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ノート:皇典講究所/過去ログ1

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定義の見直し[編集]

定義を出典に基づいて修正すべきでしょう。国家機関という出典はありますか? こちらでは財団法人となっています[1]。--ぽてから会話2016年5月10日 (火) 07:28 (UTC)

  • 財団の登記日を見てください。財団と財団法人は違います。財団=公的機関です。また官立は総じて公的機関となります。学習院、皇学所、昌平坂学問所、大学寮もすべて国家機関です。なぜならみんな半官半民だからです。大教院も半官半民の教部省が設置した国家機関です。この時期に公機関が形成されています。昔と今の常識はまったく違います。--60.32.156.38 2016年5月10日 (火) 08:30 (UTC)
国家機関というのは、立法司法行政を主に行う機関のことです。政府が設立したから国家機関と呼ぶわけではありません。国立大学は、決して国家機関ではありません。冒頭部に関しては、出典をきちんとつけてリライトすべきでしょう。(まめしばくんさんでしょうか?)--ぽてから会話2016年5月10日 (火) 09:51 (UTC)
明治初期以来の国民強化政策は、皇典講究所が設立された2年後には、教導職制度の廃止とともに終息しています。ですから、「明治初期の復古体制による神道政策として」という定義は不正確といえるでしょう。--ぽてから会話2016年5月10日 (火) 11:38 (UTC)
当時に、財団法人という法律は存在しません。公益法人を参照してください。国家機関とは「国家の機関のこと。国家の意思を決定・表示・執行するためのさまざまな機関。立法・司法・行政の、事務や作用に関する機関のこと。 →機関、立法、司法、行政。」機関は入っていますよ。王政復古の時代やそれ以前の時代は、太政官制で内閣・行政機関は存在しません。政府という名前ではありません。皇典講究所の設立は1882年で、教導職は1884年です。王政復古により、のちに天皇に神格を与えられているのです。昔は、国家機関と呼ばれていた時代なんです。何度もいいますが、今と昔では常識は違います。--60.32.156.38 2016年5月11日 (水) 09:28 (UTC)
当時の常識が今と違うことは承知しています。出典をきちんとしてもらえればそれで良いです。あなたは、まめしばくんさんとでしょうか? あなたがまめしばくんさんでなければ、今後、何かあったときには、ここではなくまめしばくんさんの会話ページにメッセージを残しますので、お答えください。--ぽてから会話2016年5月11日 (水) 12:16 (UTC)
おそらく、王政復古という概念を勘違いしておられるようですので、Wikipedia記事の冒頭部を引用しておきます。クーデターや内戦など起こっていませんね。出典には、王政復古の記述はありませんでした。
王政復古(おうせいふっこ)は、君主によって統治された国家において、クーデターや内戦などによって一度は弱まったり、廃止されるなどした君主制が、何等かの理由によって復活する現象である。政体が帝国の場合は帝政復古とも言う。復辟(ふくへき)ともいう。

--ぽてから会話2016年5月11日 (水) 12:55 (UTC)

注釈の誤記[編集]

まめしばくんさんが、「皇室の支援の下に設立された神道啓蒙団体である」と「明治政府の援助によって創立された」に、「誤記」という注釈をつけられている件についてですが、これは、なにが誤記であると意味でしょうか。本文中に誤記を記す必要はないはずです。--ぽてから会話2016年5月14日 (土) 04:16 (UTC)

誤用というのは、なにが誤用なのでしょうか「神道啓蒙団体」が誤用ということですかね。--ぽてから会話2016年5月14日 (土) 04:38 (UTC)
表記謬りとはどういう意味でしょうか。--ぽてから会話2016年5月16日 (月) 05:58 (UTC)