ノート:韓国併合/過去ログ3

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[[eo:Okupado de Koreio fare de Japanio]] [[es:Ocupación japonesa de Corea]] [[he:הכיבוש היפני בקוריאה]] [[ms:Pemerintahan Jepun di Korea]] [[nl:Japanse bezetting van Korea]] [[ru:Оккупация Кореи Японией]]

言語間リンクが追加されているので反対がなければ管理者伝言板で追加依頼したいと思います。--Tiyoringo 2008年12月7日 (日) 04:06 (UTC)

「大日本帝国」について

この記事では全体的に「大日本帝国」の語が頻りに使用されていますが、「大日本帝国」は戦前一時期の日本の国号の「一つ」にすぎません。大日本帝国憲法施行後?の一時期のみ(この「一時期」の定義も曖昧)日本を特殊な名称で(あたかも当時、現在の日本と別個の国があったかのように)呼ぶことに関しては、歴史学を齧った者として非常に強い違和感があります。たとえば「大日本帝国政府」と「日本国政府」は全く同一の政府ですし、そもそも「大日本帝国政府」という妙な言葉は(一時期・あるいは一部の公文書等を除いて)一般的な論文・専門書籍等には使用されませんので、単に「日本政府」で統一すべきでしょう。 「大日本帝国」の語にこだわる方(語感が格好いいからか?)もいらっしゃるようですし、妥協的な案として「日本(大日本帝国)」と記載しておいて、以降は単に「日本」と表記するのが適当と考えます。--114.156.214.227 2009年9月24日 (木) 11:50 (UTC)

明治22年(1889)2月11日、明治天皇によって公布され、翌年11月29日に施行~昭和22年(1947)日本国憲法の施行により廃止。この期間は大日本帝国が日本の国号だったのですから、正確に記載しておけば良いだけでは?「あたかも当時、現在の日本と別個の国があったかのように)呼ぶ」というのは、114.156.214.227さんの考えすぎなのでは?別個の国なんて思う人はいないと思いますが・・・。--220.147.9.19 2009年9月24日 (木) 14:02 (UTC)

現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を「継承」したとしており同一政府というわけではありません、またこれは戦後平和条約を結んだ各国の政府から認められていることです。継承した箇所のみを指摘して同一だとする見方には判断の公平さから賛同いたしかねますし、日本国と大日本帝国の違う点は別に歴史学を齧らなくても義務教育や検定教科書で習うことであり常識の範囲だと思います。日本政府とは日本を治める政体の行政府を指しており、厳密な定義では過去に存在した政府と現在の政府は同一ではありません。歴史学的にはこれは政府を幕府と置き換えたとき、室町幕府、鎌倉幕府、江戸幕府が当時の日本を代表しながら同一でなかったことと同じであると考えれば理解しやすいかと思います。すなわち提案者がこだわっておられる「日本政府」という言葉はかっては大日本帝国政府を指し示していたし、現在の日本政府とは日本国政府を指し示しているというだけのことであり韓国併合の行為者である大日本帝国政府を特定するのに使用されるのは不適切だと思われます。以上より、指摘者の提案は不要なものであると考えます。--St.Patrick 2009年9月24日 (木) 15:00 (UTC)

  • 『現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を「継承」した』とお書きですが、正直に言って何のことか分かりません。憲法は変わりましたが、それが明治憲法の「改正」という形式をとっていることからも明らかなとおり日本国家そのものは継続していますので、「継承」という概念そのものがナンセンスです。
改正して継承したということです、それについてナンセンスかどうかはあなたの主観による感想であって歴史的経緯とは何の関係もありませんし、それこそナンセンスです。またそちらの書き込みで明瞭でない点があるのでこちらからも質問させて頂きます、あなたの仰る日本国家とはなにを指されているのですか?--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 01:41 (UTC)
  • 『厳密な定義では過去に存在した政府と現在の政府は同一ではありません』云々も国号との関連で仰りたいことが分かりかねますが、極端にいえば「日本」を全て「中曽根政権」とか「小泉政権」とか書き換えるべしという様な意味ですか?もちろん文脈の中でその必要があればすれば良いのですが、少なくとも、論文でも歴史読本でもなんでもいいですが、徳川幕府、室町幕府と同じノリで「大日本帝国政府」と使用している「歴史学的な」文章にはお目にかかったことがありません。--114.156.214.227 2009年9月28日 (月) 11:35 (UTC)
民主主義国家である現在の日本国においては一定の間隔で行われる選挙によって政権が交代することがあるのは常識ですのでそう極端に説明的記述を必要とする例は少ないと思われますがUaaさんの意見にもあるように厳密にそこまで行為者を特定する必要があるならそうすべきでしょうし、この項ではその必要があると考えております。またあなたが仰るような同じノリというのであればそれは何某時代の第何代将軍何某の治世、何某幕府の何某政権時という表現が過去の日本の歴史時代における歴史的事象の行為者を厳密に指す時に必要であると考えます。さて、どんな論文でも歴史読本でも少なくとも日本に帝国時代があったことはどんな歴史資料にも書かれていると思いますが違いますか?そして歴史的事象に対し当時の日本を厳密に政体を含む国家として指し示すのに、同様に帝国時代の日本を意味する帝政日本、日本帝国といった言葉ではなく当時の国号で使用されていた大日本帝国という言葉を使用することが114.156.214.227さんからの御指摘のような不適切なものであるとする意見に私は同意できません。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 01:41 (UTC)

ご意見ご批判等ありがとうございます。もう一度私の主張を整理しますと、

  • 大日本帝国」は戦前一時期の日本の国号の一つにすぎず、その使用時期も明確でないこと(詳細は当該リンク参照)。
  • 「大日本帝国」の語を頻りに(不必要に)使用している本記事の文章は明らかに冗長であること。
  • 一般的な書籍・論文等で見かけることのない表現が使用されていること。(「大日本帝国政府は云々」「大日本帝国重鎮は云々」等)

以上のことから私は、

  • 記事の冒頭に「日本(大日本帝国)」とカッコ付きで記載しておいて、以降は単に「日本」と表記するのが適当である

旨を主張しています。 これらの点についてのご意見をお願いします。 --114.156.214.227 2009年9月25日 (金) 14:59 (UTC)

まず、この項はウィキぺディアの韓国併合の項目内にある大日本帝国という語を日本にしたいというあなたからの提案に対する各自の自由な意見表明の場であって、 各自が理路整然と意見をすることは当然ですが、あなたの主張に縛られなければ提案に対して意見を表明してはならないというものではありません。 まだ各自の意見表明を待っている段階で意見交換でもない上記のような自分の主張を繰り返し投稿することは各自の意見表明機会の公平性を保つという観点からも好ましくありませんので御注意下さい。 それでは引き続き提案者の主張にかかわりなく各自の自由な意見を募集しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。--St.Patrick 2009年9月25日 (金) 20:34 (UTC)

かなり広範囲に渡って書き換えられているようなので、ここではなく、プロジェクトのノート等に提案するべきだと思います。そこで合意を図ってください。それと、相手を特定しにくいので、その前にアカウントを取得して下さい。
とりあえずここに書き換えに関する意見を書きます。「大日本帝国」は一時期の日本を表す言葉であり、その様な趣旨で使われているものをわざわざ変える必要はないと思います。私の場合、最近ドイツの勲章関係について加筆しましたが、時期を示唆するために「ドイツ」、「ドイツ帝国」、「ワイマール共和国」「ナチスドイツ」・・・と書き分けました。中国とかもその様な書き分けが出来るでしょうね。逆に、それが不適切なら(大日本帝国とは言えない時代も含んでいるとか)、「日本(大日本帝国)」なんてしないで「日本」とするべきでしょう。同様に、[[大日本帝国|日本]]も無意味だと思います。リンク先が「大日本帝国」なら[[大日本帝国]]でいいでしょうし、それが不適切なら[[日本]]にするべきでしょうね。--uaa 2009年9月25日 (金) 20:43 (UTC)

「大日本帝国」なる表記は世界大百科事典などwiki以外の他の百科事典にも見ない表記です。ほとんどの百科事典は明治憲法下も昭和憲法下も「日本」で統一しています。憲法が改正されただけで同じ政府ですのでさも別の国家であるかのような表記は避けているのではないかと思います。wikiも百科事典ですから他の百科事典と余りに雰囲気が違うのは好ましくありません。よって「大日本帝国」ではなく「日本」表記にすることに賛成します。かっこつきも必要ないと考えます。他の百科事典にかっこつきで表記してるケースも見ないので。--Omaemona1982 2009年9月28日 (月) 00:48 (UTC)

Omaemona1982さんの 2009年9月28日 (月) 00:48 (UTC)の発言は意見ではなく修正の通告ですか?
この手の問題は太平洋戦争大東亜戦争などのように編集合戦を招きかねないので、まずは日露戦争日清戦争太平洋戦争第二次世界大戦日中戦争で行なったような一方的な書き換えを行なうのは控えるべきでは? 何のために各氏がここで話し合っておられるのかと。--KAMUI 2009年9月28日 (月) 01:43 (UTC)
それらの「日本」表記には世界大百科事典(平凡社)という出典を出しました。百科事典など信頼できる出典が示されていない「大日本帝国」の方がノートでの議論のうえ、これに変えるべきか否かの議論の対象になるべきものです。まずは世界大百科事典に沿って「日本」にしておきたいと思います。--Omaemona1982 2009年9月28日 (月) 01:50 (UTC)
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(昭和40年条約第25号)における
第二条 千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。
より「大日本帝国」なる表記は現在有効な国際条約の文言に使用されておりこれは本項目に関係する当事国間および国際的にも認められているものです、
以上よりOmaemona1982さんによるなんら信頼できる出典がないとの指摘は不当なものであると考えます。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 11:41 (UTC)
かつて日本政府が使用したことのある国号かどうかが基準ではありません。百科事典のような学術的・中立的な場において「大日本帝国」の語が通常使用されるかどうかが問題です。「日本を代表する百科事典」とwikiが書いているほどの世界大百科事典(平凡社)は、「日韓併合」の項目で韓国については「朝鮮(当時の国号は大韓帝国)」とは表記していますが、日本については「日本」とそのまま表記するのみです。かっこをつけてさえ「大日本帝国」とは表記されていません。他の項目も確認した限りでは「大日本帝国」なる語がでてこず、明治憲法下も昭和憲法下も一貫して「日本」と表記しております。wikiも百科事典ですから特異な表現を使わずに他の百科事典にならったほうがいいでしょう。--Omaemona1982 2009年9月28日 (月) 14:11 (UTC)
Omaemona1982氏は書き換えを強行する前に大日本帝国の統合依頼を出すべきでしょう。順序が逆転した編集の強行には賛同できません。--R-H 2009年9月28日 (月) 15:06 (UTC)
基準を決めるのはOmaemona1982さんではありません、Wikipediaが他の百科事典と異なることは現にこうして誰にでも議論によって合意形成する努力をさせながら編纂されていることです。もしそうでなければ平凡社の世界大百科事典で事足ります。ところであなたの全ての項目で日本を代表するといわれる百科事典に沿ってに書き換えるべきだという主張はUaaさんが仰ったように、やはりプロジェクトのノート等に提案するべき提案だと私も思います。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 16:05 (UTC)
  • しつこいですが、「大日本帝国」が日韓併合当時の日本の国号(の一つ)であったことは誰も否定してませんよ。ここで問題なのは「大日本帝国」という言葉をどういう文脈で使うべきかということです。ちなみに日韓併合条約の主体は「日本国皇帝」ですね。--114.156.214.227 2009年9月28日 (月) 12:00 (UTC)
  • いいえ、これはOmaemona1982さんによる大日本帝国という言葉が百科事典など信頼できる出典が示されていないあやふやなものだという指摘に対する反論です、ちなみに帝国であれば条約の締結主体者が国権の最高機関とされる皇帝とされるのは別に不自然なことではありません。また繰り返しになりますがこの項はウィキぺディアの韓国併合の項目内にある大日本帝国という語を日本にしたいというあなたからの提案に対する各自の自由な意見表明の場であって、各自が理路整然と意見をすることは当然ですが、あなたの主張に縛られなければ提案に対して意見を表明してはならないというものではありません。それでは引き続き各自の自由な意見、議論を募集しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 13:23 (UTC)
  • ああ、それと当然のあまり書き忘れておりましたが引用した条約の日本側の主体者は日本国政府となりましたのでよろしく。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 13:34 (UTC)
何か思い違いをしてるのかわかりませんが、私は皆さんに意見を求めている立場なので、当然のことながら誰の意見も縛りません。ただ、私が言いだしっぺとしてある主張をしているのだから、とりあえずは私の主張なりその根拠なりに対して反駁なり賛成していかなければ議論が前に進まないのではないですか。『帝国であれば条約の締結主体者が国権の最高機関とされる皇帝とされるのは別に不自然ではない云々』とピントの外れたことを言われても議論になりません。追記に至っては何の話だか分かりませんよ。--114.156.214.227 2009年9月28日 (月) 13:58 (UTC)
思い違いなどしておりません、今迄あなたの主張に沿わない各自の自由な意見が出てきました、提案に対し同意を得るように各自の意見とそれぞれ意見交換し合って提案に対し合意を得る努力をしなければならないのが提案者であるあなたの役割です。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 15:50 (UTC)
ああ、それと私もさすがにペリーが来たときの日本は大日本帝国だったなどとおもしろいことは申しませんので御安心ください。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 16:58 (UTC)
注意喚起しておくと、信頼できる情報源にあるとおり、1Wikipedianが専門家の向こうを張って史料解釈し記載することは禁じられています。それは独自の研究にあたり、もっとも尊重すべき原則に反することになります。したがって「条約にこう書いてあるから」とか「公文書にああ書いてあるから」とかは一次史料を用いた独自の解釈に当たり、Wikipediaのルールに反するため典拠となり得ません。この場合、査読研究を発表しているような研究者がどの用語を主に使用しているのかについて、量的に把握することでしか解決することはできません。「韓国併合」をテーマにした研究は数多あります。それをまず調べてみることが先決でしょう。少なくともそうした専門研究を探すことができる学力レベルがある人でないと、参加の資格そのものが無いと言えるのではないでしょうか。--118.105.221.43 2009年9月28日 (月) 14:23 (UTC)
確かにこれ以上ないというくらい確かな一次資料ですが、出典の明確な国際条約の条文中に出典があやふやだと指摘された言葉が正式に使用されていることを示しただけで事実以外何の独自解釈も付け加えておらず、
118.105.221.43さんが御指摘の資料解釈および独自の研究には当たりません。また客観的な解釈が好ましいことから二次資料を採用するのが好ましいとされているだけで、一次資料の提示が禁止されているわけでもありません。よって118.105.221.43さんが主張する注意喚起は不要なものと考えます。
少なくとも専門研究を探すことができる学力レベルがある人でないと、参加の資格そのものが無いと主張する方がWikipediaの理念を正しく理解しているとは私には思えません。--St.Patrick 2009年9月28日 (月) 15:50 (UTC)
コメント まず、この手の話は編集合戦を招きかねないので、議論がまとまるまでは編集を控えていただくようお願いします。さて、「大日本帝国」は当時の正式な国号(正式名称)、「日本」は通称です。一般に、文中では正式名称を記すと冗長なので、文脈からかんたんに判断できる場合には通称の方を使うことが多いかと思います(例えばいちいちイギリスの国号なんて書いてられないですからね)。仮に正式名称について記す場合でも、初出時に日本(大日本帝国)とでもして、それ以降は日本とのみ記すところではないでしょうか(例:三国干渉、参考:Wikipedia:表記ガイド#略語・略称)。そうすれば正確さも文の簡潔さも共に守ることができます。ちなみに大東亜戦争も初出時に言及という似たような扱いになっていますね。--Kurz 2009年9月29日 (火) 03:19 (UTC)
コメント Kurzさんの意見に全面的に賛成するわけではありませんが、Wikipediaの一編集者としてはKurzさんの意見のように全ての項目に関連するテンプレート的な提案する場合はウィキプロジェクトの歴史やポータルで議論して大きな合意を形成してから既存の各項目の編集をして頂きたいと考えます。ここで出た意見の内容は御覧のように様々でしたが、できる議論はあくまでも韓国併合という項目に関することでしかありません。ですがKurzさんがここで意見されたようにウィキプロジェクトの歴史やポータルにおいても意見し大きな合意を形成することになれば、このように議論の解決に指針がないことで今迄いくつもの項目において発生した論争や編集合戦の解決のみならず、今後のWikipedia編纂のよき指針となることと思います。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 05:00 (UTC)
うーん、正式名称が冗長な場合に略称を使うのは文章を書く上で慣習ないし常識に属する話ですよね(略称ってそのためにあるものですよね?)。ことさらに議論する必要はないかと。あと、あまり冗長な文だと読みづらくて読者にそっぽを向かれてしまうので、濫用するとかえって損ですよ。--Kurz 2009年9月29日 (火) 10:09 (UTC)
うーん、大日本帝国の略称は帝国か日帝じゃないかなぁ、使いたくないけど。グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国はさすがに長すぎるのでイギリスか大英帝国でもいいかなぁと思うけど、一般的に6文字くらいまでなら冗長とは言えないんじゃないかなぁ、イギリスだって4文字あるしさ、なんならイギリスを全部英国にするのかな?大日本帝国という単語の長さはたぶんそういう略称で一番長いものよりは短いと思うけど、どうなの?--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 10:36 (UTC)
この文脈では帝国や日帝は使わないでしょう。前者は大韓帝国と区別がつきませんし、後者は批判的に用いられるためにWP:NPOVから言って適当ではありません。大日本帝国でも冗長でしょうね。上で挙げた三国干渉なぞ典型ですが、国名は通称を使うのが一般的ですね。--Kurz 2009年9月29日 (火) 11:47 (UTC)
この文脈では略称は使わないということでしょうか?区別がつかないから略称をあえて使用しないのではないでしょうか?後者についてここでの使用が適当でないのはその通りだと思います。しかし大日本帝国という単語が冗長である基準がよくわかりませんので上記私の質問に明確に答えてください。また三国干渉の項目が典型であるというのはWikipediaを代表しているということですか?それを決めたのは誰なんでしょうか、あなたですか?そもそもあなたの理論では並列的に扱われるはずの項目がどういうわけか最初からこっちに似たようなのがあって典型であるからこっちに従えという風に勝手に仰ってるようにしか聞こえません。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 13:51 (UTC)
(インデント戻す)5文字より2文字の方が短いですから冗長は冗長ですよ。まして本項目においては頻出単語ですからね。三国干渉については理解してもらえるよう例示しただけで、それ以上の意味はありません。むしろなぜ略記しないことにこだわるのかお聞きしたいです。St.Patrickさんが国号にとてもこだわりがあるのは十分に理解しましたが、別に略記したところでその概念の価値が落ちるわけでもなんでもないですよ(蔑称ならともかく)。どういった理由で略記に反対していらっしゃるんですか?--Kurz 2009年9月30日 (水) 10:33 (UTC)

やはり「大日本帝国」なる表記は学術書では一般的ではないようです。図書館へ行き、百科事典や日韓併合関連の書を漁りましたが、当時の日本を「大日本帝国」と表記して論じている百科事典・学術書は一冊も確認できませんでした。これらはすべて「日本」「日本政府」と表記しておりました。以下に確認した物のうち学術的地位が高そうな書を列挙いたします。

わざわざお調べいただきすみませんがOmaemona1982さんの主張はいく人の方から指摘されているようにここの項目だけで扱うには大きすぎ、Wikipediaの全ての該当項目に影響をあたえかねない議題であると考えます、
Omaemona1982さんの「大日本帝国」という語句を「日本」とする提案を議論するのにさらに大きな合意形成の場が必要だと思われますのでウィキプロジェクトの歴史の方かポータルのノート等しかるべき大きな合意を形成できる場において一度提案して頂き合意を形成するなり差し戻されるなりしてからここで意見して頂けますでしょうか、お手数ですがそれまでこの項目での合意はお待ちしますのでよろしくお願いします。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 13:51 (UTC)

前記事での日本の呼び名をどうするかではなく、「韓国併合」に言及している箇所での国名の扱いに限定して調べています。Omaemona1982さんがしらべたもの以外にも韓国併合について言及した研究書の例としては、他に「一九〇七年七月、日本政府は適当な時期に韓国を「併合」する方針を閣議決定し、・・・」(糟谷憲一『朝鮮の近代』山川出版社、1996、P86)や、「一九一〇年八月、日本は韓国を併合し、朝鮮と呼ぶことにした」(高崎宗司『植民地朝鮮の日本人』岩波新書赤、2002、P120)があり、、さらに「その翌月、日本は韓国併合を断行、各国政府に併合条約と宣言書を通告した」(千葉功「列強への道をたどる日本と東アジア情勢」、『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007、P80)などもあります。以上は研究書にまとめられたもののみを挙げていますが、それ以前の学術論文で探していけば、もっとあります。このことから単純に「日本」と記載する方が研究書では一般的であると言えるでしょう。--118.105.203.119 2009年9月29日 (火) 14:35 (UTC)

韓国併合の項目はOmaemona1982さんの提案に包括的に含まれますのでプロセス的に問題はないと考えます。Omaemona1982さんでも118.105.203.119さんであっても構いませんので一度ウィキプロジェクトの歴史の方かポータルのノート等しかるべき大きな合意を形成できる場において一度提案して頂き合意を形成するなり差し戻されるなりしてからここで意見して頂けますでしょうか、お手数ですがそれまでこの項目での合意はお待ちしますので再度よろしくお願いします。それと、以前にも指摘されましたがIPだと相手を特定しにくいので、IPの方はアカウントを取得して下さい。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 15:07 (UTC)
  • この項はウィキぺディアの韓国併合の項目内にある大日本帝国という語を日本にしたいという提案に対する各自の自由な意見表明の場であって、各自が理路整然と意見をすることは当然ですが、あなたの主張に縛られなければ提案に対して意見を表明してはならないというものではありません。それでは引き続き各自の自由な意見、議論を募集しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。--114.156.214.227 2009年9月29日 (火) 15:47 (UTC)
  • これは118.105.203.119さんからの提案にたいして意見者のひとりである私から合意を得られるには少なくとも何が最低条件となるのかを示唆しており、意見表明ではありません。また各自の提案内容を114.156.214.227さんがしたように束縛するものでもありません。それでは引き続き各自の自由な意見、議論を募集しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 16:10 (UTC)
私は114.156.214.227氏の「「大日本帝国」という言葉をどういう文脈で使うべきか」という指摘には共感します。それ故に、言葉狩りのような編集には賛成できません。例えば、「○○が大韓帝国(今日の韓国北朝鮮に相当する地域)を併合した事を指す。」の場合、相手が”大韓帝国”なのだから、日本も当時の国号でなければバランス上おかしいでしょう。また、上でも述べたように、特定の時期の日本を示す言葉として使うこともあるでしょう。アカウントを取得したての頃のOmaemona1982さんは”ドイツ”を”ナチスドイツ”に変える編集を盛んにされてたように記憶していますが。逆に、「大日本帝国はその開国直後から」とか「大日本帝国は敗戦国であることから」っていうのは明らかにおかしいですよね。「日本は敗戦国であることから~」に続く文は「”大日本帝国”の植民地支配が悲劇の原因であるという認識を示す日本人もいた。」の方が良いと思いますが。確かに、”日本”を示す所全てを”大日本帝国”とするのは誤りもあるでしょうし、冗長感も否めません。だからといって、他の百科事典や研究書の用例に従って画一的にどちらかに統一することには反対です。文脈からどちらがより適切な表記か検証するべきだと思います。
他の記事の編集については、ポータルやプロジェクトのノート或は各記事のノートで議論し、同意を得るようにしてください。一言だけ言わせてもらうと、インフォボックス内の表記が他国は国号なのに日本(とイギリス)だけ一般名とか、Omaemona1982氏の編集は文脈を考えない、単なる言葉狩りのように見えます。--uaa 2009年9月29日 (火) 19:43 (UTC)
118.105.203.119様
学術書の補完ありがとうございました。--Omaemona1982 2009年9月29日 (火) 21:41 (UTC)
St.Patrick様
wikiが「大日本帝国」なる表記で統一されているわけでもなく、現状は各記事でバラバラになっている感じではないでしょうか。特にここまで「大日本帝国」表記一色なのはこの項目にのみ見られる特徴な気がします。表記を統一する議論もやってもいいとは思いますが、それがここでの議論に前提になるわけではありません。St.Patrick様も「意見者のひとりである私から合意を得られるには少なくとも何が最低条件となるのかを示唆しており」「提案内容を束縛するものでもありません。」と書いておられるのでそれは分かっているようですが。ここではそのような前提を儲けるのではなく、「大日本帝国」表記、「日本」表記になっている学術書をそれぞれ示し合い、どちらが学術的に一般的であるかを論じる必要があるのではないでしょうか。学術書をできる限り列挙し合い、どちらが多くみられる表現か、示された学術書のうちどちらがより学術的であるかなど総合的に判断して「学術的一般性」を決めるほかないでしょう。ただ私が図書館にいって調べた限りでは、百科事典や学術書に「大日本帝国」なる表記がまるで出てきません。かっこつきでさえ見ませんでした。学術的にはかなり特異な表現(これがすなわち「冗長」といっていいんじゃないでしょうか)ではないかと思うのですが。「大日本帝国」表記の学術書が出てきたらすみません。--Omaemona1982 2009年9月29日 (火) 21:41 (UTC)
再度の指摘になりますが学術書で多くみられる表記で統一するやり方をWikipediaの項目に当てはめる合意を得るのはここではなくウィキぺディアのプロジェクトかポータルのようなところでしょうね。また私を含め今迄のOmaemona1982さんの合意を得ない強引な編集のやり方に相当の不快感を持っている方が複数いらっしゃることはあえて表明しておきます。そしてここではOmaemona1982さんの提案が合意を得るにはR-hさんの合意も必要であることをお忘れなく。--St.Patrick 2009年9月30日 (水) 04:06 (UTC)
Uaa様
「ナチス」や「第三帝国」は世界大百科事典(平凡社)にも見られる表記ですので異論はさしはさんでおりません。--Omaemona1982 2009年9月29日 (火) 21:41 (UTC)
それからUaa様の「相手が”大韓帝国”なのだから、日本も当時の国号でなければバランス上おかしいでしょう。」についてですが、世界大百科事典の「日韓併合」の項目は「朝鮮(当時の国号は大韓帝国)が日本の植民地にされたこと」となっており、大韓帝国には触れても「大日本帝国」なる物には一切触れないという立場をとっております。金容権、韓国史事典編纂会著『朝鮮韓国近現代史事典 1860-2001』の「日韓併合条約」も同様であります。「(大日本帝国は)特定の時期の日本を示す言葉として使う」についてですが、学術的に使われていなければwikiでは意味がありませんよ。そのため、「大日本帝国」表記、「日本」表記になっている学術書をそれぞれ示し合い、どちらが学術的に一般的であるかを論じる必要があると申し上げています。--Omaemona1982 2009年9月29日 (火) 22:03 (UTC)

