。


私が編集した『激突! 殺人拳』と『日本暗殺秘録』の編集に疑義がでました。つきましては

  • 私が編集した最終版『激突! 殺人拳1』と『日本暗殺秘録2
  • 219.106.24.59さんが編集した最終版『激突! 殺人拳3』と『日本暗殺秘録4

で、百科事典としてどちらが適っているか、コメントを頂けますよう、どうかよろしくお願い致します。

この比較意味ないですね。上でも書いたように『激突! 殺人拳1』で私が書き込んだのは「岡田の件」だけで一行です。他は別の方の執筆なのでこれを「私の編集した最終版」としたら他の方たちに失礼でしょう。まあ他の執筆も全部あなたなのかも知れませんが。するとどっちにしろあなたの編集版ですね。もしかして罠に掛けてらっしゃる?『日本暗殺秘録4』 の方は10行以上書いていますが、あなたがそれを残されているし、この比較もあまり意味ないんじゃないですか。私が10割近く書いた記事とあなたが10割近く書いた記事を比べないと意味がないと思います。私は先に挙げた2点だけ改善して欲しいと要望しているだけで、あなたの編集法全体にクレームを付けているわけではありません。この件に関しては2点以外にあなたの編集法のクレームは付けていません。“3人寄れば文殊の知恵”ということわざもある、とあなたは書かれていますが、あなたは全て自分の編集に問題がない、と言い張っておられます。利用者皆さんで記事を書けばいいのであって、丸々自分の思い通りしなくてもいいでしょう。あなたも書く、私も書く、皆さんも書く、それでいいでしょう。--219.106.34.214 2015年8月31日 (月) 04:22 (UTC)


