ノート:関釜フェリー

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関釜フェリー設立時の経緯について[編集]

2007年2月7日の加筆で、「東亜相互企業」(1968年設立)による関釜フェリー管理権入手後、運行開始との記述がされていますが、公式サイトによれば関釜フェリーは単純に「1969年6月に法人設立(同年8月に韓国側運行会社である釜関フェリー設立)、1970年6月運行開始」ということになっています。出典が定かでないこともあり、前後関係と信憑性に疑問があるのですが、出典根拠をご存じの方はご教授願えないでしょうか?--Bsx 2007年3月12日 (月) 13:11 (UTC)[返信]

  • 調べてみました。町井久之氏が関釜フェリー会社の社長であったことは、国会会議録・第071回国会決算委員会第27号に明記されています。この資料の中で、小林進議員が「この町井さんは、日韓のかけ橋として対馬海峡を行く関釜フェリー会社の社長をおやりになっているということも承っておるのでありますが、一体この事業の認可は韓国側がやったのか、日本側が許可したのか。」と発言されています。ただし、関釜フェリーの管理権を得たのが、1970年なのかどうかは、この資料からはわかりません。--竜造寺和英 2007年3月13日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
  • 上記の資料の最後では、運輸省海運局次長・山上孝史氏が「設立は四十四年の六月二十一日主たる事務所は下関市観音崎町一七の九でございます。それからこの事業は、海上運送法による対外旅客定期航路事業でございますので、海上運送法の十九条の四の規定に基づきまして、届け出を四十五年の六月十二日付で行なっております」と発言しております。「届け出=管理権の獲得」と解釈するならば(解釈できなかったら、ごめんなさい)、管理権を得たのは、1970年6月12日と云うことになります。--竜造寺和英 2007年3月13日 (火) 12:44 (UTC)[返信]
    • 海上運送法第十九条の四は対外旅客定期航路事業(いわゆる「国際航路」事業)の事業開始前の届け出に関する定めですので、「届け出=管理権の獲得」とするのは無理があるように思えるのですが…また、山上運輸省海運局次長の発言には「代表取締役社長入谷豊州、それからもう一人代表取締役副社長入谷拓次郎」「おもな株主は日本郵船、川崎汽船、関西汽船、商船三井等、海運関係の方々」とあって、少なくとも会社登記上は町井氏の名前が出てこないんですよね。だとすると、そもそも「管理権」が何を意味するのか、町井氏と関釜フェリーの関係は何なのか、ますます以てよくわからないんですよね…--Bsx 2007年3月13日 (火) 12:54 (UTC)[返信]
    • Bsxさん、こんばんは。自分に読解力がなくてすみません。この資料では、小林進議員が「関釜フェリー会社の実質的経営者は、町井久之氏でしょう?」と追及したのに対して、運輸省海運局次長・山上孝史氏が「登記上は入谷豊州になってますよ」と反論していたんですね。Bsxさんを混乱させてすみませんでした。やはり、実際に記事を書いた人に尋ねるのが一番ですね。--竜造寺和英 2007年3月13日 (火) 13:11 (UTC)[返信]
    • Bsxさん、わかりました。国会会議録・第071回国会決算委員会第28号で新谷寅三郎・運輸大臣が「初めにお尋ねの釜関フェリーの代表者でございますが、これは報告によりますと鄭建永という方でございます」と発言されています。鄭建永氏とは、町井久之氏の本名です。そして、新谷運輸大臣は「この釜関フェリーというものは韓国法人でございまして、私どものほうでは直接にこの会社の内容についての調査権限はございません。したがって詳細は明らかではございませんけれども、この会社は釜山に本店を持っておりまして、昭和四十四年に設立された会社だそうでございまして、資本金が六十万ドルということがわかっております」と発言されています。「釜関フェリー」と「関釜フェリー」は別会社と云うことですから、この記事を書かれた方は、「釜関フェリー」と「関釜フェリー」を勘違いされたのではないでしょうか?--竜造寺和英 2007年3月13日 (火) 13:34 (UTC)[返信]

不要な強調について[編集]

「本名は鄭建永」が「不要な強調」を理由に「本名・鄭建永」と書き換えられましたが、これはWikipediaのどのようなルールによるものなのでしょうか?「強調してはならない」とするWikipediaのルールが見つかりません。--竜造寺和英 2007年5月26日 (土) 23:38 (UTC)[返信]