Uaa様からも要求があったのでWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史に「大日本帝国」表記を「日本」表記にする議論を起こしましたので、よろしければご参加ください。--Omaemona1982 2009年9月29日 (火) 22:35 (UTC)

Omaemona1982さん御苦労さまでした、今後は合意を得る努力をすることをお願いします。さて、少なくとも私は上記議論で大きな合意が形成されたと認められるまで「大日本帝国」表記を「日本」表記にするという提案に対し合意の判断は致しませんが、引き続き各自の自由な意見、議論を募集しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。--St.Patrick 2009年9月30日 (水) 04:06 (UTC)
コメント
コメント依頼を見て来ました。
冒頭の『韓国併合(かんこくへいごう)は、・・・大日本帝国が大韓帝国・・・を併合した事を指す。』の文以外は、「日本」に統一すべきだと思います。
理由は、太平洋戦争日露戦争などの記事、Omaemona1982さんの百科事典の調査結果などと比べて、日韓併合の「大日本帝国」の表記が異質だからです。
wikiprojectでの議論は進めるとしても、それまでは「日本」の表記にそろえておくべきだと思います。--糖類ゼロ 2009年9月30日 (水) 11:24 (UTC)
同意いたしますが、冒頭だけ「大日本帝国」表記を残す意味はあるのでしょうか。日韓併合に関する学術書で「大日本帝国」と表記のある文献が一冊も確認されていない状態ですのですべて「日本」表記への統一で構わないと思いますが。--Omaemona1982 2009年10月1日 (木) 01:45 (UTC)
議論に参加する気はなかったのですが、資料提示に虚偽があるので異議を差し挟みます。最近では悪名高いグーグルブック検索の結果ですが、海野『韓国併合』には大日本帝国の記載があります。(しかし重いなログ化しようや^^;)johncapistrano 2009年10月1日 (木) 02:19 (UTC)
それって条約の引用部分じゃないですか?ここで問題になっているのは説明文で使用されるのが一般的なのかって議論ですが。ざっと確認した限りでは説明文は「日本」表記になっていたと思いますが。--Omaemona1982 2009年10月1日 (木) 02:28 (UTC)
確たる基準はないのですが、韓国併合の当事国の正式名称は、記事のどこかで書いておく必要があるように思います。必ずしも冒頭文である必要はないと思いますが。--糖類ゼロ 2009年10月1日 (木) 02:33 (UTC)
他の方が言うには「大日本帝国」は基本的に当時使われていた国号の一つだそうです。確かに図書館で資料あさった時に当時の朝鮮総督府の公文書の引用文に自国の称として「皇国」ってのが使われたのを見た記憶があります。また日韓併合の条約自体は「日本国」と「日本帝国」を使用しているようです。使用する国号が日本側は時々でバラバラだったみたいですので、無難な「日本」表記でいいんじゃないかと思いますが。「大日本帝国」表記がほとんど使用されていないのはそのせいかな、と思ったりします。「大日本帝国」と「大韓帝国」は一件合うようにも思えますが、先にあげました百科事典の『世界大百科事典』(平凡社)の「日韓併合」の項目も「1910年8月22日の<日韓併合に関する条約>および同29日の<日韓併合に関する宣言>によって、朝鮮(当時の国号は大韓帝国)が日本の植民地にされたこと。」と定義し、また金容権・韓国史事典編纂会著『朝鮮韓国近現代史事典 1860-2001』の「日韓併合条約」の項目は「1910年8月、日本の恫喝と圧力によって結ばれた条約で、これにより大韓帝国の統治権は完全に日本に引き渡された。」と定義しています。--Omaemona1982 2009年10月1日 (木) 03:11 (UTC)
歴史学研究会の『国民国家を問う』ってのもありますね。地の文で使わないのは筆者が使いたくないからなるべく使わないということのように思われます。韓国併合が括弧書きというのもかなりありますね。資料を引用するなら撮み食いで変な結論を出す為に使うのでなく文脈を違えずに用いた方がいいんじゃないでしょうか。johncapistrano 2009年10月1日 (木) 03:19 (UTC)

「大日本帝国」表記が書籍・論文等の中に絶無かというと、それは誤りというほかありません(「サイニィ」で検索してみてください。)。当時のれっきとした国号(の一つ)で、言うまでもなく公文書にも堂々と登場します。一般的には使われない、普通は使わないというだけです。ですので、自分が見た書籍に出てこなかったからとか、ましてや簡潔さが”命”である辞書に出てこないから、といった理由で「大日本帝国」表記はすべて抹消すべきだ、という極端な論には私は賛成しません。

ここで問題となるのは、一般的にはそう頻繁には使わない「大日本帝国」という言葉を、「いちいち使うのは冗長である」とか「唯一無二の国号ではなかった」とかいう批判に耐えてあえて使う理由は何か、ということです。「その行為をした時点の国号を明らかにする」ためにこの表記にしているとしたら、国号へのこだわりのために本筋である「韓国併合」の記事をいたずらに冗長にしていることになります。わたしの書棚に『満洲国と日本の帝国支配』(田中隆一、有志舎)という本(論文集)がありますが、引用を除き「大日本帝国」表記は用いていないのは当然として、満洲国についても帝制実施の前後にかかわらず「満洲国」表記を用いています(帝制実施後の国号は「満洲帝国」)。行為時の国号にこだわると記述が冗長になりますし、何より読んでいて(書いていて)ややこしくなるためでしょう。逆にいえば記述をややこしくしてまでいちいち正式な国号にこだわる必要性がない、ということだと思います。

話がそれましたが、一般的でない上に頻繁に使うと文章が冗長になる「大日本帝国」表記をあえて使うのであれば、(当然のことながら)それが必要な場面で使用されるべきだ、というのが私の考えです。例えば、『1945年、大日本帝国は日本の敗戦により解体された。』(文意:日本いう国はなくなってはいないが、朝鮮や台湾を版図に入れていた植民地帝国日本は崩壊した。)というような割と限られた文脈での使用が通常ではないでしょうか。私は記事の冒頭くらいは『日本(大日本帝国)』でもいいんじゃないかと(半ば妥協的に)考えている人間ですが、それにしてもこの「韓国併合」の記事は漫然と「大日本帝国」表記を繰り返しており、言葉の吟味というか推敲という点で大きな欠点があると言わざるを得ません。--114.156.214.227 2009年10月1日 (木) 13:22 (UTC)

「大日本帝国」を使う必要性ですが、単純な話で読む方々が、その当時の日本の体制をしっかり掴めるようにしておくということではないでしょうか。現代の「日本」と当時の「日本」は体制がまるで違うわけでして、「大日本帝国」とすることで、当時の日本の体制それを正確に理解していただける。私たちは読む方のために編集するべきなはずです。そして色々と使われていた国号のうちのどれを使うかの選択となると、学術的にこの当時は「大日本帝国」という国号が正式なものとされているわけですから、その国号を選択すれば良いのではないかと思います。--Awanohiromi 2009年10月5日 (月) 05:14 (UTC)

編集合戦が起こっていますが、8月初頭の「大日本帝国」が殆どない状態に戻すのが筋だと思いますので、戻します。日本統治時代 (朝鮮)にも、殆ど、「大日本帝国」という言葉は使われていないですし。

編集合戦になれば、機械的に「日本」→「大日本帝国」への変更を行う方々に対し、アクセス禁止を申請します。(それが目的です。)

どんどん、差し戻してください。--221.191.39.97 2009年10月9日 (金) 14:04 (UTC)

差し戻して保護依頼しました。編集合戦の誘発を目的とした編集など認められません。--uaa 2009年10月9日 (金) 15:09 (UTC)
編集合戦の前の状態に差し戻します。--221.191.39.97 2009年10月9日 (金) 17:49 (UTC)
編集合戦の原因になった編集に差し戻されたものを編集合戦の前の状態に差し戻しました。--uaa 2009年10月9日 (金) 18:37 (UTC)

【学術的にこの当時は「大日本帝国」という国号が正式なものとされている】という文言に根拠ありますか?僕の調べた限りでは外務省条約局1課が独自にその方針を作って、宮内庁も同様の方針を採ったという史料が見つかったくらいだけです(国号)。論文によっては【明治憲法1条に「大日本帝國ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり'この時点で'日本の正式な国号は「大日本帝國」になった】とするものがあります(前野みち子「国号にみる「日本」の自己意識)。しかし国号に関する論文そのものがこれ1本くらいしか発見できませんでしたし、その記述にも限定があります(この時点で)。前述の外務省指針が作られたのが1935年(昭和10年)ですが、それ以前は公式文書で「日本、日本國、日本帝國、大日本國、大日本帝國」が使われており、唯一排他的な呼称として「大日本帝國」に統一されていたと確定させることは根拠がないと考えます。また外務省の一課が表記指針を作成したことをもって国号が確定するなどという立場は取るわけに行かないので1935年以降が唯一排他的に「大日本帝國」として良いと言えるかどうかも疑問です。【学術的にこの当時は「大日本帝国」という国号が正式なものとされている】という前提は正確ですか?あやふやなままで積み上げてWikipediaだけにしか発見できない独自研究に決着することには反対いたします。--大和屋敷 2009年10月12日 (月) 19:15 (UTC)

信頼できる情報源により(前野みち子論文&大辞林)、大日本帝国憲法下の国号は「大日本帝国」であるという根拠は提示できていますので、違うという主張をなさるのであれば、信頼できる情報源によりこの当時の正式な国号は○○であるとする出典が必要でしょう。よほど、そこらの百科事典やらを集めて「日本」が使われてるものが多いから「一般的だ」とし、「日本にしろ」という主張の方が情報の合成に近いものがあると思われます。--清涼里588 2009年10月14日 (水) 10:55 (UTC)
大日本帝國を「日本と記述してはいけない」という根拠は提示されていませんよ?用語選択という技術的(でうすっぺら)な議論が焦点ですので、厳密・正確にお願いします。--大和屋敷 2009年10月14日 (水) 12:48 (UTC)

ん?「【学術的にこの当時は「大日本帝国」という国号が正式なものとされている】という文言に根拠ありますか?」の答えなんですが。一つや二つの出典だろうが、信頼できる情報源により日本国憲法下の日本は「大日本帝国」が正式な国名とされてますよ、ということですよ。違うならば反証が必要ってことです。「日本と記述してはいけない」の根拠は難しいでしょうね。同じく「大日本帝国」と記述してはいけないという根拠も難しいでしょう。言えることは当時の正式な国号は何か?と問われれば学術的には「大日本帝国」であるという出典が出ているということであり、【学術的にこの当時は「大日本帝国」という国号が正式なものとされている】という文言に根拠はある。ということです。--清涼里588 2009年10月14日 (水) 14:13 (UTC)

その引用元により「当時の正式な国号は大日本帝國である」という裏づけが1つ与えられただけです(Wikipediaに大日本帝國と書いて良いことはWikipediaの編集ルール上ではこれで確定)。「それ以外の略号、日本国、大日本国、日本帝国、日本で記述してはならない」というため(唯一排他性を主張するため)には他の根拠が必要になります。清涼里588さんがその点について言及する意図がなかったとしたらワタクシの単なる読み取り違いでしたのでスルーして頂ければ。-大和屋敷 2009年10月14日 (水) 17:02 (UTC)あーすみません完全に読み違いですね。ワタクシの投稿は清涼里588さんと同じ主旨を記述しています。①Wikipediaに大日本帝國と記述してよい、かつ②日本国・日本と記述してよい、かつ③「大日本帝國」あるいは「日本国・日本」のいずれか一方でしか記述できない(してはならない)とする根拠はない、という事ですよね。--大和屋敷 2009年10月14日 (水) 17:12 (UTC)
前野さんって国際言語学者で専門じゃなさそうですね。文献のひとつとして認められるとしてもこれで学術的に確定はできないと思いますね。またこの前野さんという方も他の国号も使用していたことは否定していませんし。wikiの「大日本帝国」の記事のソースになっていると思われる「事典昭和戦前期の日本」伊藤隆・百瀬孝、吉川弘文館には「日本の国号としては最も長くは『大日本帝国』(明治二十二年大日本帝国憲法)と称し、やや省略しては『大日本国』(明治二十二年皇室典範)、『日本帝国』(同前文)とも称し、さらに外交文書では『日本国』『日本』とも称した。昭和十一年外務省は、外交文書上『大日本帝国』に統一した。」(1ページ)とのことで「正式な国号」なるものがこれだったとは記述していませんね。この事典も以降の地の文はすべて「日本」表記で論じています。当時は明治憲法と皇室典範は対等の最高の成文法典でしたので(『世界大百科事典』(平凡社)9巻414ページ)、『大日本帝国』と『日本帝国』と『大日本国』の間に法的に上位関係はないことになります。昭和11年以降、外交文書上の面においてのみやや優勢なだけの国号ではないでしょうか。--Omaemona1982 2009年10月21日 (水) 17:12 (UTC)
【前野さんって国際言語学者で専門じゃなさそうですね】というのは対人論証ですので慎重にやってくださいよ。「専門家」という価値判断は必ずしも論証的じゃありませんよ。当該論文が「信頼できない情報源」であるというためには信頼できないと判断出来るに足る十分な資料が必要なはずです。我々(どこの誰ともしれない)Wikipedianが勝手に「国際言語学者って肩書きなんだから国号についてドシロウトで信頼できないでしょうwww」などと決め付けて勝手に却下しても意味ありません。但し論文がこれ一つしか提示されていない状況は心もとないです。--大和屋敷 2009年10月21日 (水) 22:14 (UTC)
私が提示した根拠のみならず、Omaemona1982氏が提示した反対資料ですら「最も長く使用された国号」としているようですね。つまり当時の国家体制を示す国号として「大日本帝国」を使用することにwikipedia上、何の問題もないでしょうね。--清涼里588 2009年10月22日 (木) 13:17 (UTC)

「大日本帝国」を使用することを禁止するつもりはありませんが、不必要に「大日本帝国」を繰り返すことは冗長であり、Omaemona1982さんが指摘しているとおり普通の百科事典での記述の方法とも逸脱する異常な記述方法です。すべての大日本帝国を日本に一律書き換えることには反対意見が多いようですが、今後記事を修正する折には、「日本」と書けばすむところに「大日本帝国」などと大げさに書くことを止めていただき、簡潔で読みやすい記事の執筆をおねがいします。--Nife 2009年10月27日 (火) 22:58 (UTC)

必要・不必要の境目をどこにするかの決定が難しいですよね。一言の言葉くらい「冗長」には思えませんが。--清涼里588 2009年10月29日 (木) 15:17 (UTC)
冗長ってのは、『記事中の「日本」の単語を全て「大日本帝国」に置き換えるような機械的な編集はやめてね』って事でないの。冒頭部分とかで「大日本帝国(日本)は」でやるのはともかく、記事中で例えば「一方、日本側では~」となる所を「一方、大日本帝国側では~」とか逐一繰り返すのはちとくどい、というほどの事では。--116.80.81.247 2009年10月30日 (金) 13:22 (UTC)
コメント116.80.81.247さんの言うとおりです。美しい日本語を書いていただきたいというお願いです。--Nife 2009年10月30日 (金) 14:37 (UTC)
どこを「日本」とし、どこを「大日本帝国」とすると「美しい日本語」でなくなってしまうのかの境の判断が難しいですわな。--清涼里588 2009年10月30日 (金) 16:38 (UTC)
プロジェクトの方で議論しとりますね。大和屋敷さんが『記事中少なくとも一度は正式名称を記述する(例えば冒頭で)のが良い、記事中全ての表記を正式名称にするのはやりすぎ』(大意)とおっしゃってましたが、まさにそのとーりではなかろか。--116.80.81.247 2009年10月30日 (金) 18:43 (UTC)
私としては当時の国家体制を読者が理解しやすいように同時代の日本は「大日本帝国」、同じく李氏朝鮮でなく「大韓帝国」にしとけばいいと思いますがね(もっとも限定するのではなく話の流れ・意味内容で必要なときには「日本」「李氏朝鮮」も使用すればよい、と)。--清涼里588 2009年10月31日 (土) 16:22 (UTC)
当時の国家体制を表現する必要がある場所に限って、当時の国号のひとつが「大日本帝国」であったことを記述することは妨げません。しかし、「日本」と表記すればすむところを冗長な「大日本帝国」と記載するのは、Omaemona1982さんが調査してくださったとおり、普通の記述方法ではありませんから、謹んでください。いつでも説明なしに「日本」と記述してかまいませんが、「大日本帝国」と記述するときには必要性の説明が必要です。清涼里588さんは、どちらが特殊な表現であるのかを良く考えてください。--Nife 2009年11月3日 (火) 04:08 (UTC)
「当時の国家体制を表現する必要がある場所」とはどのような場所ですかね?私は当時の日本ならその「場所」になると思えるのですが。--清涼里588 2009年11月4日 (水) 10:23 (UTC)
何処かに1回だけ(もしくは数箇所に)「大日本帝国」と書いてもらえれば、読者は当時の国家体制が今と違っていることを理解できますから、その他の場所では「日本」と書けば十分です。現時点での韓国併合の記事のように殊更に、冗長な「大日本帝国」を繰り返すことは、国家体制が違うことを読者が記憶できないと馬鹿にすることになるので差し控えたほうがよいでしょう。書籍や辞典の多くが、戦前の国家体制の元の日本を含めて「日本」と記述しています。従って、ほとんどの場合は「大日本帝国」と書く必要がありませんし、無理やり「大日本帝国」と繰り返し読ませるのは、読者に対しても失礼です。現時点での韓国併合の記事は、とても異常な状態です。--Nife 2009年11月4日 (水) 15:58 (UTC)
最初の用語部分意外、大日本帝国を日本とするように、大韓帝国を李氏朝鮮と変えるならば、個人的には特に異論はありません。ただし絶対的な合意ではなく、異論者が現れた場合は再度討論してください。--清涼里588 2009年11月11日 (水) 10:07 (UTC)

これまでの議論に基づき、最初の用語部分を除き、「大日本帝国」表記を「日本」に改める修正を行いました。--Chocopeanut 2009年11月27日 (金) 13:56 (UTC)

合意されたとは認められませんので差し戻します。詳しくはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で形成された大きな合意を参照してください。--St.Patrick 2009年11月28日 (土) 05:47 (UTC)

2009年11月30日(月)20:44にChocopeanut氏によって編集された版ですが、再びプロジェクトで形成された大きな合意に抵触する箇所において合意を形成することなく編集がなされておりました。遺憾ですがプロジェクトで形成された大きな合意に基づき差し戻します。詳しくはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で形成された大きな合意を参照してください。--St.Patrick 2009年11月30日 (月) 12:22 (UTC)

すんげー読みづらいんだけど...。自己満足のためにユーザビリティを犠牲にするってどうなの?大体、このページ見る人は当時の日本が「大日本帝国」てあることはなんとなく承知してるだろうし、そうでなくても冒頭に「大日本帝国(当時の日本の名称)」とか書いておけば済む話なんじゃねぇの?常識で考えればわかりそうなもんだけどな。--240F:C:52C5:1:A197:E70C:BDED:CDB2 2014年8月25日 (月) 13:54 (UTC)

編集の差し戻し合戦

合意が得られていないと弁じて差し戻すのはひどいと思いますよ。大日本帝国を文脈において適宜「日本」に(恣意的に)置き換える行為は認められたはずです。そして貴殿の行為(日本という記述をすべて大日本帝国に差し替える行為)は明確な言葉狩り行為です。めんどくさいのでご自身がおこなった差し戻しをご自身で戻してください。僕はこの議論にはなんら思い入れはないので、こんなうすっぺらな編集合戦でコメント依頼やブロック依頼のような提案をしたくないのです。もし私の認識が根本的に誤りであるならば、ここで論じてください。合意が得られていないということでしたら、合意を得るための議論を中断時点から再開する用意があります。--大和屋敷 2009年11月28日 (土) 09:38 (UTC)

大和屋敷さんの認識は根本的に誤りだと思います。プロジェクトの大きな合意内容に納得がいかないのなら、今後の意見表明はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史にてお願いします。--St.Patrick 2009年11月28日 (土) 11:57 (UTC)
合意事項はこれ[1]でしょう?ああ!そうか、まず最初にChocopeanutさんがノートで合意形成を図る必要あるんですね!(「明治時代以後の日本史分野(その他の分野と重複する部分を含む)において用いられていた日本の国号表記を変更する際には、当該記事のノートで合意を形成してから変更しなければならない。上記の合意形成なき国号表記の変更があった場合、これをリバートすることを妨げない。ただし、その際にはリバートとともに当該記事のノートにおいて議論提起をしなければならない。また、変更者の会話ページにも議論参加の通知を行うことが推奨される」)。でもこれって結局振り出しに戻っただけか。--大和屋敷 2009年11月28日 (土) 12:26 (UTC)2009年11月28日(土)07:24 時点の用法で適当だと思います。「大日本帝国政府」という用法のほうが分かりやすい(「日本政府」だと戦後の政府と区別がつきにくくなる文脈がある)場合など、読者の便宜に最適にかなうように使い分けていただければ宜しいかと考えました。--大和屋敷 2009年11月28日 (土) 12:40 (UTC)
私は大和屋敷氏の思惑には賛同しかねるので、2009年11月28日(土)16:24(UTC)に花蝶風月雪月花警部氏によって編集された版が現在のところ適当だと思います。--St.Patrick 2009年11月28日 (土) 16:58 (UTC)
『2009年11月28日(土)16:24(UTC)に花蝶風月雪月花警部氏によって編集された版』というのが見当たりませんが(参考:[2])--大和屋敷 2009年11月28日 (土) 17:15 (UTC)
これのことでしょう([3])。「16:24」はUTCではなくJSTになります。--花蝶風月雪月花警部 2009年11月28日 (土) 17:24 (UTC)
すみません、個人設定で時間表記を未選択に切り替えたのですが、履歴ページの更新をせずJST表記のまま誤って掲載してしまいました。御指摘ありがとうございました。--St.Patrick 2009年11月28日 (土) 17:59 (UTC)
なるほど。「大日本帝国」「日本(国)」の表記の置き換えを主眼とする編集として問題があるとは見られませんでしたので、St.patorickさんの『2009年11月28日(土)16:24(JST)に花蝶風月雪月花警部氏によって編集された版』が妥当との趣旨に対してとくに異論はありません(但し、「大日本帝国」「日本」文字以外の、有意な追加編集についてはここでは考慮していません)。--大和屋敷 2009年11月28日 (土) 17:35 (UTC)
そうですか、私も今回の差し戻しの件では有意な追加編集をして頂いた方には心苦しく思いました。特に花蝶風月雪月花警部氏には二度手間をかけさせてしまい申し訳ありませんでした。今回議論の対立していない箇所に行われた編集に関してもここで合意をとりながら反映していければと考えております。--St.Patrick 2009年11月28日 (土) 17:59 (UTC)