返信 まずIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんのこちらの編集#ご返事(当節)の一番下へ移動しました。理由は議論の場所を一ヶ所にまとめることが、第三者に219.106.24.59さんと私の議論の流れをわかりやすくするためです。詳しくはWikipedia:ノートページのガイドライン#推奨される習慣をご確認ください。同一ページに同じ節名も相応しくないですしね。私の返信は219.106.24.59さんの下に記します。219.106.24.59さんのコメントを抽出し、それぞれ字下げして返信しています。議論のやり取りをわかりやすくするためです。私への個人攻撃的な部分は議論と関係ないのでお返事はしません。
私はこれまであまり書く方がおられない項目を文献を探し出典をちゃんと出して真面目な編集をやってきたつもりでしたが、編集姿勢を全否定されているようで面白くないですね。あなたはそれに乗じて私の編集全般に色々批判される、繰り返しね。私も引くわけにはいきません。私のことを「企画至上主義」とまた大袈裟なこといわれますが、~中略~。あなたは逆に「企画」を軽視し過ぎでないですか。
返信 真面目になさってると自負されるなら前回も申し上げた通り、是非アカウントを取得し、ログインし、Wikipedia:説明責任を果たせる立場になった上で編集していだだけるようお願い致します。可変IPで活動を続ける限り、前回申し上げた通り、違う意図を持っておられると受け取られても仕方ないでしょう。私が企画を軽視してるかどうかは、第三者にこれまでの私の編集履歴でご判断頂ければいいと思ってます。もちろんあなたが企画だけにこだわって編集してるとは思ってませんよ。出典をつけてることも否定してません。企画、特に岡田茂 (東映)には思い入れがあるんだろうなあ、とは思いましたが。これについては後述します。
丸々「注釈」に押し込む編集にはびっくりしました。補足的な説明をするのが「注釈」でしょう。私も『あかんやつら』など春日氏の文献や『風雲映画城』なども使いますが、まず作り手であるプロデューサーや監督、脚本家などの証言がある場合は、それを中心に編集すべきでしょう。勿論撮影以降は、俳優の証言なども優先すべきものと考えます。
返信 当事者の発言は一次資料ですからね。一次資料は条件付きで出典として使えますが、少なくとも中心にということはありえません。
ウィキペディアの記事は、第三者により出版された信頼できる情報源、事実確認や正確さに定評のある情報源に基づくべきです。それはつまり、私たちが記事に書くべきなのは信頼できる著者による意見のみであり、一次情報源を独自に調査したウィキペディアン自身の意見は書くべきでないということです。~中略~。一次資料とは、ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語は多くの場合、出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメントを指します。公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事、あるいは自伝などになるでしょう。権威ある機関によってまとめられた統計も一次資料と考えられます。一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。(以上、Wikipedia:信頼できる情報源から)
とあり、当事者の証言(一次資料)>二次資料とWikipediaでは優先されるとは定義されていません。もちろん条件付きで一次資料も出典に使えますけどね。注釈に入れた件については、前回の説明でご納得できてないようですので、これ以降に再説明します。
『日本暗殺秘録』に挙がっている出典を全てもう一度目を通しましたが、渡邊達人の扱いがちょっと困りますね。この映画にどういう関わりをしたのか分りにくい。『昭和の劇』で笠原が企画は「渡邊さんじゃないかなあ」と言っていて、たぶん『ワケありな映画』の企画は渡邊とする記述は、この本の参考文献に記載のある『昭和の劇』からの引用と思われますが、著者の沢辺有司は、本人や関係者には取材してないような感じはします。ここの記述が『あかんやつら』や渡邊の著書『私の東映30年』の記述と異なりますね。あなたは『私の東映30年』は非売品だから使わない方がいいといわれ出典からも外しておられ、おそらく読まれていないのでしょうが、ここでの記述は以前書いていた、岡田に「明治以来の暗殺事件を網羅せよ」と渡邊と天尾完次が命ぜられた、渡邊が小沼の訊問調書を探し出した、というもので、別に、渡邊が暗殺をテーマにした映画を通してしまったという話ではないです。『あかんやつら』では「渡邊が小沼の訊問調書をたまたま目にしており」と若干言い回しが違いますが、途中から渡邊が入って来て、脚本に悩む笠原に小沼の話を柱にしたら、とアドバイスしたというもので、この部分は製作-準備の下の方にあなたが書いておられます。中島貞夫は著書『遊撃の美学』と『私と東映』のどちらでも渡邊の話はしていませんね。『映像のスリット』でもなかった気がします。『昭和の劇』での笠原の記述、中島の記述を考えると渡邊はこの映画にほとんど関わってないんじゃないですかね。二人はこの映画の製作中は渡邊に会ってないかもしれないです。中島は『映画の四日間 PART1 中島貞夫映画ゼミナール』66頁に、「ぼくが監督した作品のうち四本が自分で企画をたてた作品です。『893愚連隊』『狂った野獣』『鉄砲玉の美学』『瀬降り物語』がそう。初監督作の『くノ一忍法』も、じつはぼくが企画をたてた」と書いてます。この話からすると『日本暗殺秘録』は中島の企画でないことになります。すると「テロをやる」という話は岡田と渡邊、あるいは、岡田と天尾で話し合われたのかなという感じはします。これだと『私と東映』の中島の証言と食い違いますが。出典の良し悪しを決めていけないというなら、出典全て入れた編集になりますが、あなたが書かれた以下の部分
返信 IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの編集姿勢には非常に大きな問題があります。
  1. 二次資料である『ワケありな映画』を当該記事に出典を持ってきた[3]、219.106.24.59さんが(編集時はIP:219.106.43.162会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)、「本人や関係者に取材してないような感じはします」って、だったらなんでそんな出典を当該記事に持ってきたんですか?というそもそも論になるのですが…。出典のここは使えるけど、ここはダメって219.106.24.59さんの都合良すぎる解釈としか思えませんね。明らかに時系列や数値がおかしいというのならまだしも、「他の書籍には違うことが書いてあるからこれは間違いだ。他の関係者から証言がないから間違いだ」と研究してはいけないのです(Wikipedia:独自研究は載せない)。編集者が正しいか間違ってるかと出典の内容は判断してはいけません(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。
  2. 渡邊達人の著書『私の東映30年』は残念ながら自主出版である以上、どんな内容のことが書かれていようと、Wikipediaでは出典として使えません(WP:V#SP)と、ノート:日本暗殺秘録#検証・訂正・加筆で説明済みですが、まだご理解いただいてないようでとても残念です。読む読まない以前の問題で、出典としてWikipediaでは成立しない自主出版の書籍であることをご認識ください。当該ノートは219.106.24.59さんが分析したことを論じる場ではないのです(ただし、ノートページで個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないでしょう。 by Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるか)。
中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した前作『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を5〜6人のスタッフみで製作しヒットさせた。大川博社長(当時)は俳優の出演がなく、収益率の良い同作を高く評価していた。本作『日本暗殺秘録』の始まりには中島が続いて「テロのドキュメンタリーを撮りたい」と岡田茂企画本部長(当時)へ企画を提出した、「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、渡邊達人東映京都撮影所企画部長(当時)が「二・二六事件などの資料をもとに暗殺映画を企画したら通った」[注釈 6]など、幾つか説がある。
返信 こちらのIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの文案ですが、まず肩書は、ウィキペディア日本語版に記事のない渡邊達人以外は、原則不要です(Wikipedia:表記ガイド#人名)。「当時」も要りません。日本暗殺秘録に記されることは全て当時なのですから(後世の評価は別にして)。肩書については他の記事でも散々指摘してますが、受け入れる気ないのなら、私を「丸々自分の思い通りしなくても」言われてますけど、この編集姿勢はむしろ219.106.24.59さんのことですよ。
賛成 『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』に変えるのは構いません。「あかんやつら』にはセックスドキュメンタリーシリーズと記されてますが、シリーズ化されてないのはその通りですから。
反対 せっかくまとめていただいたのに申し訳ないですが、出だしがこの文章おかしいでしょ?ヒットさせたから何?だし、以降へ繋がる文章になっていなくて、何を言いたいのかわかりにくいです。注釈を取っ払っただけで、後ろに繋がる文章へのことを全く考慮してないですね。そもそも『日本暗殺秘録』が作られる発端はIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが連呼されてる企画ありきなら、出だしは「テロのドキュメントを撮る」か、「渡邊が企画を通した」という二つの説しか、新たな出典が出てこない限り、現在ではないわけです。この二つの説を明確かつ簡潔に執筆し、次にどういう活動(取材などの下調べ)をしたかが、製作の流れで特筆すべきことではありませんか。出だしに二つ説がある時点で、誰が誰に指示しようと、当該映画に限っては冗長に書く内容じゃないでしょ?その「テロのドキュメントを撮る」も岡田が指示したのか、中島がやらせてくれと言ったのかと更に枝分かれしていくんですから。せっかく注釈に入れて細かく説明してるものを、わざわざ表に出して情報をごちゃ混ぜにしてわかりにくくするより、片方の説「テロのドキュメントを撮る」の背景である『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』のヒット、岡田か中島がどちらか言い出したのかを詳細に説明にするのに注釈へ入れているわけです。渡邊説もある以上(219.106.24.59さんの独自研究ではご納得いかないかもしれませんが)、二つの説を平等に記すには(Wikipedia:中立的な観点)、それぞれの説の詳細を注釈で説明したほうが読者には、簡潔でわかりやすく、閲覧者には親切だと思いますがね。注釈を取っ払って何が言いたいのかわかりにくい内容にすることは、Wikipediaの質を下げるだけの編集でしかないです岡田茂 (東映)仁義なき戦いのような出典があれば何でも加筆しておかしくなっており(全ての個所とはいいませんが)、主に219.106.24.59さんが闇雲に加筆されてるから、非常に読みにくい記事になっています。これらの状態のような記事を作るのはやめてほしいですね。これが木を見て森を見ずということなんですよ。219.106.24.59さんが一生懸命編集されてるのかもしれませんが、文章は多ければいいというものでなく、「必要なことを簡潔に執筆すべき」とWikipedia:素晴らしい記事を書くには、にも記されています。何度かリンクさせてますが、読んでないようですね…。「出典で見つけたから何でも執筆しようという姿勢は、問題」とこれまで申し上げてきましたよね?Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかも読んでないでしょう?
コメント ここまで説明してご同意いただけないのであれば、こちらは次の機会にコメント依頼しましょう。その際はノート:日本暗殺秘録#検証・訂正・加筆へ議論を移すことをお願いします。
私が 岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった と編集した点についてですが、これはもうそのままでしょう。「編集者の予想や考え」「発言した出典も現状ではない」「そう言ったであろうというみせかける」などと言い張られますが、これはもうまんまだと思いますよ。これに乗じて「岡田茂の発言を加工してる」といわれるのも心外ですね。
返信 出典『困った奴っちゃ』の91 - 92ページでわかることは「小沢が真似でやろうという企画だと思ったこと」、「この映画の指令は岡田から出された」ということだけです。91 - 92ページを読んでIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが「「岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった」と思い、そう感じ、そう考えるのはご勝手ご自由なんですが、それをWikipediaに載せてはいけないと前回申し上げた通りです。91 - 92ページでは岡田が小沢に具体的にどのような指示をしたか不明なのがわかりませんか?「燃えよドラゴンと同じような映画を作るぞ」「ブルース・リーを千葉真一に変えて作れ」などなどいろいろな岡田の指示が想定できるわけで、具体的に岡田からどのような言葉や発言で小沢が指示を受けたかは91 - 92ページではわからないんですから。聞いた小沢が「真似しろということだな」と受け取ったということしか『困った奴っちゃ』には載っていないのです。219.106.24.59さんがやってることは、想像で岡田の指示を作ってるだけで、これが発言を加工してるという意味です。
Wikipedia:原典のコピーはしないというルールがあるので、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に従って編集をするようになりますが、ここでも「独自の表現で記事を執筆しなければなりません」と書かれています。
返信 Wikipedia:原典のコピーはしないというのは、出典から膨大に丸写しをするなという意味であって、内容によっては引用しても構わないことになっています。ましてや「岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった」という文量なら引用しても全くWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に違反せず、わざわざ独自の表現で執筆する必要もないです。そもそも独自の文章を書かなくてはいけませんが、独自の予想を入れてはいけないんですよいいわけでなく、「Wikipedia:原典のコピーはしない」の目的と意味を違うようにご理解されてるようですね。
あなたが「上で申し上げた通り、社長の指示で製作が動いたのは間違いありません」と書かれているように「岡田社長から『ブルース・リーを真似ろ』という指示があって始まった企画と重要なことを最初にしっかり書き、以降に詳細を書けばいい話なんで、あなたが書かれているように、「真似しろ」という一言で記事を締めているわけではないですし、これを書いたからといって貧弱な内容で終わるわけではないでしょう。何故この発言を書いたら貧弱な内容になるのか?日本映画は海外の映画をパクってそれ以上に良い物を作ったケースも数多いのでどうしてそれを恥じる必要があるのか、デリケートになり過ぎでないですか?
返信 「社長の岡田茂 (東映) の指示で製作が動いたのは間違いない」という私の発言を違うように受け取られてますね。社長からの指示はあらゆる組織にあてはまることで、部下(映画スタッフ)へ指示があるのは当たり前という意味です。「~指示があって始まった企画と重要なことを最初にしっかり書き」という御発言は、どうみてもIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの岡田茂を一番最初に持っていきたいという願望が強く滲み過ぎです。激突! 殺人拳#製作節は、製作の流れを起承転結発端(高田の視察)→立案(岡田の決断と松平への指示)→準備(渡邊・松平・高田の行動)の展開を記すべきであって、どうみても最初は高田宏治ロケーション・ハンティングから始まってるのです。なぜ一番最初に岡田の「真似しろ」が来なくてはいけないんですか?製作の流れや経緯としてどうみてもおかしいでしょ?高田が香港で何かしらのカンフー映画を見たことが、製作に繋がる発端なんです。激突! 殺人拳#製作節には岡田が「カンフーカラテに置き換えて製作すれば、」と具体的な説明文があるのに、なぜそれほど岡田の指示を一番最初に、それも実際に岡田が発言してない「真似しろ」(岡田が発言したと出典に載っていない)を、執筆することにこだわられてるのですか?その意図は製作の経緯や流れを説明するより、岡田を前面に出したいという219.106.24.59さんの願望にしか見えません。パクったことを良い悪いという次元の話をしてるのではなく、出典に載ってないことを想像で執筆する必要はなく、特筆性もなく、製作節の一番最初に記す意味もないのです。現状の記事がWikipedia:中立的な観点に反しているとも思えないですしね。
情報 東映映画のあちこちの記事でIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは可変IPで、「企画は当時の東映京都撮影所(または東映東京撮影所)所長・岡田茂(のち、同社社長)」を記してますが、徳川女系図#企画暗黒街最後の日#企画ギャング対Gメン#企画四畳半物語 娼婦しの#企画地獄 (1979年の映画)#製作経緯のような書式、すなわち「企画は岡田茂」と一番最初に当該記事も同様にすべきということでしょうか?宮本武蔵 (1961年の映画)導入部に「企画は岡田」を記してますね。PJ:FILMLEADにも導入部には監督、主演、脚本を記すのが一般的と例が出されています。映画によるんですべておかしいとはいいませんが、企画それも岡田を前面に出す執筆は219.106.24.59さんの意思が入りすぎでしょう…。少なくとも当該記事ではここまで説明した理由から必要ないと思いますね。
報告 前回の返信を「言い張られてる」と反論されてしまうと、第三者に入ってもらったほうが良いと思うので、岡田茂が「ブルース・リーを真似ろ」と指示したという文を載せるべきか否か、コメント依頼出しますので第三者に判断してもらいましょう。
この比較意味ないですね。上でも書いたように『激突! 殺人拳1』で私が書き込んだのは「岡田の件」だけで一行です。他は別の方の執筆なのでこれを「私の編集した最終版」としたら他の方たちに失礼でしょう。まあ他の執筆も全部あなたなのかも知れませんが。するとどっちにしろあなたの編集版ですね。もしかして罠に掛けてらっしゃる?『日本暗殺秘録4』の方は10行以上書いていますが、あなたがそれを残されているし、この比較もあまり意味ないんじゃないですか。私が10割近く書いた記事とあなたが10割近く書いた記事を比べないと意味がないと思います。私は先に挙げた2点だけ改善して欲しいと要望しているだけで、あなたの編集法全体にクレームを付けているわけではありません。この件に関しては2点以外にあなたの編集法のクレームは付けていません。“3人寄れば文殊の知恵”ということわざもある、とあなたは書かれていますが、あなたは全て自分の編集に問題がない、と言い張っておられます。利用者皆さんで記事を書けばいいのであって、丸々自分の思い通りしなくてもいいでしょう。あなたも書く、私も書く、皆さんも書く、それでいいでしょう。
返信 件数の問題じゃありません。それに意味があるかないかは第三者が判断すればいいんです。IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんはいかにも私が融通が利かないようなことを言われてますが、むしろ
  1. 岡田茂が発言したと出典に記されていない「真似をしろ」を、岡田が発言したように載せろ
  2. 内容の分かり易さや前後の繋がりはどうでもいいから注釈は外せ
  3. 岡田茂をとにかく前面に出せ
と、自分の思い通りにならないから言い張っておられるとしか思えませんね。出典があれば何でも執筆していいという場でないのが、Wikipediaということをいまだご理解されてないようで残念です。もしお返事頂け引き続き議論をされるなら、最初に申し上げた理由から当節(#ご返事)にお願い致します。--らーしお会話) 2015年8月31日 (月) 13:49 (UTC)--らーしお会話2015年8月31日 (月) 14:59 (UTC)