Wikipedia:スタイルマニュアルに「ハイライトは最小限に」という項目があります。強調してはならないという意味ではなく、「関釜フェリー」の項目で「本名は鄭建永」を強調する理由がわからない、不要ではないか、ということです。前回のノートでの議論でもありましたが「関釜フェリー」と「町井久之(鄭建永)」に直接の関連はなく、ましてや町井の本名が鄭建永であることをこの項目でことさら強調する意味が見いだせない、敢えてハイライトとするには逆に不適当ではないかと考えた次第です。--Bsx 2007年5月27日 (日) 05:33 (UTC)[返信]
Bsxさん、こんにちは。誤解があってすみません。Wikipediaのルールは、まとめて書かれているわけではなく、あちこちに書かれているために、修正がかかると「何か違反したのかな?どこか読み落としたのかな」と思ってしまいます。それと「なお、暴力団東声会(解散)の会長だった在日韓国人町井久之(本名・鄭建永)が「東亜友愛事業組合」を結成、2年後には児玉誉士夫を会長とした「東亜相互企業」を設立。町井が韓国側運行法人である釜関フェリーの代表となっている」と云う文章は、よく読んでみると何かヘンじゃありませんか(最初の記述を活かして修正されたものだと思いますが)?よくよく考えてみると「東亜友愛事業組合」と「釜関フェリー 」とは全然関係ないですよね。また、「東亜相互企業」と「釜関フェリー 」も関係ないですよね(東亜相互企業は釜関フェリーの親会社ではないようです)。ですから、「昭和44年(1969年)、町井久之(本名は鄭建永)は、韓国側運行法人である釜関フェリー株式会社(資本金60万ドル)を設立し、本店を釜山市に置いた。」と書き換えては如何でしょうか。--竜造寺和英 2007年5月27日 (日) 06:00 (UTC)[返信]
私はその程度でいいと思いますし、「運行開始当初より共同運行に携わっている」ぐらいまで書いてもいいかもしれません。--Bsx 2007年5月27日 (日) 06:03 (UTC)[返信]
もう一つ提案です。2002年9月18日付『民団新聞』を読みますと、町井久之氏を「民団中央本部顧問」としています。「昭和44年(1969年)、町井久之(本名は鄭建永。後の在日本大韓民国民団中央本部顧問)は、韓国側運行法人である釜関フェリー株式会社(資本金60万ドル)を設立し、本店を釜山市に置いた。運行開始当初より共同運行に携わっている」としてよろしいでしょうか?--竜造寺和英 2007年5月27日 (日) 06:13 (UTC)[返信]
そんな感じでいいと思います。お手数を取らせました。--Bsx 2007年5月27日 (日) 06:26 (UTC)[返信]
修正しました。Wikipedia:スタイルマニュアルもきちんと読みました。今後ともご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願いします。--竜造寺和英 2007年5月27日 (日) 06:49 (UTC)[返信]

稼業名と本名の表記について [編集]

Wikipedia:スタイルマニュアルの「ハイライトは最小限に」には「ハイライト(太字にすること)は我々が築いた慣例に従ってください」と書かれてありました。それで、稼業名と本名とがわかっている人物の記事を集めてみました。橋本弘文細谷勝彦山田城之助山田春雄柳川次郎夜桜銀次尾崎彰春後藤忠政高山登久太郎司忍谷川康太郎渡辺芳則石井隆匡石井一郎石田章六稲川聖城稲川裕紘です。ほとんど、本名を太字で表記しています。 これらの稼業名・本名の表記の慣例から、「本名は鄭建永」の部分を「本名は鄭建永」と書き換えたいのですが、よろしいでしょうか?--竜造寺和英 2007年5月28日 (月) 13:04 (UTC)[返信]