コメントこの項を作成された大和屋敷氏も現在は『2009年11月28日(土)16:24(JST)に花蝶風月雪月花警部氏によって編集された版』に編集を加えておられるので、この件は落着したということで合意を形成したいと思います、よろしいでしょうか?--St.Patrick 2009年11月28日 (土) 18:44 (UTC)

承拝--大和屋敷 2009年11月28日 (土) 18:50 (UTC)

こんにちは。「大日本帝国」に”大日本帝国憲法下の日本の国号の一つ。明治期から昭和初期の国号については他に大日本国、日本帝国、日本国、日本等も用いられた。詳しくは国号及び大日本帝国参照。”という注釈を付すことについてどこに差し戻す根拠があるのか、St.Patrickさんには論理的な説明をして頂きたいものです。--Chocopeanut 2009年11月30日 (月) 12:56 (UTC)

こんにちは。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で形成された大きな合意や当ノートにおける反対意見を無視することについてどこにWikipediaのルールを守らない根拠があるのか、Chocopeanutさんには論理的な説明をして頂きたいものです。--St.Patrick 2009年12月1日 (火) 10:50 (UTC)

「大きな合意」のどの個所を無視したことになるのでしょうか。また、「当ノートにおける反対意見」とは、具体的にどの意見ですか。--Chocopeanut 2009年12月1日 (火) 11:35 (UTC)
前者はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史にて質問して下さい。後者は具体的に当ノートに記述されておりますので御自分で御確認下さい、以上。--St.Patrick 2009年12月1日 (火) 13:40 (UTC)

合意事項

  1. 本議論が開始された2009年9月29日 (火) 22:29 (UTC)時点で、明治時代以後の日本史分野(その他の分野と重複する部分を含む)において用いられていた日本の国号表記を変更する際には、当該記事のノートで合意を形成してから変更しなければならない。
  2. 上記の合意形成なき国号表記の変更があった場合、これをリバートすることを妨げない。ただし、その際にはリバートとともに当該記事のノートにおいて議論提起をしなければならない。また、変更者の会話ページにも議論参加の通知を行うことが推奨される。
  3. 本合意において、一切の表記統一は行わないこと、「大日本帝国」「日本」表記はいずれも不当なものではないこと、及びその他「日本国」「大日本国」等の表記についても用いられる余地があることを確認する。
  4. (附則)2009年9月29日 (火) 22:29 (UTC)から本合意の形成までの間に為された議論及び合意形成は当然に有効であることを確認する。

議事の抜粋:

韓国併合の記事中の表記を巡って、ウィキプロジェクト 日本史全体を通じて原則「日本」という合意を形成したほうがよいのではないかという提案に基づいて始まった議論は、当初、「日本」「大日本帝国」のいずれが正当であるかと言う点を巡って争われた。この議論の中で、「日本」表記は外交文書などで頻繁に用いられていることなどが論拠となり、また「大日本帝国」表記は憲法において国号として定めれている点が論拠となったが、最終的にこの論争は「双方とも正式な国号である」という結論に至った。また、この議論の中で、皇室典範では「日本帝国」「大日本国」という表現を使っていることも示され、こうした表記を用いる余地もあることも確認されている。

上記の議論を経て、正当性を有する国号が2つある前提に立った場合、問題となるのは結局、事前の合意無くもう一方に書き換える行為、及びそれに付随して発生する編集合戦であるということが共通認識となり、編集合戦を防止する為、上記の合意が形成されるに至った。

…とありますが、「大日本帝国」に”大日本帝国憲法下の日本の国号の一つ。明治期から昭和初期の国号については他に大日本国、日本帝国、日本国、日本等も用いられた。詳しくは国号及び大日本帝国参照。”という注釈を付す編集は日本の国号表記の変更を伴っていないものと解釈します。--Chocopeanut 2009年12月1日 (火) 14:48 (UTC)

追記:合意によれば、「日本の国号表記を変更する際には、当該記事のノートで合意を形成してから変更しなければならない。」とされています。この点、このノート上において、

何処かに1回だけ(もしくは数箇所に)「大日本帝国」と書いてもらえれば、読者は当時の国家体制が今と違っていることを理解できますから、その他の場所では「日本」と書けば十分です。現時点での韓国併合の記事のように殊更に、冗長な「大日本帝国」を繰り返すことは、国家体制が違うことを読者が記憶できないと馬鹿にすることになるので差し控えたほうがよいでしょう。書籍や辞典の多くが、戦前の国家体制の元の日本を含めて「日本」と記述しています。従って、ほとんどの場合は「大日本帝国」と書く必要がありませんし、無理やり「大日本帝国」と繰り返し読ませるのは、読者に対しても失礼です。現時点での韓国併合の記事は、とても異常な状態です。--Nife 2009年11月4日 (水) 15:58 (UTC)

という意見が出され、その後約1か月にわたってSt.Patrick氏も含め誰からも反論がなかったことから、当然Nife氏の提案の内容で合意に至ったものと考え、先般の修正を行い、その後大和屋敷氏らの有意義な追加編集もあったところですが、その後の経過はこのとおりです。「合意」の有無に関して見解の相違があるならばそれは仕方のないことですので、必要があれば再度「合意」を得たいと思いますが、情緒的かつ一方的な「主張」でなく、論理的で建設的な「議論」がなされることが前提となることは言うまでもありません。--Chocopeanut 2009年12月1日 (火) 14:48 (UTC)


Chocopeanutの大日本帝国に対する注釈編集はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史において大きな合意が形成時に確認された”【記述ガイドライン】 (原則)言葉狩りは控える。大日本帝国を日本と記述してあっても、戦前日本を大日本帝国と記述してあっても読者には通じている。 ”に違反しております。またChocopeanut氏の主張事項に関してはすでにWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史において大きな合意が形成されております。さらにChocopeanut氏が自己の行為を正当化する為の意見者として持ち出されたNife氏、大和屋敷氏の両氏も時系列的に最後にはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史における大きな合意について(積極的にではないと思いますが)了承されたことは誰もが検証可能な形で残されている事実です。よってChocopeanut氏の度重なる情緒的かつ一方的な編集行為および執拗な主張行為は根拠を持たない不当なものであると判断せざる得ません。--St.Patrick 2009年12月1日 (火) 17:15 (UTC)

【言葉狩りは控える。大日本帝国を日本と記述してあっても、戦前日本を大日本帝国と記述してあっても読者には通じている。】は僕が確認のために提示した文書であって、あくまで合意内容はChocopeanutさんが上で上げられた文書です。いずれにせよ【「大日本帝国」に”大日本帝国憲法下の日本の国号の一つ。明治期から昭和初期の国号については他に大日本国、日本帝国、日本国、日本等も用いられた。詳しくは国号及び大日本帝国参照。】という注釈を付けることは読者の便宜をおもんばかっての編集にすぎませんから、この記述がなくなることによって事実関係の説明に齟齬が生じるわけでもなく、この記述があることによって事実関係が枉げられるわけでもないのであれば、このさい別になくてもかまわないと思います。申し訳ない><、--大和屋敷 2009年12月2日 (水) 01:23 (UTC)
すなわちその前提が確認されたうえで合意が成立しているわけです。これは提示者である大和屋敷氏の思惑に関係なく、合意形成の前提になっている(確認時に反対者がおらず前提として承認された)ということです。もちろん文書としても”(附則)2009年9月29日 (火) 22:29 (UTC)から本合意の形成までの間に為された議論及び合意形成は当然に有効であることを確認する。”と記述されており有効です。また大和屋敷氏の意見は大日本帝国という言葉に対するChocopeanut氏の注釈がなくても韓国併合の事実関係の説明に問題はなく、この記述(注釈?)と韓国併合の事実説明に関係がないのであれば別になくても構わない、ということだと思います。私もこの考え方には賛成です、項目に関係ない論争のあった言葉にわざわざ議論を呼び起こす注釈を付けることには私は明確に反対します。--St.Patrick 2009年12月2日 (水) 10:20 (UTC)

コメント「合意事項」については、国号表記について、ウィキプロジェクト 日本史全体を通じて原則「日本」という合意を形成したほうがよいのではないかという提案に対し論じられた結果、ウィキプロジェクト 日本史全体を通じて「一切の表記統一は行わない」こと、国号表記を変更する際には、「当該記事のノートで合意を形成してから変更しなければならない」ことを確認したものです。

件の【記述ガイドライン】については、合意案に含まれないことが大和屋敷氏の提案直後に確認されており[4][5]、事実、上に引用した合意には含まれていません。私個人としてこの【記述ガイドライン】の趣旨を必ずしも否定するものではありませんが、上記「合意事項」に含まれていない限りにおいて、これを根拠としたリバートを行うことは「合意事項」を踏まえた対応とは言えないのではないでしょうか。--Chocopeanut 2009年12月2日 (水) 13:03 (UTC)

否定されているのは”「大日本帝国憲法下では「大日本帝国」が正式な国号記述である」”の部分だけですね、【記述ガイドライン】については’’’記述ガイドラインについてはそのような細かいことを決めるものではなく、根底にある「この問題は非常にナイーブであり、下手をすれば編集合戦を招く問題だから、まず合意形成してみんな納得してから変更しよう」というものである’’’との認識が合意提案者であるmachine_gun 示されておりその認識に異論なく提案の合意に至っております。またそれらを抜きにしてもChocopeanut氏の注釈の内容にも問題あると言わざるえないですね。--St.Patrick 2009年12月2日 (水) 23:09 (UTC)

曰く「大きな合意に抵触」することを理由に今回のリバートが行われた訳ですが、当該リバートについては上記「合意」文中の「合意形成なき国号表記の変更があった場合、これをリバートすることを妨げない。」という条項に基づくものではなかった、という点についてまず確認をしておきたいと思います。そのうえで、「それらを抜きにしても「Chocopeanut氏の注釈の内容にも問題あると言わざる得ない」として今回の編集に「明確に反対」され、リバートまで行っている訳ですから、どのような「問題」があるのか、どんな「議論を呼び起こす」ことを危惧されているのか、ご自身の言葉で説明していただけませんか。--Chocopeanut 2009年12月3日 (木) 13:28 (UTC)
いえいえ、当該リバートはまさしく「合意形成なき国号表記の変更があった場合、これをリバートすることを妨げない。」という条項に基づくものであったということです。それらを抜きにしてもという文言は議論中の文言の一方の意見だけを注釈として国号に対し編集する今回の編集行為は大きな合意がなくてもWikipediaの中立性の観点から認められないということです、その場合は差し戻しではなく削除か両論併記になりますね。誤解なきように明確に言いますが今回のChocopeanut氏の差し戻された編集行為はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で形成された大きな合意の中で記述されている合意形成なき国号表記の変更に該当するものであり、そのことはこれまでの議論において論理的に説明しておりますので今後誤解なきよう願います。--St.Patrick 2009年12月5日 (土) 03:13 (UTC)
コメント「合意」の解釈について、どちらの主張に理があるかどうかは、見ている方が判断されるでしょう。上掲の「合意」内容をみだりに拡大解釈することは、結局「合意」そのものを軽視していることですので、上記の「合意」を形成するために少なくない時間と労力をかけてきた多くの方々の理解を得ることは難しいでしょうが。内容そのものについてもご異議がおありでしたら、私の方でも大いに議論をさせていただきたいと思っていますが、その前提として、内容にどんな問題があると思われているのか、ご自身の言葉で具体的にご指摘いただかないと、私としても議論のしようがありません(でないのであれば、私は誰を相手に議論したら良いのでしょう)。--Chocopeanut 2009年12月5日 (土) 03:47 (UTC)
合意に疑問があるのでしたらWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で議論をまずおこなって、今後ここには迷惑ですので書きこまないように。--St.Patrick 2009年12月5日 (土) 05:47 (UTC)
コメント私が疑問に思っているのは「合意」の内容ではなく、上記合意に含まれるに至らなかったWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史での意見を恣意的に「合意」に含めたうえ、それ以上の具体的な議論を避けるSt.Patrick氏の編集姿勢です。「合意」に追加したい事項(件の「ガイドライン」等)があるのであれば、まずWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で議論すべきです。何のために意見の違う者同士が「合意に含める、含めない」で延々議論して明文の「合意」をまとめたのか、その意義を理解してください。St.Patrick氏は「大きな合意」という言葉をよく使用されますが、「勝手に合意内容を大きくしないで欲しい」「合意に含まれない点について異議があるなら機械的なリバート行為は避け、中身の議論を是非やっていきましょう」、というのか私の主張の要点です。--Chocopeanut 2009年12月5日 (土) 14:59 (UTC)
追記:St.Patrick氏は「議論中の文言の一方の意見だけを注釈として国号に対し編集する今回の編集行為は大きな合意がなくてもWikipediaの中立性の観点から認められないということです、その場合は差し戻しではなく削除か両論併記にな」る、ということもおっしゃっておられます。今回の注釈の内容についてどこで「議論中」なのか存じませんが、議論が必要なら”ここで”行いましょう。両論併記ともおっしゃっていますが、今回の内容に反対意見を併記するならば、どんな文言が考えられるのでしょうか。仮に反対意見がないのなら、そもそもどんな「議論」が行われているというのでしょうか。この点についてもご教示願います。--Chocopeanut 2009年12月5日 (土) 16:48 (UTC)
どうも「最後に投稿したものが勝ち」の展開になってきていますので、ここらでお二方とも矛(ほこ)を収めませんか(゚∀゚)--大和屋敷 2009年12月3日 (木) 20:29 (UTC)

コメントこんにちは。大和屋敷氏及びSt.Patrick氏がおっしゃるとおり、確かにこの注釈は「別になくてもかまわない」ものであると思います。ただし、「大日本帝国を継承した日本国」といった独自研究をwikiの場で開陳される方もおられるようですし、この際(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史での議論を踏まえた内容での)注釈を付すことは無意義とはいえないのでないか、と考え編集をさせて頂きました。「大きな合意への抵触」を根拠とし、具体的な議論を欠いた今回のリバート行為に関しては、今後の韓国併合の編集に際して重大な支障を生じかねない面がありますので、私としてはここで妥協することは難しいと考えています。

今回はChocopeanut氏の3回に渡った強引な編集行為にそもそも問題があるので、そのことを自覚して今後は気を付けるようにして下さい、としか私の方からは言えないです。--St.Patrick 2009年12月5日 (土) 03:13 (UTC)

追記:「大日本帝国を継承した日本国」という観念は検証可能性がない、という点についてはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史でも議論が煮詰まっている(注:本来の意味です!)ようですので、韓国併合中の当該表記についてはこの際削除させていただきました。もちろん再編集は大いに結構ですが、その際はこの場で理由をお示し頂きたく思います。--Chocopeanut 2009年12月5日 (土) 02:11 (UTC)

すみませんが大きな合意に抵触しますので早急に提案をノートで行って合意を形成してください。ただし客観的にみて事実ならChocopeanut氏の提案理由に分があると私は思います。合意の形成の仕方はもう理解していると思うので繰り返しますが早急にお願いします。--St.Patrick 2009年12月5日 (土) 03:13 (UTC)
コメント編集内容については賛同して頂けるということで、大変ありがたく思っております。私としては、この編集が改めて合意を得る手続きが必要であるかどうか、St.Patrick氏以外の方の意見等の状況もみた上で判断したいと思います。--Chocopeanut 2009年12月5日 (土) 03:47 (UTC)
編集内容に賛同したわけではないので、念のため。それと状況をみるのが長引くようだと合意を形成しない編集と見なされますので気をつけるように。--St.Patrick 2009年12月5日 (土) 05:47 (UTC)
コメントでは、編集内容に反対はしていない、というところでしょうか。編集内容に反対の方がおられれば、私はいつでも議論する用意がありますし、その方の合意を得られるよう最大限努力します。--Chocopeanut 2009年12月5日 (土) 14:59 (UTC)
そろそろ合意を形成しないと差し戻しますよ?--St.Patrick 2009年12月8日 (火) 16:03 (UTC)
えーっと。そもそも何の合意が必要なんだっけ。--大和屋敷 2009年12月8日 (火) 18:33 (UTC)
提案:本項目中の「大日本帝国を継承した日本国」という記述は独自研究に当り、検証可能性がないと考えられますので、当該記述については削除することを提案します。
本日より1週間を経過した時点で意見等がなかった場合には本提案に対して一応の合意があったものと見做しますが、このことがその後の議論や修正を制限するものではないことを念のため申し添えます。--Chocopeanut 2009年12月9日 (水) 10:48 (UTC)
こさえてみました。St.Patrick氏の希望されている形式になっていれば良いですが。--Chocopeanut 2009年12月9日 (水) 10:48 (UTC)
「国家の継承」という用語は「新国家の誕生」と同じく安直に使用してよいようなものではなさそうですね[6]。別に議論が必要になるかもしれませんが、現在の資料では「大日本帝国を継承した日本国」という記述には問題がありそうなので、そのような法的概念を連想させない用語に書き換える(ないしは除去する)のが適当だと考えます(関連:継承国国家の承認)。--大和屋敷 2009年12月9日 (水) 11:04 (UTC)
提案の論拠として挙げた大日本帝国と日本国の連続性に関しては現在も論争中で検証できません。そして現在論争中の片方を論拠とするこの提案に合意することは一方の肩をもつことになり、Wikipediaの中立的な観点あるいは検証可能性に反することになります。残念ですが現在の提案論拠では合意できかねますので御了承下さい。--St.Patrick 2009年12月9日 (水) 13:15 (UTC)
【大日本帝国と日本国の連続性に関しては現在も論争中で検証できません】とありますがドコで論争が発生しているのでしょうか?--大和屋敷 2009年12月9日 (水) 17:05 (UTC)
ドコというのは住所のことでしょうか?おっしゃる意味がわかりかねます。いずれにしてもWikipediaで記述される論拠において問題とされるのは物理的なドコではなく対立する議論が存在し決着がついてない状態です、その状態を指して論争中という言葉を使っており問題ないはずです。また論争中の議論の提案がWikipediaのルールに抵触することに関しても大和屋敷氏自身が参加されたWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史上の”「大日本帝国の国号表記」議論”において既になされており誰もが検証可能なようにログが残っておりますので、どのような論拠が論争中なのかそこで検証することに問題はありません。--St.Patrick 2009年12月12日 (土) 07:54 (UTC)
コメント上のコメントからも明らかなように、St.Patrick氏のいう「論争」とは、「邪馬台国がどこにあったか」「天皇は日本の元首か否か」といった公的な・学術的なレベルでの論争ではなく、「Wikipediaのいちノート上で、他人の意見と対立した」という程度のものにすぎないようです。いずれにせよ、先の議論においても「大日本帝国を継承した日本国」という観念に関する根拠は何ら示されておりませんので、それが示されない以上は、当該記述を削除すべきという論理的帰結を左右するものではないと考えられます。ネット上での「論争」が気になるようでしたら、こちらもどうぞ。[7]----Chocopeanut 2009年12月12日 (土) 11:50 (UTC)
ぐぐってもそのサイトくらいしかヒットしないんですよねえ。さすがにYAHOO知恵袋程度で納得しろとか言われるのはちょっと・・・さがせば「戦前日本と前後日本は断絶しており、戦後の日本国は戦前の大日本帝国の継承国である」と論じる信頼できる著作物が一つや二つくらいはありそうなのですが。St.patorickさん。ご存知でしたらご紹介いただけませんか?--大和屋敷 2009年12月12日 (土) 18:04 (UTC)Wikipedia記事「継承国」についてぐぐった程度の情報を追加したであります。--大和屋敷 2009年12月12日 (土) 19:24 (UTC)
繰り返しになりますが論拠はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で既に指摘されているとおり八月革命説です。そして削除提案箇所の大日本帝国を継承した日本国という概念はまさしく大日本帝国と日本国の連続性に相当します。そして論拠となる学説が存在すること自体そもそものChocopeanut氏の提案理由である「大日本帝国を継承した日本国」という記述は独自研究に当たるという主張を否定しています。よってこの提案への合意は考えられません。大和屋敷氏の継承に関するわだかまりはよく解りませんが、私には辞書に書いてある以上の意味が継承という言葉にあると思えない(使ってはいけない対象があるという意味で)ので、大和屋敷氏自身の感覚で問題にするのではなく、まずどんなルールにどんな形で抵触しているのかを御自分から先に明確になされるのが意見者としてわきまえるべき道理ではないかと思われますが、いかがなものでしょうか?--St.Patrick 2009年12月15日 (火) 15:11 (UTC)
さすがにまだ継承国という認知は得られていないのではないのですかねぇ、そもそも継承したかどうかが議論中なんだし。大和屋敷氏が問題にしたいのは継承国としての日本国の扱いであって、それに対してはそうなるかどうかは議論中である、としか言えないですね。--St.Patrick 2009年12月15日 (火) 15:27 (UTC)
八月革命説は憲法学上の「仮説」ですので、仮説をもとに結論を得ることは論点回避(Begging the question)で論証上の誤謬になります。仮説もご参照ください。--大和屋敷 2009年12月15日 (火) 21:18 (UTC)【君と僕は絶海の孤島に漂着したと仮定しよう。僕は水を持っていると仮定しよう。君は僕の水を奪ったと仮定しよう。この仮定の下では君は僕の生命を危険にさらしたことになる。(よって)「君はひどい人間である」】「」部分が誤謬。それ以外は論証上の誤謬はありません。こんな感じ。--大和屋敷 2009年12月15日 (火) 21:25 (UTC)
八月革命説は憲法学上の「学説」ですので、学説をもとに結論を得ることは一般の学術行為であり、なんら論点回避(Begging the question)で論証上の誤謬とはなりえません。よって大和屋敷氏の指摘は誤りでありす。--St.Patrick 2009年12月16日 (水) 11:47 (UTC)
さすがにそれは無理押しでしょう。もしその強弁を続けられるのならば明確に反対を表明せざるを得ません。ましてや真剣に論じられておられるのでしたら残念です。万有引力の法則だって仮説なのに・・・--大和屋敷 2009年12月16日 (水) 12:06 (UTC)
万有引力の法則とちがって物理的に証明できない憲法解釈論ですので人によって法解釈の仕方が違い対立する議論が存在するのです。そういう解釈の仕方に多肢があるという意味では大和屋敷氏の引用例は正しくなくまさに大和屋敷氏自身が仰る論証上の誤謬なのです。--St.Patrick 2009年12月16日 (水) 22:51 (UTC)
八月革命説とは、あくまで憲法制定過程の説明理論(それを説明する目的に限定して「革命」という擬制を用いているに過ぎない)ですので、ここで問題となっている国家の継承云々とは直接関係がありません。St.Patrick氏があくまでこれを根拠にするならば、国家の継承とこの学説とにどういった関係があるのか、まずご自身で明らかにせねばりません。(ただ、結局それは八月革命説の本来の内容を超えることになりますので、それ自体独自研究に接近することになるでしょうが。)--Chocopeanut 2009年12月16日 (水) 14:05 (UTC)
私はそうは思いません、なぜなら説明理論であっても対立する議論が存在すること自体がWikipediaのルールに抵触するからです、「国家の継承」という概念について論じたければ継承国のように別の項目で議論して下さい、ここで論じられるのは迷惑です。ここでは本文に```継承した```と書かれているだけで辞書にのっている範囲での用法でしかあり得ません。既に削除提案箇所の大日本帝国を継承した日本国という概念はまさしく大日本帝国と日本国の連続性に相当しますと明確に指摘しておりChocopeanut氏の指摘は不当です。また八月革命説の本来の内容に影響を及ぼすものは、本来の内容を超えた範囲とは言えません。よってこれにたいする独自研究に接近するというChocopeanut氏の指摘も不当です。--St.Patrick 2009年12月16日 (水) 22:51 (UTC)
さて、何度も大和屋敷氏が問題にされている「継承国」という言葉ですが、確かに検証性に問題がありそうな言葉ですね。そこでまずその言葉がどこで使われだして誰が問題にしているのか、まず提議者である大和屋敷氏自身で御指摘願います。--St.Patrick 2009年12月16日 (水) 22:51 (UTC)

