ノート:神は死んだ

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いまさらですが、以下の 現代日本社会では、このような思想空間の醸成や前後の文脈等を全く汲まず、大学のレポート類、Amazonの書評欄などで「ニーチェは『神は死んだ』と言った」などと安直に書く傾向がある。 「神は死んだ」の引用のされ方は、翻訳による思想の移入にまつわる問題点を極めてわかりやすく示す好個の例として興味深いものとなっている。 っていりますかね?要出典っていうか、項目としてみても不要っていうか。--Gingin113会話2013年1月24日 (木) 02:58 (UTC)[返信]

同感です.関係ないけど個人的には「神が死んだ」というフレーズが安直に使われているにしてもそれは翻訳云々とは無関係な気がします….ついでにいうなら英語版やドイツ語版の wikipedia が出典のような使われ方をしているのも気になります (cf. Wikipedia:翻訳のガイドライン#翻訳記事で翻訳元記事を出典扱いしない)し,「"haben"の語気を補う」 という記述も(ドイツ語はわからないのですが)要出典というかそういう色彩があるように思われますね. あるうぃんす会話2013年4月26日 (金) 12:46 (UTC)[返信]
何度読んでも英米思想にかぶれた人たちの恣意的な解釈ぶりが際だってて可笑しいですね。↓これが実情でしょう。Crw会話2013年10月29日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
「神は死んだ」の引用のされ方は、英語圏におけるドイツ思想の翻訳による移入にまつわる問題点を極めてわかりやすく示す好個の例として興味深いものとなっている。'

「恣意的」「可笑しい」と思うのは個人の自由ですが、「実情」だとおっしゃっている部分の出典が問われているんじゃないですかね?