ノート:血税一揆

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「処刑」というと、何となく死刑を連想するので、別の言葉にできないか? 「~人が有罪となり…」といった表現がよいかも。 --忠太 2006年1月27日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

  • かんがえてみればおかしなはなしですね、處刑といつたつて、別に死刑のこととはかぎらないでせうに、どうして、處刑とは死刑に處すことである、と感じてしまうのか……。さうですね、「有罪」もしくは「刑に処された」、とか。--壽日 2006年1月28日 (土) 02:08 (UTC)[返信]

解放令反対一揆について[編集]

なんであべこべな記述に戻されてるんでしょうか? johncapistrano 2006年1月30日 (月) 13:20 (UTC)[返信]

どこがあべこべでしょうか? --忠太 2006年1月30日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
「生業が部落民に奪われる恐怖心」などと書かれているがその後に生業を奪われたのは被差別部落の側です。「恐怖心」などは量ることができないものを記述する以上はソースをお願いしたいです。johncapistrano 2006年1月30日 (月) 13:49 (UTC)[返信]
そこをかいたのは初版者であるわたしです。ええと、わたしは平凡社と小学館の百科事典と吉川弘文館の国史大辞典をみてかきましたが、国史大辞典にあつた記述です。正業をうばはれる云々の当否はしりませんが、ソースとしては一流ではないでせうか。どうでせう。--壽日 2006年1月30日 (月) 14:30 (UTC)[返信]
ではその部分の国史大辞典の執筆者は誰ですか?(その執筆者のソースが問題なんですが) それとは別に部分的に記述が世界大百科事典と酷似しているんですが、その辺りは大丈夫ですか?johncapistrano 2006年1月30日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
読み直して「穢多狩り」という言葉は誤解を招きかねないか、と気になりました。現在は「解放令反対一揆」へのリダイレクトになっていますが…。 --忠太 2006年1月30日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
前後してしまいましたが、ここは先に直しておきました。「穢多狩り」というのが、一揆当時の呼び方なのかどうかも、不明ですので。 --忠太 2006年1月30日 (月) 15:06 (UTC)[返信]

歴史的事実として襲撃者がそう呼称したことを記述する分にはいいんじゃないですか。ただ現状それを正当化するような記述ではぁという感じですが。johncapistrano 2006年1月30日 (月) 15:03 (UTC)[返信]

むう、世界大百科事典ににとるといふのは、美作一揆のことでせうか(わたしがかきました)。たしかに、これをもとにかきました。反論するとすれば、一應、世界大百科事典にはない記述がふくまれてはゐる、記述の順番がちがふ、といふところでせうか。「元魁」云々と、東津川原村の名です。順番とは、大阪鎮台云々の出てくる場所、です。根據がよわいとしたら、初版から削除となつてしまいますね。かなしいけれど。わたしのせいですが。
国史大辞典の当該項目執筆者についてはしらべてきます。--壽日 2006年1月31日 (火) 03:01 (UTC)[返信]
IPですが、壽日本人です。さて、本題です。生業が取られる云々のことですが、執筆者は後藤靖で、後藤靖はこの記述をひろたまさき『文明開化と民衆意識』ISBN 4250800113をもとにしたとおもはれます。とりあへずはこれだけ。--133.29.103.238 2006年1月31日 (火) 06:08 (UTC)[返信]
そうですか、お疲れ様です。芋蔓的にズレて行くような感じですが、ひろたまさき氏の著書を調べますか。johncapistrano 2006年1月31日 (火) 06:37 (UTC)[返信]
たしかにずれてますが……。わたしもよんでみるかしらん。さて、著作權侵害のことについては重大ですね。どうしませう。--壽日 2006年1月31日 (火) 08:22 (UTC)[返信]
百科事典の切り貼りであるならいったん削除した方がよさそうですが。どうなんですか? 部分的にコピーしてしまったのであれば辛うじてOKかも知れませんが、ご本人が一番判ることでしょう。johncapistrano 2006年1月31日 (火) 08:33 (UTC)[返信]

(いんでんともどし)さて、切り貼りと部分的なコピーとはどうちがふのですか。コピーといふか、平凡社の大百科事典の記述がくはしかつたものだから、それをもとに美作の一揆をかいたのですが、、、ううむ。まるうつしした、といふわけではないです。--壽日 2006年1月31日 (火) 08:54 (UTC)[返信]

もう一度確認しますが、世界大百科事典の記事の執筆者も後藤靖ですが、国史大辞典も同一ということですか? 編集委員の中には見当たらないようですが。johncapistrano 2006年1月31日 (火) 09:32 (UTC)[返信]
さうですよ。ちがひありません。--壽日 2006年1月31日 (火) 10:12 (UTC)[返信]