{インデント戻り}提案項目の【「大日本帝国を継承した日本国」という記述は独自研究に当り、検証可能性がないと考えられますので、当該記述については削除することを提案します】のうち、「継承した」という用語の的確性を問うています。①大日本帝国を継承する、とは常識的な文脈解釈としては「日本国は大日本帝国の継承国である」と読めてしまいます。ですから「大日本帝国を継承した」なる文字列をもって説明することは不適切だと「私は」考えます。②「大日本帝国を継承した日本国」なる説明方法はWikipediaでしか読んだことがありません(独自研究についての「個人的な」懸念)。よって引用元の提示を求めています。③「継承」なる術語が始めて登場したのはこの版[8]みたいですね。IPアドレス投稿者による「引用元を一切紹介しない編集」&「日本→大日本帝国へと大量に言葉狩りする編集」が行われた回のようで、このようなワケのワカラナイ投稿者の編集行為の残滓(残りかす)を保持するためにSt.patorickさんともあろうかたがお出ましになられるまでもない、のではなかろうか(゜∀゜)itte-yatta-kan--大和屋敷 2009年12月16日 (水) 23:12 (UTC)追記:『都合のいい場所に追加コメントをしないこと!』最後に発言したものが勝利者の法則です。宜しくです。[9]--大和屋敷 2009年12月16日 (水) 23:20 (UTC)

うえの大和屋敷氏の意見に同感です。大日本帝国を継承した日本国という言葉を単に「大日本帝国と日本国の連続性を表す言葉」としてSt.Patrick氏が考えられているのであれば、何も八月革命説などを持ち出す必要はなく、ただ「国家の継承」を想起させる紛らわしい表現を改めればよい、それだけのことではないでしょうか。--Chocopeanut 2009年12月17日 (木) 11:50 (UTC)
まあまあ落ち着きなさい、大和屋敷氏の問題提議で一番問題になるのはずっとその問題提議中に使われている「継承国」という言葉の概念です。すなわちこの「継承国」という言葉が正確に何を基準にしているのかをまず大和屋敷 氏が客観的にきっちり説明できないとそうであるか、あるいはそうでないのかといった議論がそもそも成立しません、ですから今回の大和屋敷 氏の問題定義そのものが無意味ですね、ということを指摘しているわけです、理解して頂けましたでしょうか?インデントの件に関しては、内容で別段落にしたり深さを変えたりするのが適当だと思っておりましたが、大和屋敷氏が不満に感じるなら整理するのは最後に回しましょう。--St.Patrick 2009年12月19日 (土) 16:57 (UTC)
いつのまにか説明しろとか勝手に責任押し付けないでくださいよ(´Д`)無理押しやめて・・ぼくは貴殿にご納得いただく必要などこれっぽちもないんです。「継承」という用語を用いて説明を叙述したいなら「大日本帝国を継承した日本国」なる文字列によって説明された信頼できる出典情報を探してきてください。僕はそんな文献を見たことがなく、そういう文献がないかと探してみたけど見つからなかった。だからそのような字句で叙述できないでしょ、と主張しています。これは検証可能性ルールです。--大和屋敷 2009年12月19日 (土) 17:06 (UTC)繰り返しますが、どこの誰とも分からないIPアドレス投稿者による「言葉狩り」の残滓(のこりかす)をそこまで保持しようとする意味ありますかね?印象としては「大日本帝国」という呼称を尊重しているくせに、戦前と戦後の国体に断絶があるかのような印象をもたらす「継承」なる文字を使用してしまうなど、IPアドレス投稿者の粗忽(そこつ)ぶりが確認できるだけだと考えるのですけれども。--大和屋敷 2009年12月19日 (土) 17:16 (UTC)
いえ、「継承」は用語ではなく単語です。定義はどの国語辞書にも必ず載っており誰でも容易に検証することが可能なんです。「大日本帝国を継承した日本国」は単なる文字列ではなくれっきとした名詞節であり、大日本帝国を継承したという状態の日本国を意味し、それ以外の用語の意味(「継承国」とか)は持ち得ません。よって大和屋敷 氏の問題定義そのものが無意味なんです。--St.Patrick 2009年12月19日 (土) 17:48 (UTC)
何がどう理論的なんですかね。提案されている文言の除去に賛成します。独自研究のごり押しが続くようならコメント依頼した方がいいんじゃないですか。johncapistrano 2009年12月19日 (土) 17:59 (UTC)
googleの機能を最大限に活用して検索した結果「大日本帝国を継承した」なる字句が用いられた用法を発見することに成功しました[10]!!。32件・・・。いやいや、その中で信頼できる検証可能な引用元になりうる文献がありました[11]!!!ってやっぱり売国サ・・・あ、いやいや。--大和屋敷 2009年12月19日 (土) 22:52 (UTC)
どっちの意見に与するかとは別に、議論を追っていて「やっぱり売国サ・・・あ、いやいや」という書き込みは、不愉快以外の何者でもありません。Wikipediaの注意書きに従い、冷静な発言をしてください。--118.105.224.59 2009年12月20日 (日) 00:20 (UTC)
高橋哲哉の『戦後責任論』関連であれば文脈が違うしこの記述の出典にはなりませんね。韓国併合関連で発言している可能性は高そうですが。johncapistrano 2009年12月20日 (日) 02:59 (UTC)
久しぶりにここを拝見し、お邪魔します。えーと、どう文脈が違うのか意味不明です。言葉のままではないですか。学者が「大日本帝国を継承した日本」と語っており、出展はしっかりしているものと判断します。これに反論する場合は学者が反論している出典をご提示ください。--清涼里588 2009年12月20日 (日) 08:38 (UTC)
--------ここに本人により撤回された投稿がありました[12]--大和屋敷 2009年12月20日 (日) 13:42 (UTC)
本気で仰ってるんですかね。日韓協約の無効論の出典こういうものが求められているのに、論点が違うものが出されてるんですが。南京関連の記事に南京虐殺の証拠を書込むようなことです。誠実な議論とは言い難いですね。johncapistrano 2009年12月20日 (日) 12:15 (UTC)
ああ、きちんとした引用元が存在したのですか。失礼いたしました。私はググって検証できない文献情報については基本的に何も申し上げられません主義ですので大変失礼致しました。文献による検証は他の方の貢献に期待致します。即ち前言[13]撤回。--大和屋敷 2009年12月20日 (日) 13:36 (UTC)
本気ですが?「大日本帝国を継承した日本」との表現を学者が使用しており独自研究による見解ではなくなった。それ以上でも以下でもない。その表現はおかしい!としたいならば、あなたの意見でなく学者の反論をお願いします、という単純なことです。--清涼里588 2009年12月20日 (日) 14:52 (UTC)
僕に対する対話ですか?すみませんおっしゃる意味が分かりません。--大和屋敷 2009年12月20日 (日) 15:05 (UTC)信頼できる引用元に記述された内容は引用元を明示のうえWikipediaに中立に引用することができます「それ以上でも以下でも」ありません。清涼里588さんは「大韓帝国南半分を継承した大韓民国」の引用元も開示してください。僕が探すのはもうイヤですよ。--大和屋敷 2009年12月20日 (日) 15:10 (UTC)
もう一名のjさんに言ったつもりなんですが・・・。「大韓帝国南半分を継承した大韓民国」との表現を載せろと主張した覚えがありませんが、私が立証しなければならないのでしょうか?出典がないのならば消せば良い。それ以上でも以下でもない。--清涼里588 2009年12月21日 (月) 09:56 (UTC)
了解です。--大和屋敷 2009年12月21日 (月) 10:14 (UTC)
インデントの深さが10回に達しますので次の発言者は{インデント戻り}を発言の先頭に付けてインデントなしで記述して下さい。よろしくお願いいたします。--St.Patrick 2009年12月22日 (火) 20:29 (UTC)

{インデント戻り}提案賛成者による投稿がしばらくありません、このままでは合意を得られないと判断しますがよろしいですか?--St.Patrick 2009年12月26日 (土) 15:37 (UTC)

”「大日本帝国を継承した日本国」は単なる文字列ではなくれっきとした名詞節であり、大日本帝国を継承したという状態の日本国を意味し、継承国を意味しない”、というSt.Patrick氏の反駁に説得力を感じません。大和屋敷氏及び私が繰り返し指摘しているとおり、上の表現を普通に読めば「日本国が大日本帝国の継承国」であるかのように読めることは否定できず、wikipedia百科事典である以上、文章には何より正確性・的確性が求められることを忘れないで頂きたく思います。

反対者の意見に説得力を感じないというのは理由になりません、よってこのままでは合意を得ることはできないと判断します。--St.Patrick 2009年12月28日 (月) 05:00 (UTC)

この表記の存続にSt.Patrick氏がこだわる理由も、正直よく分かりませんが(論拠として挙げられた「八月革命説」は、結局この議論と何か関係があったのでしょうか?)、「継承」の記述を残すのであれば、注釈等でその意味するところを明確に記述する(もちろんSt.Patrick氏が、ですが)必要があると思います。なお、ネットで拾ってきた高橋哲哉なる人物の文章については、一読した限り「継承」の意味するところが不明であり、特にここでの議論において参考となる記述とは思われません。--Chocopeanut 2009年12月27日 (日) 04:38 (UTC)

私はすでに述べたとおりそうは思いませんので、Chocopeanut氏の提案には反対致します。--St.Patrick 2009年12月28日 (月) 05:00 (UTC)
告知Chocopeanut氏の提案に対する反対意見の表明に対し提案賛成者からの意見投稿がなく、既に十分な期間が過ぎましたので提案は合意を得られなかったものと認めます。よって提案を却下すると共に今回Chocopeanut氏が合意なく行った当該記述変更箇所の復元を行います、今後該当部分をみだりに改変しないで下さい。--St.Patrick 2009年12月31日 (木) 19:54 (UTC)
リバートされるのちの状況には検証可能性が明示されておりませんので単純な復元には反対いたします。--大和屋敷 2009年12月31日 (木) 20:07 (UTC)
合意提案否決後の原状復帰に反対はできませんよ。ただ私の方も大和屋敷氏の意見を良く理解したいので「リバートされるのちの状況」というのが具体的に何を指しているのか、あるいはどの部分がいけないのかもう少しわかりやすく御説明願えますか。あと単純な復元でない復元案をお持ちなら御呈示を御願い致します。--St.Patrick 2010年1月4日 (月) 11:09 (UTC)

大和屋敷氏の返事をお待ちしましたが、返事がなく既に十分な期間が過ぎましたので当該記述変更箇所の復元を行います。--St.Patrick 2010年1月30日 (土) 02:27 (UTC)

「大日本帝国を継承した日本」について

新憲法は旧憲法の廃止ではなくその改正であり、いわんや憲法改正の前後にわたって国家の同一性には変更がないのであるから,旧憲法下の法令が原則として新憲法下においてもその侭引きつがれ、有効に存続することは何人も疑わないところであり,このことは、憲法第九十八条の規定に徴しても明らかである。 「政令201号の効力について(法務総裁説明)」昭和23年9月3日 閣議決定 [14]
「大日本帝国を継承した日本」表記にこだわる方は、参考にして下さい。--Chocopeanut 2010年1月16日 (土) 07:13 (UTC)
日本国は大日本帝国を継承したのでその前後では国家の同一性に変更はありません、以上。--St.Patrick 2010年1月16日 (土) 08:28 (UTC)
参考になったようで、何よりです。--Chocopeanut 2010年1月16日 (土) 12:44 (UTC)
「継承国」と表記した場合、前後の国体が断絶していることが前提となりますので、なにとぞ表記の機微にご注意いただきたい所です。--大和屋敷 2010年1月16日 (土) 12:53 (UTC)
同感です。それにしてもSt.Patrick氏は、日本国は大日本帝国の「何」を継承したと主張したいんでしょう?それが分からないと議論が成り立ちませんね。--Chocopeanut 2010年1月16日 (土) 14:09 (UTC)
「継承」という語は「大日本帝国と日本国は同一性を持つ」というニュアンスがあるのでそちら方面からだと思いますが、同時に「一旦断絶が発生したから継承の問題が発生する」ニュアンスがあることにも注目して欲しいわけです。継承国が問題になるのは「一旦断絶が発生した場合」です(ニュアンス的には「相続」にちかい)。大日本帝国と日本国については前者が途絶して後者が新規に建国されたという立場は確立していませんので(八月革命説は仮説です)、安易に「継承」という用語を使用しないほうが良いと思います(信頼できる検証先にそのように記述されている文献があれば、その文献・記述を紹介することはできます)。--大和屋敷 2010年1月16日 (土) 17:53 (UTC)
大和屋敷氏も認めているようにChocopeanut氏の引用部分には複数のニュアンスがあるわけです、よって今回のChocopeanut氏の引用資料には議題における資料価値はなく参考とはなりません。--St.Patrick 2010年1月17日 (日) 19:04 (UTC)

過去ログを拝見するに、St.Patrick氏が「継承」の存続を主張されているのは、そもそも戦前の日本政府と戦後のそれとの間の法的な連続性に疑義がある、という考えが前提にあってのことで、だからこそ自らその根拠として「八月革命説」を挙げられていたのはないでしょうか。上掲資料の「憲法改正の前後にわたって国家の同一性には変更がない」ことなど「言わずもがな」のことですが、他ならぬSt.Patrick氏にとってはいくらか参考になる部分があったはずです。

さて、ニュアンスの問題ですが、ニュアンスが問題となっているのは私の引用資料ではなく「継承する」という本稿の字句についてです。「継承」という語に「継承国」のニュアンスが含まれるとの指摘に対して、St.Patrick氏は論理的に反駁できておられません。氏の主張を引用します:

「継承」は用語ではなく単語です。定義はどの国語辞書にも必ず載っており誰でも容易に検証することが可能なんです。「大日本帝国を継承した日本国」は単なる文字列ではなくれっきとした名詞節であり、大日本帝国を継承したという状態の日本国を意味し、それ以外の用語の意味(「継承国」とか)は持ち得ません。よって大和屋敷 氏の問題定義そのものが無意味なんです。--St.Patrick 2009年12月19日 (土) 17:48 (UTC)

「それ以外の用語の意味(「継承国」とか)は持ち得ません」なる主張はSt.Patrick氏の主観に過ぎず、複数の第三者の批判にも関わらずそれに固執することは正に「独自研究のごり押し」との誹りを免れないと考えます(おそらくご自身が執筆された箇所につき、論理を超えたこだわりがあるのでしょう。)。--Chocopeanut 2010年1月18日 (月) 13:18 (UTC)

まずChocopeanut氏の”いくらか参考になる部分があったはずです。”という思いこみの指摘は完全に間違いです、私ははっきりと"Chocopeanut氏の引用資料には議題における資料価値はなく参考とはなりません”と理由を述べて指摘しています。そしてこのままChocopeanut氏が上記のように対論者に対しその意見を非難するだけで、資料価値に関しての理論的な意見陳述ができないようであれば引用資料には議題における資料価値はなく参考とはならないという結論で終了となります。--St.Patrick 2010年1月20日 (水) 10:48 (UTC)

コメント思考を停止される前に振り返っていただきたいのですが、St.Patrick氏は、このノートの上の方で「現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を「継承」したとしており同一政府というわけではありません」と自身の基本的な見解を明らかにされています。また、私の今回の提案に関しても、おそらく先と同様の考えから、「大日本帝国を継承した日本国という概念はまさしく大日本帝国と日本国の連続性」に関係するもので、「大日本帝国と日本国の連続性に関しては現在も論争中で検証できない」ために反対するとし、論争中であるとする根拠は八月革命説の存在であるとしています。

私の引用した資料は、少なくとも政府サイドにおいて「憲法改正の前後にわたって国家の同一性には変更がない」とする結論がすでに出ていることを示すもので、St.Patrick氏の主張に対する反証となるものです。よって、議題における参考とはならない、というSt.Patrick氏の主張は誤りです。

また、比較的最近になって、St.Patrick氏は、「「継承」は用語ではなく単語」で、「「大日本帝国を継承した日本国」は単なる文字列ではなくれっきとした名詞節であり、大日本帝国を継承したという状態の日本国を意味」する、とも言いだしておられます(従来の主張との整合性が問われるところです)。

ともかくも、自分は特殊な用語ではなく辞書通りの意味として「継承」という言葉を使っているつもりなのだ、という主張かと解釈しますが、St.Patrick氏の主張に従って辞書を引けば、「継承」の意味は「前代の人の身分・仕事・財産などを受け継ぐこと」(大辞泉)となっています。つまり、「ある主体から別の主体へと何かを受け継ぐ」という意味が「単語」としての意味です。「日本国が大日本帝国を継承した」という文章ですと、「日本国が、日本国とは別の主体たる大日本帝国から国家(もしくは領土、国民など)を受け継いだ」と解釈できます(単純に「日本国=大日本帝国」という文章として解釈することはさすがに無理でしょう)。結局、辞書通りに読んだとしても憲法改正の前後にわたって国家の同一性には変更がないという先の引用資料と矛盾する部分が出てきます。よって、議題における参考とはならない、というSt.Patrick氏の主張はやはり誤りです。

追記:St.Patrick氏は「私ははっきりと"Chocopeanut氏の引用資料には議題における資料価値はなく参考とはなりません”と理由を述べて指摘」している、と主張されています。このSt.Patrick氏がかつて述べたという「理由」とは、「大和屋敷氏も認めているようにChocopeanut氏の引用部分には複数のニュアンスがある」という箇所のことでしょうか。よく大和屋敷氏の文章をお読み頂ければ良いのですが、氏が指摘されているのは「私の引用部分に複数のニュアンスがある」ことではなく、「「継承」の語に複数のニュアンスがある」ことです。よって、St.Patrick氏がかつて述べたという「理由」についてはその中身に大きな誤りがあることを指摘しておきます。--Chocopeanut 2010年1月20日 (水) 14:50 (UTC)

少なくとも「継承」という単語だけでは「大日本帝国と日本国は同一性を持つ」というニュアンスが成り立たないことは明らかです。そしてChocopeanut氏の「「継承」の語に複数のニュアンスがある」という主張は「継承:前代の人の身分・仕事・財産などを受け継ぐこと」(大辞泉)と矛盾しており誤りです。--St.Patrick 2010年1月21日 (木) 17:16 (UTC)
コメント私の文章をよくお読みになっていないか、あえて曲解しているのか分かりませんが、上の文章で私は「よく大和屋敷氏の文章をお読み頂ければ良いのですが、氏が指摘されているのは『私の引用部分に複数のニュアンスがある』ことではなく、『「継承」の語に複数のニュアンスがある』ことです。」と記述しています。私の文章(そんなに難しい文章でもないと思いますが…)を良く読まず、「『継承』の語に複数のニュアンスがあるとするChocopeanut氏の主張は誤り」などとと書きたてるのはいかがなものでしょうか。--Chocopeanut 2010年1月23日 (土) 15:23 (UTC)

私は今回のChocopeanut氏の引用資料に対し日本国が大日本帝国から国家をそのまま受け継いだので、国家の同一性に変更はないのは当然であるとして引用資料の内容となんら矛盾しない別解釈が成り立つことから議題の資料とはならないと指摘しております、またChocopeanut氏の主張する”単純に「日本国=大日本帝国」という文章として解釈することはさすがに無理でしょう”という決めつけには理論的な論拠がまったくありません。そして末尾の”結局、辞書通りに読んだとしても憲法改正の前後にわたって国家の同一性には変更がないという先の引用資料と矛盾する部分が出てきます。”という文言の```矛盾する部分```も一体何が矛盾しているのかが不明瞭で理論的に理解しかねます。2回目になりますがこのまま対論者に対し非難するだけで、資料価値に関しての理論的な意見陳述がまともにできないようであれば引用資料には議題における資料価値はなく参考とはならないという結論で終了となります。--St.Patrick 2010年1月21日 (木) 17:16 (UTC)

コメント「理論的な意見陳述がまともにできない」とのご指摘ですので、St.Patrick氏のためにもう少し分かりやすく説明しましょう。
「大日本帝国を継承した日本国」という韓国併合中の記述については、これを執筆されたSt.Patrick氏ご自身が述べているとおり、「日本国が大日本帝国から国家を受け継いだ」という意味と解釈するのが”自然”です(それ以外の解釈を許さない、という意味ではない)。繰り返し指摘しているとおり、この解釈を許せば「大日本帝国と日本国は別の国家である」という誤解を読者に与える懸念があり(引用資料は、まさしくこれが誤解であることの一つの証左です)、このような懸念のある記述はwikipediaであえて使用すべき記述ではありません。そもそも、St.Patrick氏ご自身が、かつて「現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を『継承』したとしており同一政府というわけではありません」との誤解のもと「大日本帝国を継承した日本国」という記述をされていたことは、先に指摘させて頂いたところです。
付け加えておさらいしておきますと、国際法の分野において、「国家の継承、承継(succession of Sates)」という語は、 「領域の国際的関係についての責任の一国から他国への引き継ぎ」を意味しています(「条約に関する国家承継条約」における定義)。St.Patrick氏は「『大日本帝国を継承した日本国』は『大日本帝国を継承したという状態の日本国』を意味し、…(中略)…継承国を意味しない」と主張されていますが、これはSt.Patrick氏の独りよがりな主観にすぎないことも、先に指摘させて頂いたとおりです。またSt.Patrick氏ご自身、先に「現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を『継承』したとしており同一政府というわけではありません、またこれは戦後平和条約を結んだ各国の政府から認められていることです。」と、あたかも国際法上の「国家継承」があったかのような記述をされていることを、併せて指摘しておきます。
「単純に『日本国=大日本帝国』という文章として解釈することはさすがに無理でしょう」という私の文章の意味についても、ちっともご理解頂けなかったようですので解説します。
そもそもSt.Patrick氏が自身の使用された「継承」という語について、「国家の継承」といったような特殊な用語でなく「単語」として使っているに過ぎない、と主張されたことから、単語としての意味(=辞書的な意味)について検討する必要が生じました。これについてはあくまでSt.Patrick氏への反駁の必要から検討しているにすぎないのであって、辞書で引いて出てきた意味をもって、(他のニュアンスの存在を否定するような)唯一無二の意味として主張するつもりは金輪際ありません。
さて、先にも述べたとおり「前代の人の身分・仕事・財産などを受け継ぐこと」というのが「継承」の辞書的な意味です。ここでもう少し掘り下げて考えると、「前代の人」とありますので、当然、身分・仕事・財産などを受け継ぐべき「後代の人」が存在することが前提となります。ここで、もし「前代の人」と「後代の人」が同一人物であったとしたら、継承の意味そのものが破綻します。「単純に『日本国=大日本帝国』という文章として解釈することはさすがに無理」とは、そういう意味です。
一方、「前代の人」がある「性質」を「後代の人」に受け継がせたとすれば、「前代の人」と「後代の人」はともに「共通した性質」を持つことになり、この意味で、「日本国は大日本帝国を継承した前後で国家の同一性に変更がない」との表現は可能かもしれません(おそらく大和屋敷氏の「『継承』という語は「大日本帝国と日本国は同一性を持つ」というニュアンスがある」という指摘はこの意味でしょう)。しかし、少なくとも引用資料において法務総裁「大日本帝国」と「日本国」はいわば「同一人物」であるという意味で「国家の同一性に変更はない」と述べています(内国法の適用を巡る議論の中で、「大日本帝国と日本国は『共通した性質』を持つ」などという議論は無意味ですので)。私が先に述べた「辞書通りに読んだとしても憲法改正の前後にわたって国家の同一性には変更がないという先の引用資料と矛盾する部分が出て」くるとは、そういう意味です。--Chocopeanut 2010年1月23日 (土) 15:23 (UTC)

まずひとつChocopeanut氏に確認したいのですが、氏の主張は、”大日本帝国を継承した日本国”という文章に『日本国=大日本帝国』という解釈は成り立たないので私の意見は間違いだということを根拠に延々と合意を得られなかった主張を繰り返しているだけなのですが、私の記述箇所ではっきりと『日本国=大日本帝国』であると主張している箇所がどこにありますか?--St.Patrick 2010年1月25日 (月) 15:13 (UTC)