私個人の意見ですが、これらの記事でハイライトとしているのは、あくまでも“当人自身の記事”に関して、ですよね? 当人の名前が出てくる記事であっても、その都度改めて「本名は××」とハイライト表示してあるとはちょっと考えにくいのですが…--Bsx 2007年5月28日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
Bsxさん、こんばんは。1日おいて、提案したことをお許しください。と云うのも、ゴールデンウィーク中に、1日に何度も٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんとやりとりをしていたら、いつの間にか喧嘩になってしまったのです。それで、ゆっくり話を進めるようにすることに決めたのです。さて、それでは、「町井久之(本名は鄭建永。後の在日本大韓民国民団中央本部顧問)」の部分を、いっそのこと稼業名を明記せずに「鄭建永(後の在日本大韓民国民団中央本部顧問)」とするのは如何でしょうか?と云いますのも、『山口組50の謎を追う』洋泉社、2004年、ISBN 4-89691-796-0によれば、町井久之氏は昭和41年(1966年)9月1日にヤクザ社会から隠退し、実業家(厳密に云えば、フィクサーでしょうけど)に転身されています。ですから、昭和41年(1966年)9月1日以降では稼業名の「町井久之」は使わなかったはずです。ですから、昭和41年(1966年)9月1日以降では、稼業名よりも本名を使うほうが良いのではないかな、と思う次第です。まあ、「元東声会会長」ときたら、本名ではなく「元東声会会長・町井久之」と稼業名を書くべきでしょうけど。しかし、もう、東声会の文字はないわけですから、稼業名を記述する必要はないかな、と思ったりします。--竜造寺和英 2007年5月28日 (月) 14:03 (UTC)[返信]
町井氏(鄭氏)について全く詳しくないので正直どちらでもいいというのが感想だったりするのですが、“実業家として”どちらの名前を用いていたかが確認できれば、そっちを使うのが適切かなと思います(釜関フェリーは韓国の企業ですから、鄭建永の名前で活動しているような気もしますが)。--Bsx 2007年5月28日 (月) 21:24 (UTC)[返信]
Bsxさん、おはようございます。「国会会議録・第071回国会決算委員会第28号」では、「鄭建永」を用いていることがわかります。広島県のHPでも「釜関フェリー(株)会長鄭建永氏葬儀(9/18)生花」となっており、「町井久之」と云う名前は使用されていません。もし、「釜関フェリー・町井久之会長」と明記されている文献があれば、お教えください。なお、デ-ヴィド・E・カプラン、アレク・デュブロ『ヤクザ ニッポン的犯罪地下帝国と右翼』第三書館、1991年、ISBN 4-8074-9103-2では、町井久之氏が「町井行人」の名前で紹介されており、「町井自身は、他にもいろいろ呼び名があったが、“銀座の虎”とか“雄牛”という名で知られるようになり、その一味は、当時盛んになりつつあったパチンコ産業の利権を押さえ、そしてまもなくレストランやバーの支配へとさらに進んでいった」とも書かれています。これから、「町井久之」と云う名前が稼業名であることがわかります(「町井行人」が日本名だと主張しているわけではありません。「町井行人」と云う名前も稼業名かも知れません)。--竜造寺和英 2007年5月28日 (月) 23:45 (UTC)[返信]
正直なところ、「鄭建永」「町井久之」「町井行人」のいずれであっても、特段強調せずに釜関フェリー代表としての名義であることがわかればどれでもかまわないのではないか、というのが私の見解です。元々の話は関釜フェリーの記事に於いて「町井久之」が「鄭建永」であることをことさら強調する表現が要らないのではないか、というところから始まっていますので、その趣旨でいずれかの名前で書いて頂ければ、と思います。--Bsx 2007年5月29日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
Bsxさん、こんにちは。「鄭建永(後の在日本大韓民国民団中央本部顧問)」とさせて、いただきました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年5月30日 (水) 03:47 (UTC)[返信]

他のページより転記(メモ)[編集]

他のページで削除した内容を含みますが、こちらで有益な記述と思われるためメモしておきます。(いずれ本文に組み入れるつもりですが、作業をしていただけるなら歓迎します。)

  • 1969年6月 - 関光汽船が、新日本海フェリーと関釜フェリーを相次いで設立。現在の「SHKライン」(Shin-nihonkai・Hankyu・Kanpu)の原型ができあがる。
  • 1970年6月 - 関釜フェリーが、韓国に設立された釜関フェリーと共同で、下関~釜山間に日本初の国際フェリー航路を開設し、第1船 フェリー関釜 (初代)が就航する。 3,875GT 全長114.7m  当初は週3便の運航だった。--しいたけ 2007年10月16日 (火) 14:41 (UTC)[返信]

本名をゴシック体にしてはいけないとするルールは何ですか?[編集]

