ノート:鎌倉佐弓

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雑多な記述、国際的評価について[編集]

夏石番矢を編集された方と同じ方が同じ手法で次々と追加しておられたのですが、「参加国際詩歌祭」として参加したイベントをただ列挙するのはページが雑多になりよくないです。経歴と絡んだイベントならば活動欄に記述すべきでしょうが、受賞歴と照らしあわせてもそのようなイベントは列挙されている中に見られません。よって「参加国際詩歌祭」一覧は削除すべきだと考えています。

もうひとつ、「日本の現代女性俳人の代表として国際的評価も高まりつつある」という記述なのですが、示されているリンクのひとつは自著の出版社であり、出版社が自社製品および作家を褒めるのは当然です。また、もう片方もひとつのレビューであり、これをもってして「国際的評価も高まりつつある」というのはオーバーでしょう。ですからこちらの一文も削除を考えています。--Aoioui会話2015年5月30日 (土) 05:56 (UTC)[返信]

また、Aoiouiが無根拠のクレームをつけていますね。あなたのクレームこそ、雑多です。--以上の署名のないコメントは、Haikuhaiku会話投稿記録)さんが 2015年5月30日 (土) 20:06‎ (UTC) に投稿したものです(Aoioui会話)による付記)。[返信]

Haikuhaikuさん、どうか議論をしていただけませんか。せっかくノートをご覧になったのに、「無根拠のクレーム」とだけ言って、テンプレートや疑問点範囲を除去されても困ります。
またお示しになったこちらのリンクですが、「鎌倉佐弓」のプロフィールと、Suzie Palmerという方がレビューを書いたことがあるという情報しかありませんでした(kamakuraおよびsayumiでの文中検索結果も二件でした)。「日本の現代女性俳人の代表として国際的評価も高まりつつある」一例にはならないのではないでしょうか。--Aoioui会話2015年5月31日 (日) 13:21 (UTC)[返信]

インドの国際的雑誌の賞を、理由なく削除して、上記クレームを付けるのは、悪意でしかありません。--Haikuhaiku会話2015年5月31日 (日) 14:12 (UTC)[返信]