もうひとつ、Chocopeanut氏は”少なくとも引用資料において法務総裁は「大日本帝国」と「日本国」はいわば「同一人物」であるという意味で「国家の同一性に変更はない」と述べています(内国法の適用を巡る議論の中で、「大日本帝国と日本国は『共通した性質』を持つ」などという議論は無意味ですので)。”とありますがこれは立派な独自解釈ですので認められません。すなわち引用資料に複数の解釈が出来るときその選択肢が無意味かどうか、あるいはどの選択肢を採る意図があったかどうかは 当人(この場合は法務総裁)以外は決定することはできない(当たり前の話です)からです。いいかげんChocopeanut氏の主張論点が的を外れておりますので繰り返しますが"私は今回のChocopeanut氏の引用資料に対し日本国が大日本帝国から国家をそのまま受け継いだので、国家の同一性に変更はないのは当然であるとして引用資料の内容となんら矛盾しない別解釈が成り立つことから議題の資料とはならない"と""参考資料の問題点"を指摘し続けております。よってこのまま"資料価値に関しての"理論的な意見陳述をしないようであれば提出された引用資料には議題における資料価値はなく参考とはならないという結論で終了となります。--St.Patrick 2010年1月25日 (月) 16:13 (UTC)

資料価値については私の意見を延々と根拠を挙げて述べたとおりですが、それについて具体的な反論をすることなく、「日本国が大日本帝国から国家をそのまま受け継いだので、国家の同一性に変更はないのは当然であるとして引用資料の内容となんら矛盾しない別解釈が成り立つ」という従来からの稚拙な言葉遊びを繰り返すのみでは、議論そのものを放棄されたということなのでしょうか。法務総裁の言葉の解釈にしても、私の解釈に対して自己の解釈を示して具体的な反論をするならまだしも、「当人以外は決定することはできない」などど文章解釈そのものを放棄して議論から遁走するに至っては、ただただ呆れるばかりです。これでは、建設的な議論など望むべくもありません。
また、確認されたいことがおありのようですが、私はSt.Patrick氏が「『日本国=大日本帝国』であると主張している」などど述べたことは一度もありませんよ。私は、「現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を「継承」したとしており同一政府というわけではありません」という根拠のない独自研究を根拠に、St.Patrick氏が「継承」という語を用いていることを一貫して指摘しています(氏からの反論は未だありませんが)。確認したいことがあるなら、もう一度私の文章を良くお読みになってからにしてください。
また、「大日本帝国を継承した日本国」表記に関する私の具体的な批判(非難、ではありません。)に対して、「合意が得られなかった提案を蒸し返している」という理屈をもって誤魔化そうとされているようですが、St.Patrick氏はこのノートの管理人でも何でもありませんし、あなたが勝手に主張しているにすぎない「合意」とやらを最終的に確定させる権限もありません。そもそも、私の先の提案に対する「唯一の」反対者なのですから、あなたの主張に対する批判については、しっかりと反論される必要があると思いますよ。 --Chocopeanut 2010年1月27日 (水) 15:04 (UTC)

"St.Patrick氏はこのノートの管理人でも何でもありませんし、あなたが勝手に主張しているにすぎない「合意」とやらを最終的に確定させる権限もありません。"の根拠を明示して下さい。--St.Patrick 2010年1月28日 (木) 15:29 (UTC)

まずひとつSt.Patrick氏に確認したいのですが、St.Patrick氏はご自身が「このノートの管理人」だと主張されたいのですか?--Chocopeanut 2010年1月28日 (木) 21:44 (UTC)
Wikipediaで「このノートの管理人」を定義している箇所を明示して下さい。--St.Patrick 2010年1月29日 (金) 12:55 (UTC)
何を主張されたいのか不明ですが、Wikipediaにそのような箇所が存在するとは私は存じ上げません。--Chocopeanut 2010年1月29日 (金) 13:14 (UTC)
それではなぜWikipediaに定義されていない「このノートの管理人」なるものがWikipediaにおいて「合意」を最終的に確定させる権限を持つとChocopeanut氏は主張するのでしょうか?--St.Patrick 2010年1月29日 (金) 14:45 (UTC)
何かまた変な方向に考えてますね。St.Patrick氏は、ここでの議論を結論づける権限などはお持ちではないのだから(当然、私も持っていない)、現時点で自身が一方的にその存在を主張しているに過ぎない「合意」をタテにして議論から逃げるのは止めてほしい、と私は言っているだけです。「管理人」の意味が分からないなら、Wikipediaに頼らず辞書でも引いて下さい。 --Chocopeanut 2010年1月29日 (金) 15:42 (UTC)
いえいえ、Chocopeanut氏が合意を提案されて否決されたのは検証可能な事実ですから。Chocopeanut氏の問題行動の一つは「合意を得られなかった主張を繰り返す迷惑行為を続けている」ですので間違えないように。--St.Patrick 2010年1月29日 (金) 17:04 (UTC)
では、私の指摘に対する反論は一切放棄する、ということですね。良く分かりました。まあ、今のところ「当該記述変更箇所の復元」はされていないようですし、とりあえずは良しとしましょう(いつの間にか、あまり意味のない脚注はついてしまっていますが)。今後とも、St.Patrick氏におかれましては、「現在の日本国政府は第二次世界大戦の敗戦時に大日本帝国政府の資産を「継承」したとしており同一政府というわけではありません」などといった独自研究を根拠とした編集をされぬよう、また、人の意見に対して批判をする際にはせめて当該意見を一読でもされるよう、重ねてお願いします。--Chocopeanut 2010年1月30日 (土) 00:01 (UTC)

いいえ、Chocopeanut氏の意見根拠は一次資料の独自解釈であり検証可能性がないことから認められないという反論をしておりますので、自分勝手に私の指摘に対する反論は一切放棄するなどと独自解釈して決めつけないように。またChocopeanut氏が提案し合意なされなかった「当該記述変更箇所の復元」は大和屋敷氏の返事待ちで遅れているだけですので勝手に解釈しない様に。そして現在問題となっているChocopeanut 氏の資料に対して"私は今回のChocopeanut氏の引用資料に対し日本国が大日本帝国から国家をそのまま受け継いだので、国家の同一性に変更はないのは当然であるとして引用資料の内容となんら矛盾しない別解釈が成り立つことから議題の資料とはならない"と"参考資料の問題点"を指摘し続けております。よってこのまま"資料価値に関しての"理論的な意見陳述をしない(=独自解釈を認めた)のであれば提出された資料には議題における資料価値はなく参考とはならないという結論で終了ということになります。--St.Patrick 2010年1月30日 (土) 02:27 (UTC)

St.Patrick氏により、「大日本帝国を継承した日本国」との記述の再執筆が行われました。当該編集内容及び氏の編集姿勢に対し、ここに改めて遺憾の意を表明します。--Chocopeanut 2010年1月31日 (日) 12:56 (UTC)

依然としてChocopeanut氏は提出した資料価値に関しての"理論的な意見陳述をしない(=独自解釈を認めた)"ので提出された資料には議題における資料価値はなく参考とはならないという結論で終了します。--St.Patrick 2010年1月31日 (日) 16:03 (UTC)

大韓帝国南半分を継承した大韓民国

独自研究の懸念があり削除しました。「臨時政府は大韓民国の根元であり精神的土台」「臨時政府は‘大韓民国’の国号を作ったほか、民主共和制の枠組みを形成し、光復(解放)後の建国の基礎を築いた」「憲法に明示されたように臨時政府の法の伝統を継承した大韓民国」[15]とあります。また大韓民国は自国の領土を「大韓民国の領土は韓半島とその付属島嶼とする」(憲法3条)とのことです[16]。どうもやっぱりWikipediaの独自研究投稿者さんは「継承」という字句の使用に安直な気がするのです。--大和屋敷 2009年12月20日 (日) 13:18 (UTC)

事後となりますが懸念とあるので正式に合意を取る形にされてはいかがでしょうか?しばらくしたら私の方で手続きをさせて頂きます。理由は上記「」内の引用でよろしいですね?よろしく御検討をお願い致します。--St.Patrick 2009年12月22日 (火) 20:29 (UTC)
合意の要請ではなく引用元開示の要請です。他のWikipedia編集者と合意を求める要素はありません。この内容に関する信頼できる情報源をご存知の方の情報提供をお待ちしております。なお削除する正当性についてはWikipedia:検証可能性を「硬質」に引用(適用)しております。[要出典]で済ますべきだという説得には応じることは、この内容についてはさすがにできません(「反証」材料が韓国の憲法ですのでさすがにね・・・「合理的な疑い」)。「いや、内容の正確性がいかに疑わしい場合であっても、記事として掲載したうえで編集者間の議論で編集方針を決定すべきだ」という説得を編集ルール上有効にするためにはWikipedia:検証可能性でご提案頂くようお願いいたします。【参考:2.記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。 】Wikipedia:検証可能性#方針--大和屋敷 2009年12月22日 (火) 20:53 (UTC)おっといずれにせよ提案のご好意については感謝致しますです。--大和屋敷 2009年12月22日 (火) 21:08 (UTC)
そうですか、次回から引用元開示の要請を明確にして頂ければ宜しいかと思います。上記大和屋敷 氏による指摘箇所引用元開示の要請ですが要請に応える事無く既に十分な期間が過ぎましたので大和屋敷 氏の編集行為は周知認められたものと考えます、今後該当部分をみだりに改変しないで下さい。--St.Patrick 2009年12月26日 (土) 13:20 (UTC)
「信頼できる検証可能な資料」が発掘されるなり今後公表されるなりすればそれを明示して頂ければ任意・随意に追加していただいて結構ですよ(゚∀゚)それが「検証可能性ルール」ですので(゚∀゚)--大和屋敷 2009年12月26日 (土) 17:35 (UTC)
「信頼できる検証可能な資料」としての根拠の検証性を明示して頂いてるのであれば、みだりに改変することにもあたらないので無問題(゚∀゚)。--St.Patrick 2009年12月28日 (月) 05:00 (UTC)

その他

抗日義兵闘争は1907~1909年の日本側の公式統計とありますが 出展が記載されていませんので要出展としました。 自分自身でも探しましたが日本側の公式の統計というものが見当たりません。 見つけられた方いましたら。加筆お願いします。

もう一点 ”「朝貢国」とは、即「属国・保護国」を意味しているものではないことについての認識の差が両政府間に存在した”とありますが、もちろんその通りなのですが。中国側の資料にも属国の中の一国として、朝貢国ではなく属国と記載されていますし、西洋側からも半植民地化を受け沈みゆく中国(清)に最後まで属国として付き従った国と表現されています。そもそも、朝鮮の場合は大清属国を自ら名乗っていました。  冊封体制下の国、すなわち「朝貢国」ではなく。中国の冊封体制下に長らく留まっていた「属国・朝貢国」であるとの方が正しいんではないでしょうか? 少なくとも、属国の表記は朝鮮のみでなく中国・世界で使用されたものです、朝鮮が朝貢国であって属国でないとの表現に読み取れるため。朝鮮は「属国・保護国」であった。もしくはその他に提案されるものをもとに変更or加筆が必要と考えますがいかがでしょうか? ちなみにそのような説があったや、今ではこのような説であったとする人がいるではなく、資料にはそのように記述されていたと言った形で変更される方が好ましいと考えます。 --122.27.1.205 2010年1月14日 (木) 21:26

御提案ありがとうございます。まずは第三者からも検証可能な資料の御呈示を御願いしたいと思います。--St.Patrick 2010年1月15日 (金) 12:15 (UTC)

抗日義兵闘争の死者数は朝鮮駐箚軍司令部編『朝鮮暴徒討伐誌』(1913年)に基づいています。 「属国・朝貢国」ですが何の説明もなく使用すると、かえって近代的植民地支配のような支配・被支配関係と誤解する恐れがあります。冊封体制では原則的に宗主国は藩属国に対して基本的に内政不干渉であったことや朝鮮の自主性について触れた上での記述の方がよいと思います。2010年4月24日

李成玉

Yhnfhdさんにより2010年2月7日(日)02:23時点から投稿された版についてですが[17]、李成玉という大韓帝国の全権大使やその書籍とされる「李完用侯の心事と日韓和合」なるものが確認できません。具体的にどこにその文献があるのか調査いただけませんでしょうか。ちなみにネット上では【「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著】を根拠にしているようですが、「李成玉は韓国の歴史から抹消された」などとコメントする記事があるとか、ちょっと陰謀論めいてよくわかりません。にわかに百科事典に採録可能な人物なのか他の信頼できる資料を求めたいところです。仮に「李成玉」が名越二荒之助氏が特筆するほかに他の文献で確認できないような状況にあれば、さすがにそれはちょっと採録可能性としてアヤシイことになりそうな気がします。ネトウヨだとかネトサヨだとかの非生産的な誹謗中傷合戦をWikipediaで行わないためにも、「李成玉」なる人物について記述された他の文献等の情報提供をお願いいたします。--大和屋敷 2010年2月7日 (日) 06:50 (UTC)ちなみに「李完用」ならば大韓帝国の全権として日韓併合条約を締結したというのは著名な歴史的事実です。もしかしたら「李成玉」というのは邦訳されていない海外の書籍の著者名であって、その邦訳されていない著書が「李完用侯の心事と日韓和合」、そしてその邦訳されていない書籍のなかに「李完用」の残した言葉としてくだんの「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば・・・」がある、という事実関係ではありませんか?全権大使の名前が歴史上から抹殺されているなどということはちょっとにわかに信じられませんのでこのあたり調査確認のうえ再度編集願いたく存じます。--大和屋敷 2010年2月7日 (日) 06:56 (UTC)たとえば毎度のごとくアジ研のキーワード検索[18]を使いましても「李完用」なら当然のように日本側資料として名前がダラーと並ぶわけです。が「李成玉」ではヒットしません。--大和屋敷 2010年2月7日 (日) 07:08 (UTC)

コリア語版に曖昧さ回避の이성옥があり、「이성옥(李成玉, 1893 ~ ?)は日帝強占期の警察である。」となっています。尚、内部リンクは赤色です。--Bletilla 2010年2月7日 (日) 10:46 (UTC)

2010年2月13日(土)版について

高橋哲哉の論をもって事実関係を敷衍するのはWikipedia:中立的な観点から問題がありますので一旦リバートしました。【合意が形成された個所を勝手に改変したりしないように】なる理由から一旦もどされましたが、ノートの議論上、どのように合意が形成されたのか判然としませんでした。--大和屋敷 2010年2月13日 (土) 20:53 (UTC)大韓民国の継承について触れた箇所でありましたので出典情報をもとに日韓基本条約の締約当事国[19]の国号に忠実な表現にしました。問題点があればリバートのうえ問題点提起お願いいたします。--大和屋敷 2010年2月13日 (土) 22:48 (UTC)

こんにちは大和屋敷さん、さっそくですが”どのように合意が形成されたのか判然としませんでした”という御指摘ですが、"大和屋敷氏の返事をお待ちしましたが、返事がなく既に十分な期間が過ぎましたので当該記述変更箇所の復元を行います。--St.Patrick 2010年1月30日 (土) 02:27 (UTC)"で合意は取っております。--St.Patrick 2010年2月14日 (日) 01:00 (UTC)

”大韓民国の継承について触れた箇所”とありますが本文にそのような箇所はないと考えます、もう少し具体的にどの個所がどのように問題なのか説明して下さい。--St.Patrick 2010年2月14日 (日) 01:00 (UTC)

現在の表現正しくないと思いますよ。--大和屋敷 2010年2月14日 (日) 04:55 (UTC)僕はこうみえてもけっこうめんどくさがりなんで、強行にこだわる人は相手したくないんでもうこれでいいですわ。あとは後発の人に任せた。--大和屋敷 2010年2月14日 (日) 04:56 (UTC)

そうですか、それではこの議論は終了します。--St.Patrick 2010年2月14日 (日) 13:04 (UTC)

「合意」の存在がSt.Patrick氏による一方的な擬制に過ぎない以上、大和屋敷氏の編集を何故差し戻したのか、St.Patrick氏には説明する義務があります。でなければ「荒らし」と同じですよ。保護にまで至ってしまい、St.Patrick氏が管理人然としてこの記事に粘着していることの弊害がいよいよ大きくなってきました。 --Chocopeanut 2010年2月15日 (月) 13:02 (UTC)
編集合戦は、それをした両者に問題があります。一方のみを責める中立性のない個人的思想からの発言は説得力を持ちませんよ。--清涼里588 2010年2月16日 (火) 16:10 (UTC)
しつこいようですが【大日本帝国を継承した日本国】という記述は間違っていますよ。これ探してきたの[20]ぼくなのに[21]。勝手に手柄横取りして、たった一つの文献で事実関係をゆがめる表現を採用することを強弁するのやめてもらいたいです。文献で「第1次日韓会談における「旧条約無効問題」について」藤井賢二( HEART 兵庫教育大学アーカイブ31-Mar-2009)[22]を探してきましたが、St.patorickさんの主張されるようには書かれていないと思いますよ。St.patorickさんは韓国の肩をもっているおつもりなのかもしれませんが、むしろそれは(文献によると)たぶん余計なお世話だと思いますよ。むしろ大韓民国は大日本帝国と日本国は同一性を保持していることを交渉の中心に置いているように文献からは読めます。--大和屋敷 2010年3月1日 (月) 13:40 (UTC)

根拠もなく一方的に大和屋敷氏の手柄を横取りしたという個人攻撃をされた以上、何を根拠にそんな言いがかりをつけられたのか納得いきません、早急に大和屋敷氏には今回の個人攻撃について筋の通る説明をして頂きたい。--St.Patrick 2010年3月2日 (火) 12:01 (UTC)

当方の手柄と認めていただいていたようでしたので、単純に頭に血がのぼっていたようでした。率直に謝罪したいと思います。申し訳ありません。ところでしつこいようですが【大日本帝国を継承した日本国】という記述は間違っていますよ。--大和屋敷 2010年3月2日 (火) 13:59 (UTC)
根拠のない個人攻撃をしたことを謝罪し反省されたのなら結構ですが、横取りしたという表現が大変不愉快でしたので今回は強く抗議しました。お互いに頭を冷やす保護期間中でもあるのでここは少し時間を置きましょう。--St.Patrick 2010年3月2日 (火) 16:37 (UTC)

文献情報(臨時)

(編集保護期間中につき仮置き場として使用)

  • 「第1次日韓会談における「旧条約無効問題」について」藤井賢二( HEART 兵庫教育大学アーカイブ31-Mar-2009)[23]
  • 「過去との断絶と連続--1945年以降のドイツと日本における過去との取り組み」マンフレート・ヘットリング/ティノ・シェルツ 川喜田敦子 訳(ヨーロッパ研究6 2007年3月 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部ドイツ・ヨーロッパ研究センター)[24][25]
  • 「【昭和正論座】日本は無条件降伏していない 東工大教授・江藤淳」(昭和53年8月10日掲載)[26][27][28][29]
  • 「国際法の観点から考える東京裁判の正しい理解」佐藤和男(法律文化 2005.11 LEC東京リーガルマインド)[30]

--大和屋敷 2010年3月1日 (月) 13:05 (UTC)

「歴史認識の比較」の項目

要出典範囲をいろいろ塗布した結果汚くなっておりますが、検証可能性に関わる重要な内容ですのでぜひ信頼できる情報源の追記にご協力ください。個人的には匿名掲示板に匿名で書き捨てられているような記事でしか見たことが無いので、ぜひその元々の情報がこのさい明らかになればなおありがたいと考えております。IPアドレスさまご足労ですが宜しくご協力お願い申し上げます。なおフランスの海外領土支配と日本の朝鮮半島におけるそれは明らかに別物でありますので、フランス人が謝罪しないからといって日本国家が名誉集団としての朝鮮民族に対して与えた不名誉についてどのように和解していくのかは個別の事情になるかと考えます。おそらく謝罪ではなく名誉を称えることが必要なんでしょうな(とは個人的な独自研究のお話し)--大和屋敷 2010年7月12日 (月) 09:13 (UTC)

名誉を称えるって誰の名誉をですか?--22010515528 2010年7月12日 (月) 09:44 (UTC)
あら、削っちゃいましたですか。残念。余談のほうは余談ですので(ゴニョゴニョ--大和屋敷 2010年7月12日 (月) 10:49 (UTC)光復節にでも議会で韓国建国を言挙げする決議でもやって、大統領に勲章でも贈っておけば(たしかまだ行ってなかった?)どうか、ってそういう雑談をする場所ではありませんでしたね(ゴニョゴニョ--大和屋敷 2010年7月12日 (月) 11:05 (UTC)

大日本帝国→日本

国号についてIPアドレスさんにより「統一する」ための編集がなされましたが、これは過去に猛烈な編集合戦と集中した議論があり、一定の合意があります(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史/過去ログ2)。おおまかに言いますとよほどの不具合や明確な誤りと指摘できる理由がない限り、初稿で投稿された方が投稿されたようにおおむね記述しておいてください。「この時期の国号の呼称については日本・日本国・大日本国・日本帝国・大日本帝国すべて正統なものです」。「表記統一することを試みることにより編集合戦のタネをまかない」これも重要な合意事項です。--大和屋敷 2010年7月13日 (火) 02:19 (UTC)

日朝修好条規

さすがに「東アジア防衛のために」日朝修好条規を締結した、は後世の歴史の推移を知った視点からの短絡だと考えましたので除去しました。本当は書契問題(外交ルートの開設)だとか草梁倭館の引継ぎ(承継)問題だとか、台湾問題だとか、清国の冊封の問題だとかゴニョゴニョ書かなければならない所ですので、余計な修飾なく「江華島事件を機に李氏朝鮮に不平等条約である日朝修好条規を締結した」とするほうがスッキリするでしょう。またどっちかと言えばロシア軍艦対馬占領事件にみるように日本国防衛のため、のほうが当時の問題意識(危機意識)に近いような気もしますが、そのあたり編集者間で議論してまで記述すべきような重要不可欠な「修飾句」というわけでもないでしょう。その他通読すれば直前・直後におなじ字句による説明がなされているものは削除しました。宜しくお願い致します。--大和屋敷 2010年7月13日 (火) 17:53 (UTC)

ハングルが云々

IPアドレス氏により仙谷由人の発言から「ハングルを奪ったとの主張、は虚偽」云々にいたる記述が投稿されておりましたが、当記事(韓国併合について説明する)の趣旨から相当逸脱してしまっていましたので、要点(仙谷が「日韓併合は植民地化だった」と述べた)部分以外は末尾にもってきました。できれば記事:日本統治時代の朝鮮あたりにでも持っていっていただきたいところです(ちなみに先にはすでに十分に記述があります)。この手の自称朝鮮シンパの人々が主張されるヘンテコな歴史認識はハングルに限ったことではありませんので、当ページでハングルのことだけ取上げているのは非常にヘンだという編集感覚があります。--大和屋敷 2010年8月23日 (月) 16:26 (UTC)やっぱり事実関係からみてもちょっとたよりない(授業時間が長い短い、ではなく「国語化」運動により最終的には公教育からハングル教育がなくなったらしい)ので一旦ばっさり削りました。--大和屋敷 2010年8月23日 (月) 16:29 (UTC)


韓国の工作員、「焚書」、言論弾圧など、ファシズムの牙を剥き始めたと感じる

「反論をさせない」という民団(在日暴力団を含む)などの組織犯罪集団に、まともに名前を出して言う一般国民はいない。

「植民地支配」という言葉の定義において、民団(大阪読売テレビ「タカジンのそこまで言って委員会)や仙石官房長官がその理由の一つを「言葉を奪った」ということにしてたから、そういう理由なら、「日本が朝鮮人から言葉を奪った事実はない。奪っていたのは朝鮮王朝」という歴史的根拠を挙げて、仙石官房長官などの「植民地支配」の用語、定義のしかたは歴史認識での誤謬にもとづいてること言ったまで。

論理のすりかえで、都合悪い歴史事実を隠蔽する難癖つけによる言論妨害、歴史歪曲の典型だよ。→大和屋敷

>ハングルに限ったことでは

「朝鮮人から言葉を奪った。」っていう場合、朝鮮の言葉って近現代でハングルと漢字でなくて何なんだ? 民主党、社民党、現代韓国社会のファシズム体質は戦前と同じ、明白だね。

議論で都合わるくなると、「私たちに対する愛情はないのか。」って感情論を言い出し、情報操作機関のVANKを使って 「ネット焚書」やりまくる韓国人たちとは、もはやまともな議論にはならない。

--123.217.59.31 2010年8月23日 (月) 23:51 (UTC)

大和屋敷 韓国、民主党、民団は、ネット焚書のファシズム体質を正当化してるだけ

学説は議論によってなされるものだ。ここでの学説の提示は議論じゃない。 韓国の工作員たちよ、ファシズムは日本じゃ通じないぞ。 きみたちがネット焚書やってることは、別の掲示板で明らかにされてくだけだ。

WIKIの運営院員たちがしてることなら、自殺行為でしかない。

--123.217.59.31 2010年8月24日 (火) 07:18 (UTC)

まあ、落ち着いてください。仙石の妄言だけでは勘違いも与えてしまうので、それに反する事実があることを現在のように脚注内に書くという方法はいかがでしょうか。これならば一方的な意見のみの記載にならないのでは?--清涼里588 2010年8月24日 (火) 10:27 (UTC)

「日韓併合」についての辞典としての立場(「学術的」な意味)で、「植民地支配」と主張する理由については再検証可能な合理的(科学的)論拠がなくても良い、という再検証可能な論拠は何だ?