あなたが強烈なので誰からもコメントを頂けませんね。もう第三者にジャッジしてもらうしか方法がない状態のようですね。再度私の方からもコメント依頼に出しました。

ウィキペディアは誰でも自由に編集できるフリー百科事典でしょう。何故、私の一行、二行の編集希望があなたの個人判断で排除されるのか?納得出来る理由なら私もここまで食い下がりませんが、あなたのいう理由は排除される程の理由でありません。あなたは私を「企画至上主義」と揶揄されますが、あなたはあまりにも「企画」を軽視し過ぎ、映画製作を簡単に出来るような物のように論じられます。あまりに映画に携わる人たちに対する敬意がなさ過ぎで、今回の議論も根本にそこが違うので折り合うことが出来ません。今回のノートで私が提出しているのは、『激突! 殺人拳』での「製作」の節での一行の記載の希望と『日本暗殺秘録』の同じく「製作」の節での書き出し部分の改善の二点です。既に自身で文面は構成し提示しています。ノートは合意を図る場所なので皆さんのご意見次第では勿論、文面の改善、或いは全面取り下げの気持ちはあります。第三者のご意見、アドバイスを頂きたく思います。

らーしお氏は、とにかくルールを色々並べられ反論されるが、全て自分のいい方の解釈しかしてません。

Wikipedia:原典のコピーはしないというのは、出典から膨大に丸写しをするなという意味であって、内容によっては引用しても構わないことになっています。ましてや「岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった」という文量なら引用しても全くWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に違反せず、わざわざ独自の表現で執筆する必要もないです。そもそも独自の文章を書かなくてはいけませんが、独自の予想を入れてはいけないんですよいいわけでなく、「Wikipedia:原典のコピーはしない」の目的と意味を違うようにご理解されてるようですね。」

返信  :出典から膨大に丸写しをするなという意味であって、内容によっては引用しても構わないことになっています。そもそも独自の文章を書かなくてはいけませんが、独自の予想を入れてはいけないんですよ こんなことはどこにも書かれていない。ここまでルールをよく読めと説教して、ルールに書かれていない私論を言ってはまずいでしょう。臨機応変に独自解釈ですか?:独自の予想とは何でしょうか?  

