ノート:釈尊寺

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布引観音からの眺めの画像について[編集]

まったく関連が無いものならまだしも、そこからの風景であれば理解の助けになり得、意味が無いとは言ないため差し戻しました。-- 2007年4月3日 (火) 06:17 (UTC)[返信]

名称変更について[編集]

布引観音は通称であるため、「釈尊寺」へ改名を提案します。異論がなければ1週間程度で移転しますのでお願いまします。--深志 2008年2月6日 (水) 23:57 (UTC)[返信]

異論がないようですので、代わって移動しておきました。--КОЛЯ 会話 2009年6月4日 (木) 06:20 (UTC)[返信]

戦国時代の再建について[編集]

戦国時代、武田信玄の進攻によって焼亡した伽藍の再建について、軽井沢観光ガイド-布引観音-等では、弘治2年(1556年)に望月城主滋野左衛門佐が再建となっています。しかし、本来、望月城主は滋野氏分流の望月氏であり(分流なので滋野氏でも間違いとは言えないのでしょうが)、当時の城主はWikipediaにも記載されている通り望月信雅です。また、望月町誌等を参考に記載されている信州望月情報局-戦国時代の望月氏-によれば、1558(永禄1)3・7 望月信雅、布引山釈尊寺の堂宇を再建する。との記載があります。これを根拠に、当本文記載を永禄元年(1558年)に望月城主・望月左衛門佐信雅によって再建された。といたしました。--Reggaeman 2008年8月3日 (日) 11:49 (UTC)[返信]