ペドロ・マルケス

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ペドロ・マルケス(Pedro Marques、1575年 - 1657年6月12日)は、江戸時代初期に来日したポルトガルイエズス会宣教師である[1][2]

経歴・人物[編集]

エヴォラの大司教区内に所在したモーランに生まれる[2]1592年に17歳でイエズス会士となり[2]、日本での布教活動を志すために1609年慶長14年)に来日し日本管区長を務めた[1][2]。しかし1614年(慶長19年)に江戸幕府から禁教令が発令されたことにより[1][2]マカオに追放処分を受ける[1][2]。その後は同地やカンボジア[2]トンキン[2]海南島東南アジアの津々浦々で布教活動にあたった[2]

後にイタリア人宣教師のアントニオ・ルビノと親交を持ち5人の宣教師[2]、5人の従者と共に1643年(寛永20年)に筑前大島に渡航し日本への密入国を決行する[1][2]。しかしその直後に捕縛され長崎に送還された後に[1][2]江戸下総高岡藩主だった井上政重の命により拷問を受け棄教した[1][2]。その後も日本に滞在し[2]、江戸で病死した[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g マルケス”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2024年2月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o マルケス”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2024年2月21日閲覧。