ーやくざ映画からカンフー映画への飛躍というのもすごいですね。
小沢ーこりゃもう、何やってもアカンから、当時ブルース・リーの映画が当たっていたから、もうその真似でやろうという企画でしたから。
ー誰の指令ですか。
小沢ーそれはやっぱり岡田茂です。

この文面から私が 岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった と編集した点が:独自の予想ですか?

当時ブルース・リーの映画が当たっていたから、もうその真似でやろうという企画でしたから。
ー誰の指令ですか。
小沢ーそれはやっぱり岡田茂です

ブルース・リーの真似でやろうという企画を岡田茂から指令された

ブルース・リーの真似を岡田茂から指令された

岡田茂から「ブルース・リーを真似ろ」という指示があった

返信 これがあなたのいう「独自の予想」や「加工」に当たりますか?言葉を減らしただけでしょう。「出典『困った奴っちゃ』の91 - 92ページでわかることは「小沢が真似でやろうという企画だと:思ったこと」、「この映画の指令は岡田から出された」ということだけです」ではなく:思ったことではなく、「小沢がブルース・リーの真似でやろうという企画の指令を岡田から出された」でしょう。これが違反編集に当たるのでしょうか?インタビュー形式の会話を文章内にそのまま入れると前後が繋がら無くなるし普通の編集と思いますが。ここはノートで合意を図る場所でしょう。私は既に二点について書かせて欲しいと要望を出しています。あなた、もしくは他のユーザーの方から、こういう文面にしたらいい、という提案があれば受け入れる準備もあります。あなたが先に挙げたのを繋げた「小沢がブルース・リーの真似でやろうという企画の指令を岡田から出された」でもいいですよ。ところがあなたは「自分の編集に問題がない筈」と言い張って私の提案を聞き入れる気は全くないようです。

「パクったことを良い悪いという次元の話をしてるのではなく、出典に載ってないことを想像で執筆する必要はなく、特筆性もなく、製作節の一番最初に記す意味もないのです。」

返信  :特筆性もなくですか? 映画全体のコンセプトでしょう。プロデューサー兼社長である岡田が小沢に「ブルース・リーを真似ろ」と指示した、それで映画製作が始まったことが特筆性に欠けることでしょうか?勿論、そう指示して始まったが、千葉がブルース・リーとは別の魅力を発揮して世界的に評価される映画になったことは私もそこそこ映画に精通していると思いますので分っています。
返信 ~指示があって始まった企画と重要なことを最初にしっかり書き」という以前の私の発言は、私の認識違いでした。お詫びいたします。勿論、高田のシナリオハンティングが冒頭で問題ありません。以前も本文の冒頭には書いていません。他の編集もこれでよいと思います。製作の節の出典が20行近く『あかんやつら』ばかりなので(『激突! 殺人拳』の製作詳細が書かれた文献が『あかんやつら』しか今のところ無いからなのですが)小沢の著書に当事者である監督の貴重なインタビューがあるのでこれを加えてもいいんじゃないでしょうか。このような形で入れてもらいたいと思います。

== 製作 == 『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)のシナリオハンティング香港を訪れた高田宏治は、当地の映画館カンフー映画を観賞した<あかん>。東映京都撮影所に戻ると「香港にとんでもなく面白い映画がある」と、スタッフ内では高田の土産話で持ち切りになる<あかん>。京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田茂は、日本国内で一般公開される前のカンフー映画『燃えよドラゴン』(1973年)を観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かう<あかん>。観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた<あかん>。監督の小沢茂弘は岡田から「ブルース・リーを真似ろ」という指示を受けた<小沢>。でもでもなく、と拳で決着をつけるアクロバティックアクション映画は、器械体操で鍛えた身体を持ち、空手道の有段者である千葉真一には打ってつけの企画となる<あかん>。岡田・高田は千葉の担当プロデューサーである松平乗道に、海外合作と東南アジアでのセールスを見込める脚本を書くよう指示した<あかん>。香港を舞台に国際ギャングと千葉が戦い、そこに各国の空手の使い手が入り乱れる準備稿が用意される<あかん>。香港との合作を目論み、企画を統括する渡邊達人・高田・松平は、現地のゴールデン・ハーベストと交渉するが、合意に至らなかった<あかん>。脚本は国内を舞台としたものに書き直され、予算は大幅に縮小<あかん>。製作陣は何とか当初の案を少しでも反映させるよう、知多半島観光協会とタイアップする交渉も行われた<あかん>。予算の復活が見えてきたクランクイン直前に「東映とタイアップしても観光に効果がない」と断られ<あかん>、当初よりスケールは縮小されたものの、千葉ら出演者によるカラテアクションはド迫力なものになっている<あかん>。


次に『日本暗殺秘録』の私が提案した
中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した前作『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を5〜6人のスタッフみで製作しヒットさせた。大川博社長(当時)は俳優の出演がなく、収益率の良い同作を高く評価していた。本作『日本暗殺秘録』の始まりには中島が続いて「テロのドキュメンタリーを撮りたい」と岡田茂企画本部長(当時)へ企画を提出した、「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、渡邊達人東映京都撮影所企画部長(当時)が「二・二六事件などの資料をもとに暗殺映画を企画したら通った」[注釈 6]など、幾つか説がある。