爆笑、爆笑、爆笑

仙石官房長官「併合して朝鮮人から言葉を奪った。(のは植民地支配だった。)」 ?

権力者が言ったことは、再検証可能な論拠がなくても、辞典としての歴史学の観点からも学術的に絶対なのか?(爆笑

つまりは、大和屋敷や現wikiの監視員の「理屈(なんくせ)」は「権力者の言うことを盲目的に受け入れろ。」と言う、権威主義型のファシズムでしかない。

「権威主義」

意思決定の場において、論理的説明を省略し、権威に対する盲従を要求する態度、及び意思決定や判断において自分の頭で考えたり情報を集めずに権威に盲従する態度を指す。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%A8%81%E4%B8%BB%E7%BE%A9

「ファシズム」

広義には第一次世界大戦後にドイツ・日本・スペイン・南米・東欧などで見られた全体主義もしくは権威主義の体制、およびそれらの一党独裁政治や政治的自由活動の抑圧行為等を包括的に指す。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0


朝鮮王朝は「甲午の改革(日清戦争終戦による改革)」まで愚民政策の一環で、訓民正音(ハングル)の教育や図書編纂や文書作成を原則的には禁じていた。 1504年 李朝第10代王 燕山君、訓民正音の教育・学習を禁止、正音庁(諺文庁)等所蔵の訓民正音文書焼却。 1506年 李朝第11代王 中宗、諺文庁を閉鎖し、訓民正音を完全廃止する。

漢城旬報 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%9F%8E%E6%97%AC%E5%A0%B1 漢城周報 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%9F%8E%E5%91%A8%E5%A0%B1

朝鮮では1895年の甲午改革により近代教育制度が始まったが、1906年の時点でも小学校が 全国で40校未満であり、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で漢籍の教育を受けているような 状況だった。 初代統監に就任した伊藤博文は大韓帝国の官僚に対し「あなた方は一体何をしてきたのか」 と叱責し、学校建設を改革の最優先事項とした。伊藤が推進した学校建設事業は併合後も 朝鮮総督府によって継続され、朝鮮における各種学校は1940年代には1000校を超えていた。 小学校も併合直前には100校程度だったものが1943年には4271校まで増加、朝鮮人の識字率 も1910年の10%から1936年には65%に上昇した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE

--123.217.59.31 2010年8月26日 (木) 08:10 (UTC)

最近のwikiに潜入してる民主党工作員・監視員の思考能力こそが「劣化」してるんじゃないのか?

ようするに、wiki監視員(在日や民主党工作員)の論理

●自分たちの歴史観の主張(「植民地支配」)では「政治家の主張や学者の説」(つまり権威者の説が絶対)で、その他、再検証可能な論拠の提示は必要ない。
●異なる歴史観では、その主張での論拠を求めるが論拠を提示されたら政治家、学者以外では、どんな論拠でも「議論の場所でない。」として抹消する。学者の説の場合は「著作権侵害」とか因縁つけて抹消する。

このwikiの手法は明らか権威主義型ファシズムの独裁政権の手法だよ。

ついでに言っておくと、科学部門でノーベル賞を一個もとれない朝鮮半島文化人に科学的とか学術的についての注意や講釈される筋合い、日本人にあるのかね?

--123.217.59.31 2010年8月26日 (木) 08:32 (UTC)

日本→大日本帝国

国号についてIPアドレスさんにより「統一する」ための編集がなされましたが、これは過去に猛烈な編集合戦と集中した議論があり、一定の合意があります(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史/過去ログ2)。おおまかに言いますとよほどの不具合や明確な誤りと指摘できる理由がない限り、初稿で投稿された方が投稿されたようにおおむね記述しておいてください。「この時期の国号の呼称については日本・日本国・大日本国・日本帝国・大日本帝国すべて正統なものです」。「表記統一することを試みることにより編集合戦のタネをまかない」これも重要な合意事項です。--大和屋敷 2010年9月5日 (日) 07:44 (UTC)現在の日本はかつて大日本帝国と慣例的に呼称していた国家と同じものですし、かつて大日本帝国を呼称していた国家は現在日本国と呼称している国家と同じですので、あたかも「戦前が大日本帝国」「戦後が日本国」であり別の国家であるかのような神経質な区別はあまり感心できないですよ。現在の日本国は大日本帝国同一の国家です。--大和屋敷 2010年9月5日 (日) 09:19 (UTC)

私は大和屋敷氏とは意見を異にしてこの合意に参加しましたが、この合意に関する氏の「よほどの不具合や明確な誤りと指摘できる理由がない限り、初稿で投稿された方が投稿されたようにおおむね記述しておいてください。」という提案に賛成します。--St.Patrick 2010年9月5日 (日) 15:09 (UTC)

各団体の意見記述について

今のところ日本キリスト教協議会の主張が詳細に記述されておりますが、この項目で特別に一団体の主張を詳細に記述する必要性はありません。また同様にして意見が対立する各団体の主張を詳細に記述し続ければ反論に対する反論などで取りまとめができなくなります。しかしながらWikipediaから削除されるべき内容でもありません、幸いにして日本キリスト教協議会の項目にこの件に関する記述箇所がありました。よってWikipediaの中立性の観点から詳細記述部を日本キリスト教協議会の項へ移動させ、今後各意見団体の主張は一文などで簡潔な記述に留めることを提案します。--St.Patrick 2010年10月17日 (日) 04:40 (UTC)

研究者ならまだしも一団体(しかも宗教)の論をこちらに載せる必要はないと考えます。St.patorick氏の提案に賛成。--清涼里588 2010年10月21日 (木) 23:38 (UTC)

清涼里588さんと概ね同意見。
>社会的に活動し、その歴史もある団体である日本キリスト教協議会の公式声明を加筆したのです。この加筆にあたって第三者が検証できるように典拠としてリンク先を記載しております。は全く理由にならない。何故なら、その団体がそう発表したことの裏づけでしかないから。
ここでの問題は、何がしかの宗教団体の親睦団体あるいは政治的な圧力団体の意見表明の内容を詳細に記載すべきか?である。かかる宗教団体の親睦団体では、歴史を仮に科学的に分析したとしても、抜きがたい特定の宗教の教義がもたらす特定の価値観に基づいたものであることは明らかである。よって、ここでその内容を朝鮮併合の記事に記載するべきでない。本文で批判的な声明の発表の事実のみを記載して全文削除、脚注で主張の要点のみの記載が正しい処置であると考える。--T34-76 2010年11月10日 (水) 14:23 (UTC)


  • St.patorickさんの「意見が対立する各団体の主張を詳細に記述し続ければ反論に対する反論などで取りまとめができなくなります。」という懸念については、実際に、記述が混乱した時点で、そのような処置をとればよいのではないでしょうか。現時点では、そのような混乱はないと思われます。
  • ただ、混乱はしていませんが、すでに私も履歴頁でも要求しましたように、表の論点については、それぞれ、誰が言っているのか、発言・見解の出典を明記する必要があると思います。
  • 日本キリスト教協議会の主張が重点的に記述されているのは、たしかにバランスの点からみて好ましいとはいえませんが、これはあくまで「現在」の節におけるものです。すなわち、最近の動向について、他の個人や団体で、本項目に関する意見陳述や声明などがあれば、追加されていけばよいのではないでしょうか。その場合、脚注などを用いて、記事を階層化し、圧縮することなどはあっていいと思います。
  • いずれにせよ、「取りまとめができなくなる」という懸念については、そのように混乱した時点で、たとえば南京事件 (1937年)から分割された南京大虐殺論争のように、分割すればよいのではないでしょうか。
  • また、「Wikipediaの中立性」をおっしゃいますが、中立性とは、記述それ自体におけるものであって、本項目や、慰安婦などの、社会的に議論・論争が長期的に継続しているような項目に関しては、どうしても、しかるべき社会的発言をなした個人、研究者、団体の発言・見解は、それぞれ並記していく必要があるでしょう。「社会的」とは、wikipediaにおける「特筆性」を満たしたものという意味で使っています。(その意味で、清涼里588さんのおっしゃる「研究者ならまだしも一団体(しかも宗教)」という区分は主観的なものです)
  • また、「今後各意見団体の主張は一文などで簡潔な記述に留めること」を提案されていますが、「一文」という基準は主観的な基準にすぎず、客観的な基準ではありません。--221.119.174.245 2010年11月1日 (月) 05:19 (UTC)
  • St.patorick氏の提案に賛成。キリスト教の教義に関する出典として参照するならまだしも、宗教団体としての政治的な発言や立場を一意的で全面的(積極的)に参照するのはさすがに広告宣伝(政治的)でしょう。日本キリスト教協議会のほうに投稿しておくので宜しいのでは?ちょっとやりすぎな編集感覚があります。--大和屋敷 2010年11月1日 (月) 06:47 (UTC)たとえば幸福実現党党首による「菅直人首相談話の撤回を求める」声明[31]h22.8.10などを全部引用することも可能ですが、かまいませんのですかね。--大和屋敷 2010年11月1日 (月) 08:20 (UTC)
  • 「詳細記述部を日本キリスト教協議会の項へ移動させる」そのことについては、異論はございません。ただ、「一文に圧縮すべき」というところに引っかかったのでした。この記述部分については、日本キリスト教協議会に転載したうえで、圧縮を試みます。(St.patorickさんなり他の方がそれを行うこともむろんかまいません、むろん、私なりに再編集することもあるかと思いますが)
  • 幸福実現党の声明についてですが、それは菅首相への談話への対応であって、また、あまり重要な認識が含まれているとは私には思われませんが、全文そのままコピペというのは無しだとしても、もしどなたかがそれを加筆することがあるとすれば、私はそれは尊重します。むろん、そうなってきた場合には、St.patorickさんの「懸念」が現実化したわけで、圧縮短縮に努めることは要求されてしかるべきだと思います。なぜなら、「現在」の節の記述の量が、他の節に比べて異様に多くなるわけですし。また、本来は、優先されるべきは、かの歴史認識の対照表の出典の明記などによる精緻化だと思いますので。
  • もうひとつ説明しておきます。なぜ「現在」の節の記述を充実させたかったか。韓国併合に関する日韓での議論は、私見では、韓国哨戒艦沈没事件や日中関係の緊張などにともなう日韓関係の友好化がすすむにつれ、徐々に沈静化しつつあるとみえます。しかし争点について十分な合意がとれているわけでもないし、争点によっては、まだ世界的に解決されていない大問題も含まれています(「過去の植民地主義・帝国主義の精算」はいかにして可能かとか)。併合より100年の今年2010年は議論するにはふさわしい時期なのですが、上記のような他の国際情勢もあり、なかなか議論が社会的に行われていないし、また本項目への加筆もあまり行われていない。関連するニュース、出来事もたしかに少ないといえば少ない。だからこそ、日本キリスト教協議会の声明はいわば「古典的な定型」によるものですが、現在の情報としては重要であるし、またこの声明は、本項目に関するこれまでの議論をいわば、よくまとめているかとも思います(日本側の反論や、併合を肯定的に評価する他の韓国知識人の見解を無視したものではありますが)。--221.119.174.245 2010年11月1日 (月) 16:44 (UTC)
  • さらに大和屋敷さんの気になる言葉について。「キリスト教の教義に関する出典として参照するならまだしも、宗教団体としての政治的な発言や立場を一意的で全面的(積極的)に参照するのはさすがに広告宣伝(政治的)でしょう」とありますが、「キリスト教の教義に関する出典として参照するならまだしも」という条件節の意味内容がわかりません。つまり、かの声明は博愛主義的な見地から発せられているとしても、「キリスト教の教義に関するもの」ではまったくないかと思います。あくまで、ある宗教団体の政治的かつ社会的な発言だと思います。「一意的で全面的な参照」については、声明に対する他の団体や政府またはマスコミなどからの反応が(私の知る限り)ない以上、「一意的」であるのは当然であるし、問題ではないでしょう。「全面的な参照」については、すでにのべたように、現在の現象としては重要と思われたからです。「広告宣伝」については、どういえばいいでしょうか、私はかの団体と何の関わりもないし、広告宣伝で記述したわけでもないし、またアンチプロパガンダを意図して記述したわけでもないので、それはまったくの誤解であり、もっと強くいえば、不当ないいがかりです。--221.119.174.245 2010年11月1日 (月) 16:56 (UTC)
脚注による階層化をいたしました。なお、日本キリスト教協議会への転載はしませんでした。その理由は、この声明は、その内容からいって、本項目にあるほうが適切だとあらためて思われたからです(日本キリスト教協議会への転載をどなたかがなさることを私は期待しますが)--221.119.174.245 2010年11月1日 (月) 17:30 (UTC)
折角編集されたのですが、合意形成中の議論ですので結論に達するまでは勝手に編集作業を行わないようにして下さい。--St.Patrick 2010年11月1日 (月) 20:57 (UTC)

221.119.174.245氏に質問ですが、一団体の論を記述した理由に「争点について十分な合意がとれているわけでもないし、争点によっては、まだ世界的に解決されていない大問題も含まれています(「過去の植民地主義・帝国主義の精算」はいかにして可能かとか)。併合より100年の今年2010年は議論するにはふさわしい時期なのですが、上記のような他の国際情勢もあり、なかなか議論が社会的に行われていないし、また本項目への加筆もあまり行われていない。 」、すなわち今回氏は解決されていない議論を社会的に行わせるために本項に加筆したと書いてありますが間違いないでしょうか?--St.Patrick 2010年11月1日 (月) 20:57 (UTC)

『同声明書は韓国日本両政府に対して以下のような提起を行った。』以降の箇条書き項目がちょっとやりすぎ(政治的広告宣伝)のような気がしています。その箇所を除くだけでもかなり許容性が高まりそうな気がします。--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 01:16 (UTC)


St.patorick氏へ。いいえ。間違いです。「解決されていない議論を社会的に行わせるために本項に加筆した」とは私は書いていません。私が説明したのは、この団体声明は、現在の動向としては、希少であり、それゆえ重要であるということです。もし多数の団体が百花繚乱的に声明を出していればここまで詳細を記載しなくともいいかと思います。
大和屋敷氏へ。St.patorick氏に差し戻されましたが、私が編集した「脚注による階層化」を履歴でぜひご覧ください。箇条書き項目を私が残したいと思うのは、声明文の根拠となる論理・論拠が示されているからです。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 04:39 (UTC)
Wikipediaは紹介する場所(百科事典)であって論証する場所じゃないのですよ。正しく引用されているかどうかは検証可能性により担保されるものであって、Wikipedia上にぜんぶ引っ張ってくる必要はありません。たぶんそのあたりの編集感覚が他の編集者の方とぶつかってる気がします。全部引っ張ってくる必要はありません。日本キリスト教協議会の主張そのものに特段の興味をもった人は引用元を見ればよいのです。--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 05:07 (UTC)箇条書きの箇所は日本キリスト教協議会という団体による「声明文」ですので韓国併合という歴史的事象を説明するためのものというよりはある宗教団体の見解と提起文(宣言文)とみるべきでしょう。そのような宣言文(の全部・あるいは詳細)を記事韓国併合で紹介するのは政治的宣伝の匂いが強すぎると感じています。それならば幸福実現党の声明文も全部紹介させていただきましょうか?と言っています。たちあがれ日本も声明文を公表していますので[32]全文を引用記事化させていただいても宜しいですか?--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 05:23 (UTC)


  • たしかに「全部引っ張ってくる必要」は私もないと思います。箇条書き項目のうち、重要ではないと思われるもの(本項目への直接的な関係のないもの)もあるので、そうしたものを削除することは可能です。
  • ただですね、私からすれば、私はかなりあなたたちの編集要求によりそっているのに、あなたたちは一向に、私の編集・記述を尊重されないなあと感じます。むろん、一方的に削除されたりしたわけではないですが(その場合はまたただの編集合戦になりますが)。
  • 日本キリスト教協議会の声明および提起は、その団体の「主張」を紹介するというよりかは、他の節「評価と争点」および「歴史認識の比較表」と共通する論点をコンパクトにまとまてあるがゆえに、参照するに値し、記載に値する、といっているのです。それが私の編集理由です。とはいえ、正直いって、民団・総連・韓国政府の声明などがより記載に値するとは思いますが、現在まだ未調査です。
  • それで、いまのこのやりとりはどこに落ち着くのでしょうかね。
1.あなた方は私の記述文を、日本キリスト教協議会への転載および、本項目への記載は「一文」にとどめること、を提案要求されています。
2.それに対して私は、脚注による記述の階層化によって本文記述を圧縮することを再提案しています。

この後者の再提案に対してあなたがたはあくまで前者を要求されるのでしょうか?また、すでに私も明言しましたように、

3.箇条書き項目をできれば地の文に再編集するなどして、より論点を抽出した格好に直して、記載する

というほうがベターだとは思っています。ただし、私はこの件よりも、編集にとりくみたい事柄が(本項目に関するものですが)ありますので、急いで対応することはできません。

  • あと、他政党の宣言文等ですが、別に私が許可するようなことでもないかと思いますが、もちろん、記載なさるといいかと私は思います。それがどうしても記載する必然性があるとお考えであれば。ただ、できあがった記述を私が読んで、再編集することはありえますよ。リンクされた宣言文を読む限りは、あまり論点が鮮明に出ていないとは私は思いますが。ただまあ、そうなってくると、やはり菅総理の声明も記載されるべきでしょうかね。あの声明も同様にあまり論点に触れていないと私は思いますが、ただ、それはあくまで私の観点からですがね。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 06:49 (UTC)


ではここで、問題になっている提起の文を検討しましょうか。私も全部を掲載するつもりはないですので。現状ではこうなっています。

  • 日本帝国による100年前の強制併合は、武力の脅迫によって調印された条約に基づく不法な行為だった。日本と韓国の国会が、「1910年の日韓併合条約」が無効であり、35年間の植民地支配が不法であって、その期間中、朝鮮半島において起こった独立運動に対する植民地下の法による処罰が全面的に「人道主義に反する植民地犯罪」であったことを確認し、決議すること。
  • 日本政府は、35年にわたる植民地支配の間、朝鮮半島に経済的な収奪を行って国民の生活の窮乏化をもたらし、その結果多くの人々やその子孫たちを、中国、ロシア、日本などに移住させるという苦痛を負わせたことを認めること。また、このために今でも日本に住んでいる者とその子孫に完全な永住権を保証し、民族的な少数者としての法的地位と権利を保障すること。
  • 日・韓両国が個人の損害補償請求権を明確に認め、1965年の「日・韓基本条約」を改正すること。日本政府は、被害者の個々人が補償されるよう国内の関連諸法を制定すること。たとえば、日本軍「慰安婦」被害者、女子勤労挺身隊、韓国人原爆被害者、強制徴用、強制徴兵等に関わる被害者たちの権利の救済等である。
  • 朝鮮半島の分断と戦争に、日本が今も歴史的な責任を負うがゆえに、日本政府は朝鮮半島における和解と平和、統一の実現のために積極的に支援し、協力すること。特に、日本・北朝鮮間の直接対話を進め、両国間の基本条約を締結して、植民地支配に対する賠償を行い、外交関係を樹立するために努力すること。
  • 韓国政府は、過去の植民地支配の最終的な結果が分断であったことを明確に認識し、分断状況を解消するために積極的に努力をすること。そのために、韓国政府は冷戦的政策を捨て、北朝鮮との対話と交流の機会を増やし、朝鮮半島を平和にし一つの国になることを目指すこと。
  • 過去の歴史を歪曲しようとするすべての公的・私的行為を糾弾し、両国の政府が植民地時代の歴史を誰もが認める形で共有することを求める。過去の痛みを記憶する私たちは、日本が過去の軍国主義の路線を再び辿ることを案じている。

これらを、不法性の主張、植民地収奪、日韓基本条約改正要求、半島の分断に関する主張、の四つの論点を地の文で記載し、各論点の注において、それぞれ引用する、というのはいかがでしょうか。

  • 不法性の主張:日本帝国による100年前の強制併合は、武力の脅迫によって調印された条約に基づく不法な行為だった。日本と韓国の国会が、「1910年の日韓併合条約」が無効であり、35年間の植民地支配が不法であって、その期間中、朝鮮半島において起こった独立運動に対する植民地下の法による処罰が全面的に「人道主義に反する植民地犯罪」であったことを確認し、決議すること。
  • 植民地収奪:日本政府は、35年にわたる植民地支配の間、朝鮮半島に経済的な収奪を行って国民の生活の窮乏化をもたらし、その結果多くの人々やその子孫たちを、中国、ロシア、日本などに移住させるという苦痛を負わせたことを認めること。
  • 日韓基本条約改正要求:日・韓両国が個人の損害補償請求権を明確に認め、1965年の「日・韓基本条約」を改正すること。日本政府は、被害者の個々人が補償されるよう国内の関連諸法を制定すること。たとえば、日本軍「慰安婦」被害者、女子勤労挺身隊、韓国人原爆被害者、強制徴用、強制徴兵等に関わる被害者たちの権利の救済等である。
  • 半島の分断に関する主張:朝鮮半島の分断と戦争に、日本が今も歴史的な責任を負うがゆえに、日本政府は朝鮮半島における和解と平和、統一の実現のために積極的に支援し、協力すること。韓国政府は、過去の植民地支配の最終的な結果が分断であったことを明確に認識し、分断状況を解消するために積極的に努力をすること。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 07:13 (UTC)

当方は内容についての議論はWikipediaではとくにするつもりはありません。きわめて形式的でうすっぺらい編集方針についてのみでの提案です。貴殿の見識についても興味ありませんのであらかじめ。①「現代」の視点における韓国併合への見識についてはさがせばいくらでもありますので、日本キリスト教協議会の見解を過大に取り上げることに違和感があります。②考慮すべきガイドラインにWikipedia:過剰な内容の整理があり、ガイドラインの要旨には「記事の内容に、一部項目のみに偏って過剰な記述が見られたら、削ってバランスを取るべきです」とあります。また「項目に関する幅の狭い内容だけを細かく記述することは、その項目についてよく知らない読者が項目を総合的に理解することを妨げ、逆に関心を損なう」惧れがあると述べられています(概要)。③箇条書き箇所は日本キリスト教協議会において記述されてしかるべき内容であり、韓国併合においては過剰である。④脚注方式も不要でしょう。以上です。--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 08:14 (UTC)St.patorickさんの冒頭の提案「一文にとどめる」とまで省略する必要はいまのところ無いようにおもいます。段落程度の記述であれば宜しいのでは?そしておそらく日本キリスト教協議会の公表しているような見識は他にもさがせば似たような文言が発見できそうな予感もしますので、その意味でも日本キリスト教協議会だけの特筆された宣言として記述することに違和感を感じています。--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 08:35 (UTC)


全体のバランスに関してはもとより了解しました。しかし『項目に関する幅の狭い内容だけを細かく記述することは、その項目についてよく知らない読者が項目を総合的に理解することを妨げ、逆に関心を損なう」惧れがある』というガイドラインに、以下の文案は該当しないと思われます。なお「脚注方式も不要」とはあなたの主観的判断にすぎません。そんなガイドライン、ないです。私は脚注は必要があれば必要だと思います。この件については、必要です。ところで、大和屋敷氏は「他の党の声明も全文掲載しましょうか?」といっていたのに、私がその件について返事しても、そのことはあたかもなきがごとくですね。とくに記述するつもりもないのに、私を挑発することが目的で、そのような提案をすることは、私への冒涜にあたります。他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいを参照ください。


提起の部分だけでなく、全面的に圧縮した文案をつくりました。この文案では、本文は一文に圧縮されています。この体裁で納得されないことは考えられないのですが(なぜなら当初の要求に応じているから)、もし納得されない場合は、具体的な文案を示して下さい。

  • 日本キリスト教協議会は、2010年8月13日に韓国キリスト教教会協議会と共同で「韓日強制併合100年 韓国・日本教会共同声明」を発表し[1]日韓併合条約は「武力の脅迫によって調印された条約」であり不法であること[2]、また独立運動(抗日パルチザン)への処罰が「人道主義に反する植民地犯罪」であったこと[3]、また日本の統治は朝鮮半島に窮乏化をもたらし、そのため多数の朝鮮人を中国、ロシア、日本などに移住させたこと[4]、また日本による統治のため、朝鮮半島が分断し、朝鮮戦争が起こったこと[5]などを主張したうえで、日韓併合条約の無効化と日本政府による賠償、朝鮮半島の平和統一に向けた努力等を訴えた[6][7]

