ノート:預言者

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「ユダヤ人」「新約」「メシニアック」[編集]

 ユダヤ人部分 初期のキリスト者はユダヤ人というのと 聖書学によっても、新約という考えは50年代ぐらいに成立していたのでは? あと メシアニック というところで適当に修正をした方がいいと思います。--Johncapistrano 23:14 2003年11月24日 (UTC)

エルサレム神殿の破壊とユダヤの預言者[編集]

「西暦70年にエルサレム神殿が破壊されて以来、預言者はユダヤの民に下されなくなった」
ことが理由なら、西暦+-10年ごろのイエスが預言者で「新しい契約」が結ばれたと考えてもいいはずだが。--61.210.161.11 2005年10月7日 (金) 06:05 (UTC)[返信]

著作権が絡むと思うけど、非常に参考になりました以下URL[編集]

http://www.higuchi-susumu.com/yogensha.htm

--以上の署名のないコメントは、221.30.102.1会話/Whois)さんが 2005-03-01 15:55:23 (UTC) に投稿したものです。

週刊文春2006年6月22日号掲載コラム「お言葉ですが」を受けて[編集]

このコラムで中国文学者の高島俊男氏が「預言とは言葉を預かる事ではない」と指摘しています。骨子は以下のようです。

  • 日本語の「預かる」「預ける」に相当する外国語は無く、「預言」は古代ヘブル語の「神の言葉を預かる」の意ではない。
  • 「豫」と「預」と「予」は本来同じ字である。発音も意味も同じで字の形だけが違う。正字は「豫」であるが、中国では昔から代わりに「預」で書く習慣がある。
  • 従って本来「預言」も「予言」も同じ「豫言」である(という論旨に次回以降なると思われる)。日本の「預言」は清代に漢訳された「豫言=預言」の輸入であり、預言者は古代ヘブル語の「ナビ」の直訳ではない。

今後この点についてはいろいろ意見も出ると思うので、Wikipediaにおいても編集の議論が必要かと思われます。--ミッドランドライダー 2006年6月19日 (月) 02:03 (UTC)[返信]

私は現状では議論する必要はないと思います。ノート:予言参照 --Sumaru 2006年8月15日 (火) 11:07 (UTC)[返信]
ミッドランドライダーさんの加筆に関連して、ノート:予言#Prophetの語源は「先に語る者」なのかを立てました。特にヘブライ語やギリシャ語の知識のある方にコメントを寄せていただけると幸いです。--Sumaru 2007年1月28日 (日) 03:24 (UTC)[返信]

取り消し編集につき説明_2011年9月[編集]

  • 佐藤邦雄さんの編集に対する取り消し編集につき御説明します。
  • ノート:ナザレのイエスでも疑問を呈しましたが、本当に佐藤邦雄さんには前提知識が御有りなのでしょうか…? 基本的な文献からまずしっかり熟読されてから、ウィキペディア編集に関わられることをお勧めします。
  • 挙げられた箇所は「キリスト三職務」のうち、預言職について書かれたものであることはキリスト教において伝統的な解釈でもありますが、「新約聖書には『イエス・キリストに預言職もあった』旨記されていると解釈される」というのと「新約聖書には『イエスは預言者であった』と記されている」のは全然違います。そもそも他の箇所で「メシア」と書かれている諸例を無視して「預言者」の片言隻句だけ拾い出すというのは、独自研究というだけではなくて、むしろ自説の演説行為にも等しいものであり、悪質ですらあります。
  • もし故意の自説開陳ではないのでしたら、こういう基本的知識すら無い状態で執筆に関わることはお止め下さい。

--Kinno Angel 2011年9月8日 (木) 03:51 (UTC)[返信]