「らーしお氏の反対理由ですが、せっかくまとめていただいたのに申し訳ないですが、出だしがこの文章おかしいでしょ?ヒットさせたから何?だし、以降へ繋がる文章になっていなくて、何を言いたいのかわかりにくいです。注釈を取っ払っただけで、後ろに繋がる文章へのことを全く考慮してないですね。そもそも『日本暗殺秘録』が作られる発端はIP:219.106.24.59(ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4 ・ IPv6)さんが連呼されてる企画ありきなら、出だしは「テロのドキュメントを撮る」か、「渡邊が企画を通した」という二つの説しか、新たな出典が出てこない限り、現在ではないわけです。この二つの説を明確かつ簡潔に執筆し、次にどういう活動(取材などの下調べ)をしたかが、製作の流れで特筆すべきことではありませんか。出だしに二つ説がある時点で、誰が誰に指示しようと、当該映画に限っては冗長に書く内容じゃないでしょ?その「テロのドキュメントを撮る」も岡田が指示したのか、中島がやらせてくれと言ったのかと更に枝分かれしていくんですから。せっかく注釈に入れて細かく説明してるものを、わざわざ表に出して情報をごちゃ混ぜにしてわかりにくくするより、片方の説「テロのドキュメントを撮る」の背景である『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』のヒット、岡田か中島がどちらか言い出したのかを詳細に説明にするのに注釈へ入れているわけです。渡邊説もある以上(219.106.24.59さんの独自研究ではご納得いかないかもしれませんが)、二つの説を平等に記すには(Wikipedia:中立的な観点)、それぞれの説の詳細を注釈で説明したほうが読者には、簡潔でわかりやすく、閲覧者には親切だと思いますがね。注釈を取っ払って何が言いたいのかわかりにくい内容にすることは、Wikipediaの質を下げるだけの編集でしかないです。」

返信  :出だしがこの文章おかしいでしょ?って何がおかしいんでしょうか?:ヒットさせたから何?って。ヒットさせたから『日本暗殺秘録』が作らせてもらえたんでしょう。『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』がヒットしてなければ、「テロのドキュメント」は作られてないんですよ。この項目さえ存在しない。重要な記述でしょう。特筆性大有りでしょう。あなたは企画や映画製作の発端を軽視し過ぎなんですよ。一本の映画の製作にどれだけの大金がかかりますか?どれだけの人が関わりますか?。映画に敬意を払う人なら「ヒットさせたから何?」なんていわないはずですよ。軽く考えすぎなんですよ。映画ファンなのかな?と思います。勿論映画ファンじゃないと執筆してはいけないということではありませんが、映画に関する文献は大抵映画ファンによって書かれていて、企画や映画製作の発端は重要視され書かれています。例えば東映の社史『クロニクル東映Ⅰ』は、東映の歴史に於いて重要な映画を選んで、その映画の「証言 製作現場から」と題して関係者一人の証言を載せるスタイルをとっていますが、「製作担当」「監督」というのもありますが、「企画」「企画担当」という物が多いですね。これは東映映画が「企画」を重要視する証左だと思いますが。『困ったやっちゃ』でも『激突! 殺人拳』に関する質問の最初に「その真似でやろうという企画でしたから」と小沢が答えていますよ。「企画」の話から始まってるじゃないですか。あなたが「企画」を軽視した編集を続けていくと私以外にもぶつかることは必至でしょう。映画は漫画や小説のように作者一人が書いて出版社に持ち込んで掲載が決まるものではありません。映画を作るのに何千万、何億円、何十億円もの大金がかかります。ハリウッド俳優のように自身もお金を持っていて自分で企画も製作(製作費を全額出資、或いは全額調達)も主演も兼ねるような場合もありますが、日本では企画を提出する人は、岡田のように社長以外は大抵お金は持っておらず、最終的には社長がGOサインを出して映画製作が始まるわけですが、巨額のお金を注ぎ込むので失敗すれば会社が倒産する場合もあります。「企画」や「映画製作の発端」はとてつもなく重要と考えます。:出だしは「テロのドキュメントを撮る」か、「渡邊が企画を通した」という二つの説しか、新たな出典が出てこない限り、現在ではないわけです。この二つの説を明確かつ簡潔に執筆し、二つの説ではなく、渡邊企画説を入れるなら、①中島が岡田へ企画を提出した、②「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、③渡邊が企画した、の三つの説でしょう。③の渡邊企画説が本文に出て①②が注釈の中に入り込む理由が不明瞭です。三つは当然並列でしょう。それに『昭和の劇』の笠原の発言は「企画は渡邊さんじゃないかなあ」ですから、笠原ははっきり知らないんです。あなたの厳しい出典チェックからいえば出典無効でしょう。:明確かつ簡潔に執筆し、と書かれていますが、私の提案した文章も明確かつ簡潔に執筆していると思います。:次にどういう活動(取材などの下調べ)をしたかが、製作の流れで特筆すべきことではありませんか、以前から言っているように次にどういう活動をしたかは、記事の充実で大変良いことで、全く反対しません。むしろこの辺りの編集はあなたはお上手で結構なことです。ただ、句読点置きに「出典」を付ける文体はあまり綺麗でないですね。私も本来はあまり付けたくはないのですが、あなたのようないちいち、句読点置きに[要出典]を貼り付ける方がおられるので「出典」をたくさん付けざるをえません。出典に出されている文献の全部を確認せず、一部しか見ないからそうなるんでしょう。:以降へ繋がる文章になっていなくて、何を言いたいのかわかりにくいです。注釈を取っ払っただけで、後ろに繋がる文章へのことを全く考慮してないですね。 以降へ繋がる文章になっていないですか?普通に繋がると思いますよ。それに繋がらなければ、言葉を変えればいいでしょう。私はこのような文章でどうでしょう?と提案をしてるので受け入れる用意はあります。ここは合意する場所でしょう。あなたはとにかく自分の意見しか認めないの一点張りです。出だしに二つ説がある時点で、誰が誰に指示しようと、当該映画に限っては冗長に書く内容じゃないでしょ?その「テロのドキュメントを撮る」も岡田が指示したのか、中島がやらせてくれと言ったのかと更に枝分かれしていくんですから。せっかく注釈に入れて細かく説明してるものを、わざわざ表に出して情報をごちゃ混ぜにしてわかりにくくするより、片方の説「テロのドキュメントを撮る」の背景である『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』のヒット、岡田か中島がどちらか言い出したのかを詳細に説明にするのに注釈へ入れているわけです。 :誰が誰に指示しようとって暴言過ぎでしょう。とても大事な指示でししょう。「誰が誰に指示しようと」は企画の発端であるため、重要な記述と考えますし、:「当該映画に限っては冗長に書く内容じゃないでしょ?」と言われるが、私の提案は冗長でもないでしょう。:「情報をごちゃ混ぜにしてわかりにくく」もしていないし簡潔に書いていると思います。:出だしに二つ説がある時点で、誰が誰に指示しようと、当該映画に限っては冗長に書く内容じゃないでしょ。その「テロのドキュメントを撮る」も岡田が指示したのか、中島がやらせてくれと言ったのかと更に枝分かれしていくんですから。 更に枝分かれしてませんよ。①中島が岡田へ企画を提出した、②「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、③渡邊が企画した、の三つの説でしょう。③の渡邊企画説が本文に出て①②が注釈の中に入り込む理由が不明瞭です。:せっかく注釈に入れて細かく説明してるものを、わざわざ表に出して情報をごちゃ混ぜにしてわかりにくくするより、片方の説「テロのドキュメントを撮る」の背景である『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』のヒット、岡田か中島がどちらか言い出したのかを詳細に説明にするのに注釈へ入れているわけです。 全然ごちゃ混ぜにもなってません。わかりにくくもなっていません。シンプルに三つの節です。提案通り、表に出して説明するべきです。:注釈を取っ払って何が言いたいのかわかりにくい内容にすることは、Wikipediaの質を下げるだけの編集でしかないです。 表に書いてわかる内容なら注釈を付ける必要ないでしょう。Wikipediaの質も下がらないと思いますよ。私の提案した文章を入れてみました。勿論あなたが鬼の首を獲ったように言われる「当時」も「敬称」も取りました。