注(各団体の意見記述について)

  1. ^ 声明書によれば、「日本帝国は武力によって「大韓帝国」を強制併合し、その後、植民地時代には、朝鮮半島において様々な形での抑圧と搾取に明け暮れ、さらに戦争を行って、朝鮮半島の住民たちを深い苦痛へと追いやった。このような植民地支配の結果、朝鮮半島は1945年の解放と同時に分断され、ついには1950年に朝鮮戦争が勃発することとなった。日本が朝鮮戦争を経済復興と更なる成長の決定的な契機として用いたのであった。このように、日本は朝鮮半島分断の原因となると共に、朝鮮半島分断により恩恵を蒙った。しかし、日本は現在に至るまで、植民地時代の過去の歴史について真実を明らかにすることさえしておらず、その苦しみを癒すための真摯な努力もしていない。」との基本認識を提出している。同リンク先2010年10月12日閲覧。
  2. ^ 「日本帝国による100年前の強制併合は、武力の脅迫によって調印された条約に基づく不法な行為だった。日本と韓国の国会が、「1910年の日韓併合条約」が無効であり、35年間の植民地支配が不法であって、その期間中、朝鮮半島において起こった独立運動に対する植民地下の法による処罰が全面的に「人道主義に反する植民地犯罪」であったことを確認し、決議すること。」
  3. ^ 前掲
  4. ^ 「日本政府は、35年にわたる植民地支配の間、朝鮮半島に経済的な収奪を行って国民の生活の窮乏化をもたらし、その結果多くの人々やその子孫たちを、中国、ロシア、日本などに移住させるという苦痛を負わせたことを認めること。」
  5. ^ 「朝鮮半島の分断と戦争に、日本が今も歴史的な責任を負うがゆえに、日本政府は朝鮮半島における和解と平和、統一の実現のために積極的に支援し、協力すること。韓国政府は、過去の植民地支配の最終的な結果が分断であったことを明確に認識し、分断状況を解消するために積極的に努力をすること。」なお日本の敗戦によって、朝鮮が統治を解除された際に「分断」を行った主体は当時国家主権を所持していなかった日本政府ではない。上記節「歴史認識の比較表」参照。
  6. ^ “韓日キリスト教会が共同声明、歴史清算訴え”. 聯合ニュース日本語版. http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/08/13/0400000000AJP20100813001900882.HTML 2010年8月13日閲覧。 
  7. ^ 韓国強制併合100年日韓NCC共同声明書”. 日本キリスト教協議会(NCC). 2010年8月13日閲覧。

--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 08:38 (UTC)


私の提案する"一文"とは下記のようになります。221.119.174.245氏の提案した文案よりもこの項目では適切と考えます、よって氏の提案された文案には納得できません。

  • 2010年8月13日に韓国キリスト教教会協議会と共同で「韓日強制併合100年 韓国・日本教会共同声明」を発表し、日韓併合条約の無効化と日本政府の賠償、朝鮮半島の平和統一に向けた努力等を訴えた[1][2]

注尺

  1. ^ “韓日キリスト教会が共同声明、歴史清算訴え”. 聯合ニュース日本語版. http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/08/13/0400000000AJP20100813001900882.HTML 2010年8月13日閲覧。 
  2. ^ 韓国強制併合100年日韓NCC共同声明書”. 日本キリスト教協議会(NCC). 2010年8月13日閲覧。

--St.Patrick 2010年11月2日 (火) 14:42 (UTC)


「「現代」の視点における韓国併合への見識についてはさがせばいくらでもあります」「日本キリスト教協議会の公表しているような見識は他にもさがせば似たような文言が発見できそうな予感もします」とおっしゃいますが、事例を出して下さい。私は知りませんので。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 08:40 (UTC)


上の文案ですが、若干、リンク注釈などで順序が違うところがありますが、この議論が終了しだい、掲載時には更新します。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 08:44 (UTC)

現在議論箇所について合意形成を図っているのは私ですので、合意形成中の箇所に関して提案や編集を行わないように。再度221.119.174.245氏に質問ですが、今回一団体の論を記述した理由に「この団体声明は、現在の動向としては、希少であり、それゆえ重要である」としてますが、そのことが氏の私見ではないと検証できる検証可能な根拠を提示してください。--St.Patrick 2010年11月2日 (火) 14:05 (UTC)


まったくもって、いいがかりを続けますねえ。「この団体声明は、現在の動向としては、希少であり、それゆえ重要である」なんて、本項目の記述として書いてない。それゆえ「根拠の提示」なんてこの場合はいらんでしょ。私の記述の理由を説明したまでです。かの団体声明の検証可能性を示す根拠は、リンク先に存在しております。無意味な質問をするのはおやめください。まったく、いちゃもんつけて、ああだこうだいう前に、あなたはなにをしたいの?この「韓国併合」はあなたたちの私物ですか?わたしは誠心誠意答えてるではありませんか!私の質問に答えようともせず、次々に独自ルール(でたらめ極まりないが)をもって、接するのはおやめください。


これ以上はもはや議論にならないようですね。保護申請するか、他の、編集者からのコメント申請をしましょうか?あなた方一派でない方からの、ですが。


私はすでに文案を示した。しかも当初の貴方の要求に応じた形式にまとめた。それについてうんともすんともいわず、無意味な質問をわたしにぶつけて、まったくもって、あなた方の意図は、韓国併合に関するあなたがたの個人的な政治的関心に発するものでしかないんじゃないか。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 15:57 (UTC)


St.Patrick氏の文案を見落としていました。私はあなたの文案であれば、記載の価値がないと思います。かの団体声明で重要なのは、論点を提示しているところです。私は、私の文案で、十分、あなたの要求に答えていると思います。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 16:03 (UTC)

書いてますやん(´Д`)[33]。編集者間での人身攻撃はまったく非生産的なのでホドホドに頼みますヨ。ぼくも読み飛ばし読み落としあるんでホドホドに堪忍してくださいヨ--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 16:17 (UTC)キリスト教系以外の声明文さがしてみたら、ありそうで意外となかったのでびっくりしたんですけれども、どうせならこっちのほうが宗派色なくて良かないですかね→[34]。併記でもかまわんですが。--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 16:20 (UTC)ぼくは個人的にはIPさんのこの版[35]の記述くらいで良いのじゃないかなと思っています。しかし脚注があいかわらず過剰で広告宣伝的なニオイを感じないでもないですが、他の見地からの声明・宣言なども併記すれば中立性に問題はないのかな、という印象を持っています。--大和屋敷 2010年11月2日 (火) 16:26 (UTC)


  • 大和屋敷さん、資料ありがとうございます。これは記載に値すると思います。「他の見地からの声明・宣言などの併記」はむろん、賛成です。
  • 『「解決されていない議論を社会的に行わせるために本項に加筆した」とは私は書いていません』について。
これは「なぜ「現在」の節の記述を充実させたかったか。…争点について十分な合意がとれているわけでもないし、争点によっては、まだ世界的に解決されていない大問題も含まれています(「過去の植民地主義・帝国主義の精算」はいかにして可能かとか)。併合より100年の今年2010年は議論するにはふさわしい時期なのですが、上記のような他の国際情勢もあり、なかなか議論が社会的に行われていないし、また本項目への加筆もあまり行われていない。関連するニュース、出来事もたしかに少ないといえば少ない。だからこそ、日本キリスト教協議会の声明はいわば「古典的な定型」によるものですが、現在の情報としては重要であるし、またこの声明は、本項目に関するこれまでの議論をいわば、よくまとめている」のわたしの発言に関するものだと思いますが、私が書いたことは、「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識、ついで、そういう議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する、ということです。私はウィキペディアに記述することが「議論を社会的に行わせるために」機能するとは、あまり思っていません。私が「書いてない」といったのは、「議論を社会的に行わせるために本項に加筆した」とは明言していない、ということです。加筆理由であるわたしの現状分析と、加筆目的とは違う、といえばわかりますか?議論のために加筆したわけではない、ましてや「社会的にそれを行わせる」なんて毛頭おもっていない、ということです。まあ、誤解は議論につきものなので、再説明させていただきました。

私はウィキペディアが「演説の場」でないことも認識しているし、実際に起こった出来事や現象がかくある、ということを中立的に書いたにすぎません。問題になったのは、その量、全体の記述量におけるバランスだったと私は考えます。そして、その件については私も了承し、文案をあらたに作成したのです。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 17:16 (UTC)

ここでも 「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識 や 議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する  という。221.119.174.245氏の述べる加筆理由にはなんら客観的な検証可能性がありませんよね?氏はどうしてそう思われたんですか?。--St.Patrick 2010年11月2日 (火) 20:19 (UTC)


あと、量の過剰について、もう一点。これは加筆動機および理由のうち、うまく説明できなかったものです。なぜあの過剰な量にしたか。それは、そもそも「歴史認識の比較表」つまり、争点の対照表の記述の不備が原因でした。つまり、あの表は非常に重要でかつ明解な表で、この併合問題を理解するうえで実によくできたものだと思いますが、残念ながら、出典がすべてに明記されていない。本来はあの表のなかの記述は、全文出典があってしかるべきだと思いますが、そうなっていない。争点そのものは、関連書にもたしかに書いてはあるのですが、全体つまり双方の見解を俯瞰したものがみつからない。そういうなか、ネットでかの声明に関するニュースを見つけたので、記載したわけですが、それは、繰り返しになりますが、一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたからです。大和屋敷さんの探された資料など、他の声明なり、あるいは、現在のみならず、戦後のこの併合に関する議論を客観的にまとめた書籍があれば一番いいのですが、書店、図書館でもなかなかそういう本にあたらない。ですので、争点の表が十分に出典が明記されれば、わたしとて、あの声明をあそこまでくどく、「過剰に」加筆はしなかった。私は韓国併合に強い関心を持っている方が、そういう典拠を探すなどして、加筆され、より本文が精緻化されていくことを望んでいます。--221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 17:40 (UTC)


提案に対し221.119.174.245氏が述べた反対理由において、過剰な記述部が「一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたから」には客観的な検証可能性がありません。繰り返しますが過剰な記述が必要な理由として再検証可能な根拠をきちんと提示してください。--St.Patrick 2010年11月2日 (火) 19:47 (UTC)


  • St.Patrickさん、「検証可能性」をふりかざしてますが、あなたはガイドラインを根本的に理解なさっていないようです。検証可能性をお読みになったらいかがですか?私が書いた記事は、検証可能性を満たしているし(リンク先を読め)、「独自研究」でもない。そもそも、検証可能性とは、本文の記事そのものに関するものですよ?あなたがいいたいことをあえて翻訳すれば、「その記事を加筆した編集者の判断について再検証可能な根拠を述べよ」といっているのでしょうが、残念ながらそういうガイドラインはないですよ。根本的にウィキペディアを理解されていないようですね。いいですか、
1.本文そのもののレベル
2.記事を書いた編集者の判断のレベル

とは異なります。1に関しては、検証可能性を満たしているし、「独自研究」でもないため、問題なし。問題になっているのは、その量についてです。Wikipedia:過剰な内容の整理をお読みくださいね。「過剰な内容の整理」とは、「記事の内容に、一部項目のみに偏って過剰な記述が見られたら、削ってバランスを取る」ことが主旨なのですよ。そして私は、あなた方の要求に応じて削減し、バランスを取りました。


そしてあなたは私が声明を記事化するうえでの「掲載の根拠」を述べよ!と要求しているわけです。こういえばご理解できるでしょうか。我々はノートでの編集議論を行っている。そしてその議論のなかで、合意にむけて編集意図なりを確認しあうこともあります。あなたが要求しているのは、その議論のなかでの発言に対して、「検証可能な根拠を述べよ」といっているわけです。それでいうなら、わたしがあなたにこう返すこともできます。あなたが「過剰な記述が必要な理由として再検証可能な根拠をきちんと提示してください」と私に要求する再検証可能な根拠をきちんと提示してください、と。


合意にむけての努力をなさらないのであれば、もうわれわれ二者間での議論は手打ちです。--221.119.174.245 2010年11月3日 (水) 06:22 (UTC)


そもそも、分量についてですが、Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#分量のバランスに注意などを参考にすれば、独立したセクションにすればいいのかもしれません。ただ、私とてそこまで目立つような内容にしたいわけでもないので、St.Patrick氏の要求に応じ、編集意図を説明しながら、記述を削減し、圧縮したのです。


それに対してSt.Patrick氏はあなたが私の記述に対して「過剰」とする再検証可能な判断基準を明らかにすることなく(これはむろんSt.Patrick氏の行動をわざと返していっています)、一方的に質問をすることで、合意形成を妨げている。[[36]]を熟読なされよ。


読まれていないようなので、ここに転載し明記します。「ステップ2: 論争の相手と話し合う」には「和解に努め、ウィキペディアの三つの大事な方針である、中立的な観点で書く検証可能性を守る独自研究は載せないに従った編集ができるように合意することを目指してください。Wikipediaは民主的ではないため、片方の主張が少数であることを理由に議論を終わらすべきではありません。あくまで合意を目指してください。最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください。うまくいかない場合は、ステップ3へ進んでください。」とあります。


すでに大和屋敷さんも私の文案には賛同されています。あとはSt.Patrickさんが納得されるかどうかだけなのです。私からすると、大和屋敷さんの方がものわかりがいいと思いますが、それは、私の記述を尊重されたうえで、他の声明等を併記することなどで中和することを提案されている。私もそれに同意する。対して、St.Patrickさん、あなたはなにを意固地になっているのでしょうか。なにか気に障るようなことでもあったのですか?私があなたの応答に対して「いいがかり」と表現したのは、私からすれば、あなたが私の返事および文案の再作成を尊重することもなく、別の事柄である私の編集判断の「検証可能な根拠」を示せという不当な要求をされたからです。しかもその後、氏は議論におうじようとはせずに、同内容の質問を繰り返すのみ。これではどうにもなりませんし、荒らしともいえるでしょう。逆の立場にたってみてください。あなたの行っている質問要請とは、たとえば、あなたの発言のその全てに「検証可能な根拠」を示せ」といっているのと同じことなのですよ?他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください。--221.119.174.245 2010年11月3日 (水) 08:55 (UTC)


Wikipedia:合意形成には合意にむけた作業について次のように書かれています。「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます」と。


私はまさにこの意味において、「理由」である編集意図を説明し、説得しようと努めたのです。そして「この議論の合意において、個々の編集者はその発言をすべて検証可能性を保たねばならない」なんてガイドラインは存在しないにも関わらず、それがあたかもあるかのごとく、無闇で無意味な質問をなさる。ご自身がなにをなさっているか、反省してください。合意形成に努めず、したがってまた合意形成を妨げているのは、St.Patrickさん、あなたです。--221.119.174.245 2010年11月3日 (水) 09:12 (UTC)

いえいえ、現在合意提案を行っているのは私なので勝手な思い込みをしないように。

さて、私は合意形成に反対を表明している221.119.174.245氏の一団体の政治声明を詳細に記述した加筆理由にそもそも根拠がなかったことから、客観的な資料の提示を繰り返し求めています。

現在氏の反対意見で述べた加筆理由に根拠がないと考えられるのは次の通り全てです。

  • 「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識
  • 議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する
  • 「一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたから」

これらは全て氏の主観だけによるものですし、同意できる内容でもありません。よってそれでも氏が引き続き根拠があると主張したいのなら、早急に客観的な資料を第三者が検証可能な形で提示して下さい。--St.Patrick 2010年11月3日 (水) 13:20 (UTC)


繰り返しですか。あなたが私の加筆に要求する「客観的な資料」とは、具体的になにを指しているのですか?あなたが挙げている(むろんもとは私の発言ですが)三つの点は、たしかに私の主観的な判断ですよ。それゆえ、私の編集理由となった私の判断に関する客観的な資料などございません。いずれにせよ、あなたが問題視している点は、私の個人的な判断に関することであり、私が加筆した文言に関するものではない。なおこの文は出典先の[37]をご覧ください。私の加筆した文言は、リンク先の文章を引用し編集して書いたものであり、検証可能性を満たしています

いいえ、いま問題になっているのはあなたの意見に根拠がないことです。--St.Patrick 2010年11月3日 (水) 18:21 (UTC)


ほかの例をとってみましょうか。「2009年、韓国政府(外交通商部)は、強制動員労務者と軍人・軍属の不払い賃金訴訟にさいし、「(不払い賃金)は、請求権協定を通じて日本から受けとった無償の3億ドルに含まれているとしなくてはならないため、日本政府に請求権を行使しにくい」という立場を公式に提示した[37][38]。なお韓国政府は太平洋戦争強制動員犠牲者支援法制定後、2008年から「人道的次元で苦痛を慰める」として不払い賃金被害者たちに1円あたり2000ウォンで換算し、慰労金を与えている。」という記載が、現在、あります。これについてかりに私があなたのやり方で疑義を出すと、こうなります。この加筆を行った編集者に対して、私は「この情報を記載する理由を説明してください」と要求する。ついで、かりにその編集者が「中央日報や産経ニュースにあったから」といいます。それでもわたしは次のようにいう。「ニュースにあったからという理由だけでは、第三者が検証できません。あなたがこの情報を記載する根拠、客観的な資料を第三者が検証可能な形で提示して下さい」と。それに対してその編集者がなにを答えたところで「あなたがこの情報を記載する根拠、客観的な資料を第三者が検証可能な形で提示して下さい」を繰り返すことができる。

いいえ、中央日報や産経ニュースにあったなら、第三者は検証できます。--St.Patrick 2010年11月3日 (水) 18:21 (UTC)


あなたのいう「第三者」とは、誰のことですか?あなたが納得していないわけだから、あなたが私の加筆に納得できない積極的な理由を示して下さい。そもそも合意形成を行っているのは、現時点では、私とあなたの二者です。

いいえ、今回の議論箇所について先に合意提案を行っているのは私で、その合意提案に関し合意を形成すべく努力しているのも私一人です。
そして221.119.174.245氏の加筆理由に納得できない理由は
私は合意形成に反対を表明している221.119.174.245氏の一団体の政治声明を詳細に記述した加筆理由にそもそも根拠がなかったことから、客観的な資料の提示を繰り返し求めています。
現在氏の反対意見で述べた加筆理由に根拠がないと考えられるのは次の通り全てです。
  • 「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識
  • 議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する
  • 「一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたから」
これらは全て氏の主観だけによるものですし、同意できる内容でもありません。
と、既に氏の加筆に納得できない理由をきちんと示しています。--St.Patrick 2010年11月3日 (水) 18:21 (UTC)


St.Patrickはどうも、わざと私を神経的においつめて、消耗戦に持ち込むつもりのようですね。そして私が無反応になった頃を見計らい、「一週間待っても応答ないので編集します」として、ご自身の文案を記載するのでしょう。非常に悪質な態度だと思われるので、第三者に対処してもらいましょう。私は、私の挙げた文案で、十分にあなたの疑義に答えています。--221.119.174.245 2010年11月3日 (水) 16:44 (UTC)

いいえ、氏が挙げた文案は過剰に一団体の政治声明を論点まで根拠なく提示しているので私が提案した論点を含まない提案分を包括しているのは当然のことですが、まったく私の疑義(根拠なく論点まで含んだ加筆がどうして必要なのか?)に応えていません。--St.Patrick 2010年11月3日 (水) 18:21 (UTC)


何度も221.119.174.245氏が私に個人攻撃を続けているので警告しますが、根拠のない反対意見や個人攻撃を繰り返して合意形成を妨げる迷惑行為をやめるように。--St.Patrick 2010年11月3日 (水) 18:21 (UTC)


わたしのいう「論点」とは、引用のことです。出典先を引用してはならないのですか?出典先を引用するのは、より正確に文が理解できるからです。「リンク先を読めばいいではないか」とかりにおっしゃるのならば、そういう言い方だと、ウィキペディアの全項目にある引用文を同理由で削除しなくてならなくなりますね。


たとえばあなたが私の当初の引用を、著作権侵害にあたるという理由で削減要求されるのなら、了解します。たしかに当初の記述は、「過剰」であったことは私も認めました。だから、文を再構成したのです。本文だけでいえば、当初の量の4分の1、いや5分の1ほどにまで削減しています。これ以上の削減を要求するのは、不当であるし、他の編集者の編集を尊重するというガイドラインにも反しています。


なお、私の返事を「個人攻撃」とうけとっているようですが、私は自身の論拠を説明しているし、私からすれば、あなたこそが「根拠のない削減要求」を繰り返ししているのです。何度もいいますが、当初のあなたの要求には応じました。私の文案がそれでもなお「量が過剰である」と判断されるのであれば、なぜ過剰であるといえるのか、を説明してください。あなたは説明責任を果たしていない。「非常に悪質な態度」という表現が「個人攻撃」にあたるとでもおっしゃるのでしょうが、私の編集意図を一向に理解しようと努めずに、自身の主観的な削減編集要求をくりかえしあなたのやり方は、非常に押し付け的です。


本当にわからないのは、わたしが先に「論点」と表現していたリンク先からの引用文を脚注において記述することのなにが、具体的に問題なのですか?あなたは反対理由を一向に説明しようとしない。これでは、議論も先に進まないし、したがって、合意に至れるわけがない。わたしが「長期的消耗戦」と表現したのも、この先、同様の提起が続けばそういう事態になる、ということを「懸念」したのです。事実、編集のなかにはそういう政治的な意図をもって、ノートでごねるひともしばしばおりますから。


いずれにしても、あなたの要求こそ、過剰です。編集者の編集の検証可能な根拠を提示せよだの、一見、「検証可能性」ルールのように見えて、その実は、いくらだってどうとでもいえるような質問フォーマットであなたは他の編集者に接する。あなたが気に入らない記述に対してすべてその論法で接すれば、解決するとでもお思いですか?


これ以上膠着状態を続けてもしかたないので、先へ進めませんか?あなたが答えるべきは、

  • 引用文を「過剰」とする根拠は、あなたの主観的な感覚以外にあるのか?

