古性秀之
古性秀之 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 石川県 |
生年月日 | 1961年9月14日(62歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 石川県競馬事業局 |
初免許年 | 1978年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 2011年 |
通算勝利 |
12143戦1461勝(地方) 1戦0勝(中央) |
経歴 | |
所属 | 金田一昌(金沢) |
古性 秀之(こしょう ひでゆき、1961年9月14日 - )は、石川県出身の元騎手(地方・金沢所属)。
経歴[編集]
169cmの長身のため地方競馬教養センターに一般公募騎手候補生1期生として入所し[1]、1978年10月21日の金沢第5競走・オートネホース(9着)で初騎乗を果たすと、2日後の23日に第4競走・ナルノベンハーで初勝利[要出典]を挙げる。1986年の中央競馬騎手招待では11頭中10番人気のオーゼルに騎乗し、村本善之・田島信行・柴田光陽・栗田伸一を抑えて優勝[要出典]。
1995年には芦毛の名馬エビスライトオーで北國王冠を制し[1]、自身唯一の中央騎乗となった1996年の平安ステークスではライデンリーダー(笠松)に先着の7着と健闘。1998年にはカズノリュウセイで中日杯を制するなど、名馬に騎乗することも多かった[1]。中日杯のカズノリュウセイは当日7番人気であったが、前年の年度代表馬トーシンイチバン、同年の年度代表馬サンシャインホース、翌年に年度代表馬となるリードジャイアンツ、1996年の年度代表馬ハヤテサカエオー[2]を寄せ付けず逃げ切った。
1999年にはダートグレード競走となったサラブレッドチャレンジカップで12頭中12番人気のユキノショウに騎乗し、地元・他地区含む地方勢最先着の4着に持ってきた。ファンも多い大ベテランで、52kgの負担重量でもきっちり騎乗するなど、関係者からの信頼も厚かった[1]。
落馬負傷の影響もあり2002年は21勝とリーディング20位にとどまったが、2003年には5月26日の金沢第5競走サラ系C級3組9をバンブーバンオーで逃げ切って通算1200勝を達成[1]し、44勝と復活[1]。2004年には北日本新聞杯でロイヤルアタックに騎乗し、3コーナー先頭から後続に6馬身差を付けて圧勝[3]。2004年はリーディングでは34勝を挙げ、北國アラブチャンピオンも制するなどビッグレースでの勝負強さは相変わらずであった[4]。
2008年5月19日の金沢第3競走サラ系C級2組5・ビッグオスカーで通算1400勝を達成[5]し、2010年には白山大賞典でネヴァデザートに騎乗。地方所属馬で占められたゼッケン6番以降の単勝オッズが100倍以上[6]で、ネヴァデザートもその中の一頭であったが、大雨の不良馬場で置かれていくメンバー中唯一のダートグレード勝ち馬ロールオブザダイス[6]を交わして5着に入る。同年11月21日の金沢第11競走サラ系B級1組2・コアレスビーチが最後の勝利となり、明けて2011年1月5日の第9競走初春霊峰白山特別・ケイアイダイコク(10頭中3着)が最後の騎乗となった。同年引退[要出典]。
通算成績[編集]
- 地方 - 12143戦1461勝 勝率12.0%、連対率24.9%
- 中央 - 1戦0勝
主な騎乗馬[編集]
※斜体は地方交流競走。
- ゴルデンビューチ(1985年農林水産大臣賞典)
- マスルビー(1985年菊桜特別)
- マイテイハヤコマ(1985年中京スポーツ賞)
- エイム(1985年ことじ賞)
- オーゼル(1986年中央競馬騎手招待)
- ビービーリドン(1987年サラブレッド大賞典・あすなろ賞・中日杯)
- フセシバオー(1987年農林水産大臣賞典)
- キヨウエイフロルア(1988年中京スポーツ賞)
- リキエグレージヤ(1988年アラブ大賞典)
- テツノオージヤー(1990年菊桜特別)
- リスクワッスル(1994年北日本新聞杯)
- ムソウタイザン(1994年アラブフレッシュカップ)
- エビスライトオー(1995年北國王冠)
- キーライト(1998年ほくてつニューイヤーカップ)
- ホマレドン(2000年菊桜特別)
- ロイヤルアタック(2004年北日本新聞杯)
- グリーンジャンボ(2004年北國アラブチャンピオン)
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 騎手登録情報 - 地方競馬情報サイト