== 製作 ==
=== 企画 ===
監督の中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した前作『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を5〜6人のスタッフみで製作しヒットさせた。大川博社長は俳優の出演がなく、収益率の良い同作を高く評価していた。本作『日本暗殺秘録』の始まりには中島が続いて「テロのドキュメンタリーを撮りたい」と岡田茂企画本部長へ企画を提出した、「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、渡邊達人東映京都撮影所企画部長が「二・二六事件などの資料をもとに暗殺映画を企画したら通った」[注釈 6]など、幾つか説がある。

=== 準備 ===
まず、中島貞夫・天尾完次・笠原和夫は[15]、浅沼稲次郎暗殺事件を題材にしようと山口二矢・赤尾敏へ訪問してヒアリングしたが[16][17]、一本の映画にできないと判断し、止めた[16]。(映画作りの参考に)東大紛争を視察するものの[18]、モチーフ探しに困った中島と笠原は「テロといえば水戸だろう」という思いつきで、桜田門外の変や血盟団事件を生み出した当地へ赴く[16][19]。取材を重ねた結果、血盟団事件をテーマにしよう、小沼正へインタビューしよう、と二人は骨子を固める[20]。中島は「人殺しをする情念とは一体何か。本当に情念なのか狂気なのか[18]」、笠原は「実在のテロリストたちが持つ光芒を出したい。ある種、観念的な主題[21][22]」を描こうと、それぞれ決意していた。しかし大川博の意向により、本作はオールスターで撮ることとなる[注釈 7]。

返信 最初の「もともとはテロリストをセミ・ドキュメンタリーで描く予定だったという話」の方は、当事者である中島貞夫の著書と東映公式の中島のインタビューで、中島が企画設立の経緯をはっきり話している、本を確認しなくても閲覧者にネットで簡単に確認できる珍しくよい出典です。いつまで配信されるか分りませんが。もう一つの「東映京都撮影所の企画部長である渡邊達人が二・二六事件などの資料をもとに暗殺をテーマにした映画を通してしまった話」は、笠原の『昭和の劇』が元出典と思いますが、ここで笠原は「企画は誰ですか」と聞かれ「渡邊達人じゃないかなあ」と答えてるもので、はっきり発端を笠原は知らないんでしょう。はっきり知らないような記述なので、あなたの厳しい出典調査なら使わない方いいんじゃないですか。あなたは私が二次資料である『ワケありな映画』を当該記事に出典を持ってきたから、なんでそんな出典をそもそも当該記事に持ってきたんですか?と言われますが、時間がたって気付くこともありますよ。人間ですから。個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないことは分りますが、ここは合意する場所なので、ある程度自論を戦わせても問題ないと思います。「当時」「肩書」が受け入れる気ないのなら、って大した問題じゃありませんよ。気付いたら消せばいいだけの話でしょ。何を鬼の首獲ったようなこと言ってるんですか。
返信 あなたは私が岡田茂の記事をたくさん書いていることに関して、「岡田茂が発言したと出典に記されていない『真似をしろ』を、岡田が発言したように載せろ」やら「岡田茂を一番最初に持っていきたいという願望が強く滲み過ぎです」「岡田茂をとにかく前面に出せ」「企画それも岡田を前面に出す執筆」などと、色々手を変え品を変え揶揄されます。:PJ:FILMLEADにも導入部には監督、主演、脚本を記すのが一般的と例が出されていますと書かれていますがここにも誤認がある。私は「導入部」で「企画は岡田」と書き込んだことはほとんどありません。PJ:FILMLEADのもう少し下に、「製作」節では映画がどのように製作されたかを時系列にそって記述します。映画史における重要な作品など、出典が豊富にある場合、この節が「企画」「製作準備」「製作」「編集」といった複数の小見出しになることもあるでしょう。と書かれています。私は「製作」「製作経緯」の節の冒頭に「企画は岡田」と書いているんでルールに沿って編集しています。また新規項目の立ち上げの際も「プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド」にある「定型書式」を守って書いており批判される筋合いでない。また「企画は岡田茂」と書いているのは、岡田に功績があると考えていて書いているので、あなたの言われるように意思は入っていますよ。思い入れがあってもいいでしょう。あなたに揶揄される筋合いはない。誰も岡田に功績があると考えてないのに私だけが書いているのなら問題でしょうが、岡田に功績があるのは衆目の一致するところでしょう。こうした例を挙げればいいでしょうか?[4][5][6][7][8][9][10][11][12][13] あなたが出典に用いたがる(文献が他にないからでしょうが)『あかんやつら』でも岡田は主人公格ですよね [14] 私は岡田のことばかり書いているわけではなく他のスタッフ、キャストの功績もしっかり書いていますよ。でなければ新規項目は立ち上げられません。ノート議論とは関係ないことですがあなたがあまりにも岡田の編集を揶揄されるので書きました。
返信 あなたが加筆した部分は全て除去する必要はないでしょう。Wikiのルールをよく掌握しておられることには感服しており、編集法もとても上手だと思います。ただ、文章の構成があまり上手くないような気がします。今回疑義を出している「注釈」の使い方はおかしいでしょう。あなたが私の編集を気に入らないように、私もあなたの編集が気に入らない(全てではありません)。私はあなたのように他人の編集は一切認めないという姿勢でありませんから、この程度なら改編を望んでいませんが、例えば、私が立ち上げた最初の版『女必殺拳シリーズ1』と、らーしお氏が編集した『女必殺拳シリーズ2』で言えば、