Haikuhaikuさんは「インドの国際的雑誌の賞」とおっしゃいますが、サイトには「Taj Mahal Review published by Cyberwit.net」とあります。Cyberwit.netは鎌倉佐弓さんの海外出版を、表示されている四冊全てにおいて担当している出版社ですね。それ自体は大変に名誉なことだと思うのですが、自社の作品に自社で出した賞を根拠に「日本の現代女性俳人の代表として国際的評価も高まりつつある」と言うのは不自然です。
あと、繰り返しになるのですが、わたしの発言に事あるごとに「クレーム」「悪意」などのレッテルを貼ることはどうかおやめください。--Aoioui会話2015年5月31日 (日) 15:24 (UTC)[返信]
「参加国際詩歌祭」が雑多だということですが、私は国際的な詩歌祭(この場合の定義ですが、2カ国以上の詩人、歌人、俳人の集まりとします)への参加ということでコンパクトにまとめられていて良いと思います。ウィキペディアのガイドラインにも、「比較的範囲の限られたテーマについて情報を精選して箇条書きした節」についてはよいとされています。このような国際的な詩歌祭に俳人として参加できるのは、日本人としてとても名誉なことと思います。それぞれの詩歌祭についてもっとくわしく知りたければ、新聞や雑誌等の記事を見たりすればいいのではないでしょうか。削除する必要はないと思います。
また「日本の現代女性俳人の代表として国際的評価も高まりつつある」ということですが、現在、国際的な詩歌祭に日本の女性俳人の代表として何度も招かれている事実から考えれば、注目されているのではないでしょうか。(〔nikonikotomato〕)以上のコメントは、Nikonikotomato会話投稿記録)さんが[2015年6月3日 (水) 04:25 (UTC)]に投稿したものです(Aoioui会話)による付記)。[返信]
まず国際的な詩歌祭の定義ですが、これはすべきではありません(Wikipedia:独自研究は載せない)。Nikonikotomatoさんの言うガイドラインは「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」ですね。引いておられる通り、「情報を精選」とあり、わたしも当初からそれを主張しております。その上で、経歴と絡んだイベントならば活動欄に記述すべきだ、と考えているのです。イベント歴を羅列するのは記事の過度な拡大を招くため、ご本人のサイトに列挙することが望ましいでしょう。都合のいいことに、ちょうど本日付けを持って、ご本人のブログに「国際詩歌祭」への参加歴がアップロードされました(http://ssayumi.at.webry.info/201506/article_1.html )。提案ですが、「参加国際詩歌祭」を削除する代わりに、ここへのリンクを本文の記述に組み込むのがよいのではないでしょうか?
次に「日本人としてとても名誉」かどうか、それはご本人でないとわからないですね。海外のイベントに招かれれば日本の女性俳人を代表したとみなすこともできないはずです。これは例えば、埼玉の俳人が東京のイベントに招かれれば埼玉の俳人を代表したとみなすようなものです。そういう考えをすると、ほぼすべての有名人が何らかの形で自分の周囲を代表することになってしまうため、海外のイベントに招かれたという事実をもって日本の女性俳人を代表したとみなすことはオーバーだと書いた次第です。--Aoioui会話2015年6月3日 (水) 06:07 (UTC)[返信]
ここで私が国際を二国間と定義したのは辞書にもそうあるし、一般に日米の二国だけでも国際という使われ方をしているからです。あなたが国際詩歌祭の定義をすべきでないと考える根拠は何でしょうか。実際に多くの国(日本も含みます)で国際と銘打った詩歌祭は開かれてきましたし、これからも開かれることでしょう。その中にはその国の政府が開催したものもありまし、開きたい詩人が集まって開催したものもあります。このウィキペディアに載っているのは、そのうち彼女が参加したものだけですから、全体と比べたらたいした数ではないと思います。あなたが目くじらを立てるほどのことでもないでしょう。ですので、このまま載せていて差し支えないのではありませんか。それともウィキペディアには、国際詩歌祭への参加は書くべきではないという決まりがあるのでしょうか。
「日本人としてとても名誉」の例に、埼玉県と東京都を例としてあげていらっしゃいますが、ちょっとひどい矮小化とは思いましたが、まあそれは置いておいて、では、あなたはどのような文章がふさわしいとお考えですか。例文をあげてください。よろしくお願いします。そこから考えましょう。(利用-会話nikonikotomato)以上のコメントは、Nikonikotomato会話投稿記録)さんが[2015年6月3日 (水) 07:00]に投稿したものです(Aoioui会話)による付記)。
Nikonikotomatoさん、あなたは「国際」の定義でなく、「国際的な詩歌祭」の定義をしているんですよ。わたしが示したリンクはお読みいただけましたでしょうか。また、この地上で開催されているすべての俳句のイベントと個人の参加した俳句のイベントを比較して、「たいした数ではない」ということはできません。これではすべての作家、著名人の参加したイベントすべてを書けることになってしまいます。それでは雑多だと申し上げているのです。Wikipediaには「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」というガイドラインがあるのです。それが「国際詩歌祭」だから書くべきではない、と主張しているわけではありません。
これは提案と申し上げたのにお返事をいただけなかったのでもう一度書きますが、 鎌倉佐弓さんのブログに同じ文章が本日記載されております。こちらへのリンクとすることはいかがお考えでしょうか。
例文をあげてくださいとのこと、わたしの最初の話からそれています。わたしはあくまで削除を考えています。理由はこの節の冒頭をご覧ください。--Aoioui会話2015年6月3日 (水) 08:06 (UTC)[返信]

利益関係者が宣伝のためにページを作ることなどに対する関係で、ウィキペディアでは過度な褒め言葉を載せることにはセンシティブであるようです(Wikipedia:大言壮語をしない)。文芸に限らず、他国で評価されていて自国での評価は遅れている、というようなケースもままありますから、他国での受容をもって「日本の現代女性俳人の代表」と書くことは無理があると思います。また国外の2,3の人物がレビューを寄せたことなどをもって「国際的評価も高まりつつある」と書くのにも飛躍があると思います。

宇多喜代子『戦後生まれの俳人たち』での紹介ページに「俳句は英、露など十二ヶ国語に翻訳されている」と書かれていますから、国際的に受容されているということを入れたいのであればこのように書けば良いのではないでしょうか。

イベントの参加については、よくわかりません。別にあってもいいような気もしますし、HPなどで列挙されているのであれば「国際的なイベントへの参加多数」などと書いてリンクを付けるのでも良いような気もします。--玄野正子会話2015年6月3日 (水) 11:18 (UTC)[返信]