という問いに対してです。


なお、たしかにあなたとのやりとりで当初の私の加筆も、随分改善されたとは思っています。その意味で、当初のあなたの削減要求は、正当なものだと認めます。しかし、あなたが提案する文案には私は同意できません。引用文を本項目に記載した方がいいと私が考える理由は、リンク先の文章に飛んで読むよりも、上記した四つの論点に対して具体的な文言はなにかを明記し、焦点化するためです。これは別にフツウの編集で、たとえば法律の項目で、記述の流れ上、法文を引用する場合もありますよね。それは、「特筆性」があるからです。私も、この声明の引用文については、最近の資料として特筆性を持つと思っています。


大和屋敷さんの提起された他の声明文の併記などについてはどうお考えなのですか?--221.119.174.245 2010年11月4日 (木) 04:00 (UTC)


むろん、上でいう引用文および私の加筆とは、再構成された文案についてであって、当初の私の文ではありません。--221.119.174.245 2010年11月4日 (木) 04:04 (UTC)


2回目になりますが、私は合意形成に反対を表明している221.119.174.245氏の一団体の政治声明を詳細に記述した加筆理由にそもそも根拠がなかったことから、客観的な資料の提示を繰り返し求めています。

現在氏の反対意見で述べた加筆理由に根拠がないと考えられるのは次の通り全てです。

  • 「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識
  • 議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する
  • 「一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたから」

これらは全て氏の主観だけによるものですし、同意できる内容でもありません。よってそれでも氏が引き続き根拠があると主張したいのなら、早急に客観的な資料を私や第三者が検証可能な形で提示して下さい--St.Patrick 2010年11月4日 (木) 10:28 (UTC)

コメントWikipedia:コメント依頼#合_2010年11月見ました。引用はWikipedia:引用のガイドラインによるべきです。今回の場合、文章自体を引用しなければならない必然性はないと思う。221.119.174.245 2010年11月2日 (火) 17:40 (UTC)によると、今回の編集の動機は、韓国併合#歴史認識の比較表の一部に出典がないという不備があるからだという。それなら、比較表の出典として付け加えるだけでいいはずだ。--211.14.207.15 2010年11月4日 (木) 11:46 (UTC) 記事は本来、自分の言葉で書くものであり、論点をコンパクトにまとめていた文章があったから引用する、というのは正当な引用理由ではない。--211.14.207.15 2010年11月4日 (木) 12:12 (UTC)

  • St.Patrick氏の質問にはすでに上で答えております。付け加える事はありません。私の発言をよく読み直してください。
  • 211.14.207.15氏のいう「引用しなければならない必然性」を具体的にご説明ください。「加筆の必然性」というガイドラインがあるかどうかは知りませんが、「特筆性」においては、私はすでに本文に記載される特筆性は本項目においては持たないため、脚注のなかに記載したのです。脚注とは副次的なものであり、「脚注に掲載する特筆性」のガイドラインはございません。したがって、それはあなたの主観的な独自判断であり、合意できません。もちろん、私は「脚注であればなんでもあり」などとは主張しません。私の今回の脚注内容のなにに反対され、St.Patrick氏は削除要求を固執されているのか?それを一度も説明されないまま、無闇な質問を続けられることは、Wikipedia:基本方針とガイドラインの五本の柱のうち「他の参加者に敬意を払う」という方針に抵触しています。まともに議論に応じてくれないのは、St.Patrick氏です。


または、211.14.207.15氏は「記事は本来、自分の言葉で書くものであり、論点をコンパクトにまとめていた文章があったから引用する、というのは正当な引用理由ではない」とおっしゃいますが、「正当な引用理由を持つ文」の具体的な実例(ウィキペディアにおける)を挙げて下さい。でないと、基準が分かりません。引用とは、文言をより正確に理解するために行うものと私は考えております。


なお、この211.14.207.15氏は2年間、加筆されていなくて[38]、いきなり、コメント依頼を読んだとしてコメントされていますが、St.Patrick氏の複アカ(またはそれに準じるもの)のようにも思われます。いずれにせよ、履歴から判断するに、不自然な編集参加ですね。

  • いずれにせよ、お二人(お一人?)が納得されないのは了解しています。数回目になりますが私が質問しているのは、St.Patrick氏の引用の基準です。「第三者が再検証可能な基準」を明らかにしてください。基準を明らかにされるか、あるいは私の質問にお答えいただけない場合は、これ以上、議論しても埒はあきませんね。いいですか。「記載に値しないとする積極的な理由」を私に提示してください。あなたは一度もお答えなさいません。「記載に値しない。以上終わり。」を繰り返すだけでは合意しようもありませんですよ。
  • ウィキペディアへの編集経験の豊富な方のコメントをお待ちしております。--221.119.174.245 2010年11月4日 (木) 14:34 (UTC)



3回目になりますが、私は合意形成に反対を表明している221.119.174.245氏の一団体の政治声明を詳細に記述した加筆理由にそもそも根拠がなかったことから、客観的な資料の提示を繰り返し求めています。

現在氏の反対意見で述べた加筆理由に根拠がないと考えられるのは次の通り全てです。

  • 「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識
  • 議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する
  • 「一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたから」

これらは全て氏の主観だけによるものですし、同意できる内容でもありません。よってそれでも氏が引き続き根拠があると主張したいのなら、早急に客観的な資料を私や第三者が検証可能な形で提示して下さい。--St.Patrick 2010年11月6日 (土) 12:41 (UTC)


私の各団体の意見記述についての提案に対し明確に反対意見を表明した221.119.174.245氏に反対意見の根拠を提示するよう過去3回にわたって求め、上記3度目の提示要請から合理的な期間を過ぎても提示がなかったため、氏は反対意見は主観によるものであり根拠のないものとの指摘に同意したとして処理します。 また私の提案内容がWikipediaで問題になるという指摘もありませんでした。よって、この提案は根拠のある反対意見もなく提案から相当の期間が経過いたしましたので合意を形成したと見なせます、今後該当部分をみだりに改変しないで下さい。--St.Patrick 2010年11月13日 (土) 17:00 (UTC)


私が合意した箇所について再編集しました。なお、一方的な合意終了を宣言するのはおひかえください。--221.119.174.245 2010年11月14日 (日) 07:16 (UTC)


上記221.119.174.245氏の異議表明から一週間近く経ちますが、氏も含めどなたからも発言がありませんでしたのでそろそろ終了させたいと思います。--St.Patrick 2010年11月20日 (土) 15:11 (UTC)

St.Patrick氏は反対理由を明言されない件に対するまとめ

  • St.Patrick氏は一度も、私の文案に反対する理由を提示なさいません。ただ「必然性を充たさない」「記載に値しない。以上」の繰り返しです。そして、私の質問を無視したうえで、私に対して「記載に値する根拠」を述べよと要求される。私はすでにいくつもの観点から、私の編集意図を説明した。すると、今度はその説明に対して、「再検証可能な根拠」を示せ、とこうくる。私はすでに編集理由を示した。対して、St.Patrick氏は反対理由を明言されない。反対を無根拠に主張されるだけです。--221.119.174.245 2010年11月5日 (金) 04:53 (UTC)


さて、韓国併合再検討国際会議に関する情報など他の加筆も行いたいので、日本キリスト教協議会の声明に関しては保留としますか?ただ、私としては、またSt.Patrick氏の当初の要求からしても、議論を受けて改変された文案に変更した方が、既存の記述よりも好ましいとは思っているので、いったんそれを記載したうで、また再度議論(があれば)続ける、というほうが好ましくありませんか。コメントもなかなか得られないことですし。なお、その暫定的な加筆にあたっては、今回の議論をできる限り反映させたいので、大和屋敷さんが提供された他の声明の紹介なども加筆したものにしようとは思っています。


繰り返しになりますが、St.Patrick氏がどうしても脚注における記述を認められないとおっしゃるのなら、その脚注部分の削除依頼を行うとよいかと思います。そして他の編集者の方が「削除が好ましい理由」を私が納得のいくような形で示される方がおられたら、むろん削除には応じます。--221.119.174.245 2010年11月6日 (土) 00:36 (UTC)


221.119.174.245氏の加筆理由に納得できない理由は

私は合意形成に反対を表明している221.119.174.245氏の一団体の政治声明を詳細に記述した加筆理由にそもそも根拠がなかったことから、客観的な資料の提示を繰り返し求めています。
現在氏の反対意見で述べた加筆理由に根拠がないと考えられるのは次の通り全てです。
  • 「現状、議論が社会的におこなわれていないこと」という現状認識
  • 議論が少ない現状のなかで、かの声明は記載に値する
  • 「一方の論点(日本統治を否定的に評価する側)をコンパクトにまとめていたから」
これらは全て氏の主観だけによるものですし、同意できる内容でもありません。

と、既に氏の加筆に納得できない理由をきちんと示しています


2回目になりますが、引き続き221.119.174.245氏が私に個人攻撃を続けているので警告しますが、根拠のない反対意見や個人攻撃を繰り返して合意形成を妨げる迷惑行為をやめるように--St.Patrick 2010年11月7日 (日) 04:08 (UTC)


質問に対する私の答えを聞こうとしないあなたの態度こそ迷惑です。


埒あかないですが、加筆理由を再度答えます。

  • 社会的に活動し、その歴史もある団体である日本キリスト教協議会の公式声明を加筆したのです。この加筆にあたって第三者が検証できるように典拠としてリンク先を記載しております。
    • 加筆にあたって無意味と思われる情報を記載するわけはなく、記載に値すると思われるから記載したのです。この「記載に値すると思われる」と考えるのはむろん私ですし、それは私の「主観的判断」に違いありません。また、補足的な加筆理由である「現状認識」については、たしかに私の主観的判断です。しかし、それの何が問題なのですか?「主観的判断であるがゆえ、記載に値しない」というのですか?別に私は独自な解釈を本文に記述したわけではない。たしかに、根拠を示せという要求に対して、私はその希少性をあげた。これもむろん私の「主観的判断」でした。しかしこれについては、大和屋敷氏より他の団体の表明が提出され、私もそれに同意した。これらもむろん記載に値する。

「主観的判断だから」掲載に値しないとあなたがおっしゃるのなら、それこそあなたの主観的判断であるし、またそれは他の編集者である私を一方的に論難しているにすぎません。

  • そもそもあなたはご自身で文案を提起しておりますし、やりとりのはじめのころには、この団体声明の記載については意義を唱えておりません(2010年10月17日 (日) 04:40 (UTC)「しかしながらWikipediaから削除されるべき内容でもありません」)。となると、あなたの主張および反対理由は、
    • 量が過剰であること

一点のみでよろしいでしょうか?

  • では次に、その量の基準がどこにあるか、ということになります。
    • 私の文案(以下、文案B。なお当初の記述を文案Aとする)は次の通りです(2010年11月2日 (火) 08:38 (UTC))。議論を限定するために本文に限定します。

日本キリスト教協議会は、2010年8月13日に韓国キリスト教教会協議会と共同で「韓日強制併合100年 韓国・日本教会共同声明」を発表し[1]、日韓併合条約は「武力の脅迫によって調印された条約」であり不法であること[2]、また独立運動(抗日パルチザン)への処罰が「人道主義に反する植民地犯罪」であったこと[3]、また日本の統治は朝鮮半島に窮乏化をもたらし、そのため多数の朝鮮人を中国、ロシア、日本などに移住させたこと[4]、また日本による統治のため、朝鮮半島が分断し、朝鮮戦争が起こったこと[5]などを主張したうえで、日韓併合条約の無効化と日本政府による賠償、朝鮮半島の平和統一に向けた努力等を訴えた[6][7]

  • あなたの文案(以下、文案C)は次の通り(2010年11月2日 (火) 14:42 (UTC))。

2010年8月13日に韓国キリスト教教会協議会と共同で「韓日強制併合100年 韓国・日本教会共同声明」を発表し、日韓併合条約の無効化と日本政府の賠償、朝鮮半島の平和統一に向けた努力等を訴えた[1][2]


これらの二つの文案については、当初の記述に疑義を出されたSt.Patrickに賛同した大和屋敷さんより、私の文案(文案B)への賛同も得られました(脚注への記載については保留のうえで。2010年11月2日 (火) 16:26 (UTC))。 さて、St.Patrickはこのあとのやりとりで、ずっと同じ質問をコピーペストなさるが、それのひとつひとつに対して具体的に私が答えていて、議論の流れ、また私自身の認識の変化などもお伝えしているのに、すべて無視され、コピペを続けなさる。議論を具体的にしましょうよ。つまり、具体的に、なにをもって、あなたは「量の過剰」を主観的に判断なさるのか、ということを明らかにしてください。私の加筆の動機に、私の主観的な判断があるのは当然認めます。しかしあなたは「それが主観的判断であるから根拠とはならない」ということを繰り返す。


主観的判断において問題になるのは、記載される本文において、出典なき(根拠なき)検証不可能な独自解釈(独自研究)を記した場合ではないでしょうか?


したがって、「主観的判断であること」を根拠に、反対されることは、それこそ「独自判断」であり、St.patorick氏の主観的判断なのです。


上のニ文案を具体的に比較してみましょう。私の再提案した文案(文案B)から、あなたの文案(文案C)を除いた部分が、あなたにとって「過剰」なのですよね?その「過剰」とされる箇所は次のようになります。

(…)日韓併合条約は「武力の脅迫によって調印された条約」であり不法であること[2]、また独立運動(抗日パルチザン)への処罰が「人道主義に反する植民地犯罪」であったこと[3]、また日本の統治は朝鮮半島に窮乏化をもたらし、そのため多数の朝鮮人を中国、ロシア、日本などに移住させたこと[4]、また日本による統治のため、朝鮮半島が分断し、朝鮮戦争が起こったこと[5]などを主張したうえで(…)

この部分は、声明の具体的な内容と論点を示したものです。そして私はこれらの文言を、「より正確に声明を理解すること」を理由に記載しました。


あなたはこの具体的な内容と論点をしめした文に対して「過剰であり、不要」とおっしゃるが、なぜ過剰であると考え、不要であると考えるのか、その理由は説明なさらない。また、あなたの執拗なコピペによる質問攻撃においては、はじめのやりとりで答えた私の答弁ばかり持ち出して、この声明の具体的な内容と論点を加筆する理由としての「より正確に声明を理解すること」については一向に触れられない。


そしてなによりも、この声明の具体的な内容と論点を示すことがなぜ「過剰」といえるのか、その理由を一度も明かされない。私には声明の具体的な内容と論点を示すことは「過剰」であるとは思われないし、またSt.Patrick氏が反対理由を説明してくれないので、なにに固執されているのかが見えないのです。だから、説明してくださいと要求しているのです。


あなたが「合意できない」ことは了解します。しかしその合意できない理由を説明していただけないと、議論は展開できないし、文案を(暫定的に)決定することができません。


私の文案BとSt.Patrick氏の文案Cのどちらが適切か。私は、私の再提起した文案Bの方が、「具体的な内容の要約とその論点を最小限記載することで、より正確に声明を理解することに寄与する」という理由において、適切であると考えます。St.Patrick氏がそれに反対されるのなら、なぜ「適切ではない」のか、なにをもって「過剰」とされているのか、を説明してください。


St.Patrick氏は、私に対して「主観的な判断にすぎないから(記載に値しない)」とコピペされますが、そもそも情報を記載しようという判断が「主観的判断」であるから、記載に値しないという方針は、ウィキペディアの方針に存在しません。あくまで、議論において、合意形成を図ることで落着させるしかないのです。もし、本文の記載において十分に検証可能な内容を持った文を記載するうえで、それが主観的判断であるから、記載に値しないという方針がありますのなら、提示してください。--221.119.174.245 2010年11月7日 (日) 17:01 (UTC)


St.Patrick氏のコメント記載の仕方(割り込み的な書き込み)について

私(221.119.174.245)の、 2010年11月3日 (水) 16:44 (UTC)の書き込みに対して、St.Patrick氏は 2010年11月3日 (水) 18:21 (UTC)のコメントを記入されていますが、私の書き込みに対する返答をまとめて返答されるのでなく、私の書き込みの文章ごとに「割り込み」的な書き込みをなさっています[39]。これでは、後から読むと、どの文がだれの発言かがわかりかねます。Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まりをみましたが、このような割り込み的な書き込みに関するガイドラインはないようですが、返事は互いに、まとめて、後から読む際に時系列で追えるようにしてください。なお、その割り込み的な書き込みについては、さっき気がつきました。その割り込み的な書き込みのひとつひとつに対して、私が同様に割り込み的な書き込みを行うことも可能なのですが、それですと、もともと割り込まれた私の返事がまったく読めないものになってしまう。St.Patrickさん、可読性にご配慮願います。--221.119.174.245 2010年11月9日 (火) 05:08 (UTC)


T34-76氏は 2010年11月10日 (水) 14:23 (UTC)でコメントを述べられておりますが、Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#投稿の技術的慣習には、「新しい話題はページの一番下に追加する:新しい発言は下に続くべきだと考えられています。ほとんど全てのノートで、新しい発言は下に続いています。新規の発言についても下に加えてください。ページの一番上に投稿すると時系列の混乱により、話の意味が分からなくなることがありますし、他の人に見逃されることもあります。 」とあり、私は可読性の観点から、このガイドラインを支持します。新規発言は、ノートページの一番下に記載してください。後から読まれる方への可読性にご配慮願います。


T34-76氏に返答します。私は「宗教団体の親睦団体」であれ、非宗教的な団体の主張であれ、その主張の内容が当該項目に関連するものであれば、記載するに値すると考えます。その主張の主体が「宗教団体の親睦団体」であり、またその主張が「抜きがたい特定の宗教の教義がもたらす特定の価値観に基づいたもの」であることが、削除理由に該当しないと考えます。T34-76氏は「ここでの問題は、何がしかの宗教団体の親睦団体あるいは政治的な圧力団体の意見表明の内容を詳細に記載すべきか?である。かかる宗教団体の親睦団体では、歴史を仮に科学的に分析したとしても、抜きがたい特定の宗教の教義がもたらす特定の価値観に基づいたものであることは明らかである。よって、ここでその内容を朝鮮併合の記事に記載するべきでない。」と判断されておりますが、その判断の基準は、ウィキペディアの全項目に適用される基準でしょうか?慰安婦尖閣諸島問題または尖閣諸島中国漁船衝突事件などの項目における各種団体の政治的主張をおしなべて一文に圧縮すべきなのでしょうか?
問題は、記述内容の量の基準です([40]を参照ください)。


以上の理由により、T34-76氏の提示された編集要求には合意できませんが、同氏による「本文で批判的な声明の発表の事実のみを記載して全文削除、脚注で主張の要点のみの記載が正しい処置である」の提案の主旨については、「主張の要点を本文に記載したうえで、脚注において該当文を引用記載する」という私の提案(文案)と齟齬がないと思われます。念のため申し上げますが、問題になっている私の過去の記載(現状の記述)については、St.patorick氏をはじめとする他の編集者の見解も受け入れた上で、また私自身も批判的に反省したうえで、再編集および記載の圧縮には応じているのですが?--221.119.174.245 2010年11月13日 (土) 12:02 (UTC)
  • 引用するさいに要約したうえで、さらに原文を引用したら、二重になるじゃないですか。政治的広告宣伝過剰ですよ。--大和屋敷 2010年11月14日 (日) 08:15 (UTC)もう、おふたりでいったい何を論争しあってるのか誰にも分からないし、どんな理屈でこんな過剰な記事になったのかもわからないので、いい加減迷惑ですよ。政治的な広告宣伝になってしまわないように加減してください。記事を独占(とは言わないまでも寡占)化しないよう、節度もって宜しくお願いしますヨ。読者は「韓国併合」のことを調べるために当記事を読みに来るのであって日本キリスト教協議会の演説を聴きに来てるわけじゃないです。日本キリスト教協議会の声明のことが記述されていなければ片手落ちなんでしょうが、見解の詳細まで全部紹介するような場所でもありません。--大和屋敷 2010年11月14日 (日) 08:24 (UTC)幸福実現党を加筆しました。--大和屋敷 2010年11月14日 (日) 08:37 (UTC)

呼称についての欄に移動しました

前文の所に、韓国での呼称が表記されていたので、呼称の項目に移動させて頂きました。 日韓邦合なんてのもほとんど使わないので、それも呼称の項目に移動してもいいかもしれませんね。 --Rondosasami会話2012年5月26日 (土) 17:02 (UTC)

大和屋敷によるタグ剥がしについて

具体的にどの部分が不適切なのか指摘できていません。タグ消しの際は個別にお願いします。Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:信頼できる情報源についてもごらんください。一旦差し戻します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年4月10日 (金) 07:57 (UTC)

出典が出ている箇所まで出典要求をしており、意図不明。タグを貼ればいいというものではない。貼るからには一つずつノートで説明が必要。--61.119.222.218 2015年4月29日 (水) 09:51 (UTC)

以下に列挙します。タグを剥がした理由を回答お願いします。

日韓合邦

  • 出典がありません。

西欧列強や、朝鮮を取り込もうとするロシア帝国

  • 出典がありません。

大日本帝国は自国主導による朝鮮半島の政治改革を目指した

  • 出典がありません。

悪政

  • 出典がありません。

朝鮮は自力での解決ができずに

  • 出典がありません。

日本は邦人保護を名目に朝鮮半島に出兵し、朝鮮に独立国かの再確認を行い、日本は朝鮮の自主独立のために五カ条の改革案を朝鮮に提案した。改革案は受け入れられ

  • 出典がありません。

大日本帝国を後ろ盾とする改革派の勢いが強まった

  • 出典がありません。

この事態は、朝鮮が帝政ロシアの保護国と見なされる危険性もあった

  • 出典がありません。

http://books.google.co.jp/books?id=7dHobOGKUIEC Korean-American relations. 3. The period of diminishing influence, 1896 - 1905] George McAfee McCune 1989

  • ページ番号がありません。

高宗は皇帝専制による近代化を志向

  • 出典がありません。

光武量田事業」とよばれる土地調査・改革が行われ、日露戦争によって中止に追い込まれるまで土地登録者に地券に相当する「地契」を発行するなど土地所有権保護と国家による近代的地税賦課を可能にする土地改革が朝鮮国(大韓帝国)全土の3分の2にあたる218郡で実施された。1899年(明治32年)8月には「大韓帝国国制」を制定し、皇帝による絶対主義君主支配を明確にした。しかし、皇帝専制は市民的改革路線を排除するものであり、独立協会や進歩会(のちの一進会)など改革派の排除・弾圧が行われ、近代化に向けた国論の統一が奏功しなかったことや、国外からの干渉などから、大韓帝国が独自に近代化を進めることは困難だった。日露戦争により帝国主義列国の相互牽制による独立維持という朝鮮国(大韓帝国)の外交方針は崩れ、大日本帝国による朝鮮国(大韓帝国)の保護国化が強行され、光武改革は潰えた。

  • 出典がありません。

http://books.google.co.jp/books?id=oAnxPA7ZV2gC&pg=frontcover 韓国経営] 加藤政之助 1905年

  • ページ番号がありません

http://www.history.go.kr/url.jsp?ID=NIKH.DB-jh_016_0050_0480 機密第九一號 白銅貨鑄造特許證ノ眞僞ニ關スル件] 韓国史データベース

  • 一次資料です。ページ番号がありません。

http://db.history.go.kr/item/level.do?levelId=jh_017_0020_0310 機密送第三七號 兪吉濬ノ陰謀ニ關スル件] 韓国史データベース

  • 同上です。

https://ds.lib.kyutech.ac.jp/dspace/bitstream/10228/3374/1/human21_p15_56.pdf 資料紹介 韓国侍従武官からみた日本の韓国併合 : 『魚潭少将回顧録』より「韓国末期の外交秘話」] 藤村道生 1973年

  • ページ番号がありません。

1904年10月、目賀田種太郎が財政顧問となり、同年11月、貨幣の原盤の流出元とみられる典圜局は廃止され、1905年7月、韓国は日本と同一の貨幣制度を採用し http://books.google.co.jp/books?id=oAnxPA7ZV2gC&pg=frontcover 韓国経営] 加藤政之助 1905年

  • 一次資料です。ページ番号がありません

ハーグ密使事件以降の大日本帝国国内では、「朝鮮を自国領土に組み込み朝鮮人を皇民とせしは皇国民の質の劣化である」という見地により、反対の意見も根強かった。併合時に必要となる莫大な資金の負担についても政財界より併合反対の意見があった。

  • 出典がありません

朝鮮統監であった伊藤博文の暗殺で、親日派と早期併合に向かった。

  • 出典がありません

また、韓国併合については、保護国化による一時的(実質)な統治で充分であるとの考えから、併合反対の立場を取っていたとされる}}が、1909年7月6日の併合方針の閣議決定を否定した形跡は無い。近年発見された伊藤のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて伊藤博文研究の第一人者とされる京都大学教授の伊藤之雄は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた事を裏付けるものだ」としている http://datazoo.jp/w/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%B9%8B%E9%9B%84/3922728

  • WP:TVWATCH

伊藤博文の暗殺を受け、韓国側からの提案である一進会の上奏声明等を経て韓国併合の話が持ち上がる。この時自称会員100万人を誇る韓国最大政党である「一進会」は併合推進派であった

  • 出典がありません。

二分された国内世論に慎重な日本政府は併合の正当性について列国に打診している。アメリカとイギリスは、このまま韓国を放置することは地域に混乱与えると考え、韓国併合に賛成した。その他、清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツといった当時の主要国からの反対も全くなかった。各国の賛成を得て、また一進会も併合を望み、日本は韓国併合に乗り出した。

  • 出典がありません。

国際的に見て、両国の時勢・国力比から考えても受け入れられない提案であった。

  • 出典がありません。

また、一進会の声明の中で「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」との声明もあり。独立を堅持するよりも、日本との併合による地位の向上をより求めたとの見識がある。(伊藤博文暗殺に対する日本人の反感に敏感に反応したという側面もある。

  • 出典がありません。

大勢は併合調印賛成に傾いており

  • 出典がありません

統監府は、1909年(明治42年)に戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代から人間とは見なされず姓を持つことを許可しなかった肉屋のような民にも姓を自称させた。李氏朝鮮時代は戸籍に身分を記載していたが、統監府はこれを削除した。このため身分が平等になり、肉屋の子供たちも学校に通うことができるようになった。身分解放に反発する両班は抗議デモを行ったが、政府によって鎮圧された

  • 出典がありません

日本統治下においては、日本内地に準じた学校教育制度が整備された。初代統監に就任した伊藤博文は、学校建設を改革の最優先課題とした。小学校も統合直前には100校程度だったのが、1943年(昭和18年)には4271校にまで増加した。

  • 同上です

1911年(明治44年)、朝鮮総督府は第一次教育令を公布し、朝鮮語を必修科目としてハングルを学ぶことになり、朝鮮人の識字率は1910年(明治43年)の10%から1936年(昭和11年)には65%に上昇した。学校教育における教授言語が日本語であったことをもって、「言葉を奪った」という評価がなされることがある。これに対しては、朝鮮語が科目として導入されたこと、朝鮮語による文化活動が許容されていたことをもって、言葉が奪われたとはいえないという反論もある。また、ハングルは併合以前は漢字と比べて劣等文字として軽蔑されており、あまり普及していなかったというのも事実である

  • 同上です

--番組の途中ですが名無しです会話2015年5月4日 (月) 14:57 (UTC)