私の最初の版では、製作経緯で時系列に沿って簡潔に記事を書きました。しかし未だに出典は私が探した文献だけですね。あなたはせっせと出典調査の管理者みたいなことを続けておられますが。この『女必殺拳シリーズ』のことが書かれた文献はそこそこあるのですが、製作経緯詳細が書かれたものは今のところ『東映ゲリラ戦記』『下品こそ、この世の花 映画・堕落論』の鈴木証言しかなく、これらで鈴木の文面が非常に活き活きと要点を簡潔に伝える内容だったので、岡田のセリフを括弧書きにして岡田が「京都時代に俺とお前で作った『緋牡丹博徒』のカラテ版をつくる。主演はアンジェラ・マオを香港から呼ぶ。~」と原典のほぼそのまま書いたのです。らーしお氏は冒頭に「岡田茂(社長)は香港支社からアンジェラ・マオの出演了承の連絡が入ると」と、小説の導入部のような始まりに変更しています。その後、過去に遡る書き方です。何で難しく書くのか?シンプルに書けばいいものをという感じです。原典コピーを意識した編集かもしれませんがここまで変える必要はない。それと簡潔にするつもりで削られたのかもしれませんが、私が書いていたこの鈴木は岡田社長から「ヒット作を作るまでは東京撮影所に残れ」と命じられるを消されていますが、ここで重要なことは、鈴木は3本の企画を提出するが岡田に全て蹴られ、京都に帰ろうとしていた、また『女必殺拳』は監督は代わりましたが、ヒットしたことで、鈴木はカラテ映画に関わり東京撮影所に残っていたわけです。つまりそのまま京都に鈴木が帰っていたら、『女必殺拳』がヒットしていなければ、『トラック野郎』の監督は鈴木でなかった可能性もあり『トラック野郎』は全然違った映画になった可能性もあったわけです。鈴木則文は岡田が喜劇をさせるため育てた人です[15] 何でも簡潔にした方がいいというわけではありません。岡田が電光石火の早業で企画を成立させたという文言も残して欲しい箇所です。一気に企画を成立させるのはかなり珍しい事例と思うからです。当時の映画状況を踏まえて編集をしておられますか?らーしお氏は木を見て森を見ずという言葉がお好きで頻繁に使われますが、これを他人に言うとかなり強烈な人間性批判になります。我々のようなネットに書き込む人間はしばしばこれに陥りやすい。自身への戒めとして心に留めておけばいいんで、他人に言うようなことではないでしょう。仮にあなたが年配者ならあまり言うと恥ずかしい感じがします。若い方なら使いたがりたい言葉なんだろうなあと思います。実生活では言えないからネットで言われるのでしょう。その後の志穂美抜擢の経緯の記載などはとても良い編集と思います。更に下の「評価」の節のらーしお氏が執拗に「要出典」を貼られた部分ですが、らーしお氏は新しい出典・文献を探される気はないようですが、私は志穂美のファンでも長渕のファンでもありませんが、志穂美にはやはり元祖女性アクションスターとしての貢献があると思い、評価が書かれた良い文献を探し、この四方田犬彦、鷲谷花共著『戦う女たち 日本映画の女性アクション』が文面が良いのでこの記述を中心に、というか原典コピーに近いのですが『ぴあシネマクラブ』と当時の週刊誌の記述を使い記載したわけです。句読点置きに「出典」を付けるのは文章が汚くなるのであまり付けたくないですが、あなたのように執拗に「要出典」を貼られた方がいるので付けざるをえません。--219.106.32.152 2015年9月10日 (木) 16:38 (UTC)


返信 第三者のコメントがつかないのは必ずしも私のせいだけじゃないでしょうね。当該ノートにこのようなレイアウトで書かれると、せっかくのコメント依頼も第三者がどこにコメントしていいかわからなくなり、コメントは集まりません。前回申し上げましたが、まずノートで議論のマナーを覚えていただけますか(Wikipedia:ノートページのガイドライン#推奨される習慣)?議論が続いてる状態で新たに「ご返事」という見出し(節)を設けるのはやめてくださいとお伝えし、当節に返信をお願いしたはずです。まず余計な節は、nowikiで括り無効にしました。IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの最新のレスを当節に移動しました。さて前回同様219.106.32.152さんのコメントに下線を設け、その字下げをして返信しています。
ウィキペディアは誰でも自由に編集できるフリー百科事典でしょう。何故、私の一行、二行の編集希望があなたの個人判断で排除されるのか?納得出来る理由なら私もここまで食い下がりませんが、あなたのいう理由は排除される程の理由でありません。あなたは私を「企画至上主義」と揶揄されますが、あなたはあまりにも「企画」を軽視し過ぎ、映画製作を簡単に出来るような物のように論じられます。あまりに映画に携わる人たちに対する敬意がなさ過ぎで、今回の議論も根本にそこが違うので折り合うことが出来ません。