ヤクザに関する記述のスタイルに合わせて、みんなは本名をゴシック体で書かれています。それをみんなの合意なく修整しないでください。まずは、きちんとここで議論しましょう。--獅子の鬣 2008年10月16日 (木) 00:27 (UTC)[返信]

まず、国会会議録・第071回国会決算委員会第28号には本名の鄭建永が記載されています。また、六本木「幽霊ビル」の怪では、渡世名の町井久之と報道されています。つまり、町井久之(鄭建永)氏は、ヤクザから引退後も、韓国では「鄭建永」を使い、日本では「町井久之」の名前を使っていたことがわかります(日本の自宅の表札は「町井久之」です)。従って、本名と渡世名は併記しておかないといけません。だって、どちらの名前も使用していたのですから。また、どちらも使っていたのならば、本名を強調させるために、ゴシック体にしておくべきです。--獅子の鬣 2008年10月16日 (木) 00:54 (UTC)[返信]
さて、そもそも「関釜フェリー」と「釜関フェリー」という別会社が同じ記事に書かれています。ここで提案ですが、「関釜フェリー」の記事と「釜関フェリー」の記事を分割すれば、この問題は解決します(ただし、「釜関フェリー」の記事ではヤクザの記事のスタイルを踏襲します。なお、「関釜フェリー」の記事には町井久之氏の記述は登場しません)。分割するのは如何でしょうか?--獅子の鬣 2008年10月16日 (木) 00:57 (UTC)[返信]
実際に「関釜フェリー」の総務部に確認の電話を入れました。総務担当者は、「関釜フェリーと釜関フェリーは別会社です」と明言されました。従って、『47NEWS』のこの記事は明らかに共同通信社の誤字です。嘘だと思うのならば、各自が「関釜フェリー」の総務部に確認してください。--獅子の鬣 2008年10月16日 (木) 02:52 (UTC)[返信]
船舶としての関釜フェリーなら誤字ではないですね。(日本では釜関フェリーと言う用語はあまり使われません。逆に韓国で関釜フェリーと言う用語もあまり使われません)それと、「「釜関フェリー」の記事ではヤクザの記事のスタイルを踏襲します。」と書いていますが、ヤクザではなく会社の記事のスタイルで作るべきです。--hyolee2/H.L.LEE 2008年10月16日 (木) 03:04 (UTC)[返信]
暫定で釜関フェリーの記事を作成しました。--hyolee2/H.L.LEE 2008年10月16日 (木) 03:32 (UTC)[返信]
別に利用者:Hyolee2さんを非難してるわけではありませんよ。検索すれば当然『47NEWS』のこの記事がヒットします。この記事を前提に記事分割に反対する人が出る可能性がありますので、予め「関釜フェリー」の総務部に確認の電話を入れたことを書いた次第です。共同通信社が誤字を書いたのですから、勘違いしている人がいても全く不思議はありませんし、共同通信社の記事を信じている人はいっぱいいると思います。しかし、悪いのは共同通信社の方で、誤字を信じた人には責任はないと思います(だって、共同通信社の記事ならば、まず正しいと思うでしょう。タブロイド紙ではないのですから)。実際に「町井久之 関釜フェリー」で検索すれば、個人のHPでは「町井久之が関釜フェリーを設立」と書いている人がいっぱいいます。上記の記述は利用者:Hyolee2さんに向けたものではなく、あくまでも今まで関釜フェリーの記事に町井久之児玉誉士夫を書き込んでいた人たちへのメッセージです。誤解があったら、すみません。利用者:Hyolee2さんを非難してるような印象を持たれたのならば、ここで改めて謝罪いたします。誠に申し訳ございませんでした。--獅子の鬣 2008年10月16日 (木) 04:52 (UTC)[返信]

執筆に携わっていた当事者ですが、この件に関してはこれまでにも述べたとおりです。この記事はヤクザとして俗名を使っている本人の記事でも、本人の関わった事件に冠するヤクザ抗争に冠する記事でもなく、本人に一応関係している(それも現在はは設立者という立場でしかない)「企業」の記事ですから、「ヤクザに関する記述のスタイルに合わせる」とおっしゃられても不適当だと考える次第です。なお、既に「釜関フェリー」の記事が立項されていますので、続きはそちらのノートで行いましょう。--Bsx 2008年10月16日 (木) 10:22 (UTC)[返信]