返信 ここまでの流れを観て第三者がご判断すればいいことかと思います。少なくとも可変IPで編集されるのは推奨されてませんし、是非この機会にアカウントを取得してください。Wikipediaは誰でも参加できますが、誰でも編集できる以上、IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの加筆された個所も永遠に残るわけではないと一番初めに説明したんですがね(Wikipedia:ページの編集は大胆に)。
出典から膨大に丸写しをするなという意味であって、内容によっては引用しても構わないことになっています。そもそも独自の文章を書かなくてはいけませんが、独自の予想を入れてはいけないんですよ こんなことはどこにも書かれていない。ここまでルールをよく読めと説教して、ルールに書かれていない私論を言ってはまずいでしょう。臨機応変に独自解釈ですか?独自の予想とは何でしょうか?  
返信 IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんこそ都合の良いように解釈してますね。出典に書いてるあることを自分の文章で書くことと、出典を読み(編集者が)思ったことや感じたことを書くことは、全く同じ編集ではないんですよ。この違いがわかりませんか?それがWikipedia:原典のコピーはしないということです。
これがあなたのいう「独自の予想」や「加工」に当たりますか?言葉を減らしただけでしょう。「出典『困った奴っちゃ』の91 - 92ページでわかることは「小沢が真似でやろうという企画だと思ったこと」、「この映画の指令は岡田から出された」ということだけです」ではなく思ったことではなく、「小沢がブルース・リーの真似でやろうという企画の指令を岡田から出された」でしょう。これが違反編集に当たるのでしょうか?インタビュー形式の会話を文章内にそのまま入れると前後が繋がら無くなるし普通の編集と思いますが。ここはノートで合意を図る場所でしょう。私は既に二点について書かせて欲しいと要望を出しています。あなた、もしくは他のユーザーの方から、こういう文面にしたらいい、という提案があれば受け入れる準備もあります。あなたが先に挙げたのを繋げた「小沢がブルース・リーの真似でやろうという企画の指令を岡田から出された」でもいいですよ。ところがあなたは「自分の編集に問題がない筈」と言い張って私の提案を聞き入れる気は全くないようです。
返信 小沢がブルース・リーの真似でやろうという企画の指令を岡田から出された」と思うのはIP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんのご勝手ご自由にと言ったはずです。私は「小沢が真似でやろうという企画だと思ったこと」、「この映画の指令は岡田から出された」と読み取り、岡田が具体的にどのような指示や発言で小沢に伝えたかは不明だと説明したんですがね。お分かり頂けなくて残念です。質問者の高橋聡が「誰の指令ですか」と聞き「それは岡田茂です」と小沢が答えてるだけであって、岡田がどういう発言で指示したかは全くわからないと、これも前回申しげました。とにかくあなたと私のどちらの読み取りが正しいかと議論しても意味ないので、それぞれ読んだ感想も違うのだから、平行線です。ともかく小沢発言を載せたいと意欲には恐れ入りました。どうしても載せたいのであれば、せめて出典通りに執筆してくださいよ。この文量なら引用しても全く問題ないし、それが本来の編集だと思います。
観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた[1][注釈 1]でもでもなく、と拳で決着をつけるアクロバティックアクション映画は、器械体操で鍛えた身体を持ち、空手道の有段者である千葉真一には打ってつけの企画となる[3]。岡田・高田は千葉の担当プロデューサーである松平乗道に、海外合作と東南アジアでのセールスを見込める脚本を書くよう指示した[1]。香港を舞台に国際ギャングと千葉が戦い、そこに各国の空手の使い手が入り乱れる準備稿が用意される[1]。香港との合作を目論み、企画を統括する渡邊達人・高田・松平は、現地のゴールデン・ハーベストと交渉するが、合意に至らなかった[1]
  1. ^ 小沢茂弘は「ブルース・リーの映画が当たっていたから、その真似でやろうという企画だった」、「岡田茂の指令だった」と述べている[2]
  1. ^ a b c d 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、344頁。
  2. ^ 「カラテ映画で」『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』、91頁。
  3. ^ 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、343頁。
文章の流れと、岡田がいつ小沢に指示したか、脚本ができる前か後なのか、香港へ行く前か後なのか、小沢がいつから製作に参加したのかも不明なため、小沢発言は注釈に入れました。少なくともこの加筆なら、出典に則って編集してるでしょう。『あかんやつら』は二次資料ですから別にこの出典のみで問題があるとは思えませんが。まあ219.106.32.152さんの執念には参りましたよ。個人的には小沢発言をそこまで載せる必要ないとこれまで説明してきましたが、どうしても載せたいのなら小沢のところはこの文なら同意できます。「監督の小沢茂弘は岡田から「ブルース・リーを真似ろ」という指示を受けた」という文はいずれにしても反対ですね。これは編集者(219.106.32.152さん)の予想が入っており、出典を加工した文と申し上げたはずです。
提案 上記に付随することなので、ここに書かせていただきます。出典『困った奴っちゃ』のP91を見直しました。IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが、「真似」に関わるインタビュアーの高橋聡と小沢茂弘の受け答えを当ノートに書いてくれましたが、このやり取りの前に「~中略。『江戸を斬る 梓右近隠密帳』の5、6話を撮っています。そしてその暮れに『激突! 殺人拳』というエポックメーキングな作品にかかるんです」と小沢が発言しており、本作は1974年2月2日に日本公開してます。1973年の暮れ(年末)から撮影に入ったということは特筆すべき事柄なので、注釈を段落の後半部へずらし、改めてご提案申し上げます。
製作
東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)のシナリオハンティング香港を訪れた高田宏治は、当地の映画館カンフー映画を観賞した[1]。~中略~。製作陣は何とか当初の案を少しでも反映させるよう、知多半島観光協会とタイアップを試みる[1]。しかし予算の復活が見えてきたクランクイン直前に、「東映と提携しても観光に効果がない」と断られた[2]。1973年の年末から撮影が始まり[注釈 1]、当初よりスケールは縮小されたものの、千葉ら出演者によるカラテアクションは迫力のある内容に仕上がっている[4]
  1. ^ 小沢茂弘は「1973年の暮れに『激突! 殺人拳』というエポックメーキングな作品にかかるんです」、「ブルース・リーの映画が当たっていたから、その真似でやろうという企画でした」と振り返り、高橋聡(インタビュアー)の「誰の指令ですか?」という質問に、「岡田茂です」と証言している[3]
  1. ^ a b 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、344頁。
  2. ^ 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、344 - 345頁。
  3. ^ 「カラテ映画で」『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』、91頁。
  4. ^ 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、345頁。
この文案が文章の構成や流れ的にも、良いと思いますがどうでしょうか?小沢の発言を引用した個所は、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の基準を満たしたものです。--らーしお会話2015年9月12日 (土) 06:27 (UTC)
もう一度申し上げますが、『日本暗殺秘録』をこれ以上議論続けるなら、ノート:日本暗殺秘録でお願いしますと前回頼んだはずですが読まれてないのでしょうか?『女必殺拳シリーズ』についても同様であり、それぞれのノートで改めて返信します。IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは可変IPをいいことに、独り善がりなノートの使い方をやめてください。それぞれの問題はそれぞれのノートでやるべきことです(Wikipedia:ノートページのガイドライン)。以降、当該ノートは『激突! 殺人拳』の議論のみにしてください。そして、小沢発言をどうするかのご返信はここの節の下(つまりこの私のコメントの署名の後に)にください。新たに見出しを加えないこと。これで三度目ですよ。お伝えしてるのは。ちなみにこれはお願いではなく忠告です。前回返信した時にお願いしており、これに同意できず、延々とここで『日本暗殺秘録』や『女必殺拳シリーズ』の議論を続けたら、コミュニティに違う依頼をしますので、ご承知のほどを。
報告 新たにコメント依頼されてるようでありがとうございます。ただリンクが変わってるのでそれを訂正します。
第三者の方へお知らせします。『日本暗殺秘録』や『女必殺拳シリーズ』について、私からIP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんへの返信は、それぞれのノートに致しますので、コメントがあればそちらにお願いします。遅くとも今週末までには両記事に返信する予定です。遅れるときはまた当該ノートでお知らせします。--らーしお会話2015年9月10日 (木) 19:48 (UTC)
報告 日本暗殺秘録#準備の文章について当該ノートで議論されてきましたが、これ以降はノート:日本暗殺秘録#注釈に記すことが企画軽視?でお願いします。IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんへの返信済みですので移動をお願いします。ノート:女必殺拳シリーズへの返信は今日中には無理そうなので、時間をください。また連絡します。--らーしお会話2015年9月13日 (日) 08:03 (UTC)
報告 女必殺拳シリーズ#製作の文章について、219.106.32.152さんから当該ノートで疑問を示されましたが、当該ノートで話し合うことでないため、ノート:女必殺拳シリーズ#219.106.32.152 (219.106.48.11) さんからの疑義に返信しました。移動をお願いします。--らーしお会話2015年9月15日 (火) 10:43 (UTC)

激突! 殺人拳と日本暗殺秘録[編集]

#ご返事でIP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんから、私が編集した『激突! 殺人拳』と『日本暗殺秘録』の編集に疑義がでました。つきましては

  • 私が編集した最終版『激突! 殺人拳1』と『日本暗殺秘録2
  • 219.106.24.59さんが編集した最終版『激突! 殺人拳3』と『日本暗殺秘録4

で、百科事典としてどちらが適っているか、コメントを頂けますよう、どうかよろしくお願い致します。

にそれぞれ載っています。なお『日本暗殺秘録』は別記事のため、ここで議論すべきことでないかもしれませんが、219.106.24.59さんの疑義が当該ノートで一緒に記されてるので、あえてこちらにしました。これからのコメント次第では『日本暗殺秘録』のノートに移ることは構いません。どちらかが100%ベストというのはないでしょうが、現状の記事より219.106.24.59さんの編集された記事が適切、そして私の編集内容が明らかにおかしいと、多くの御指摘があれば、私が加筆した部分は全て除去し、219.106.24.59さんの最終版に戻していただいても構いません。--らーしお会話2015年8月26日 (水) 14:09 (UTC)

終了 こちらは議論していくうちに状況が変わってきたので終了します。--らーしお会話2015年9月10日 (木) 19:48 (UTC)